2022年5月31日火曜日

世界平和運動を国際的に起して行く

 戦争を避ける道を選ぶよう主張した土田杏村は、「世界平和運動を国際的に起して行くことが刻下の急務である」と言って、平和的な方法で平和を構築していく具体策まで提唱していた。次の通りである。

 何れにせよ、第二次世界大戦の結果らされるものは、人類文化の著しい低下である。人類はもはや今日の生活に於けるような豊潤な文化享受をなすことが出来ない。またもしもその文化享受が今のように高いものであるならば、引き続いて第三次第四次の世界大戦をなし、結局に於いて人類の生活が救うことの出来ない低級さに達するまではその戦争を廃棄しないであろう。人類文化も、まことに今がその絶頂期であるらしい。
 戦争の為めの準備をなし国民にその覚悟を今より固めるように努力することも必要ではあろうが、私は同時に世界平和運動を国際的に起して行くことが刻下の急務であると考えている。戦争を避けることほど日本を国家的に繁栄ならしめるものはない。ここに我々は米国にも英国にも反戦的空気をつくり、各国をして戦争の危險を出来るだけ除去せしめるように努力しなければならない。このためには平和運動のための国際的協議も開かれなければならない。戦争を起す原因としては、経済的要因だけが唯一のものではない。今日に於いては国家的英雄主義や人種的偏見もまた強力な原因になって居る。我々はそれを打破しなければならない。反戦運動なるが故に非国家的であるといふのは大いなる誤謬であって、その反戦運動の背後には烈々たる愛国心愛民族心が動いて居り、その点ではまさに国防運動と提携して進むべきものである。(『明日に呼びかける』、土田杏村著千倉書房、1933年、p8〜9)

 ここで、条件付とはいえ、「人類の生活が救うことの出来ない低級さに達するまではその戦争を廃棄しないであろう」と予言していることが、ロシアの蛮行を見せつけられ、戦争やに活気が出てきている現状を見るにつけ、土田杏村の予言が真実味をもって迫ってくる。
 また、土田杏村の「各国をして戦争の危險を出来るだけ除去せしめるように努力しなければならない。このためには平和運動のための国際的協議も開かれなければならない」と言った平和思想を知って、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という言葉を思い出した。そして、宮沢賢治が生きた時代を調べて、1896年8月27日に生まれで、1933年に亡くなっていた。だから、土田杏村が宮沢賢治の思想に影響を受けていたことも十分にありうる。今こそ、
宮沢賢治や土田杏村の平和思想というものを見直して、その実現を目指すべきであろう。

2022年5月30日月曜日

戦争への道にストップを!

 1931年に満州事件が、そして1937年に支那事変が起き、15年戦戦争とも言われる第二次世界大戦に突き進んでいった。ところが、1933年に出版された『明日に呼びかける』(土田杏村著、千倉書房)のなかで、「戦争を避けることほど日本を国家的に繁栄ならしめるものはない」と書いて、出来ることなら戦争に走ることは避けてほしい、と主張していた思想家がいた。
 まず、戦争がどれだけの破壊をもたらすかを、消費という言葉を用いて次のように述べている。

 戦争ほどをじかけの消費をなすものはない。国民がどれだけ贅沢な消費をなすといっても、戦争の贅沢さに比較すれば、全く九牛の一毛に過ぎない。戦争が国運を賭して行われる場合には、わずかに半年を以って何世紀かに相当する分量の消費をなすのである。従って今なす一年の戦争は、今後何世紀かの間に生まれてくる国民の生活の全てを窮乏ならしめる原因となるであろう。・・・(上同、p6)
 だから、「できる限り戦争を避けるが国家生活として有利である」と次のように書いている。
 私は今の場合できる限り戦争を避けるが国家生活として有利であると考えている。その理由は、・・日本海軍の数的価値が客観的に他に劣る限り、この劣勢の戦争において決して有利のものでないことである。・・・海軍戦は陸軍戦以上に機械力がその甚だ多くの部分を決定するのであるから、劣勢の海軍を以って郵政の海軍に当たるには、そこに移譲の決心が必要である。・・・ 換言すれば、お話にならない偶然性が国運を決定することになるのである。 これほどばかばかしい事は無いであろう。しかし我々はただバカバカしいといって済ますわけにはいかない。それが今後の戦争の現実なのだ。出来る限り戦争を避けることが現在としては有利であると私の主張する理由の一つはそこにある。(上同、 p4~5)
 土田さんは、戦争に走り始めてからでも、冷静に世界の情勢を見つめ、国のとるべき方向性について発言している。今の日本も、戦争前夜のような雰囲気もあるが、まだ、冷静さは保てている。こんな時だからこそ、戦争への道に進まないようあらゆる努力をすべきである。

2022年5月29日日曜日

真の友愛が育つ条件

  アリストテレス倫理学最終回、「100分de名著 アリストテレスニコマコス倫理学[終](4)友愛とは何か」(2022523日放送)を観た。例によって、要点をまとめた。


 アリストテレスは、友愛を「人柄のよさに基づいた友愛」「快楽に基づいた友愛」「有用性に基づいた友愛」と三分類。「友愛は愛されることよりも愛することに本質がある」と分析する。自己愛と友愛の関係など彼の友愛論は「愛」について考察するための豊かな素材に満ちている。第四回は、最も有名な友情論と言っても過言でないアリストテレスの友愛論を紹介して、人間にとって「友情」とは何か、真の「愛」とは何かに迫っていく。(「公式サイト」案内より)


1、人間とは「社会的な存在」である。

 人と人とを結びつける「友愛」(フィリア)

 人間とは「社会的な存在」であって、他者と共に生きる自然本性を持っているからである。それゆえ、人と共に生きて初めて人間である。人間は根本的に社会的な存在である。

「一人で生きるのは野獣か神である」(アリストテレス『政治学』)


2、最も正しいことと=友愛に満ちたもの

 実際、愛する友なしには、たとえ他の善きものをすべて持っていたとしても、誰も生きてゆきたいとは思わないであろう

 二人で行けば・・・・。そうすれば、人々は考えることも、行為することもいっそうよくできるようになるからである。 

 また、友愛は国家をも結びつけ、立法家たちは正義よりも友愛に関していっそう真剣であるように思われる。(中略) そして互いに親しければ、正義をことさら必要としないけれども、正しい人たちの方は友愛をも合わせ必要とするのであり、さまざまな正しいことのなかでも、最も正しいことというのは、友愛に満ちたものと考えられるのである。


 アリストテレスの「互いに親しければ、正義をことさら必要としない」ということの解説として「夫婦仲が良ければ、ことさら法とか正義を持ち出して『あれこれ』言う必要がない。うまくいかなくなって離婚すると言った時初めて、法が必要になってくる」と説明していた。


3、三つの友愛

 友愛の対象になるもの

 ⑴、善いもの  道徳的善

 、快いもの  快楽的善

 、有用なもの 有用的善

  「善が人と人とを結びつける紐帯になる」


 、人柄の善さに基づいた友愛

 、有用性に基づいた友愛(ノートを貸してくれた)

 、快楽に基づいた友愛(一緒にカラオケをしたり・・・)


 有用性のゆえに互いに愛し合っている人たちは、相手を、相手の人そのものとして愛しているのではなくて、相手から自分自身に何か善いものが生じる限りにおいて愛しているのである。快楽のゆえに愛する人たちも同様である。 すなわち、愛する側の者たちは、相手がもはや快くなかったり、有用でなくなったりすれば、愛するのをやめてしまうのである。

 だから、人柄の善さに基づいた友愛は、より持続的なもので、相手の人柄全体を互いに愛し合う。さらに、人柄の善さに基づいた友愛には、これら三つの要素が含まれている。この、人柄の善さに基づいた友愛こそ、真の友愛なのかもしれない。


4、人柄の善さに基づいた友愛を築くには

 しかしながら、このような友愛は、当然、稀なものである。なぜなら、善き人々は数少ないからである。 そればかりか、そうした友愛が育つには、さらに、時間と親密さが必要だからである。実際、諺にあるように、言い伝えられているだけの塩を共に食べてみないうちは、互いに相手を知ることはできないのである。


5、長い時間をかけて付き合い続けているとどうなるか?

 お互いに相手の持っている善い点を体現していくことが可能になっていく。有用性や快楽に基づいた友愛を一概に否定しないで、全ての人のつながりをグラデーションをつけつつ善いものとして認めてゆく。つまり、三つの友愛が複雑に絡まり合いながら、相互に改善し合いながら、人間関係は成立している

2022年5月28日土曜日

「モル」とアボガドロ定数に納得

 放送大学の面接授業で、「人参で学ぶ量子の世界」という科目を受講した。まだ半分残っっているが、学生時代から納得できなかった「モル」という単位やアボガドロ定数というものを、初めて納得して理解することができて嬉しかった。こうした喜びも、学ぶ喜び、学ぶ楽しさだと実感することができた。
 

 「モル」やアボガドロ定数を納得して理解するキモは、実際の原子の重さを基に、1モルの重さを計算してみることではないだろうか。私の場合は、それで初めて納得できたからだ。

2022年5月27日金曜日

生命力の根源としての「楽しさ」

 二年前に行った大山忠作美術館のチケットに、作品制作過程の心境についてのメモが書かれていた。改めてメモを読み直すと、描きたい対象に対する心(対象に惹かれた心)というものを大切にしていたことがよくわかる。

 何時間、何日でも描きたいものと向き合う。よく飽きないものだと自分でも感心する。それは、惹かれた心を検証するプロセスでもあるだろう。

 この人はどういう人なのか。その背景をどういう風にするかを考える。そういうことを含んだ構想を練っている段階が楽しい。

 同時に、忠作さんの作品も、結局「自画像」という側面があるのかもしれない、と思うようになった。というのも、サントリー美術館で行われている「大英博物館 北斎展」図録に書かれていた、「北斎の描くあらゆる動物が、絵の中からわれわれに向かって投げかける視線には、生き生きとした力がこもっている。ある意味では、これらはみな北斎の自画像なのだ」(p10)という言葉を思い出したからだ。
 また、「構想を練っている段階が楽しい」というのは、北斎にとっても同じだったに違いない、と思った。つまり、忠作さんのメモから、北斎の作品に対する心構えのようなものを類推できるのではないか、と思えたのだ。そして、北斎の生命力の根源に、「楽しさ」というのがあったのかもしれない、という新しい発見につながった。

2022年5月26日木曜日

絵を描く行為が意欲を育む

 日曜美術館のアートシーンで、サントリー美術館で行われている「大英博物館 北斎展」のことを知った。とても行けないので、せめて図録でも、と取り寄せて読み始めた。生命力と向上心の強い北斎に強い関心を抱いてきたからだ。
 例えば、「流水に鴨図」は、1847年だから88歳の作品だが、図録によるとこの年には32点もの作品を発表している。続いて、89歳に7点、90歳には12点も描いている。江戸の大火や地震で消失した作品もあるだろうから、実際はもっと多かったであろうとも書かれていた。なぜ、これほどの生命力あふれるエネルギーを持ち続けることができたのだろう。
 それは、絶えず絵を描いてきたからと言える。つまり、絵を描くという行為そのものが意欲(エネルギー)と生命力を育んできたのではないか、と思う。その根拠は、「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という言葉だ。絵を描く場合、本当に描きたくて描く場合と、それほどでもないんだけれど、習慣的に絵筆をとってしまうこともあるであろう。そうして描き続けることで新たな創作意欲が湧き上がるに違いない。
 科学研究などの知的探究における「無知の知」というのも、似たような構造なのかもしれない。新しい探究が進めば進むほど、新たな地平線(無知の知)が広がって、それにつれて探究心も強くなってくると言われている。「読む」とか「書く」という行為が学びの意欲を向上させるのに違いない。
 そういえば、前頭葉の働きには、多分意欲に関するものもあった。つまり、絵を描いたり勉強を、あるいは創作を続けて前頭葉を刺激し続けることによって、前頭葉が発達する。前頭葉が発達すれば、意欲(生命力)も強くなってくる、というサイクルが出来上がる。こうして優れた画家や科学者が誕生してきたのであろう。

「流水に鴨図」1847年

2022年5月25日水曜日

敵視政策から共存政策への転換を!

 戦争はなぜ起きるのか。いろいろあるだろうが、軍事的緊張が存在するところに戦争は起こることは明らかだ。この度のロシアによるウクライナへの侵略戦争が証明している。ロシアと米欧とは軍事的緊張関係にあった。その一方が、「北大西洋条約機構(NATO)を東へ東へと拡大してきた。結果として、国民に被害者意識をあおるプーチン大統領に勢いを与えた面もあろう」(朝日新聞コラム「天声人語」2022年5月25日)。つまり、軍事的緊張が度を越した結果、ロシアの蛮行を引き起こしてしまったことになる。だからこそ天声人語で、「中国に対しても、軍事や経済などの包囲網が度を越してしまう危険はないだろうか」と危惧している。
 もし、天声人語の危惧が真実ならば、日本の軍事費倍増や敵基地攻撃能力の保有などは、東アジアにおける軍事的緊張を高める暴挙であることは間違いない。ここで気がついたことだが、9条改憲も、軍事的緊張を高める暴挙という側面がある。自衛隊が存在し、軍事力を保有しているにせよ、憲法9条は、その軍事力の歯止めになっているからだ。その歯止めがなくなれば、軍事的緊張が一挙に高まることは容易に想像がつく。
 北朝鮮との関係も同じだ。北朝鮮を念頭にした米韓軍事演習とか、日米軍事演習をやっているが、ロシアがNATOを軍事的脅威と感じたように、北朝鮮も、米韓軍事演習や日米軍事演習を強い軍事的脅威と感じているに違いない。なんと言っても、軍事力の差がとてつもなく大きいからだ。
 最近、ロシアのような国が存在するかぎり、ますます憲法9条で国を守ることなどできない、とよく言われることになった。そうだろうか。なぜ、ロシアが蛮行に及んだかを冷静に見つめ、たとえロシアのような国が存在していたとしても、それらの国が蛮行に走らないための方策を明らかにしさえすれば、戦争を防ぐことができるに違いない。その方策こそが、敵視政策から共存政策への転換であり、平和的な外交と軍縮路線の推進である。平和的な外交には、当然核兵器禁止条約の批准が入っている。

2022年5月24日火曜日

英米の尻馬に乗って支那を圧迫せぬ様

 バイデン大統領が来日し、日米首脳会談が行われた。朝日新聞の報道によれば、「かつて米国内には、日本の敵基地攻撃能力保有について、アジア地域を不安定化させると慎重論もあったが、米側は会談で日本の保有検討を歓迎し」、その上に、「日本の防衛費についても米政権幹部は北大西洋条約機構(NATO)並みの『国内総生産(GDP)比2%』が望ましいとの考えを示」(「アジアの結束、役割増す日本 日米首脳会談 編集委員・佐藤武嗣」 2021年5月24日)したという。これこそ、「行き過ぎた従米構造」そのものではないか。
 最近知ったことだが、孫文は、今日の日本とアメリカの関係を見事に見通して、「日本国民に対する希望は、日本政府が英米の尻馬に乗って支那を圧迫せぬ様、努力されたい」(『鈴木天眼 反戦反骨の大アジア主義』、高橋信雄著、あけび書房、2021年、p330)。「支那を乱す外国の力を排除しなければ、支那の統一平和は絶対に不可能である」(上同、p329)と語っていた。中国の軍事力を念頭に日本が米国と一緒になって軍事力を増大させれば、中国が反発するのは当たり前で、早速中国外務省の声明が発表されている。
 最初のボタンが間違えば、全てのボタンがずれてしまうように、初めから友好の意思がなければ話にならない。つまり、初めから中国や北朝鮮を敵視していたら、東アジアの平和は絶対に不可能であろう。東アジアの平和を望むなら、「中国との真の友好関係を築」いていくしかない。米国の背後には、軍事産業の巨大な力があることを忘れてはならない。

2022年5月23日月曜日

行き過ぎた従米構造の修正を

  サンデー毎日で連載中の「倉重篤郎のニュース最前線」に、「西山事件の50年目の真実」と題した、元毎日新聞の政治部記者西山太吉氏へのインタビュー記事が掲載された。倉重氏によるまとめの一言は、「50年の風雪を経て西山翁の言いたいのは、日本の国の形の行き過ぎた従米構造の修正であり、共存共栄のための日中外交論議の活性化であろう」(『サンデー毎日』、2022313日号、p 17、強調は引用者による)と、今後の日本の有るべき姿を端的に言い表している。西山氏の声は次の通り。

 日本は岸、佐藤、安倍と長州三代による従米的日米一体化路線で、米軍と共同軍事行動を取るという戦略を極限まで追求してきた。だが、中国が台頭、米国が相対的に後退し、国際環境が多極化していく中で、日米同盟をひたすら強化するだけでいいのか。東アジア安定のため、望まぬ戦争をしないためにも、日中両国が共存共栄の道をどう作り出すかが最大のテーマではないのか。米国と一定の距離を置く選択肢もあり得る。本来あるべきその論争がどこからも出てこない。(上同)

 食料自給率が低い日本は、「世界的食料不足を警告」で書いたように、中国を敵視しては、「国民の命綱」でもある食の確保が難しくなってしまう。その上、東アジアを不安定化要因になってしまう。だからこそ、西山太吉氏が言うような、東アジア安定のため、望まぬ戦争をしないためにも、日中両国が共存共栄の道」を邁進することが大切になってくるのである。

2022年5月22日日曜日

日本の平和をどう守るか

 ロシアの侵略を前にして、国民の不安も高まっている。そうした国民の恐怖心や不安に付け込んで、敵基地攻撃能力の保有、9条改憲などの意見が強まってきている。こんな時だから尚更のこと、「日本の平和をどう守るか」を9条の観点から掘り下げていく必要がある。
 ちょうど赤旗日曜版(2022年5月22日号)で作家のあさのあつこさんが素晴らしい発言をしていたので紹介する。

<日本の平和をどう守るか>
 「9条を守る」というだけでは国民の理解は深まらないでしょう。
 9条を核にして、戦争を起こさないための外交を展開していく具体的なビジョンをもっともっと出していく時だと思います。
 ASEAN(東南アジア諸国連合)のようにいろんな国々の結びつきと対話のなかで、ものごとを解決するようになれるのかどうか、いま岐路に立っている気がします。
 家庭内だって、暴力で抑圧して家族がまとまりました、とはならないでしょう。対等に話し合うしかない。国家間でも同じだと思うんです。
〈子どもたちに希望 を伝えることを大切 にしてきました>
 ウクライナでは、子どもがあんなに簡単に殺されている。おとなが子どもたちを守ることができないのが悔しい。自分の無力さに唾然(あぜん)とします。でも、「どうかあなたたちを守ることができるように、戦争をやめさせるために頑張っているおとなたちがいることを信じて」と言いたいです。戦争をしない国、戦争のない世界にして、バトンタッチできるように頑張るから、
と。
 そして、ウクライナのことを忘れずに一緒に考え続けようと伝えられたらと思います。

  すでに話し合いによる紛争解決の実績が、ASEAN(東南アジア諸国連合)の国々でちみ重ねられてきているのだから、そうした先進例に学べべ、決して不可能なことではない。それに、「戦争をしない国、戦争のない世界にして、バトンタッチできるように」という思いは全く同感で、このブログを維持してきた理由もそこにある。

2022年5月21日土曜日

人の命に勝る大義などない

 大腸ポリープ切除のため、一泊入院をしてきた。看護婦さんの優しい心に触れ、久しぶりに心が温かく感じることができた。特に、夜中に起こされて処置をしてもらった時は、今も起きて働いているであろう全国の看護婦さんに感謝の祈りを捧げた。そして、そうした看護婦さんの働きと対極にある戦場の兵士のことを考え、命の尊さを無視して足蹴にする戦争を憎んだ。
 医療従事者として命を守り、生きる希望に寄り添って働く人は、ウクライナにもロシアにもいる。戦場にもいるだろう。その人たちは、どんな思いで戦争を見つめているのであろうか。逆の視点に立って、ミサイルや爆弾の先にいるであろう人々の命を、兵士たちはなんだと思ってミサイルや爆弾を発射するのであろうか。
 分からない。
 どうして、
 勝手に、
 何の恨みもない人々の命を奪うことができるのか!
 兵士たちに、国家の指導者たちに、
 人の心はないのだろうか。
 優しい心はないのだろうか。
 それとも、人の命に勝る大義というのがあるのだろうか。それはない。なぜなら、人の命の平等の原則何人も人として尊重されるという原則に照らせば、人の命に勝る大義などというものは存在しないのだ。

2022年5月20日金曜日

世界的食料不足を警告

 朝日新聞(2022年5月20日)一面トップ記事の見出し「世界的食料不足を警告 国連総長、ウクライナ侵攻で」には驚いた。「世界有数の穀倉地帯ウクライナに対するロシアの侵攻を受け、世界の食料安全保障について話し合う閣僚会合が18日、米ニューヨークの国連本部で開かれた。主催したブリンケン米国務長官は、侵攻が食料危機を悪化させていると批判。グテーレス国連事務総長は「数カ月で世界的な食料不足の不安に直面する」と訴え、ロシアにウクライナの穀物輸出を認めるよう求めた」というのだ。
 元々、日本の食料自給率が低いことは、前から問題視されていた。だが、目に見える形ではなかったためか、大きな問題にはならなかった。しかし、ロシアによるウクライナ侵略によって、食料品の値上げという形で、食料自給率の低さが目に見えて問題視されるようになってきてきていたときに、このニュースだ。
 赤旗日曜版の報道によれば、中国の存在も大きく影響しているのがわかる。「今や、中国などの方が高い価格で買う力があり、日本は『買い負け』して」いるというのだ。そのように大切な中国を敵視して、どうする、と言いたい。一刻も早く友好路線に転換すべきであろう。
 これまた赤旗日曜版の報道で知ったことだが、政府は「水田活用交付金」をカットするように決めてしまったという。ますます自給率が低下するではないか。今こそ、第一次産業を大切に保護し、自給率向上政策に着手すべきである。

2022年5月19日木曜日

量子論を理解するための2つの重要事項

 『13歳からの量子論のきほん』(和田純夫監修、ニュートンプレス、2018年)によると、 「量子論を理解するための2つの重要事項として、「波と粒子の二面性」と「状態の共存」(状態の重ね合わせ)があるという。

・波と粒子の二面性: 電子などのミクロな物質や光は、波のような性質と粒子のような性質の両方を持つ
・状態の共存: 電子などのミクロな物質や光は、 1つしかなくても、同時に複数の状態を取ることができる。

 「論より証拠」とはよく言ったもので、「波と粒子の二面性」については、「電子の二重スロット実験」の結果が、見事にその姿を見せてくれている。「電子は、観測すると、観測前に波として広がっていた範囲内のどこかに出現」(『13歳からの量子論のきほん』、p 25)するが、「どこに出現するかは、確率的にしか」(同上)わからない。とは言え、デタラメではなく「きれいな干渉縞」となって出現するのだから、その
干渉縞は「波と粒子の二面性」の確かな証拠である。
 なお、「状態の共存」については、「そういうもの」なんだと単純に受け入れるだけでもいいのではないだろうか。入門の段階だからである。それに、そうした認識のあり方もあっていいと思う。
 電子を一つだけ発射しても、スクリーンには一つの点状の跡しか残りません。この結果だけを見ると、電子は粒子にみえます。しかし電子の発射を何度もくりかえすと、スクリーンに干渉縞があらわれるのです(2)。電子を単純な粒子と考えていては、この実験結果を説明できません。電子は、波のような性質ももつのです。
 電子は、粒子なのでしょうか、波なのでしょうか。電子は、単純な粒子でも単純な波でもありません。一つの電子は、「波と粒子の二面性」をもつのです。(『13歳からの量子論のきほん』、和田純夫監修、ニュートンプレス、2018年、p23)
(「『13歳からの量子論のきほん』」より)


2022年5月18日水曜日

アリストテレスの倫理学(3)

 「100分de名著 アリストテレス“ニコマコス倫理学”(3)“徳”と“悪徳”」(2022年5月16日)からの要約

「幸福」になるためには何が必要なのか?
 外的な幸運を真に生かすための内的な力が必要だ。その力のことをアリストテレスは「徳(アレテー)」と呼び、それが一定の行動を何度も繰り返し習慣化することで「性格」として身についていく。
 第三回は、勇気、節制、正義、賢慮といった現代でもそのまま活用することができるさまざまな「徳」と、それに対立する「悪徳」を分類しつつ、「徳」を身につける方途を探っていく。

 幸福とは完全な徳に基づく、魂のある種の活動である以上、われわれは次に徳について考察しなくてはならないだろう。
 その「徳」は 人間が持っている可能性や能力を現実化し、充実したあり方ができるようになるのことで、「勇気」とか、「節制」という力のこと。この「徳」は、はるか彼方にあるように見えていたかもしれないが、充実したあり方をすること自体の中に幸福が実現し始めている

「もろもろの<性格の徳>がわれわれにそなわるのは、自然によってではなく、また自然に反してでもかく、むしろそれらの徳を受け入れうる資質をわれわれが持っているからであって、習慣を通じてわれわれは完全なものになるのである」
「徳」は 生まれつき持っているわけではない。人間の本性に反しているわけでもない。そうではなくて、人間が元々持っている素質、資質、人間であれば誰でも持っている勇気や節制などを身につける可能性、それらを一回一回の行為の積み重ねを通じて現実化していくことで「徳」が身につく
「さまざまな技術の場合と同様、われわれはまずその行為を現実化することによって見つけるのである。(中略)例えば、人は家を建てることによって建築家になり、竪琴を弾くことによって竪琴奏者になるである。まさにこれと同様に、正しいことを行うことによって、われわれは正しい人になり、節制のあることを行うことによって節制のある人になり、また勇気あることを行うことによって、勇気ある人になるのである。

 一回の成功体験が二回目の成功体験につながる。コツがつかまれるから。
「徳」が身につくと、技術と同様に「素早くできるようになる」と、そのことに「喜びを感じる」ようになる。
「徳」ある人をモデルにして初めて「徳」は身につく。「徳」を身につける時の最初のモデル=両親

 人と人との交渉におけるいろいろな事柄を行うことによって、われわれは正しい人間になったり、不正になったりするからである。
 また恐ろしい状況におけるもろもろの事柄を行いながら、恐れることや自信をもつことを習慣づけられて、われわれは勇敢な人間になったり、臆病になったりするからである。


 結論は、「中庸を実現することによって徳が身につく」ということになるのだが、中庸というと「ほどほどに」と捉えられがちだ。しかし、「食べるべきものを」「食べるべき時に」「食べるべき程度に」といった、さまざまな条件を満たして初めて、真に中庸と言える。

2022年5月17日火曜日

憲法9条の平和主義で立国を

 スェーデンーとフィンランドが、中立国の方針を変えてNATOに加盟するようにしたらしい。このような動きを前に、友人が「今までの中立国の思想は通用しなくなったのではないか」と言ってきた。それに対し、
 だからと言って、日本も右習いする根拠にはならない。9条を理想主義として棚上げしてしまってはならない。島田雅彦さんが言う「憲法9条の平和主義で立国するようにすれば、世界史上、例のない国家の樹立になるはずです。この実験は、大いにやってみる価値があると思っています」と言う主張こそ、現実的である。なぜなら、「結果的には日本が焦土と化し、完全な機能不全に陥」(島田雅彦)いる状態は、なんとしても防がなくてはいけないから。
 と、答えた。
 それでも、「台湾有事の場合の沖縄が心配されているが、それ以上に、気違いプーチンが北海道を攻めるといういう可能性はゼロではない。その場合、外交で何とかなるという保障はあるのだろうか。世界中が手をあぐねいているほど独裁者プーチンに打つ手はあるのか。理想をかかげ続けながら、軍事的な対応も、考えておく必要がある」と、9条の丸腰論に不安を隠せないようだった。
 しかし、軍事同盟に傾けば傾くほど、「結果的には日本が焦土と化」す確率が高くなることは、間違いない。それよりは、全力を傾けて、「憲法9条の平和主義で立国」という新しい価値の創造に向かうべきである。

2022年5月16日月曜日

数学史に対する関心の正体

 数学史における概念の発達がどのようになされたのか。と、書いたら、社会科学の分野では、例えば「民主主義という概念が歴史的に発展して、その意味すること、その含まれる内容が豊かになってきているにもかかわらず、同じ言葉が使われているという問題がある」、と、その問題が鮮明に意識されるようになった。
 世界人権宣言が誕生してから、どのくらいの年月が経ったであろうか。ここで言われている人権もまた、自由といった言葉と同じく、歴史的な言葉であり、内容が共に豊かになってきているにもかかわらず、歴史的な発展が明確に認識されるような概念の発達という形にはなっていない。
 その点数学史だけでなく、科学史もそうだが、そこに含まれている概念が明確であり、かつ、概念の発達過程も明らかにされ、数学史ならびに、科学史が成立していている。この数学史を、概念の発展という視点で学び、社会科学の概念の発達史というものを考えてみたい、発達史のヒントを得たい。これこそが数学史に対する漠然としていた関心の正体であった。
 数学は、厳密な学問である。それに対して社会科学は、使う人、使う時代によって概念の意味合いが違うという傾向がある。その上、社会科学と「科学」の一分野のごとく考えられているが、まだ科学になり得ていない、と言われることもある。社会科学の概念は、自然科学の概念のような厳密さに欠ける傾向にあることを考えれば、仕方がないのかもしれない。だからこそ、数学史をヒントにして、社会科学における概念の発展というものを考えてみたい。

2022年5月15日日曜日

9条の普遍的原理を追求し実現する

 自民党は当然のごとく9条改憲に積極的だ。しかし公明党は、「憲法9条改正、必要ない」という立場を鮮明にしたようだ。「公明党の石井啓一幹事長は13日の記者会見で、憲法9条の改正は現時点で必要ないとの認識を示し」、12日の衆院憲法審査会の自由討議で、「自民が9条に自衛隊を明記する憲法改正について『最優先で取り組むべき課題』と訴えたことに、クギを刺した形だ」(朝日新聞、2022年5月14日)という。これというのも、最近の世論調査の結果を反映したのかもしれない。何と言っても、「政治に最も優先的に取り組んでほしい課題」についての問いに対し、「『憲法』が最下位で2%しかなかった」のだから。
 やはり、<「9条は『変えない方がよい』=59%」や「自民党改憲案反対、実は59%」でも述べたように、「政治に最も優先的に取り組んでほしい課題についての問いでは、7つの選択肢の中で『憲法』が最下位で2%しかなかった」という調査結果は、重く受け止められるべき>(「改憲は『憲法の尊重擁護義務』違反!」より)だと思う。市民連合の中野晃一氏も、同じ「朝日新聞の世論調査結果」に注目し、次のように述べていたのだ。心強いことである。
 憲法集会で市民連合の中野晃一氏は、「朝日」の 世論調査で「一番優先すべき政治課題は」の問いに、憲法を挙げたのはわずかに2%だったことを紹介。「景気、福祉、教育・子育てを合わせると68%です。改憲を多くの人は望んでいません」と訴えました。(丸山重威著「メディアをよむ」『赤旗日曜版』2022年5月15日)
 丸山重威氏は、同じコラムの中で「9条の普遍的原理を追求、実現することが最も現実的」(『長崎新聞』、5月3日)という言葉も紹介し、「戦争の危機を前に、メディアはいまこそ9条の意味を伝えることが必要です」と結んでいた。今こそ、9条の普遍的原理を追求し、実現する道を歩んでいかなければならない。この道こそ、世界の破局を食い止める唯一の力である。

2022年5月14日土曜日

アリストテレスの倫理学(2)

 2022年5月9日放送の「100分de名著 アリストテレス“ニコマコス倫理学”(2)」は、「義務」や「禁止」といった概念を軸にした堅苦しい倫理学ではなく、幸福な人生の実現へと導いてくれる実践的な指針が示されていて、とても有益だった。
「幸福とは何か」あらゆる技術、あらゆる研究、同様にあらゆる行為も、選択も、すべてみな何らかの善を目指しているものと思われる。以下要点メモを列記しておく。
 結論は明快で、「幸福を得るためには、自らをコントロールし、困難いも立ち向かうといった人間的な内的な力を身につけることが幸福になるための前提条件であり、そのためには長い習慣づけの積み重ねが必要」というもので、こうした考えを知ると、アリストテレスだけでなく、古代ギリシャの知的遺産の素晴らしさに脱帽である。

三つの善
道徳的善:「 困っている人を助ける」など道徳的に良いもの
有用的善:「お金」など役に立つもの
快楽的善:「楽しい」など快楽を与えてくれるもの
 善:価値あるもの肯定的に評価できるもの
 幸福という最高善は、三つの善がバランス良く組み合わせて、幸福な人生が実現していく。

一般大衆も今日のある人々もそれを幸福と呼んでおり、
よく生きる」ということ、あるいは、「よくなす」ということを、「幸福であること」と同じものとみなしているからである。

 人間はただ生きるだけでなく、理性を伴う生の活動、良く生きることで幸福になる。動物は「今ここ」に集中して生きている。それに対して人間は、「今ここ」だけではなく、視野を広げて生きていくことができる。それが理性的といい。人間としての機能、つまり理性=「分別」「物事を認識し判断する力」
 持って生まれた能力や可能性をできるだけ現実化して充実した活動をする中に幸福が実現する。理性を十全に発揮するうちに幸福が見出される。
 理性は欲望を抑圧するというようなイメージもあるが、「理性をうまく活用することで本能がより良い方向に花開いていく」(素晴らしい表現だ!)

・快楽的生活:快楽即幸福と考える。しかしアリストテレスは、快楽的生活は安定的に幸福に導くものではないとして、社会的生活、観想的生活を重視した。
・社会的生活:古代ギリシャのポリス、都市国家における生活、ポリスという社会の中で然るべき役割を果たすことで自己実現していく。そのことによって幸福が実現していく
・観想的生活:真理を認識することが人間を幸福にする。哲学者の生活と言ってもよい。しかし、美術館に行って絵を見る、旅行に行って新しい景色を見る、といった「知ること自体がある種の喜びを与える」ということが重要。

 人間の可能性を実現するしていくために必要なもの、それは「徳」だと次のように言う。徳というのはすべて、それがそなわるところのものを善き状態にし、そのものに自分の機能をよく行うようにさせるところのものだと言わなければならない。
 徳には、思考に関するものと性格に関するものとの二種類があることになるが、思考の徳(知的徳=知的な能力を育てていくことで身につく力)はその生まれと成長とを主として「教示」に負っており、それゆえに経験と時間とを要するが、それに対して<性格の徳(節制や勇気な行為を繰り返すことで身につく力)>の方は習慣から形成されるのであって、ここから「性格の(エーティケー)」という呼び名も「習慣(エトス)」という言葉を少し変化させてつくられたのである。

 徳:ギリシャ語で「アレテー」、卓越生、力量を意味し、ナイフのアレテーとか、馬のアレテーという。つまり、物が持っている能力を最大限に高めて充実した働きができる状態徳を持っている状態という。
 人間の場合にも、節制や勇気といった徳を身につけることで人間の力がつく。元々持っている可能性が現実化して充実した働きができるようになる。それは、幸福な人生を送るために必要条件になる。

 枢要徳:賢慮(判断力)、勇気(困難意立ち向かう力)、節制(欲望をコントロールする力)、正義(他者や共同体を重んじることができる力):幸福を得るためには、自らをコントロールし、困難いも立ち向かうといった人間的な内的な力を身につけることが幸福になるための前提条件であり、そのためには長い習慣づけの積み重ねが必要である

2022年5月13日金曜日

中国との真の友好関係を築こう

 今の国際環境は、対立の激化が進んでいる。ロシアの帝国主義が牙を剥き、暴虐のかぎりを尽くしているからだ。それに合わせるかのように、北朝鮮や中国に照準を合わせt対立姿勢に激しさが増している。これでいいのだろうか。決していいわけではない。対立が続けば、いつかは火花を散らしかねないからだ。
 それでは、どうすれば良いのであろうか。
 それは、敵視政策をやめて、友好路線に転換すれば良いだけの話である。その方法論は、驚いたことに、すでに明治時代に鈴木天眼によって提唱されていた。鈴木天眼(1867年 - 1926年)は、明治期のジャーナリスト、衆議院議員で、『東洋日の出新聞』創刊者であった。 
 何事も明確な目標を持つことが大切である。国際関係論においても然りであろう。だから、真の平和を望むなら、友好関係を求め、敵視政策は止める必要があるのだ。初めから敵視していては、友好関係、強いては「平和な世界は無理」なのだ。鈴木天眼の「先駆的な思想」に、今こそ学ぼう。

 日本と中国は今こそ手を取り合い、アジアの発展を牽引しなければならないのに、それが妨げられている。日本人がすぐに「日本は東洋の盟主」と言ってしまうからだ。眼は、日本は中国との友好関係を「日支弟兄」ととらえる心構えで推進すべきだと言う。 「日支兄弟」と言うのでは、両国に主従関係を持ち込み、「日本は東洋の盟主である」と言い出す発想から抜け出せないからだ。それでは真の友好関係は築けないと強調する。(『鈴木天眼 反戦反骨の大アジア主義』、高橋信雄著、あけび書房、2021年、p 325326) 

2022年5月12日木曜日

今こそ「崇高な理想」を深く自覚しよう

 今日も、何気ない夕食を済ませて、新聞を読んだりしていた。この時も、ウクライナでは戦争をしていて、爆弾の恐怖に怯えている人たちがいる。本や映画で知っていた戦争の悲劇が、今現に起きている。そして、いつ終わるかの見通しも持てないでいる。
 日本国憲法では、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」している。自国のことのみでなく、全世界の国民のことも考えていることを今一度、しっかりと確認しておきたい。そして「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思」っているのだから、それを行動に移さなければならない。
 その一歩が、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて」とあるような、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」に確信を持てるようになることではないだろうか。なぜなら、プーチンに代表されるような野蛮な軍事力を正当化している現実に、一向に有力な対策をとれないでいるため、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」を信じきれなくなっている節もあるからだ。
 ここで、絵本作家長谷川義史さんの言葉を思い出す。「 僕たち一人ひとりが持っている力は小さいけれど、それを信じて一人ずつ話をして、地をはうように少しずつ少しずつ気持ちを一つにまとまっていけば、ものすごく大きな力になっていく。弱いものを切り捨てる、独裁的な権力や危険な思想に立ち向かい、勝つことができる。ロシアによるウクライナ侵略でも、戦争という悪を止めよう、と全世界、日本中の人が声を上げて訴えることはとても大切なことやと思います」(『赤旗日曜版』2022年5月1日・8日号)。そうなのだ。一人ひとりの力、理性の力を信じて、前に進んでいくしかない、ということである。

2022年5月11日水曜日

民主主義の原則=法の前における平等

 民主主義について、さまざまな意見があって極端な場合、民主主義の名において、戦争を合理化してしまう風潮さえある。それで、もっとすっきりとした定義はないものか、とアンテナを張っていた。そして見つけたのが、次に紹介する「法の前における平等」という民主主義の原則である。

 民主主義の第一原則は、法の前における平等であり、その原則の実行によって民主化の程度が計られるのは、国内に対する都国外に対すると異なることはない。一方をおどかし、他方をごまかすというのでは、民主自由党の名前がすたるほど、民主的でない話である。(『戒能通孝著作集 第1巻』、日本評論社、1977年 、p 289)
 この原則の素晴らしいところは、「原則の実行によって民主化の程度が計られる」ということであり、そのことは「国内に対すると国外に対すると異なることはない」ということだ。法の前における平等がどれだけ進んでいるかを計るのは容易ではない。しかし、奴隷制や天皇制、君主制といった不平等(差別)を前提とした制度についてなら、容易に計ることができる。
 もう一つ、特筆すべきことは天皇制を論じる視点が定まることである。国民の好感度とか、支持率といった感覚的なことではなく、法の前における平等という観点から見たらどうなるか、という視点である。当然、天皇も人間であるならば、法の前において平等でなければならない。つまり、民主的と天皇制は相容れないのである。

2022年5月10日火曜日

量子力学と宇宙論の世界へ

 友人と量子力学に関する本を読み合う(読書会)ことにした。テキストは『量子力学が語る世界像』(和田純夫著、講談社、1994年)だが、宇宙論にまで及んでいることがわかった。宇宙の始まりは、ニュートリノという素粒子だけだったということを考えれば、当然のことだった。
 立花隆さんの話で、「遺跡に出会う」ことで1000年単位の時間が見えるようになるというのがあった。光年単位のスケールの宇宙を相手にしていると、光年単位の時間が見えるようになるのだろうか。そこまでは行かなくても、千年、あるいは万年単位の時間が見えるようになるかもしれないと思うと、勉強にも身が入りそうだ。というのも魅力でした。
 複数のテキストの並列読みも理解を助けると思い、『世界の子どもの? に答える30秒でわかる宇宙』(クライブ・ギフォード著、三省堂、2017年)や、『13歳からの量子論のきほん』(和田純夫監修、ニュートンプレス、2018年)も、読んでみることにした。そして、専門知識がなくてもわかるところがあるということがわかり、そういうところだけでも読んで行っても、だいぶ新しい世界が開けるのではないか、と思えた。
 例えば、宇宙の始まりは、ニュートリノという素粒子だけだったということまでわかっていたが、その後のことは分からなかった。しかし、「ビックバンから100秒くらいのあいだに、もっとも単純な三つの元素、水素、ヘリウム、リチウムが」できたこと、「最初の恒星が生まれるのは、それから5000万年から1億5000万年ほどあとのことで、銀河が生まれるのはさらにそのあと」(『世界の子どもの? に答える30秒でわかる宇宙』、p 12)だという。
 さらに、驚くようなことが書かれていた。宇宙が膨張し続けてきたことまでは知っていた。だが、やがて宇宙はどうなるか、までは知らなかった。しかし、さらに宇宙が膨張し続けると、「銀河間の距離がどんどん遠くなり、最終的には、新しい恒星を作れるだけのガスがなくなってしまう」。つまり「今ある恒星は燃料となるものを失い、ゆっくりと冷えていくでしょう。・・・やがて、とても冷たくて暗い場所になってしまう」(p 18)というのだ。それが、ビックチルという現象らしい。
 このように、一歩一歩新しい世界を知っていけば、あたらしい世界が拓けていけるし、違った時間単位が見えるようになるかもしれない。そう思って歩んで行きたいと思う。

2022年5月9日月曜日

改憲は「憲法の尊重擁護義務」違反!

 私は、国会議員には「憲法尊重擁護の義務」があるのに、どうして、憲法改正を主張できるのか、疑問だった。だから、「国会議員の憲法擁護義務」「彼らは好んで憲法を蹂躙し、・・・」「改憲には『国民の大部分の納得』を!!」といったブログを書いてきた。そして、さんも同じ問題意識を持っていたことを知った。国会議員の資格で憲法改正を主張することは「憲法違反を犯しているのであり、それは国民にたいする最大の裏切り行為」ではないか、と訴えていたのだ。
 私は改憲派議員諸氏に素朴な質問をしたい。あなたたちはなにをもって自分たちの行動や発言を正当化しているのかと。
 憲法第一〇章「最高法規」にある「憲法尊重擁護の義務」。
 第九九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 あなたちは、国会議員としての義務違反をしているのではないか。つまり憲法違反を犯しているのであり、それは国民にたいする最大の裏切り行為である。(なかにし礼著『天皇と日本国憲法』、毎日新聞社、2014年、p12)
 国会議員は、当然、国民の代表である。国民の声を代表して仕事をしている。改憲問題にしても同じで、改憲した方が良いという声が多ければ、国会議員に憲法擁護義務があるとはいえ、改憲に向けて働くことも許される。だから、世論調査で国民の声を拾い上げようとしているのだ。従って、世論調査の結果については冷静に分析し、その動向を把握する必要がある。
 では、これまでの世論調査の結果をどう見ればいいのか。「9条は「変えない方がよい」=59%」や「自民党改憲案反対、実は59%」でも述べたように、「政治に最も優先的に取り組んでほしい課題についての問いでは、7つの選択肢の中で『憲法』が最下位で2%しかなかった」という調査結果は、重く受け止められるべきであろう。つまり、国会における改憲勢力がやろうとしていることは、国民の声から相当乖離していることになり、明らかな「憲法違反を犯しているのであり、それは国民にたいする最大の裏切り行為である」(上同)ことは間違いない。

2022年5月8日日曜日

自民党改憲案反対、実は59%

 二日間にわたる放送大学の面接授業「 メディア・ジャーナリズム論」が終わった。感想に「新しい視点を与えられ、新しい視界が開けた」と書いたが、ジャーナリズムの構成要素として、コミュニケーションスキルや情報学スキルが欠かせないことがわかり、それゆえ、ジャーナリズムの視点がジャーナリストだけのものではなく、広く市民にも必要なスキルだと分かったからだ(口述、『ジャーナリズム』からの引用参考)。
 最後の講義で、課題としての短文を書いた。「9条は「変えない方がよい」=59%」の内容を、今日学んだジャーナリズムの視点を活かして書いたものである。タイトルは、「最も伝えたいこと」を書くというので、「自民党改憲案反対、実は59%」とした。以下は次の通り。
 憲法記念日にあたり、例年のごとく全国世論調査の結果が示された(朝日新聞)。その内容は、<改憲「必要」56%>という見出しで、改憲必要派が過半数というメッセージであった。
 しかし、 憲法9条に限った質問に対しては、「変えないほうがよい」が59%と「変えるほうがよい」33%を大きく引き離していた。 つまり、9 条改憲を中心とする自民党の改憲案に反対する声の方が多いことを意味していることになる。
 その上に、 政治に最も優先的に取り組んでほしい課題についての問いでは、7つの選択肢の中で「憲法」が最下位で2%しかなかった。社会保障など生活に必要なことが切実で、98%というほとんどの国民にとっては、<「憲法」どころではない>ということではないだろうか。
 なお、授業で紹介された本は次の通り。
1、清水幾太郎著『ジャーナリズム』、岩波新書、1949年
・われわれの日常生活にとって、ジャーナリズムとは何であるか。多少大袈裟にいうなら、凡てである、と言うよりほかはない。(中略)生活の条件を与え、それに対するわれわれの態度や行動をも教える。換言すれば、ジャーナリズムはわれわれの生活の隅々まで浸し、これを支えているのである。われわれはジャーナリズムの作った世界に住んでいる。それ以外の世界と言うものは全く存在しないとさえ言える。
2、高村薫著『婦人之友』、2016年3月号、対談記事
・ 福島県の土地の何割かは人の住めないところになってしまった。こんな事実さえ、私たち日本人の共通認識になっていない。
・被災者という不条理を抱えて生きていかなければならないのに、それを埋め合わせるものがない。決して平等ではないのが人間の社会の常ですが、その中に被災者や避難民が埋もれていってしまう。その現実に対して、福島の外の世界にいる私たちが言葉を持つ必要がある。
・(震災というのは)個々人の記録ではなく、集合の記憶(=共同体の記憶、国民の記憶)にならなくては。
・私たちが今問われているのは、福島で起きていることを、いかにして私たちの物語にできるか。そういう物語を語れるような政治を持っているかです。
3、宮本常一著『調査されるという迷惑』、みずのわ出版、2008年
4、野村進著『調べる技術・書く技術』、講談社、2008年

2022年5月7日土曜日

信頼関係の破綻こそ戦争の条件

 起きてしまった戦争を終わらせることの困難さは、第二次世界大戦で「嫌と嫌というほど思い知らされた」ことは周知の事実である。ロシアによるウクライナ侵略戦争も、似たようなもので、終戦に至る道の困難さは、想像を超えるものなのかもしれない。しかし、日本の場合、自国の判断によるしかなく、それだけ困難だった、と考えることもできる。その点、この度の戦争は、国連をはじめとして、多くの国の国民が終戦を願っている。努力もしている。泥沼に入ってしまわないうちに、なんとか戦争を終わらせたいものである。
 このような、起きてしまった戦争を終わらせることの困難さを思えば、なおさら、戦争を起こさない道を明らかにして、その道を歩んでいく他ない。もし、戦争の条件というものがあれば、その条件を無くしていけば良いことになる。ところが、「信頼関係が破綻して戦争の条件がつくられる」という言葉を見つけた。つまり、
 武力衝突は、戦争を起こす能力と意思が一致して起こる。信頼関係が破綻して戦争の条件がつくられる。 東アジアで戦争を起こさないためには、日本が周辺諸国、世界各国との信頼関係を築くことを再開再確認するべきだ。それが日本国憲法の信念であり、諸国民の公正と信義に信頼して外交を強める。それが最大の安全保障だ。(明治学院大学教授・阿部浩己、『赤旗』、2022年5月6日)
 これこそ平和への最善の道であろう。それに対して、信頼などできないと言って現政権のような軍拡路線を選べば、「相手も同じことをする。その結果、自らの安全を脅かすことになる。これが安全保障のジレンマだ」( 新潟国際情報大学教授・佐々木寛、『赤旗』、2022年5月6日)。こうして、これまでのように際限のない軍備拡大を続けながら、絶えず脅かされ続けるようになり、そこから抜け出せない。日本が進む道は、やはり「周辺諸国、世界各国との信頼関係を築くこと」以外にはないのである。

2022年5月6日金曜日

今こそ「世界人権宣言」の徹底を

 『闇を喰む 海の墓』(高史明著、角川文庫、2004年)で書かれた、「夥しい死者たちの中で」という項は、「人間の業はまことに深い。人間の世界には、なぜ支配と非支配があり、戦争があるのか。あの戦争の時代、私の前に立ち現れ、消えていった死者の数は何人に上るだろう。まだ子どもでしかなかった私の前を、幾人も幾人の死者が通っていた」という書出しであった。そしてそれは、過去形であった。
 しかしウクライナでは、現在進行形で、今日も、明日も、「私たちの前を、幾人も幾人の死者が通っている」のだ。『闇を喰む 海の墓』に書かれているのは、歴史的な過去のことである。しかし、過去に行われてきた忌々しい出来事と同じことが繰り返されているのだ。
 なぜだ!
 本を読みながら脳裏に浮かんだのが、「人権の思想」「何人も人間として尊重されなければならない」という人権の思想である。戦争下では、完全に「人権」などは無視されてしまう。踏みにじられ、蹂躙されても、泣き寝入りするしかない。なんという無情であろうか。
 つまり、人権思想の教育が行き届いていないから、戦争になってしまうのだ。今こそ「世界人権宣言」の徹底が求められているのだ。そのことを、矢内原忠雄氏は 70年も前に、次のように言及している。今こそ耳を傾ける時であろう。

  もう一度、私は世界人権宣言を読んで見る。
 「この世界に自由と正義と平和とを確立するためには、人類社会のすべての構成員が生れながらにして尊厳なものであり、かつ、誰しもがひとしく、他人に譲り渡すべからざる権利をもっているということを承認しなければならない。」
 「人間は、理性と良心とを与えられており、互に同胞の精神をもって行動しあわねばならない。」
 これは、日本国民お互の間に、即ち我々の国において我々お互の間に心がけなければならないことである。我々日本国民は、未だ真に人間の価値、人格の尊さ、人間の自由は何故重んぜられなければならないかということを、充分学びとっておるとはいえません。それを学ぶことこそ、我々が戦争に敗れて新しい日本となったことの歴史的意義を発揮する所以であります。(「世界の危機と人間の権利」『矢内原忠雄全集 第20巻 時論 3』、矢内原忠雄著、岩波書店、1952年、p151~152)

2022年5月5日木曜日

アリストテレスの倫理学(1)

 これまで倫理学に関心を抱いてきた。私の理解では、倫理学とはヒューマニズム学のような気がしたので、それ以来だが、ドイツで原発を止めるのに倫理学者が大きな力を発揮したことも、影響している。そんなこともあって、『100分de名著 アリストテレス“ニコマコス倫理学”[新](1)倫理学とは何か』(2022年5月2日放送)は迷わずに見た。番組指南の山本芳久先生は東大大学院の先生で、大学では今でもニコマコス理学をテキストに使っているということを知り、人間の本質は2500年経っても、変わらないということを痛感し、アリストテレスの人間洞察に感嘆してしまった。以下、要点を列記しておく。

1、アリストテレスの学問は大きく三つに分類される。
(1)理論学:知識そのものが目的『自然学』『形而上学』『数学』
(2)実践学:得た知識に基づいて実際に行為し、よく生き、幸福になる実践を目的にした学問。行為が目的『倫理学』『政治学』
(3)制作的学:制作物が目的『詩学』『弁論術』


2、一般に倫理学は二つに分類される。
(1)義務論的倫理学:カントに代表される「~すべきだ」という義務や「~してはならない」という禁止に基づいた倫理学
(2)幸福論的倫理学:アリストテレスに代表される、どうすれば人間は幸福になることができるのかという観点から、人間のことを体系的に考えていく倫理学

3、優れた古典というのは、冒頭部分の一文に全てが込められていたりすることがあるので、一文一文とても丁寧に読んでいくことが大切。

 あらゆる技術、あらゆる研究、同様にあらゆる行為も、選択も、すべてみな何らかの善を目指していると思われる。それゆえ、「善(=何か価値あるもの)とはあらゆるものが目指すもの」と明言されたのは適切である。
 ちょうど弓を放つ人たちのようにして目標を定めることによって、われわれはなすべきことをいっそうよくなし遂げることができるのではないだろうか。

 目的は一つだけ存在しているのではなく、連鎖して存在している。連鎖の過程で、目的は手段にもなるが、究極目的である幸福になるは手段にはなり得ない。


 富のために身を滅ぼしたものもいれば、勇気のゆえに破滅したものもいる」。それじゃ富や勇気がない方がいいのかというとそうではない。大抵の場合は、勇気や富があった方が良い。つまり、「例外な事柄があるからと言って、それにとらわれることなく、たいていの場合あてはまるという次元で、揺らぎのある人生をバランスよくとらえていく」。

4、平和が目的の場合
 アリストテレスの倫理学に基づいて平和の問題を考えてみた。つまり、平和が目的の場合だが、平和を守る、つまり、「平和のために軍備も備える」とき、平和は目的で、軍備はその手段になる。そこに矛盾が出てくることがわかった。手段を使った時点で平和でなくなる。つまり、軍備は、戦争の手段であろう。断じて平和の手段にはなり得ない。アリストテレスの倫理学で重要な視点は、目的は、その手段とセットで考える必要があるということなのではないだろうか。原典も読み解き、その辺のことを考えてみたいものである。

2022年5月4日水曜日

9条の精神を世界に向けて発信しよう

 朝日新聞社説「揺らぐ世界秩序と憲法 今こそ平和主義を礎に」(2022年5月3日)で、明確な「日米安保条約容認路線」が示されていた。日本国憲法の平和主義を基礎にするならば、強力な攻撃的軍隊である在日米軍の存在は相容れないはずだ。100歩譲っても、自衛のための「必要最小限度」の防衛力を持った自衛隊の存在が限度であろう。
 にもかかわらず、<憲法に基づく日本の防衛の基本方針が、「日米安保条約による自衛隊」と「強力な打撃力を持つ在日米軍」の役割分担とセットである>と言って日米安保条約を容認するならば、それは、「戦争を否定し、平和を求める人類の理想を受け継いだ」(「主張」より)日本国憲法の平和主義と決して相容れるものではない。平和主義を主張すること、日米安保条約を容認することは、明らかに矛盾していることなのだ。
 今は、ロシアの軍事力の行使が批判の的になってはいるが、かつては米軍も、イランやイラクで似たような軍事力の行使があったし、NATO軍による空爆もあった。これらのことを不問にして、在日米軍の軍事力をパートナーにするようなことはあってはならない。9条の精神は、常備軍の存在そのものを否定しているからだ。こんな時だからこそ、9条の精神を世界に向けて発信してく必要があるといえよう。
 朝日新聞の主張でも、憲法の前文の一節「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」を取り上げて、「日本一国の安全にとどまらず、国際平和の実現をめざすのが憲法の根本的な精神である」と述べている。その一つの具体的な方法は、「9条の精神を世界に向けて発信していくこと」ではないだろうか。軍事力の行使の非人間性が連日白日の元にさらされている「今こそ9条の精神を」である。

2022年5月3日火曜日

9条は「変えない方がよい」=59%

 憲法記念日にあたり、例年の如く、世論調査の結果が示された。しかし、その報道姿勢には問題がある。<改憲「必要」56%>だけがやたらと強調されているが、調査の結果を丁寧に読み取ると、国民の声を正確に反映していないからだ。問題点は二つある。
 その一点は、改憲勢力の中心点は9条にある。しかし、その9条の改憲については、「変えない方がよい」59%が、「変える方がよい」33%より上回っていることだ。つまり、自民党案の改憲には反対が多いということを意味している。にもかかわらず、<改憲「必要」56%>と強調して報道するのはどうかと思う。
 もう一点は、3面の最後の記事の、そのまた最後に示された「政治に最も優先的に取り組んでほしい課題について」についての回答が、、「憲法(改憲または護憲)」との回答は2%で、七つの選択肢の中で一番低かったことである。本来なら、この事実こそ一面に掲載されるべき重要事項なのだ。この調査結果は、国民が政治的課題として改憲など望んでいないことを示しているからだ。

2022年5月3日、朝日新聞一面
 
2022年5月3日朝日新聞3面最後の記事




2022年5月2日月曜日

千年単位の時間が見える

 NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」(2022430日放送)を見た。「全てを進化の相の下に見よ」と言い、「人類全体が一体となって思考する、超人類の誕生」を予言する発言が興味深かった。次のように語ったいる。

 動物の場合、世代を超えて伝承される情報は遺伝情報しかない。 しかしヒトの場合ははるかに大量の情報が言語情報として、世代を超えて伝えられていく。これは人間だけが獲得した新たな遺伝の形式だという。 人間の持つあらゆる知識が総合されて、て一つの一貫した体系として共有されるようになってきた。 これらの動きの延長上に、人類全体が一体となって思考するような日が来るだろう。 超人類の誕生であり、超進化、ヒトという種のレベルを超えた進化が実現する。

 人類全体は無理にしても、仲間うちの学習会などで重ねる議論として、集団思考が成立する(全体で思考している)ことになるのではないだろうか。この辺のことをマルクスが『経済学・哲学草稿』の中で論述していたことを思い出した。マルクスによれば、一人で勉強していても、多くの著作を参考に思考を深めていることになるから、集団思考になるというような内容だった。いずれにせよ、「ヒトという種のレベルを超えた進化」という未来社会への展望は興味深いことである。
 立花さんは、ある時期に、集中して世界の遺跡を見て歩いたことがあって、その結果であろうが、「遺跡に出会う」ことで千年単位の時間が見えるというのも魅力だった。外国の古代遺跡は無理にしても、国内の縄文遺跡ならいけそうなので、「千年単位の時間」というものを感じてきたいものである。そうでなくても、旅行記である『エーゲ 永遠回帰の海』(立花隆著、須田慎太郎写真、書籍情報社、2005年)が出版されているようなので、遺跡めぐりの追体験ができそうである。図書館の内容紹介によれば、「エーゲ海沿岸に点在する無数の遺跡には、西洋文明を理解するための鍵が隠されている…。『知の巨人』がレンタカーで8000kmを駆けめぐり、神と歴史と人間について深い洞察を巡らせた壮大な思索旅行記」である。

2022年5月1日日曜日

ピカソにみる”大いなる希望”

 2022年5月1日放送「日曜美術館 アートシーン▽“イスラエル博物館所蔵 ピカソ―ひらめきの原点―”展」を見た。そこで、ピカソが多くの版画作品も手がけていたことを知った。パナソニック汐留美術館の主任学芸員さんによると、版画は「彫りの深さ」など、なさまざまな技法を試せるのがピカソには魅力だったのではないか、ということだった。
 放送の中で知った印象的だったことは、86歳の時に、「347シリーズ」という作品群を、なんと7か月で仕上げていたということだ。ピカソの生命力に感嘆すると同時に、「80代でも、これだけのことをやれるんだ」ということに”大いなる希望”を抱くことができた。
 芸術家の生命力について関心を持ち続け、そういう意味で「絶えざる脱皮を目指した北斎」にも興味を持ってきた。だから、「なぜ芸術家に長寿者が多いのか」という文章も書いたし、「”若返り”などもったいない」では、「ピアニスト室井麻耶子さんが九十歳で新居を建てた話」や、「彫刻家の平櫛田中さんが九十歳頃に、『あと20年寝かせておけば、立派な彫刻材になる』という大きな楠を取り寄せたという話」を紹介した。芸術家のエネルギッシュな生活スタイルにあやかりたいものである。