2021年10月31日日曜日

アメリカ軍国主義のファンズム

 臼井吉見という名前と「現代世界の焦点」という書名に惹かれ、『現代の教養14巻:現代世界の焦点』(臼井吉見編 、筑摩書房、1968年)を借りて読んでみた。と言っても、主に臼井吉見氏による解説のところだけだが、今にも通じるところがあるアメリカ評があった。
 それは、「アメリカは急選に軍国主義にむかって動きはじめ、いまや対外的にはファンズムで、かつての日本やドイツとそう変らない」と、同じようだが「アメリカは、ほかの国々の意向をかなり無視して行動することができるようになった点を指摘している」ということだ。アメリカをファシズムと評したのは初耳だが、これまでの戦争政策を見ると、的確は表現であろう。しかし、多くの人たちは、そうしたことを知らないか、深く考えずに、支配的な時代の思想に、[言葉は悪いが]毒されているか、である。
 カリフォルニア大学のシュアマン教授のアメリカ危機説を伝えている。同教授によれば、アメリカは急選に軍国主義にむかって動きはじめ、いまや対外的にはファンズムで、かつての日本やドイツとそう変らない。ただ、このファシズムは、日本やドイツのそれよりも「技術的」であること、国内的には民主主義が維持されていること、この二点でちがいがあるだけだというのである。
「アメリカは何をなすべきか」(高坂正苑)では、アメリカが並はずれた力をもつようになった危険と不安を指摘してる。フランスのデュベルジュによれば、今や世界には二つの超大国が存在するのではなく、「一つの超大国と、一つの大国」が存在するようになったのであり、米ソの共存は「対等でない共存」だという。フランスの職略理論家ボーフル将軍も、現在の世界の権力政治の三極構造は、「弱体化しつつあるソ連」「混乱しつつある中国」「強大なアメリカ」のそれであるとして、それゆえアメリカは、ほかの国々の意向をかなり無視して行動することができるようになった点を指摘している。ソ連の弱体化というのは、スターリン主義的な非常時体制から、より日常的な「混合体制」とでも呼ぶべきものへと移行しつつあるソ連社会の全面的な変化のもたらしたものとみるべきであろう。中国の経験している混乱については、改めていうまでもあるまい。かくて、アメリカはおのれの力を過信して、ベトナム戦争において、無差別爆撃にまで進む か、その寸前で思いとどまるか、その選択に直面することになるであろう。アメリカが他からの介入を懸念することなしに北爆を強化できることは、かえってアメリカに失敗を犯させるかもしれない。このことは同時に、アメリカが並はずれた力の効果のなさに焦りを感じている現在、その力を背後に引っ込めて、賢明な外交政策をえらぶ絶好の機会であることを語るものである。(『現代の教養14巻:現代世界の焦点』臼井吉見編 、筑摩書房、1968年、p381〜382)

2021年10月30日土曜日

200年間戦争をしてこなかった国

 安全保障政策の柱は「国際社会の中での信頼を得ることに力を注ぎ、攻められない国づくり」であると、前から思ってきた。この思いが、『180年間戦争をしてこなかった国』(早川潤一著、Sanwa、1999年)を読んで、一層強くなってきた。この本が出版されてから20年は経っているので、スウェーデンは200年も、戦争をしてこなかったことになる。それだけに、スウェーデンの政策には重みがある。
 特に、外交政策の基本要素として「人権尊重、民主主義、法の支配、国際軍縮、環境保護など」を掲げ、北欧諸国とは、「社会福祉、共同労働市場など広範な協力関係にある」ことは、大いに学ぶべきことだと思う。そして、アジア地域の緊張関係は、一刻も早く解消し、協力関係を築いていく必要があろう。

 スウェーデンは、その中立外交政策の基礎として、国際協力に積極的に参加し、国連に対して強力な支援をしている。さらに人権尊重、民主主義、法の支配、国際軍縮、環境保護などが外交政策の基本要素となっている。また、国民総所得の約一%を国際開発援助に充て、その他数多くの国際組織に加盟している。北欧諸国とは、社会福祉、共同労働市場など広範な協力関係にある。
 こうした国内・国際政治の結果として、スウェーデンは、国内的には一八〇年間戦禍に巻き込まれずにすみ、国土は破壊されず、国民は戦争の恐怖と体験を避けることができ、福祉国家建設に取り組むことができたのである。このことは国民と政治の間の信頼感を高めることができた。
 さらには、他国を攻撃しなかったということや数々の国際援助活動によって、他国からも政治的・経済的な信頼感を獲得している。これは、「平和への戦略」の大いなる勝利といえるのではないか。私にはそのように思えてならなかった。(180年間戦争をしてこなかった国』、p168〜169)

 著者の早川氏は、最後に「先進国として世界に信頼される水準の高い民主国家となることが必要であろう。それが、誰もが安心して生きていける平和国家の基礎をなすのだと思う」(上同 、p170)と結論づけていたが、至言である。

2021年10月29日金曜日

竹内まりやの音楽が輝き続ける理由

 NHK放送の「竹内まりや Music&Life~40年をめぐる旅~ 完全版」(2021年10月24日、2019年の再放送)を観た。その中で夫の山下達郎さんが語った「竹内まりやの音楽が輝き続ける理由」が印象に残った。

 時代のトレンドには出来る限り媚びず追随せず、その先の普遍性というものを常に模索してまいりましたので30年前の作品でも、それほど古びて聞こえません。そして、何より全ての作品に通底しているのが人間存在に対する強い肯定感です。この考えが浮き沈みの激しい音楽シーンの中で、長く受け入れられてきたもっとも大きな要素であると私は考えております。

 ここで語られた「普遍性」と「人間存在に対する強い肯定感」という言葉から、私は日本国憲法のことを連想した。前文で二つの普遍性を謳っているからだ。

 1、そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 2、われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 さまざまな攻撃を受けながらも、日本国憲法がこれまで命脈を保ち続けられたのも、こうした普遍性を持っており、かつ、憲法全文に「通底しているのが人間存在に対する強い肯定感」があったからではないだろうか。山下さんには、普遍性という言葉の重みを教えられた。

2021年10月28日木曜日

計り知れない徹底抗戦の心理

 最近、「歴史を端的に把握できたら」と思うことがある。だから、次のような短文で敗戦の様子が描写されていると、感心してしまう。そして、戦争の推移を概観できる立場なら、ある時点で、敗戦という結果が見えたはずだ、と思う。そのことは、ここに紹介した文章を読んだだけでもわかる。しかし、それでも、戦争は続いた。なぜだろう、と新たな疑問が生じてしまった。
 勝ち目がないとわかっても、戦争を続けたのは、「一蓮托生」といった無責任な感情が働いたのだろうか。それとも、どんなに負け込んでも勝ち目がないと思えずに、きっと勝つ、と信じ続けたのだろうか。原爆を落とされても、徹底抗戦を主張していた人たちがいたことを思うと、その心理は計り知れない。そこまで理解できないと、真の戦争の姿がわからないのかもしれない。
 なにしろ、ミミコは小学校一年生から六年生まで一足の靴をがまんしてはいて通学したという有名なエピソードが残っています。
 そのミミコが生まれた年の八月に、バクさん一家は東京吉祥寺の金子光晴の家に二ヵ月程同居しました。すでに日本は一九四三年二月にガダルカナル島撤退を開始し、敗戦過程に向かっていました。そして、一九四四年の六月に米軍はサイパン島へ上陸し、七月には日本軍の守備隊は玉砕しました。八月になると、各地で竹槍訓練が始まりました。十月になると米軍のB29による北九州への空襲が始まり、東京空襲の危機がひしひしと押し寄せてきたのです。
 同年の十月十日に、米機動部隊は沖縄空襲を行ない、那覇の町は破壊されました。そのときに貘の生家も炎上してなくなりました。この「十・十空襲」と呼ばれた那覇空襲の知らせを聞いて、貘は「ナーファ。/ナーファがやられたんだとおもうと、めしもなかなか、のどから落ちなかった。」今「那覇人」)と書いています。(『僕は文明をかなしんだ:沖縄詩人山之口貘の世界』、高良勉著、弥生書房、1997年、p128)

2021年10月27日水曜日

近隣諸国との信頼醸成を!!

戦争の脅威を引きつける抑止力」において、日本における真の安全保障というものを考察した。そこで、日本の安全保障というものは、「近隣諸国との対立を解消して、真の外交(交易)を実現することであり、戦争の脅威をできるだけ遠くに追いやることであり、結果として、日本国憲法の”理想の実現”である」と書いた。雑誌『世界』を読んでいたら、このことを「安全保障は、合理的に考えれば敵対国との紛争を回避することが究極の目標である」「紛争を回避するため近隣諸国との信頼醸成をどう確立するかが安全保障であるはずだ」と端的に表現していてわかりやすかった。
 国家の、日本のアイデンティティというものの必要性を説き、「憲法改正を目的化させ、敵基地攻撃能力を持つ国家像とはいったい何だろうか」という疑問を呈しているが、日本国憲法という、対極の国家像というものを対比させてこそ、敵基地攻撃能力を持つ国家像というものも浮き彫りになる。両者のそれぞれの国家像という日本のアイデンティティというものをもっとイメージ豊かに膨らませることによって、日本国憲法の優位性というものが浮き彫りになるような気がする。これからの一つの課題であろう。
 安全保障は、合理的に考えれば敵対国との紛争を回避することが究極の目標であることは論をまたない。イージスアショア配備中止の直後に自民党内で噴出してきた「敵基地攻撃」は国防・防衛の類であって安全保障のごく一部に過ぎない。紛争を回避するため近隣諸国との信頼醸成をどう確立するかが安全保障であるはずだ。
 その論議の前提として、日本がどのような国なのかという「アイデンティティ」を意識していたい。「イデオロギーよりアイデンティティ」。この言葉は故・翁長雄志前沖縄県知事が残した黄金言葉だ。基地問題に向き合う時、 民意を連結するのはイデオロギーではなく、この島で運命を共にする沖縄人としてのアイデンティティである。日本人が依るところは何だろうか。日本ってどんな国で、何を考えているのですか。都外国人に質問されたとき、「アメリカの同盟国です」だけでは話にならない。
 冷戦のころはそれで良かったかもしれない。しかし今日的な安全保障上の脅威は「9・11」、「3・11」に象徴されるテロや地球温暖化がもたらす大規模災害であり、そして感染症のパンデミックである。日本は冷戦後の脅威に的確に対応できているとはいえない。これらはハードの軍事パワーではなく、ソフトの人道支援や災害救援が有効であり、 日本が比較優位を持つ分野だ。アジアの中でリーダーシップを発揮し、安全保障上の担い手になれるはずである。
 憲法改正を目的化させ、敵基地攻撃能力を持つ国家像とはいったい何だろうか。冷戦は終わり、新世紀に生きているにもかかわらず、頭の中は安保イコール軍事という古典的な概念に拘束される。そんなタカ派の生き方が日本人にフィットするだろうか。私たちにとって何が気楽で着心地よいアイデンティティかを議論すべきだろう。沖縄問題の解決はその先に必ず見えてくる。(屋良朝博「普天間問題の解決はすぐにも可能だ:リアリズムにもとづく安全保障の選択」『世界』、2020年11月号、p161))

2021年10月26日火曜日

『無法』と『絶えざる暴力』

 ジャーナリストの本多勝一氏は、世界の戦場や被差別地域をルポして歩き、その結果を出版している。『アメリカ合州国』(本多勝一著、朝日新聞社)も、その中の一冊である。この本の中に、東洋人の中でもっとも日本人が憎まれていることが書かれていた。アメリカでは黒人差別と同様に有色人も差別されてきたことは知っていたが、その中でも日本人がもっとも憎まれていることまでは知らなかった。
 本多勝一氏が取材のため黒人とコンビを組んでいたときのこと

「ユダヤ人と黒人のコンビより悪いかね?」
「 悪い悪い。ユダヤは遠くから一目で見分けられないが、オリエンタル(東洋人)ならわかる。その中でも日本人が 一番憎まれる」
 ロイが幼児のころ、「日本人殺し”ごっこ”(原文は傍点)」という遊びがあったこと。そうした感情は、素朴な人人や、南部のような土地柄ほど、現在も根深いこと。
(中略)
 最初ここに泊まるつもりでいたが、昨夜ジャックリーヌがロイと私に忠告した ——(『アメリカ合州国』、p141)
「日本人殺し”ごっこ”」とは、何ということだろう。こうした遺伝子が米軍人にもあるとしたら、と考えると、米軍人による、さまざまな日本における犯罪も納得できる。だがしかし、もっと普遍的な、次のような「アメリカ史の最初から現在に至るまでの重要なテーマ」こそがもっとクローズアップされるべきだと痛感した。1970年4月に書かれたことだが、米軍によるイラク攻撃に見られたように、米軍による『無法』と『絶えざる暴力』は、現在に至っても脈々と引き継がれているのではないだろうか。

 わたしのアメリカ史の先生は一年間の講義がおわるときに、わざわざ時間をさいて次のようなことを言われた。本もノートも閉じて、一年間の講義をきいてくれたことにお礼をいわれ、一言つけたしておきたいことがあると前置きされての発言であった。

「アメリカ史の最初から現在に至るまでの重要なテーマは、西部開拓史にみられるような、『無法』と『絶えざる暴力』である。このテーマはアメリカが地球上で重要な位置をしめる国になっても変わるものではなく、依然として、前にもまして、重要なテーマになっている⋯」(北村崇郎解説、『アメリカ合州国』、p339)

2021年10月25日月曜日

戦争の脅威を引きつける抑止力

 日本経済新聞で連載されている「私の履歴書」で、誰だったかが、「今でもファラデーの『ローソクの科学』を読み返している(読み返すときがある)」と言っていた。なぜかその部分だけが頭に残ったので、ちょっと読んでみた。そして、「製造技術の進歩のなかで、また、要求される結果をうみだすためのもっとも適切な方法の工夫のなかで、・・・」というところ、特に「要求される結果をうみだすための」が心のアンテナに引っかかった。
 なぜだろう、と思い、その正体を探るべく、こうして書き始めた。安全保障の問題の何かを解決してくれるように思いながら、その何かがまだはっきりしない。安全保障環境の悪化を持ち出し、そうした状況から日本を守るには、防衛予算をもっと増額し、対処しなくてはならない、という主張があるとき、「要求される結果」とは何だろうか。
 この場合の「要求される結果」とは、防衛予算の増額であり、抑止力の向上ではないだろうか。しかし、日本の安全保障というのを考えたときの「要求される結果」とは、そういうものではないではない。本当の「要求される結果」とは、近隣諸国との対立を解消して、真の外交(交易)を実現することであり、戦争の脅威をできるだけ遠くに追いやることであり、結果として、日本国憲法の”理想の実現”であるべきである。
 現在の安全保障政策は、戦争を防ぐという建前で、戦争の脅威を引きつけてきているのではないか。ここでの「要求される結果」には、平和などない。平和を守る手段が平和を破壊する手段でもあるからだ。ようやく疑問が解けた。本当の「要求される結果」とは、日本国憲法の”理想の実現”であったのだ。

2021年10月24日日曜日

自殺をせずに生きるには

 自殺まで考えて、自殺をせずに生きるにはどうすればいいのか、その答えが、読書メモにあった。「それには、ただひとつ、自分自身と対決するしかない。他人とはちがう自己という存在と向きあい、それを育てることである。自己を育てるとは、心に秘めた目標や願望に向かって努力することに他ならない」(『名作はなぜ生まれたか』、木原武一著、同文書院、p93)
 自殺まで考えたヘルマン・ヘッセの願望は、詩人になりたいということだった。「ヘッセにとって神学校での勉強は頭痛を誘ったが、詩人になるための勉強なら少しも苦にならない。仕事のかたわら、文学、芸術、哲学などを独学で学び、二十五歳の時に出版した詩集によって、詩人として知られるようになった」(同上)ヘッセは、願望を達成する努力を通して、自殺の危機を乗り越えたようである。
 自殺までいかなくても、生きる意欲が減退したり、といった心の危機というものは誰にでもある。老年期に入ればなおさらであろう。これらの対策も、自分と向き合い、自己を育てる努力によって乗り越えていけそうだ。
 人間に完成形というものはない。体には限界があって衰えてきても、脳の発達には限界がないようだから、生涯にわたり、自己成長をし続けることも可能であろう。生涯学習という言葉もある。老人人口が増えてきている日本にとっては、生涯学習がキーワードになるのかもしれない。

2021年10月23日土曜日

罪としての無知

  以前、高橋源一郎氏への疑問を「高橋源一郎氏は真の民主主義守り手か」で書いた。そうした疑問は私だけではなかった。(戦争を)知らない世代こそが希望だ」という高橋源一郎氏への疑問 - 野口尚孝のブログや、「高橋源一郎の独りよがりな「平和物語」の虚妄 - Hemakovichの半永久的平坦な戦場」でも、高橋源一郎氏を疑問視する論考が掲載されていた。
 特に、後者の論考には、共感する平和論が展開されていた。以下、一部を紹介する。この中でも「悲惨な戦争をしてる国々の哀しみに共感しようという努力ができないことも『罪としての無知』であって、自国が戦争していないからといって済まされる時代ではない」という指摘には拍手を送りたい。

 無知という罪に無自覚な人間が享受してきた時間は「平和」なのではなく、単に「戦争がない状態」に過ぎない。
 そして世界がどんどんグローバルになっていく現代において、悲惨な戦争をしてる国々の哀しみに共感しようという努力ができないことも「罪としての無知」であって、自国が戦争していないからといって済まされる時代ではない、他の国々の「戦争と平和」への視野がないような状態で今のこの日本を「平和」と括れるのは愚かさでしかないということだ。

 高橋にとっては「受け売りの『戦争の体験』」っていう程度の認識しかないんだから、最初っから過去の戦争体験に価値なんてその程度にしか置いてないんだろうね。
 僕は戦争経験者の経験ってのは決して「他人の物語」なんかじゃなく、「人類が共有するべき記憶の財産」だと思ってるけどね。
 ここんとこずーっと「被爆者の声」で、ビデオ証言見てるんだけどね、驚いたのは語り部さんの中には「日本ってアメリカと戦争したんですか?」と日本の若者に言われたって人もいるんだよね。
 アメリカに行って被爆証言を話す人もいるけど、アメリカ人って本当に原爆の被害なんて何も教えられていないものだから、被爆の事実と戦後の被爆者の苦労なんかを証言すると、たいていの人たちが泣きながら「全く知らなかった」って言うらしいよ(そもそもアメリカ市民は劣化ウラン弾の存在すら知らないという)。
 終戦の年とか疎開のことすら知らない日本の若者だったら、南京虐殺や強制連行だって全然知識がないんだろうけどね。アメリカ人が原爆被害のことを全然知らないことに対する我々の心の痛みを考えてみれば、南京やら慰安婦のことを全然知らないことへの被害者の痛みだって当然想像できるけど、そういう知的怠惰な無知のバカどもの無知を肯定したり、挙句は「彼女たちの『無知』にこそ、希望があるのだ」と言える神経って、どうなんだろうね。まあ僕がさっき書いた「我々の心の痛み」なんてものが高橋とか古市が持っていないんだったら、どうしようもないんだけどね。

 あとさあ、「現在の日本人の大半にとって、もっとも『大きな記憶』とは、実は68年続いた『平和経験』」って言うけど、そんなにあっけらかんと言えるほど、日本は平和だったの? それ、高橋の感覚だけの独りよがりな断定じゃないの?

2021年10月22日金曜日

国家間コミュニケーション論

 NHKBS放送(2021年10月21日)の「ヒューマニエンス」という番組で、「イヌとヒトは共進化? 数万年の共存関係とは」を視聴し、興味ある実験結果を知った。犬に対して、A、感情を込めないでポジティブ言葉をかける。B、感情を込めて、意味のない言葉をかける。すると、レベルはどうだったか忘れたけれど、Bでも、脳の報酬回路(そんな言葉だったが喜んだ時などに反応する部位)が反応することが分かったという実験である。
 この実験結果から、非言語コミュニケーションという言葉を連想し、感情を込めたコミニケーションの重要性を痛感した。夫婦喧嘩をよくしてきたが、その大きな原因は、非言語コミュニケーション部分を無視してきたからではないか、そう思えてきた。
 話は変わって、国家間のコミニケーションの話になる。コミュニケーションが上手くいっていれば戦争に至ることはない。つまり、戦争というのは、国家間のコミュニケーション不足ということになろう。ここで、今まで気になっていたことがことがことが大分はっきりとしてきた。それは、安保条約や、安保条約による抑止力を主張している人たちに、そもそも、国家間のコミュニケーションによって仲良くやっていこうとする気があるのか、という問いである。
 現状は、まず安全保障環境の悪化を前提にして、だから、それに備え、防衛費を増やさなければならない、となる。もし、戦争とまではいかなくても、安全保障環境の悪化の原因をコミュニケーション不足ではないか、という仮説を持てれば、あらゆる知恵を働かせて、コミュニケーションを尽くせば良い。軍事費にお金を使うよりはずっと安くできるであろう。その前提は、相手国の人々を人間として尊重するという「非言語的想い」であり、国家間のコミュニケーションによって仲良くやっていこうとする想いである。
 タイトルを「国家間コミュニケーション論」にしたが、人と人との間においては、「コミュニケーション論」というものがある。その成果を国家間コミュニケーションに応用していけば、国家間の垣根もなくすことができ、平和な世界を建設していくことができるのではないか。そういう意味で、「国家間コミュニケーション論」は国際平和に向けての一つの手段になる。しかも重要な手段であろう。

2021年10月21日木曜日

安保法制廃案という平和主義戦略

 今朝の朝日新聞社説は、「衆院選 外交・安保 平和主義軸に戦略を」だった。平和主義を軸にしても、「日本の外交・安全保障政策の基軸が日米同盟であるという立場は、政権交代をめざす立憲民主党も変わらない」と書き、日米安保条約が前提の平和主義であることを確認している。しかし、少し考えれば、抑止力理論に基づいた日米安保条約で平和は守れないことは明らかなのに、朝日新聞さえ、こうした時代の思想に影響を受けている。いや、時代の思想形成の一翼を担っているといえよう。
 少しマシなのが、「米国に従うだけでは、日本の安全は守れまい」と、米国に物申す姿勢があり、「中国を多国間協力の枠組みに引き込むような働きかけが求められる」と、対話の方向性の模索の必要性を説いていることである。とここまで書いてきて、「専守防衛による抑制的な防衛力整備や国際協調の重視など、日本が戦後維持してきた価値観を踏まえ」というならば、まずは安保法制など行きすぎた悪法の言及がないのはおかしい。
 そうだ、平和主義軸の戦略を言うなら、まずは第一に安保法制などを廃案にすることを掲げるべきであろう。この選挙期間中に、こうした安倍・菅政権のしてきたことの議論がどれだけ盛り上がるかが、勝敗を決めるのではないだろうか、そう思えてきた。
 これからこうするも大切だが、これまでの悪政を正す視点こそが最重要論点ではないだろうか。

2021年10月20日水曜日

「丁寧道」という生き方

 NHK放送の「SWITCHインタビュー」をよく見るが、10月16日は、かつお節職人の瀬崎祐介さんと、書道家の武田双雲さんの対談だった。そこで話された「丁寧道」という生き方が、なんとも魅力的だった。
 初めは、「自分の心はもろいんで」「自分の心だけではダメだから」「諦めて」、とりあえず「感謝」に頼ろう、としたという。どういうことか? それは、「迷ったら全部感謝、悩んだら感謝」で、具合的には、道具に感謝、目の前のこと、自分が書いている環境に感謝、家族に感謝!!
 そのうちに、感謝の気持ちを最大に生かす道として、「丁寧道」という生き方に気づき、自ら実践するようになった。すると自分がとても楽になり、「丁寧道」を知った人たちも、離婚まで考えた人がラブラブになりましたとか、反響も出るようになったという。
 それでは、「丁寧道」という生き方は、どのようなものか?
 それは、「書道で学んだ丁寧の素晴らしさを日常にも」ということで、「書道でやってきたことを日常にまぶす」「日常から感謝だらけにする」そうして「感謝を味わっていく」という表現も使っていた。例えばとして、歯磨きの場合は、歯ブラシに感謝し、ゆっくり丁寧に磨く。





2021年10月19日火曜日

AIとカラー化した写真が語る戦争

 戦前・戦後の貴重な白黒写真355枚を、最新のAI技術と当事者への取材や資料をもとに人の手で彩色。カラー化した写真から、当時の暮らしを紹介した本が出版されている。『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(庭田杏珠・渡邉英徳[]著、光文社新書、2020年)である。白黒写真がカラー化されることによって、戦争の実態がより真実味を増して迫ってくるのがわかる。





 また、一枚のカラー化した写真(焼け野原を見つめるカップルの写真)をきっかけに広がった人の輪のつながりも感動的だった。それだけ、平和を求める声は大きいということであろう。改めて、「ますますのめり込んできている抑止力に頼る平和」がいつ壊れるかわからないような「ガラス張りの平和」であることに気づいてほしい、と思った。


ふたりが見つめた未来
 前のベージで紹介した、焼け野原を見つめるカップルの写真。はじめて目にしたときに心を打たれてカラー化し、2018年8月6日・広島原爆の日に「72年前の今日」の写真としてツイートしました。たいへん大きな反響があり、この文章を書いている時点で、約1万7千リツイート・約3万7千のいいね、約80件のリプライがついています。リプライの多くは、戦争と平和、あるいは核兵器と社会の関わりなどについて、個々人の意見が述べられたもの。活発な議論が交わされていました。
 その後、予期せぬことが起きました。この写真を添えた記事が朝日新聞に掲載されたところ、ご覧になった沼田清さん(共同通信社)から、写真の詳細が綴られた手紙が届いたのです。そこには、写真は共同通信社が1946年8月5日以前に撮影したものであること、被爆1周年・終戦1周年に向けた企画取材の際に全国の関係地へ取材手配した中の一枚であること。さらにカップル頭上に写る建物は「右近」という旅館であり、改築を経て飲食店として現存していることなどが記されていました。SNSから新聞へ、そして実世界の手紙へ。さまざまなメディアを通してコミュニケーションが拡がっていっ たのです。
 さらに2019年夏、日本テレビ「mewszero」の取材を受けたときのことです。被爆した福屋百貨店は、街に活気を取り戻すことを願い、終戦1年後にすでに「ダンスホール」を営業していたことを教えてもらいました。つまり、このカップルはダンスホールに来たお客さんだったのかもしれません。これらは、カラー化する前のモノク口写真からは知り得なかったことです。  その後、私たちは現存する串焼き屋「右近」を訪れ、ここでもさまざまなエピソードを伺うことができました。また、共同通信社の沼田さんからは、本書に収録したカラー 化写真の考証・写真のご提供など、多大なご協力をいただいています。
 一葉の写真のカラー化と対話を通して、さまざまな人々がつながりあうコミュニティが生まれました。このできごとは、いまでも記憶に強く残っています。
「戦争は終わった」。あの日、屋上でカップルが希望を込めて見つめた風景は、私たちが生きる現代、そして未来へとつながっています。(『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』)

2021年10月18日月曜日

国策という権力の問題

 普天間飛行場の辺野古移設問題は、原発問題と構造が同じ、と前から友人と議論してきた。両者に共通する根本原因は、「国策」や「国の専権事項」の名の下に行われていることである。このことを『さよなら朝日』(石川智也著、柏書房、2021年)に示されて、明確になった。辺野古移設問題は決して沖縄だけの問題でなかったのである。
 だが、ここで一つの疑問が生じる。主権在民の憲法の下で、「国策」や「国の専権事項」というのが許されるのか、ということである。この問題は置いておくとして、『さよなら朝日』は、もう一つの重要な観点に言及している。「主権国家内に他国の軍事基地があり武装組織が常駐していることは本来異常なことだ」という認識である。もっともな話であるのに、この観点から米軍基地が問題視されることはあまりない。”馴れ”だろうか。そんなことを言わないで、これからみんなで考えて行かなければならないテーマであろう。
 辺野古移設強行がまかり通るならば、たとえば原発や放射性廃棄物処分場の立地をめぐっても「国策」や「国の専権事項」の名の下で同じことが起きる、という指摘がある。他方で「国の存立に関わる安全保障の問題だけは特別だ」とも言われる。私は、後者の考えをとる。ただし、辺野古移設推進派が正当化の便法として使う意味とは違う。
 主権国家内に他国の軍事基地があり武装組織が常駐していることは本来異常なことだという世界的な常識に立ち返れば、基地をこれ以上受け入れられないという「民意」が示されたなら、日本政府はその事実をもって米国と外交交渉を重ね、普天間飛行場の無条件返還を強く求めなければならない。
 その際に日米地位協定の一条一項(米側に日本国内どこにでも施設・区域の提供を求める権利を事実上認めたもの)、あるいは日米安保条約そのものが障害になるというのなら、そのときこそ(原文は傍点)国防のあり方が根本的に問われることになる。(『さよなら朝日』、p160)

2021年10月17日日曜日

地球の水がどこからきたのか?

  NHK地域局発 とさ金「高知から”宇宙の謎”に挑む」を見て、地球に存在する水と違う水があることを初めて知った。今の地球には、膨大な水が存在しているが、昔の地球は灼熱の地球で水は存在していなかった。

 だから、水は宇宙からやってきたことは明らかで、氷からできている彗星からやってきたと思われてきた。しかし、調査の結果、地球の水と彗星の水は違うことが明らかになってしまった。そこで、小惑星リュウグウの岩石に含まれた元素を調べることで、「地球の水がどこからきたのか?」を調べるということだ。小惑星リュウグウの岩石に含まれた水素原子の割合が、地球の水の割合と一致すれば、地球の水の起源は小惑星ということになるという。






 最後に語ってくれた研究責任者伊藤元雄さんの言葉が良かった。
 That’ Lifeですよ。
 実験なんて、失敗、失敗、失敗
 で、一回成功
 毎日技術開発の連続
 なので
 明日はできます
 それでなかったら、あさって
 それでなかったら その次
 そうじゃなかったら
 一週間後、そんなもんです

2021年10月16日土曜日

落選危機の与党大物21人リスト

 総選挙が始まった。かつてない野党共闘が実現したことが、今選挙の大きな特徴であろう。であるならば、野党がどれだけ前進できるかが大きな焦点となる。同時に、どれだけの大物政治家を落選させ、自民党に対して反省を迫れるかも焦点となる。
 野党が躍進し、政権交代が実現できれば大勝利だ。しかし、たとえ政権交代は実現できなくとも、安倍や菅政権のような横暴な政治を諌めることができれば、それでも野党の勝利と言えよう。
 マスコミの間では、早速総選挙の動向を占う情勢調査が進められている。日刊ゲンダイによれば、「岸田首相不人気、野党一本化加速で大苦戦」のようで、「自民党など政党の情勢調査、週刊誌や専門家の予想などを参考に、当落線上にいる21人をリストアップ」(http://c.bme.jp/68/314/8601/104084)し、 衆院選「落選危機の与党大物21人」リストも発表している。21人の当落が注目される。


2021年10月15日金曜日

探求にあたいする実のある世界

 最近ヘーゲルの解説書を読んでいるが、また感動的とも言える解説に出会った。政治の世界での「言葉の信頼」が失われてきているからかもしれない。一度発言した内容を、軽々しく撤回するようなことが目立つようになったからだ。
 それに、「現実の世界観念の世界も、ヘーゲルには、探求にあたいする実のある世界」とか、「ヘーゲルはそのことばをためらいなく追いかけ、(思索の結果を)おもてに出す」といった素敵な言葉が刺激的だった。少しでも追いかけていきたいものである。
 ことばへの信頼、ことばとの安定した関係は、世界への信頼、世界との安定した関係と表裏一体をなす。
に見えた。むろんそこには幾多の不安、無秩序、悪、不明、混沌の素材がふくまれてはいるが、それらをふくみつつ、世界はその根本において理性の貫徹する充実した光明の世界であった。哲学的思索のはてに世界が空虚な深淵としてたちあらわれるかもしれぬ、――そんな想念がヘーゲルの脳裡をよぎることなど、およそ考えられない。思索がどんなに難渋しても、そこに思索にあたいする具体的で実質的な世界があることは、うたがわれることがなかった。
 その実質的な世界のすみずみにまでことばは行きわたっている。そして、世界のありかたをあきらかにしようとすると、思考のなかにことばが自然にたちあらわれ、思考と思考をつないで行きかう。ヘーゲルはそのことばをためらいなく追いかけ、おもてに出す。おなじことばが講義では音となってあらわれ、著作では文字となってあらわれる。ことばには世界の意味がこめられていて、世界が具体的で充実しているのに見合って、ことばも具体的で充実した存在であった。
 そういう安定した世界やことばとの関係は、「古典 て名づけていい関係である。ヘーゲルは古典的な世 ささえられて、古典的な言語観を生きていた。(長谷川宏著「ヘーゲルの言語観」『ヘーゲル : 時代を先駆ける弁証法』上妻精 [ほか] 編、情況出版,、1994年、p205)

2021年10月14日木曜日

勝っても負けてもナイスゲームや

 朝ドラ大好き人間の私は、昔の朝ドラ再放送まで観ている。 「勝っても負けてもナイスゲームや」は、「純ちゃんの応援歌」で語られた純ちゃんのお父さん一言である。実は間に「全力を尽くせば」が入って「勝っても負けても全力を尽くせばナイスゲームや」だった。
 このメモを見ながら、人生、人の一生も同じではないか、と思った。人生を振り返った時、「勝っても負けても全力を尽くせばナイス人生や」となるんじゃないか、と。しかし、緊張と同時に、リラックスも大事である。ということで、2ー8の法則に従えば、2〜3割でも全力を尽くせれば、それで十分のような気がする。
 小林弘幸医師によれば、集中力のトレーニングとして、「常に目の前のことだけを考える」ことを習慣にするよう勧めている。集中力が乱れるのは「目の前の事柄以外を考えてしまっている」(『整える習慣』、日経ビジネス文庫、p76)からである。そのためにも、「今、行っている動作を意識する」ことから始めてみよう、と。
 それにしても、手前味噌だが、「勝っても負けても全力を尽くせばナイス人生や」という言葉には、なぜか心が落ち着く。

2021年10月13日水曜日

ヴィーナスと眠るアモル

 NHKBSで「奇跡の宮殿 フォンテーヌブロー王と大妃の”美の館”」を見た。そこで、フランスのフォンテーヌブロー王が「戦争を止める力は二つあって、それが知識と美だ」と信じ、図書館と美術館(浴室の中)を併設して建設していたことを知った。それが、フォンテーヌブロー王と大妃の宮殿であり、”美の館”でもあった。以下解説から。

「モナ・リザ」を含む多くのルネサンスの傑作がその浴室に飾られていた。フィレンツェやヴェネツィアなどルネサンスのあらゆる流派の傑作がこの浴室に飾られていました。レオナルドの傑作「モナ・リザ」もその浴室に飾られていたと考えられます。つまりこの浴室は芸術史上最も早い絵画美術館でした。ルネサンスの数々の傑作がフォンテーヌブローの浴室の上記の中で保管されていたのです。
 なぜ、王は、集めた名画を宮殿の浴室に飾らせたのか。
 その鍵を教えてくれるのが、戦争が始まるのを止めて欲しいとアモルに呼びかけるヴィーナスを描いた「ヴィーナスと眠るアモル」だという。美の象徴としてのヴィーナスと右の下に知識の象徴としての本が描かれている。
 その後また戦乱の世が続くことになる。しかし、「知識と美」に戦争を止める力があることは間違いない。戦乱の世が続いたのも、「知識と美」の力が弱かっただけ、と考えられるからだ。フォンテーヌブロー王の業績をもっと知られるべきだと思った。

「ヴィーナスと眠るアモル」



2021年10月12日火曜日

第三の道=コモンや脱成長

  岸田総理は、金融所得課税見直しについて言及していた。しかし、結局棚上げされてしまった。高所得者への優遇処置は、相変わらず続くことになる。そこで思い出したのが、朝日新聞GLOBE(2021年8月1日)の斉藤幸平さんへのインタビュー記事「いま若者の間で『資本論』が熱い」である。斎藤さんの提起は、「水、電力、医療、教育などを公共財として民主的に管理するという『コモン(共)』や脱成長を『第三の道』として提示」したことでわかりやすい。

 斎藤の特徴は、一党独裁やあらゆる生産手段の国有化といった旧ソ連の社会主義とは全く違うマルクス論を展開していることだ。冷戦崩壊後に公刊されたマルクスの新資料をひもとき、水、電力、医療、教育などを公共財として民主的に管理するという「コモン(共)」や脱成長を「第三の道」として提示する。「すべてを商品化する資本主義でもソ連型社会主義でもない、もっと別の生活に移行した方がみんな豊かになる、という大きなビジョンを待ちわびていた人がたくさんいた」消費主義が染みついた価値観そのものを変え、一部が独占するのではなく、より平等に共有していく。そんな考えはどこまで支持を集めるのか。斎藤は「すぐにマジョリティーになるとは考えていない」という。ただ、重要な転機になる可能性がかつてないほど出てきているとも感じている。

 この記事の中で、興味のある二つの図が示されていた。「世界の富のピラミッド」は、クレディ・スイス・リサーチ・インスティテュート「グローバル・ウェルス・レポート2121」の推計から作成されたものだが、世界の富の46%を世界成人人口の1%で独占していることになる。逆に、世界成人人口の55%の富の合計が、世界の富の1%にしかならないことになる。その結果、「世界の半数近くが一日5.5ドル(約600円)未満で暮らす」ことになる。


 

2021年10月11日月曜日

自称リベラルの「矛盾と欺瞞」

 石川智也さんのインタビュー記事「寛容になれと不寛容に主張 支持広がらぬリベラル勢力、固定客見誤る」(朝日新聞、2021年9月9日)を読み、その主張に納得するところが多かった。野党のやっていることは、確かに「寛容になれと不寛容に主張」しているところがあるからだ。特に、「反自民、反共産」を旗印にしている一部の勢力は、不寛容そのものであろう。「私自身が、自由、公正、寛容、人権、法の支配という価値を重んじ、国家より個人を優先するリベラル派です」という言葉に、すっかり信じ込んでしまい。九条批判のおかしさまでは気づけなかった。
 一日置いて、彼の「私自身は、日米地位協定の改定や沖縄の基地問題解決を阻んでいる大きな理由は、9条だと思っています」という主張のおかしさに気がついた。九条があるから、「日米地位協定や沖縄の基地」に問題があることがわかるのであり、逆に、九条がなかったらどんどん基地建設は進むであろうし、日米地位協定など、問題にもならないであろう。
 なんかおかしいと思って、どんな著作があるかを調べてみた。そして、『さよなら朝日』(石川智也著、柏書房、2021年)という本が最近出版されていることがわかった。その内容は、「改憲論争、沖縄の基地移転、脱原発…。朝日新聞に代表される自称リベラルの矛盾と欺瞞を朝日の内部から検証した、黄昏ゆくリベラルにささげる決死の論考集」だという。どうも、自称リベラルの石川智也さん自身の主張に、「矛盾と欺瞞」があるような気がしてならない。今度、そういう目で、この著書を読んでみたい。

2021年10月10日日曜日

住宅や民間人を焼き尽す

 「殺す側の論理」を取り上げたばかりだが、その例証とも言える焼夷弾のことが新聞小説で取り上げられていた。この小説で「焼尽」という言葉があることを知ったが、焼夷弾は「市街地の焼尽と民間人の殺傷のために」作られた専用の爆弾だという。しかし、この表現より、「市街地の住宅や民間人を焼き尽す」という方がリアルで真実味を帯びてくる。「人間とはそういうことをするものであるか」とあるが、<冷徹に「市街地の住宅や民間人を焼き尽す」準備ができる>のが「殺す側の論理」であろう。

「それにしても部長、あの焼夷(しょうい)弾というのは始末の悪いものですな」と防空警戒隊の男は言った。「小(ち)っこいのがばらばらたくさん降ってきて、一本ずつが炎を吹いて四方八方にまき散らす。バケツの水でもホースの水でもとてもぜんぶは消せません」
 「中身はゼリーにしたガソリンだよ。それに点火した上で飛び散るように作ってある」
(中略)
 焼夷弾は対民家用の爆弾である。鋼鉄製の軍艦に落としたところで高圧のホースから海水を噴射すれば瞬時に消せる。
 日本の家屋が木と紙からできていることを敵は知っていた。関東大震災の家屋の被害も倒壊より火事が主体だった。
 市街地の焼尽と民間人の殺傷のために専用の爆弾を作る。人間とはそういうことをするものであるか。(『また会う日まで』、朝日新聞、2021年10月10日)

2021年10月9日土曜日

「殺す側の論理」の法律体系

 何事も原理原則で考えることが大切だ。この原理原則を離れ、枝葉末節にとらわれていると、しまいにはその原則を忘れ、枝葉末節のできごとが本命になってしまいかねない。『殺す側の論理』を読んで考えさせられたことである。
 安保条約のことで言えば、「地位協定問題」がそれである。あまりにもその問題の大きさゆえに、日本国憲法の条概念となって日本の独立を侵害している問題性に集中しがちである。そして、そこに貫かれているのが「殺す側の論理」であることを忘れてしまっている。それゆえであろう、「かつて他のアジア諸国に対して『殺す側』に立ち、今また合衆国政権と密着して『殺す側』に立っている自民党」であることも忘れていると言って良い。

 クラウゼヴィッツがずっと以前から言っているように、戦争とは政治の延長であり、また「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」[注6]ことは、権威の引用などするまでもなく明白な事実であろう。だが、この単純明快な原理が、とくに日本、地上軍による侵略を受けた経験が沖縄を除いてない日本では、案外理解されていない。ベトナムへのアメリカの出兵・侵略は、第一にアメリカでの政治の内側に原因があり、アイゼンハワーのいうような「貴国の自由」のためではありえない。かくてアメリカの政治体質は、その延長であるところの戦争において、ムキ出しに現れてくる。国内では「殺す側の論理」で作りあげられた法律体系により、形だけでも「合法的」儀式によってこうした汚点が隠蔽されているが、一切の儀式の不必要となる戦場においては、こうしたヴェールはきれいに取り払われ、だれの目にもよく見えるように示してくれる。(『殺す側の論理』、本多勝一著、朝日新聞社、1984年、22)[注6:『戦争論』、クラウゼヴィッツ著、淡徳三郎訳、徳間書店、p18]

 「虚飾にまみれた発言や詭弁」で取り上げた防衛装備品といった言葉の問題も、安保条約や地位協定といった「殺す側の論理」で作りあげられた法律体系も、自らの汚点を隠蔽するツールだったのである。

2021年10月8日金曜日

暗躍する「よみがえる亡霊」

 戦後、新憲法によって軍備を撤廃しながら、再軍備が始まり今や「大手を振って軍備が闊歩している」状態である。再軍備と歩調を合わせたように、一部戦犯者たちが赦免によって刑務所から出ることができた。浜田知明は、そうした風潮に怒りを込めて作品「よみがえる亡霊」を発表している。そして、この作品に、次のような文を添えていた。
 改めて思うのは、かつての亡霊は、すでに亡霊の域を脱して、あたかも命を吹き返したように活躍して(暗躍して)いる。しかし、所詮亡霊は亡霊だ。そこを見破ることが重要である。亡霊は亡霊らしく、地下にて眠っていてほしいものである。
最近、
赦免されて
刑務所の門を出る
一部戦犯者達の 
誇らかな 顔と
不謹慎な言葉には
激しい怒りを覚えずにはいられません。
再軍備の声は巷に高く、
その眼から怪しげな光芒を放つ亡霊は、
今や
暗く淀んだ海面から浮かび立つ浮び上がりつつ
あります。(浜田知明作品集』、浜田知明著、現代美術社、1982年、p12)

2021年10月7日木曜日

自然資本に依存しているGDP

 今年のノーベル物理学賞が、米国プリンストン大上級研究員の真鍋淑郎さん(90)ら3人に贈られた。真鍋さんとドイツのクラウス・ハッセルマンさんは、地球の気候をコンピューターで再現する方法を開発し、気候変動(温暖化)予測についての研究分野を世界に先駆けて切り開いたという。温暖化が深刻になってきていることの現れだろうか。
 朝日新聞GLOBE(2021年10月3日号)に、「干上がった世界最大級の湿地、生きものたちの危機がブラジルを襲う」という特集記事が載り、日干しになって死んでいるワニの写真が掲載されていいた。この一枚の写真が、温暖化が深刻さを物語っているようだ。
 もっとショックだったのが、「世界のGDPの半分以上が自然資本に依存している」という見出し記事である。ここで初めて「自然資本」という言葉を知ったが、そう言えば、樹木は木材として資本化されるし、水そのものも、飲料水として、或いは水力発電の動力として資本化される。つまり、温暖化によって、自然資本が大きなダメージを被ることになるのだ。この記事によれば、「何も手を打たなければ、漁業や林業、送粉サービスなどが劣化し、2030年には世界で2.7兆ドルの損失になる」という。温暖化には、もっと深刻に考えていく必要があるようである。

「世界最大の湿地帯パンタナルで、水量の減った水溜りで死んだワニ」

 

2021年10月6日水曜日

虚飾にまみれた発言や詭弁

  朝日新聞の声欄で、「(声 どう思いますか)政治家のことば」という特集があった。その中に、私が抱いてきた防衛関係の言葉の違和感、例えば武器=防衛装備品、武器の輸出=移転といった言葉に対する違和感を述べた投書があった。しかし、虚飾発言では生ぬるい。単なる虚飾ではなく、意識的な騙し言葉だからだ。とはいえ、よくこうもまとめてくれた。 

「虚飾発言」の数々、だまされぬ
無職 足立豊(長野県 72)
 憲法上保有が許されない「攻撃型空母」を単に「多機能」なだけと強弁し、「武器」を「防衛装備」、「輸出」を「移転」、「敵基地攻撃能力」は「自衛反撃能力」と言い換える。「元徴用工」は「朝鮮半島出身労働者」と矮小(わいしょう)化。米国務省から「強制労働」と指摘されたこともある外国人技能実習制度を政府は今も「国際貢献」の名目で続けている。
 福島第一原発の汚染水漏れを「アンダーコントロール」と述べた元首相は最近、「皆さん、どうやって日銀は政府が出す巨大な国債を買うと思います? 紙とインクでお札を刷る。20円で1万円札が出来るんです」と講演して回っているらしい。総務省幹部と自身の長男が関与した不祥事について、前首相は「政治責任の定義というのは、無いんじゃないでしょうか」と開き直った。
 自民党総裁選でも大いなる矛盾を感じた。子ども重視と言う一方で、財政規律を無視し、将来世代へのツケ回しにつながりかねないバラまき政策を臆面もなく訴える。何という軽薄さ、何という無責任。ため息をついてばかりの毎日だが、我々は政治家の虚飾にまみれた発言や詭弁(きべん)に決してだまされてはいけない。
 それでは、騙されないために、どう注意すれば良いか。言語学者の松田謙次郎さんによれば、「政治家が発する巧妙な言い換えに慣らされてはいけないし、発言の裏に隠された意図や矛盾を見抜く努力を怠ってはいけない」こと、さらには、「関西風ツッコミを忘れないこと。『自民党をぶっ壊す!』には、間髪入れず『アンタも自民党やん』と。平凡ですが、これが政治的コミュニケーションの神髄」だそうです。

2021年10月5日火曜日

「世界市民」を理想として

 なんという素晴らしい発見だ。少なくとも、私にはそう思えた。人間(個人)の尊厳を、寛容と或いは人間の条件と一体のものとして捉えた人間(個人)の尊厳の発見である。しかも、憲法といった理念とは別に、哲学的な思索の過程で発見したのであろうか。解説がまた素晴らしかった。とにかく素晴らしい。

 モンテーニュが生きた一六世紀のヨーロッパは宗教改革の時代だった。そして世紀後半のフランスは宗教戦争という内乱の時代だった。(中略)ペリゴール人のモンテーニュは、宗教における党派の差を相対的なものとして見ようとする。(中略)たまたま生まれた場所が異なれば、われわれは別の宗派を信じたかもしれないではないか。宗派の差異などは、その程度のものとして考えたらどうだろうかというのである。
 彼にすれば、そのような「差異」は甘受すべきもの、あるいは認めるべきものなのである。
「世間の人は、自分という存在にしたがって、他人に判断をくだすけれど、わたしはこうしたまちがいはしない。他人については、自分とは異なることがずいぶんあるんだなと思ってしまうのだ。自分が、ある型にがちっとはまっていると感じてはいても、だれもがそうするように、それを人々に押しつけることはなくて、異なる生き方がたくさん存在するのだと思って、そのように了解する。世間一般とは反対に、われわれのあいだの類似よりも、差異のほうをすんなり受け入れるのだ」(1-36/37「小カトーについて」)。
 自分の「型」を他者に押しつける、あるいは自分の「型」から他者を判断して、排除に向かうこと。モンテーニュは、人間にありがちなそうした所作をしりぞけて、「差異」を受け入れる。ここで、「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」(3-2「後悔について」)というモンテーニュのことばを、第1章の冒頭で紹介したことを思い出してほしい。
 各人が人間存在として十全なかたちを備えているということは、人間の条件について、その多様性を担保していることになる。人間はさまざまな文化や環境のもとに生を享け、実人生を生きていくが、そのだれもが人間としての十分条件を備えているということだ。ハンディキャップを負っている人も、逆に「文化資本」に恵まれた人もいる。人さまざまなのである。
 そうした多様な「個」が、普遍的な人間存在を支えている。そうであるならば、そのような人間社会に寛容性があることは、当然の結果ということになるであろう。要するに、個の尊重が全体の尊重に、あるいは、モンテーニュ的にいうならば、「わたし」を重視することが、「あなた」を、つまり「他者」を尊重することと表裏一体となっているのである。(モンテーニュ:人生を旅するための7章』、宮下志朗著、岩波新書、2019年、p127〜128)
 また、「人類に共通の普遍的な結びつきを優先して、国民としての結びつきはそれより後におく」(3-9「空しさについて」)を受けて、「モンテーニュは『世界市民』を理想として、人々の共生を願っていたに違いない」(同上、p130)と述べている。素晴らしい!!

2021年10月4日月曜日

戦火の欧州を生きた日本人

 第二次世界大戦時には、日系アメリカ人が大変な苦労をなされたことは知っていた。「フランクリン・ルーズベルト大統領は1942年2月、大統領令9066号を発令し、民族的背景を理由に12万人を米国西海岸から強制収容所に連行した。3分の2は米国で生まれた人たちだった。収容所は全米に10カ所あり、収容された人たちは平均で3年間、有刺鉄線が張り巡らされた中で過ごした(「真珠湾攻撃が変えた人生――日系米国人の苦難 - BBCニュース」より)。
 しかし、第二次世界大戦は、欧州に滞在していた日本人にも、大きな影響を与えていた。日本経済新聞(2021年10月4日)の記事「アメリカでの戦火の欧州を生きた日本人」で知ったことである。この記事によると、「欧州に滞在していた日本人は実質的に閉じ込められてしまう。その数、最大で9000人程度」とあった。大堀聡さんは、彼らの消息を30年かけて調査しているというのだ。
 現在の世界にいる日本人は、相当の数になっているはずで、こんな状態で戦争状態になってしまったら、これらの人たちにも大きな影響を与えることは、前述した第二次世界大戦の影響を見れば容易に想像がつく。さらに言えば、第一次世界大戦、第二次世界大戦と戦禍は拡大してきた。これらの事実に学ばず、まだ戦争を始めるなどというのは狂気の沙汰であろう。

2021年10月3日日曜日

議論を重ね積み上げていくこと

 研究会でマスコミの影響が話題になった。読まれ、経営的にもプラスになるような紙面となると、どうしても権力におもねる記事が多くを占めるようになってしまう、という嘆きにも似た発言が多かった。だが、少数とは言え良書も発行され続けていることを考えれば、そんなマスコミでも、見逃しそうな小さな記事として、真実の報道、権力におもねることのない報道もある。そうした報道を見つけると同時に、「批判的に読む」ことで、報道の裏に隠されているものも読み取れるようになるのではないだろうか。
 また、議論を重ね、積み上げていくことの重要性(必要性)も感じた。一度発表して終わりではなく、そこで出された問題をさらに深め、また議論し、論点を整理し、発展させていくのである。例えば、前の研究会で問題提起されたことを深める発表をしたら、「本当の改革(革命)というものは、ほとんど気が付かないうちに始まって、ずいぶん経ってから『あのときが改革(革命・変革)のはじまりだったのだ』とわかるものだと思っています」(Kさん)といった思いもよらなかった意見、しかも、同じ問題意識を的確な言葉で表現された意見も聞けた。
 Yさんは、ことあるごとに俯瞰することの重要性を言及してくれていたが、Sさんによって「歴史観の創造を目指したインフォグラフィックス」という発表があり、優れた俯瞰するツールの紹介があった。研究会のみんながこうした優れた手法を活用することで、飛躍的な研究の進展が望まれるのではないだろうか。

2021年10月2日土曜日

アジアの平和の精力的な創造を!

 前に「日本国よ大志を抱け」を書いたが、ここでの大志は「日本国憲法の理想」というだけだった。もっと具体的に、しかも一言で言えば、「日本には、アジアの諸民族といっしょになってアジアの平和を精力的に創造していかなければならない歴史的な責任があります。『よその国が侵略してくる』『よその国がせめてくる』とくり返しているうちに、自分の国が再度侵略者になってしまわないよう、注意したいものです」となる。(『日本国憲法のしくみ・入門の入門』、加藤晋介著、日本実業出版社、1995年、p122)
 ここの「平和を精力的に創造」しよう、ということが最も重要なのであって、オオカミ少年のように、「よその国がせめてくる」とくり返していても、事態は一向に進展しない。逆に、事態は悪化してきているのが現状である。これこそ「よその国がせめてくる論」=「抑止論」では平和を守ることができないことの証明であろう。
 次に、大志を補足する四つの項目を挙げておく。

① アメリカに屈従して、自衛隊を増強し、海外に派遣すれば、アジア諸国の不信を招き、アジアで孤立することになるということです。
② 日本国憲法が軍隊をもつこともそれを海外に派遣することも禁止していることを、アメリカにはっきりということです。アメリカは立憲主義を大切にする国です。しかもいまの憲法第九条は、その制定過程から明らかなように、アメリカの同意のもとで制定されたものです。
③ 国民の血を流し、他国民の血を流すために、誰を海外に出そうというのでしょうか。
④ 憲法第九条を無視する政治を強化していくと、やがては「軍の独走」を再現し、また「ルールなき社会」をつくり出すことになります。憲法は、「国の最高法規」です。それを首相をはじめとする「国民代表」が無視すれば、誰がそのほかのルールを守るでしょうか。(『日本国憲法のしくみ・入門の入門』、p122〜123)

2021年10月1日金曜日

高齢者よ運転をあきらめるな!

 高齢者に対し、運転免許返納の声が強まってきている。ネットでも、運転を諦めない高齢者に対する免許返納の説得に関するものがほとんどだった。私自身、できるだけ長く運転したい方なので、そのための方策を知りたい方だ。
 雑誌『文藝春秋』に「高齢者よ運転をあきらめるな!」という記事が載ったことがある。そこからのメモがあった。交差点での事故は半数以上だそうで、だから、

 交差点は、常にブレーキを踏めるよう”準備”しておかないと通過できない怖い場所なのです。  
 交差点に差し掛かるときはアクセルから足を離しいつでもブレーキを踏める状態にしておかなければなりません。(『文藝春秋』、2019年7月号、p246)
 そして「自動ブレーキに頼るな!」とも。参考になった。
 これまで注意してきたことは、長距離運転する日の前日は、早めに寝て十分に寝ておくことくらいだ。これからは、雨の日、夕方から夜間の運転はなるべく避ける、長距離運転するときは、早めに休憩する。少しでも眠くなったら休憩する、など注意したい。