2023年3月31日金曜日

原子兵器が世界を吹きとばす?

  サルトルによる恐ろしい警告を発見した。「歴史が原子兵器を廃棄するか、さもなければ原子兵器が世界を吹きとばすであろう」(『世界』、1954年9月、p33)という警告であり、予言である。なぜか。「原子兵器はプロックをつくりだす、それは恐怖を生みだす、またそれは、人民による監督なしに投げられるが故に、数名の人間の手中にある恣意的な力を表すものである。いままでは、怒りや過失やいろいろな誤算は全体としての歴史の中では大した影響のない偶発事に止っていた。現在ではそれらは恐るべきものとなりうる。数名の指導者の気まぐれは歴史の要因となりうるからである」(上同)。
 続いて、我々がどうすればいいのか。それについても具体的に次のように示されている。なお、改行を多くして読みやすくしている。

 諸国民の任務はそれ故二つある。
 第一に、原子爆弾に対抗する団結を形成すること、いたるところで、戦争に代える平和を、抽象的な対立に代えるに友好開係をもってすること、いたるところで平和の勝利をかちとり、原子兵器に爆発の機会も口実も与えないことである。朝鮮で、インドシナで平和を回復し、ドイツの統一を実現しなければならぬ。諸国民の具体的な団結の前で、原子恐喝の抽象的性格を明白ならしめることが必要である。
 第二に、恐怖とたたかわねばならぬ。五大国の代表者が集って原子兵器の製造及び使用の決定的な禁止をなすことを、国民は要求してきたが、今後も要求しつづけるであろう。これらの二つの任務は、また、われわれ平和大会の任務でもある。
 われわれはわれわれの努力を倍加しなければならぬ。過去の歴史はしばしば戦争によって作られた。戦争が世界の滅亡を意味する今日では、歴史は、平和の中でのみ、また平和によってのみ、作られうる。(上同)

 以上は核兵器に関して言及したものだが、核を扱うという意味で、原子力発電所にも言えることである。しかも、原発の場合は、偶発事では終わらず、大惨事を何度も起こしている。にもかかわらず、懲りずに邁進しているのが現状である。サルトルの声に耳を傾けて欲しいものである。 

2023年3月30日木曜日

憲法の改正不可条項

  日本国憲法には「改正不可条項」があるという本に出会った。日本国憲法の9条や、11条、97条には、「永久に」という言葉が使われているのだから、これらの条項を変えることはできない。変えようとすれば、それは憲法違反になるというのだ。胸のすくようなはなしである。次に、11条、97条と一緒に引用しておく。

 まず時間的な極限を表す言葉、「永遠に」、「永久に」、「永久の」が使われている条文について考えてみましょう。より具体的には、誰でもよく知っている9条を取り上げます。条文趣旨を簡単に要約すると、「日本国民は戦争と武力による威嚇ならびに武力の行使は永久に放棄する」になりますが、もっと短くして「日本国民は永久に戦争を放棄する」という文章を考えましょう。「永久に」の言葉の持つ力を論理的に分析するためには、これで十分だからです。
 この条文が「改正不可」であることの素朴な説明としては、次のようなものが考えられます。

 9条には「永久に」という言葉がありますから、この憲法に従えば、日本は永久に戦争をしないこになります。9条を変えて、一九四六年以降の有限時間内のある時点で、「戦争をする」ことが可能になるようにするのは、「永久に」という言葉に反します。したがって、それは憲法違反です。9条を「改正」することはできないのです。
 前文の「永遠に」は、世界の状況の説明であって、義務や権利の規定とは趣を異にしています。それを除けば、11条、97条にも同じ議論を適用できるので、これで9条、11条、97条は「改正不可条項」であることが「証明」できました。(『数学書として憲法を読む』、秋葉忠利著、法政大学出版局、2019年、p48)


 第一一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
 第九七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。(日本国憲法)

 また、99条には、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に課せられた憲法の擁護義務がある。しかし、「法的義務ではなく道徳的要請」だという解釈になっているらしい。この件にも言及して、「憲法99条は法的義務」であって、「逆立ちしても、道徳的要請と読んではいけない」(『数学書として憲法を読む』、秋葉忠利著、法政大学出版局、2019年、p122)と結論している。

 第九九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(日本国憲法)

2023年3月29日水曜日

同じ絵を繰り返し描くということ

  画家が同じ対象を何度も描いていることが気になっていた。ゴッホは多くの自画像を描いているし、モネは、多くの睡蓮を描いたことで有名である。画家のマティスも画家が同じような絵を何枚も描くことが気になったのだろうか。司修さんのエッセイ「セザンヌのアトリエ」(『一枚の絵』、2012年1月)に、『マティス 画家のノート』(マティス著、二見史郎訳、みすず書房、2018年)からの引用が次のように紹介されていた。

「古典画家がいつも同じ絵を、それもたえず違ったやり方で描き直すことに注意してください。ある時期以後セザンヌはしきりに《水浴の女たち》という同じ絵を描いています。エクスの巨匠はたえず同じ絵を繰り返し描くのだけれども、われわれはこの上ない興味をもって新しいセザンヌを眺めるではありませんか」

 この事例をわが身に置き換えたとき、ゴッホにとっての《自画像》、セザンヌにとっての《水浴の女たち》に相当するテーマはなんだろう。そう考えたとき、憲法三原則の不可分性に関する論文が思い出される。これまで二つの論文を書いたが、まだ書き足りないところがあるからだ。
 マティスは「違ったやり方で描き直す」と言っているが、「別な側面から描き直す(書き直す)」ということもできる。そうすることで、対象に対する新しい発見があるのかもしれない。そんな予感がする。だからこそ、同じテーマについて私も、何度も書くことを厭わないで挑戦してみたい。

2023年3月28日火曜日

ポール・サルトルの発見

 ポール・サルトルの名前だけは知っていたが、その人となりを知ることはなかった。当然、彼の仕事ぶりも知らなかった。この度、「歴史に反逆する武器・水素爆弾」という論文を読み、彼の思想性に惚れ込んでしまった。ポール・サルトルの発見である。たとえば、次のように、抑圧する側の少数者を告発し、抑圧される側の諸国民の利益を擁護する、という具合に思想の立脚点を明確にして論じている点である。

 暴力は常に抽象的である。それは、事物の自然の進行、その正常な発展、その相互関係、その組織を無視し、力づくでこれに変革を加え、いっさいをめちやくちやにしようとしている。この意味において、原子兵器は、暴力のもっともむきだしの姿である、それは、戦争を抽象中のもっとも抽象的なものたらしめる。正にそれだからこそ、原子爆弾は、今日、抑圧する少数者にとって都合のいい唯一の武器となっているのである。原子爆弾がなければ、彼らの任務は不可能であろう。何故ならば、彼らにとって大切なことは、諸国民の利益に反して、人々の間に、国の内部に、抽象的な障壁を維持し、歴史と経済の必要に反して支配することだからである。「歴史に反逆する武器・水素爆弾」(『世界』、1954年9月号、p31)

 しかし、「暴力は常に抽象的である」という言葉の意味がわからない。原子兵器は「戦争を抽象中のもっとも抽象的なものたらしめる」という意味もわからない。宿題である。

2023年3月27日月曜日

産業イデオロギーの巨大な渦

 戦争の背後にある力として、産軍複合体の存在を問題視し、ここでも何度かと仕上げてきた。しかし、この資本主義社会に働いている大きな力を適当に表現する言葉が見当たらなかった。産軍複合体は軍事産業に限った言葉で、資本主義社会に働いている大きな力は軍事産業に限らない。原発などのエネルギー産業など、多方面にわたって「資本主義社会に働いている大きな力」が働いているからだ。
 その「資本主義社会に働いている大きな力」を、「産業イデオロギーの巨大な渦」と表現し、日本人は「産業イデオロギーの巨大な渦の中に巻き込まれている」と述べている文章にであった。日本の原発産業について述べられたことだが、国籍や特定の産業に限らない普遍性のある言葉である。この巨大な渦の正体を明らかにしていくことが、当面の課題なのかもしれない。
中沢 産業イデオロギーの巨大な渦の中に日本人は巻き込まれ、原発の開発をやみくもに推進してきました。原発の意味も自由経済の意味も棚上げして走ってきた。そして、福島の事故にまでたどり着いてしまいました。(『大津波と原発』、内田樹・中沢新一・平川克美著、朝日新聞出版、2011年、p61)

2023年3月26日日曜日

素人が造る原発

 恐ろしくて背筋が寒くなるような、元原発労働者(被曝してがんになってしまい、死ぬ前に原発の真実を話しておこうと思い、手記をネットに公開している。それを読むと、原発推進者たちの罪の重さを実感してしまう)を読んだ。たとえば、こんな話が載っている。
 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。(iam-k.com
 話は、もっと恐ろしい話が続くが、次に示すように、アメリカにおいて「原発の時代は終わり」という認識に至った時もあったことを知った。しかし、そうした認識が続くとは思えない。アメリカにおける原発が半減したかどうか。どうしても確かめたい。予想は、現状維持で、減っても1%以下であろうと思う。
 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国 のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年 までに原発を半分にすると発表しました。それに、 プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。 あんなに怖い物、研究さえ止めました。(iam-k.com

2023年3月25日土曜日

過去を否認するものは!

 ヴァイツゼッカー大統領演説で有名な言葉は、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」である。しかし、この言葉には続きがあって、「非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」と続く。よく読むと、一般に知られている前段の言葉よりも、、後段の言葉の方が重要であろう。このことは、似たようなヴァイツゼッカー大統領の言葉「過去を否認するものは、その過去を反復してしまう危険にさらされているのであります」(『《荒れ野の40年》以後』、宮田光雄著、岩波書店、2005年、p48)を知るとよりはっきりする。なぜか。
 この場合の過去は、歴史の負の遺産のことを指している。ナチスドイツによるアウシュビッツの悲劇や、日本軍による南京虐殺、あるいは太平洋戦争における多くの悲劇などがそうである。こうした過去を心に刻んでおれば、2度と同じ過ちは起こすまいという意志が生まれる。しかし、そうしたことはなかったことにしたり、忘れてしまえば、同じ過ちを起こし易くなってしまうということだ。
 ヴァイツゼッカー大統領は、だからこそ、過去の負の遺産をしっかり心に刻むことの大切で合うことを次のように述べている。
「われわれは、独裁制を、戦争を、不法国家を、ほとんど他の民族が経験しないであろうような仕方で経験したのであります。多くの明暗の章をもつわれわれの歴史の遺産の中でも、これは、とくに重い意味をもつ一章となりました。しかし、これをなおいっそうよく理解し、いっそう明瞭に記憶にとどめ、そのもたらした結果にたいする責任をいっそう明確に担おうとするならば、この過去からわれわれのアイデンティティの危機が生じるということは、それだけ少なくなるでしょう。それどころか、われわれは、いっそうよく自分自身とまた隣人たちにとりましても理解されるようになるのであります。」(上同、p34)
 日本も、同じような体験をしている。ゆえに、日本における「独裁制を、戦争を、不法国家を」わかり易くとらえ直すことが必要である。色々語られているが、膨大であったり、わかりにくかったりして、伝承されているか心許ないからだ。これからの一つの課題である。

2023年3月24日金曜日

アルプスの山のような

 1984年9月26日、旅行で行った上高地の自然に感動して書いた詩を手直しした詩である。こんな詩を書いていたことなど忘れていたが、アプリの古いファイルに紛れていたのである。
 最近読んだ本にあった言葉「人間は労働によって自己の周囲に宇宙をつくりだす(中略)自分の眼のまえに、全世界を、全生命を所有していることを忘れてはならない」が、”どういうことだろう”と気になっていた。しかし、「アルプスの山のような」を読んで、”宇宙、そして全世界”を自分なりに把握することを言っているのかもしれないと理解することができた。

おお
アルプスの山々よ

この雄大さは、
何と心を落ちつかせるのだろう。

人間の心も同じかも知れない。
大きな心、凛としてそびえ立つ雄大な心が、
きっと人間の心を落ちつかせるだろう。

どうすれば
このアルプスの山のような
雄大な心になれるのだろうか。

一つ思うことがある。

大きな、大きな自然の流れ(歴史)
大きな、大きな社会の流れ(歴史)
大きな、大きな人間の流れ(歴史)

これらを良く知って、
その限りなき大きな、
歴史の一員として自覚ができ、
大きな歴史の音が聞こえるようになったとき、

人間は、
このアルプスの山のような
雄大な心になれるのだ、と。

2023年3月23日木曜日

初起は易く、収結は難し

 有名な言葉として知っていた「老いて学べば、則ち死して朽ちず」は論語の一節と思っていたら、佐藤一斎著『言志晩録』の第60条にある言葉だった。ここでは、「学び」というものは一生にわたって大事であることが述べられ、「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り/壮にして学べば、則ち老いて衰えず/老いて学べば、則ち死して朽ちず」と続く。
 この言葉は、すでに身についているが、身につまされた言葉があった。「凡そ事、初起は易く、収結は難し/一技一芸に於いても、亦然り」である。やりかけのものが結構あって、「初起は易く、収結は難し」が心に響いたのである。
 佐藤一斎著『言志四録』は知っていたが、『言志晩録』や『言志耋(てつ)録』というのもあることを『小学生のための言志四録』で知った。そのうち、それらを読んでみたいと思っている。

2023年3月22日水曜日

憲法9条こそ希望である

「戦争にそなえれば、必ず戦争になる」というハクスレ-の言葉がある。だからこそ、戦争を避けるには、カントが書いているように『常備軍はいずれは全廃すべき」なのである。この目標は、日本国憲法第九条そのものである。
 こうしている間にも、ウクライナではミサイル攻撃に怯えて暮らさなくてはならない。このような現実を前にして、「防衛費増額もやむを得ない」という声が聞こえてくる。しかし、たとえ防衛のため、とはいえ、常備軍の拡張に変わりはない。そして、「戦争にそなえれば、必ず戦争になる」というのも真実である。
 そう考えると、この国を守るためには、九条を守り、広げていくのが最善策といえよう。作家の阿刀田高さんに言わせると、「 憲法9条は 人類が到達すべき究極の理想」であり、「憲法9条を守れば平和は可能なのに、人間はなんてバカなこと(改憲の動きに対して)をするんだろう。でも、私は今の平和憲法に一縷(いちる)の希望を託したい」(『赤旗日曜版』、2023年3月19日)。「憲法9条こそ希望である」ことを語り続けたいものである。

2023年3月21日火曜日

リンクワードという言葉

 リンクワードという言葉を『松岡正剛千夜千冊・3』で初めて知った。ウイルソン。ボール著『あいづち・つなぎ語辞典』を紹介した文章の中に出てきたものである。「リンクワードがなくなると、話はたいていは実も蓋も、味も素っ気もなくなっていくもの」で、話の潤滑油のようなものだ次のように解説されていた。
 日本語のリンクワードについては、あまり研究されていないようで、松岡正剛著『知の編集工学』『知の編集術』が、少し取り上げているという。いずれにしても、接続詞としてのandやbutくらいしか知らなかったが、もっと豊かな「つなぎ語」という重要な言葉があることを知った
『松岡正剛千夜千冊・3』には、もっともっと私の知らない宝が隠れているかもしれない。

 もっとも「ようするに」「手短かに」と言いながらちっとも「要する」ではなくてかえって長かったり、「それって逆に言うとね」とは言いながらまったく逆の意味を喋っていなかったりしているのだが、では、そういうリンクワードがなくなると、話はたいていは実も蓋も、味も素っ気もなくなっていくものなのだ。潤滑油といえば潤滑油、ノリとハサミといえばノリやハサミや糊代なのだが、そういうことを意識しないでつかっていながら、そこに重大なニュアンスが滲み出ているというのが「あいづち・つなぎ」の魔法なのだ。
 本書はそのリンクワードだけの辞書である。ただし英語のリンクワードだけ。ともかくいっぱい載っている。日本語ばかりが曖昧だったのではなかったのである。英語社会にも「いわゆるひとつの長嶋チョーさん主義」がいかに多いかということだ。
 たとえば、by the way(ところで)、in any case(いずれにしても) 、come to that(そういえば)、 incidentally(それでちなみに)、 or rather(というより、むしろ)、as it were(まあ、いわば)、somehow(なぜか)、indeed(まったく)、 even then(たとえそうでも)⋯⋯といった言いかただ。(『松岡正剛千夜千冊・3』、p19)

2023年3月20日月曜日

民主化の嵐を起こそう

 小林多喜二への拷問や虐殺に代表される「日本における天皇制国家の横暴ぶり」には怒りを覚えるが、戦後70年、そのような野蛮な仕打ちは無くなっている。そのこと一つとっても、歴史の進歩を実感するし、戦後民主主義は確実に存在し、命脈を保ってきているといえる。だから、<実は存在しなかった「戦後民主主義」>(『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』、内田樹・姜尚中著、集英社、2016年、p182)といった議論は、民主主義を知らない人の議論である。
 それはさておき、目を世界に向けると、日本における戦前のような野蛮が存在している。雑誌『世界』に連載されていたアムネスティ通信が、その実態の一端を紹介している。アムネスティ通信7を紹介するが、「中南米、南米では、こうした失踪のケースが極めて多い。その多くは、拷問と超法規的処刑の犠牲者となる」という。こうした事態をなくしていくためにも、日本における民主化というものをもっと進めていく必要があると思った。そして、民主化の嵐を起こせるようになりたいものである。
 三六歳の小学校教師。同時に「殺人部隊」によるたびたびの失踪事件が起きているサンカルロス大学で法律を専攻する学生でもあった。
 一九八四年三月九日、彼は生徒たちの前で、重武装した私服の男たちによって連れ去られた。子供たちは「先生を連れていかないで!」と叫んだが、武装した男たちを止めることはできなかった。その日以来、彼の消息はまったくわかっていない。政府はこの件について何も調査を行っていない。また「殺人部隊」については、手の下しようがないというコメントを繰り返すだけである。
 グァテマラ及び中南米、南米では、こうした失踪のケースが極めて多い。その多くは、拷問と超法規的処刑の犠牲者となる。アムネスティは、こうした人権侵害のほとんどに軍隊及び政府が関係しているとの結論に達している。(『世界』、1986年10月、p67)

2023年3月19日日曜日

米国の罠に落ちる日本

 食料自給率の低さについては何度も言及してきたが、『文藝春秋』(2023年4月)を読むかでは、強かな米国の食糧戦略までは知らなかった。鈴木宣弘氏に言わせると、なんと、米高官が「日本を脅迫するなら食料輸出を止めればいい」と発言していたというのだ。その上、「もはや日本人の胃袋はアメリカに握られていると言っても過言ではない」らしい。全く情けない。このような背景があるから、卑屈なまでに米国の言いなりなのだろうか。
 鈴木宣弘氏の著書を調べて興味ある著書を見つけた。次の二冊である。
1、『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』、鈴木宣弘著、文藝春秋、2013年:遺伝子組換え作物が在来作物を駆逐し、ごく少数の多国籍企業が種子の命運を一手に握る。金の論理で「食」をコントロールするアメリカの狡猾な戦略を前に、無策の日本はどうすべきか。危機の本質と処方箋を考える。
2、『農業消滅 農政の失敗がまねく国家存亡の危機』、鈴木宣弘著、平凡社新書、2021年:食と農を犠牲にした貿易の自由化、種子法廃止・種苗法改定…。“農業消滅”が現実のものになろうとしている日本で、食の安全保障を確立することができるのか。農政の実態を明らかにし、未来を守るための展望を記す。

 日本はアメリカから早い段階で大豆やトウモロコシの実質的な関税撤廃を受け入れさせられ、小麦も輸入数量割当制は形式的に維持しつつも、大量の輸入を決めたことで、伝統的な穀物生産は壊滅してしまった。その結果、現在、小麦は八四%、大豆は九四%、トウモロコシは一〇〇%に達するほど輸入依存度が高まったのである。一九七三年、アメリカのバッツ農務長官は「日本を脅迫するなら食料輸出を止めればいい」と豪語したほどで、もはや日本人の胃袋はアメリカに握られていると言っても過言ではない。
「食料は武器より安い武器」と考えたアメリカの戦略は実に巧みだった。日本人の胃袋に小麦を押し込むため、主食のコメを問題視する激しいプロパガンダすらも行ってきたのだ。いわゆる「洋食推進運動」である。(鈴木宣弘著「日本の食が危ない!」『文藝春秋』、2023年4月号、p102)

2023年3月18日土曜日

戦争に備えれば必ず戦争になる

 また、素晴らしい文学者であり、思想家に出会った。『ハクスレ-の集中講義』(オ-ルダス・ハクスレ-著 、人文書院、1983年)の著者ハクスレ-である。私を虜にした彼の言葉は「死への準備でしかない戦争への準備」(p 98)であり、だからこそ、「戦争にそなえれば、必ず戦争になり」、「現在の軍事拡大競争がそれ以外の結果になるという特別な理由も見当たらない」(p97)という言葉である。
 今行われているロシアにおけるウクライナへの侵略戦争について、プーチンだけが悪者にされているが、これまでの、止むことなく軍備が拡大されてきたわけだから、「戦争にそなえれば、必ず戦争になる」というハクスレ-の言葉を証明しているようなものである。つまり、防衛という名の「戦争への備え」が、「死への準備でしかない戦争への準備」が、プーチンを生み出したのである。
 ここで大切なことは、常備軍の存在が、防衛のためとは名ばかりで、「死への準備でしかない戦争への準備」そのものであること。常備軍の存在に、結果として戦争を引き寄せてしまう「悪魔の引力」があることである。

2023年3月17日金曜日

未知を追うほど若返り

「狩人や未知を追うほど若返り」は、『人生の究極』という本で見つけた作家・森村誠一さんの言葉である。その本に、「無限の可能性が犇(ひし)めく人生。その、無限の可能性は、何もしなければ無限に何もないのと同じである」。(p255)そして、「可能性のない人生は、冬の夜、冷めていく風呂から出られなくなったようなもの」(p262)とあった。
 人生70にもなれば、先は見えている。しかし、考えようによっては、シニア世代にも無限の可能性があって、それらが犇めきあっていると言える。例えば、斎藤幸平さんの資本論について、あるいは、ローマ人物語についての知的好奇心を抱いているが、これこそ未知を追う狩人である。
シニア世代でも、未知を追う狩人になることができるし、なるべきである。未知を追い続けるほど若返ることにもなるからだ。
 また、「明日は我々のものだ」は若者(だけ)の言葉はなく、「シニアの標語である」(P263)という言葉が示すように、シニアだからこそ、明るい明日を信じ、未知を追う狩人のような生き方が大切なのである。今日よりは明日、明日よりは明後日、と前進していきたいものである。

2023年3月16日木曜日

面白い時代にする

「何が本当か分からない面白い時代」という話を聞いた。今までは、不透明な社会、とか、閉塞感が漂っている、と言われ、良い印象ではなかった。それだけに、新しい視点に目の前が明るくなってきた。
 学校の勉強も同じで、初めは分からないことがあると嫌になったりしていた。しかし、分からないことがあれば分かる楽しみもある。分からないところがあるから、分かりたいという欲求も生まれる。社会についても、勉強についても、「無知の知」が重要だ、ということである。
 では、どうすれば面白く生きられるか、であり、逆に乞えば、なぜ閉塞感を感じてしまうかである。それは、分からない対象がはっきりしないから、閉塞感を感じてしまうのであり、分からない対象を明確にすれば、その分からないことを楽しんでいける、ということである。要は、面白い時代にすればよいということなのだ。
『ローマ人物語』という長編の書物に興味を持つようになったが、これも、ローマにおける助走というもののをよく知りたいという知の対象が明確になったということでもある。日本史に通じるっ話、日本史に応用できる物語を知りたいということである。

2023年3月15日水曜日

徳川時代という歴史の助走

 有名な言葉「ローマは一日にしてならず」は知っていたが、その内実は知らなかった。『ローマ人物語』によると、「ザマの戦闘よりは五百年以上も昔にさかのぼらねばならない、長い助走の歳月をもっていた。五十数年でなく、五百数十年である。ローマはやはり、一日では成らなかった」という。しかも、紀元前の五百年である。
 ローマが一日では成らなかったのは「青少年期になされた蓄積が、三十にして立ったときにはじめて真価を問われるのに似て」とも書かれていた。この事実は、より良い老後のために、若き日の一日一日の蓄積が大切なことを教えてくれている。つまり、読書の楽しみ、勉強の楽しみなど、充実した時間を蓄積していくことである。
 また、歴史における助走といえば、日本史における戦後70年の平和というものにも助走というものを考えることができる。徳川時代の平和である。この長い平和は、世界の趨勢に流され逆流はしたものの、戦後に復活して現在に至っていると考えられる。つまり、徳川時代の助走があったから、戦後の平和というものがこれまで続いているのである。これはあくまでも『ローマ人物語』をヒントに生まれた妄想かもしれないが、楽しい妄想でもある。
 きっかけの論理というのがある。一時興味を持って、忘れていた『ローマ人物語』への興味が、また復活してきた。これがきっかけの論理というものかもしれない。また、ローマの長い歴史のロマンを学んでみたい。そして、日本史を考えてみたい。

2023年3月14日火曜日

永遠平和は使命である

  カントの『永遠平和のために』は、何度読んでも素晴らしい。この本のエキスが『迷子の日本国憲法』(森村誠一編著、徳間書店、2014年)に紹介されていた。

常備軍はいずれ、
いっさい廃棄されるべきである。
  *
いかなる国も、よその国の
体制や政治に、武力でもって
干渉してはならない。
  *
永遠平和は、空虚な理念ではなく、
われわれに課せられた使命である。(『迷子の日本国憲法』、p98)
 ここに示された「永遠平和は、われわれに課せられた使命である」と自覚することで、背筋がピンとなってした感じがする。夢とか理想という言葉も使ってきたが、我がことととらえる使命こそが、永遠平和にふさわしい言葉である。

2023年3月13日月曜日

法に敬意を払うのが「法治国家」

 憲法改正論者の根拠の一つが「憲法が現実と乖離しているから」というもので、だから「憲法を変えて現実に合わせる必要がある」というのだ。この論法に対し、「現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人(ぬすっと)が刑法が自分の活動に差し障ると言うのに等しい」と、わかりやすい譬え話を用いた次のような批判を見つけた。

 もし現実の世界情勢に憲法を合わせるのなら、憲法はもはや法としての威信を失うだろう。憲法はそもそも、政治家の行動に根拠を与えるという目的で制定されているわけではない。変転する現実の中で、政治家が臆断に流されて危ない橋を渡るのを防ぐための足かせとして制定されているのである。当の政治家が、これを現実に合わぬと言って批判するのはそもそも、盗人が刑法が自分の活動に差し障ると言うのに等しい。
 現実に「法」を合わせるのではなく、「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠であり、その限りでは、「法」に敬意を払われない社会の中では、「法」はいつでも「理想論」なのである。(平川克美著『朝日新聞』、2007年1月13日)

 よく「法治国家」と言われることがある。法に基づく国家のことだが、引用の言葉から初めて、「法治国家」というもののイメージを掴むことができた。<「法」に現実を合わせるというのが、法制定の根拠>なのだから、<「法」に敬意を払われている>国家こそが「法治国家」だったのである。それなのに、<現実に合わせて「法」を変えたい>というのは、「法」に敬意が払われていない証拠であろう。それは、明らかに「法治国家」からの逸脱である。

2023年3月12日日曜日

今なぜ目録か『岩波新書解説総目録』

「いま、なぜ目録か(ネットで検索できるのに)」という書評で、『岩波新書解説総目録 1938-2019』(岩波新書編集部編、岩波書店、2020年)の存在を知った。1938年の創刊以来、3400点あまり刊行されてきた岩波新書の歩みをたどる総目録で、2019年12月までに刊行された全書目の書名・著訳編者名を刊行順に網羅し、その内容解説文が掲載されているという。書評でなるほどと思ったのは、目録を読むということは、本屋さんや図書館の書棚に並べられた本を物色するようなもの、ということだ。
 たとえば、「書棚には、限られた空間に本が並べられている。こう言えばたいしたこともないようだが、これがうれしくありがたい。書棚の前に立つと、自分では思いつかない本が目に入る。そこには発見と驚きがある」(山本貴光著『群像』、2020年9月、p532)。そこは「未知との遭遇のための空間だからだ。目録にもこれと似た効果がある」(p533)という。図書館が好きでよく行くが、書棚の前での発見と驚きはよくわかる。
 最近手にした『松岡正剛千夜千冊』は千ページもある分厚い本だ。それが何巻も出版されている。この本も、考えようによっては、松岡正剛によって分類された書棚が出版されたようなものと言える。だから、その中から一冊でも気に入った本が見つかればいい。そんな読み方だできる本である。

2023年3月11日土曜日

戦争が起こっらおしまい

 YouTubeで、池上彰さんと三輪明宏さんの対談(https://www.youtube.com/watch?v=XudjKl5RWAwがあった。北朝鮮や中国などの脅威論に対し、三輪さんが「パフォーマンスにすぎない。本気に日本を攻めようとしたら、原発を攻撃すればいい。それで日本は一千年住めなくなってしまう。戦争なんてちゃんちゃらおかしい」と言っていたのが印象的だった。それに対し池上さんは、「戦争が起こったらおしまい」と応えていた。この認識を、もっと常識のレベルまで広め合いたいものである。

 さらに、軍事産業の存在にも言及しており、我が意を得た思いである。軍事産業にとって、「戦争が起きないと、商品が消耗しない」。だから、戦争を期待するところがある。そこが問題なのだ。この経済原理も、是非とも常識のレベルまで広がって欲しいものである。




2023年3月10日金曜日

憲法評価の高まり

 安倍政権は、やりたい放題という感じで、森友問題を筆頭に、さまざまな汚点を残してくれた。しかし、一点だけ彼の功績がある。結果的に、憲法の評価を高めてくれてことだ。たとえば宇野重規さんは、エッセー「憲法評価の高まり」で「国民世論ははっきりと憲法維持を支持しているようだ」と次のように書いている。

 今夏の参院選で憲法改正は争点となるのだろうか。安倍晋三首相が改憲への志向を強めるなか、興味深いデータがある。新聞各社は憲法の日を前に毎年世論調査を行っているが、その結果を見ると、明らかに「異変」が起きているのである。
 共同通信社が四月の二十九、三十日に行った全国電話調査によれば、安倍首相の下での改憲に「反対」が五六・五%、「賛成」が三三・四%と、反対が大幅に上回っている。首相の意図にもかかわらず、国民世論ははっきりと憲法維持を支持しているようだ。
「安倍首相の下で」という条件を外してみても「変える必要がない」が「改正すべきだ」より高い数値を示している調査が目立つ。中には調査開始以来初めて「現在のままでいい」が五割を超えたという報道をしている新聞社もある。 2016.05.15 (『民主主義を信じる』、宇野重規著 、青土社、2021年、p27)

 他のデータを知りたいと朝日新聞の記事を調べてみたら、朝日新聞は、1983年からのデータをグラフで示してくれていた。記事では次のように詳しい調査結果の報道があった。これらのデータは、国民が真実を、憲法の真実を知れば、必ずや憲法の素晴らしさを認めるであろうことを示していると思う。

 5月3日の憲法記念日を前に、朝日新聞社は憲法を中心に全国世論調査(郵送)を実施した。安倍政権のもとで憲法改正を実現することに「反対」は58%(昨年調査では50%)、「賛成」は30%(同38%)で、昨年調査よりも「反対」が増え、「賛成」が減った。安倍晋三首相が昨年の憲法記念日に打ち出した9条1項、2項を維持して自衛隊の存在を明記する改正案には、「反対」53%が「賛成」39%を上回った。(朝日新聞デジタル、2018年5月1日 )

2023年3月9日木曜日

権力の構造

 朝日新聞の連載コラム「折々のことば」(鷲田清一著、2023年3月9日)で、むのたけじさんの言葉「大きく見える問題に直面したら、形の大きさにおびえるな。そこにある小さいもの、弱いもの、薄いもの、軽いものに注目せよ」を取り上げていた。ここで言うところ「大きく見える問題」ってどんな問題なのだろうと初めは想像もできなかった。
 しかし、怯える対象となれば、権力も”そう”である。多くのものが怯えて平伏し、従うからこそ、権力は強大になっていく。この権力の構造はピラミット化し、中間層の権力者は、下層の
には権力者として振る舞いながら、上層の者に対しては平伏し、従ってしまう。むのたけじさんは、そんな権力の構造を批判しているに違いない。そう思えるようになった。
 このコラムの最後に、鷲田清一さんの名言「武器を持つ人が一人もいなければ戦争だって起こりようがない」が登場する。鷲田清一さんにとっての「大きく見える問題」は、ロシアによるウクライナへの侵略戦争なのかもしれない。だからこそこの名言には、誰もが望んでいる”この戦争終結のヒント”が暗示されているように、私には思える。

2023年3月8日水曜日

吉宗のスーパー業績

 NHKBS放送「英雄たちの選択 “好奇心将軍”徳川吉宗が挑んだ日本再生」を観た。数々の改革を成し遂げた名将軍らしい、とその功績に驚き、吉宗に対する印象が一変してしまった。吉宗といえば「生類憐みの令」の将軍というイメージで、あまり良い印象を持っていなかったからだ。
 実際は、「薬草」を求めて、自ら選び抜いたメンバーを人里離れた山や谷へと送り、日本中を徹底調査をして70種以上の薬草を見つけ出したり、困難極めた朝鮮人参の栽培を実現させたりしたのだが、その過程で、さまざまなその過程で、さまざまな言葉も発明していたことが印象的だった。薬草を求めて人里離れた山や谷へと送り出されたメンバーを「採薬使」と呼んだり、栽培に成功した朝鮮人参の栽培を募り、希望者に朝鮮人参の種を販売したわけだが、そうして朝鮮人参を栽培した人たちを「参作人」と呼んだりしている。ここことから、新しい改革には、新しい言葉の発明も伴うものであることを実感させてもらうことができた。
 また、吉宗は、オランダ人に質問して外国のことを知ろうとしたが、さらに、禁止されていた漢訳洋書の輸入を認め、積極的に外国の知識の吸収に努めたらしい。その際、イエスかノウの二項対立思考でない論理、つまり、キリスト教に関係ない科学書などの漢訳洋書の輸入ならいいだろうという論理を用いたというのも面白かった。
 その他、磯田道史さんが吉宗のやったことを、物や人を「集める、知る、選ぶ、活かす」の四段活用とまとめていたこと(採薬使、薬草、めやす箱など)、具体的には理解できなかったが荒俣宏が日本におけるルネッサンスだったといったことが印象的だった。いずれにしても、吉宗の成し遂げたことの数々は「スーパー業績」と言ってもいいのではないだろうか。

2023年3月7日火曜日

文章を寝かせる効果

 味噌、醤油、酒などを仕込んで熟成させることを「寝かせる」という。文章も、すっきりしなくて、どのような表現が良いか分からないときにも、その文章を「寝かせる」といいらしい、と分かってはいても、実感としては分っていなかった。しかし、今回「文章を寝かせること」の重要性を実感する機会があった。
 実は、「私は死刑に処せられる身として、今、東京監獄の一室に拘禁されています」「私は、本当にこの死刑に処せられようとしているのです」という
幸徳秋水の文章の「処せられる」という言葉が漢文調で気になっていた。だから、何ヶ月もこの文書ファイルを開くことはなかった。実質「寝かせていた」ことになる。
 今回、久しぶりにファイルを開いて校正して見た。その結果は、「私は今、死刑囚として東京監獄の一室に拘禁されています」「私は本当に近々死刑になってしまうのです」と満足できる表現になった。
 これまで作ってきた、いくつもの未完の文書ファイルがある。それらは十分寝かせたことになる。これを機会に、それらのファイルを校正する作業をして見ようと思った。その際は、満足できる表現にこだわりたい。

2023年3月6日月曜日

真の国防、安全保障

 恐ろしい現実を告発した『世界で最初に飢えるのは日本』(鈴木宣弘著、講談社、2022年)という本の書評を読んだ。書評で初めて知ったことだが餌や肥料の材料等の輸入も加味した「実質自給率」というものがあって、それがなんと、「コメ11%、野菜4%、豚肉1%⋯⋯」(『赤旗日曜版』、2023年2月19日号)だという。これでは、「日本が世界で最初に飢えてしまう」というのも頷ける話である。書評では最後に、

 背景には「今だけ、カネだけ、自分だけ」の米国いいなりの政治があると指摘。自国の食糧・農業を守ることこそ、真の国防、安全保障だと訴えます。

 と紹介していた。しかし、「米国いいなりの政治」が問題なのは当然として、資本主義社会を貫いている商品の運動法則という根本的な問いにも言及すべきである(この点は直接本を読んで確かめるべきことだが)。とはいえ、「実質自給率」のこの低さは異常であろう。この現実に、もっと目を向けるべきである。

2023年3月5日日曜日

新しい憲法明るい生活

 日本国憲法ができた頃、国をあげて理想に燃えていたようで、当時の文書が雄弁に物語っている。そうした文書の一つが憲法普及会編の『新しい憲法明るい生活』である。この本の巻頭言でもある「新しい日本のために」という発刊のことばが素晴らしい。ここに書かれていることをよく理解し、その実行に励むならば、確かに未来は明るい。
 人にも、そして国にも、理想が必要である。理想に向かっていく道筋が必要である。これら二つが簡潔に述べられている。「平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きげてゆかなければならない」のだ。
 しかし、だいぶ進路がずれてしまった。でもまだ大丈夫。初心に帰り、「人類の高い理想」に向かっていくこと。それ以外に日本再生に道はない。

新しい日本のために――発刊のことば
 古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した。生れかわつた日本には新しい国の歩み方と明るい幸福な生活の標準とがなくてはならない。これを定めたものが新憲法である。
 日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもって世界の諸国と交りをあつくすること。
 新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生きがいのある生活をいとなむための根本精神でもある。まことに新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであって、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。
 わが国が生れかわってよい国となるには、ぜひとも新憲法がわれわれの血となり、肉となるように、その精神をいかしてゆかなければならない。実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎないのである。
 新憲法が大たん率直に「われわれはもう戰争をしない」と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであって、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きげてゆかなければならない。
 新憲法の施行に際し、本会がとの冊子を刊行したのもこの主旨からである。
  昭和二十二年五月三日 憲法普及会会長芦田均

2023年3月4日土曜日

構造体としての日本国憲法

 日本国憲法の思想を体現しているような本『非武装国民抵抗の思想』(宮田光雄著、岩波新書、1976年)のはじめに、南原繁 の言葉が掲げられていた。「いま世界が必要とするものは、核実験ではなく、人類の理性と良心の実験でなければならぬ。われわれの良心と理性が麻痺するならば、核戦争によって人類が滅びる前に、すでに人間としての存立を喪失したのも同然である。――南原繁『日本の理想』――」という言葉だ。この言葉は、「明確な目的地と方向性を示した『旗』としての言葉」(『「言葉にできる」は武器になる。』、梅田悟司著、日本経済新聞出版社、2016年、p190)そのものである。
 そういえば、日本国憲法前文も、目的地と方向性を示した文書である。目的地は明らかに世界の平和であり、方向性が憲法の三原則であろう。そして、前文で明らかにした方向性に従って、本文の各条項が定められている。つまり日本国憲法は、前文と本文が一体となった一つの構造体なのである。それゆえに、一本の柱でも変えられると、構造体に歪みが生じ、目的地にたどり着くことが不可能になってしまう。だからこそ、憲法の改定は難しいのである。
 逆に考えると、日本国憲法が「前文と本文が一体となった”しっかりとした”一つの構造体」だからこそ、七十数年にわたって命脈を保ってきたと言えるのではないだろうか。困難な時こそ初心に帰ることが大切である。あらためて、憲法の初心に立ち返り、日本国憲法という構造体の補強なりメンテナンスが必要なのかもしれない。

2023年3月3日金曜日

「束ね法案」の罪

 雑誌『群像』の書評欄で武田砂鉄著『わかりやすさの罪』を知った。分かりやすいのはいいはずなのに、 「わかりやすさの罪」とは、どういうことなのだろう。そう思って、書評を読んでみた。「意図的であれそうでないのであれ、多様で複雑なことがらを十把一絡げにする雑な言説は『物事の深度や多義性』(『わかりやすさの罪』、p83)を深く損なうものだ」(古田徹也著『群像』、2020年12月、p612)という。
 このところを読んで、これだ、と思い出したことがある。安保法案強行採決したとき、多分、安保関連法案として、3文書を十把一絡げにして審議し、採決している。なんと横暴な議論だろうと思っていたら、今度も「政府は、原子力基本法や原子炉等規制法(炉規法)、電気事業法などの改正案を今国会に提出する。これらを『束ね法案』としてまとめて審議する」(朝日新聞、2023年2月28日)という。これこそ、大いなる罪である。
 武田さんが、こうした政府の手法を念頭に『わかりやすさの罪』を書いたかどうかはわからない。しかし、まとめて審議する手法は、効率主義で、民主主義に欠かせない熟議に背を向けるものである。

2023年3月2日木曜日

日本も捨てたもんじゃない

 日本も捨てたもんじゃない、そう思えるようになってきた。優れた思想の持ち主を続け様に見つけたからだ。宮田光雄さん(『非武装国民抵抗の思想』と『現代日本の民主主義 制度をつくる精神』の著者)に続いて、「憲法九条を基に国連で地球憲章の宣言を」と訴えている「9条地球憲章の会」代表の堀尾輝久さんを見つけたのである。
 実はもっと前に、「9条の理念で地球平和憲章を 非戦・非武装・非核・非暴力の世界を目指して」(『子供のしあわせ』、2018年8-9月号)という記事を読んでいたが、あまり聞かない運動だけど、どうなっているのだろう、で終わっていた。しかし、堀尾輝久著『地球時代の平和思想』の書評を読み、優れた思想の持ち主のようだと思い、すでに出版されている本を調べてみた。そして、優れた思想の持ち主らしいと確信できたのである。
 調べた本というのが、『平和・人権・環境教育国際資料集』(堀尾輝久編、青木書店、1998年)、『天皇制国家と教育』(堀尾輝久著、青木書店、1987年)、『教育の段階 誕生から青年期まで』(ドベス著、堀尾輝久訳、岩波書店、1982年)、『教育基本法はどこへ 理想が現実をきり拓く』(堀尾輝久著、有斐閣、1986年)などである。「理想が現実をきり拓く」といった書名が、彼の思想の一端を言い表している。これからの読書が楽しみである。

2023年3月1日水曜日

戦争の終末形式とは?

 図書館で、宮田光雄さんの『非武装国民抵抗の思想』と『現代日本の民主主義 制度をつくる精神』のどちらかを借りようと斜め読みしていたら、その本に藤田省三著『全体主義の時代経験』の図書カードが挟まっていた。書名と著者名に惹かれ、この本も斜め読みしてみた。そして、ウクライナにおける戦闘行為(戦争)に関係する次のような文章に釘付けになり、まずはこの本から、と思って借りてきたのだ。
 戦争の全体主義がなぜ戦争の終末形式であるか、と言えば、それが「皆殺し」の応酬となることによって、戦争行為における「重要度」の選別判断を無視して了ったからである。指揮官と兵卒、参謀本部と現地軍その他等々の重要性の差異を指標として攻撃目標を絞るよりも、「皆殺し」による「大量処理」が主要な戦争行為になった時、元来の戦争―早晩止めることを前提にした「勝負の力技」はその特質を失って、別の性質のものになって了う。「皆殺し」の世界では将軍だろうと兵卒だろうと等しく殺戮の対象として、ブレヒトの言う「一人は一人、交換可能」なのである。(藤田省三著『全体主義の時代経験』 p17)
 何に驚いたか。分かりいただいたかもしれないが、”戦争には終末形式というものがあり、それは全体主義となり、「皆殺しの応酬」となる”という指摘に驚いたのである。この指摘に一定の法則性があるならば、ウクライナにおける破局というものに現実味を帯びてくる。戦況が長引けば、その危険性が増すようにも思える。もっとこの本を研究する必要がありそうだ。なんといっても破局は避けたいからである。