2023年1月31日火曜日

特定秘密保護法への不安

 小説『精鋭』で、「安全運転義務違反」というのがあることを初めて知った。例えば小説の中で、「右折車がいるとする。そこに横断歩道がある。歩行者がいた場合、右折車は、停車してその歩行者が通過するのを待たなければならない」「そのとき、歩行者が車を気にして歩調を弛めたとしたら」、右折車のドライバーは違反になるか、という問題が提起されていた。
 その問題に対して、違反に問われるようなことはないだろうと思ったら、何と、その場合、警察官は安全運転義務違反で「右折車のドライバーに違反切符を切ることができる」というのである。道交法にある歩行者優先の原則によると、「ドライバーは、歩行者の安全を確保する義務がある。歩行者が車を気にして、歩調を弛(ゆる)めるようなことがあってはならない」といい、続けて「警察官は、やろうと思えば犯罪者を作り出すこともできるのだ。極端な話、気に入らないやつがいたら、罪に陥れることもできるということだ」という。
 この所を読んで、すぐに特定秘密保護法を思い浮かんだが、今の法律でこうなのだから、特定秘密保護法が施行されたら、どんなことになってしまうか、と特定秘密保護法への不安が一層強まってきた。細かな条文まで読む人などいないだろうから、多くの国民が知らないうちに犯罪者にされてしまう機会が増えてしまうに違いない、と。
 とは言え、今のところ「特定秘密保護法」がその実力を発揮しするようにはなっていない。日本国憲法が目を光らせているからだ。しかし、憲法が改変されたら、そうはいかない。「特定秘密保護法」は本領を発揮するようになり、国民の自由が脅かされてくるに違いない。そうならないためにも、憲法の改悪をなんとしても阻止していきたい。

2023年1月30日月曜日

夢を抱いて生きる

 常に心の中に三つか四つの「夢の種」を抱いて生きる。小柴昌俊さんの言葉である。夢の種を抱いていても、それを手放しては種の成長が望めない。温め続けることが重要なのである。
 実際に夢を抱いたことがある。医学革新の夢とか本を出版する夢である。憲法に関する新発見ではないかと夢躍らせたこともある。いずれも手放したに等しい。
しかし、「義務によって、また良識によって世間なみの正直さというものによって、あなたが発見したことはどんなことでも、人類、とくに同じ国の人々にたいして、知らせなければならない」(『科学する人々への訴え』、p13)という1821年に書かれた訴えを読んで、再び夢の種を抱き直し、それを実らせたいと思うようになった。
 何歳になろうとも、始めるのに遅いということはない、と言われている。初心に帰って夢を持つのもた楽しいかもしれない。葛飾北斎などの芸術家の生きざまに感動するのは、死ぬまで納得できる作品を追い求め、長寿も達成しているからだ。芸術家の生きざまに学んで、死ぬまで夢を追い求める人生を全うしたいものである。

2023年1月29日日曜日

数学の勉強を再開

 最近、前に書いたものを読み返しているが、やりかけて途中で辞めてしまっていることが結構あることに気づいた。次の文章にあるように、30年も前に、「通読しようと思って、『微分と積分』(能代清著、東海書房、昭和20年)を読み始めた」にもかかわらず、読み始めたことさえ忘れていた。もちろん、読み通してなどいない。少しずつでも読み進めていれば、今頃何回も読み返していたに違いない。
 これからでも遅くはない。数学の勉強も再開してみたい。もちろん当面の目睫は、百頁に満たない小冊子の『微分と積分』(能代清著、東海書房、昭和20年)を読み切ることにおきたい。
数学史と数学概論
 通読しようと思って、『微分と積分』(能代清著、東海書房、昭和20年)を読み始めた。この本は、小冊子でありながら、数の解説から始まっていた。ところが、この解説が新鮮だったのか、自然数とか、有理数、無理数の関係が、初めて分かったという感触だった。古書なのに新鮮だった訳だが、古書だから新鮮だったのかもしれない。ということは、今は、数学史に沿って解説するようなことはしていない、ということになる。
 前に、微分と積分は、その発生の歴史から学ばなければ、よく理解出来ないのではないか、と思ったことがある。『微分と積分』は、こうした考えが的を得ていたことを示している。これからの学習方法は、数学史などを参照しながら、『微分と積分』を通読する方法に進路変更しようと思う。数学史は、数学史として独立した書物になっていることが多く、個々の数学の解説には、あまり活用されていないような気がする。もしそうだとしたら、もったいない話である。
 さらには、数学概論を併読する必要を感じている。『数学感覚をのばす』(岡部恒治著、講談社)を読み始めて感じたことである。あらゆる分野の数学に用いられている「数学の思考過程」というものを学ぶことが、個々の数学を学ぶ際にも重要なウエイトを占めると思ったからである。数学史と同様、数学概論も、個々の数学の解説には、あまり活用されていないかもしれない。この辺は、いずれ、数学の解説書で検証してみよう。2010年09月25日

2023年1月28日土曜日

数ある奇跡に感謝しよう

 小林旭さんも出演した夢コンサートを聴いてきた。小林旭さんの熱唱が一番良かった。どうしてあれだけの声量が、と驚くほどの声量に圧倒されてしまったのである。しかし、誰が歌ったのか忘れてしまったが、「夫婦という奇跡」を歌った歌も良かった。私達がこの世に生を受けたのも奇跡ならば、何十億という人間の中で結ばれた夫婦として、共に生きているのも奇跡に等しい、というである。確かにそうだ。親兄弟と過ごす時間よりも、夫婦として過ごす時間の方があるかに多い。その時間が満ち足りているかどうかは、人生そのものを左右すると言っても過言ではない。
 そういえば、今のところ、数ある惑星の中で地球にだけ生命が誕生したのだから、この世に生命が誕生したことも奇跡の一つだ。また、この度の原発事故の際は、一歩間違えば、東日本が吹っ飛ぶほどの惨事になる可能性があったらしい。そういう意味では、こうして元気に生きていられるのも、一つの奇跡に負うていると言って良い。ややもすると忘れがちな奇跡だが、時には数ある奇跡に感謝するのも大切なのかもしれない。
 数ある奇跡の中でも、夫婦という奇跡は脆い。夫婦としての営みを怠れば、夫婦という奇跡が奇跡でなくなる可能性が絶えず付きまとうからだ。だからこそ、日々、夫婦という奇跡に感謝することが大切なのではないだろうか。具体的には、相手を大切に思い「ありがとう」と口に出して言うことに尽きる。

2023年1月27日金曜日

壮大な人生の目標

 人生人それぞれである。そんな中でも、「ただ漫然と暮らすのではなく、一段上の目標に向けて、志を持って生きる」(『96歳の大学生』、歌川豊國、PHP、p10)。しかも、健康長寿を願い、百歳といった具体的な目標を持って生きることが大切だという。ただし、その場合の願いは、漠然とした願いではなく、強い意志とか意欲であることが必要である。
 更に必要なのが人生設計図である。歌川さんの「家を建てたいと思うだけで、設計図さえないというような人生を送って良いのでしょうか」(p91)という訴えは心に響く。今すぐにでも残された人生を生きるための設計図を作り、その設計図を完成させたいものである。
 人生設計図で大切なことは、大きな目標を持つことは必要でも、具体的な目標は、身近で少し背伸びすれば実現しそうなものにすることである。階段を一歩一歩登るように、具体的な目標を1つ1つクリアして行った方がよい。その過程で、大きな目標も達成できそうだと確信できるようになることが、よほど重要なことなのである。
 考えた末の私の人生の目標は、「原発を廃炉にするまでは死ねない。そして出来れば米軍基地のない日本を見届けてから死にたい」だ。ちょっと考えただけでも、不可能であろうことは目に見えている。しかし、そんな目標もあっていいのではないだろうか。
 そのためにも、健康維持のこと、社会科学の学習のこと、これまでの問題意識をまとめていくことなど、欲張りと思われるほどやりたいことがある。それらを、一歩一歩やっていきたいものである。壮大な人生の目標に向かって!

2023年1月26日木曜日

挑戦なくして成長なし

 忘れていたが、「人間は、様々な障害を乗り越えながら成長していく存在である」という人間についてのすばらしい定義を考えたことがある。人類の前に現れた過酷な障害が、人類を飛躍的に発達させることになったと考えたのである。障害を前に滅びた人たちも増えたが、その一方で知恵を働かせて障害を乗り越えることに成功した人たちだけが生き延びて世界に広がっていった、と。
 それでは、滅びた人と生き残った人との違いは、何だったのか。それは、大切な人の存在があったためか、どうしても生き残りたいと、諦めないで、障害を乗り越えることに集中した人たちが生き残ったということであろう。あれもこれもと散漫になって諦めてしまっては、人類の進歩にも、個人の成長もなかったのではないだろうか。
 人類の進歩の場合は、天変地変による環境の変化が障害となってきた。個人の成長の場合も、天災などの障害というものがある。しかし、自らの意志によって困難な道(障害)を選択して、その障害に立ち向かうことで自らの成長を成し遂げてきたということの方が多いと思う。一言で言うと、それは挑戦である。過酷な山への挑戦、起業や進学、資格試験も、一つの挑戦に変りない。「挑戦なくして成長なし」なのである。さて、何に挑戦しようか!

2023年1月25日水曜日

ローマは一日にして成らず

「ローマは一日にして成らず」は、いろんなことにも通用する人生の真理を言い表している。大病をして、ある日突然倒れたとしても、「大病は一日にして成らず」なのであって、日頃の不注意と怠慢の積み重ねが大病を引き起こしてしまうのだ。
 ほとんどの人間関係にも言えて、大きな口論を一度しただけで
人間関係が壊れたりしない。ほとんどの生活は、一回の悲しい出来事のせいでバラバラになったりしません。日々の些細な行為が長いあいだに積み重なってゆるやかな衰弱が起こり、爆発につながって、崩壊するのである。
 仕事や健康、人間関係で”成果という果実”をものにしたいときも、種を蒔き、じっくりと育てる時間を経なくてはいけない。つまり、「実りの成果も一日にして成らず」なのだ。この真理を大切にして、いろんな種を少しずつ育てていくこと、積み上げていくことを心がけていきたいものである。

2023年1月24日火曜日

すべてがカンフーだ

 ジャケットを脱ぎ捨ててしまう癖があって、いつもお母さんに注意されていた男の子がいた。その子がカンフーを習うことになった。そうして、毎日の練習のたびに、「ジャケットを掛けて、ジャケットを着て、ジャケットを脱いで、ジャケットを拾って」を繰り返すようになった。すると、いつの間にか、ジャケットを脱ぎ捨ててしまう癖が治ってしまっていた。
 しかし、何千回と同じことを繰りかえす練習に対して疑問を感じ、先生に抗議することになり、そこで、初めて本格的なカンフーの練習に入る。そのとき言った先生の言葉が、「カンフーは、すべての動きの中にある。すべてがカンフーだ」だった。練習するときも、「はい、ジャケットを脱いで、はい、そこでジャケットを拾って」といいながら手の動き、体の動きを教えていた。無駄に見えた今までの単調な練習が、カンフーの基礎練習になっていたのである。
 先生の「カンフーは、すべての動きの中にある。すべてがカンフーだ」という言葉は、正確に聞き取った分けではないが、内容は間違いない。この言葉には、カンフー意外にも使える普遍的な真理が含まれている、と直感的に感じた内容だったからである。例えば、ヨガや操体の動きなども、日常的な動きの中で練習できるのではないだろうか。だから、「ヨガは、すべての動きの中にある。すべてがヨガだ」ということもできると思えたのである。
 だとすれば、歩くことや自転車や車を運転することにも、ヨガに通じるものがなければならないことになる。これは重要なことだ。逆に言えば、このような視点でヨガや操体を学ぶこともできる、ということでもある。新しい課題を見つけた。新しい視点を持ってヨガや操体を学んで見たいものである。(映画「ベスト・キッド」を観て)

2023年1月23日月曜日

人生を全うする

 辞世の言葉に興味を持ったことがある。この世を満足を持って去りたいという欲求があり、そうした欲求を満足させる方法を探していたからだ。今、その方法、つまり、人生を全うする方法がわかった。その方法というのは「最善を尽くす」という言葉に尽きる。
 最善を尽くすことを勧めている次のような言葉がある。
「もし、本当に最善を尽くしていれば、失敗を気にかけるひまなどなくなる」(ロバート・ヒリヤー)。
「恐怖心を克服するには、どんな手順で行動するか前もって計画し、その通り実行すればよい。わき目もふらずに仕事に打ち込めば、恐怖心など忘れてしまう」(デ−ル・カ−ネギ−)
 これらの言葉から「最善を尽くして吹っ飛ぶ恐怖(不安)かな」ができた。
 また、「人間は、自分の仕事をした、自分の仕事に魂を注いで最後まで最善を尽くした、と言うことができて初めて幸福だと言える。もしそうでないなら、どんなに苦労して仕事を終えても、喜びも安堵感も湧きはしないであろう」(エスマン)という言葉もある。人生も、魂を注いで最後まで最善を尽くしてこそ、カントのような辞世(これでよし)を残して世を去ることができるようになるのかもしれない。

2023年1月22日日曜日

一人ミーティング

 Kindleによる速読で、『ひらめくひとりさんぽミーティング』(有田英穂著)を読んだ。「一人ミーティング」ってどういうことだろう、と思ったからだ。それは結局、「メモを片手に散歩に出かけてみてはいかがでしょう」ということだった。「プレゼン用の資料をパソコンで漁る前に、メモを片手にオフィスの近くを散歩しながらちょっと構想を練る」。つまり、なにかしらの課題のようなものを抱え、あれこれ考えながら散歩しようということらしい。
 その実例として、ベートーヴェンの創作過程が紹介されていた。「ベートーヴェンが散歩しながら名曲を進めていたのは、散歩中に書き添えた紙切れやメモなどが7000点以上にのぼることから、間違いありません」と書き、次のように書いている。
 散歩に出かけると、自然の中、歩き慣れた道で、歩き解放させることから、心がストレスが消え、「直感脳」の血流がどんどん上がって、脈絡のない斬新な着想が次々に頭の中に浮かんでくるそれが、ベートーヴェンの創作活動の原点であったと思われます。 部屋に帰ると、それを譜面に定着させる仕事が続くことになります。(『ひらめくひとりさんぽミーティング』より)
 散歩しながらの一人ミーティングには、机の前で行われるのと違った利点がある。その利点をもたらすのが、ドーパミンとセロトニンという人に幸せ感をもたらす脳内物質である。良いアイディアが生まれるだけでなく、次のように「貪りや怒りがコントロールされ、平常心があらわれ、ポジティブな気分で生活でき」るようになるというのは魅力である。
 人に幸せ感をもたらす脳内物質には、ドーパミンとセロトニンがあります。しかし、その快感は長続きせず、もっともっとと貪り続ける欠点があります。
 他方、セロトニンが日常的に分泌される生活を続けていると、「足るを知る」心が育まれます。貪りや怒りがコントロールされ、平常心があらわれ、ポジティブな気分で生活でき、はつらつと若々しく、今を生きる幸せを体感できます。そのためには、セロトニン活性のある生活習慣、や坐禅瞑想などを継続する生活が必要です。(『ひらめくひとりさんぽミーティング』より)

2023年1月21日土曜日

セロトニン生活

  Kindleによる速読で、『自律神経をリセットする太陽の浴び方 』(有田秀穂著)を30分くらいで読んだ。役立ちそうなところを拾い読みしただけだが、結構役に立った。去年の夏に不眠症になったこともあるので、「夕食後はアナログ生活に」は、ぜひ実行に移したいと反省した。その他、腹式呼吸の呼気を重視すること、そのとき丹田部を膨らますこと。意識した30分程度の早朝散歩などこれから取り入れていきたいと思った。

 セロトニン分泌を促す「呼吸法」においては、肺から空気を吐き出すための筋肉=腹筋が活発に収縮する点で、生きる呼吸とは異なる。その司令を出すのは、呼吸中枢ではなく大脳皮質であり、「集中」して「しっかり」吐けという司令を発する。この運動をサルにやらせることはできないし、赤ん坊にも無理。「しっかり」吐き切る運動をなるべくゆっくり実施することが呼吸法のポイント。時間で計る必要はないが、8~ 12 秒くらいが普通。

 なお、意識して吐くときに使われる腹筋の収縮は、下腹部(古代中国の気功法では丹田と称する)を大きく凹ませるので、丹田呼吸法と呼ばれる。この呼吸法を5分以上 30 分くらい行うと、脳内のセロトニン分泌が増えて、先に述べた5つの脳機能(大脳の覚醒・ネガティブな気分の解消など)に変化が起こることを私たちは証明している。

 歩行リズム運動におけるチェックポイントも、「集中」と「しっかり」である。のんびり行う散歩はセロトニン分泌にはならない。

 早朝に人通りが少ない自然の中でウォーキングやジョギングを「しっかり」と「集中」して行うことが、セロトニン分泌のポイントである。「集中」のためにはちょっとした工夫が必要だ。ノリのよい音楽をヘッドフォンで聴きながらでも、「集中」にとっては問題ない。

 疲れるほどウォーキングすることは、逆効果である。疲れを感じ始めたら、セロトニン分泌が減り始めたサイン(警告)と心得るのがよい。  

脳内セロトニンのストックは効かないと考えるべきで、毎日の生活習慣にすることがポイント。

 タッチやスキンシップを行う際、絶対条件として、本人が「心地よい」と感じなければダメということ。触るという行動は、他人が自分の領域に侵入することになるので、当然、人は初めに注意の状態になる。セクハラという言葉があるように、同じようにタッチされても、嫌いな人あるいは赤の他人に触られると、不快感や恐怖でしかなく、オキシトシン分泌に至らない。むしろ、怒りや敵意が誘発されてしまう。ところが、心を許した人によって「心地よい」タッチがなされると、オキシトシンが分泌される。

 メラトニンの原料は、実は、セロトニンなのだ。セロトニン・メラトニン、この二つの言葉、語呂が似ているが、実際、両者はつながりがある。中国の陰陽学では、陰と陽は拮抗する働きをするだけではなく、陽と陰とが相互につながっているとされる。その学説のとおり、夜の睡眠を演出するメラトニンは、昼の覚醒を演出するセロトニンを原料に作られる。両者はつながっているのだ。

 したがって、黄昏時になるまでに、原料であるセロトニンを十分にストックしておけば、睡眠ホルモンであるメラトニンがたくさん合成できることになる。セロトニンの材料は必須のアミノ酸であるトリプトファンであることをすでに解説した。大豆製品・乳製品など和食でも洋食でも日常的に食べる食材の中にトリプトファンは豊富に含まれている。したがって、偏食さえしなければ、特別なサプリなど必要がない。

 朝に 30 分間のセロトニン活性の生活を行うよう、指導している。朝の諸々の準備とは別に、自分のセロトニンを「集中」して「しっかり」分泌させる時間を 30 分確保している。

 リズム運動としては、ウォーキング以外に、ジョギング、サイクリング、縄跳び、ラジオ体操、太極拳、などがセロトニン活性になる。これらの運動を朝の日射しを浴びながら行えば、二重のセロトニン活性になる。

 夜の性行動もオキシトシンを分泌させて、メラトニンを増やす。フランスの著名な睡眠学者は、性行動は最高の睡眠薬だと述べている。

 就寝前に風呂に入るのが一般的だろう。ゆっくり身体を温めてリラックスしたあとに、身体をある程度冷やした方が、睡眠導入にはよい。覚醒から睡眠に移行する際には、脳の温度が下がることが前提条件になっているから。

2023年1月19日木曜日

エントロピーと生命の本質

 『原稿用紙10枚を書く力』を読んでいたらエントロピーという言葉が出てきて嬉しくなってしまった。エントロピーに逆らうことが生命の本質であると思ってきたからだ。そう考えると、書くという行為は、生命力を鍛えることにもなる。
 待てよ。
 それなら、身の回りを整理していくことも、生命力を鍛えることになるではないか。芸術家に長寿者が多い理由も説明がつく。身の回りを整理していくことは後回しにしてきたが、ちょっと考えを改めた方が良さそうだ。
 書くという行為は、そのまま放っておけばエントロピー(無秩序状態)が増大していき、ますます退屈で無意味な世界になる日常の中に、意味という構築物を打ち立てていく作業なのだ。(『原稿用紙10枚を書く力』、」齋藤孝著、大和書房、2004年、p65)
 キーワードを拾い出してからはじめて全体の構築をするという作業に進む。全体の構築をしていくためには、ネタの洗い出し、すなわちキーワードを拾い出すことが前提になる。(中略)そのキーワードを手がかりに全体の構築をしていく。(上同、p101)

(20日にアップしたのに、19日に作成したものを書き直していたため、日付けが19日になってしまった) 

明日は常に新しい日だよ

 映画『赤毛のアン』を観たときのメモに「明日は常に新しい日よ」という言葉があった。理由は忘れたが、落ち込んでいたアンに対して”諭すように話してくれた先生の言葉”の中の一節である。
 何気ない言葉だが、後期高齢者になろうとするものにとって、新鮮な響きをもって伝わってくるものがあった。その実態は、初めはわからなかったが、こうして書いているうちに鮮明になってきた。
 この歳になると、「生い先短く」感じてしまうものである。しかし、「明日は常に新しい日」と思えると、毎日毎日新しい命を生きられるような気になって、”残された時間も、ずっと長く感じられるようになる”ということに気づいたのである。
 これからは、意識して、「毎日毎日を新しい1日」と思って暮らすようにしたいものである。

 試練や苦難は突然やってくるものだけれど、それはとても有益で人格を作ってくれる。それに失敗からは必ず何か学ぶわ。忘れないで、明日は常に新しい日よ。真実がある限りくじけないで!真実に救われるわ。(「赤毛のアンの先生の言葉」)

2023年1月18日水曜日

日本共産党は斎藤幸平氏と対話を!

 雑誌『文藝春秋』(2023年2月号)で、「目覚めよ! 日本 101の提言」という特集があり、その中に、斎藤幸平氏による「共産党はアップデートせよ」という提言があった。もっと党内外で自由な対話があってもいいんじゃないか、といった提言だが、私も同じような考えを持っていたので、興味を持って読ませてもらった。
 斉藤氏は、党内外での自由な討話が妨げられている理由の一つに、日本共産党の組織原則である民主集中制を取り上げ、次のように述べている。 

 党内では分派活動が禁止され、人事も事実上の任命制になっている。党指導部の意見が一枚岩となれば、自由な議論が困難になる。
 このことが、党外との生産的な対話を妨げている。例えば、拙著『人新世の「資本論」」(集英社新書)はマルクスやコミュニズムを全面に打ち出し、五〇万部近く売れたにもかかわらず、「赤旗」や雑誌『経済』で黙殺されている。「脱成長」と「緑の経済成長」は相入れない。志位和夫も、脱成長はマルクスの思想とは相入れないと述べている。それでいい。だが、意見の違いは対話を拒否する理由にはならないはずだ。

 私は赤旗日曜版を購読していて、斎藤幸平氏の登場を心待ちしていただけに、本当に「黙殺されている」のであれば残念なことである。公然と、しかも善意の提案をしているのだから、日本共産党は斎藤幸平氏と対話をしてほしいものである。

 ついでに言えば、佐藤優氏も民主集中制について、次のように問題提起をしている。佐藤優氏とも、建設的な対話の機会を持っていただきたいものである。

 日本共産党の本質はスターリン主義であると評者は考えている。スターリン主義の特徴は2つある。第1は共産党のみが真理を体現し、正しい政策を実現することができるので、それ以外の政党や民衆は共産党の指導に従うのが正しいという前衛主義だ。第2は共産党内の意見の相違を党外に持ち出さず、下部は上部に従うという民主集中制だ。日本共産党が路線をいかにマイルドに転換しても、前衛主義と民主集中制だけは放棄することができない。(佐藤優著『週刊現代』、2022年8月13-20号、p 92)

2023年1月17日火曜日

国費を食いものにする産軍複合体

 岸田文雄首相は防衛強化路線をひた走っている。岸田文雄首相は米ワシントンで13日午前(日本時間14日未明)、バイデン大統領と会談しているが、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費の大幅増を決めたことを説明したという。そこで「バイデン氏は全面的な支持を表明したようで、防衛強化路線に一層拍車がかかりそうである。
 それにしても、国会軽視も甚だしい。朝日新聞夕刊コラム「素粒子」(2023年1月13日)に「またも国会より先に米国に報告する。軍事一体化で米軍の仰せの通りにします、と」書かれているが、まずは国会審議であるはずではないか。それなのに、国会、つまり、国民を無視し、米国に報告など許せない。こんなときだからこそ、「国民の目のとどかぬところで国費を食いものにしている「死の商人」、いわゆる産軍複合体に目を向けてみる必要がある。
 ベトナム戦争のとき、横田から嘉手納から飛び立って活躍したC5Aギャラクシー。最大積載量百トン、完全装備の兵員七百人、五十トン戦車をはじめどんな重車輛も空輸できる米軍最大の輸送機がC5A。このような輸送機の存在は、『これが!!産軍複合体だ : 裸にされたC5Aスキャンダル』(バークレー・ライス著 、小関哲哉訳、時事通信社、1972年)を読んで初めて知った。「本書はこのC5A計画が米空軍により企画され、米最大の軍需企業ロッキード社が落札し、製作機が実際に就役するまでの隠された内幕 —— C5Aスキャンダルと呼ばれた一連の経過をばくろしたもので、癒着した軍と議会ボスと『死の商人』、いわゆる産軍複合体が、国民の目のとどかぬところでいかに国費を食いものにしているか、その実態をまざまざと描き出している。本書の一部が米誌『ルック』『NYタイムズ・マガジン』にのったとき、全米の世論は沸騰し、NYタイムズには脅迫電話が相次いだといわれる。四次防のもとで軍備増大の道をひた走るわが国でも、本書は重要な他山の石であろう」(『これが!!産軍複合体だ』表紙裏の言葉より、下線は引用者による)
 ロッキード社の名前が出てきて、田中角栄のロッキード事件のことを思い出した。調べてみると「アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件」とあった。本当に軍用機でなく旅客機だったのだろうか。新しい視点で、ロッキード事件を読み込んでみたい。

2023年1月16日月曜日

ウォーホルの『最後の晩餐』

 日曜美術館『ウォーホルの遺言 ~分断と格差へのまなざし~』(2023年1月15日放送)を見て、ウォーホルの『最後の晩餐』という幅10m、高さ3mの作品を知った。レオナルドの作品には描かれた裏切り者ユダの姿はなく、その代わりに4体ものキリストが描き、「慈悲」や「博愛」を表現しているという。
 また、上を指差している弟子も描かれており、「神は私の証人私は無罪だ」と言っているようだ、と解説にあった。実は当時エイズが流行り、ゲイがGay cancerと言われ恐れられた。ゲイだったウォーホルは、そうした風潮に苦しみ、悲しみ、恐怖をの中に生きた。画面に描かれたcancerの「C」がそのことを示しているという。
 私たちはこの作品から、ウォーホルの苦しみ、悲しみ、恐怖だけでなく、「慈悲」や「博愛」など、さまざまな感情、理性といった心理を読み取る(感じる)ことができる。そして同時に、私には、芸術における「模倣と創造」の典型を見る思いがした。








2023年1月15日日曜日

レーニンの『帝国主義論』

 レーニンの『帝国主義論』も、並行して読み始めた。そして、本文に入る前に、「資本主義の社会基盤が存在しているかぎり、帝国主義戦争を避けることは絶対にできない」と明確に断定していた。この主張に「産軍複合体」の存在を加味すれば、戦争を防ぐ方法も自ずと明らかになってくる。このような経済システムのからくりに多くの市民が目覚めないかぎり、戦争は無くならない、ということであろう。
 問題は、ここでの結論がどのように導かれたのかである。経済的基盤というものが『帝国主義論』の時代と現代とで違いがあるのは当然としながらも、似たところ、同じところもあるはずであり、その辺のところを頭に入れて、読み進めていきたい。
 鉄道網の分布や、分布の不均等、そして鉄道網の発展の不均等 ──これは、世界的規模における現代の独占資本主義の総結果である。そして、その総結果は、生産手段の私的所有が存在するかぎりそのような(下線:原文は傍点)経済的基礎のうえでは帝国主義戦争を避けることは絶対にできない。(「資本主義の最高の段階としての帝国主義」『レーニン10巻選集・6』、大月書店、p205)

2023年1月14日土曜日

歴史を逆行させてはならない

 五味川純平と言えば映画化もされた小説『人間の條件』全6部であろう。そんな彼が選んだ詩、一田アキの『味噌汁』のことを知った。次のように紹介されていたのだ。
 プロレタリア文学作品をよく読み、本を持ってもいた。ある時期、五味川さんが私の本棚からその手のものをひきぬいてゆく日が続いた。
 そしてある日、人間的で感銘させる作品はこれ一つと一 冊の詩集のページを示した。それは一田アキの『味噌汁』であった。(『わが人生の案内人 』、澤地久枝著、文藝春秋、p36)
 一田アキは中野重治の妹で、本名は中野鈴子である。それで、『中野鈴子全詩集』(フェニックス出版、1980年)に詩「味噌汁」があった。一部を紹介するが、自由がなかった時代の雰囲気というものが見事に表現されている。このような時代があったことを決して忘れてはいけない。そして、「歴史を逆行させるようなことがあってはいけないという思い」を新たにすることができた。
慣れない賃仕事で腰が曲がってしまった
そしてひとりですする味噌汁はほんとに味ない

わたしはあなたの女房
わたしはあなたの女房なのに
逢いに行けばガラス戸がおりている
手紙を書けば消されてしまう
わたしは時々に泣く
わたしも下のおかみさんのように
あなたの茶わんに味噌汁がよそいたい(「味噌汁」より、その一部)

2023年1月13日金曜日

ホブスンの『帝国主義論』4

 何ということだ。帝国主義として働く力の根源は、「需要を上回る過剰な生産」という、これほど単純のことだったのだ。ホブスンの『帝国主義論』によれば、「輸出貿易をさらに、拡張しようと駆り立てる、最もつよい力が、国内市場の需要を上回る資本主義的生産過剰であったことは、やはり間違いない」(p12)。「換言すれば、過度の蓄積と不十分な消費があったのである」(p13)とも書かれている。
 ここで兵器弾薬など軍事産業の商品のことを考えてみよう。平和である限り消費が不十分なことは猿にでもわかる単純なことだ。演習という形の消費など高が知れているからだ。つまり、ロシアとウクライナに働いた根源的な力は、
「需要を上回る軍需商品の過剰な生産」と考えても決して間違いではない、ということである。
 さらに言えば、軍事産業が存在し続けるためには、平和では困る。この真実に気づかない限り、ここに存在している矛盾に手をつけていかない限り、戦争は決してなくならない、ということでもある。
 問題は、ホブスンやレーニンが、この点に気づいているかということだ。戦争をなくすという発想自体がないかもしれないが、人の命や環境のことを度外視し、儲ければ何をしてもよいというようなことは書かれているかもしれない。いずれにせよ、ホブスンやレーニンの『帝国主義論』のアップデートが必要なのかもしれない。

2023年1月12日木曜日

ホブスンの『帝国主義論』3

 一回目に訳者序を読んだときには気づかなかったことだが、本書が日本において翻訳され出版される理由について、「帝国主義の科学的研究のため」だけでなく、 「帝国主義戦争に負けてすべての植民地を失い、明治以来猛進してきた、帝国主義政策の道に突然終止符を打たれた日本の、これから生きて行く路を見出すために」(p5)出版されたという。その路がどういうものか、訳者序にも簡単に示されていた。「他国との間に不和をかもす危険のある帝国主義」(p4)のような政策はやめて、帝国主義に代わる経済のあり方を模索すべきだ、ということであろう。その辺を本文で詳しく読み解いてみたい。
 以前植民地政策について調べたとき、文明の遅れた国に優れた文明を広げるものというようなことが書かれていたことを思い出したが、そのことが第二篇の概要に、触れられていた。

 第二篇は「文明の使命」として考えられた帝国主義の理論並びに実践をば、「劣等」即ち異邦人民に及ぼすその影響とか、それに携わっている西洋諸国民の行動と性格に及ぼすその政治的及び道徳的反作用という点から、考究する。(「第一版への前書き」『帝国主義論』、p7)
 また、「第一版への前書き」には、読者対象まで書かれており、その中に、当時の多くの人々の思想的な生き様が描かれて入り興味深かった。つまり、「政治的日和見主義の風潮のまにまに漂う」生き方、「盲目的な運命の推進に屈服する」生き方がそれである。私には、現代とあまり変わっていないように思えるが、どうなのであろう。
 本書は、政治的日和見主義の風潮のまにまに漂うことにも、また、盲目的な運命の推進に屈服することにも甘んじないで、政治的諸勢力を指導せんがためにそれを理解しようと欲する少数の人々の知性に訴えるものである。(「第一版への前書き」『帝国主義論』、p9)

2023年1月11日水曜日

ホブスンの『帝国主義論』2

 ホブスンの『帝国主義論』を読み始めた。初めに訳者序があって、要点のような解説があった。そこに一番知りたかった「帝国主義的政策」の推進力について「帝国主義の根本をなす推進力は、資本家的利益、特に金融資本家であることを指摘したのがホブスンのこの著述だった」と書かれていた。しかし、資本家の力がどこから生まれ、どのような性質のものかまでは言及されていないようだ。こここまでくると、マルクスの資本論による分析を待たなければならないのかもしれない。
 しかし、力の現れかた、つまり、現象形態についての分析は、現在にも通用するものが含まれていた。「植民地が必要欠くべからざるものである考えを排斥して」、「他国との間に不和をかもす危険のある帝国主義」を批判し、帝国主義に代わる経済のあり方を模索していた。しかも、国民(市民)の立場に立っていたことが最も重要な点であろう。以上のことは次のように要約されていた。

 彼は過剰資本および過剰商品の市場として植民地が必要欠くべからざるものである考えを排斥して、平和な外国市場と、所得の配分の正しく行われている国内市場との意義を高調する。これら二つの市場が確保され培養されるならば、国民の金と精力を消耗し、他国との間に不和をかもす危険のある帝国主義を実行する必要は決してない、と主張するのである。

2023年1月10日火曜日

幸福の感度

 最近、幸福には人それぞれの感度があると思うようになってきた。不幸と感じている人、日常的に不満ばかり抱えている人の幸福の感度は高く、なかなか幸福感を得ることが難しい。それに対し、いつもニコニコして幸せそうな人の幸福の感度は低く、日常の些細なことにも感謝し、幸せに思える。
 てるかず氏によれば、「モノを必要最小限にまで減らすとある変化が起きてくる。あらゆるモノやコトが、ありがたく感じられるようになる」というけれど、吉本ばなな氏によれば、意識を変えるだけでも、幸福の感度が低くなり、「掃除したり、ごはんをつくったり、洗濯したり」といった日常の生活の中で幸福を感じられるようになるように思えてくる。
 誰もが歳をとって「いつかだんだん生活ができなくなってくる」ことを思えば、確かに朝起きただけでも、暖かくして寝れるだけでも、幸せなことなのである。毎日、幸せだな、と感謝しつつ言葉にすると良いのかもしれない。

 モノを必要最小限にまで減らすとある変化が起きてくる。あらゆるモノやコトが、ありがたく感じられるようになるのだ。「ありがたい」は漢字で「有難い」と書く。文字通り「有る」のが「難しい」ので【減多にないこと・珍しく貴重】という意味合い毎日食べる物があり、暖かい布団で眠ることが出来て、誰かにいきなり襲われる心配が無い治安の良さ。これは当たり前ではなく、世界的に見ても、歴史的に見ても有難いことである。だ。(『ミニマルライフ:「減らす生き方」』、てるかず著、てる書房)、Kindle版)

 最近の本で「毎日が蜜だ。生きているだけで丸儲(もう)けだ。今日が来るのが嬉(うれ)しい、目を覚ませるのが嬉しい。だいたいの人がみな愛(いと)おしい」って書きましたけど(「私と街たち(ほぼ自伝)」)、それはほんとうですよ。結局、幸せって、生活の中にあるんだと思います。掃除したり、ごはんをつくったり、洗濯したり。そのことじたいが、幸せなことだったということに気づく。だって、みんな年を取るんですからね。いつかだんだん生活ができなくなってくる。(吉本ばなな著「毎日が密 幸せは生活の中にある」『朝日新聞』、2023年1月10日)

2023年1月9日月曜日

ホブスンの『帝国主義論』

 この世界を理解するには、帝国主義論の理解が欠かせないのではないか、そう思い、レーニンの『帝国主義論』を手にしてみた。その解説の中で、レーニンが批判したという、ホブスンの『帝国主義論』のことを知った。そして、ホブスンの『帝国主義論』の方が、真実に近いのではないか、という感想を抱いてしまった。次のように、「帝国主義的政策を抑制ないし是正するための処方箋として民主主義の強化を訴えていた」からである。 この世界を理解するには、帝国主義論の理解が欠かせないのではないか、そう思い、レーニンの『帝国主義論』を手にしてみた。その解説の中で、レーニンが批判したという、ホスンの『帝国主義論』のことを知った。そして、ホスンの『帝国主義論』の方が、真実に近いのではないか、という感想を抱いてしまった。次のように、「帝国主義的政策を抑制ないし是正するための処方箋として民主主義の強化を訴えていた」からである。
 ホブスンは、帝国主義的政策を抑制ないし是正するための処方箋として民主主義の強化を訴えていた。そうすることによって、一国内において帝国主義的な勢力が私的利益のために国家機関を利用するのを防ぐことができる、と考えたのである。(角田安正著「解説」『帝国主義論 』、レーニン著、古典新訳文庫、光文社
 ホスンが民主主義のことをどのように考えていたか、わからないところもあるが、現代の政局を考えても、魅力的な思想に見える。ホスンの『帝国主義論』が矢内原忠雄訳で出版されているのも魅力である。ホスンの民主主義論も魅力である。
 ここで、『帝国主義論』で、何を知りたいかをはっきりさせておく。社会に働く力、見えない力をどのように捉えて、それを表現しているか、どういう概念があるのか、などである。要は、自然法則に近い法則が貫かれているかどうか、である。
 社会に働く力としての「帝国主義的政策」というもの、「民主主義」というものを社会に働く力として認識しているかどうか、という観点も知りたい。

2023年1月8日日曜日

努力という才能

 最近心に響いた言葉が「努力という才能」である。「1枚の薄い紙だって、1000枚、1万枚あれば分厚くなる。最後には、それが書籍や辞書になるかもしれない。そう思って、毎日努力すれば良い」という実例は説得力があった。毎日英文を読むようにしているが、その量は微々たるものだった。しかし、そうした「紙一重の努力」でも、続けることで才能に転化するのかもしれない。
 そう、努力こそが成長の証である。生まれながらにして天才というのは、本当にひと握りだと思う。数学の天才だって、問題を解き続けているからこそ、そのようになれたのだと思う。
 数学を少しも習わずに、生まれた瞬間から微分積分ができたという人をボクは知らない。天才と呼ばれる人だってそれなりに、下手したら人の数倍も努力しているのだろうと思う。世の中、そんなものである。
 だから、ボクもコツコツと努力するのだ。努力するという才能は、何歳になってからでも育てることができる。50歳を超えたボクが、今から陸上100メートルで世界新記録を樹立することは不可能だ。メートル走を7秒台で走るのだって無理だろう。
 でも、たとえば仕事で努力することは70歳からでもできる。常に努力すれば、なんとかなる。「紙一重」という言葉があるが、1枚の薄い紙だって、1000枚、1万枚あれば分厚くなる。最後には、それが書籍や辞書になるかもしれない。そう思って、毎日努力すれば良い。(野呂エイシロウ著「努力という才能」『MacFan2022年11月号』、p70)

 同じ著者による「ミニマル主義」の勧めも、心に響いた。だが、自分の生活から不要なものを削ぎ落としていくことは、なかなか難しい。思考がクリアになるのは魅力でも、そう簡単にできない。これも、日々、少しずつでも努力していくことが大切なのかもしれない。

 自分の生活や仕事から不要なものを削ぎ落としていくと、思考はクリアになって心は軽くなり、社会のさまざまな制約からも解き放たれ、その一方で脳のパフォーマンスが高まっていくのを感じるという四角さん。仕事においても生き方においても常に一点集中を心がけ、シンプルさを保つ姿勢が重要と語る。
「仕事と生活のどちらが大切かといった二元論ではなく、仕事で成果を出し続けることで人生の幸福度が高まり、それが仕事のパフォーマンスを高めていくという好循環が生まれるプロセスを体感してもらうためにこの本(『超ミニマル主義』、四角大輔著、ダイヤモンド社、2022年)では詳細なメソッドを公開しているのです。(野呂エイシロウ著「努力という才能」『MacFan2022年11月号』、p95)

2023年1月7日土曜日

想定外のことも起こり得る

 新聞のスクラップを読んでいて、「政府事故調の畑村洋太郎委員長は今回の事故原因を、『長時間の全電源喪失は起こらないとの前提の下に全てが構築・運営されていたことに尽きる』と総括している」(加藤陽子著、「原発事故調の報告書を読んで 過去から学ばない失敗、繰り返すな」『朝日新聞』、2012年07月25日)ことを知り、畑村洋太郎委員長の報告の要点だけでも、と調べてみた。
 朝日新聞(2012年07月24日)に、「100年後の評価にも耐えられる教訓に」という畑村・政府事故調委員長の7項目の所感が掲載されていた。そのうちの3項目の中に、これだけは国民の中に周知してもらいたいということが書かれていた。
 一つは、「あり得ることは起こる」のは当然として、「あり得ないと思うことも起こる」ということ、つまり、この度は「想定外」という言葉が免罪符の役割を果たしてきたところがある。しかし、「(あり得ない)想定外」のことも起こり得るという指摘は重要で、このような認識に立脚すれば、とても再稼働などできない。
 二つ目の「見たくないものは見えない」や、三つ目の「思いつきもしない事態も起こり得る」も、結局、一つ目の「想定外のことも起こり得る」と同根で、原発の事故原因は、想定外の「全電源喪失は起こらないとの前提の下に全てが構築・運営されていたことに尽きる」ということになる。
(1)「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる」 今回の事故の直接的な原因は「長時間の全電源喪失は起こらない」との前提ですべてが運営されていたことに尽きる。本来「起こりうることは起こる」と考えるべきだ。重要なのは経験と論理で考えることだ。
(2)「見たくないものは見えない。見たいものが見える」 自分が好ましいと思うものや、やろうと思う方向だけを見がち。東電の災害対策でもこのような心理的影響が垣間見える。自分の見方が偏っていることを常に自覚し、見落としがあると意識する必要がある。
(3)「可能な限りの想定と十分な準備をする」 今回は想定を超える津波に襲われた場合の備えがなかったため対応できなかった。思いつきもしない事態も起こり得るとの発想で十分な準備をすることが必要だ。(『朝日新聞』、2012年07月25日)

2023年1月6日金曜日

共存の道を忍耐強く

 原子力発電所の事故原因について、様々な見解が出され、不明な点も多いらしい。しかし、はっきりしているもの、今後の教訓として是非とも大切にしてほしいことがある。「政府事故調の畑村洋太郎委員長は今回の事故原因を、『長時間の全電源喪失は起こらないとの前提の下に全てが構築・運営されていたことに尽きる』と総括している」(加藤陽子著、「原発事故調の報告書を読んで 過去から学ばない失敗、繰り返すな」『朝日新聞』、2012年07月25日)ことである。
 加藤陽子氏はまた、「敵に本土上陸を許すことなどあり得ない、との誤った前提に縛られていた」(上同)日本軍を批判しながら、「過去から学ばない失敗、繰り返すな」と警告している。軍の首脳部が誤った前提に縛られていたから、必要な対策を講じることなく、敗戦までに六大都市の約41%も焼き尽くされてしまったのだ、と。
 それでは、現政権の軍備拡張による防衛策の前提とは、どのようなものであろうか。その前提に誤りはないのだろうか。私が考える”その前提”とは、「軍事力を強化しないとウクライナのように攻められてしまう」というのであろう。最近『知らないと後悔する日本が侵攻される日』(佐藤正久著、幻冬舎、2022年)という本が出版されたが、なんとプロローグの見出しは、太字で強調された「すでに戦争は始まった。日本侵攻は2027年か」という物騒なものだった。
 と、ここまで書いてきて、たとえ他国からの脅威があったとしても、その対処法は軍事力が唯一の解決策という前提もあることに気づいた。そうすると、脅威を取り除くといった発想にはならない。しかし戦争を未然に防ぐのに大切なのは、たとえ脅威があったとしても、「共存の道を忍耐強く」(朝日新聞、2022年12月14日)探っていくしかないのではないだろうか。

2023年1月5日木曜日

立花隆氏の最大の遺産

 立花隆氏は、各方面にわたって活躍し、相当の業績を残してくれた正に「知の巨人」であった。『田中角栄研究』で知られているような、一国の総理を退陣に追いやったことなどは、彼が「知の巨人」と呼ばれるに相応しいことを示してくれているのではないだろうか。そんな彼が、日本国憲法の9条を絶賛し、「憲法九条は、日本の最大の資産だ」と語っていたことを知り、こうした日本国憲法の正当な評価こそ、彼が遺してくれた最大の遺産ではないか、そう思えてきた。なぜなら、憲法九条が防波堤になって、これまで戦争の惨禍から日本を守ってくれたことを説得力のある文章で示してくれているからである。
 もし九条がなかったら、日本はおそらく、朝鮮戦争のときから戦争に引きこまれていたでしょう。ベトナム戦争でも、カンボジア戦争でも、兵隊を出せというアメリカの要求を断りきれなかったでしょう。湾岸戦争でもアフガニスタン戦争でも、あるいはアフリカ各地の小紛争や、コソボなどにも兵を出すことが求められていたかもしれません。しかし、そのすべてを断ることができたのも(そもそも日本にそういうことを頼んでこないのも)、日本に憲法九条があったからです。日本に憲法九条があることは広く知られており、それが国際社会で特別の評価を受けているからです(最近の憲法調査会中央公聴会での猪口邦子前ジュネーブ軍縮会議大使の発言)。
 私は憲法九条は、日本の最大の資産だと思っています。これがあったが故に日本はいま歴史上未曾有の繁栄を楽しんでいるのです。第二の敗戦を経ても、日本はいまなお歴史上最高に繁栄しています。それは九条のおかげで、この国は、この六十年間、戦争なしで生きてくることができたからです。六十年間戦争なしでこられたのは、日本の歴史上はじめてのことです。もし九条がなかったら、この六十年の間に、何度もどこかの国と戦争をしていただろうし、それによって日本経済もアメリカ経済のように戦争経済化し、日本の産軍複合体が日本の権力中枢をにぎるという事態になっていたでしょう。そして、今日のような情勢では、日露戦争前の東大七博士みたいに威勢のいいのが出てきて、北朝鮮に兵を出すべしとか、北方四島に兵を出せ、尖閣列島に兵を出せ、竹島に兵を出せなどというのがきっと出ていたにちがいないと思います。
 憲法九条を持ったことの最大の効果は、アメリカあるいはその他の国からの戦争参加の誘いを断固として断ることができたということ以上に、それがわれわれ自身の手を縛る効果を発揮してきたということです。(『イラク戦争・日本の運命・小泉の運命』、立花隆著、講談社、2004年、p351〜352)
 今年は2023年だから、もう少しで80年も戦争なしで来れたことになる。このような優れた資産を、改憲という形でかなぐり捨てることはない。捨ててはダメだ。なんといっても、相棒(安保条約による)が悪い。立花隆氏によれば、片や、「戦争マシーン」だからだ。9条の優秀さは、アメリカの戦争マシーン化とセットで考えるとわかりやすいかもしれない。国際環境が悪化しているこの時期だからこそ、逆に、9条の真価を発揮するときなのである。
 イラク戦争でも、アメリカは湯水のごとく金を使い(戦闘開始から一ヵ月間に八百発飛ばしたトマホークミサイルだけでも、一発百万ドルですから、一日に二千六百六十万ドル)、すでに一年で一千六百五十億ドル使っているのに、それでも足りなくて、さらに七百五十億ドルの補正予算を組む計画を立てて戦争を継続しているという実態の中に、アメリカが国家として戦争マシーンになってしまっている状況がよくあらわれていると思います。(上同、p350)

 

2023年1月4日水曜日

この世は美と愛の無尽の宝庫

 また、『武者小路実篤画文集3私の書画』(中川孝編纂福武書店、1985年)を借りてきた。「武者小路実篤の憲法草案」のことを書いたので、もう一度彼の作品に触れてみたいと思ったからだ。そして、この言葉に惹かれた。「この世は美と愛の無尽の宝庫」であるはずなのに、どうして、ニュースは暗いニュースばかりなのだろうと思い、もっと「美と愛」に目を向けるべきではないか、と思った。

(『武者小路実篤画文集3私の書画』より)

2023年1月3日火曜日

産軍複合体という怪物

 ロシアによる戦争状態は一向に収まる気配がない。ウクライナは徹底抗戦を明言しているし、ロシアだって、ここまできたら、そう易々と矛を収めるわけにはいかないに違いないからだ。だからこそ、NHKスペシャルで、「混迷の世紀『2023巻頭言 世界は平和と秩序を取り戻せるか』」といった内容が放送されたのであろう。
 放送を一通り見たが、残念ながら「産軍複合体という怪物」については一言も触れることはなかった。しかし、「戦争の背後にあるもの」でも、浜田知明の作品「取引」を紹介し、<戦争の口実を、安全保障とか、国を守るためにという美名でもって語っているが、「取引」は、戦争の背後にあるもの、見事に描き出している>と書いた。産軍複合体という怪物について言及しない平和論は、真実を語っていない。つまり、真の平和を求めるなら、「産軍複合体という怪物」について言及しなければならないのだ。


2023年1月2日月曜日

混迷の世紀、その出口はどこにあるのか?

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、世界の平和と秩序を根底から覆してしまった。グローバル化による相互依存が進めば、世界は安定すると信じられてきたが、その理念は打ち破られてしまったのだ。その影響は、私たちの暮らしにも及んでいる。そして世界は、深刻化しつつあるインフレ、食料安全保障、エネルギー危機など混迷を深めている。そんな中、私たちはどうすればいいのだろうか。どこに出口を見出せばいいのだろうか。NHKスペシャルで話された国連事務局次長中満満さんの話に一筋の光を見出すことができた。その要約は次の通りだった。
 いろいろな意味で、「誤算であったり、ミステイクによって核兵器が実際に使用される危険性がある」というのが国連としても受け入れがたいレベルで非常に高いという認識である。このように世界には様々な国際的な課題が存在している。
 そこでまず、これらの課題を身近なところで話し合っていただきたい。 必ずしも核軍縮でなくて気候変動でもいいし、格差の問題でもいいですし、人道的な難民問題でもいいから、話し合ってほしい。
 次は、やはり日本は島国で、ある意味で、国際社会の様々な問題の荒波に”もまれている”ような日常生活ではないかもしれないが、実は”世界全体が危機的な状況にある時代”を私たちは生きているわけなので、それを自分ごととして理解していただいて、それを解決するためには何ができるかを、身近な友人であったり家族であったり、そういうところで話し合っていただきたい。
 そうした話し合いの過程で、自分の興味を持てる分野で自分が何ができるかを考えて行動に移していく。そういったことが全部つながっているのが、実は国際社会であり、国際社会の課題をいかに乗り越えていくかということだろうと思います。 自分たちが何をするべきなのかを考えて、ぜひ行動に移していただきたいと思います。(NHKスペシャル 混迷の世紀「2023巻頭言 世界は平和と秩序を取り戻せるか」、2023年1月1日放送より)

 以上をさらに要約すると「様々な国際的な課題を身近な人々と話し合い、それらの課題を自分ごととして理解し、自分の興味を持てる分野で自分が何ができるかを考えて行動に移してほしい」ということになる。今や、どれだけの人が国際的な視点を持てるようになるかが、問題解決にキーになっているのかもしれない。

2023年1月1日日曜日

軍事費倍増計画は「対米誓約」

 新しい年が始まって一番の不安は、なんと言っても「戦争の不安が一段と高まってしまったこと」であろう。その件に関し、やはりそうだったのか、ということがあった。敵基地攻撃(反撃)能力の保有と、そのための軍事費倍増計画は、アメリカ政府の圧力によるものだったのだ。日本共産党の志位委員長の指摘で初めて詳しく知ったのである。

小木曽 この大転換はどこからはじまったのでしょうか。
志位 ズバリ“米国発”のものです。2020年、トランプ政権のエスパー国防長官が日本に対して「GDP2%の防衛費」という提起をし、岸田首相は、21年12月、「敵基地攻撃能力保有の検討」を初めて表明しました。さらに、22年5月の日米首脳会談で、敵基地攻撃能力の保有検討と、軍事費の「相当な増額」を対米誓約しました。
 ですからアメリカは「安保3文書」を大歓迎です。バイデン大統領ら米政府高官から次々と歓迎が表明され、エマニュエル駐日大使は「岸田首相は素晴らしい勇気を示した」などと天まで持ち上げました。(<「戦争か、平和か」――歴史的岐路の年をどうたたかうか/新春インタビュー 志位委員長 大いに語る>より
 日本は、国民主権の国家である。にもかかわらず政府は、国民の代表機関である国会よりも「対米誓約」を重視している。それが、何よりも問題である。
 さらにインタビューでは、日本が米国の戦争に巻き込まれ、国土の焦土化となる危険性が高まっている実態を説明してくれていた。
 安保法制のときに散々議論したことなんですけども、「存立危機事態」で大事なことは、「日本は武力攻撃を受けていない」ということなのです。日本が武力攻撃を受けていないもとでも、米国が戦争を開始し、政府が「存立危機事態」と認定すれば、自衛隊は米軍と肩を並べてたたかう。敵基地攻撃能力を使って、相手国の領土に攻め込む。これは相手国から見れば、日本による事実上の先制攻撃になります。その結果は何か。報復攻撃です。国土の焦土化です。「日本を守る」のではなくて、「米国の戦争に日本を巻き込む」。ここに真実があるのです。(上同)