「自宅療養は止めて療養施設で隔離を!」と書いたばかりだが、今日の赤旗日曜版には、感染症の専門家による「自宅療養者をゼロに」という記事があった。こうなると、やはり、政治的判断の優先度に問題がある、ということになる。「自宅療養者中に死亡」といった事態を招いているのは、まさに政治的貧困そのものであろう。
それにしても、五輪を開催したい政府にとっては、そのためにも、コロナ対策に重点的に取り組みたいはずだ。それなのに、なぜ、コロナ対策として有効な対策を取ろうとしないのか、そこがわからない。
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2021年1月31日日曜日
自宅療養者をゼロに
2021年1月30日土曜日
野党共闘で緊張感のある政治を
今年元旦の朝日新聞コラム「天声人語」は、英国の作家ジョージ・オーウェルの『動物農場』を題材にしながら、現政界の問題点は政治的緊張感がないこと、だから、「今年こそ、緊張感のある政治を」と訴えていた。
『動物農場』は「ロシア革命に材を取り、スターリンの独裁政治を皮肉った寓話」だということをコラムを読んで初めて知った。初めは豚のナポレオンという独裁者と別の豚であるスノーボールという2匹の指導者がいて、政治に緊張感があった。それが、次第に変質していく話である。
具体的には、やがてスノーボールが追放されて、政治に緊張感がなくなってしまう。すると、ナポレオンはやりたい放題になり、「掟をねじ曲げ、豚たちだけで酒を飲んだり、人間のベッドを使ったり。ウソを重ね、文書を捏造する。ときおり不平を口にしていた動物たちも次第にならされて」しまう、という。全く、日本の今の政局そのもので驚く。
『動物農場』が教えてくれているように、現政権で起きている「ウソや文書を捏造」などの様々な問題は、「野党が弱いため政治に緊張感がない」状態が原因のようである。「下手をすれば政権を明渡す羽目になる」といった政治的緊張感があれば、これまでのように好き勝手はできないからだ。
念願の政治的緊張感は、実績のある野党共闘の発展以外にはない。野党共闘に楔を打ち込もうとしている勢力もあるようだが、それらに負けないで、緊張感のある政治を実現してほしい。
2021年1月29日金曜日
自宅療養は止めて療養施設で隔離を!
緊急事態を宣言しながらも、コロナ対策が二の次であることを次のように批判している。自宅療養を余儀なくされ、死亡している例が後をたたない。コロナ対策に十分な予算を回せば、自宅療養など止めて療養施設できちんと隔離もできるはずだし、そうしなければならない。「コロナ対策は最優先ではない」というのが、何よりも大きな問題である。
26日の予算委員会で首相は、国民一律に現金を配る「定額給付金」について「再び支給する考えはない」と述べ「Go To追加予算は予定通り」とした。五輪開催についても「まさに万全な安全安心の体制を組む中で、オリンピックは準備をしていきたい」と答弁。やはりコロナ対策は最優先ではないようだ。(「どこ行った?国民のために働く内閣」より)
2021年1月28日木曜日
理想的社会の必須條件とは
戦後の息吹のようなものを感じてみたい、と戦後の雑誌を読んでみた。『世界』1946年2月号の最初の論文は、田中耕太郎の「新政治理念と自然法」だった。その初めの方で「我が国家を破滅の一歩手間までもたらした諸原因を検討するときに、其処に誤れる国家觀と政治理論とが我が官民の間に普及してるたことが、共の最大原因の一つと認められざるを得ない」と述べ、その後、「民主主義と平和国家文化国家の理想に邁進しつつある」と、日本の進むべき道について述べていた。法学者だけでなく、文学者の言葉も格調高く、力強かった。乱れた政治が続いている今こそ、初心(原点)に帰って考えることの必要性を痛感した。なお、強調は引用者による。
今や我が国はポッダム宣言の忠実なる履行を誓ひ、民主主義と平和国家文化国家の理想に邁進しつつある。我々は軍国主義的、過激国家主義的要素を思想界から払拭しなければならない。(中略)民主主義は一言にして云へば、実質的の意味に於て個人が国家又は其の中の一部の者の単に手段としてでなく、自己目的として考へられることを要求する。其の帰結として人格の完成、個性の健全なる発達、社会的正義の実現、文化の向上等我々が理想的社会の必須條件として考へられる所のものが其の中に含まれている。それは一時代一民族に限局せられない所の、普遍人類的政治原則である。それは自然法に外ならぬのである。(田中耕太郎著「新政治理念と自然法」『世界』1946年2月号、p18)日本の再生は、もう一度軍国主義国家となるか、それともスイスやスウェーデンのような、平和な、民主主義的な、しかし人類と文明との敵に対して力の上で弱い国となるか、このことでの二者択一にはない。軍国主義、封建主義、階級的抑圧主義を絶滅して民主主義革命を仕上げること、そのことで人類とその文明との破壊者、敵に対してこれを打ち倒す力を自己に養って行くことにそれはなければならぬ。子供のための活動で、文學者、兒童文學者、すべての芸術家、科学者、教育者の目ざす目標も同様そこになければならぬ。日本の子供の進むべき道は泣き寝入りにあるのではない。子供らの教師の道は卑屈なインポテンツの養成にあるのではない。人間的な上にも人間的な、血の気、汁気の多い民主主義者の養成が最大の眼目である。(中野重治著「子供らのために」『世界』1946年2月号、p97〜98)
2021年1月27日水曜日
人を"資源"と呼んでいいのか
常備軍の兵士は、人を殺害するため、または人に殺害されるために雇われるのであり、これは他者(国家)が自由に使うことのできる機械や道具として人間を使用するということである。これはわれわれの人格における人間性の権利と一致しないことだろう。(『永遠平和のために/啓蒙とは何か/他3編』、中山元訳、光文社、2006年、p153)
日露戦争で日本軍が膨大な戦死者を出しながら旅順要塞(ようさい)を攻め落とした後、乃木将軍とステッセル将軍が対面した様子を描いた「水師営の会見」という唱歌があります。
・我はたた(称)へつ彼の防備
・彼はたたへつ我が武勇
日露戦争から40年を経ても、日本はこの歌に象徴される「武勇」だけが頼みでした。作戦参謀たちは、味方の兵士を「5千人殺せば(陣地を)とれる」などと話していたという証言があります。(「語る 人生の贈りもの」中西進、朝日新聞、2021年1月13日)
2021年1月26日火曜日
安全保障条約という名の軍事条約
論文「安全保障条約という名の軍事条約」『羽仁五郎戦後著作集』を読んだ。そこに、安保条約成立過程について、わかりやすい例え話による説明があった。
日本国民は犯罪戦争の破滅の結果占領下に首をおさえられ、その占領が長くつづいて苦しんでいた。そこで、どうだ、苦しいか、はなしてやろうか、はなしてくれ、それなら、おれを好きだといえ、そしておれが当分おまえのところにいることをのぞむといえ、そうすればはなしてやる、といって、そういわせておいて、手をはなし、のぞみどおり当分おまえのところにいてやる、といっているのが、サンフランシスコ平和条約にむすびつけられた日米安全保障条約という軍事条約ではないか。(『羽仁五郎戦後著作集・Ⅱ』、徳間書店、 p227)
そして最後に、日米安全保障条約の廃止こそ、日本国民の幸福がある、と結論していた。最近の安保肯定論と合わせて紹介する。軍事条約という日米安全保障条約の本質的性格を忘れてはならない。
日米安全保障条約の改定ではなく廃止の方向にこそ、沖縄小笠原両島の問題の完全な解決ものぞみうるのである。
日米安全保障条約の廃止、いかなる外国にも軍事基地を提供しない中立によって、日本は自立し、アメリカともソヴィエトとも中国とも最善の友好関係に入ることができるのである。ここにアジアの平和にたいする日本の責任と義務とをはたす道があり、日本国民の幸福があり、現在世界の世論もこの方向に動いているのではないか。(同上、p229)
日米同盟は、70年近くにわたり北東アジアの平和を守ってきた両国関係の礎だが、これを深化させ、再生させる必要がある。トランプ政権下で疑念が生まれたが、米国は強靱(きょうじん)な日本での軍事的プレゼンスを維持しなければならない。軍事予算の押し下げ圧力が予想される状況で、日米は防衛費での協力や、将来の軍事品調達の統合を検討する必要がある。中国や北朝鮮に対する抑止力となるよう、支出は軍事面での研究開発などに焦点を絞るべきだ。(ブルース・ストークス著「バイデン米政権誕生 日米同盟、再生の機会に」朝日新聞、私の視点、2021年1月25日)
2021年1月25日月曜日
戦争だけは「絶対に」始めてはいけない
『サンデー毎日』で、つい最近、なかにし礼さんの追悼特集があったと思っていたら、今度は、半藤一利さんの追悼特集があった。残念である。半藤さんは、昭和史の研究で知られているが、そんなか彼が「昭和史の最大の教訓」について、次のように語っていた。
「言論の自由がなくなったことで、戦争に対する抵抗ができなくなってしまった」というのが昭和史の最大の教訓です。(保阪正康著「追悼 半藤一利」『サンデー毎日』『サンデー毎日』、2021年1月31日号)
と。だから、日本学術会議会員任命拒否問題も、昭和史の教訓との関連も考慮して考える必要がある。何事も、”危険な芽”は小さいうちに摘んでおかなければならないのだ。(どんな危険な芽なのか、という認識が大切!!)
また彼は、この世に「絶対」はない、という信念を持っていたが、あえて、一度だけ、「戦争だけは 絶対に はじめてはいけない」と使っている。
東京の大空襲をくぐり抜け、「防空ごうから見上げるB29は、巨大な怪物そのものでした」(半藤一利著『焼けあとの誓い』、大月書店、2019年)といった恐ろしい体験もして、彼なりに昭和史を研究し尽くして得た言葉だけに、重みがある。彼の思想を学び、意思を継いでいきたい、そう思った。
![]() |
| (半藤一利著『焼けあとの誓い』より) |
2021年1月24日日曜日
沖縄の基地、「仕方ない」でよいか
「仕方ない」と言う側は、安心してその効用を得て、沖縄の負担の上にあぐらをかく。これが果たして正しいのだろうか。もっと現状を学び、理解する必要があるということに自分自身が気づいた。(大学生 金城大樹・東京都 21)
2021年1月23日土曜日
「辺野古埋立て」という暴力
沖縄のひとたちが、
何度やめてと頼んでも、
青い海に今日も土砂がいれられる。
差別をやめる責任は、
差別される側ではなく
差別する側のほうにある。(上間陽子 琉球大学教授著『海をあげる』・20.10)
この言葉を受け、「辺野古の海に土砂が投入されてから2年が経とうとしている。基地予定地の軟弱地盤が発覚してもやめようとはしない。いつ終わるともしれない工事は、反対の声を潰しながら身勝手に進む。沖縄で未成年の少女たちの調査・支援に携わる学者がこう述べる」(『暮しの手帖』、2020年12月・2021年1月号、p168、武田砂鉄著)と武田さんが書いている。動画撮影時の埋立面積は1%だった。
それが、4%まで進んできたようだ。しかし、ダンプカーの進行を遅らせようと、土砂を積んだダンプカーが次々とやってくる前をできるだけゆっくりと横切る「牛歩作戦」が続けられているという。朝日新聞夕刊(2021年1月22日)で知ったことだが、「日米安保体制を問わずして憲法9条を賛美する欺瞞」という指摘は、「諸悪の根源は安保にある」と常々思っていただけに、よく言ってくれた、と思った。「何度やめてと頼んでも」実行される、こうした暴力が許される社会は、異常としかいえない。
憲法9条と日米安保体制。そのあり方を問い直さずにきた朝日新聞を含むリベラル派にも責任がある、と目取真は指摘する。
「日米安保体制を問わずして憲法9条を賛美する欺瞞(ぎまん)はやめるべきだ。尖閣諸島を守っているのは海上保安庁であって米軍でも自衛隊でもない。辺野古新基地建設に金をかけるのは愚かだ」(朝日新聞夕刊、2021年1月22日)
![]() |
| 埋め立て工事が進む沖縄県名護市辺野古の沿岸部=9月4日(小型無人機から) |
防衛省沖縄防衛局は1日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への移設を巡り、埋め立て予定区域全体の約4%となる約6・3haで、海水面から高さ3・1~4mまで埋め立てを完了したと発表した。今後、滑走路を造成するため土砂のかさ上げ工事に着手する方針で、原状回復はさらに困難になった。(「沖縄・辺野古、4%埋め立て完了 静岡新聞アットエス」より)
![]() |
| こうして土砂を搬入 |
![]() |
| 一年前 |
![]() |
| 一年後 |
2021年1月22日金曜日
歴史認識の共通化を
寺島実郎著『日本再生の基軸 平成の晩鐘と令和の本質的課題』(岩波書店、2020年)は、今後の日本のとるべき進路が示されており、興味深かった。「脱亜入欧米」を基調としてきた反省に立って、「アジアを正視し、相互理解と相互交流の流れを創る覚悟」というのはもっともな話である。しかし、それらの大前提に「歴史認識の共通化」という課題は欠かせない。アジア諸国に侵略した事実など、大日本帝国がしてきた「負の遺産」を直視することなくしては、相互理解も相互交流も進展は望めないに違いない。そこまで言及してほしかった。
令和日本の進路に関する大方の議論を集約すると、三つのキーワードに収斂するといえよう。一つは、「アジア・ダイナミズム」であり、今後二〇年、年率六%台の実質成長を続けると予想されるアジア(除く日本)のGDPは、少なくとも日本の一五倍に達していると推定される。ちなみに、二〇一九年の段階で、日本を除くアジアのGDPはすでに日本の四倍となった。日本の貿易総額におけるアジア諸国の比重は現在五割を超しているが、二〇年後には、間違いなく七割に迫っているであろう。
また、二〇二〇年代に六〇〇〇万人の外国からの来訪者を期待し、「観光立国」で活性化を図ろうとする日本にとって、インバウンド(外国人来訪者)の七割がアジアからという実態を直視すれば、四〇〇〇万人を超すアジアからの来訪者を想定しているわけで、貿易・人流など、あらゆる意味でアジアの成長力を吸収し、日本の新たな前進を実現するという認識に立つ必要がある。
このことが日本に突き付けるものは何か。それはアジアを正視し、相互理解と相互交流の流れを創る覚悟である。その前提として、日本がアジアにとって魅力ある存在たりうるのかという課題がみえてくる。アジア広域を巻き込んだ戦争が終わって七五年を迎えるいま、中国の強大化と強権化か際立ついま、日本の立ち位置が問われる。
アジアの国でありながら、日本近現代史はその大半をアングロサクソン同盟で生きたという特色をもつ。一九〇二年から二三年までの「日英同盟」、そして敗戦後の一九五一年から今日までの「日米同盟」を国際関係の基軸としてきた。日本人の多くは、二つの同盟を挟む期間が「戦争から敗戦」という悲惨な迷走期だったため、「アングロサクソン同盟は成功体験」と認識する深層心理がある。
つまり、「脱亜入欧米」を基調とし、ご都合主義的にアジアと関わってきた国が、経済的利害でアジアに接近しても、その成果は限られている。何よりも、相互理解の得られる「国造り」が重要である。近代史を省察し、アジアの脅威とならない「非核平和主義」の徹底、民主国家としての政治の透明性、日本モデルと、言わしめる産業・技術における先行性・創造性など日本の基軸が求められる。(寺島実郎著『日本再生の基軸 平成の晩鐘と令和の本質的課題』、p126〜127、強調は引用者による)
2021年1月21日木曜日
多様性と個の尊重
朝日新聞夕刊「美の履歴書」の681は、阿部合成作「見送る人々」だった。日の 丸を掲げていることから、戦時中のことであろうと想像できる。「国家総動員」とか、「一億総特攻」など、「みんなが同じ方向を見る」ことを強要されたからだ。そうした流れの中で「一億総活躍社会」などと叫ばれるようになってきた。だからこそ、青森県立美術館・池田亨美術企画課長さんの「みんなが同じ方向を見るなか、それでいいのかと問いかけている」という指摘は、現実的な意味を持って、我々に迫ってくる。
自然界を見ると豊かな「多様性」に満ちている。水族館に行くとよくわかる。人間社会も同じで、多様性に満ちている。それが本来の姿で、そのことを理解すると、他(個)の尊重も理解され、いろんな方向がある(みんなが同じ方向など不自然である)ことも理解されるに違いない。
顔、顔、顔。画面を、二十数人の老若男女が埋め尽くす。顔以外の要素といえば、日の丸の旗とのぼりぐらい。
フレームの中に叫ぶ顔、泣く顔、うつろな顔をひしめかせ、顔にだけスポットライトを当てるような表現で、出征兵士を見送る人々の抑えがたい感情を描いている。ボスやブリューゲルの群衆表現や、民衆を描いたメキシコの壁画との関連も指摘されるが、エッジのきいた造形、髪や指先までを克明に描く細部の力が加わり、戦後のルポルタージュ絵画を先取りするような、ひりひりとした切迫感、新しさがある。
のぼりの下で、こちらを向く男性は自画像。青森県立美術館の池田亨・美術企画課長は「みんなが同じ方向を見るなか、それでいいのかと問いかけている」点に魅力があると話す。(朝日新聞夕刊、2021年1月19日)
![]() |
| 青森県立美術館「見送る人々」 |
2021年1月20日水曜日
あくまで頑張る軍隊は全滅する
図書館で『伊那谷の老子』(加島祥造著、淡交社、1995年)を読んできた。老子の思想を詩で表現した変わった本だったが、「あくまで頑張る軍隊は全滅する」という一節を知って驚いた。まさに日本の皇軍そのものだったからである。
「あくまで頑張る軍隊は全滅するこれは原文も示されていた
(中略)
弱くて繊細なものこそ
上に位置を占めて
花を開かせるべきなのだ」(p183~184)
「堅強なる者は死の徒、柔弱微細は生の徒なり。
是を持って兵強ければ即ち滅び、・・・」
美輪 石油も鉄もない。資源も軍事力もない日本はそもそも戦争ができない国、やってはいけない国ですから、別な方法で世界から尊敬されるようにならなければ。「富国強兵」で国を滅ぼしていながら、懲りずに「核の傘」だ、「ミサイル」だ、と言っている。軟弱でいい、「柳に枝折れなし」なのだ、文化に花を開かせてこそ、日本に、世界に未来が拓けるというものである。
有働 別な方法とは何でしょう。
美輪 文化と人材で尊敬される国になって、力をつけるしかないと思います。以前、フランスのあるデザイナーに会った時に「美意識と言うのはフランス人が世界一だと思ってたけど違った」と言うんです。「日本の能装束や歌舞伎の衣装の材質や縫製や色のバランスを見た時、とても日本人にはかなわないと思った」と。
特に色の種類や名前は三千ぐらいある。しかも鶸色色とか朱鴬色とか、御納戸色とか水浅葱とか風情のある名前が全部についている。そんな色彩感覚を干数百年かけて磨いたことにの文化を紹介して、その洗練された美しさにみんなびっくりした歴史もありますし、美人画や浮世絵がモネやマネ、ゴーギャンなど世界の天才に影響を与えたこともあります。
有働 日本は漫画やアニメだけではない。世界に発信できる文化を持ち続けていた。
美輪 でも、その文化を壊したのが戦時中の軍人で、彼らは「文化は軟弱なものである」と、ご先祖様が苦労して築き上げてきた文化を戦争の間にすべて叩き壊してゼロにしてしまった。本当の非国民でした。(「美輪明宏×有働由美対談」『文藝春秋』2019年9月号、p429)
2021年1月19日火曜日
繰り返される米軍低空飛行の真の解決は
「沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島で、編隊を組んだ米軍機の超低空飛行が年末年始に繰り返された。山の間をぬうように旋回する姿に住民は恐怖を感じ、沖縄県議会の特別委員会は14日、全会一致で抗議声明を出した。
一歩間違えれば大惨事につながりかねない米軍の無軌道ぶりだ。断じて容認できない」というものだ。
しかし、なんと政府は、
岸信夫防衛相は会見で「米軍による飛行訓練はパイロットの技能の維持・向上を図るうえで必要不可欠」「日米安保条約の目的達成のための重要な訓練」と述べ、容認する考えを示した。(朝日新聞社説・2021年1月19日))というから驚く。社説が「わかったのは、岸氏が目を向けている先は国民でなく米国だということだ」と書いているが、そうした自民党の姿勢は今に始まった事ではない。従って、「政府は厳重に抗議し、合意の徹底順守を求めるべきだ」と書かれていても、なんとも心許ない。在日米軍に求めても、なんら効果がないことは、今までの経過からも自明のことだからだ。
根本的な解決を求めるならば、在日米軍の存在自体にまで踏み込まなければならない。そもそも、日本の国土にありながら在日米軍には日本国憲法も及ばないこと自体が問題なのである。繰り返される米軍低空飛行の真の解決は、そこまで踏み込まなければ実現は難しいのだ。
2021年1月18日月曜日
命脈を保っていた731部隊
731部隊は過去のもの、と思ってきた。しかし、どうも今の自衛隊に引き継がれて命脈を保っていたようだ。そのことを知って愕然とした。どうしてそう思ったか?
![]() |
| 「『imagine』2021年1月1日号」より |
1、731部隊に関する史料はアメリカに渡ったということから、日本にはないもの、と思ってきたが、すでに返還されて、自衛隊が持っているらしいが、公開を拒んでいるという。
731部隊に関する史料はアメリカ、中国、ロシアなどでは公開されていますが、唯一日本だけが未だ隠し続けています。
1986年9月、米下院復員軍人補償問題小委員会の公聴会でハッチャー国防総省記録管理部長は「戦犯免責と引換にアメリカに渡った731部隊のデータは1950年代末に日本に返還した」と証言、議事録にも記載されています。
この返還されたはずの「データ」の開示を求めてこれまで様々な場で公開を要求してきました。「731部隊裁判」(略称)、「細菌戦裁判(略称)によって多少の731部隊関連資料が開示されましたが肝心の「データ」は明らかにされていませんでした。 (和田千代子著、「731部隊・細菌戦関連資料の情報公開を求めて」『imagine』2021年1月1日号、アウシュヴィッツ平和博物館、p6、強調は引用者による)
2、戦後、元731部隊員及び関係者が自衛隊に入隊しているだけでなく、自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、研究しているという。厚い秘密のべールに覆われた「化学校」まで存在している。
戦後、元731部隊員及び関係者が自衛隊に入隊していることから、当時実戦で知り得た情報・研究論文等を掲載していると思われる陸上自衛隊衛生学校及び化学学校発行の内部誌『衛生学校記事』と『化学学校記事』の公開を要求して2013年11月(化学学校は2016年)東京地裁に提訴しました。
当初、被告(国・防衛省)は「I冊も無い」と主張していましたが裁判開始8ヵ月後の2014年9月、防衛医科大学の図書室等から『衛生学校記事』28冊が発見されたとして謝罪、公開しました。発見されたのは発行元の「衛生学校」ではありません。『化学学校記事』に関しては一冊もないと主張しています。防衛省にも発行元の衛生学校、化学学校にも「1冊も無い。保管していない」「保存期間が過ぎ廃棄した」という回答は不自然であり到底納得できません。
既にご存知の通り、戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の中国軍民に残虐な被害を与えました。旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、研究しています。特に「化学校」は厚い秘密のべールに覆われており、その研究や訓練の内容を知ることは非常に困難です。(同上)
なぜ、真実を追究するのか?に対する答えの、「日本と東アジア諸国との友好関係を築く上に不可欠だ」というのは、その通りだと思った。なお、日本軍による毒ガス関する問題については「戦争は終わっていない現実(終戦→敗戦)」でも言及している。
日中戦争期の日本と東アジア諸国との歴史を正確に認識することは将来の日本とこれらの国々との友好関係を築く上に不可欠なものであると思います。特に731部隊、細菌戦関連史料の隠蔽は歴史事実の究明を遅らせ、歴史認識にとって大きな障害です。(同上)
2021年1月17日日曜日
理想をかかげて妥協する
今までの議論の中で、それは理想論だ、と言われると議論が先に進まなかった。「在日米軍の存在も、自衛隊の存在も常備軍であり違憲である。9条の完全実施で真の独立を実現しよう」、あるいは「全方位外交」とか「非武装中立」といっても、現実的に無理ではないか、と言われると、反論もできずにいたのだ。
それでは、今は無理でも、理想として掲げることは、どうなのか、と一歩考えを進めてみた。そこで、9条や「非武装中立」は現実的でない、という立場でも、選択肢として、
①それでは9条を変えて仕舞えばいい、という意見
②それでも、理想として掲げておくことは大切、という意見
があることに気づいた。
そういえば、『発想法カルタ』(板倉聖宣著、仮説社)に「理想をかかげて妥協する」というのがあった。「長い間、理想を捨てずに頑張っていると、いつかはその理想を部分的にも実現できるチャンスがやってくる」(p87)というものだ。
カントの理想論が良い例だ。これまで輝き続け、確実に、少しづつ、理想が実現してきた。何よりも、日本国憲法の理想論に至って、大分カントに近づいてきたことは明らかである。
理想をかかげていれば、それだけでも光を放ち、現実を照らしてくれる。そうして我々に勇気を与えてくれる。「理念は永遠である。それは永劫の未来に於てのみ自己を実現すると共に、超時間的として直ちに現在に作用する」(『永遠平和のために』、高坂正顕訳、岩波文庫、1959年、訳者による解説)のだ。これこそ、”理想の力”というものである。
2021年1月16日土曜日
改憲の真の狙いを正しく知る
今でこそ改憲論は弱くなっているが、諦めたわけではないはずだ。だからこそ、原点に帰って、改憲の本質を見ておく必要がある。改憲の目標は、今のところ「責められたらどうする」といった防衛論が中心になっている。しかし、改憲の真の狙いは、決してそれだけではない。自民党の憲法改正大綱原案というものを見るとよくわかる。例えば、
武井 自民党の憲法改正大綱原案というのが昨年〔二〇〇四年〕の十一月十七日の新聞報道で紹介されていました。その案では、国旗「日の丸」と国歌「君が代」とを定める規程が憲法の第一章の中に組み込まれています。また、天皇は、日本国の「元首」と位置づけられ、皇位は世襲、男女を問わず、皇統に属する者が継承することになっています。自民党は、はっきりと元首論の立場を打ち出したわけですね。ところが、自民党は、今年の一月になって、再検討すると言って、この案を引っ込めます。(『大西巨人 抒情と革命』、p48、強調は引用者による)
武井 象徴天皇制の現在でも「外交上、元首として遇されている」既成事実を使って「国民主権」を空洞化させていこう、とりわけ国民つまり人民の諸権利を徹底的に奪おうという意識が明瞭です。総じて、自民党草案のやり方は、悪知恵を働かせて、とても巧みです。
そういう権力側の人民の権利を抑圧しようという思惑を人々に理解してもらうためには、議論を九条に絞ってしまうのではなく、共和制の根本にある理念と国民主権とは切り離せないことや労働者の働く権利や生存権を守っていかなければならないことなどをはっきりと打ち出し、事ここにまで至った状況を改めていこうとする思想運動を展開する姿勢がないと、いま挙げたような自民党の巧妙なやり方をせき止められないのではないでしょうか。(同上、p49、強調は引用者による)
という具合である。改憲の本命というか、全体像をつかむことの重要性を指摘されているが、その通りだと思う。防衛論議(自衛隊)に目を奪われ、改憲の真の狙いが「歴史の逆行」にあることを忘れてはならない。
2021年1月15日金曜日
自衛隊の災害救助はまやかし
自衛隊の災害救助はまやかしだという考えを知って驚いた。そういえば、『新哲学入門』(板倉聖宣著、仮説社)に、たいていの人は、ものごとを根底から考え直すことをしない。「常識的な考え方があまりにも当然に思えて、そこから抜け出すことができないのです」(p111)とあった。自衛隊が災害救助をすることも、あまりにも当然すぎて、そこに疑問さえ持たなかった。それだけに、「自衛隊の災害救助はまやかしだ」という指摘には、本当に驚いた。
武井 旧「新左翼」と言うとおかしいですが、その人たちの中には、暴力革命の思想を聖典のように戴いている者もいますね。今でも、イラクの自爆テロを支持する声明かだされたりしている。
大西 そういう人たちは、「聖戦」という言葉に何か崇高なものがあると勘違いしているおっちょこちょいじやないか。自衛隊の海外派兵を「国際貢献」と勘違いして支持する人と同じと言えば同じだろう。川が氾濫したり、地震が起きた場合、警察だけでは間に合わないということで、自衛隊が国内でも「災害救助」の目的で派遣される場合があるが、あれもまやかしでね。災害救助隊を作ればいいものを、ごまかしているんだ。それでも、「自衛隊はなかなか役立つな」と勘違いする人は現れるからね。いずれにしても、本質が見えていない。(『大西巨人 抒情と革命』、 p60、強調は引用者による)
小田実さんも、次のように現実的な提案をしている。
自然災害にしろ、人工災害にしろ、災害が起こるとよく自衛隊の救援が要請されたり、実際に出動したりしますが、まず、こうした自衛隊に頼るかたちでの救援でない救援の体制を形成し、維持すべきです。
自衛隊の給水車が来てくれたことがありました。せっかく来てくれたことに対して私は文句をつける気はまったくないのですが、ただ、おどろいたのは、その給水車は鋼鉄製の重いものであった上にあまりにも容量の少ない小さいものであったことです。三重県久居市のものはタンク車の大きい容量のものでしたから、どうしてもその対比は目立ちます。それも道理、その小さな鋼鉄製(久居市のは、ただのジュラルミン製か何かのタンクです)の給水車をひっぱって来たのは巨大な兵員輸送車で、そのときには兵隊さんはそんなに乗っていませんでしたが、一目瞭然、判ったことは、その小さな給水車はもともとその巨大な兵員輸送車で運ばれる兵士たちへの給水のための給水車であることです。
自衛隊の元来は戦闘用のヘリコプターを買う一機分の値段で地方自治体の救援ヘリコプターは何機も買えることになる。この「平和主義」の選択を私たちがすれば全体ではるかに安上りに救援ヘリコプターの装備はできることになるとともに、社会の非武装化、非軍事化は強力に増加することになります。私はここで夢物語を話しているのではありません。「阪神・淡路大震災」での被災の体験に基づいて、きわめて現実的な提案をしています。『ひとりでもやる、ひとりでもやめる』、小田実著、p150~153、強調は引用者による)
2021年1月14日木曜日
恐ろしい「倫理性に欠けた理性」
なかにし礼さんの「巨星追悼特集」(『サンデー毎日』、2021年1月24日号)を読んだ。その中で、保阪正康さんが紹介していた『赤い月』(なかにし礼著、新潮文庫)の一節が印象的だった。
『赤い月」などでも存分に語られているのである。国家の菜略機関に生きた人物が、戦後になって漏らす言がある。重要な台詞である。
「国家だけが一人化け物になるわけではない。国民も一緒になって小さな化け物になっていくのだ。自らの意思によってか、恐怖によって強いられてか、いずれ にしても国民のほとんどが理性を捨てて、小化け物になっていくのだ。それが愛国心のからくりだ。俺は、自らの意思によって理性を捨て、小化け物となり、化け物の手先となって働いた口だが、あげくにこうして良心の呵責に苦しんでいる」(p107、強調は引用者による)
ここの、「自らの意思によって理性を捨て」というところが気になった。この場合の”理性”と、何も考えずに、ズルズルと”理性”をなくしていく場合の理性を同じ理性と言って良いのだろうか、と。”理性的な化け物”というのがあっても良い、と。その典型が、アウシュヴィッツで有名になったアドルフ・アイヒマンであろう。引用した文章に欠けているのは、倫理性についての分析である。倫理性に欠けた理性が最も恐ろしい。私はそう思う。
2021年1月13日水曜日
だれの子どもも、ころさせない
ドラマ『刑事フォイル』の舞台は、第二次世界大戦さなかのイギリス南部、ドーバー海峡に面した美しい町ヘイスティングズ。フォイルは、国家の大事を前に政府で働くことを希望するが却下され、ヘイスティングスの警察署に警視正として赴任することを命じられる。このときのフォイルと上司のやりとりの中で、上司がフォイルに向かって、
「国民の半分も人を殺す訓練を受けているんだぞ」だから、小さな町ヘイスティングズでも殺人事件や犯罪が絶えない。その上、署員もどんどん軍隊に採られてしまって少なくなってしまっているので、優秀な刑事をやめさせるわけにはいかない。
と言い、フォイルの希望は却下されてしまう。
「国民の半分も、軍人として人を殺す訓練を受けている」という、ごくごく当たり前のことが、何故か、新鮮に聞こえた。小林よしのりさんによれば、「国の防衛にあたることは本来、崇高な職務です。守らなければ国は滅びる」(2015年9月2日、朝日新聞)という。国の防衛のためには、人を殺すことがあっても、その過程で、殺されるようなことがあってもいい、という思想が根強くある。
国防のためには、人を殺す訓練が必要だし、「殺されることがあっても、それは名誉の死として尊ばれる」というこの思想こそ、上野千鶴子さんが言うところの<「命より大事な価値がある」っていうイデオロギー>(『生き延びるための思想』、上野千鶴子著、p234)である。それに対して、「命より大事な価値などない」という思想がクローズアップされる必要がある。
それにしても、「だれの子どもも、ころさせない」は未だかつてないほどの名言である。国防の思想には、敵国の人命など眼中にない。同時に、国あっての国民、国が滅びてしまったら国民の命も守れない、という論理が貫かれている。そこに国民主権はないのだ。憲法が貫かれていないのだ。しかし、敵国の人命も、自国民の命と主権も守れる「だれの子どもも、ころさせない」思想に立って初めて国も守れるということである。
戦争体験者の証言に、「今でもいつ戦争になるか、そんな気がしますからね。よっぽど外交をしっかりやらないと。国民がしっかりして、みんなと仲良くするよう努力しなくちゃいけないと思いますね」(吉岡政光『朝日新聞、2020年12月8日』)。というのがあったが、敵国などつくらず、朝鮮とも、中国とも仲良くすることこそ、「だれの子どもも、ころさせない」思想そのものである。
2021年1月12日火曜日
『鬼滅の刃』を読み始めた
話題の『鬼滅の刃』について、何一つ知らなかった。五歳の孫までが興味を示しているからには、と、ノベライズ版を読み始めた。鬼は光に弱い。日本国憲法の理想主義を光に例えれば、日本国憲法を敵視している人たちが鬼に見えた。理想主義に磨きをかけて、光を強くし、鬼退治をしなければ、と思ってしまった。
![]() |
| ゴヤ作「これこそが真実なんだ」(版画集『戦争の悲惨』、p169) |
そういえば、ゴヤも、版画「これこそが真実なんだ」で、戦争の対極にある真実・理想というものを後光のような光で表現していた。版画集の解説によると、「後光のような明るい光の中での語らい。なんと豊かなことだろう、人と人とが殺し合う戦争の対極にある、人が生きるための糧をつくり育てる平和な営み」(谷口江里也著『戦争の悲惨』、p168)だという。戦争の対極にあるのは、平和であり光なのである。
物語はまだ始まったばかりで、炭治郎は鬼と戦える力量をつけようと修行に励んでいる。そんな中、ある日「おまえは知識としてそれを覚えただけだ。おまえの体は何もわかってない」「鱗滝さんが教えてくれたすべての極意を、けっして忘れることなどないように! 骨の髄までたたきこむんだ」と言われる。そうか、これが「身体知」ということか、と納得し、前に書いた「相田みつをの探究心」を思い出した。そして、一二度読んで「わかったつもり」にならないように気をつけなくてはいけない、と思った。
2021年1月11日月曜日
権力構造の世界史的な大転換
美術史に革命をもたらしたと言われるフランシスコ・デ・ゴヤについて、谷口江里也さんによる紹介文がある。世界史の流れについても理解が深まって興味深い内容だった。特に、「権力構造の世界史的な大転換」という一言にインパクトがあった。そして、日本国憲法も、そうした世界史の流れを受け継いでいることに”一層の誇り”を持つことができた。なお、強調は引用者による。
近代という時代は、象徴的には、産業革命とフランス革命という、歴史的な大転換を契機に始まった。それによって産業や経済の仕組も、社会や権力の構造も一変した。それでは視覚表現の世界に、それに匹敵するような革命をもたらした表現者はといえば、それはフランシスコ・デ・ゴヤである。
ゴヤは油絵と違って版画という、同じ画像を多くの人々が手にすることができる、現代のマスメディアにつながる幻想共有媒体を駆使して、それまでの長い絵画の歴史のなかで描かれなかった世界、描かれようのなかった世界を描き、表現対象と表現領域と表現方法を飛躍的に拡大し深化させて、視覚表現の世界に革命を起こした天才だ。(谷口江里也著『視覚表現史に革命を起こしたフランシスコ・デ・ゴヤの第一版画集 ロス・カプリチョス』、未知社、2016年、p1)
なぜなら、
歴史的に見れば、西欧において絵画は長い間、王侯貴族や教会や富豪などの、広い意味での権力者が画家に発注することによって描かれてきた。したがって描かれる画題は、肖像画であれ、宗教画であれ、戦勝の記念などとして描かれた歴史画であれ、基本的には権力者の側の視点に寄りそうものであり、描かれ方も、権力を美化したり権威付けを助けるものであることが重視されてきた。
しかしゴヤは、隣国のフランスで、民衆が権力を掌握し、議会の議決によって遂には王を処刑するという、権力構造の世界史的な大転換が起きた、まさにその時に、時代の風を受けるようにして、新たな視覚表現領域に果敢に挑戦し、独走し、孤立無援の闘いを繰り広げた結果、一一百年の時空さえも駆け抜けて、現代が抱える課題にまでたどり着いた。(同上、p1〜2)
フランス革命の影響を受けて、
革命を経て社会は動乱の時代に入り、体制も価値観も目まぐるしく変化するなかでゴヤは、宮廷画家という、本来ならば画家という職業の頂点であるはずの地位に危機感を抱くとともに、これからは民衆が相手だとばかりに、従来の関係のなかでは描き得なかった画題を追求し始め、それを『ロス・カプリチョス』と題する版画集に結実させて、一七九九年、自らそれを出版した。(同上、p2)
2021年1月10日日曜日
その絵に癒され、励まされ、奮い立たされ……
原田さんが後半に書いているように、「なんら意識せずに、漠然と眺めたとしても」、いいな〜と感動する絵もあるが、そうした絵は、少ない。しかし、画家の伝記などを読んで作家のことを知ると、作品の見方が変わる時がある。絵のこと、画家のことを知ることによって、より絵画鑑賞が楽しめることが、原田さんの一言でよくわかった。
目の前に、一枚の絵がある。
その絵と対峙するとき、いったい、どれほど長く激しい時の流れをかいくぐり、どれほど多くの人々の労力と愛情と支援をもって、その絵が私たちの目の前にやってきたのかと、つくづく思う。
一枚の絵は、あるときには祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニフェストであり、魂の叫びであった。
私たちは、それらの絵、一枚一枚に向き合って、画家の思い、メッセージ、策略、愛、苦悩を感じ取る。
そしてその絵に癒され、励まされ、奮い立たされ、前を向いて歩き出すために背中を押してもらいもする。
なんら意識せずに、漠然と眺めたとしても、ふいに心の中へ飛び込んでくる絵もある。そういう絵には、観ている人にとって、何か決定的なものがあるのだろう。(原田マハ著、『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』、集英社新書、2017年、p40〜41)
![]() |
| (「どうして隠すんだい | フランシスコ・デ・ゴヤ」より) |
どうして隠すんだ
答えは簡単、金を使うのが嫌だからだ。かりに八十歳になって、あと一ヶ月の命となったところで、その一ヶ月の間にお金に困るようなことになったらと考えると怖くて使えないのだ。実に的はずれなケチの算段。貯め込んだ金を決して手放すまいと必死の形相の老人と、それをからかう人々。服装と帽子から、老人はどうやら聖職者のように見える。そうであれば、敬虔なカトリックの多いスペインで、食べていくには困らないはずだが、王の地位さえ脅かされるような時代(注1)と思えば、不安も高じるのかもしれない。
ケチというのは、どこにもどんな時代にもいるもので、浪費家から見れば美味しいものも食べないでひたすら倹約するというのは信じ難い生き方だろうが、しかし倹約家から見れば、明日のことさえ考えないような連中こそ、とんでもない愚か者に映るだろう。そしてどちらも、そのような生活を続けるうちに、やがてその生き方が身に染みついて、それ以外の生き方ができなくなる。気が付けばいつのまにか、金が人生を支配するようになってしまう。それが金の恐ろしさだが、それにしても、帽子を被って笑う人の表情もまた実に不気味だ。(谷口江里也著『視覚表現史に革命を起こしたフランシスコ・デ・ゴヤの第一版画集 ロス・カプリチョス』、未知社、2016年、p64、注と強調は引用者による)注1:フランス革命の時代、注2:第一版画集を『人間社会の愚かさを描いた版画集』とも書かれていた。
2021年1月9日土曜日
対米過剰依存から脱却しなければ・・・
2021年1月8日金曜日
再軍備は言葉のごまかしの積み重ね
星野 自衛隊は、産みの親も育ての親も米軍でしたから、国民に支持される基盤がない。そこから、「特車」のように言葉でごまかすことが必要になったと思うのです。
古関 今でも、歩兵部隊といわずに「普通科」といいますね。砲兵部隊は「特科」ですか。
![]() |
| 「陸上自衛隊組織図」より |
星野 そうそう。それから朝鮮特需、ベトナム特需なんていったけど、あれは、軍需(軍事需要)、『戦術』(戦時需要)なのよ。それを「特車」の言いかえと同様、「特需」といった。それからまた「自衛力」とか「防衛力」という言葉を発明する。あるいは「戦力なき軍隊」、つまり日本の再軍備は、言葉のごまかしの積み重ねなんです。それをちゃんと学生たちは批判しておったわけよね。
古関 ただそのごまかしごまかしが、ある意味では、既成事実を四〇年積み重ねて定着してしまったわけですね。しかし、定着したとはいっても、なにしろその時どきのアメリカ政府の要求を、その日暮らしでとりつくろってきたから、非常に弱い部分を持っている。(同上、p23〜24)
替え歌による自衛隊批判(「同上、p23」から編集して紹介)
星野「防衛二法・自衛隊法が発足したのは一九五四年ですけれども、僕が平和憲法の未来に確信を持ったのは、発足した翌年ころ、学生たちが自衛隊批判の替え歌をつくってコンパでうたっていたのを聞いたときですね。「オタマジャクシはカエルの子ナマズの孫ではないわいな それが何より証拠には やがて手が出る足が出る」という、あれの替え歌
*自衛隊は軍隊だ お巡りさんではないわいな それが何より証拠には 道を聞いても知りません(学生作)
*特車というのは戦車です ハイヤーやタクシーじゃないわいな それが何より証拠には お客乗せずに武器載せる(学生作)
*護衛艦は軍艦だ 漁船や汽船じゃないわいな それが何より証拠には 雷魚獲らずに 魚雷撃つ(星野作)
*自衛隊は他衛隊 国民守るそれじゃない それが何より証拠には すべて米軍の言いなりだ(星野作)
*海外派兵は侵略だ 公務員の出張じゃないわいな それが何より証拠には 弾に当たって帰らない(星野作)
2021年1月7日木曜日
アメリカからの「独立」を考える
日本国憲法が、その真価を発揮して光り輝くようになるためには、米国と日本との従属関係を断ち切る必要がある。日本が名実共に独立を果たして初めて、それこそ晴れて日本国憲法の実力が発揮されるであろう。だからこそ、”アメリカからの独立”を果たさなければならない。
日本が、どれほどの屈辱的な従属関係にあるかを知ることができる三冊の、永江朗(書評家)による書評が『通販生活』(2021年春号)に掲載されていた。テーマが「アメリカからの『独立』を考える、この3冊」で、それは次の通り。
1、『日米地位協定 在日米軍と「同盟」の70年』(山本章子著、中公新書、本体840円+税)
2、『横田空域 日米合同委員会でつくられた空の壁』(吉田敏浩著、角川新書、本体840円+税)
3、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(伊勢崎賢治、布施祐仁著、集英社クリエイティブ、本体1500円+税)
以下、書評の要点を紹介するが、これだけでも、不平等条約の屈辱的な実態のあらましがわかる。今や「地位協定の加害国になりつつある」というのは知らなかった。書評を読んでから改めて横田空域に関する画像を検索し、わかりやすいものを見つけた。民間航空機がどれだけ無理をしているかが一目瞭然だった。
![]() |
| (「羽田新ルート は「横田空域」のせいなのか?」より) |
![]() |
| (横田基地のような進入管制区は、全国さまざまな空港・飛行場に存在している 「羽田新ルート は「横田空域」のせいなのか?」より) |
日本とアメリカの関係は、敗戦直後の占領時代から本質的に変わっていないのではないか。そう思う理由のひとつは日米地位協定の存在だ。ごく大雑把にいうと、米軍は日本国内の基地を自由に使えるし、米兵や米軍関係者は日本でどんな悪いことをしても日本の法律で裁かれないという、不平等で理不尽な協定である。しかも具体的な運用は協定そのものではなく、日米高官による密室会議「日米合同委員会」で秘密裏に進められることが多い。翁長雄志沖縄県知事は亡くなる前「日本国憲法の上に日米地位協定があり、国会の上に日米合同委員会がある」という言葉を遺した。
戦争が終わっても他国の軍隊が駐留し続ける。この異常な事態を常態化するためにつくられたのが日米安保条約であり日米地位協定だった。
地位協定は沖縄外にも及ぶ。もちろん東京でも。「横田空域」には米軍がいかに日本の空を自由に使っているかが書かれている。・・・横田空域は東京都の西部にある米軍横田基地を中心に東京・神奈川・埼玉・群馬のほぼ全域とその周辺の1都9県に及ぶ。この空域は米軍が優先的に使用する。
国内には横田以外にも岩国空域など米軍が自由に飛行訓練を行うエリアがあり、住民は日常的に騒音や事故の危険にさらされている。地位協定はけっして他人事ではないのだ。
米軍は日本以外にも基地を置いている。だがこんなにも不平等なのは日米間のものだけだ。「主権なき平和国家」は地位協定をドイツやイタリア、韓国、フィリビンなどと比較している。どの国でも政府はアメリカとガンガンやり合って、自国民の生命と財産を守ろうとしている。日本と同じく第二次世界大戦の敗戦国であるドイツやイタリアも。なぜ日本の外務省はこんなにも後ろ向きなのかと悲しくなる。彼らの給料を払っているのは私たち日本人および日本に住む外国人なのに。
そして「主権なき平和国家」の最も重要な点。日米地位協定によって理不尽な目に遭っている日本は、いまや地位協定の加害国になりつつあるという事実だ。自衛隊の海外派遣にともない、日本政府は派遣先国と地位協定(交換公文)を結んでいるが、これが日米地位協定と同じく不平等なものなのだ。この現実を直視しよう。(『通販生活』、2021年春号、p164、強調は引用者による)
2021年1月6日水曜日
意思を持って楽観できる未来を
明るいニュースを見つけた。2021年1月6日AM7時のニュースで、小林りんさんが日本に、世界中から生徒を集めた高校(ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン)を設立し運営していることを紹介していた。世界の貧困や格差などを解決していけるリーダーを育成しているという。そんな学校があったんだ、とびっくりした。そして嬉しかった。
混沌としたこんな時代だからこそ、「逆に視点を変えて新しく進化する変革のチャンスだと思う。意思を持って楽観できる未来を当事者意識を持って切り開いて行く世の中にできたらいい」という言葉が胸に響いた。
ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパンは、チェンジメーカーの育成を目的とし、100名の発起人により設立された、ユニークな理念と歴史を持つ学校です。
日本で初めての全寮制国際高校である本校は、人々や国や文化を結び、平和と持続可能な未来に貢献する、世界的国際教育機関ユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)の加盟校です。知的好奇心に溢れ、共感力そして創造力のある生徒が、世界中から集まり、身近なところから確実に変革を起こせる人材へと、育っていくための環境を提供しています。
充実した奨学金制度を通じて、国籍のみならず社会経済的にも様々なバックグラウンドの生徒に、類い稀な教育の機会を提供しています。(「Lin Kobayashi – School Founder」より)
2021年1月5日火曜日
原発が標的にされたら?
活断層など、自然災害の確率が原発の再稼働の条件の一つになっている。しかし、自然災害がなくても、膨大な放射性廃棄物を抱えた日本が一度戦場になったら、一気に原発事故の確率が上がることは明らかである。つまり、日本を一度でも戦場にしてしまったら、勝ち負けなどに関係なく、日本滅亡にまっしぐらであろう。最近、自民党に議員によって敵基地攻撃能力が必要だ、などと言われるようになった。だが、敵基地攻撃能力こそ、戦争の、日本滅亡の導火線になることを思い知るべきである。
軍隊を持たないで、攻められたらどうする、と日本国憲法の9条を批判する人もいる。しかし、軍備を拡大し、周辺諸国を刺激するような政策ばかりしているから、「攻められたら」などと疑心暗鬼になってしまうのだ。そうではなく、「全方位外交」という言葉があるように、諸外国との友好関係を促進する政策をどんどん実施していけば、「攻められたら」などという不安もなくなるに違いない。
かつては旧ソ連、、その後は北朝鮮、中国、と絶えず”敵”を想定して軍備拡大路線を突き進んできた。しかし、そうした道は、(一歩間違えば)戦争への道、そして、「多くの原子力発電所と膨大は放射性廃棄物を抱えている」が故に、日本滅亡への道なのである。
2021年1月4日月曜日
毎日、原爆は落ちている
NHK「知の巨人たち」(丸山真男「民主主義を求めて」)から、その内容を紹介するブログがあって、その中で、丸山真男が被曝していたことを初めて知った。「毎日、原爆は落ちている」というフレーズに衝撃を受けた。広島や長崎で受けた被爆は、過去のものではなく、現在進行形であることを、このフレーズは我々に突きつけている。ということは、戦争もまだ終わっていないのだ。だから、8月15日は、敗戦記念日であって、断じて終戦記念日ではない。
そういえば、ベトナム戦争の後遺症ともいうべき、今でも、心的外傷障害に苦しんでいる人や、枯葉剤被害に苦しんでいる人たちがいると言われている。そういう意味では、ベトナム戦争も、まだ終わっていないことになる。
毎日、原爆は落ちている
まだ今日でも新たに原爆症の患者が生まれている。
長期の患者、あるいは二世の被爆者が今日でも白血病で死んでいる。
日々起こっている。
毎日 原爆は落ちている。
広島は 毎日起こっています。
毎日 新たに
毎日 我々に
問題を突き付けている(「cangael.hatenablog.com/entry/20140807/1407364012」より)
丸山さんは、 核兵器の開発を進める国々に対する批判も続けたようで、次のように語っている。
戦争を選んだら核戦争になりますから、おしまいですから、戦争は国家の手段として選べない。日本は唯一の原爆被爆国であるということの意味をもっと活かさなきゃいけない。世界に胸をはって何とお前たちはバカだと言わなければならない。(同上、強調は引用者による)
2021年1月3日日曜日
在日米軍基地がある限り憲法を守ったとは言えない
松岡正剛(編集工学者)さんが、「少数なれど、熟したり」という言葉を取り上げ、次のように解説していた。
ガウスの墓碑銘である。いまではガウスの数学は代数学のほぼ全域と解析学の先端をひらく功績で、屈指の数学巨人とみなされているが、晩年に非ユークリッド幾何学にとりくんだときは、まったく周囲から理解されなかった。そこでラテン語で「少数なれど、熟したり」と紙片に書いた。
青春期、「これだ」とほくは思った。突端の熟慮にいつづけたいと思ったのである。以来、半世紀、多数派に阿ることがなくなった。(『PHP』2021年1月号)
そう言えば、昨今、辺野古への米軍基地建設に反対する声はあれども、在日米軍基地全体に対する批判の声は、あまり聞かれない。「在日米軍基地が存在しているかぎり、日本は真の独立国とはいえない」という声は、少数派のようである。だからこそ、松岡正剛さんの言葉が胸に響いた。そして、「沖縄に三八の軍施設(在日米軍基地)があるかぎりは、憲法を守ったとは言えない。日本が、アジアの中でもっとハッキリとした平和を維持するような方針を実現しないかぎりは、憲法9条を守ったとは言いきれない」(ジャン・ユンカーマン著『憲法の力』、日本評論社、2013年、p122、括弧内は引用者による)といった意見を大切にしていきたい、と思った。
2021年1月2日土曜日
”現実を見よ”その現実概念について
日本国憲法が指し示している非武装論に対し、「非現実的だ、北朝鮮や中国の現実を見よ、という批判がある。そうした批判に対し、数々の悲劇を生んだ戦争の実態こそが現実だ、という考えを知り、なるほどと合点した。その考えは、
『映画 日本国憲法』の中で、「ダグラス・ラミスさんがこう答えています。『戦争の中で人の命を考えるときに、非現実的になってはならない』と。非現実的にならないために、現実を見なければならないのです。この二十世紀に2億人が戦争で命を亡くしている。この戦争で、何を獲得したのでしょうか。何も得ていない。これが現実です」(ジャン・ユンカーマン著『憲法の力』、日本評論社、2013年、p113)だ。
この考えを知って、ちょうど読んだばかりの、カントの次の言葉を思い出した。現在我々が使っている”現実”には、”現象と物自体”という二つの概念が含まれている。そして、「これが現実です」という場合の”現実”は”物自体”を意味し、”北朝鮮や中国の現実を見よ”という場合の”現実”は、物自体とは区別された”現象”を意味するのではないか。そう思ったのである。あくまでも仮説なので、さらに、本当はどうなのか、調べていきたい。間違っていたら、指摘していただきたい。
批判哲学は、現象と物自体を取り違える哲学に対抗するため、「つねに[理論]武装した状態にあり、まさにそのことによって、絶えず理性の活動にも目を配るのであるが、一面においては反対者の側の理論的証明の無力を通して、他面においては批判哲学の諸原理を採用する実践的根拠の力強さを通して、哲学者たちの間に永遠平和への展望を開いてみせる」(二四二頁)のである。それゆえ、批判哲学と永遠平和は不即不離の関係にある。(遠山義孝著「哲学における永遠平和条約の締結が間近いことの告示」に対する解説、カント全集・13、p486)
2021年1月1日金曜日
生きる自然としての人間の最低段階
新年を迎え、初めての題材にカントを選んだ。「哲学における永遠平和条約の締結が間近いことの告示」という論文が読みたくて、カント全集を借りていたからでもある。第一章が「永遠平和が近づいているということへの明るい展望」で、その小項目が「生きる自然としての人間の最低段階から、最高段階、つまり哲学、にいたるまで」だった。
ここまで読んで、題名が長いことが気になった。そして、「題名をつけるということで三分の一以上は書いた、ということになります。いい題名とは、大変情報量が豊かなものなんです。(『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』、文学の蔵編、本の森、P12)という言葉を思い出し、カントの題名は、情報量が豊かないい題名なのだろう、と思った。
カント論文の読み方も、そこで論じられていることがわかればいいのであって、難しい言葉があっても、その言葉に拘泥しなくてもいい。ここで(小項目の部分)言わんとしていることは、「生きる自然としての人間の最低段階」の説明である。それを説明すると、生命というものを「刺激的諸力に反作用する能力(生命の能力) 」と捉え、「釣合いのとれた刺激が体内に、過度の作用も、極端にわずかな作用をも、生み出さない場合、その人間は健康(元文は傍点)である」。逆に、刺激の作用が逆になると体内に腐敗が生じ、「腐敗という現象が死から、そして死の後に出現するのではなく、死が死に先行する腐敗から生じるに違いない」と説明している。
結論部分で最後に「自然のこの活動性とその刺激は実践的なものではなく、ただ機械的であるに過ぎない」(p238)という部分が興味深い。人間の最低段階では実践的なものが関係しない、ということであろう。
















































