2020年2月29日土曜日

わからないことが多い新型コロナウイルス

 とうとう、仙台にも新型コロナウイルスの感染者が出た。
 仙台市は29日、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号から下船した市内在住の70代男性が新型コロナウイルスの検査で陽性だったと発表した。
 船内で検査を受けた際には陰性だったのに、28日に微熱やのどの痛みを訴えて検査入院、感染が確認された。重篤な状況ではないという。東北地方での感染確認は初めだが、この男性から、どれだけの広がりを見せるか、未知数である。
 この男性の発症からわかることは、感染していても、潜伏期間中は、検査で確認できなかったことになる。このような基本的な事実は、わかっていたことなのだろうか。それとも、今回の男性の感染確認でわかったのだろうか。

 いずれにせよ、わからないことが多々ある。発症のメカニズム,感染力,死亡率,とくに,既知のインフルエンザとの比較などである。

 感染していても、潜伏期間中は、検査で確認できない、という事実がわかったのはいつか?という問題がある。
1、仙台の男性の発症した時点でわかった。
2、検査で陰性の人が大型クルーズ船から家に返された時点で、明らかになっていた(例えば中国などで)が、共有されていなかった(知らなかった)。
3、検査で陰性の人が大型クルーズ船から家に返された時点で、明らかになっていて、(ありえない、あってはならないことですが)一部の人は知っていた。

現時点では、2を予想したが、実験結果は如何に?

2020年2月28日金曜日

誰かのために生きる


 昨日のブログに、<幸福な人は、「周囲の人々が幸福になり安定が得られるように役立ちたい」という思いで生きている、こんな単純きわまることばでいえるような方式に従って生きているのである>と書いた。つまり、誰かのために生きることが幸福の源泉である、と。
 同じことをフォークシンガーの南こうせつさんがさらいインタビューで、とても分かりやすく話してくれていたので紹介したい。

 人は、自分以外の人の役に立つことで満足感を得る、そういう生き物です。
 自分には人の役に立てることがない?… 
 そんなことはありません。例えば今より健康になれば、医療費も減って、税金もかからない。その分を若い人に回す。ほら、役に立ったでしょ?
 遅くはありません。共に、自分の人生を楽しみませんか?(『サライ』、2020年2月号、p18)

 確かに、人生を楽しめれば、より健康になり、医療費も減って、・・・、となり、人の役に立つ。そして何よりも、楽しければ幸福であること間違いなし、である。

2020年2月27日木曜日

ほんとうに幸福な人は・2

 無知が政治的な貧困を招く同時に、自らの幸福を遠ざけてしまうようだ。そして、幸福論は、不幸論と一帯で、不幸がわかって初めて、真に幸福も浮き彫りになってくることを教えられた。ちなみに統覚とは
1.心理学で、表象が意識にはいってはっきりした知覚になったもの。また、その働き。
2.哲学で、経験や認識を総合・統一する作用。


 幸福な人は、本来の劣等感を、他の人々と協力するということで代償できる人だ。 彼はそのようにして社会に、また人々の福祉に貢献するわけだたが、 そういう人は、「周囲の人々が幸福になり安定が得られるように役立ちたい」という、こんな単純きわまることばでいえるような方式に従って生きているのである。(『どうしたら幸福になれるか〈下〉』、岩波新書、W.B.ウルフ著、 周郷博訳、1961年、p11)

 失意の人や無知な人、また臆病な人 ―― 彼らはこの世界の不幸な人々の大部分なのだが ―― この人々は、(中略)人々をはっきりと優越一劣等、男性的ー女性的、強者ー弱者という神経症的な対立関係に割り切るような統覚の機制をもっている。これは、よくどこにもある、たいへん誤った統覚の機制である。家父長制的な文明からでてきている不幸な残りかすのような統覚の機制である。いつでも男性であるということは優越していることと同義語だということを証明しようとしている不幸な人間の訓練方式はこうだ ―― 「ぼくはどこからどこまでも男でなくてはならぬ。」(同、p11〜12)

2020年2月26日水曜日

ほんとうに幸福な人は

「新しいことを始めるのに遅すぎることはない」という言葉は知っていたが、それが幸福論にとって決定的に重要な要素だったことを、『どうしたら幸福になれるか〈下〉』を読んで初めて知った。
 ちなみに「鑑識」の意味には、警察用語の意味だけでなく、「善悪、美醜などを見分けること。また、それらを鑑定する能力。めきき」という意味もあった。芸術に対する興味がこれに相当するのかもしれない。

 勇気のある人 —— この人たちは一般に幸福な人なのだが —— は、 世の中の万般のことについて興味をもっていて、興味や鑑識、あるいは協力の範囲をひろげていけそうに思われる何か新しいことに尻込みをしない。
 (中略)
 ほんとうに幸福な人は、 実際上彼の生活の水平線を拡大するように新しい経験を求めている人だ。私が知っている一人の幸福な人は、七十歳になったときに、三十の年から、毎年毎年、 何か新しい語学の勉強や新しい趣味にとり組んできたと自慢していた。彼は、自分が興味をもってやったことはたいへんに幅の広いものでそのなかには、 日本の俳句や本のの装幀、航空機、それに古代のベルシャの細密画などまでふくまれていた。(『どうしたら幸福になれるか〈下〉』、岩波新書、W.B.ウルフ著、 周郷博訳、1961年、p10)

2020年2月25日火曜日

権力の万能を許さない(丸山眞男)

 丸山眞男をの著作を読んでいると、まさに現代のことを見通していたように感じられることが多い。「暗い時代の救いの書物」として福沢諭吉のことを取り上げているが、今の安倍政権も、福沢が言った「武人の権力」と何ら変わっていないことに驚く。言うまでもなく、下は朝鮮、上はアメリカである。情けない話だ。

 私の二十代から三十代のはじめにかけて、私がくりかえし読んで希望と励ましをえた書物といえばどうしても福沢のものを挙げないわけにはいかない。「日本の武人の権力はゴムの如く、其相接する所の物に従て縮張の趣を異にし、下に接すれば大に膨脹し上に接すれば頓(とみ)に収縮するの性あり」などというくだりを読んで溜飲を下げることが、情ない話ながら当時の私にとって日々の救いだった。(「暗い時代の救いの書物」『丸山眞男集8巻』、p161)

 丸山さんは日本の民主主義の重大な危機として、五・一九をとらえたことは疑いをいれない。そのとき丸山さんは、憲法問題、基地問題、勤評間題などの個別の諸問題(原文は傍点強調)が、くりかえし民主主義と憲法蹂躙の形で処理されてきたことをふりかえっている。その頂点として、五・一九の強行採決がある。
 そのくりかえしをおしとどめなくてはならない。そのためには民主主義か安保かという並列的な選択としてではなく、権力の万能をゆるさないという、より原理的な立場を自覚すべきだというのが丸山さんの言いたいことだったと思う。日高六郎著「『選択の時』のとき」
『丸山眞男集8巻の月報6』、p2)

 残念な話だが、60年安保で用いられた強行採決は、現代まで繰り返されてきてしまった。権力の万能をゆるさないという、より原理的な立場の自覚が足りなかったのだろうか。今こそ、「権力の万能をゆるさない」という声を大きくしていかなければならない。

2020年2月24日月曜日

「るつぼ社会」から「サラダ社会」へ

 スクラップの中から、小田実さんの分かりやすい世界認識を再発見した。現代の世界を見渡すと、まさに小田実さんの認識通りの「るつぼ世界」になってきている。今こそ、「るつぼ社会」の過ちに気づき、「るつぼ社会」から日本国憲法が指し示す「サラダ社会」へ舵を切り替えるときである。

アメリカ合衆国の自己認識は、
1,「るつぼ社会」:多民族国家で、ぐるぐるこね合わせ、白人中心に一つにするアメリカ



⬇︎

2,「サラダ社会」:レタスも卵もハムも、それぞれのおいしさを発揮する社会こそがアメリカだという新しい考え方
⬇︎

3,「るつぼ世界」:アメリカは、もう一度「るつぼ社会」をつくり、その延長線上で「るつぼ世界」をつくろうとしている

 以上のような<世界的な問題の中で憲法を考えると、「サラダ社会」をつくる必要がある。根本は平和主義です。非暴力・非武力でやる。その平和主義にもとづいて民主主義がある。
 力でやっつけるアメリカ式の民主主義でない、平和主義と民主主義の結合です。
 世界平和宣言、世界反戦宣言としての憲法を、世界のためにわれわれが保持していく。これが私たちが今問われていることだと思います>(小田実「平和の『サラダ社会』を」(『赤旗日曜版』、2005年3月6日号)。

2020年2月23日日曜日

ずさんな政府の答弁、うやむやに終わらせてはいけない

 今日の朝日新聞の社説は心強かった。諦めてはいけない、ということである。

(社説)桜を見る会 首相の説明 破綻明らか(2020年2月23日)
  安倍首相の説明と食い違う事実がまた明らかになった。問題はないと強弁するためのつじつま合わせの破綻(はたん)は、もはや明らかだ。一国の政治指導者の言葉の信が問われる、深刻な事態と言わざるを得ない。
(中略)
 桜を見る会だけにとどまらない。東京高検検事長の定年延長やカジノ汚職など、政権をめぐるさまざまな問題の解明が進んでいないというのに、政権与党は予算案の早期の衆院通過をめざし、次々と審議日程を決めている。
 このままでは、行政をチェックすべき立法府の役割は果たせない。これほどずさんな政府の答弁を、決してうやむやに終わらせてはいけない。

2020年2月22日土曜日

芸術以外で人の人生を豊かにするものは?

 2020年2月22日に放送された『スカーレット』の中で話された、小池アンリさんの言葉が良かったので紹介します。小池さんが、「芸術は人生を豊かにする」といったときも、心に響いたけれど、今日のも良かった。

芸術以外で人の人生を豊かにするもんは何や?

人を思うことや。
自分以外の誰かの人生を思うことや。
寄り添うこと 思いやること ほんで 時には背負ったりすることや。

あんな 誰かの人生を思うことで自分の人生も豊かになるんやで。




2020年2月21日金曜日

日本は巨大なイージス駆逐艦

 橋頭堡とは「攻撃の足場となる対岸の拠点」(新辞林)つまり、前線基地のことだが、日本はアメリカ軍の橋頭堡の一つと化された」という文言を知って驚いたことがある。アメリカ人記者マーク・ゲインに言わせると、「僅か三年足らずの歳月の間に、民主主義的改革から日本を太平洋における我々の軍事的経済的防壁に変貌せしめ」「日本は今や我が橋頭堡の一つと化された」(『ニッポン日記』、マーク・ゲイン著、筑摩書房、1951年、p224)というのだ。「太平洋の盾 巨大なイージス駆逐艦としての日本」という論文名を知って思い出したことだ。
 世界地図に記した赤い線が「太平洋の盾 巨大なイージス駆逐艦としての日本」を雄弁に物語っている。

目的はハワイ、グアム防衛
 イージス・アショアとは、イージス艦に搭載している強力なレーダーやミサイルなどを陸上に配備し、弾道ミサイルなどを迎撃する米国製兵器です。
 なぜ、秋田、山口への配備か。米シンクタン戦略国際間題研究所(CSIS)が発表した論文「太平洋の盾 巨大なイージス駆逐艦としての日本」(2018年5月)は、イ一ジス・アショア配備の目的が「ハワイやグアムの防衛」にあると明記しています。
 北朝鮮からハワイに向かうミサイルは秋田の上空を通過し、グアムに向かうミサイルは山口の上空を通過します。日本共産党の志位和夫委員長は「配備は米国防衛としか説明がつかないJと指摘し、配備中止を求めています。(『赤旗日曜版』、2020年2月16日号)


2020年2月20日木曜日

公文書改ざんは歴史につばする行為

 官僚による公文書の改ざんが横行している。追求されても、何ら反省もなしに繰り返されているのだ。それだけに「公文書改ざんは歴史につばする行為」という指摘には、溜飲の下がる思いをした。
 この言葉は、作家の高村薫さんが朝日新聞に語った「民主主義の体(てい)が問われている」という次の記事で述べられていたものである。

 森友問題には、使える人脈はだれでも利用した籠池泰典、諄子夫妻の強烈なキャラクターに加え、安倍晋三首相の妻昭恵さんが登場しました。籠池さんが主張する「安倍首相側から寄付金100万円」が事実かどうかも、双方の言い分は食い違います。
 これらはタヌキの化かし合いみたいなもの。それよりも、あの国有地の前で籠池夫妻と昭恵さんの3人が並んで撮影した写真が、この問題のすべてを物語っていると思います。昭恵さん付の政府職員が、国有地取引に関して財務省に問い合わせた文書も残っているのですから。
 補助金詐欺はどうでもよい事件ではありません。一般の私たちから見れば罪に問われて当然です。一方、国有地取引での背任や公文書改ざんの容疑で財務省幹部らを立件するのは難しかったかもしれませんが、公文書改ざんは歴史につばする行為。もっと徹底的に調査し、構図や背景をしっかり調べるべきでした。
 森友問題を今も注目しているのは一部の人だけで、多くの人の関心は他に移っています。もう忘却のかなた。「籠池劇場」として、面白おかしいニュースとして消費されただけだったのかもしれません。
 でも、私は無関心が一番の問題だと思います。関心を持ち続けられるか。そこで、私たちの民主主義の体(てい)が問われている。
 いま国会で野党が追及している「桜を見る会」の問題は森友問題と同根。政権に近しいとされる東京高検検事長の定年延長もそう。政権の都合や保身のために原理原則がねじ曲げられることを許していては、いずれ私たちの権利がおびやかされるかもしれません
 問題を繰り返させないために、政治に厳しい目を持ち続ける。それが大切ではないでしょうか。(聞き手・吉村治彦)2020年2月20日


 今は、こうして批判記事もかけるからいい、しかし、いつ表現の自由といった私たちの権利がおびやかされるかもしれないとしたら、おびやかされてしまったら、もう遅い、ということになってしまう。そうならないためにも、「政治に厳しい目を持ち続けたいもの」である。

2020年2月19日水曜日

武器を持だない女たちのただ一つの抵抗

 ピカソの「泣く女」シリーズついては知っていたが、それが、「武器を持たない女たちのただ一つの抵抗」を表現したもの、という視点は、この本で初めて知った。

「絵筆で戦争に対抗するんだ-」
 一九三七年、そうした思いで描き上げた『ゲルニカ』は、パリ万国博覧会で展示され大きな反響を呼んだ。この絵は見た人々に、戦争の悲惨さをうったえるのに十分な力を持っていた。
 ピカソは『ゲルニカ』のなかで、死んだ赤んぼうをだいて泣きさけぶ母親を描いている。そしてこの人物だけをぬき出して、ハンカチや手をにして、周りの目を気にすることもなく、激しく泣く女性の絵を多数制作している。あまりにも単純な線で、きばつな表情をしているため、『泣く女』と題されたこれらの絵におかしみを感じる人もいるが、これは人目もはばからないほどの本当の悲しみを表現しているのだ。
 権力者によって戦争にかり出され、死んでいく男性は悲しい。けれどもそれを、何もできずに見送るしかできない女性も悲しい。恐怖と苦しみと悲しみとに打ちのめされ、最後に爆発したのが『泣く女』なのだ
 戦場で戦えない女たちは、愛する人たちを殺されて「もうやめて。」という思いで、大声で泣く。それが
武器を持たない女たちのただ一つの抵抗なのである。ピカソは彼女たちの「泣く」という行いが、自分にとっての絵筆のように感じていたのかもしれない。ピカソはくリ返しくリ返し、『泣く女』を描いた。
 一九三九年一月、ピカソの愛する母マリアが、祖国スペインで亡くなった。ピカソにとって母性は大事なテーマだった。(
『時代を切り開いた世界の10人・第2期9・レジェンドストーリー・パブロ・ピカソ』、高木まさき監修 、茅野政徳指導、学研教育出版、2015年、p94〜95)
ゲルニカ




2020年2月18日火曜日

沖縄での米軍機墜落(49)・不時着(583)

「沖縄での米軍機墜落(49)・不時着(583)」における数字は、沖縄復帰後の米軍航空機関連事故等の統計資料による件数だ。2022年で復帰後50年になるというから、毎年一回は墜落し、10回は不時着していることになる。なんと恐ろしい数字だろう。
 この統計資料は、『沖縄の米軍及び自衛隊基地』(沖縄県知事公室基地対策課編集)が出版されたことを知り、ネットで調べたら、沖縄県のホームページ(下記リンク)上でPDF書類でも読むことができることを知ってわかった。

 米軍機の墜落や不時着の多さに愕然としたのは、小型核弾頭の主な運搬手段が航空機だということを思い出したからである。小型核弾頭を運搬中の航空機が墜落したら、どうなるのだろう、想像しただけで恐ろしくなる。
 改めて、基地の存在自体が、生存権・基本的人権を脅かしている、あるいは侵害している現実を思い知らされた。この現実は、すでに沖縄の現状が証明していることを直視すべきである。
(『沖縄の米軍及び自衛隊基地』の目次を紹介しておくので、興味ある箇所のPDFをダウンロードして読んでほしい)


2020年2月17日月曜日

工夫する楽しみ

 つい最近、ラジオを聴いていたら、「工夫する楽しみ」という言葉が琴線に触れて飛び込んできた。そうだ、一見大変だと思うようなことも、工夫することで楽しみに変えることができるかもしれない、と。
 そして今
『学び続ける理由 99の金言と考えるベンガク論』(戸田 智弘著、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年)を読んでいて、同じようなことを『幸福論』の著
者として知られているアランが言っていることを知った。

 本を読む楽しみも、読む修練をしなかった人にとってはなきに等しい。絵をかく楽しみも、山にのぼる楽しみも同じこ
と。各自が自分の楽しみを獲得しなければならないのである。それどころか、努力を重ねて自分自身から楽しみを引きださねばならないのだ。(アラン ・哲学者、思想家)『アラン著作集4 人間論』(白水社)

2020年2月16日日曜日

政権合意が最大のカギ

 昨日「野党連合政権こそ、混迷を深めている政局を打開する決定打である」と書いた。その道筋が、赤旗日曜版に書かれていた。野党連合政権の最大のギ「政治的合意」が一日も早く実現することを望みたい。

日本共産党は「野党連合政権」の実現に向け
①政権をともにする政治的な合意
②政権公約をつくるための政策協議
③小選挙区での選挙協力
を「三位一体」で進めています。

三つの課題の中でも、第一の課題である政権をともにする政治的合意が最大のカギ

 ″共産党と政権協力をやろう″となった場合、政策協議も選挙協力もまったく違った局面に入ります。例えば、政策協議は般的な政策の話し合いではなく、「政権公約」の協議に一変します。この点で志位委員長が強調したのは”一致点を大事にし、不一
点は政権に持ち込まない”という態度です。(『赤旗日曜版』、2020年2月16日)

2020年2月15日土曜日

今こそ、野党連合政権構想を

 13日の衆院本会議で、日本維新の会の議員が、「共産党が破壊活動防止法の調査対象となっている理由の説明を」「共産党を含む野党連合政権が樹立されれば、かつての民主党政権よりもさらにひどい悪夢が再来する」などと質問したのに対し、安倍晋三首相が「日本共産党は昭和26年から28年ごろにかけて団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」「現在においてもいわゆる敵の出方論にたった暴力革命の方針に変更はないものと認識しており、破壊活動防止法に基づく調査の対象になっている」などと答弁したという。驚き、呆れてしまったが、相当追い込まれているからに違いない。
 しかし、日本共産党への誹謗中傷に対し、野党各党が結束して批判していることを知り、とても勇気付けられた。そして、野党連合政権こそ、混迷を深めている政局を打開する決定打である、と確信した。 今こそ、野党連合政権構想を明確に打ち出してほしい。

 日本共産党と、立憲民主党、国民民主党などの共同会派の国対委員長は、国会内で野党国対委員長連絡会を開き、13日の首相の共産党に対するデマ発言は「極めて不適当だ」との認識で一致。安倍首相に対し謝罪・撤回を求める方針を確認しました。
 穀田氏は会合後、記者団に、「国対委員長間で『不適当だ』との認識で一致したことは極めて重要だ」と述べ、「安倍首相の発言は、公党に対する侮辱であり、民主主義の破壊だ。謝罪を求めたい」と表明。立憲民主党の安住氏は「われわれも共産党と同じ認識だ。(議院運営委員会の)理事会で議事録からの削除を徹底して要求する」と述べました。国民民主党の原口一博国対委員長は「公党に対する誹謗中傷だ。安倍首相は『壊れている』としか言いようがない」と批判しました。

2020年2月14日金曜日

忘れてはならない劣化ウラン弾被害

 今回この切り抜きを読み直し、劣化ウラン弾被害が「これほど大きなものであったこと」に驚いている。そして、劣化ウラン弾も「使える核兵器」として、その被害の実態を忘れてはならないと思った。

 イラク南部のバスラ地区では、一九九一年の湾岸戦争で三百トンもの劣化ウラン弾が使用されたといわれています。
「これは、広島に落とされた原爆の五千倍の放射能原子数にあたります」と矢ケ崎さん。
 バスラの医師の調査では、湾岸戦争の五年後から、がんの死亡者数が激増。二〇〇二年には戦争前の約二十倍になりました。「しかも、放射能が原因と考えられる白血病、骨がん、リンパ腫が多いのが特徴です」
 先天性奇形児の出生率は七倍に激増。千人の出生にたいし、奇形児は二十人を上回る高率です。
 今回のイラク戦争では、湾岸戦争を上回る千七百トンの劣化ウラン弾が使われたといわれています。
「砂嵐の多いイラクでは常に空気中でウランが拡散され、住民の体内にどんどん取り込まれていることになります」。数年後には、がんの大量発生が起こるのではないかと矢ケ筒さんは危ぐします。
 いまも野ざらしの劣化ウラン弾が残っています。「使用した米英軍は、一刻も早く回収すべきです」(
『赤旗日曜版』2004年2月22日)
(『赤旗日曜版』2004年2月22日)
(『赤旗日曜版』2004年2月22日)



2020年2月13日木曜日

米軍・核兵器要員が麻薬、アル中

「米軍・核兵器要員が麻薬、アル中」の記事を読み直して思い出したのが、イラン政府がイラン国軍によるウクライナ航空の旅客機を誤爆してしまった事件だ。イランにある米軍基地に対して行ったミサイル攻撃の報復のため、アメリカの飛行機がイランの空港に来襲したと誤認して、民間旅客機をミサイルで爆破してしまったのが真相のようだ。
 この事件は、以前から危惧されていた<「緊迫した危機」的情勢したでは誤って核兵器の発射ボタンをおしてしまう危険も高まる>ということを証明してしまったことだ。もし、ミサイルに核弾頭が装備されていたら、と考えるとゾッとする。

【ワシントンで志村徹特派員】全米科学アカデミ-医学部会のシンポジウム「核戦争の医学的関連」最終日の二十二日、ハーパート・エイブラムズ教授(スタンフォード大)が、核兵器管理にたずさわるため適格検査をうけている軍事要員約十二万人のうち、毎年五千百人 —— ほほニ十人に一人が不適格とされ更迭されている、と報告しました。
 緊張度の高い作業であり、とりわけ「緊迫した危機」的情勢したでは誤って核兵器の発射ボタンをおしてしまう危険も高まることから、検査をもっと厳格にすべきだ、と同教授は主張しています。

(『赤旗』1985年9月25日)


2020年2月12日水曜日

核兵器は地上最大 最悪の凶器

 三浦綾子さんのスクラップと一緒に住井すゑさんのスクラップもあった。このコラムを読み直して、次の等式が成り立つことに気がついた。

国防という目的核兵器の「何十万、何百万の人間を、一挙に殺害する」目的

 この等式が意味することは、国防という目的を達成するためには、多くの命が担保にされている、ということである。それでも、国防という目的を達成できるという保証もない。担保にされていい命なんてない。だからこそ、兵器のいらない平和への道を開拓していくことが大切なのだ。

 兵器は不祥(ふしょう)の器、つまり凶器である。だから心ある人は好まない……と、老子はその著、三十一章で述べています。
 実際、医療用のメスはどんなに鋭利でも、誰も凶器とは言いませんし、思いもしません。メスは殺人が目的ではなく、逆に人の生命をまもるために作られたものだからです。台所の包丁もメスと同じで、それは料理用に作られたものですから、どんなに切れ味が良くても、誰も凶器とは思いませんし、言いもしません。
 けれどもメスも包丁も、もし殺人に使われるなら、それは即ち″凶器”となります。″メスを凶器にし”或いは″台所の包丁を凶器にして……”と、報道機関も使えるのはたしかです。
 とすれば、核兵器は今や地上最大、最悪の凶器ではないでしょうか。それは何十万、何百万の人間を、一挙に殺害する目的で作られたのですから。
 五十丁のピストルや、百ふりの日本刀を所持することで、凶器準備集合罪が成り立つこの日本(くに)で、何万発もの核バクダンが容認されているとは、不思議の極みです。
 国防の名にかくれて、凶器準備集合罪を見のがすペテン自民党。違憲というもおろかなり、と、ただもう呆れるばかりです。(住井すゑ著「核兵器は地上最大 最悪の凶器」『新婦人しんぶん』1986年4月24日)



2020年2月11日火曜日

剣による者は剣で亡ぶ

 スクラップ帳に眠っていた三浦綾子さんの平和論を読み直し、さすが文学者だ、とコンパクトにまとめられた本質的な論理に感心した。そして同時に、最近読んだ古代ギリシャの話を思い出した。
 それは、古代ギリシャで支配的だった思考様式、つまり、「神話や精霊、空想や、信仰や、太古の神話のなかに未知の事柄にたいする答えを求めようとした」思考様式に、新しい思考の革命が起きた、という次のような話である。
 なぜ、この話を思い出したか、それは、三浦さんが簡潔に述べた「国の国との防衛力が均衡を保つなら平和になるなどという。そんな考え」が「古代ギリシャで支配的だった思考様式」とダブって見えたからである。古代ギリシャ人に学び「思考の革命」を起こさなければ「剣による者は剣で亡ぶ」ことになってしまう、と。
 
 紀元前六世紀はじめのミレトスで、タレス、その弟子アナクシマンドロス、ヘカタイオス、そして彼らが形成する学派のメンバーたちによって、答えを追求する別の方法が編み出される。それはつまり、神話や精霊を引き合いに出すのではなく、事物の性質それ自体のうちに答えを追求する方法である。この途方もない思考の革命が、新しい知の様式を打ち立て、科学的思考の夜明けを到来させることになった。
 観察と理性を適切な方法で用いること。未知の事柄にたいする答えを、空想や、信仰や、太古の神話のなかに求めるのを避けること。そしてとりわけ、批判的な思考を正しく用いること。そうすればわたしたちは、世界にたいする自らの視点を絶えず修正できる。ありふれた眼差しには映らない現実の諸側面を発見できる。これまで知らなかったことを学習できる。こうした点をミレトス人は理解していた。(『すごい物理学講義』、カルロ・ロヴェッリ著、竹内薫監訳、河出書房新社、2017年、p16〜17)

「核兵器廃絶」などという、あまりにも当然のことを、なぜ声を大にして言わねばならぬのか、私はふしぎでならない。人間社会の犯罪の中で、最大の犯罪は殺人である。一人殺しても死刑になるというのに、なぜ一挙に大量の人殺しをする核をつくるのか。 

 国の国との防衛力が均衡を保つなら平和になるなどという。そんな考えのもとに、Aの国で百の核があるから、こちらも百の核を持たねばなどという。何と非現実な平和論であろう。現実に全人類を亡ぼしかねない危険な核をつくればつくるほど平和は保たれるというのであろうか、そんな平和を私は絶対に信じない。
「剣による者は剣で亡ぶ」と聖書には書いてある。核はむろん、一切の武器を、各国がゼロにしたら一番よいのだ
 国と国は、もっと熱意と時間をかけて、平和を話し合うべきなのだ。それをしないのは、核によってもうける人間がいるからだ。いったい、そうした人たちには、自分の孫子の未来などどうでもいいのだろうか。( 三浦綾子「”核”の”均衡”は非現実的な平和論」『新婦人しんぶん』1986年5月15日)

2020年2月10日月曜日

戦争は終わっていない現実(終戦→敗戦)

 ベトナム戦争時の枯葉剤による影響が今も続いていることは知っていたが、日本軍が遺棄した毒ガスによる影響がこれほどのものとは知らなかった。このような、戦争は終わっていない、戦争の後遺症が残っている現実が有る限り、「終戦」という言葉は使えない。やはり「敗戦」が正しい。少なくとも私はそう考えるようになった。そういう意味でも、よく「戦後**年」と書かれることが多いけれど、ここは意識的に「敗戦後**年」と書く必要を感じた。(「だ・である調」がいいか、「です・ます調」がいいか、迷うところだが、自分の意思をはっきりさせたい場合は、「だ・である調」がいいような気がして、今回は「だ・である調」にしてみた


以下は、(https://www.miraiheiwa.org/blank-1)より引用
① 遺棄された経緯
 日中戦争以来、日本軍は中国を侵略し、中国東北部に軍隊を進めていました。そして、1925年にジュネーヴ議定書において、戦場での毒ガスの使用が禁止されていたにもかかわらず、ソ連との戦争に備えるために、毒ガスを製造し、配備していました。
 瀬戸内海の大久野島には陸軍の毒ガス製造工場、神奈川県の寒川には海軍の毒ガス製造工場がありました。こうして国内で製造した毒ガス兵器を中国などに配備し、実際に戦闘で使いました。中国東北部には化学兵器部隊(チチハルにいた516部隊が代表的)が配備され、大規模な演習が繰り返されました

 そして、日本敗戦前後の時期になると、それらの大量の化学兵器は、中国の大地に埋められたり、河川に投棄されたりなどして、組織的かつ秘密裏に遺棄されました。また、日本政府はそれら兵器の場所を特定することは難しいとして、除去などの未然防止に努めようとしません。そのため、中国国内には、今なお70万発以上の大量の遺棄化学兵器が存在しているといわれています。さらに日本国内でも、化学兵器が遺棄されました。

② 遺棄毒ガスによる被害
 これらの遺棄毒ガス兵器の存在は明るみに出ることがないまま、戦後、化学兵器であることを知らずに触れたり、晒されたりした多くの中国と日本の人々に甚大な被害を与え続けています。化学兵器による被害は、皮膚の糜爛(びらん)をはじめ、呼吸器・消化器・神経など全身に症状が及びます。

2020年2月9日日曜日

軍事から教育へ

 興味ある文章を見つけました。朝日新聞のGLOBE(2015年9月20日)に掲載された「人類の進歩を奇抜な切り口でさばく刺激的な本」『Sapiens』の書評にあった、次のような一文です。
「ヒトの脳は体重の3パーセントなのに全身エネルギーの25パーセント消費する。近代国家が金の使途を軍事から教育へ転じてきたように、ヒトもエネルギーの使途を筋肉から脳みそへシフトすることで進化してきた」(園部哲)。なるほど、そうだったのか、という感じで、すごく納得する内容でした。
 しかし、よく読んでみると論理が逆に思えました。つまり、「進化の過程でヒトのエネルギーの使途を筋肉から脳みそへシフトしてきたように、近代国家も金の使途を軍事から教育へ転じてきた」と言えるのではないでしょうか。
 では、本当に近代国家が金の使途を軍事から教育へ転じてきたのでしょうか。その疑問は、戦中の国家予算に占める軍事費の割合が50%とか、80%の時期もあったことを考えれば、軍事から教育へという流れは真実なのかもしれません。だとすれば、ここ数年の日本における軍事費の増加傾向は歴史に逆行していると言えます。

https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_yosanzaisei20181221j-03-w430)より
 軍事費に関する統計を見ていて驚いた事実があります。中国の「国家予算に占める軍事費の割合の推移」は、右下がりで減少していたのです。中国が軍事力で台頭しているという評価もありますが、このような事実も知っておく必要がありそうです。(2015年9月20日に書いたものをベースに書き直しました)

https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20180512-00084995/)より

2020年2月8日土曜日

焼けただれみとりもあらず逝きし児の

 朝日新聞(2020年1月31日)のコラム(ひと)で、原爆手記「星は見ている」の朗読を日米で続ける俳優、曽我潤心さんのことが紹介されていました。「被爆前夜の広島で、ともに星空を見上げた13歳の息子を偲(しの)んで母が書いた文章を、一文字も省かず、初めから終わりまで、33分かけて読む」という言うのです。
 このコラムを読んで、「星は見ている」の存在を知ったのですが、どんな内容なのか知りたくて、図書館で探し、読んでみました。そして、「使える核兵器としての小型核弾頭」が登場してきた今こそ、原爆で我が子を亡くした親の悲痛な叫びに耳を傾けるべきではないか、と思いました。それで、一部を紹介します。

1、お母ちゃん、顔が見えない
     故渡辺一策・久衛の母 渡辺重子

   吾子の歳 九年かさねて 原爆忌
   炎天や 吾子のかたりし 道を行く
   墓碑に 水さらさら流し ぬかずきぬ


 原爆忌を迎えるたび、いまさらのように胸はうずき、何時ともなく、じっと追憶にふけることが多く、ふと我にかえって慌てて仕事の手を動かすしまつ。あれから九年を過しては来たけれど、数々の思い出を胸にして、どうにも広島をはなれる気もなく、ひたすらに御霊にぬかずくのみ。
 あの日、皆の出かけた後、私は台所にいた。その時お隣の庭木に、マグネシュームの光のかたまりのようなものが、スーと落ちたので、アッとその方を向いた。これは格別燃えもしなかったが、とたんにものすごい爆風で、砂は顔を叩きつけ、棒立ちになったまま、しばらくはどうすることも出来ない。やっと気をとり直し、向きを変えたが、やはり動くことも出来ず、そのまましゃがみ込んでしまった。(「星は見ている」
『日本の原爆記録5』家永三郎〔ほか〕編集、日本図書センター、1991年、p23) 

2、見つからない死体
     故佐々木研治の母 佐々木乃文江

 研坊! 原爆にあわなければ、あなたはいま医大の二年生です。一中一年生であなたの一生は終ったのだけれど、私には、毎日あなたの生長して行く姿がうつり、いまは医大生として私の心の中に生きています。
(中略)
 私は、先日大田洋子の『人間襤褸』という本を一夜で読破して、朝まで泣き明かしました。あの本の中には、中学生が原爆にあって次々と悲惨な目に合う場面の数々が、実にうまく描かれている。あなたはその中のどの状態で息を引き取ったのでしょうか
 ああ、私も原爆で全身に火傷を負い、歩行どころか、身動きも出来ない状態だったのです。でも、ひょっくり私を探しに来るのではないかと、身も細る思いで、八日も、九日も、十日も、待って待って幾夜か眠れぬ長夜を過しました。十一日になってやっと歩けるようになった時、原爆後の広島をはじめて見る私の目前には最早広島の名残りは何処にも残っていませんでした。ああ、これでは研坊は生きていないと諦めるほか仕方がなかったのです
 あなたの最期は今もって判らない。せめて即死であってくれと祈るばかりです。親思いのあなたが自分の怪我も忘れて、「母ちゃん、母ちゃん」と言いながら、幾日も生きていたとしたら、私は胸をつき刺したいほどいても立ってもいられない(同、p37~39)


3、転がっていたおむすび
   故益田健史の母  益田美佐子

   一筋に 国に尽すと 気負いつつ 瑞々しき生命を 捧げまつれり


 ああこの汚水を知らぬ瑞々しい生命を、み国に捧げまつるこそ、男児の本懐ではないか。心ははやる、夢ははや戦場に、はたまた工場に馳せめぐる」との健気にも純真な一文を残して、二年の二学期を最後に、どのクラスにも魁(さきが)けて己斐の飛行機工場へと動員され、当日堺町附近の家屋疎開に駆り出されて、遂にあのむごたらしい原爆の犠牲となり、それでも火傷の身でよく猛火のさ中を、己斐国民学校まで友人数名と逃れて、そこで遂に両親にみとられることもなく、十五才を一期として、あの世へと逝ってしまった、私たちのたった一人の愛児、健ちゃん! あの凄惨な烈しい状況の下で、全身焼けただれ、皮膚は剥げ垂れて、どんなにか苦しかったであろう。臨終にも、あなたは、何時も心配してくれていた長病みのお父さんのこと、そして私のことを、きっと思い案じてくれたことでしょうね。それを思うと、今も私の胸はかきむしられるようです。

   焼けただれ みとりもあらず 逝きし児の いまわの思い 想う切なく

 ああ! もう、たった一時間ほど早くあなたを見出すことが出来ていたら、この世で、もう一度会え、臨終のみとりも出来たであろうものを!

 健ちゃん! お母さんはね、あの地獄絵のような阿修羅の巷を、狂気のようになってかけずりまわり、死体という死体を覗きこんだり、負傷者の群の中を探しまわって、やっと己斐国民学校へ辿りついたのでした。が、最初行った時には、遂にあなたを見出すことが出来ず、きっと工場の方へ行ったのかも知れないと、工場に行き、そこでも見当らないので、また引き返して、学校へ行ったのです。
 その時、顔もすっかりむくんでしまい、腕の皮膚はだらりと剥げ下がって赤い筋肉が露出し、全く目もあてられないほど痛々しく変りはて、見分けもつかぬ、そして、もうこと切れてしまっているあなたに出くわしたのです。ただわずかに、紛れもない帯革のお父さんのアルファ・オメガ会員章のはいったバックルと、履いていた革靴とで、やっとあなたと確認することが出来たのです。
 涙さえ出ないほどの驚きと悲しみとに、われを忘れて触れた私の手には、あなたの身体は、まだ温みが残っているように感ぜられ、隣に寝ていられた軽傷の若い女の方にきいてみたら、一時間ほど前にこと切れたとの悲しい言葉。私は、天地が一瞬に崩れて、眼の前がまっ暗になった感がして、あなたの亡骸にとりすがって咽び泣いたのです。私はもうすっかり転倒していたのでしょうか、あの女の方のお名前をきいておくことも忘れていて、後からもう一度お訪ねして、あなたの最期の様子をもっと詳しく聞かせて頂きたいと思ったのでしたが、それも出来ませんことは、本当に残念です。
 それでも、あなたが、五、六人の同級生と一緒に逃げてきて、代る代る水を汲んできては飲ませ合い、励まし合って、少しも苦しみを訴えるものもなく、「なんの、これくらいのことで死んでなるものか」と言い合っていたとのことを聞いて、その天晴れな最期の様子に感激し、またしても涙を新たにするのでした。
 まだ生きていた一人の同級生が、「益田君が逃げようと励ましてくれたので、恐ろしい火の中を一目散に走り抜けてきたのです」と言っていました・本当によくヽ最後まで友人のためにも尽してくれましたね。
(中略)
 広く全世界の人類への尊い犠牲であり、警告でもあったのです。愛によって一つでなければならない人間同士が、互いに憎み合う、殺し合う戦争。ああ、私は戦争を呪います。戦争さえなかったら、私たち三人は、いま平和に、楽しく、人のため、世のために働いていることが出来たでしょうに。全世界は、私たちと同様な運命に泣いている人が、如何に数多くいることでしょう。
 あなたが三才の時、アメリカの大陸を横断して、遠く西部で静養していられたお父さんのところに行く折、あなたを連れて行って下さったレイソ博士は、私から、あなたの原爆死を報じて、一緒に送ったあなたの写真を、いつも自分の机上に飾って、アメリカが原爆を使用したことへの懺悔と、戦争を二度と地上に起さないようにする努カヘの、自分の心の笞とする、といってよこされました。いま広島には、あなた方の魂が結晶して、広く全世界の平和を愛する人たちの協力により、立派な平和記念聖堂が建ちつつあり、ノーモア・ヒロシマズの声が全世界に響きわたろうとしています。
 しかし一方、世界は再び第三次大戦の暗雲につつまれて、銃砲の響きが無気味に聞こえて来るのは残念でたまりません。どんなことがあっても、あなた方の捧げた尊い生命を、犠牲を、無駄にしてはなりません。生命のある限り私たちも、祈り且つ努力致します。だから健ちゃん、どうぞ安んじて、天上の生活を楽しんで下さい。そして神様のお膝もとで、平和のために祈って下さいね。
 

  瑞々しく ささげし吾子の 生命なり 高く鳴らしめ 広しまの鐘(同、p14~22)

2020年2月7日金曜日

米軍基地は除去すべき対象だ!

 古谷経衡著「沖縄のこころ」(『文藝春秋』、2017年8月)を読んで、野田校長のような教育者も居たんだという驚きと同時に、米軍基地除去という言葉を見つけ嬉しくなりました。次のように書かれていたのです。(『沖縄のこころ』も、読んでみたい)

 日本軍敗北が明瞭となった六月二十日、沖縄師範学校の野田校長は、摩文仁に追い詰められた残存の勤皇隊学徒を前にこう訓示したという。
「けっして無駄死にをしてはいけない。勇気を奮い起こして生を全うせよ」(『沖縄のこころ』大田昌秀著)。校長は手榴弾二個を腰に、 敵突破を目指して散っていったという。米軍基地除去を願う「沖縄のこころ」を抱き続けた大田氏の鉄血の意思に報いることこそ、・・・(p88)。

 普通、米軍基地撤去、という言葉は使っても、あまり、米軍基地除去とは言いません。その違いを調べてみたら、「『除去』は有ってはならないものや悪いものを取り除く意を表す。それに対して『撤去』は構築物や物などをその場所から取り去る意を表す」(大辞林 第三版の解説)とありました。それなら米軍基地除去の方がスッキリしていい。平和憲法のある日本にとって米軍基地は「有ってはならないもの」だからです。



2020年2月6日木曜日

使える核兵器の恐怖


 小型核兵器の実戦配備がニュースになっているが、その背景に、「大型核兵器は全面核戦争に発展する可能性があるため、なかなか使えない。小型にすれば、そうした心配も薄いので使える」という発想、「使える核兵器を!」という発想があります。そこには、たとえ小規模であっても、核攻撃された人々への思いなど微塵もありません。それでいいのだろうか、という疑問が生じました。
 Yahoo!ニュースによると「戦術核兵器を用いた限定核戦争をする気だったのに、相手が誤認して戦略核兵器を用いた全面核戦争を誘発する可能性が懸念されています」。
https://news.yahoo.co.jp/byline/obiekt/20190226-00116267/
だから、誤認されない小型核兵器をという。限定核戦争なら許されるという発想に怒りを覚えます。
 また朝日新聞は、

 米国が保有する核兵器の多くは、実際に使用するには強力すぎるため、攻撃された際に反撃できる「使える核」としてSLBM用の小型核弾頭の開発を進めた経緯がある。小型核の使用を制限する国際的な枠組みはない。(2020年2月6日)

 と、書いていましたが、「小型核の使用を制限する国際的な枠組みはない」というのは本当でしょうか。小型核は、核兵器禁止条約の対象外とでもいうのでしょうか。爆発力は小さくなっても、核兵器に違いはありまっせん。そういう意味でも、小型核弾頭の開発と、その実戦配備は、世界の趨勢に反するものです。
 そして恐ろしいのは、「使える核兵器ができた」という認識です。そこから、実戦でその実証してみたい、という認識に発展するのが怖いです。今こそ「第二のヒロシマ」「第二のナガサキ」阻止のスローガンを掲げるべきときです。

2020年2月5日水曜日

官邸が検察トップ人事に触手!!


 朝日新聞夕刊(2020年2月4日)のコラム「素粒子」の記事を読んで初めて、官邸が検察トップ人事まで手を伸ばしてきたことを知った。「日銀総裁、内閣法制局長官の人事で味を占めたか。政界捜査を担い、中立であるべき検察トップ人事。あの官邸が触手を伸ばさぬはずがない」という内容だった。やりたい放題、って感じだ。早速、ネットで調べた。東京新聞が詳しく報道していた。

 黒川弘務東京高検検事長(62)の定年が半年間延長された問題が波紋を広げている。検察庁法は検察官の定年を六十三歳、検事総長は六十五歳と規定。首相官邸に近いとされる検察ナンバー2の黒川氏を検事総長に据えようと、政府が異例の措置を取ったとの見方が出ている。ただ、この手法が認められるなら何でも許されることになり、各方面から疑問の声が上がっている。 (稲垣太郎)東京新聞、2020年2月4日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202002/CK2020020402100028.html)より

 政府は、黒川弘務東京高検検事長(62)の定年を8月7日まで半年間延長することを閣議決定した。野党は2月3日の衆院予算委員会で、安倍政権寄りとされる黒川氏を検察トップの検事総長に充てるため、首相官邸が人事に介入した疑いがあるとして追及した。(大野暢子)
(中略)
 立憲民主党の枝野幸男代表は二日のさいたま市内での講演で、黒川氏について「安倍政権の意に沿い、法務行政を牛耳ってきたと言われている」と指摘。講演後、記者団に「場合によっては首相を逮捕するかもしれない検察という機関に官邸が介入するのは、法治国家の破壊行為だ」と話し、官邸側をけん制した。(東京新聞、2020年2月4日)
https://ww.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202002/CK2020020402000142.html)より

2020年2月4日火曜日

米がイラン標的に 小型核配備を開始

 赤旗日曜版(2020年2月2日号)に記事「小型核配備を開始 米がイラン標的に」を読んで、日米安保条約で米国に従属していることの恐ろしさを、危険性を痛感した。しかし、朝日新聞でさえ、「(インタビュー)日米安保改定はや60年 立命館アジア太平洋大学学長・出口治明さん」(2020年2月4日)のなかで、「同盟ぜひ維持を」と大きな見出しを載せている。

 米軍は約4000発もの核弾頭を持っています。しかし、その多くは大出力すぎて膨大な被害が出るため「使いにくい」。そこで低出力の「使いやすい」核が欲しいというのが小型核推進の理屈です。
 (中略)
 特に重大なのは、W76-2が対イラン戦争を念頭に置いて配備されている点です。
 米軍は、イランを核攻撃の標的としています。18年のNPRは「状況に即したイラン戦略」が必要だと明記しています。この表現についてアーキン論文は、「弾道ミサイルで運搬できる小型核兵器」を指すと指摘します。16年にはイランを先制核攻撃する演習が行われました。
 同論文によれば、「4人の米軍高官が(W76-2配備で)イランとの行き詰まりが核戦争に拡大しうる危険を憂慮していると述べた」といいます。4人はまた、核兵器使用に関してトランプ大統領が予測できない行動をとりうることを懸念しています。(赤旗記事より引用)


赤旗日曜版(2020年2月2日号)
赤旗日曜版(2020年2月2日号)
B61-12は、戦闘機で運搬するというのを知って、戦闘機の墜落事故のことを想像して恐ろしくなってしまった。結構事故があるからだ。


2020年2月3日月曜日

三大能力(才能・集中力・持続力)

 『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹のエッセイ集、文藝春秋 、2007年)を読んで、彼が1日平均で10kくらい走っていることを知った。そんな彼が、小説家の資質は、才能、集中力、持続力だ、と次のように書いている。

 このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。これは日々ジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を作り上げていくのと同じ種類の作業である。刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。優れたミステリー作家であるレイモンド・チャンドラーは「たとえ何も書くことがなかったとしても、私は一日に何時間かは必ず机の前に座って、一人で意識を集中することにしている」というようなことをある私言の中で述べていたが、彼がどういうつもりでそんなことをしたのか、像にはよく理解できる。p109


  集中力と持続力は、小説家に限らず、何をするにも大切な資質だと思うので、それを向上させることができるとすれば、勇気も湧いてくる。

2020年2月2日日曜日

科学は、平和の上に成立する

 素粒子物理学者の村山斉さんが中心になって、いろんな国の研究者が黒板に数式を書きながら討論していたところをテレビで見たことがある。その時、科学研究を進めるのには平和は欠かせない、と思った。宇宙ステーションに乗り組んでいる乗組員も国際的なことも、その時考えた。
 そして、科学者の声として、天文学(科学)は平和の上に成立する、という考えを知り、意を強くした。そうだ、そうだ、と。

赤旗日曜版2019年12月29日・1月5日合併号

2020年2月1日土曜日

デタラメ答弁を許していいのか!!

 31日の衆院予算委員会の集中審議で、野党統一会派の山井和則氏(無所属)は、

 首相に対し、「いったん事務所の秘書がお金を受け取っている。主催の後援会が契約主体ではないか」と迫った。首相の主張を突き崩し、不記載の違法性をあぶり出す狙いだったが、首相は「契約者の主体は参加者個人」と言い切った。
 収支報告書への不記載はたびたび追及されてきたが、首相は「ホテル側立ち会いのもと、事務所職員が集金し、ホテル側に渡した。主催の後援会の収支は一切無い」として、問題ないとの立場を取っている。(朝日新聞、2020年2月1日)

 この記事を読んで、刑事がよくする「裏をとる」手法を用いるべきではないか、と思った。ホテルからの領収書は、参加者に渡したことになるのだから、参加者に聞けば良いだけの話ではないか、と。
 また、

 首相は「新年の例会は、後援会に入金や支出があるが、夕食会は本人とホテルの関係でお金の支払いと集金がなされている。違いは明確ではないか」と反論した。山井氏は「あり得ない答弁だ。一人一人がホテルと契約しているはずがない。800人が(会場の)『鶴の間』を押さえて5千円としたのか」と述べた。(朝日新聞、2020年2月1日)

 この話からすると、ホテル側は、800人に領収書を書いたという、ありえない話になる。いずれにせよ、裏をとればはっきりする。こんなデタラメ答弁を許していいはずはない。白黒はっきりしてもらいたいものである。