2020年3月31日火曜日

憲法が実現する価値を再認識すべきである

 日本国憲法9条で、戦争の放棄、交戦権の否認、戦力の不保持を明確に定めているにも関わらず、名前こそ自衛隊だが、立派な陸・海・空軍が存在している。どんどん憲法の価値・力が弱められている、って感じである。だからこそ、普段は意識しない「憲法の価値」というものに光を当て、その力を強めていく必要がある。
 それでは、「憲法の価値」というものは、どういうものだろうか。憲法学者の木村草太さんの言葉を紹介する。

 我々は皆、 一人ひとり異なる個性を持つが故に、誰しもが何らかの意味で少数派である。このため、特定の価値を押しつけ、少数派を排除する国家は、結局のところ、どの国民からも、どの外国からも信頼されなくなり、正統性を失ってしまう。だからこそ、平和と人権を尊重し、権力を分立して、多様な価値の共存の枠組みを維持しなければならない。多様な個性を持つ人々が、互いに尊重し、共存するための知恵が憲法なのである。
 こうした憲法の理想を、「非現実的」,「夢物語」と言う人もいる。しかし、「すぐに実現できない」という理由で理想を捨てるのは誤っている。多様な個性の共存という理想を掲げるからこそ、我々は、現実と粘り強く格闘する勇気を持つことができるのだ。真に「現実的」であるとは、安易な相互不信に流され他者を攻撃することではなく、しっかりした理想に向けて、一つ一つ現存する課題と冷静に向き合うことである。(木村草太著「目標が不明確な改憲は『NO』今こそ憲法が実現する価値を再認識すべきである」『文藝春秋オピニオン2014年の論点100』、p117)

 すなわち、「平和と人権を尊重し、権力を分立」という条件が成立して初めて、「多様な個性を持つ人々が、互いに尊重し、共存する」ことも可能になる。これこそ、憲法が実現する価値ではないだろうか。
 木村さんは、「武力行使は、行使する側にとっても、行使される側にとっても、広く深い影響を与える。慎重の上にも、慎重な検討が必要だろう」(同、p116)とも書いている。ちょっとでも一五年戦争のことを考えれば、当然のことである。
 繰り返すが、憲法の価値が軽視され続けているからこそ、憲法の素晴らしい価値を再認識し続けるべきなのである。いや、再認識し続けたい!!

2020年3月30日月曜日

軍隊の存在が戦争を引き起こす・2

「軍隊の存在が戦争を引き起こす」というブログを書いたばかりだが、報道写真家の石川文洋さんが同じことを「基地の強化が戦争に結びつく」と表現し、次のような文章を寄せていた。


 戦争が好きという人は、あまりいないでしょう。では、どうして戦争は起こるのか。あちこちで戦争をみてくると、基地の強化が戦争に結び付くことが分かってきます。ベトナム戦争での沖縄の基地がそうでした。基地は人殺しのためにある。だから、基地の強化は戦争に近づくことなんです(赤旗日曜版・2020年3月29日)。

 では、どうすれば、平和な世界に近づけることができるのか。それは、「世界第8位の軍事費を、戦争準備ではなくアジア諸国との友好のために使えばいい。軍事力の強化よりも、はるかに平和のための効果があるはず」だという。なんという明快な答えだろう。

 日本も考えてみてほしい。世界第8位の軍事費を、戦争準備ではなくアジア諸国との友好のために使えばいい。軍事力の強化よりも、はるかに平和のための効果があるはずです。消費税を増税して、国民には負担を強いておいて、そのお金でアメリカの最新鋭の戦闘機など大量に買われてはたまったものではありません(赤旗日曜版・2020年3月29日)。

2020年3月29日日曜日

自衛隊ジブチ基地は憲法逸脱では?

 最近知ったことだが、面積、23,200平方キロメートル(四国の約1.3倍)、人口、95.9万人(2018年,世銀)のジブチ共和国に自衛隊基地がある。いつの間にか、自衛隊の基地ができていた、といったほうが早い。だから、この基地の認知度は、だいぶ低いのではないだろうか。
 2011年に、米軍のレモニエ空軍基地に隣接して開設されたようだ。「海賊対策」として開設したのだが、「政府の発表でも、海賊の発生件数は激減しており、一五年以降はほとんどなくなっているにもかわらず、安倍政権がソマリアやジブチへの自衛隊派遣を続けているのは、中東地域やアフリカでの新たな日米共同作戦や軍事一体化をめざ している からにほかならない。」(山根隆志著「日米軍事同盟を根本から見直す(下)」『前衛』、2020年3月号、日本共産党中央委員会、p68)という。残念だが、それだけ、日米共同作戦や軍事一体化の深化が進んでいるということである。
 ジブチ共和国がどこにあるかも、今回地図を調べて初めて分かった。十分国会で議論されて開設したのだろうか。これは、とんでもない憲法逸脱だと思うのだが、・・・。

2020年3月28日土曜日

武器の輸出が紛争を支えている現実

 昨日紹介した文章の中に、「武器を輸出して地域紛争を激化させた国々の『国際貢献うんぬん』は聞いてあきれる」というのがあった。実際のところはどうなのか、調べてみた。紛争がなくならない原因がわかってきた。紛争がなくなれば、兵器の需要も無くなって、兵器産業が痛い目にあうのだ。兵器の輸出国にとって、紛争は飯の種でもあったのである。そのことは、武器輸入国についての次の解説を読めば、よくわかる。しかし、米国の輸出品目に武器がないのが、なぜなのかがわからない。


 これらの地域では、もともとテロなどで不安定な国が多いだけでなく、国家間の対立も深刻です。例えば、第1位の第5位のインドとパキスタンは、カシミール地方の領有を60年以上にわたって争い、1998年にはお互いを仮想敵として核保有にまで至っています。また、中東ではサウジアラビアを中心とするスンニ派諸国とイラン、シリアの対立が深刻です。(「https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20180316-00082780/」より)

https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20180316-00082780/)より

https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20180316-00082780/)より

https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2018/pdf/01-02-01.pdf)より

2020年3月27日金曜日

軍隊の存在が戦争をひき起こす

「戦争が起るから軍隊が必要なのではなく、軍隊が存在するから戦争が起るのである」何という名言だろう。以下の文章は、『法令ニュース』(一九九四年一月号)で企画した「新春アンケート」に答えたものである。このようなことを知ると、家永三郎さんの他に、どんな人が、どんな回答を寄せているのだろう、と気になってくる。
(残念ながら、図書館では見つからなかった。でも、国会図書館にはあって、「図書館向けデジタル化資料送信サービス」を利用して読めそうなことがわかった)

改悪反対、軍隊の存在が戦争をひき起こす
 憲法改悪に絶対反対。戦争が起るから軍隊が必要なのではなく、軍隊が存在するから戦争が起るのである。人類の長い歴史のなかで、戦争が起ったのは決して最初からではない。戦争が歴史的条件に基いて生ずるのだから、その条件を改めることによって戦争を消滅させることができる。
 一五年戦争のにがく恥ずべき体験にかんがみ、陸海空車その他の戦力の不保持を憲法で定めたのは、人類の歴史を改める先駆的なかがやかしい決断であった。そのような高遠な理想だけでなく、
 ㈠兵器発達の現状からして、長い海岸線に危険物の充満している日本の安全を軍隊で守ることは不可能となっている。
 ㈡軍隊は戦闘を至上目的としているから、どんな残虐行為(例えば七三一部隊、沖縄での邦人虐殺等々)でもあえてする。
 ㈢武器を輸出して地域紛争を激化させた国々の「国際貢献うんぬん」は聞いてあきれる。
 以上のような現実的判断からも、日本は世界諸国に軍備全廃を呼びかけるのが最も有効適切な「自衛」である。(『憲法・裁判・人間』、家永三郎著、名著刊行会、1997年、p40~41)


2020年3月26日木曜日

美濃部達吉の思想史的研究


 1967年革新都政が誕生し、美濃部亮吉さんが東京都知事に就任した。そのお父さんが『天皇機関説』を主張した美濃部達吉という憲法学者だったことも知っていた。しかし、美濃部達吉の人となりと思想については、全くわからなかった。
 今、家永三郎の思想に共鳴し、その著書をいろいろ読んできたが、その彼が、「美濃部達吉の研究に大きな力を注いでいた」ことを最近知った。それは、美濃部達吉の「人格と理論に格別の魅力を覚えたからであろう」(小林直樹著「家永憲法論の業績と特質」『家永三郎の残したもの引き継ぐもの』、日本評論社、2003年、p27)そうと知って、にわかに美濃部達吉の思想に興味を覚え、『美濃部達吉の思想史的研究』も、手にとって見たいと思うようになった。
 しかし、ちょっと敷居が高そうな気もする。そこで、小林直樹さんが書評(『史学雑誌』・73巻12号)でかなり詳しい内容の紹介し、小林さんの所見も付け加えているというので、まずは、書評から読んでみたい。
 美濃部達吉さんも、家永さんも、論理性を大事にしていたようで、次のように書かれていた。そこに、惹かれるし、そこを学びたい。

 家永さんは美濃部憲法論に接して、あたかも幾何学の証明を見るかのようなその論理的な明解さに、少年の頃から酔ったといわれている。若い頃からの異例の論理性の追究を示すエピソードと言えるだろう(同上、pp32)。

2020年3月25日水曜日

何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハレザル可シ

「津久井やまゆり園」の入所者ら45人を殺傷したとして、殺人などの罪に問われた植松聖(さとし)被告に死刑の判決言い渡された。その判決を受けて、ミュージシャン後藤正文さんが「死刑、見いだせぬ救い」というコラムを書いて、死刑制度に疑問を呈していた。


 現行の刑法で最も重い刑罰が科されて当然だと、多くの人が感じるのではないかと思う。しかし、彼に死刑判決が言い渡されても、気分が晴れない。どこにも救いがないように感じる。
 彼は人間の生殺を独自の価値観で判断し、犯行に及んだ。法の側にしかない生殺の権力を、自らが法であると考えて身勝手に行使したかのように見える。
 そして僕たちは、僕たちの社会が共有する価値観に基づいた制度によって、罪を犯した人間の生殺を決める。とても重いことだ。
 「人を殺すのは法の裁きによってでも許されることではない」という通念が社会に強くあったならば、自身が法であると妄想する人に対して、いくらかの抑止力を持てただろうか。(朝日新聞、2020年3月25日)

 ここで再び、明治時代に活躍した植木枝盛さんの死刑に関する憲法草案を紹介する。
「日本ノ人民ハ何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハレザル可シ」
 そして、植木枝盛の思想に注目した歴史学者の家永三郎さんが、「死刑と戦争とは、どちらも人殺しの公認でありまして、国家が殺人を公認する以上、世の中に血なまぐさい事件が絶えない」(「立志社憲法草案の歴史的意義」『歴史と責任』、中央大学出版部、1979年、p232)と書いていた。その通りになっていた、と言えないだろうか。

2020年3月24日火曜日

黒の版画家 長谷川潔

 福島県立美術館に行ってきた。心に残った一枚は、常設展に展示されていた長谷川潔の『メキシコの鳩 静物画』だった。一番驚いたというか、感心したところは、枝の先が今にも落ちそうで、葉が浮き上がっているように、立体的に見える点だった。後で気づいたことだが、鳩などの静物が置かれている板も、奥行きのある本物の板のように見える。
『黒の版画家』と言われていることは、帰ってきて調べてわかったが、白黒でこれだけ表現できる技術は、たいしたものだ。
 美術館にあった画集も見てきたが、図書館から画集を借りて、ゆっくり鑑賞してみたい。 

2020年3月23日月曜日

死刑も禁止していた植木憲法草案

 日本国憲法には、日本における自由民権運動の過程で生まれた憲法草案が色濃く反映されていると言われている。マッカーサーが憲法草案を作成するにあたって、民間草案を非常に重視したことが、GHQで草案を起草した要員による証言によって明らかになっているからでもある。
 植木枝盛(1857年-1892年)の憲法草案の主な内容を知って、なるほど、日本国憲法には自由民権運動を戦った先人の知恵が色濃く反映されている、と実感することができた。
 植木枝盛憲法草案の主な内容は、一部ではあるが次の通り。
 なお、5の死刑に関して、日本国憲法では、31条で、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定め、法律の定める手続によれば、人の生命を奪っても良い、と殺人を公認している。

1、基本的人権の保障について
 実に精細をきわめておりまして、保障すべきものとして列挙されている人権のカタログが豊富であるばかりでなくして、それが「公共の福祉」なんていうあいまいなもので簡単に制限することができないよう周到に保障されている。
 まず第一に、「日本ノ国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ズ」という総則で網をかぶせまして、やたらに基本的人権を縮小できないように定めてある。それから「日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス」。これも、明治憲法にはなく、はじめて日本国憲法で制定されたもので、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という日本国憲法の規定がありますが、それと一致しています。

2、教育の自由
ついて
「日本人民ハ何等ノ教授ヲナシ何等ノ学ヲナスモ自由トス」。教育の自由と学習の自由とが一体のものとして保障されております。この点では「学問の自由は、これを保障する」とだけしか書いていない本国憲法よりもっとクリアーに教育の自由を保障しているわけです。 

3、国籍離脱の自由ついて
 日本国憲法に、国籍離脱の自由があることはご承知と思います。これは世界的にも珍しい規定だそうでありますが、これが植木憲法にもあるのです。「日本人民ハ日本国ヲ辞スルコト自由トス」。これも日本国憲法と瓜二つと言ってよいのであります。 

4、拷問の禁止
ついて
「日本人民ハ拷問ヲ加ヘラルルコトナシ」、こういう規定も日本国憲法とよく対応しております。

5、死刑の禁止ついて
「残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」という日本国憲法よりもいっそう進んでいると思うのですが、死刑を禁止しているのです。植木枝盛は「日本ノ人民ハ何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハレザル可シ」という形で、一切の罪に対して死刑を禁止しております。    
 死刑と戦争とは、どちらも人殺しの公認でありまして、国家が殺人を公認する以上、世の中に血なまぐさい事件が絶えない、という思想が昔から少数意見ながら続いてきましてだんだん多数意見になりつつあります。ただ日本では実現するにはいたっておりません。

6、戦争放棄について
 憲法草案の中には出てまいりませんが、植木は今の日本国憲法と同じように、軍備の縮小からさらに進んで軍備の全廃、世界連合政府による国際平和の保障による戦争の放棄を理想として「無上政法論」、つまり最高の国際法規を作り、戦争を放棄することを理想として唱えているのですが、これが日本国憲法の第九条や前文と対応しております。(「立志社憲法草案の歴史的意義」『歴史と責任』、中央大学出版部、1979年、p231〜232から箇条書きに抜粋編集)


2020年3月22日日曜日

黒塗り文書に裏付けされた森友問題

 2018年3月7日に自殺した近畿財務局上席国有財産管理官(当時)赤木俊夫の遺族が、2020年3月18日に佐川宣寿および国を被告として損害賠償を求める民事訴訟を提起し、手記と遺書を公開した。そのことに言及した安倍首相を批判した川柳は、多くの国民感情を言い表しているのではないだろうか。

 しゃあしゃあと胸が痛むと鉄面皮(福岡県 伊佐孝夫)
 ぬけぬけと改竄(かいざん)あってはならぬだと(埼玉県 鈴木雄二)
         (2020年3月20日の朝日川柳・西木空人選) 



 公開された手記と遺書によって、新しい事実が明らかになった。それで、森友問題で再検証を求め、立憲など野党4党によるヒヤリングが行われた。問題が何ら解決されていないことが明らかになってきた。
 何よりも、残念なのは、黒塗りの文書が堂々と通用し、黒塗りの内容が明らかにできないでいることである。問題がなければ黒塗りなどする必要もないことは、猿でもわかることだ。
https://www.youtube.com/watch?v=01ZosnOzwDs)より

2020年3月21日土曜日

「侵すことのできない永久の権利」とは?


 日本国憲法には、永久という言葉の入った条文が三つある。
 第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力による行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄にする」と、
 第11条の「この憲法が保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と、
 第97条の「これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」の三つである。
 永久なんだから、現憲法に従えば、平和条項も、人権に関する条項も、憲法改正条項によってしても変えることはできないことを意味している。条文を素直に読めば、どう考えても、そうとしか考えられない、そう思ってきた。
 そして、ようやく、「永久の権利」に注目した本に出会うことができた。『日本国憲法の価値 命の尊厳の基準として』である。

 日本国憲法それ自体のなかにも、憲法改正の限界について「定めている」文言がありますので、触れておきたいと思います。(『日本国憲法の価値 命の尊厳の基準として』、新美治一著、アルゴ出版、2006年、p51)
 平和と民主的な国のもとで、基本的人権を享受することは、「永久の権利」なのです。憲法は、「戦争の惨禍」を知る世代のみを対象にしているわけではなく、次の世代にも、その次の世代にも「永久に」この憲法の掲げる理想と目的が享受されることを予定していると言うべきです。(同上、p52)

2020年3月20日金曜日

9条を実行する

「9条を実行する」ということは、9条の空洞化を解消し、名実ともに憲法の理想に近づくことである。「これは憲法を護るということとは異なる。これを実行するためには、革命に等しい変革が必要である。が、それは、不可能ではない。軍備を拡大し、戦争に勝ち抜くことに比べれば、はるかに実現可能性が高い」(柄谷行人著、「9条を実行する」
『これからどうする 未来のつくり方』、岩波書店、2013年、p3)。
 自衛隊は、違憲と言われながら、大きな勢力となって米軍と肩を並べて不動の地位を保ちつつあるのが現状である。米軍も、地位協定を力に大きな力をもって、日本を押さえ込んでいるように見える。だからこそ、9条を実行するためには、「革命に等しい変革」が必要になる、ということあろう。
 一見すると、確かに難しい課題だ。しかし、フィリピンの米軍基地撤去の実績は、明るい展望を与えてくれる。そのことによって、基地撤去派の人々に危害が及ぶようなことはなく、民生地として生まれ変わっていることの意義は大きい。9条を実行しても、大丈夫であることを確認し、その上で、9条を実践して、自主独立、かつ、戦争放棄を名実的なものにしてい着たいものである。

2020年3月19日木曜日

「非国民」の論理

 オウム真理教事件は、終わった。そう思っていた。しかし、筑紫哲也さんのコラムを再読して、オウム真理教は、姿を変えて、今も現れていることを思い知らされた。この社会に光明を見出すためにも、「オウム真理教」って何だったのか、しっかりと押さえておく必要があるのかもしれない。

 久しぷりに懐かしいことばに出会った。
 私が十歳の少年だったころまでこの国でしきりに使われていたことばである。
 「非国民」
 サリン事件、オウム真理数をめぐる疑惑が浮上して以来、おびただしい電話、手紙、ファックスがその報道をめぐってテレビ局に殺到しているのだが、そのなかでこちらの姿勢を非難することばのなかにそれは使われていた。激烈な罵りことばはこれに限らず、もっとひどいものもあるが、幼時体験との重なりという点ではそれは懐かしかった。
 事件関与の真偽は別として、このカルト集団がやりきれないのは、見た目ほどには私たちの社会とかけ離れた異質の存在ではないという一事である。
 自分たちが思い込んでいる「真理」「真実」に少しでも疑義をさし挟む者に対しては激しく反発し、相手を抹殺しかねまじき言語を多用する人がこの社会には実に多い。彼らはオウムと名を冠しておらずとも、別の「真理教」の信者であり、オウムに対して呵責なく対すれば対するほど、その体質は相似性を帯びてくる。”裏オウム教”とでも呼びたくなるファナティシズムが臭う。
(中略)
 そんなことより何より、「非国民」の語が幅を利かせていた五十年前まで、私たちの国全体が「真理救国家」であった。
 外部からの情報が遮断されていただけでなく、外とは全くちがう論理と心理が社会全体を支配していた。指導者の掲げる大義と世界観に完全にマインドコントロールされ、自分たちの棲む国は不滅の神の国(神州不滅)だと信じ、尊師ならぬ 現人神のために命を捨てる覚悟だった。実際に多くの人がそうなった後も「神風」の到来を信じ、「竹槍」で戦う気でいた。いま真理数を包囲し対立している社会は当時の世界であり、異端視された日本が真理数のような存在だった。半世紀経っても過去は容易に死なないことを現在が示し続けている。(筑紫哲也著「『非国民』の論理」『週刊金曜日』、1995年5月12日号、p4)

2020年3月18日水曜日

フィリピンは、日本にとっての希望の星

 フィリピンのドゥテルテ大統領が「訪問米軍地位協定(VFA)」の終了を米国政府に通告したという明るいニュースが赤旗日曜版に掲載されていた。日本でも、安保条約の廃棄を米国政府に通告すれば、米国との屈辱的な従属関係が解消され、名実ともに日本の独立が達成される。そういう意味で、フィリピンは日本にとっての希望の星である。
 以下は、赤旗日曜版(2020年3月15日号)を元に編集し直したものです。

1、フィリピンでは1991年に上院が米軍基地の存続を拒否する決定をおこない、すべての米軍基地がなくなりました。

2、その後、恒久基地ではなく、一時的にフィリピンを訪問する米軍部隊として行動できるように、98年にVFA(訪問米軍地位協定)が結ばれ、翌年、上院も承認しました。

3、フィリピンのドゥテルテ大統領が2020年2月11日に、米国と22年前に結んでいた「訪問米軍地位協定(VFA)」の終了を米国政府に通告しました。半年後に地位協定がなくなれば、 フィリピン国内での軍事演習など米軍活動は事実上できなくなり、両国の軍事関係は激変します。

4、今回、このVFAがなくなれば、米軍は入出国はじめすべての特権がなくなり、国内法にしたがう「一般米国人」になります。

 すでに、フィリピンでは、「米軍頼らず」と「中国に屈せず」をどう貫けるかといった議論が始まっています。ロクシン外相は、VFA終了で動揺する官僚らに「泣き言を言うな。主権を守るためにわれわれ自身の足でたとう」と訴えました。
 大統領のスポークスマン、パネロ氏は「VFAは米国にとって有利だった」とのべ、「自立外交」の推進を強調しています。1991年の米軍基地撤去に続く、フィリピンの歴史的転換となるのかどうか、注目されます。

2020年3月17日火曜日

米国の世界戦略の拠点、在日米軍基地

 在日米軍基地が米国の世界戦略の拠点として配備されていることは、理解していた。しかし、明確な根拠までは知らなかった。今回下記のように、政府高官の言葉が示されているのを知って、その真実性に確信を持つことができた。

 在日米軍が「日本を守る」ためではなく、「米国の利益のため」に地球規模で展開するための前身基地として配備されていることは、歴代の米国防長官とともに日本の元防衛大臣も認めていることである(山根隆志著「日米軍事同盟を根本から見直す(上)」『前衛』、2020年2月号、日本共産党中央委員会、p18〜19)

 ワインバーガー国防長官 「沖縄の海兵隊は、日本の防衛に当てられておらず、第七艦隊の即戦海兵隊として、第七艦隊の通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備される」(一九八二年四月二十一日、米上院歳出委員会)

 チェイニー国防長官 「米本土以外の空母戦闘群の母港は、世界で唯一、横須賀だけであり、われわれにとって死活的である。空母を前進配備することで、われわれは、数千マイル短縮することができた。さらに、沖縄の海兵隊は、世界的な役割を果たす戦力投射部隊である」(九一年七月三十一日、下院予算委員会)
 久間章生防衛大臣(二〇〇六年の第一次安倍内閣の防衛庁長官、〇七年一月の防衛省発足で初代防衛相に) 「誤解を恐れずに言うと、在日米軍はもう日本を守っていないのだ。最新鋭戦闘機で大展開している米軍の航空機だが、日本の防空の任務についているのは一機もない」、「在日米軍基地は日本の防衛のためというより、『不安定の弧』といわれる中東から中国を含む東アジアにかけて展開する米軍のための最大拠点と見た方が正しい」、「米国の世界戦略の拠点になっているのが在日米軍基地なのだ」(ー二年発行の著書『安保戦略改造論』)
(同上、p19)

 朝日新聞(2020年3月17日)の世論調査によると、「日米安全保障条約を今後も維持していくことへの賛否を聞くと、『賛成』68%、『反対』13%だった」。しかし、「在日米軍の駐留経費について、日本側の負担を増やすことには『賛成』は14%で、『反対』が72%だった」。ここに光明を見出すことができた。「在日米軍基地の本質、実態を知れば、日米安全保障条約そのものの評価も逆転するであろう」と思えたからである。

2020年3月16日月曜日

松岡正剛さんのお薦め本から

『松岡正剛の書棚』を読んでいたら、読んでみたい、手に取ってみたい本が結構見つかった。それらの本をメモしていたら、彫刻家の平櫛田中が晩年、「彫刻の材料である木材を沢山取り寄せた」というエピソードを思い出した。読んでみたい本が、平櫛田中にとっての木材にダブって見えたのだ。

1、『ライプニッツ著作集』とは、どこかで絶対出会うべきだ。(p22)

2、ピーター・アトキンスの『エントロピーと秩序』も必読。数式を使わずに熱とエントロピーの深遠なふるまいを解読した本。こんな言い回しが随所に現れる。「呼吸は血液中の鉄原子が錆びることから始まっている」。うーん、うまい。(p23)

3、ハイゼンベルクの『部分と全体』。これは画期的な自伝。単純な足し算では見えてこない非線形な世界がひらひらと見えてくる。(p23)

4、ダーウィンの『種の起源は、世界を変えたベスト10のうちの一冊。一行ずつ人類に明かされていった当時の状況をを想像しながら読みたい。(p24)

5、ジェラルド・ワインバーグの『一般システム思考入門』はめったにない名著。技術的なシステム論は無数にあるが、システム論を思考の方法として見事に説いたのはこれ一冊。(p30)

6、哲学者の中でもチャールズ・パース(『パース著作集』)は絶対必読。「アメリカが生んだ唯一無二の知性」と言われるパースは、物事を考えるに当たって、「帰納」と「演繹」以外に、アブダクション(仮説形成)を設定した。最初に仮説を立て、その仮説の元で推理する方法だ。(p30)

7、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を薦めたい。一切のヨーロッパ思想の矛盾、限界、嘘を暴いた。・・・・・思想としてのニーチェを通過しないで。世界の思想を述べるのは、そろそろやめたほうがいい。(p38)

8、大森曹玄の『山岡鉄舟』。鉄舟によって初めて、「剣」と「禅」と「書」が結ばれた。(p56)

9、ペンローズの『ピカソ』は、ピカソ伝記の定番。ピカソは他人の作品を「剽窃」すると同時に、自分の作品からも「剽窃」していたことを最初に指摘した。(p80)

10、物理なんてさっぱりわからないというなら、ハイゼンベルクの『部分と全体』に入る前に、朝永振一郎の『物理学とは何だろうか』を読むといい。この本は、朝永の絶筆。最後の箇所は、朝永が残したメモをお弟子さんが書き継いだ。それだけにどうしても言っておきたかった物理への想いが込められている。(p111)


2020年3月15日日曜日

安保条約は、 ”血の同盟” ?!

 安保条約は、 ”血の同盟” なのだろうか。安倍首相によれば、「軍事同盟というのは、 ”血の同盟”」だという。『前衛』に引用された文脈によれば、ここでいう軍事同盟とは安保条約そのものである。したがって安倍首相は、「安保条約を集団的自衛権の行使可能なものにして、 ”血の同盟” としての軍事同盟にしようとしている」ということになる。これこそ、安保条約の本質であろう。

 安倍首相は、自民党幹事長時代の2004年に出版した対談本で、「軍事同盟というのは、 ”血の同盟”です。……しかし今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない」、「日米安保をより持続可能なものとし、双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の行使だ」、「日米安保条約を堂々たる双務性にしていく」(『この国を守る決意」)と強調している。そして、対談相手の岡崎久彦元サウジアラビア大使の死後、追悼文で「この本で述べた…私の視点は、今でも変わっていません」(岡崎久彦著「国際情勢判断・半世紀』2015年発行)と明記している。(『前衛』、2020年2月号、日本共産党中央委員会、p21)

2020年3月14日土曜日

お互いが、お互いを尊重する

 朝日新聞(2020年3月14日)『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』(ドミニク・チェン著)の書評が」あった。コミュニケーションの技法に、とても興味を覚えた。
 一部引用すると、次の通りだが、「わかりあえなくとも共に在ることはできる」ためには、その前提、つまり、「お互いが、お互いを尊重する」という関係が必要であると思った。国会議員の間に、ここで述べられているようなコミュニケーションが成立するようになったら、きっと日本の未来も明るくなるに違いない。


 排他主義を「恥ずかしい大人の声」といい、わかりあえるもの同士がつるみ、わかりあえないものとの分裂が拡大していく時代にあって「コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容(い)れるための技法」という。わかりあえなくとも共に在ることはできるという実体験からの素直な感覚。多数の言語が混ざり合ってつくる共にある未来。言葉の共有地(コモンズ)を求めて場がつくられてゆくことへのこれからに期待したい。(評・長谷川逸子・建築家)

2020年3月13日金曜日

新型コロナウイルスの危険度の実相は?

 新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。しかし、その実態は、いまだに解明されていない。それもこれも、検査体制がなぜか整備されず、検査データが少ないからだ。そのことが、『サンデー毎日』を読んでよくわかった。
 感染が世界的に広まっているとはいえ、インフルエンザに比べれば、問題にならないくらい少ない。このことだけを見れば、そんなに恐れることはないのではないようにも見える。だからこそ、検査をもっと拡充して、新型コロナウイルスの実装をつかむことが必要なのだ。
2019年2月1日



 対ウイルス戦は検査データ増が至上命令だ。分母を多くすればするほどに正確な感染率、重・軽症率、快復率、致死率が出てくる。地域別、男女別、年齢別、状況別データ解析で、ウイルスの危険度の実相が見え、正しく恐れることが可能になる。
 政策の優先順位がはっきりし、エビデンス(証拠)のある行政指導で、国民と対話をしながら政策を浸透させる。「首相決断」でいきなり一斉急行を求めるような乱暴な求めるような乱暴な措置はもとより論外となる(「倉重篤郎のニュース最前線」『サンデー毎日』。2020年3月22日号、p46)

2020年3月12日木曜日

基本的人権を侵害する米軍基地の存在

「日米軍事同盟を根本から見直す」という論文に興味を持ち、『前衛』(2020年2月号、日本共産党中央委員会)を借りて読んでみた。世界中(45カ国)に514もある基地の中で、思いやり予算による優遇など、突出した在日米軍基地の異常に目を見張るものがあった。その中でも、下記のような米軍による基本的人権の侵害の実態は、人ごとには思えない。安保容認派が多く存在していることは知っているが、こうした実態を知った上での容認なのだろうか。
 何十年と、傍若無人な飛行・訓練の騒音などに耐えてきた人たちのことを思えば、とても、安保容認などとは言えない。

 主権を侵害する基地あるがゆえに、相次ぐ米兵犯罪やオスプレイ配備強行、無法な空母艦載機などによるNLP(夜間離着陸練)や超低空飛行訓練、米軍機の騒音被害、航空機・戦艦による環境汚染などにより、各地で住民の命と暮らしが日常的に脅かされている。
 全国各地で米軍基地による被害が深刻になっている。沖縄に配備された米海兵隊のMV22オスプレイは、くりかえし本土に飛来し、傍若無人な飛行・訓練を続けている。米空軍のCV22オスプレイが横田基地(東京都)に配備され、超低空飛行を含む訓練を各地で実施している。岩国基地(山口県)は、米海兵隊のF8B戰闘機が米国外で初めて配備されるとともに、空母艦載機が移駐され、東アジア最大の航空基地に変貌した。爆音被害だけでなく、墜落事故など重大事故が相次いでいる。
 米軍基地と沖縄県民をはじめ日本国民との矛盾点はすでに限界をこえた。さらに、憲法違反の集団的自衛権行使による「海外で戦争する国づくり」など、「日米同盟」の危険な侵略的変質は、日米安保条約と日本国憲法がいよいよ両立しなくなったことを浮き彫りにしている(『前衛』同上、p17)

2020年3月11日水曜日

人間とは「途上の存在、常に道半ば」なり

 画家のパブロ・ピカソは、「青の時代」「バラ色の時代」そして「アヴィニョンの娘たち」から始まった「キュビズムの時代」へと絶えず自己革新を続けた画家として有名だが、どうやら、そうした学びの姿勢は、生物学的にも運命づけられているようだ。

アヴィニョンの
 「人間のニューロンは、年をとっても少しずつ新生しつづけるという。どうやらわれわれは生物学的にも学び続けることを運命づけられているようだ。学びは、決して完成しない。一度完成したならば、次なる完成に向けて自分自身を作り変えながら学んでいかなければならないから。その意味で人間とは、「途上の存在」に他ならず、常に道半ばなのである。学ぶことは、自分を作り替えることであり、世界を作り替えること。今このことを感覚的できれば、それが一生の力になるだろう」(小林康夫、『何のために「学ぶ」のか』、p172~173)

2020年3月10日火曜日

東京空襲を予言していた水野広徳

『家永三郎憲法裁判証言集』(家永三郎著、中央大学出版部)を読んでいて、「一九三二年に日米戦争の推移を予見していた水野広徳」の存在を知った。小説の形で『興亡の此一戦』と題する日米未来戦を描いた書物を公刊していたのである。

 戦争は長期化して、日本国内の物資は極度に欠乏し、国民生活が窮迫していったあげく、米空軍の空襲により、東京が焦土と化するという経過をたどることになっております。「跡は唯灰の町、焦土の町、死骸の町である。人間の焼ける臭気が風に連れて鼻を打つ」というような描写がありまして、実際に行なわれた米英との戦いの結末をはっきりとこの時点で予見しております。民間人である水野が、これだけの予見ができたとすれば、あらゆる国家機密について、精細なデータを把握していた最高権力者が、予見できなかったとすれば、それは重大な過失であり、予見していてなお勝算の見込みなしに、戦いを始めたとすれば、これは未必の故意による国民の大量虐殺の責任を負わなければならないと思います。(『家永三郎憲法裁判証言集』、 p105)

 これを読んで、実際に『興亡の此一戦』を読んでみたいと思って調べてみたら、『水野広徳著作集の第3巻』にあることがわかった。そこに、「日米戦争と東京空襲」という項目があって「組織と統制ある決死の飛行機百機の来襲に対しては、如何に勇敢なる防禦軍も、如何に巧妙なる防禦法も絶対完全に敵を防守することの保証は出来ない、とは専門家の一致した意見である」(『水野広徳著作集の第3巻』 、p282)。

 空襲を受けて「一時間を出でずして、山手も、下町も、全市忽ち火の海と化する。河と云う河。堀と云う堀は、逃げ場を失いたる避難者の、悲鳴号泣の修羅場と変ずる
 これぞ東京が空襲を受けた時の概況である」(上同、p283)

 一九三二年というと満州事変の頃で、真珠湾攻撃の9年前である。その頃にすでに日米戦争と東京の空襲を予言されていたのである。しかも、生々しい空襲の実態を。にも関わらず、・・・。

2020年3月9日月曜日

世界史の進展を我々の理想の方向に誘導していく

 日本国憲法は、第9条において、戦力も、交戦権も放棄して、どうして日本の安全を確保できるのか、という疑問が出されることがある。そうした疑問に、教科書裁判で著名な歴史学者の家永三郎さんが明確に答えている。一言で言えば、「世界史の進展を我々の理想の方向に誘導していく努力を続けるほかない」ということになるが、全て、含蓄ある言葉で語られており、感動的ですらある。

問 最後の質問になりますが、日本の安全を守るために、証人はどのようにすればよいとお考えになりますか。
答 戦争を体験し、そしていささかその戦争の惨禍について研究してきた研究者として、また、このような悲惨なことを繰り返してはならないと念願する一市民としての見解から申し上げますと、何よりもまず日本は、いかなる特定の国家とも軍事的な結合を持つことなくいかなる国家の政治的な国際戦略とも結びつくこともなく平和憲法の理念に基いて、努めて世界の緊張を緩和することに全力を挙げる、これに勝る日本の安全を確保する方法はないと思います。
(中略)
 軍備をもって自衛戦争をしようと思っても、それは現在の日本の置かれている地理的状況、あるいは国際的環境の中で、到底日本国民の生命を安全にすることはできないのであり、むしろ全面的核戦争を誘発し、あるいはそこまでいかないにしても、日本が外国の攻撃の目標となる。で、むしろ十五年戦争を上回る莫大な被害を出すに終わると思います。したがって、まずそういう状況を出現させないための国際緊張の緩和のために、政府ばかりでなく、民間レベルをも含めた国民の総力による努力が第一に要請されそれをしないでおいて軍備拡充を先行させることは、根本的に憲法の理想にも、また歴史の教訓にも反する、危険な政策であると思います。
 しかしながら、もし万一、何らかの歴史的状況の中で、外国軍隊の不法な侵入を受けた場合にはどうするか、ということを考えてみますと、私は、そういう場合でも、せいぜい非暴力不服従の運動によってこれを阻止し、世界の世論に訴えて、一日も早く外国侵略軍の撤退を求めるということが、最善であって、そこで武力抵抗、特に常備軍による抵抗を行なえば、先程から繰り返して申しますように、むしろ友軍によって殺される比率が多く、あるいは逆に、外国の全面戦争の中に巻き込まれて、全く日本全土が人間の住み得ない荒廃地となる危険さえはらんでおりますので、私は、どこまでも武力によらない抵抗によってのみ日本の安全を確保し、そしてこの世界史の進展を我々の理想の方向に誘導していく努力を続けるほかない、そのように考えております。(『家永三郎憲法裁判証言集』、家永三郎著、中央大学出版部、1983、p123~124、強調は橋本)

2020年3月8日日曜日

自分自身の観察が、健康を保つ最上の物理学である

 三木清の『人性論ノート』に、健康という項目がある。その文章の初めにある「何が自分のためになり、何が自分の害になるか、の自分自身の観察が、健康を保つ最上の物理学である」は、名言だ。自分こそが、自分にとっての「何よりも名である」ということであろう。

「何が自分のためになり、何が自分の害になるか、の自分自身の観察が、健康を保つ最上の物理学であるということには、物理学の規則を超えた知恵がある。 ―― 私はここにこのベーコンの言葉を記すのを禁ずることができない。これは極めて重要な養生訓である。しかもその根底にあるのは、健康は各自のものであるという、単純な、単純な故に敬虔なとさえいい得る真理である。
 誰も他人の身代わりに健康になることができぬ。また誰も自分の身代わりに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその点において平等なものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。全ての養生訓はそこから出立しなければならぬ」(新潮文庫、p93)。

「健康には身体の体操と共に精神の体操が必要である」(p95)という言葉もあった。

2020年3月7日土曜日

日本国憲法のもっとも大きな価値


 日本国憲法の核心と言われている9条についての、わかりやすい解説を見つけた。『日本国憲法の価値 命の尊厳の基準として』(新美治一著、アルゴ出版、2006年)の一節である。改行を加えたり、連番を加えたり、強調したり、と大分手を加えた。

 日本国憲法のもっとも大きな価値は、「戦争をしない国」(戦争の放棄)・「戦争のできない国」(交戦権の否認・戦力の不保持)と明確に定めていることです。

 憲法は、国のあり方を定めるその国の最高法規です。その憲法の要は、前文と第9条です。日本国憲法の全体系を貫いているのは、戦争の放棄であり、交戦権の否認であり、戦力の不保持なのです。 
 一般的な言い方をしますと、日本国憲法の価値は、
1、大日本帝国憲法の定めていた神権的な、軍国主義的な絶対主義的天皇の支配体制を一掃したこと。
2、憲法を国の最高法規範とする近代立憲主義を、20世紀の半ばに、具体的な状況のもとで実現したこと。
3、国家及び戦争に関する考え方を根本的に変え、それに基づく「国づくり」を理念として掲げたこと。
4、国民が主権者であり、平和な民主的な体制のもとで、人権が保障され保護される体制を構築したこと(国民主権、平和と民主主義、基本的人権の保障)
 これらの言葉に要約できると思います。
 近代日本の歴史は侵略戦争を押し進めた歴史であり、その戦争の中心には、常に天皇がいました。神であり、絶対的・専制的な支配者であり、帝国の全軍の最高総司令官であったこの「天皇」は、永久に追放されました。平和を願う国民が、国の主人公になったのです
 日本国憲法には、戦争を禁止する条規以外に戦争に係わる条規は一切ありません。憲法に違反する国の法令及び行為は、一定の手続きを経て、「違憲」と判断されれば、その効力を喪失します。これらを考慮すれば、日本国憲法において、「戦争の放棄」「交戦権の否認」「戦力の不保持」を法規範化していることの意味の大きさがさらに確かなものとして確認することができます
 国のあり方の根幹をなす、国民主権、平和と民主主義、基本的人権の保障という日本国憲法の3大原則にとって「戦争の放棄・交戦権の否認・戦力の不保持」がもつ意味は、計り知れないほど大きなものです。扇の要ですこの規定が日本国憲法で定められている日本の国のあり方にとってもつ意義は、一言では到底言い尽くすことのできないほど大きく、世界史的な、人類史的な意味を持っています。(p16)

 自民党の改憲案は、日本国憲法の「扇の要」を変えたいというのだから、この所を抑え、何としても改憲を阻止したいものである。

2020年3月6日金曜日

一人一人の命は、唯一の尊い命である

 郡山市立美術館で開催されている「石田智子展」に行ってきた。作品も良かったけれど、雑華(ぞうけ)という言葉に込められた仏教の思想に感銘を受けてきた。
無数の紙燃で作られている


雑華一ありのままに
 雑華(ぞうけ)という言葉は 「華厳経」 に由来する。 華厳は読んで字のごとく美しい花をもって飾ることであるが、 美しい花とは、人目につく花や色鮮やかな花だけでなく、 季節ごとに路傍や野山に咲く花、 名も知られずひっそり咲いている花も均しくふくまれる その華一つ一つはその土地その季節だけに咲いた唯一の華である。 「雑華」 は尊い命の喩えで、大宇宙に存在する全てには「中心」がなく「純」なものもあり得ないため「雑」とされている。私はこの「雑華」という言葉を目の前の自分のこととして考えてみた。
 気候が異なる慣れない土地と経験のなかった禅寺での生活の中で、 時々ではあるが、 紙を切って燃り、 紙燃(こよリ)を作るという単調な作業を20数年間繰り返してきた。 今回の展示も15万本ほどの紙燃とコラボレーションする。 作品展示の時、私が最も大切にしている事は、 与えられたその場を 「活かしきる」 ということ。 紙燃を作ることは、 おしゃベりしながらでもTVを見ながらでも乗り物の中でも出来る。 だから制作していると実感出来るのは展示している時だ。どんなに前もって考え物理的な実験をしていても、 現場ではいろいろな問題が出てくる。 私が前もって考えていたことなど吹っ飛んでしまったりする。 だから注意深くその場が持っている条件を飲み込みながら、 その空間が最も美しく感じられ、 且つ私が作った紙燃が生き生きと見えてくるのはどんな状態か。 空間と 「素」になった私と作った素材が絡み合い、 一体となれる瞬間を探す。 それがインスタレーションだと考えている。
 Alが凄い早さで進む中、 世の中や自然の変化も恐ろしく大きく、 対する自分の存在はいかにも小さい。 しかしどんなに小さくても、 自分は大宇宙の膨大な出会いの中からたったーつの御縁がつながり 生命を頂いていることも間違いない。雑華という言葉は「華厳経」の中で 「雑華をもって荘厳する」 と使われる。 自分はいかにも小さな存在だし、未熟だし、 歪んでもいるが、 ここまで連綿と伝わってきた尊い命を無数の雑華として活かしきりたいと思う。願わくは、隣り合う沢山の人々や周りを包んでくれる環境と響き合いながら。(石田智子・下線は橋本

 「華一つ一つはその土地その季節だけに咲いた唯一の華である」という華を「連綿と伝わってきた尊い命」と重ね合わせて考えているところが素晴らしい。だから、一人一人の命一つ一つは、その土地に咲いた唯一の尊いである」という平等思想に読み取れる。

2020年3月5日木曜日

至福の営み

 マリー・キュリー夫人の姿が心のどこかにあって、大学で物理学を選んだという科学者の米沢富美子さんがいる。そんな米沢さんには、「世俗的な悦楽に目もくれず勉学に励むマリーの姿は禁欲的に見えたが、自分が研究者になってみて、人目には禁欲的に映る生き方も本人には至福の営みであることを知った」(「いつもそばに本が」米沢富美子、朝日新聞)という。60歳を過ぎても、<「勉強が面白くて」、今も徹夜はざら>と書いていたが、本当の勉強はこうでなければいけない。
 このように、楽しく勉強をするなどして脳が活性化している状態の時に至福と感じるし、さらに、そういう時は寝る間を惜しんでも勉強してしまうほどの活力が生まれるようだ。次に述べる大野晋さんや朝倉摂さんの例を見てもそう思う。



 僕の場合、冬をのぞけば、毎朝5時から夜12時まで勉強するのが日課。間、途中で居眠りしたりするかもしれないが。だって、それ以外、僕はほかのことは何もできないんだよ。水泳はできないし。かけっこはビリだしさ。その代わり、椅子に座って辞書読んだり、本書いたりする作業に強い。そう簡単には、くたばらないんだな。(大野晋、国語学者、80歳、『サライ』、2000年11月、p16)

 60台半ばまではねるのが惜しくて、4時間弱の睡眠時間で仕事してたけど、今はさすがに6時間くらい寝ています。
 (中略)
 昨日チェホフのことを考え、今日は紫式部の世界を思い浮かべ、そして明日はギリシャの資料をあさると行った具合ですから、メチャクチャですよ、頭の中は。(朝倉摂、ぶだい美術家、77歳、『サライ』、1999年11月、p18)

2020年3月4日水曜日

感染症対策急いで、私権制限には歯止めを

台湾では1月15日に新型コロナウイルス感染症を指定感染症に指定し、中国からの人の流れを止めていた」ことを、今日初めて知った。
 それに対して日本政府は、強い警鐘があったのに、政令改正は1月31日、施行は2月7日になり、この間、武漢からの観光客まで受け容れていたのだ。それに付け加えて、ダイヤモンドプリンセス号からの下船者を、伝染病予防法で隔離すべきだったのに、隔離しないで帰宅を認めたために、大きな感染拡大をまねいてしまった。明らかに政府の失策に基づく人災である。
 安倍政権の政策の最大の問題点は、検査させない政策で、まともに感染状況を把握しようとしていない。重症化するまで、検査しないなどという異常な政策が、今も改められていないのだ。そして、専門家はおろか、文科大臣のいうことも聞かないで、突然全国の休校措置を要請したりしている。安倍首相は、科学的根拠と関係なく、権力を行使していることになる。(http://www.labornetjp.org/news/2020/0303kaidoからの引用に若干手を加えた)
 なぜだ。安倍首相は、憲法を改正して、非常事態宣言を出せるようにしたいと考えていることは明らかなことだ。だから、そこに向かっての第一歩を踏み出せる環境づくり大優先に、ことを進めているとしか考えられない。
 今日の朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」にも、「感染症対策は急いでも、私権制限には歯止めを。政権の強権姿勢を忘れてはならぬ」とあった。どうも政府は、逆を行っているようだ。


安倍首相が目指しているもののイメージ
 ホップ 今回の各種の要請
 ステップ 緊急事態の宣言をする
 ジャンプ 非常事態宣言を出せるようにする
(こうして、日本の「太平洋の盾・巨大なイージス駆逐艦」化が完成していく)

2020年3月3日火曜日

決して学ぶことを止めない

 以前、陶芸家ルーシー・リー展を鑑賞してきた。作品の中に独特な形もあったけれど、形よりも色合いの素晴らしさに感銘を受けてきた。と同時に、彼女の陶器製作に対する姿勢にも感銘を受けた。


 陶芸家ルーシー・リーの言葉
*陶器制作は私にとって冒険である。
*新しい創作はすべて新しい始まりである。
*私は決して学ぶことを止めないであろう。
 この中の「決して学ぶことを止めない」を座右の言葉に加えることにしたが、自分の人生を振り返ったときに、「私の人生は冒険だった」と言えるようになりたいと思ってしまった。
 また、釉薬レシピや化学式、スケッチなどが書かれた釉薬ノートも公開されていたが、こうした足跡が、彼女の研究姿勢を雄弁に物語っていた。だからこそ、「リーは、釉薬に関する高度な専門知識と膨大な実験結果を持っており、意図した通りの効果を的確に再現することができた」と言わしめたのであろう。
 彼女は、95歳と長命だった。彼女に限らず芸術家に長命な人が多いと言われているのは、より良い作品を創作したいという「止むに止まれぬ欲求」によるところが多いのではないだろうか。自分の作品に、さらなる高みを目指すよう突き動かされるのかもしれない。そういう意味でも、新しい作品を制作しないことには前に進めないことになる。当たり前のことだが。2016年1月25日

2020年3月2日月曜日

世界から批判される安倍政権のウイルス対策

 2月29日に実験の予想を書いておいた。次のような問題に対し、2を予想し、実験結果を待っていたのである。

 感染していても、潜伏期間中は、検査で確認できない、という事実がわかったのはいつか?という問題がある。
1、仙台の男性の発症した時点でわかった。
2、検査で陰性の人が大型クルーズ船から家に返された時点で、明らかになっていた(例えば中国などで)が、共有されていなかった(知らなかった)。
3、検査で陰性の人が大型クルーズ船から家に返された時点で、明らかになっていて、(ありえない、あってはならないことですが)一部の人は知っていた。

 実験結果は、なんと、3の「ありえない、あってはならないこと」として予想したことだった。残念だ。
 この実験結果から言えることは、発症する可能性のある人を多数野放しにしてしまったことである。政府関係者に緊張感がまるでないことも見えてきた。どうして? とにかく残念の一言である。

以下その記事は、
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mag2/world/mag2-441923
からの引用である。

世界から批判される安倍政権のウイルス対策
 陰性と判断されてダイヤモンド・プリンセスから22日に下船させた栃木県の60代の女性が、下船の2日後に発熱して陽性だったと判明したという報道です。何よりも問題なのは、この女性が厚生労働省の指示で、自宅の最寄り駅まで電車に乗って帰ったという点です。当初は、保菌者に直接触れるなどの「濃厚接触」でしか感染しないと説明されて来ましたが、ダイヤモンド・プリンセスに乗船した厚労省の職員が、乗客の誰とも接触していないのに感染したことから、感染症の専門家は「保菌者が触れたドアノブや手摺りなどに、後から来た人が触れただけでも感染の可能性がある」と指摘しました。
 この栃木県の60代の女性の前にも、19日に500人、20日にも500人の高齢者が下船していますが、このうち計23人の検査をし忘れたと厚労省は発表しました。また、ちゃんと検査をして陰性だった数百人も、全員が安全だとは言い切れません。栃木県の60代の女性のように、一度目の検査では陰性でも、その後に陽性に変わった例は数多く報告されているからです。そうした人たちを公共交通機関で帰宅させてしまって、本当に大丈夫なのでしょうか?・・・(ここまで引用、強調は橋本)



 公共交通機関で帰宅させただけでなく、発症の可能性がある人たちに対して、なんら対策をしてこなかった、つまり、野放しにしていた、その結果、仙台で発症ということになってしまった。

2020年3月1日日曜日

絵画鑑賞の方法

 年間パスポートを買っているので、美術館にはよく行く。1度目で気づかなかった絵の魅力を2度目で気づいた体験をしてから、年間パスポートを買って、美術館にはよく行くようになったのである。
 最近感じているのは、画家の人生(伝記)がわかると、絵の理解も深まり、わかる。すると、絵の魅力もわかってくる、ということである。
海辺の母子像
 例えば、ピカソには、青の時代の絵がある。最近、その時代の絵には、友人カサヘマスの自殺が深く関与していたことを知った。そのことを知ってから、それらの絵の魅力もわかるようになった。
 原田さんの「一枚の絵との向き合い方」にも、これからの絵の鑑賞に大きな示唆を与えられた。

 その絵と対峙するとき、いったい、どれほど長く激しい時の流れをかいくぐり、どれほど多くの人々の労力と愛情と支援をもって、その絵が私たちの目の前にやってきたのかと、つくづく思う。
 一枚の絵は、あるときには祈りの対象であった。またあるときには欲望の権化であった。そしてまたあるときには、革命であり、マニフェストであり、魂の叫びであった。
 私たちは、それらの絵、一枚一枚に向き合って、画家の思い、メッセージ、策略、愛、苦悩を感じ取る
 そしてその絵に癒され、励まされ、奮い立たされ、前を向いて歩き出すために背中を押してもらいもする
 なんら意識せずに、漠然と眺めたとしても、ふいに心の中へ飛び込んでくる絵もある。そういう絵には、観ている人にとって、何か決定的なものがあるのだろう。
 私自身、子供の頃から、画集などを通して絵画に親しみ、しょっちゅう美術館へ出かけていっては好きな絵を探して館内を探訪したものだ。いつも、絵画の中から不思議な声が聞こえてくる気がした。その声をキャッチして、絵と会話する —— そんな少女であった。(『いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画』、原田マハ著、集英社新書、2017年、p40〜41)