憲法改正をめぐる国民的議論が交わされた時代が、かつて一度だけ存在した。その時代が、ほんの副題になっている<1949-64年改憲をめぐる「15年」の攻防>である。
しかし、その時の攻防では、結局憲法改正の見通しが立たなくなったらしい。「あとがき」で、NHK報道局社会部副部長の大河内直人さんは、次のように述懐している。
憲法改正の見通しが立たなくなった1964年に広瀬が綴った文章には、こんな一文があった。「5年かかっても10年かかってもいいではないか。国民の大部分の納得を取り付けるまで飽く まで努力を重ねるべきである」
”憲法を変えるのか、変えないのか”、もしその問いが発せられるならば、そこには大いなる 前提、つまり国民的議論が存在する必要があることを先人たちは伝えている。そのことを私たちは今、しっかりとかみしめるべきではないかと思う。 2019年12月(強調は引用者による)
そして、1949-64年<当時のような熱い議論自体、国会の中でさえ、皆無といっていい。安倍総理大臣の「必ずや私の手で成し遂げていきたい」という発言だけが独り歩きしていると感じる>と。これで、長年の疑問が解けた。憲法擁護義務のある国会議員が先頭になって、旗を振って憲法改正に走っていいのか、という疑問だ。どう解けたか。
今までの憲法改正に関する議論には「国民的議論という大いなる前提」が抜けていたのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿