2020年5月31日日曜日

人民の社会を求めた石川三四郎(1876年- 1956年)

 田中正造のことを調べていて、石川三四郎が1930年頃にすでにソビエトの本質を見抜いていたことを知って驚いた。その上、「民衆そのものの自由協同主義国家」なるものを、想定していたのである。次の二つの文章の通りである。
 幸いにも、県立図書館に全集がある。石川三四郎の思想をもっとしらべてみたい。

 或る意味に於て、今は世界の終末の日が到来したのである。今日世界の人類に課せられた更生の道は、単なる私有制度、資本主義組織の廃止なぞによって達成せらるべきものではない。ボルシェヴィキ下の露国民衆も、ファッシスト下のイタリイ民衆も、それぞれの桎梏の苦難に堪えかねている。この両国の監獄が政治犯人で溢れているのでも察せられよう。 (「田中正造翁の予言」『原点でよむ日本デモクラシー論集』、堀真清編、岩波書店、2013年、p78)

 地球の表面のどこに、どこかの一隅にでも民衆のための、本来の趣意を達成するための国家というものが今一つでも存在するか。奴隷の国はある。器械の国はある。国家という搾取機構はある。権力服従を道義の如く扮飾する帝国主義の国家はある。けれども国家を組織する構成分子たる民衆そのものの自由協同主義国家は一つも存在しない。言葉を換えて言えば、地球上には「人民」の社会は消滅して了った。そして人民を奈落の底に陥れておいて、今日は非常時だという。何の故の非常時だ。(同上、p77)

2020年5月30日土曜日

軍備全廃は神の道

 田中正造といったら、足尾銅山の鉱毒事件を闘った人くらいの認識だった。そんな彼が、「陸海軍全廃」について論及していることを知って、『原点でよむ日本デモクラシー論集』を読んでみた。ところが、ここには原文からの引用があるのみで、本文は『田中正造全集・4』にあることがわかった。引用された部分だけ読んでも、なかなかの名文で説得力がある。そして、このような日本人による思想が現憲法に引き継がれているであろうことが、予想できる。なぜなら、GHQが憲法草案を作成することになった時、日本の多くの図書館から、資料を集めた、ということを、前に観たドキメンタリー映画で語っていたからである。

 今日も久振で政治家諸君の演説を聴いて見ましたが、如何にも調子が低い、『敵』『敵』と切りに言ふ、そんな量見では駄目だ、四海同胞、世界を呑んで行くのだ、軍艦なぞ、支那へ呉れてしまへ、露西亜へ呉れてしまへ、残りがあったら皆んな焼いてしまへ、丸裸になって、さあ来いと言ふんだ、此の正直な力、何処からせめることが出来るものですか —— 神の道だね。(『原点でよむ日本デモクラシー論集』、堀真清編、岩波書店、2013年、p33)

2020年5月29日金曜日

米軍の感染状況の公表を求める

 日本には、米軍基地があり、多くの軍人とその家族が住んでいる。にも関わらず、米軍関係者の新コロナウイルス感染状況はわかっていない。それどころか、「米軍は基地ごとの感染状況を非公開とする方針を決めており、日本政府もこれに従って」いるという。基地で働いている日本人だっている。基地由来の感染者が出ても、決しておかしくないのだから、公表すべきである。
 何と言っても、アメリカには世界一の感染者数がいる。その余波が、在日米軍関係者に来ることは、きていることは間違いない。日本の主権が侵されている弊害に、今こそ気づくべきだし、気づくいいきっかけになること間違いない。
 感染者の第二波が来るであろうことは、多くの人が感じているに違いない。それだけに、第二波が来る前に、米軍関係者の感染状況を明らかにしてもらいたいものである。

2020年5月28日木曜日

今こそ、グローバルな平等概念を!

 今日も、”世の中に溢れる言葉にふと立ち止まり、そこに映る「今」を考え”たという。武田砂鉄さんの言葉を紹介します。今日は、最も身近な北朝鮮外交について「わたしは、対話を求めます」と結んだ小説家・柳美里さん『国家への道順』からの言葉を紹介したものです。

 北朝鮮という国の行動を非難する時、あの国に暮らす一人一人の顔を消してしまう。あの国の首長の振る舞いに賛同するはずもないが、圧力をかけ続ければ態度を変えるだろうと見込むアメリカの方針に付き従うために、対話を断ち切った日本政府の対応には首をかしげる。「在日」の立場から、日本の戦争責任や国内で蔓延る差別言動を綴る一冊で、北朝鮮に対して「対話を、求めます」と結んだ。「対話の道筋の中でしか、共通の言葉は見つけられません」 との訴えが重い。(『暮しの手帖』、2,018年2-3)

 「北朝鮮という国の行動を非難する時、あの国に暮らす一人一人の顔を消してしまう」という言葉には考えさせられた。非難対象の国に住む一人一人の顔を思い浮かべられたら、平等という概念がグローバルの概念のして考えられたら、・・・と。
 日本人も、朝鮮人も、中国人も、アメリカ人も、人として、一人の人間として尊重されるべき人間として、皆平等というグローバルな平等概念が、今こそ必要なのかもしれない。権力者の中に、こうした概念がないばっかりに、”対話を平気で断ち切って”しまえるのであろうから・・・。

2020年5月27日水曜日

抵抗の日常化

 『暮しの手帖』(2018年8~9月号)に、「今日拾った言葉たち」という武田砂鉄さんの文章があった。その最初の言葉が、「抵抗の日常化」だ。全文引用すると、

 2014年に発生したセウォル号沈没事故。韓国の作家・学者ら12名が、この惨事と向き合わなかった国家への憤りを注ぐ一冊。船長など乗務員だけが海洋警察に救出され、「じっとしているように」との船内放送に従った多くの学生が死んだ。事故後の調査でも、国家は嘘をつき続けた。「抵抗の日常化、それだけがセウォル号で死んでいった子どもたちとの約束を守る道だ」と誓う。為政者の嘘を許し続ける日本人も、持つべき姿勢ではないか。(キム・ソヨン精神分析学者『目の眩んだ者たちの国家』より)

 沈没事故があったことは知っていたが、<船長など乗務員だけが海洋警察に救出され、「じっとしているように」との船内放送に従った多くの学生が死んだ>ことまでは知らなかった。「為政者の嘘を許し続ける日本人も、持つべき姿勢ではないか」という指摘に、全くその通り、と共感の拍手を送りたい。
 そして、次のように言い換えてみた。
「抵抗の日常化、それだけが15年戦争で死んでいった戦死者たちとの約束を守る道だ」
「抵抗の日常化、それだけが森友問題で死んでいった赤木さんとの約束を守る道だ」

2020年5月26日火曜日

地震国に原発が集中している日本の異常

 新聞切り抜きを整理していて、「地震国に原発 日本の異常」(赤旗日曜版、2011年5月22日号)という記事を見つけた。「世界有数の地震と津波の多発国、日本に54基という世界3位の原子力発電所か集中する」、そんな「日本に立地している原発で、大地震・津波にみまわれる危険性がない、と断言できる原発は一つもない」と、日本共産党の志位和夫委員長が菅直人首相に申し入れた記事である。
 現在稼働している原発は少ないとはいえ、集中して存在しているゆえ、異常であることに変わりがない。紹介した赤旗日曜版編集部で作成してくれた1枚の世界地図を一目見れば、日本の異常が一目瞭然だ。
(世界で起きたマグニチュード(M)5・5級以上の地震(1900年以降)と原発立地を赤旗日曜版編集部で1枚の世界地図に重ねて作成してくれた力作である。”地震国に原発が集中している日本の異常”が一目瞭然だ。「赤旗日曜版、2011年5月22日号」より)

2020年5月25日月曜日

無症状で陽性の人をいかに早く見つけるか

 緊急事態宣言が全面的に解除となった。しかし、まだまだ安心できないことは言うまでもないことだ。そういう中で、中山教授が朝のニュースで解説した今後の注意すべきことは、今後も重要な指針となるものと思った。要点を列記しておく。

1、このウイルスは発症してからでは遅いので、発症する前に、いかに感染者を見つけるか、が重要だ。

2、そのために、陽性と分かった人の濃厚接触者を効率よく同定し、検査を早めにしていく。

3、無症状の人もいるので、無症状でも陽性の人をいかに見つけるかが大切。見つかったら、そういう人でも、急に重症化する場合もあるので、医療スタッフのいる宿泊施設で待機してもらう。

4、このように、感染した人をできるだけ早く見つけて隔離することを、これまで以上に行ことが必要だ。感染した人が他の人にうつす前に、同定して隔離することによって、それ以外の人、大多数の国民の制限は随分弱められる。感染者の隔離を行わなければ国民全員が厳しく、人との接触を6割など、抑えるしかない。

2020年5月24日日曜日

民主主義が機能したすごいこと

 怒涛の「ツイッターデモ」が政治を動かした――。三権分立と民主主義の破壊につながる「検察庁法改正案」を、政府与党は強行突破でを採決しようとしていた。しかし、急転直下、18日安倍首相自ら「断念」を表明するにいたった。
 このニュースを耳にした時、声を上げれば、通ることもあるんだ、国民の良識は、まだまだ健全だ、と嬉しかった。それだけだった。しかし、古舘さん評価に目を開かされた思いがする。すごいことだったんだ、と。「民主主義が機能した成功体験」という捉え方が、なんとも素晴らしい。
 森友、加計、桜問題も、解決していない。諦めもしない。おかしいことはおかしいと、声を上げ続けていきたい、と思った。
「赤旗日曜版 2020年5月24日」より
 

2020年5月23日土曜日

核大国ではなく、アジア諸国と共同歩調を

 今や、既定路線のような安保条約だが、多くの反対を押し切り、強行採決によって改定された事実は忘れてはならないと思う。そして次に大事なのが、アジアなど近隣諸国の人々の目であろう。その意味でも、写真家として世界を歩きながら聞いた声のは貴重である。「アジアの人民も、アラブの人民も反対して」いるという。
 だからこそ、「日本国の視点としては、核大国と共同するのではなく、むしろ、非核・非同盟・中立の諸国、とくにアジア諸国と共同歩調をとるべきである。そうすれば、過去の侵略戦争へのつぐないと合わせて、アジアにおける日本の地位と信頼は高まるであろう、二一世紀はアジアの時代でもある」(『日本をどう変えていくのか・「改革」の時代を考える』、渡辺洋三著、岩波新書、p244)


 一層露骨な攻守軍事同盟の性格をもつ改定は、絶対に反対です。改定の中には、核武装のことも、徴兵制度のことも決められるにちがいありません。戦争への道はもうこりごりです。
 安保条約改定が手なおしなどというものではなく、出なおしで新しいよそおいをもった戦争屋さんの祝出征のようなものだけに、アジアの人民も、アラブの人民も反対しております。現に、現行の安保条約にすら、わたしが一昨年、昨年と歩いたアラブ諸国(エジプト、シリア、レバノン、イラク等)アジア諸国(インド共和国、蒙古人民共和国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国)の人々は、アメリカに組みして戦争をおこすものではないか、と反対しておりました。戦争への憤りと、平和への願いからです。ましてや、現在、平和共存が国際的な話題となっているのです。
 きな臭い安保条約改定は、平和にとってはいささかもブラスになるものではありません。むしろもっと謙虚にアジアと世界の平和の声に、日本もアメリカも耳をかたむけるべき時がきたと考えます。
 むかし、ヒットラーは、嘘も何万べんもいうと真実になるという哲学をもって人民にのぞんでおりました。当時ヒットラーと手をとりあった岸さんにも、この哲学があるようです。
 だがこの嘘も徐々にですが国民の前に見えて来ております。ごく一部の戦争によって利益を得る人以外は、平和をのぞまない人はおりません。見えないために政府の宣伝を信じている人々もまだ多いことでしょう。政府の考えをあからさまに見せることによって、もっと多くの反対のカがかたまり、勤くことでしょう。強心臓の持ち主である自民党の人々の中にも、あまりにも露骨な戦争への条約改定に疑問と不安を持つ人も出てきているようです。
 身内の中にさえも反対があり、まして国民の中には日一日と反対が多くなっているのに「必らず行う」というのは、どこからか至上命令があり、民の声に耳をかたむけないことです。むかしから道理が勝ってきております、やがてもっと無理がひっこむことになります。いや、無理をひっこめさせることこそが、平和への道です。(田村茂[写真家]著「私はこう思う・無理を通すな」『世界』、1959年11月号、岩波書店、p94、強調は引用者による)

2020年5月22日金曜日

人類の理想、それを新しい国づくりの手段とする

 この短い文章の中に、日本国憲法を手段にして新しい国づくりを使用、という意欲が溢れている。「国の表情が豊かになり、行儀がよくなれば、おのずから外からも敬愛されるようになろう」、これでいいではないか。だから、軍備など必要ないのだ!

 われわれは現に平和憲法を持つ。 
 入れ知恵で出来たかどうかというようなことは、もうどっちでもいい。われわれは戦争を否定する憲法を持つ。とにかく現実をつきぬけた夢をいだき得た。これが大事である
 そのイメージ、勇気、信念をあくまで見失ってはならない。
 私は、ソ連のフルシチョフ首相の国連演説を、実はまだ読んでいない。そんなアイドルボーイだ。が、われわれの夢は、まんざら根なし草の幻想でないことがわかる。やはりそれは人類の理想、祈願につながる。それをわれわれは新しい国づくりの手段方法とするのである
 そのためには、これまでのゴマカシ、歪曲を一つ一つ改めて行く 必要がある。今からでも決しておそくはない。
 全体アメリカの占領軍は、とうに今頃引上げている時分ではなかったか。いろいろ世話にもなったろうが、お礼はお礼、あまり印象を悪くしないうちに、国へ帰って貰う方が、お互さまのためだ。そしてこっちはあとの掃除をしなければならない。安保条約はよく話し合って破毀して貰いたい。中国とは早くもっと仲を直さなければいけない。こんなわかりきった話はない筈である。
 そんなことで日本はやってゆけるか、ひとり歩きできるかと、疑う人があるかも知れない。
 そんな弱気では困る。やって行かなければならない。それより外にみちはないのだ。平和に働いて、仕合せよくなろうというのに、力をこそ貸せ、誰もとがめだてするわけがない。尤も今までと勝手が違うから、困難はいうまでもない。しかし、アンヨは上手、よろめいても何でも、ひとすじに行けばいい。何かにぶつかっても、足許に気をつけて、真ッ直ぐに行けばいい。道を道らしくする。 水の出ない水道を出るようにする。無暗にけんかして、刃傷沙汰を起す愚連隊をなくす。一家心中や姉妹心中をなくす。家のないものに家 を与える。食えないものに仕事を与える。働いても食えないようなことのないようにする。
 こういう工合に、手近かなところから、内を次第に治めて行って、国の表情が豊かになり、行儀がよくなれば、おのずから外からも敬愛されるようになろう。きちんとして、自分の分を守って生活しているところへ、やたらになぐり込んでくるヤクザみたいな国なら、よし、そんなものが今時かりにあるとしても、それこそ素手で睨み返すだけの、人間的威厳は持ち合せようというものである。それ程に、われわれが強い意志、深い知恵、限りない愛情を持つ民族に新生することである。 (濱村米藏 [演劇評論家]著「私はこう思う・平和憲法の下で」『世界』、1959年11月号、p101~102、強調は引用者による)

2020年5月21日木曜日

アメリカ一辺倒、東洋の平和に害あり

 作家の目を通して世界を見たら、世界を二つの分裂した社会に分けてしまうことの危険性がよく見えたようである。世界の平和のためには、どちらの世界にも組せず、「世界が、二つに分けられて行く勢いを喰い止める」立場に立つ「事こそ世界史の上において誠に意義ぶかい」という。なんと分かりやすい、世界観だろう。
「日本がアメリカ一辺倒のような立場をとることは東洋の平和に害があ」るだけでなく、世界の平和に害があることは、アフガニスタンやイラン等の世界史が証明しているではないか

 私は、要点を外れていると思いますが、一つだけお答えしたいと思います。それは、世界中が、米国とソ連とを中心にした、二つの世界に画然と分裂してしまうことは、種々な意味で面白くないということ。当然それから先に大きな危険が予想されろということ。……だからわれわれとしては、世界を二つの大きな勢カ圈に分裂させてしまうような動きには警戒をしなくてはならないということ。
 第三勢力または中立的な勢力が存在することの方が世界の平和を維持していける可能性が多いと考えられること。
 したがって日本がアメリカ一辺倒のような立場をとることは東洋の平和に害があり、中立的な立場を支えて行くことこそ、平和の責任者としての義務がありはしないかということ。また、アメリカー辺倒の立場をとって、アメリカの衛星国的な位置に満足するよりは、厳然として中立を維持する事の方が、世界的にも日本を重からしむるものであると考えられること。そのようにして世界が、二つに分けられて行く勢いを喰い止める事こそ世界史の上において誠に意義ぶかい事と考えられること。 ――
 以上のような理由によって私は、安保条約の全面的廃止を希望しております。これは中国ソ連に味方しようとするのではなく、元来日本が持っていた独自の立場に立ち戻るためのものであります。
 それでは国防をどうするかという質問が出ると思います。しかし終戦直後、米兵に貞操を売った女が飽食し着飾って街を歩いていた、あんな姿の日本にはなりたくありません。食に飢えても日本国は誇り高い貧乏をして行きたいものだと思りております。(石川達三著「私はこう思う・日本を重からしむる道」『世界』、1959年11月号、p88~89、強調は引用者による)

2020年5月20日水曜日

安保条約が日中国交回復の重大な障害

 『世界』、1959年11月号は、時期が時期だけに「安保体制からの脱却」を特集していた。今こそ安保肯定派が多くなっているかもしれないが、当時は、拮抗していたらしい、だから、60年安保の闘いは相当の盛り上がりを示したという。それだけに、論点がわかりやすい感じがする。自衛隊が、ますます米軍に固く組むこまれてしまった感の強い時期だからこそ、原点に帰って安保条約を考えてみたい。その論点を紹介する。なお、強調は引用者による。

 この改定が、アジアと世界の平和にとって大きなマイナスにしかならぬと考えていることを申し添えておきます。先年中国を訪問し、その民衆に触れ、安保条約が日中友好、国交回復の最も重大な障害になっていることを痛感しました。 侵略戦争によって私共が隣国の六億の民衆に対して負っている道徳的な負い目を、中国を仮想敵国としているこの条約に縛られて、果せずにいること、民族独立と平和共存のために努力しているアジア諸民族からアメリカ帝国主義の手先きのように疑われていることは、全く悲しいことです。
  今朝の新聞をみるとまた岸が「安保改定をあくまでも強行する」と言っていますが、賛否の国論が大きく割れ、与党内でも意見の調整が困難だと伝えられているこういう問題を、「あくまで強行」などという態度で進められたのでは全くたまらない。
 安保条約が日本の平和憲法と矛盾するむずかしい問題をはらんでいるのはあきらかだし、また一度きめてしまえば、憲法にきめられた吾々の基本的権利をおかすようなことにもなるのだし、また世界は冷戦解消、緊張緩和の方向へ動きつつあるのだし、なにも急に安保改定をする必要はないし、充分国民の声をきき、選挙でもやって憲法改正同様、国民の三分の二以上の賛成を得てからやるのが本当だと思う。 (千田是也著「私はこう思う・大きなマイナス」『世界』、1959年11月号、p99)

 日中両国の間には長い友好の歴史がある、と巨視的に言えば、それに違いはないけれども、この長い歴史を私たちの世代、私たちの両親の世代……と煮つめて来れば、その途端に、中国が久しく日本の武力的侵略の対象であり、この対象を踏台にして、一時、日本が大国の列に加わったという事実が浮かび上って来る。そして、この記憶があるために、一部の日本人の間には、依然として、中国に対する軽蔑の度が屈折したかたちで生き続けている
 しかし、どんなに中国を軽蔑する人でも、同時に、日本が中国で犯した数々の罪悪のことを忘れてはいない。気持の一番底には、黒い罪悪感が横たわっている。(中略)
 軽蔑、悔恨、恐怖、尊敬、嫉妬、卑屈……さまざまの相反する感情が幾重にも結ばれて、一つのコンプレックスを私たちの間に作り上げている。その中国が、日本の直ぐ傍にドッカリと存在しているのである。そして、この中国が、日本にとって共存の真実の相手なのである。(清水幾太郎著「日中間にこそ平和的共存を」『世界』、1959年11月号、p108) 

2020年5月19日火曜日

理想のほうを考えることの中心に

 あれだけの惨事を引き起こしてしまったにも関わらず、その数は少ないとはいえ、原発の再稼働が認められている。目立った反対運動も起きない。政治問題等々、次から次への問題が起きるたび、原発問題が記憶の底に沈殿してしまうのではないか、という恐ろしさを感じている。しかし、次のような文章に出会い、カルチャーショックを受けてしまった。

 * 原発がいいか悪いかじゃなくて、原発をどうやってやめるかっていうこと、これからどうやってその気持ちをみんな待ちつづけていくのかということを考えつづけないといけない。(『考える練習』、保坂和志著、大和書房、p31)

 * 問題は、自然エネルギーで電力が賄えるか賄えないかじゃなくて、賄うようにしなきやいけないんだよ。(同上、p29)

 * だから、原発を使わずに生きるのが人問だっていうふうに、理想のほうを考えることの中心に置かないと、何を考えてもしょうがない。(同上、p 30)

 * なぜなら、「人間の歴史って、あと100年とか500年とか1000年とかってものじゃないわけでしょう。あと1万年とか考えたときに、原発は絶対、どこかでトラブルになるよ。逆に、もし人類があと100年とか500年しか存在しないとしたら、それは原発の大事故か核戦争が起きたときだよ。
 隕石だってあり得るし、テロだってあり得るし、民間の飛行機が落っこちることだってあり得る。そのひとつの事故で原発は致命的なことになってしまう」(同上、p 29)。

 考えてみれば、何事も、目標があって初めて前に進むことができる。「だって〜」という言い訳を言うことは、初めから諦めてしまうことに通じる。理想を掲げ、難関を排し、そこに向かって行くだけなのだ。

2020年5月18日月曜日

ショーペンハウアーの『読書のすすめ』

 ショーペンハウアーの『読書のすすめ』(鈴木芳子訳)を借りてきた。最初の一ページに書かれていた内容が良かったからである。

「どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方面から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ。 自分が知っていることなら、じっくり考えることができる。だから私たちは学ぶべきだ。だが、とことん考え抜いてはじめて真に知ることができる」(p8)。

 家に帰って、「そういえば、この本持っていたかもしれない」と思って本棚を見てみたら、岩波文庫版があった。しかも、あちらこちらに赤線が引いてあった。もちろん、ここで引用していた部分も。いかに血肉になっていなかったか、ということになる。反省!!
 とは言っても、多読は多読の良さがある。ようは、ケースバイケースで上手に使い分けるのが大切なのかもしれない。ただ、精読は意識してやらないと、多読に押しやられてしまうから、注意が必要なのだ。そこに、ショーペンハウアーの『読書のすすめ』が必要とされる所以がある。

2020年5月17日日曜日

過去に、未来に心を馳せてみよう

 今日の日曜美術館(NHK教育テレビ)は、「ルーブル美術館(1)すべてはレオナルド・ダ・ヴィンチから始まった」だった。その中で語られたレオナルドの時間に関する言葉が印象的だった。 「人は時があまりにも早く過ぎ去ることを嘆くが、それは違う」というのだ。


 次の言葉は、

   我々は天から授かった力によって
   遠い記憶を眼の前に感じることが
   出来るのだから、

   時は十分すぎる時間をかけて
   移ろうことを知るべきてある。

 ここでいう「天から授かった力」って、どんな力なのだろう。言葉から察するに、「歴史眼」だと思われるが、それでいいのだろうか。
 今まで以上に、歴史に関心を持ち、過去に、未来に心を馳せてみよう、と思った。



2020年5月16日土曜日

矢内原忠雄の理想主義を発見

 美濃部達吉の論文「陸軍省発表の国防論を読む」を読みたいと思って『中央公論』、1960年11月号を借りた。目次を見ると、矢内原忠雄の「国家の理想」と言う論文が目に止まった。1937年9月号に掲載されたものの再録だった。しかも、「ちょうど蘆溝橋事件の起った直後それに刺激されて一気呵成に書」(『中央公論』、1960年11月号、p380)かれたものだが、「八月にはもう発売になったが、すぐ発禁になってしまった」(同上)曰く付き論文だった。論文の要点は次の通り、読んでみたい論文も上げておいた。

 大塚 その論文で一番当局の忌諱に触れたのは、どの点だったのでし
 矢内原 国家の理想は正義と平和にあるということ、戦争という方法によって弱者をしいたげることではないということです。国内においても国際的にも強者が弱者をしいたげるために用いる手段が暴力で、それが戦争政策になる。国家の理想というか、いかなる国が立派になり、栄えるかということは、理想にしたがって歩むかどうかということだ。理想にしたがって歩まないと国は栄えない。一時栄えるように見えても滅びるものだという議論が問題となった。(同上、強調は引用者による、矢内原忠雄氏の『私の歩んできた道』の中での大塚久雄氏との対談の一節)

矢内原 忠雄・1893年(明治26年)1月27日 - 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長 

『矢内原忠雄全集. 第19巻 (時論 第2) (岩波書店, 1964) 』
 「新憲法について」
 「新憲法の平和原則」
『矢内原忠雄全集. 第20巻 (時論 第3) 』
 「平和憲法は試錬の年」
『世界』、岩波書店、1959-11
  特集・憂慮すべき安保改定交渉--特集・安保体制からの脱却
『開拓者』1949-09
 「新らしき平和の要望」

2020年5月15日金曜日

米国いいなりの日本政府が情けない

 『考える練習』(保坂和志著、大和書房、2013年)という本を読んだ。体制とか大企業とか国家とかいう存在を「やつら」と呼び、そういう「やつら」のことを、「人間をどんどん人間じゃないものにしていくような、人間から尊厳を奪っていくような力学のこと」(p57)と説明していたのが印象的だった。
 そんな「やつら」の中にアメリカが入っているのだろう。「アメリカって自分の国の得になることしか言わない国でしょう。(中略)人を根絶やしにしても自分が肥えることしか考えない」(p65)。<アメリカが「やろう」って言うことは「やらない」のが正しい>(p66)と言い切っていた。こんなアメリカの言いなりになっている日本政府が情けない。
 最近も、アメリカファースト(アメリカ第一主義)という言葉がもてはやされている。国力が相対的に低下し国内にさまざまな問題を抱えるアメリカは,自国の社会,経済建直しを最優先し,国際的問題への関与を可能な限り控えるべきであるとする考え方である。新型コロナウイルス問題で世界的な混乱の渦中にありながら、新型コロナウイルスへの対応が中国寄りだと批判して、世界保健機関(WHO)への資金拠出を当面の間停止すると表明したことなどが典型である。
 そんなアメリカと日本は軍事同盟を結んでいる。その同盟は、それがどんなに日本国憲法を無視つづけていても、既定路線として、100年、200年と続いていきそうな気さえ起きてしまうほどの力を持っている。日本における一般紙が、お墨付きを与えているのが現状だからである。しかし、いかにそう見えても、底流では大きな地崩れが起きているかもしれない。それが見えないだけで。
 では、どうすればいいのか。どんなに日本国憲法が破壊されようとも、日本国憲法の理想を語り続けること。長沼裁判といった幾多の憲法裁判における成果といった着実な理想実現の歩みにも思いを馳せながら、理想を語り続けるしかない。そんな気がする。

2020年5月14日木曜日

本当の民主主義の時代

 これまでは、自民党が圧勝するなどが続き、暗いイメージしか持てなかった。しかし、板倉聖宣さんによる「本当の民主主義の時代が始まりつつある」という、次のような考えを知って、明るいイメージを持てるようになった。
〈今の経済学は「人間は圧力で動く」と考える。「人間はいつも圧力で動いている。奴隷もそうだ、農奴も、小作も、だから、現在の従業員もそうだ」と。しかし、本当の民主主義が根づいたら、自分で意欲的に動くということが中心になる。そんな、本当の民主主義の時代が始まりつつある。だから、「心理学と結びついた経済学」というようなものが本格的に始まらなければいけない。そして、このような時代の変わり目には、哲学が決定的に大事になる〉(2013年、「たのしい授業8月号」、仮説社)という。
 今までも、自分で(主体的に)意欲的に動いて優れた業績を残した人はいた。歴史に名を残した科学者や芸術家は、その典型である。しかし、そうした人たちは、ごくごく少数に過ぎなかった。それでも、社会が発展するにつれて、そうした人たちが少しずつ増えてきたと言ってよい。
 これから本当の民主主義の時代が始まれば、自分で意欲的に動く新しい人々が飛躍的に増えてくる。そして、そうした新しい人々が、新しい社会を創り、支えていくようになるに違いない。もしかしたら、「自分で意欲的に動くことの素晴らしさ」に気づく人が増えることによって、本当の民主主義が根づくのかもしれない。

2020年5月13日水曜日

大権の多くが「軍備ノ解消ニ因リ其ノ実ヲ失ヘル」

 宮澤俊義氏の八月革命説というのがある。一般的な説明によると、1945年8月のポツダム宣言受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行し、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定したと考える学説のこと。主権の所在の移行を、法的な意味での革命、革命という法的な擬制(フィクション)を用いて説くことからこう称される。
 しかし、こうした説明では、説得力が弱い。美濃部達吉が戦後になって書かれた憲法論を読むと、旧憲法にとって重要だった権力(大権)が次々と剥奪されてきた過程が見事に描かれていた。例えば、「軍編制ノ大権」は、「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム(12条)」という条文で表されているが、こうした大権の多くが、「敗戦ノ結果トシテノ軍備ノ解消ニ因リ其ノ実ヲ失ヘル」(『憲法提要』、美濃部達吉著、p198)と言う具合だった。
 ここで、旧憲法下でできたことで、憲法改正によってできなくなる(失う)事の大きさをピックアップしていくことを思いついた。そうすれば、新憲法によって失った条文が、(旧憲法にとって)いかに重要なものであったかったかを理解でき、其の結果、八月革命説を実感できるようになるからだ。逆に、旧憲法の大要を知らなければ、日本国憲法の素晴らしさも半減してしまう、ということだ。

2020年5月12日火曜日

南京城占領直後の光景を報道した記事

 日の丸の旗を国旗として制度化しようという問題を取り上げ、日の丸の旗がいかに戦争と結びついたものであるか解説していた論文「歴史に逆行するもの」『家永三郎集15巻』がある。そこに、昭和12年12月13日の『東京朝日新聞』号外の記事に、南京城中山門に翻る日章旗が映った「南京占領直後の光景を報道した写真」(p300)がある、とあった。
 どんなものかが気になって、図書館で当時の新聞を調べてみた。号外は見当たらず、昭和12年12月13日の『東京朝日新聞』は、あった。「南京・南側全壁に日章旗飜る」と大々的に報道されていた。
 この新聞で私が注目したのは、「本社記者南門一番乗り」という記事の方だ。そこには生々しい記事があった。

 記者は取るものもとりあえず決死の一番乗りを覚悟し、・・・挺身爆破工兵隊のトラックに飛び乗って息もつかず驀進した、弾丸は雨霰のごとく飛んで車上の爆破材料にはね返える、生死の間を彷徨する思ひだ、・・・・時に午後一時時五分、長谷川部隊の城壁爆破である、この爆破路に突撃の姿勢にあった歩兵の将兵は期せず「やったやった日章旗をあげたのは三人だぞ」と歓声をあげる、・・・あ丶なんたる緊張した刹那だろう、記者は力強い日本武士の大和魂の発露を見た、記者等の両眼からは期せずして感激の涙が止めどもなく流れた







2020年5月11日月曜日

市中感染者を探し出せ!

 私がこれまで、希望の星に見える韓国のコロナ対策いまだ死者ゼロの国・ベトナムで主張してきたことが、小田垣氏(九州大学名誉教授)の公開されている論文「新型コロナウイルスの蔓延に関する一考察」http://urx.blue/U6iF)でも、次のように主張されていた。

 政府が「接触 8 割減実現」のみを主張するのは、責任放棄に等しい。
 幸い、多くの自治体が独自の取り組みで、検査-隔離体制を築きつつあるのは、新型コロナウイルスの蔓延を終息向かわせるための大きな前進と言えよう。 
 新型コロナウイルス感染症は、潜伏期間が長く、また無症状感染者が感染させるというこれまでにない感染症であり、韓国、台湾やベトナムで行われたように感染者を徹底的に隔離する以外に有効な対策はないと思われる。これはまた、古より培われてきた知恵でもある。

 だからこそ、感染源でもある市中感染者(無症状感染者)を探し出し、隔離する必要があるのだ。意思が必要と求めた人はもちろんのこと、濃厚接触者など、疑わしき人を片っ端から検査していくくらいでなくてはいけない。<「国民全員にPCR検査を」と呼びかけているが、それがすぐに実現しなくても、パイロット事業的に東京都内のどこかの区で実施することで正確なデータはとれる>(世界保健機関・WHO事務局長の上級顧問で英国のキングス・カレッジ・ロンドン教授渋谷健司氏のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」での発言より)という意見さえあるのだから。

2020年5月10日日曜日

コロナ対策の財源に回せ

 しんぶん赤旗の主張で、「陸上イージス配備計画そのものを撤回せよ」と訴え、その中で、その計画に関わる財源を「コロナ対策財源に回せ」と訴えていた。<「日本防衛」のためではなく、米国のミサイル防衛システムの強化のために日本が巨額の財政負担を強いられる>のだから、当然の話だ。次に主張の一部を引用しておく。狙いは明らか、とあるが、地図に線を引くと、狙いは一目瞭然である。

 イージス・アショアは、米政府の見積もり次第で価格が決まる「対外有償軍事援助」(FMS)などで調達され、日本配備にかかる総経費は1兆円を超える可能性もあると指摘されています。「日本防衛」のためではなく、米国のミサイル防衛システムの強化のために日本が巨額の財政負担を強いられるものに他なりません。
 米シンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)の論文「太平洋の盾 巨大なイージス艦としての日本」は、日本のイージス・アショアをハワイやグアムの防衛のためだとあけすけに述べています。狙いは明らかです。


2020年5月9日土曜日

武器でなく命に費用を・2

 ローマ教皇が、「今は武器をつくり売買すべき時ではない。人々を支え、命を救うために巨額を費やす時だ」と強調していたことは前に書いた(武器でなく命に費用を)。

 今、新型コロナウイルスが猛威を振るっているが、そんな中でも、国防総省予算に国務省や海外援助経費の合計の13倍もつぎ込み、核兵器近代化計画は1兆ドル(約106兆円)にもなる。それに対して、オバマ政権で国家安全保障担当副補佐官を務めたローズ氏は、「優先順位を変えなければならない」「9・11で始まった歴史を終わらせるときだ」と提言している。
 また、米軍準機関紙「星条旗」(4月2日付)は「ウイルスは国防戦略の再考を迫っている」との論説を掲載。「現在の危機で必要なのはN95マスクであってF35戦闘機ではない」と強調している。(『しんぶん赤旗』の「きょうの潮流 2020年5月8日(金)」より)

 米軍が「F35戦闘機」よりも「N95マスク」を、と言い出しているのには驚いた。日本も、あやかりたいものである。

2020年5月8日金曜日

戦後処理の誠実な実行こそ、初めの一歩

 イージスアシュアなど、高額な兵器を爆買い「させられている」と言われ、そう信じてきた。しかし、何かそうでもない、逆に日本から要求しているようだ、ということに気づいた。その根拠が、北朝鮮と中国の脅威です。左寄りと言われている朝日新聞さえ、「核を含む脅威が高まるなか、日本が主導し、アジアでの軍備管理の仕組みづくりに道筋をつけられるか。政府の主導力が問われる」(朝日新聞、2020年4月30日)と、中国や北朝鮮の「核を含む脅威」を前提に議論を進めている。
 なぜ、このような議論ができるのか、それは、15年戦争の真実に正面から向き合ってこなかったから。朝鮮や中国に何をしてきたか、その事実に真剣に向き合って、その責任を問い、謝罪の気持ちがあったなら、米国と一体となって敵対などできないはずだ。
 隣人を愛せよ、というキリストでなくても、隣人と仲良くしようという意思があれば、進んで敵対するようなことはできないはずだし、朝鮮や中国だって、応えてくれるはずである。
 つまり、戦後において一番大切な、「15年戦争の真実に正面から向き合って、戦後処理を誠実に行う」ということをうやむやにしてしまった。つまり、初めのボタンを掛け違えてしまった。だから、今になってもボタンが狂い、ライオンと虎が一緒になってネズミを狙うようなことをしている。
 そういうわけで、結論として、15年戦争で、朝鮮人や中国人にどのようなことをしてきたか、など、「15年戦争の真実に正面から向き合って、戦後処理を誠実に」行って、ボタンを掛け直すことを抜きにして日本の安全保障は考えられないし、日本国憲法の理想の実現も始まらない、そう思う。

2020年5月7日木曜日

真の安全保障を求めて

 「核の傘」維持を米側に求めていた、というニュースには驚いた。

 米議会で開かれたペリー元国防長官が座長を務める諮問会議に秋葉剛男駐米公使(現外務次官)らが呼ばれた。秋葉氏らは3枚紙を配り、米国の核政策に注文をつけた。
 「日本を取り巻く現在の安全保障環境は、米国の核抑止を含む抑止を必要としている」「米国が配備する戦略核弾頭の一方的な削減は、日本の安全保障に悪影響をもたらしうる」――。(朝日新聞、2020年4月30日)

 というのである。そして、朝日新聞の主張でさえ、「核を含む脅威が高まるなか、日本が主導し、アジアでの軍備管理の仕組みづくりに道筋をつけられるか。政府の主導力が問われる」(朝日新聞、2020年4月30日)と、中国や北朝鮮の「核を含む脅威」を前提に議論を進めているのだ。
 近視眼的な見方で議論を進め、結論を導き出していいのだろうか。
 家永三郎さんの論文「戦後は終わったか」では、15年戦争(太平洋戦争ではない)に遡って、それらが戦後にまで引きずっていることを明らかにし、「太平洋戦争のとらえ方」では、それらと真剣に向き合わない限り、日本の、強いては世界の安全は保障されないのではないか、と次のように述べている。

「政府の行為によって再び戦争の修禍が起ることの日本国憲法の平和主機を堅持していくためには、「再び」「起ること」を防止すべき当の「戦争」の真実を知ることは、 日本国民にとって欠くことのできない基本的教養といわなけれぱなるまい。(「太平洋戦争のとらえ方」『家永三郎集・12』、p49)

 ということは、15年戦争の真実を知り、その真の反省を経て初めて、真の日本の安全保障というものが明らかになる。それは、日本国憲法の平和主機を堅持していくことであることに他ならない。


2020年5月6日水曜日

戦後は終わったか

 1969年に行われた「戦後は終わったか」と題する講演の記録を読んだ。どれもこれも胸に響くことばかりで、とても50年前の話とは思えなかった。「1945年の戦争終結によって、その後情勢は大きく変わっておりますが、はたしてこの人類史上前後に例のない悲惨な戦争のつめ跡が、24年を経た今日、きれいに拭い去られているか、そのことを私は真剣に考えてみなけらばならないと思います」(「戦後は終わったか」『家永三郎集』、p243)と書いているが、今に至っても、同じ思いである。特に、次のような「中国と日本とはいまだに戦争状態にある」という指摘には、強いショックを受けた。和解どことか、米国と一緒になって今だに敵愾心を持って、軍事費を増やしてきているからである。北朝鮮に対しても同じであろうと思う。

 これらはすべてこの戦後に残された戦争の痛手の、いわばいくつかのサンプルでありまして、それ以外にも、私などの知らないところに、いろいろな形で戦争の痛手は無数に残っていると思います。あるいはこうした事実は日本全体の中におくならば、少数例外の現象であるという意見もあるかも知れません。しかしたとい量の上で少数であっても、質の上で問題の性格は実に深刻であると思います。
 このような深刻な状態が続いている限り、われわれは安易に「戦後は終った」などということが、どうして出来るでありましょう。
 私はいま、以上非常に個別的な、個人の苦しみというようなことを中心に、戦争の痛手の実例を列挙して来たのであります。もっと広い視野で世界を見渡します時に、われわれはまず十五年戦争の、もっとも正面の敵国とされていた中国と、いまだに講和条約が結ばれていないという驚くべき事実を見出すのであります。
 あまりにこれはなんでもないかのような現象と化しているために、見落されがちなのでありますけれども、国際法の立場からいうならば、中国と日本とはいまだに戦争状態にあるといっていいのであります。(同上、p255)

 また、戦争責任問題については、「日本人自身の手で戦争責任の追及をする、という視点に欠けていた」ことに気づかされた。原発の問題にしても、責任が曖昧だ、とか、無責任体質だ、というだけで、自ら、「責任の追及をするという視点」がなかったのではないか、と思った。731部隊や南京虐殺は、明らかな戦争犯罪であったにも関わらず、追求されることはなかったのではないだろうか。ドイツと、何が違ったのだろうか???

 戦争の跡始末をはたして十分につけているであろうかということを考えます時に、私は戦争責任の追及が、全くといって良いほど、日本人自身の手でなされていないという事実に、皆さんのご関心を喚起したいと思います。
 戦争裁判はありました。しかしそれは連合国が占領軍の立場からやったのであります。日本人自ら戦争犯罪を追及するということはなされませんでした。その点では西ドイツなどと全く事情が違っております。
 ごく最近非常に小さな記事であったので、見落された方もいらっしゃるのではないかと思いますが、西ドイツの議会では「戦争中の残虐行為についての刑事責任の時効を停止しない」という議決をしています。西ドイツでは戦後二四年いまだにドイツ人自身の手によって戦争責任が追及されているのでありますが、日本では連合国の占頷下における極東裁判にまかせてしまって、日本人自らなすべき戦争責任の糾明をついに怠りました。それが今日日本がはなはだ多くの問題をかかえている、一つの重要な根源であると思います。
 六月二十七日の『朝日新聞』夕刊でありますが、
   ナチ大量殺人者の時効廃止、西ドイツ連邦議会は二十六日ナチの大量殺人容疑者に対する時効を廃止
   する法案を、賛成二八〇票、反対こ一七票、棄権四票で採択した。
 小さな記事でありましたので、ち太っと目立たなかったけれども、日本の現状と対比する時に、私はこの小さな記事から大きな衝撃を受けないではおられませんでした。(同上、p256)

2020年5月5日火曜日

美濃部達吉についての発見

 美濃部達吉と言ったら、天皇機関説で有名なだけに、明治の人、過去の人という思いがあった。だから、日本国憲法に対する解説書を公刊しているのを知って、とても驚いた。しかも、内容も、とても新鮮だったが、その謎が解けた。彼が、旧憲法の研究者だっただけに、新憲法の違いがよく理解できたからに違いない。この点に関し、「新憲法の既に公布せられた今日に於いて新憲法の取つて居る新統治機構の基本原則に付き多少の解説を試みることは、旧憲法に付き解説書を公にした著者に取り当然の責務であると信じ、取敢へずここに此の書を公にすることとした」(『新憲法概論』、序、p2~3より)と述べていることでもわかる。事実、旧憲法との対比で新憲法の特徴を解説しているところもあった。
 
 新日本国憲法は、その制定の手続きから言へば從來の大日本帝國憲法第七十三條に依り、憲法の條項の改正として政令の議決を経たものであるが、実質から言へば単に憲法中の或る條項を改正したに止まるのではなく、從來の憲法は全面的に之を廃棄し、新日本建設の基礎法としての新憲法が、全然新規に制定せられたのであって、それは從來の憲法とはその根底を異にして居る (p1、強調は引用者による)
 之を法律上から見れば新憲法が國家統治機構の全部に亙り從來の憲法に対し、根本的の変革を加ふるものであることは敢えて詳論するまでもない。(p2)

 このような考えは、宮澤俊義さんの8月革命説に匹敵すると思った。これから、ゆっくり、読んでみたいと思っている。

2020年5月4日月曜日

国家総動員の真髄

 国民精神総動員運動のことを調べていて、「国民精神総動員の実践事項」という項目を見つけた。運動目標(日本精神の発揚)と実践細目に別れていて、例えば、次のような具合である。始めから精神論で神風を信じたという話ももっともな話だと思った。

 1、社会風潮の一新
  ⑴堅忍持久の精神の涵養     1、不動の精神の鍛錬 
                  2、必勝の信念の堅持 
                  3、対敵心構えの訓練
  ⑵困苦欠乏に耐えうる心身の鍛錬 1、勤倹力行
                  2、生活の刷新
                  3、享楽の節制
   (『国民精神総動員原義』、三浦藤作編、東洋図書、1937年、p27)

 最後に、「国家総動員の真髄」が説かれ、国民精神総動員運動は、結局、国民を国家総動員に導く方策であったことが明らかになる。

国家総動員の真髄
 国民精神総動員を離れた国家総動員はない。・・・国家総動員の真髄たる国民精神総動員の根本義に目覚め、挙国一致、尽忠報国、堅忍持久の大精神を持って、現在の難局を打開せよ。かくして、今日の国民の責務は完了する。それは、皇国の臣民として、肇国の洪謨(こうぼ:大きなはかりごと)を受け継ぎたまえる大御(おおみ)業を翼成し、大御心に応え奉り、赤子の本務を全うする所以である。(上同、p238)

 要するに、国家総動員は、勞働界。產業界。金融界を統制して、人員及び物資を調整し、防力を強化する大規模の家的活動である(上同、 p235)

 これも、全て、天皇の詔勅から始まる。ちょっと読みにくいけれど、「朕が将兵」「朕が勇武なる将兵」「朕が忠良なる臣民」など、気になる表現のところは読めた。これだと、奴隷と奴隷の所有者の関係と同じではないか、と思ってしまう。



2020年5月3日日曜日

一死奉公一心貯蓄

 国民精神総動員運動という言葉を知って、国民精神総動員本部発行の国民精神総動員運動』という本の存在を知った。それを読んで、1ページから、生々しい当時の状況が描かれていて驚いた。やはり、生の資料に当たることの重要性を痛感した。付録として、国民精神総動員標語というのも紹介されていた。一部紹介すると、
 貯蓄奨励標語には、「一死奉公一心貯蓄」「決死の出征必死の貯蓄」
 時局認識に関する標語には、「億の心染めよ日章旗」(広島県)「億一心輝く国威」(長野県)「兵は一線銃後は防空」(沖縄県)
 次に最初のページを紹介する。国民精神総動員運動とは、何のことはない、国民が一丸となって戦争を推し進めようとしたことに他ならない。ここに示されている国民精神総動員運動中の戦争の発展過程が、そのことを雄弁に語っている。
 戦争を事変とカモフラージュしておきながら、「幾度か対外の戦争を経験して来た」と書かれていたことに、「何だこれ」と思ってしまった。

昭和十二年十月--昭和十四年三月
 昭和十二年七月七日の夜、蘆溝橋に起つた不詳事件を契機として勃發した支那事變は、蔣介石を首班とする國民政府の多年に亘る排日敎育、抗日政策、歐米依存の傳統政策必然の結果ではあるが、彼をして対日反抗政策を採るに至らしめたものは、執拗なるコミンテルンの教唆と、支那に於て利益を壟断(独占)せんとする英米佛等の授助とである。即ち表面の敵は蔣石政権であるが、実は思想的に経済的に我に挑戦し来つた敵が他にあつたのである。
 今次事變は、名は事變であり、對手は蔣介石政府であるが、東亞を安定し、世界の文化に貢献せんとする、我が公明正大なる意図を阻む世界のあらゆる勢力との戦である。面してこれ等外力が、容易に支那から手を引き、東洋から退却するとは想像されない
 我が政府の現地解決、不拡大方針も彼等を反省せしむるの力なく、蘆溝橋事件は、忽にして(たちまち)北支事変となり、北支事変は上海に飛火して支那事変と発展して、遂に我をして支那に鬱積せる積年の懸案な披本的に解決せんと決心せしむるに至つた。
 我がは過去に於て、幾度か対外の戦争を経験して来たのであるが、・・・『国民精神総動員運動』国民精神総動員本部発行、p1)

2020年5月2日土曜日

教育刷新という名の思想教育

 1935年に起きた国体明徴運動の過程で二度も国体明徴声明が出されたことは前に書いた。つまり、10月15日には第2次の国体明徴声明を発して,天皇機関説を国体に反するものと断定,この学説の排除を決定した。国体明徴運動はこれによって終息したが,政府はさらに11月,文相を会長とする教学刷新評議会を設置,その答申に基づいて,37年5月,文部省は《国体の本義》を刊行した。同書は自由主義,民主主義の基礎としての個人主義を排撃し,日本は皇室を宗家とする〈一大家族国家〉であるとして,天皇に〈絶対随順〉〈没我帰一〉すること,おのおのの分を守りながら和を実現していくことが,日本国民のあるべき姿だと説いている。
 幸い、教学刷新評議会の答申も《国体の本義》も、国会図書館のものをインターネットで閲覧できる。そこで、答申の一部を紹介する。
 個人主義など、西洋近代思想の基本を批判し、天皇の詔勅に示された国体の具現を目的に教育内容を刷新する、というような内容が書かれている。しかも、第二の(一)に「我が国に於いては祭祀と政治と教学とは、その根本に於いて一体不可分にして三者相離れざるをもって本旨とする」とあり、「現下諸方面の基本をなす」とか「教学そのものが皇国発展の基本なること」(p22)とまで言っている。
 このようにして、「日本の教育は敗戦の日まで、こんなタガ(枠)をはめられていたのだ。しかしこのタガは、今日もなお高く評価されている日本思想界の代表者を交えた委員会で正式に定められたものだったのである」(中島健蔵著『昭和時代』、岩波新書)。


2020年5月1日金曜日

相田みつをの探究心

 日曜美術館で「相田みつを」さんを取り上げていた。一番驚き、感心したことは、徹底した精読ぶりである。写真のように愛読したという道元の『正法眼蔵』を、なんと106回も読んでおり、たくさんの紙が挟まれている。きっとそこにたくさんの書き込みがあるのであろう。これこそ、座右の書のお手本である。あやかりたいものである。
 もう一点は、同じ書を何度も書いているということ。考えてみれば、ゴッホは、何度もなんども自画像を描いているように、同じ対象を繰り返し、繰り返し描いている画家が結構いる。心境は、きっと同じなのかもしれない。そこに共通するもの、それは、執拗に対象に食い下がり、極めようとする貪欲な探究心に違いない。同じ本を何度も読んだもの、探究心からである。