2023年11月30日木曜日

農業を育成し土地の劣化防ぐ

  日本の自給率が異常に低いことは自明のことです。しかし、その実態は、あまり知られていないのではないでしょうか。赤旗日曜版(2023年11月26日)によれば、「国内農業の生産基盤は崩壊寸前です。食料自給率は38%に低迷し、2010年に205万人だった基幹的農業農業従事者は、12年で4割にあたる82.5万人が離農。農地は東京都の面積を大きく超える26.8万ヘクタールが失われました」。こうした現状の意味することの重要性を最近知りました。『人間中心の経済学』の著者シューマッハーの声に耳を傾けてみましょう。

 物的資源の中で最大のものは、土地である。社会が土地をどう保全・利用するかを見れば、その社会の将来を想定できる。土地は人間をふくむ生物の生存の場であるだけでなく、人間の健康・美・永続性を保証するものである。土地の劣化により幾多の文明が亡びたが、現代の文明も、農業とは異なる工業の論理を押しつけることによって、土地の破壊に拍車をかけている。(小島慶三著「シューマッハーの人と思想」『スモール・イズ・ビューティフル 人間中心の経済学』、E.F.シューマッハー著、講談社、1986年、p p396)

 どうでしょうか。「人間をふくむ生物の生存の場であるだけでなく、人間の健康・美・永続性を保証するもの」が土地なのです。これだけ大切な土地を劣化させ続けていいのでしょうか。言い訳がありません。このまま放置しておくことは、家の土台がシロアリに侵食されているのを放置しておくようなものです。早く農業を育成し、土地の劣化を防がなくてはいけません。

2023年11月29日水曜日

世界の貧困に目を向けよう

 日本は豊かですが、それに比べて世界には貧しい国があることは知っていました。しかし、どの国が、どのくらい貧しいのかまでは知りませんでした。最近南スーダンの貧しさの実態、つまり、「約1000万人の人口に対して、子どものための病院は首都のジュバにある一つだけ。小児科の医師は2人のみ」ということを知り、胸が締め付けられるような思いに駆られてしまいました。南スーダンの面積は日本の1.7倍ですから、「国民が安心して暮らせるようになるには、まだまだ時間がかかり」そう、というのもよくわかります。
 日本国憲法前文において、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」としています。「全世界の国民が」と言っていることの意味を改めて痛感しました。考えてみれば、人間の尊厳というものに国籍は関係ありません。だからこそ、「全世界の国民に、平和のうちに生存する権利」があるのです。もっともっと世界の貧困に目を向けていきたいです。
 世界で一番新しい独立国である南スーダン。ずっと続いていた内戦が終わり、独立を果たしましたが、長きにわたる内戦で国は疲弊し、お金もありません。約1000万人の人口に対して、子どものための病院は首都のジュバにある一つだけ。小児科の医師は2人のみです。国民が安心して暮らせるようになるには、まだまだ時間がかかります。
 また、別の途上国では、10歳にも満たない子どもでさえ紛争に巻き込まれます。銃を持たされて人を殺すように教え込まれ、それでしか生きる術を持たない子どもたち。「殺したくない」とか「それは悪いことだ」なんて言えるはずもなく、大人に言われた通りにするほかありません。けれど紛争が終わったとき、命令した大人たちは、彼らの人生の責任など取ってくれません。 子供たちは人殺しの罪を背負い、非難され、疎外され、普通に生きていくことができなくなってしまいます。(黒柳徹子著「自分の考えを率直に声に出し続けましょう」『世界を平和にするためのささやかな提案』、池澤春菜著、河出書房新社、2015年)

2023年11月28日火曜日

いいものは決して滅びない

 映画「ショーシャンクの空に」を観ました。最後の方で主人公のアンディがレッド宛の手紙の中で希望について語った言葉が印象的でした。
 レッド、希望はいいものだよ。
     何にも替え難い。
     いいものは決して滅びない(”希望は永遠の命だ”[字幕])
 この言葉を聞いたとき、古代ギリシャに誕生して2000年以上も決して滅びなかった「ユークリッド幾何学」と幾多の試練を経ながらも70年以上健在な「日本国憲法」のことを思い出しました。そして、希望の言葉「日本国憲法」も永遠の命に違いない、と確信しました。
 なお、以下は「ショーシャンクの空に」の”あらすじ”です。

 若くして銀行副頭取を務めるアンディは、妻とその愛人を射殺した罪に問われる。無実を訴えるが終身刑の判決が下り、ショーシャンク刑務所へ投獄される。
 初めアンディは孤立していたが調達屋レッドに声を掛けられ、趣味のために小さなロックハンマーを注文する。 それ以来レッドと交友を重ねるようになり、それに伴い他の受刑者とも会話をするようになる。 そうしたある日、アンディは仲間と屋根の修理をすることになる。そこでアンディは屋根の修理作業中、ハドリー主任刑務官の遺産相続問題を知り、自身の経験を活かし作業仲間達へのビールと引き換えに解決策を提案し、成功する。
 それ以来アンディは仲間達のみならず刑務官らにも一目置かれる存在となる。 やがて、アンディは図書係に配置換えとなる。だが、その本当の目的はノートン所長や刑務官達がアンディを利用し自身の税務処理や資産運用を行わせるためだった。そして、ある日所長の不正蓄財を手伝ったアンディが新たな無実の証言を根拠に再審請求を迫った。そんなアンディを懲罰房に入れ考えを改めるよう迫り、1ヶ月経っても折れないアンディにノートン所長とハドリー主任刑務官は、無実の鍵を握るトミーを脱走したように見せかけ殺害する。
 だが懲罰房から出たアンディはどこか元気が無く、考え事をしているようで、レッドに要領の無い伝言を残した時、レッドはアンディが自殺を考えているのではないかと仲間達に相談したが、嵐の晩、皆心配を募る。
 翌朝の点呼の際、アンディが房から消えていることが発覚。中を調べると、大きなポスターに裏に隠された穴があった。アンディは約20年間、来る日も来る日もロックハンマーで壁を掘り続け、ついに脱獄したのだった。アンディはスティーブンスに成りすまして所長の不正蓄財を引き出すと同時に、告発状を新聞社へ送り、メキシコへ逃亡する。
 そしてアンディの告発状によってハドリー主任刑務官は逮捕され、人生を悟った所長は拳銃自殺する。間もなくレッドも服役40年目にしてようやく仮釈放され、アンディの伝言を信じ、メキシコへ向かう。そして海の海岸線で、長年の理不尽な獄中生活から自力で自由になり、悠々自適の生活を送るアンディと再会し、笑顔で喜びの抱擁を交わした。

2023年11月27日月曜日

「調身」「調息」「調心」

   よく言われる言葉に「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という言葉があります。その理由は、「体が先」で「脳は後」という生理学にあるようです。だから、やる気スイッチが入るのも、まずは行動することが大切なのです。文章を書くときも、つまり、書出しに悩んでなかなか書き出せないときも、見切り発車で書き始めれば、体も「書きモード」になるのです。

 怒りの感情も、「表現してしまうと広がってしまう」ので、「イライラしたとき、暴言を吐きたいときは、瞬間的に行動するのではなく、我慢を」(イ)することが大切です。逆に、「別に楽しいことがないときでも、『フェイクスマイル』で笑顔をつくるとストレスが軽減されて自分が良くなる」(ロ)「手足の動きは、表情よりもさらに優位に感情を動かす=楽しい動きをすると楽しくなってくる」(ハ)という研究もあるくらいです。
 そう言えば、武道や座禅では「型から入る」という言葉を使います。座禅の三大要素「調身」「調息」「調心」のうち、最も大切なのは「調身」です。なぜなら、「調身」によって「身体の姿勢がととのってくると、息も心も自ずとととのってくる」(ニ)からです。
この「調身」が「型」です。

「(ホ)」より

(イ)『科学の力で元気になる38のコツ:誰でもできるのにほとんどの人がやっていない』、堀田秀吾著、アスコム、2022年、p119
(ロ)上同、p33
(ハ)上同、p44
(ニ)『ただ座る:生きる自信が湧く一日15分座禅』、ネルケ無方著、光文社新書、2012年、p133)
(ホ)上同、p158

2023年11月26日日曜日

今、求められている和解

  ベン・シャーンの作品に「思いがけぬ邂逅」という握手している手だけの絵があります。県立美術館の常設展で何度も目にして心に残っていた作品です。今日も出会ってきましたが、この作品を前にしたときの感情が以前にも増してはっきりとしてきました。明確な言葉「和解」の象徴として現れたのです。ウクライナやイスラエルにおける戦争状態のことが頭にあったからに違いありません。


 オンライン辞書「weblio国語辞典」によると、「邂逅」とは、”偶然の出会い”や”思いがけない巡り会い”という意味だけでなく、「人との嬉しい出会い」という意味もありました。この絵から「人との嬉しい出会い」を想像できますが、「和解」も想像できます。だから、この絵の題名は「今、求められている和解」がふさわしいと思います。

2023年11月25日土曜日

「悪魔の島」と呼ばれた沖縄

 ベトナム戦争については関心もあり、枯葉剤が散布されて多くの奇形児が生まれたことなど多くを知っているつもりでいました。しかし、ベトナムに向かう米戦闘機の出撃基地があった沖縄は、現地の人々から「悪魔の島」と呼ばれていたことまでは知りませんでした。なんという汚名でしょう、またったく恥ずかしいです。
 沖縄が「悪魔の島」と呼ばれていたことを教えてくれたのは、コラム「もう戦争には加担しない」です。次に全文紹介しますが、短い文章の中に、まさに日本の置かれた現状が見事に描かれています。特に米軍の本質がベトナムベト戦争当時から変わっていないこと、米軍の本質が「憲法改正」問題と深く関わっていることなど、このコラムから読み取ることができます。とにかく名文です。
 沖縄戦の地獄を逃げまどい、家族を戦火に奪われて、ようやく生き延びた沖縄の人々は戦争への強い拒否と平和への熱い希求を胸に戦後の生活を始めました。しかしながら、その願いを踏みにじるように沖縄は米軍政下に置かれ、米軍による世界支配のための「太平洋の要石」と位置づけられ、ベトナム戦争時には、その出撃基地として現地の人々から「悪魔の島」と呼ばれました
 そんな中で、平和憲法を持つ日本への「祖国復帰運動」が燃えさかり、1972年、沖縄は27年間の米軍政から日本国に「返還」されましたが、その内実は沖縄の人々が願っていた「基地のない平和な島」とはほど遠いものでした。それどころか逆に、日本本土にあった米軍基地が次々に沖縄へと移転され、沖縄の基地負担がますます重くなるスタートでしかなかったのです。
 現在も米軍は、日本政府による莫大な「思いやり予算」に支えられて沖縄に居座り続け、中国や北朝鮮の「脅威」を煽って、軍備強化や日本の自衛隊との共同訓練・共同作戦などの連携を強めています。さらに日本政府自体が、与那国島をはじめ宮古・八重山の「国境地城」への自衛隊配備を進めつつあり、地元住民から不安や反対の声が上がっています。
「国防軍の創設」や「憲法改正」をめざす安倍政権の誕生で軍事力強化の危機が強まっている今こそ、戦争に加担するのではなく、東アジアをはじめ世界を結ぶ「平和の要石」になりたいという沖縄の願いを、ますます強く打ち出していく必要があります。(『沖縄の風よ薫れ:「平和ガイド」ひとすじの道』、糸数慶子著、高分研、2013年、p 22、強調は引用者)

2023年11月24日金曜日

壊れていない車(憲法)は修理するな

 興味深い憲法に対する例えを見つけました。「憲法は、その上に国家という車体を載せているシャシーのようなもの」(注1)だというのです。だから、そのシャシー(憲法)は、

 欠かせない大切な骨組みだが、滑らかに走行しているときにはまったく気にならないし、する必要もない。危うい場面に遭遇したり、スピードを出し過ぎてきしんだりしたときには、どこか傷んではいないか、荷重が重すぎるのではないか、などと点検しなければならない。
 しかし、大概の場合は部品を取り換えたり、板金を打ち直したり、エンジンの故障を直せばすむ。シャシーなどは、めったなことで取り換えるものではないのである。(注2)
 この本には、シャシーの一部を変えた場合にことは書いてありませんが、容易に想像がつきます。全体のバランスが崩れてしまい、かえって危険になるはずです。日本国憲法も同じです。三原則が揃って初めて日本国憲法なのです。九条を変えてしまったら、直ちに基本的人権と国民主権にも影響し、日本国憲法は瓦解してしまいます。
 それでは、九条を変えてしまったら、近隣諸国にどのような影響があるのでしょうか。
 中国や韓国など近隣諸国にとって憲法九条は、日本が再び危険な国家にならないための象徴的な存在になっている。改憲で無用な警戒心を抱かせ、相互不信と軍備増強のいたちごっこといった事態を招いてこの国の安全保障環境を不安定にさせるのは、どう考えても得策ではないと考えるからだ。(注3)
 そうなのです。「改憲で無用な警戒心を抱かせ、相互不信と軍備増強のいたちごっこといった事態を招いて」しまうのです。そうでなくとも、「相互不信と軍備増強のいたちごっこ」は拡大するばかりです。改憲は、そこに油を注ぐようなものなのです。
(注1)『改憲幻想論 : 壊れていない車は修理するな』、佐柄木俊郎著、朝日新聞社、2001年、p1
(注2)上同、p1〜2
(注3)上同、p4

2023年11月23日木曜日

力強い充実感と生き甲斐の感情

 今は、世界的に混迷を深めています。戦争を止められないでいるのが何よりの証拠でしょう。日本でも、物価高が直撃しているにもかかわらず、大幅な防衛費増が確定視されています。難なく確定してしまいそうでも、多くの国民にとって座視することしかできないのは情けないことです。このように明るい見通しを持てないのも混迷を深めている証拠です。
 ヨーガの効能に「情緒の調和と安定、精神の明朗と平静、幸福感と充実感、不動の信念、創造性と自主性、解放感、さらには感覚を超えた広大な世界への心眼開発などといったもの」(『ヨーガ入門』、佐保田鶴治著、ベースボール・マガジン社、2015年、p20)があることを最近知りました。こうした効能が政局の如何に関わらず得られるならば、逆に、健全な精神から、健全な政局安定をもたらすことができるかもしれません。そんな希望が生まれました。先ずは、自らヨーガ実践を通して、ヨーガの真実の姿を体得したいものです。
 ヨーガにとっては、健康や治病は低次元の効果に過ぎません。ヨーガ修習の効能の本命は、個人の精神的な変身にあるのです。
 情緒の調和と安定、精神の明朗と平静、幸福感と充実感、不動の信念、創造性と自主性、解放感、さらには感覚を超えた広大な世界への心眼開発などといったものが、ヨーガの長い実修のあるものなのです。それに類した体験を語っている女史の手記の一部を紹ましょう。(上同、p20)

 ここで宗教というのは、各人にとっていちばん大切な教えということです。いいかえれば一人ひとりがもっている信念であり、各人の人格のバックボーンだともいえます。
 そして各人が宗教を持つならば、情緒の安定、明るく平和な性格、力強い充実感、不動の信念、生き甲斐の感情といった結果が、かならず現われてくるはずです。こうした意味での宗教は、個人個人に特有なものですから、人間の数だけあるといえます。(上同、p26)

2023年11月22日水曜日

人間中心の経済学

 シューマッハーが現代社会の危機を1970年代に予言していた彼の思想の要点を見てみましょう。
 シューマッハーはいう。近代の思想・科学・技術によって形成された世界は、三つの危機に同時に巻きこまれている、と。第一に、人間の本性は、非人間的な技術と組織の中で、窒息し、衰弱しつつある。第二に、人間の生命を支える生活環境は痛めつけられ、なかば崩壊の徴候を示している。第三に、人間の経済に不可欠な、再生不能な資源、とくに化石燃料資源の枯渇が眼前に迫っている。この根源となったものは、物質至上主義と巨大技術信仰、そして貪欲と嫉妬心にほかならない豊かさの追求である。
 自然との調和、身の丈技術、節欲勤倹の倫理観によって支えられた前時代の文明は、自然の自律的な調整によって永続性を保証されていたが、現今の自然支配と能動的進歩感、独走的技術のもとでは、歯どめとなるものは存しない。際限のない膨張主義は、資源・環境の両面から、自然を暴力的に破壊・汚染する一方、産業人の体質をむしばみ、人間の尊厳・自由そして創造性を抑圧するものとなる。また、企業組織や都市社会においても、集中と肥大化を生み、かえって空洞化や人間疎外を進行させる。(小島慶三著「シューマッハーの人と思想」『スモール・イズ・ビューティフル 人間中心の経済学』、E.F.シューマッハー著、講談社、1986年、p393〜394)
 今読んでも、一つも古さを感じさせないことは驚きに値します。逆に言えば、危機を指摘されながらも、彼の指摘によって有効な対策を取れなかったことを意味します。何十年もの猶予があったにもかかわらず、です。なぜでしょうか。
 私は、彼の思想に弱点があったからではないか、と考えています。その弱点というのが、「どんなに制度や機構を変えてみても、社会の病いを起こす人間の利己主義や飲欲や争い好きを取り除けない」という考えです。社会の危機は、「人間の利己主義や飲欲や争い好き」によって起きているのでもなく「資本の巨大な力」によるという観点が抜けていることです。「資本の巨大な力」に対抗できるだけの「民主的権力」というものが誕生して初めて、シューマッハーのいう社会的危機は解決されるのです。私はそう思います。
 どんなに制度や機構を変えてみても、社会の病いを起こす人間の利己主義や飲欲や争い好きを取り除けないのは明らかである。できることといえば、このような弱点を助長しないような環境を作りだすことである。制度・機構の力で人びとに原則を守らせることはできない。できるのは、望めば守れるような原則にもとづいて、社会秩序を打ちたてることである。(『スモール・イズ・ビューティフル』、E.F.シューマッハー著、講談社、1986年、p341)

2023年11月21日火曜日

和をもって貴しとなす

  新しい思想に出会いました。「インド大乗仏教の流れの中から生み出された心に関する深い洞察を含む理論です。日本にはすでに七世紀に導入され、以後千三百年あまり伝承されてきたものです。そういう意味では大変古いものです」(『コスモロジーの創造』、岡野守也著、法蔵館、2000年、p160)。この理論によると、世界的な問題になっている戦争や環境問題に対して統一的に考えられるところが、何よりの魅了です。

 唯識の視点から言うと、三つの問題は基本的にはまったく同じ根から発生しています。それは、一言で言うと「分離的認識」、すなわちすべての存在を、ばらばらに分離したものとして捉える認識のあり方です。仏教の用語では「分別知」といいます。これは、人類が言葉を獲得し、言葉を使って世界や自分を認識するようになって以来、つまり人類が人類としての歩みを初めて以来抱えてきた問題で、現代においてそれが頂点あるいは限界に達しつつあるのだと言っていいでしょう。
 簡単に言うと、言葉、とりわけ名詞・代名詞を使って世界を見ると、木なら木、私なら私という名詞・代名詞に対応した分離した「もの」があるかのように見えてしまい、それを成り立たせている無数の関わり・つながりが見えなくなってしまう傾向があるということです。
①(戦争の根本原因〕
 もちろん個々の戦争には複雑な事情が絡んでいるわけですが、問題点をはっきりさせるためにあえて単純化して言うと、向こうとこちらの集団が分かれて対立しているという分離的認識なしには、戦争は起こりえません。自分たちとは別の集団があって、「あいつらが自分たちの利益を侵害する、名誉を傷つけた」とか、「自分たちの信じている正義に反している」とか、「あいつらを侵略、征服、支配すると、自分たちがもうかる」といった考えがあって初めて戦争になるわけです。
②(環境破壊の根本原因〕
 環境破境・資源の枯渇も分別知によるものだと言って間違いありません。自然・地球環境を人間とは分離した向こう側にある対象と認識し、それをいろいろに細かく部分に分けて捉え、人間の都合のいいように作りなおすことができる、そうしていい、というのが、科学・技術・産業の基本にある考え方だと思います。
 それがまだ未発達で小規模の間は、自然にはそうとうな自己修復力がありますから、それほど問題にはなりませんでした。しかし、近代になって科学技術と産業活動が驚くべき大規模にまで発展してきたとき、ようやく地球環境の自己浄化力には限界があること、地球の資源にも限りがあることが明らかになってきたのです。(上同、p161〜162、強調は引用者)

 どうでしょうか。
 ここで気づいたことですが、 「分離的認識」の対極にある思想は、一七条憲法第一条の「和をもって貴しとなす」です。そういう意味で、この思想こそ、平和思想の原点です


2023年11月20日月曜日

模倣と創造

 多くの画家が、名作の模写を通して技術を磨いてきたことは知っていました。マティスも多くの模写をしていました。「ルーブル美術館で数々の名作の模写に打ち込んで」(*)いたのです。シャルダンの『赤エイ』模写は6年以上の年月をかけて完成させたそうで、その熱意に感心してしまいました。『マティスを旅する』には模写した『赤エイ』が飾られた部屋の写真がありましたが、模写そのものが立派な作品になっていたのです。
 このように、芸術の分野においては公然と模倣が行われてきました。というより、積極的に”模倣による学び”が推奨されていたと言っても過言ではありませんでした。しかし、他人の文章の引用を多用した場合など、「創造性のなさを人に示すようで」と考えてしまうです。文章の模倣は、あまりよく思われないのです。そうした傾向に異論を唱えたのが板倉聖宣さんです。
 模倣は悪いことではない。他人のすぐれた考え、すぐれた文章は、いいと思ったらどしどしとり入れるのがいいのだ。そうすれば、その原著者の思想を自分のものとすることができるし、その原著者の気のつかなかったことまでも気づくようになり、新しい創造の世界をきりひらくことができるようになるだろう。(『模倣と創造 科学・教育における研究の作法』、板倉聖宣著、仮説社、1978年、p29)
 どうでしょうか。「気に入った文章、考えがあったら、 それを遠慮なく引用して文章を書くようにするといい」(上同、p30)とも言っています。これまで引用の多い文章を書いてきましたが、これからも、自信を持って引用しながら文章を書いていきたいです。

2023年11月19日日曜日

基本的人権と公共の福祉

 基本的人権と公共の福祉に関して、ずっと違和感を抱いてきました。「公共の福祉」のためには「基本的人権が侵害されても仕方がない」と思わされてきたからです。この論理がもっとも反映していると思われるのは、軍事基地問題があります。つまり、「国防という公共の福祉のため」という論理です。騒音被害といった深刻な基本的人権侵害が何よりの証拠です。
 そもそも、「『公共の福祉』という概念は、基本的人権を充足するためにあるものであって、それを口実に、少数者に対してであろうと多数者に対してであろうと、代償をともなわない犠牲を強要する権利は誰にもない」(『市民の自由 : 基本的人権と公共の福祉 』、戒能通孝著、法律文化社、1968年、序)のです。しかし、偽りの「公共の福祉」という概念が横行しているのが現状です。なぜでしょうか。
 それは、「大の虫は当然小の虫を殺す権利があるという考えこそ、専制が発明した最も厭うべき言葉、人類の福祉のために永遠に呪われた言葉である」(上同)ことが理解されなかったからに違いありません。だからこそ、真の「公共の福祉」という概念を納得できるまで究明することが求められています。
 繰り返しますが、「およそ政治的権力の性格を少数の支配者が大衆を圧迫するためにあるのではないと解釈するかぎり、『公共の福祉』は『基本的人権』に対立するものでなく、それを補充する手段にすぎない』(上同、p1)のです。にもかかわらず、「この平凡な原則が承認されていないということだけで、民主的政府の存立をゆるがすような安易でいいかげんの立法が、なかば公然と横行するようになっている」(上同、p1) のです。このことは、最近の国会討論を見ても頷ける話です。

2023年11月18日土曜日

国民が求めてもいない憲法改正

 自民党には「憲法改正実現本部」というのがあって、憲法改正に向けた国民運動の全国展開を始動させたそうです。その第一弾の集会は、なんと「非公開で、参加者は地方議員約40名」だけ、というから驚きです。よほど”やましいこと”を相談したのでしょう。そうでなければ、非公開の意味がありませんから。
 また、「安倍政権時代から今日に至るまで、憲法改正が国民の関心事であったことは一度もない」、つまり、「国民が求めてもいない憲法改正のために時間と税金を空費するような政党(自民党・維新の会・国民民主党などの)には、公党の自覚が欠けていると言うほかはない」という主張は、もっともな話です。
 そして最後の結論は、「憲法違反を平気で繰り返す政権の改態論については、有権者はひとまず拒否するのが正しい選択だろう」でした。「憲法違反を平気で繰り返す政権」は、それだけ憲法を軽視しています。そんな政権に憲法改正を語る資格はないのではないでしょうか。私はそう思います。
 以上、コラム「憲法違反を繰り返す政権による改憲とは」の感想です。
 新聞報道によれば、自民党の憲法改正実現本部が改正に向けた国民運動の全国展開を始動させ、その第一弾の集会が2月6日、岐阜市で開かれたとのことである。集会は非公開で、参加者は地方議員約40名。一般市民を締め出して何が国民運動かと思うが、参院選後に本格化するらしい改正の動きに向けて、地元の機運を高めるための決起集会だったのだろう。そして早くも10日には、今国会初となる衆院の憲法審査会が開かれるに至ったのだが、新年度予算案の審議中の開催など、聞いたことがない。国民生活に直結する予算案の審議以上に重要なものはないはずの通常国会で、異例の開催を要求した自民党・維新の会・国民民主党の3党は、いったい何を履き違えているのかと思う。
 現に安倍政権時代から今日に至るまで、憲法改正が国民の関心事であったことは一度もないし、いまのところ予算案の審議中にあえて憲法審査会を開く理由はどこにも見当たらない。いまは何よりも、コロナ禍で低迷する賃金や増え続ける社会保障費などの将来不安に応えるべきところ、国民が求めてもいない憲法改正のために時間と税金を空費するような政党には、公党の自覚が欠けていると言うほかはない。
(中略)
 それよりも安倍政権が9条を恣意的に「解釈」して集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことのほうが重大な憲法違反であり、本来ならこれを破棄するか、それとも9条を書き換えるかの議論が行われて然るべきだが、現状では望むべくもない話である。
 かくして、改憲をめぐる状況は国民にとってつねに不全感も甚だしいのだが、そもそも9条や53条の例にみられるごとく、憲法違反を平気で繰り返す政権の改態論については、有権者はひとまず拒否するのが正しい選択だろう。2022.03.06(「憲法違反を繰り返す政権による改憲とは」『銃を置け、戦争を終わらせよう 未踏の破局における思索』、高村薫著、毎日新聞出版、2023年、p110〜113)

2023年11月17日金曜日

日米対等の平和条約締結を

 前に、心に沁みる「まえがき」を<「脱アメリカ」だけが日本を救う>で、紹介しましたが、「あとがき」もまた、ポイントが箇条書きにまとめられていて良かったです。そこで、「あとがき」の後半も紹介します。「米軍基地のすべてを撤去すること」など、はっきりとした物言いで、気持ちがいいです。
 エネルギーが尽きる前に少なくとも五つのことをやり遂げたい。
第一は、日本の政治を極端に劣化させた衆議院議員の選挙制度(小選挙区比例代表並立制)を廃止し、中選挙区制を復活させること。
第二は、TPP加入を阻止し、「脱アメリカ・入アジア」の外交路線を確立すること。
第三は、政府・財務省の増税一本檜の政治路線を打破し、日本経済を成長軌道に乗せること。
第四は、沖縄をはじめ日本にある米軍基地のすべてを撤去すること。このために日米安保条約を全面改定するか破棄して、日米対等の平和条約を締結すること
第五は、自然環境保全と大地震・大災害に耐えうる社会を建設すること。
最後に、日本の政治の根本理念として、次の五つの格言を政治家の精神のなかに植えつけたい。
第一は「和を以て貴しと為す」(聖徳太子)。
第二は「一隅を照らす者は国の宝である」(最澄)。
第三は「広く会議を興し万機公論に決すべし」(五簡条の御響文)。
第四は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」(福沢論吉)。
第五は「国家の実力は地方に存する」(徳富蘆花)。
 最後にもう一度強調したい。
あらゆる堕落のなかで最も軽蔑すべきものは――他人の首にぶらさがることである」(ドストエフスキー、代表作の一つ「白痴」の中の言葉)。
 日本国民はアメリカ政府の首にぶら下がって生きるという堕落した生き方から脱却しなければならない。「脱アメリカ」だけが日本再生の道である。(『独立国日本のために 「脱アメリカ」だけが日本を救う』、森田実著、ベストセラーズ、2011年、強調は引用者)
 どうでしょうか。
 沖縄をはじめ日本にある米軍基地のすべてを撤去すること、そして、日米対等の平和条約を締結すること、あるいは、和を以て貴しと為すこと、いずれも真っ当なことばかりです。このことに気付いて欲しい。本当に本当に、「脱アメリカ」だけが日本再生の道なのです。逆に言えば、「脱アメリカ」なしに日本再生の道はあり得ないのです。

2023年11月16日木曜日

平和的な手段で戦争を防ごう

 誰もが平和を望んでいます。戦争で殺し殺される世界は、ある意味地獄です。しかし、こうしている今でも、世界に目を向ければ、地獄絵が展開されているのです。だからでしょう。戦争は嫌だけれど、嫌だから、と軍備の拡大に賛成してしまう人がたくさんいます。そうすることが、戦争を防ぐ唯一の方法だと信じているからです。
 それでは、軍備を拡大して行けば、本当に戦争を防ぐことができるのでしょうか。残念ながら、その保障はありません。軍備の備えをしあっていても現実に戦争が起きてきたことが何よりの証拠です。そもそも、戦争の手段でもって戦争を防ぐということ自体、論理的矛盾なのです。軍備の拡大といった手段の強化は、相手を刺激して矛盾対立が激しくなって戦争の危険が増すからです。
 その点、文化の力、科学の力等の平和的な手段で戦争を防ごうとすることは、そこに論理的矛盾がありません。平和的な手段の強化は、より戦争を起こり難くするからです。なぜなら、文化の力、科学の力等が強化されれば、それだけ世界に尊敬されるようになります。日本が尊敬に値する国になれば、日本を攻めようと思う国は無くなるのです。平和的な手段でこそ、真に戦争を防ぐことができるのです。

2023年11月15日水曜日

精神の修練としての哲学

 最近、哲学への関心が高まってきました。『生き方としての哲学 J.カルリエ、A.I.デイヴィッドソンとの対話』(ピエール・アド 著、小黒和子訳、法政大学出版局、2021年)という本を見つけ、その中でプラトンの定句「哲学することは、死への修練である」を紹介していたからです。もともとやがて来るであろう死への不安に、どう備えていいものか頭の隅にあったからかもしれません。
 この本には「精神の修練としての哲学」という章もあって、修練について次のように語っています。

 個人的には私は精神の修練を、個人の変化、自己の変容を目指した意志的で個人的な行為であると、定義したいと思います。ジャン=ピエール・ヴェルナンとルイ・ジェルネはその例となりうる二つの手本を示しました。もうひとつの例は、これもまた古いものですが、人生の困難に備えるもので、ストア派にとっては貴重とされるものでした。病気、貧困、追放などの運命の転変に耐えるには、そうした機会がありうることを考えて準備しなければならない。覚悟していたものはより容易に耐えられるのです。(p151、強調は引用者)

 さらに、「修練とは実際には哲学全体であって、それは教育的言述であると同時に、われわれの行動の指針となる内面的理念でもあるのです」(p152)。だから、哲学全体が興味の対象になります。しかし、それではあまりにも対象が広すぎます。ゆえに、対象を絞って、『生き方としての哲学』、ショーペンハウエルやカントの哲学を学びの対象にしたいと考えてみました。

2023年11月14日火曜日

自ら現憲法を選んでいたのです

 長い間、日本国憲法は占領軍によって押し付けられたもの、つまり「押し付け憲法」と批判されてきました。しかし、初めはそうであったとしても、いわゆる逆コースの改憲案が否決されれば、その時点で、自ら現憲法を選んだことになります。「押し付け憲法」と批判される理由も無くなってしまいます。日本の戦後史の中に、そんなことがあったのでしょうか、
 実はあったのです。最近知りました。次の通りです。

 講和発効後の五〇年代前半に保守党が提起した憲法改正案は、全面的にではないにせよ、戦後改革以前の旧天皇制的レジームへの復帰に傾斜する内容をかなり含むものであり(いわゆる逆コース)、日本の保守的支配層の旧体制的感覚を示すものであった。しかし、この種の旧体制的感覚の改憲案が世論の批判を浴びて流産したこと自体、もはや旧体制の復活が不可能であるほどに現行憲法を前提とした新体制が定着しつつあったことを示している。このとき以降、旧体制の復活の企図は、戦後体制を担う勢力の側からも、今日まで一度も出されていない。(渡辺洋三著「戦後改革と日本現代法」『戦後改革 1課題と視角』、東京大学社会科学研究所編 東京大学出版会、1974年、p121)

 どうでしょうか。現憲法が選ばれ、「旧体制の復活が不可能であるほどに現行憲法を前提とした新体制が定着しつつあったことを示して」いたのです。だからこそ、今に至っても、現憲法が健在なのでしょう。自ら選び取った現憲法を大切にしましょう。

2023年11月13日月曜日

ショーペンハウエルの幸福論

 ショーペンハウエルが印度の古代哲学思想」に多くを学んでいることを知って彼に興味を抱き、彼の著書を調べました。そして、彼が幸福論を書いていることを知りました。『人生論 : 幸福について』(ショーペンハウエル著、橋本文夫訳、桜井書店、1948年)と『幸福について (哲学叢書 ; 第33巻)』(シヨーペンハウエル著、石井正・石井立共訳、創元社、1948年)の違う訳者のもの二冊があったのです。ちょっと読んでみたら、次に示したように「東洋的な空観」まで精通していたようで驚きました。

 「人生論」のなかにも著者の根本的な哲学思想が躍如としている。しかし、ここには縷説(るせつ)を避け、ただ現代に生きるわれわれに切実な点だけを摘記すれば、第一はキルケゴール、ニーチェ、トーマス・マンなどに貫く孤独な超人という思想の萌芽が見られることである。衆愚と優越者との喩えがたいみぞ、哲学的に言えば生きようとする意志のみに生きる者の社会と、知性・精神に生きる者の孤独との対立である。第二は著者が古代印度の「梵は我なり」即ち仏教の「一即一切」の悟りを開いていることである。この東洋的な空観に究極の安心立命を求めようとしていることである。(「訳者序」『人生論 : 幸福について』、p3〜4)
 果たして、ショーペンハウエルによって「東洋的な空観」がどのように表現されているか、興味あるところです。

2023年11月12日日曜日

精神を鼓舞する印度古代哲学思想

 9 2歳で現役、ギネス世界記録に認定された「世界最高齢の総務部員」というキャッチコピーの本『92歳総務課長の教え 世界一仕事が楽しくなる!』(玉置泰子著、ダイヤモンド社、2022年)を読んでいて、長年病気らしい病気をしたことがないこと、「50年ほど毎朝、ヨガを続け」(p76)ていることが分かりました。これぞまさに”継続は力”の見本です。
 彼女のヨガの先生は佐保田鶴治先生でしたので、彼の本を探しました。『ヨーガ入門 ココロとカラダをよみがえらせる』(佐保田鶴治著、ベースボール・マガジン社、2001年)といったヨガの本以外に、『ウパニシァッド文学と其の哲学思想 : 印度神秘思想の古典』(佐保田鶴治著、白揚社、1950年)といった本も書いていたことを知りました。この本は国会図書館オンラインでちょっと読んでみました。ショーペンハウエルもラテン語訳のウパニシァッドを読んでいて、次のように激賞していました。
 「ウパニシァッドは印度古代の、まだ伝統の殻に堅く覆われなかった頃の所産として、 人間精神の若々しい覚醒の暁に見いだすさまざまな驚き問い、それへの勇敢なる挑戦の跡を示している点で、人類一般の思想史上に於いても貴重な文献の一たるを失わない」(p1、なお下線部の原典は傍点)。それだけでなく、著名なショーペンハウエルもラテン語訳のウパニシァッドを読んでいて、「この書が地上にあり得る最も有益なる、精神を鼓舞する典籍なり。この本はただ予に生の慰安をもたらすに止まらず、また死の慰藉をももたらす」(p2、なお一部現代文にして読みやすくしました)というのです。宝物を発見したような気分です。そして、ショーペンハウエルにまで興味が広がってしまいました。

2023年11月11日土曜日

精神活動の喜びと活力

 NHKテレビ『わない数学 第2シリーズ 超越数』(2023年11月8日) を見ました。巨大な謎を秘めていて、ウルトラスーパーすごい数「超越数」とは何なのでしょうか?
1、まず、数には作図できる数(代数的数)と作図できない数(超越数)があることがわかりました。数学者リンデマン(1852-1939)は、𝛑が代数的数でないことを証明できれば𝛑が超越数であることを証明できることを明らかにし、𝛑が超越数であることを証明を目指しました。


2、しかし、長い間、𝛑やℯが超越数であることの証明はできませんでした。超越数の存在が証明できなかったのです。
3、やがて、数学者リウヴィル(1809-1882)が、超越数を作ってしまい、リウヴィル数と名づけました。その後、𝛑やℯが超越数であることも証明されていきました。


4、一方で、自然数の数の全体は実数の数の全体より圧倒的に少ないことを証明した数学者カントール(1845-1918)が、代数的数の全体は、自然数の数の全体に等しい、即ち、数の全体より圧倒的に少ないことを証明しました。


5、次に、フランス高等科学研究所コンツェビッチ博士が、積分記号(∫)で表せるものと、表せないものに分類できることを発見し、積分記号で表せるものを周期と名づけました。そして、「代数的数は漆黒の空にある星のように光っている。漆黒の闇は超越数である」と語っています。
 また、大阪大学吉永正彦教授は、「周期の登場は、今後長い期間、人間の精神活動に喜びと活力を与え続け、 数学を進展させるエネルギーを与え続けるのではないか」と語っています。とても、この言葉が気に入りました。未知なる超越数の存在と宇宙に広がっている謎の暗黒星雲の存在がダブって興味が倍増してしまいました。

2023年11月10日金曜日

虚偽の申請で辺野古新米軍基地建設

 政府は辺野古の軟弱地盤を07年に把握していながら、「確認なし」と偽りの報告を県に申請していました。(衆院安全保障委員会で赤嶺議員が報告書入手)つまり、日本共産党の赤嶺政賢議員が入手した「埋め立て予定海域についての調査報告書(07年)」には、「調査地には軟弱な沖積層が広く、厚く分布している」ためとして、「今後の追加調査」として「ボーリング調査の実施」が提案されていました。しかし政府(沖縄防衛局)は、2013年に県に提出した辺野古埋め立て申請書に「長期間に渡って圧密沈下する軟弱な粘性土層は確認されてない」と嘘の内容を記載していたのです。
 ちょっと考えれば、いずれ嘘が発覚することはわかることです。それでも嘘の申請を出せたのは、工期が長引き、費用が嵩むことによる利益を目論むことができたからに違いありません。事実、費用は「当初の約2・7倍の9300億円」に膨らでいました。
 よく、手段が目的化する場合があると言われます。この場合、手段としての「工事そのもの」が目的化してしまっているようです。だから、嘘をついてまで、あるいは建設は無理かもしれないにせよ、何が何でも建設を強行しようとしているのではないでしょうか。このような辺野古新米軍基地建設は、絶対許せません。


図
「『赤旗』、2023年11月11日」より
 赤嶺氏は、辺野古・大浦湾側の軟弱地盤の存在によって工期が当初の5年から12年以上に延び、費用も当初の約2・7倍の9300億円に膨らみ、それ以上かかることは確実だと告発。埋め立て申請の当初から「虚偽の申請をやって辺野古(新基地建設)を進めていることは絶対に許せない」と批判しました。(『赤旗』、2023年11月11日)

2023年11月9日木曜日

骨のある思想家正木ひろし

  日本語の修飾語に「歯に衣を着せぬ」というのがあります。この修飾語の通り、これこそ「歯に衣を着せぬ物言い」と感心したのが次の天皇批判です。

 武装を解除された日本は、将来道義一本で建って行く以外に方法は無いという。誠に然り。然る時は、先ず第一に、日本を今日の悲境に陥入れたる張本人天皇の責任の追求を完全にすることを前提とす。我等は軍閥の命令によって戦争に従事したるものに非ず。天皇の名によってこれを遂行したるのみ。その責任を不問に附して、何の正義、何の道義ぞや。

  日本は、万邦無比な国体を有することが第一の特徴であり、その故に有難い国だと教わって来た。しかし、事実に於て何が有難かったのか。天皇に所有されたる生物、牛や馬と同じ家畜に他ならない。日本の国体を有難いと言うのは、家畜主たちと、その番犬階級のみ。(正木ひろし著『近きより』第九卷第十号<一九四四年十二月号>、『日本平和論体系・12』、家永三郎編、日本図書センター、p256)

 いまだに世襲議員が国会で力を持っています。これというのも、最大の世襲である天皇の戦争責任を不問にしてしまったのも関係しているに違いありません。それに、正木氏のような骨のある政治家、知識人が少ないからでしょう。残念です。
 このような骨のある正木氏の他の著書も読んでみたいと探した本が『日本人の良心』(正木ひろし著、筑紫書房、1949年)です。そこでも、「天皇と悪魔との合体。それが日本民族の悲劇の根源である」(p 22)と言い切っていました。著作集もあるようなので、もっと彼の思想を読み込んでみたくなってきました。

2023年11月8日水曜日

非戦を説きつづけよう!!

 世界における戦火の勢いが増してきているのでしょうか。停戦の働きかけがあるにも関わらず、無視されているからです。どうすればいいのでしょうか。半藤一利さんが「大小の戦乱の絶えることのない現代世界にあって、非戦を説きつづけることは、夢みたいな理想をただ語っているにすぎないのか、とあえて疑問を呈した」(『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』、半藤一利著、平凡社、2021年、p236)ことがあります。その疑問に対する答えを聞いてみましょう。

 いいですか、たった一発の原子爆弾で広島を潰滅させたときから、人類は滅亡への第一歩を踏みだしたのです。もともと自然界に存在しないウラニウム25をつくりだし、それを燃料としているのが原子力なのです。根本的に自然に逆らっている。結果的に、天の意思にそむき、自分たちで制御できない"死の兵器"を自分たちの手でつくりだしたのです。ですから、核兵器廃絶の道以外に人類の明日はないのです。
 なるほど、その実現はまだはるか彼方としても、せめてその第一歩として、「核の先制攻撃の禁止」をまず日本は世界的に働きかけるべきなのです。それだけでも地球の明日のためになる。スタートになる。いまからでも間に合います。東日本大震災での放射能問題を考えただけでも、もし極小の核兵器をゲリラが使ったら、の恐怖の想定は容易にできます。そのためにも、墨子の精神すなわち第九条の精神を単に守るだけでなく、より大きな力のあるものとし、世界にむかって発信しようと、強く訴えているのです。(『墨子よみがえる “非戦”への奮闘努力のために』、半藤一利著、平凡社、2021年、p237)

 どうでしょうか。
 結局、「9条を実行する」ということになりますが、柄谷行人によれば、「これは憲法を護るということとは異なる。これを実行するためには、革命に等しい変革が必要である。が、それは、不可能ではない。軍備を拡大し、戦争に勝ち抜くことに比べれば、はるかに実現可能性が高い」(柄谷行人著、「9条を実行する」(『これからどうする 未来のつくり方』、岩波書店、2013年、p3)のです。
 理性(理想)の重要性について述べた名言があります。「光線は音もなく感ずべきほどの圧力もないが厳存する。人間の理性も音もなく圧力もないが厳存する。而して光線を無視する生物が亡ぶ如く、理性を無視する者も亡ぶ」(正木ひろし著『日本平和論体系・12』、家永三郎編、日本図書センター、p209)です。9条も世界を照らす光のようなものです。

2023年11月7日火曜日

執拗な推敲を重ねた芭蕉

 芭蕉の句に「閑かさや岩にしみ入蝉の声」という名句があります。実は、この句は推敲を重ねた末に出来上がったものだったのです。『わたしの芭蕉』(加賀乙彦著、講談社、2020年)を読んで知りました。 例えば、「山寺や石にしみつく蝉の声」 → 「淋しさの岩にしみ込むせみの声」 → 「閑かさや岩にしみ入蝉の声」と、こんな具合でした。
 著者が「この執拗な推敲」と表現した句もありました。「吹とばす石はあさまの野分哉」ですが、この句について、次のように述べています。
 この執拗な推敲が芭蕉の身上である。最初の句から「石」はもちいられているのだが、それを石の表現として、その持つ巨大な力として定着しなくては、独創的な表現にならない。岩という不動のものを「重力に反して」飛び上がらせるところに自然の力と相乗りする表現の力がある。それが句作の醍醐味である。(『わたしの芭蕉』、加賀乙彦著、講談社、2020年、p11)
 推敲の過程は次の通りでした。
「秋風や石吹颪(おろ)すあさま山」」 → 「吹颪あさまは石の野分哉」 → 「吹落あさまは石の野分哉」 → 「吹とばす石はあさまの野分哉」
 四句をこうして眺めてみると、あさま山野風ばかりが際立っているのに対し、四句目は、あさま山の噴火のエネルギーが見事に表現された秀句になっているのがわかります。納得するまで執拗に推敲を重ねる姿勢は、是非ともあやかりたいものです。これからも文章を書き続けたいと思っているからです。

2023年11月6日月曜日

アジアで共存の枠組構築を!!

 ウクライナ戦争後、世界で軍事予算の大幅な増が見込まれています。しかし、「とりわけ二一世紀の日本にとって、アジアとの新たな共存の枠組みを構築することが、安全保障の面でも、経済の面でも不可欠である」(山口二郎著「序文」『東アジアで生きよう!』、金子勝編 、岩波書店、2003年)ことに変わりがありません。聖書にある「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉は、国際外交にも通用する真理だと思うからです。それなのに、敵愾心を膨らませて軍事費を増やすことは、百害あって一利なしなのです。
 では、どうすればいいのでしょうか。
 それは、「 過去の侵略から目を背け、冷戦期の同盟戦略にしがみつく日本政府ではなく、軍国日本と異なるデモクラシーを樹立した自信を支えとして、過去には正面から取り組み、現在のアジア地域の目指す方向を提案する。そんな日本政府をつくることができるのか。東アジアの地域構想を考える最後の、そして最大の課題がここにある」(『東アジアで生きよう!』、金子勝編 、岩波書店、2003年、p83)のです。
 このような、新しい政府の樹立の必要性まで踏み込んだ議論は珍しいです。しかし、そこまで踏み込まなければ未来はないことも事実です。それだけに、野党共闘の課題はこれからの日本を考える上で欠かすことができません。そこまで見通せるかどうか、それが問題です。

2023年11月5日日曜日

老子の平和思想

 老子思想が平和思想でもあるという。そういえば、墨子という東洋の思想家も平和思想の道主で、『墨子よみがえる』(半藤一利著、平凡社、2021年)という本があるくらいです。その本に、墨子の著書「非攻」篇〔上〕から「小さな悪事を行なうと、これを知って人は非難する。ところが大きな悪事を行なって他国を侵略すると、非難しようともせず、かえってこれを誉め、それこそ正義であるという」(p181)という言葉が紹介されていました。
 最近は、非難されてもなんのその、という”太々しい”風潮が目立ちます。モラルの低下なのでしょうか。軍事力を肯定していれば、そうした状態が長引くほど、モラルも低下していくであろうことは、容易に想像がつきます。常備軍の存在は、軍事訓練という名の殺人訓練ばかりしているからです。精神も荒廃してしまいます。だからこそ、常備軍の思想ではなく、日本国憲法の思想、墨子や老子の思想による理想を大切にしていくことが求められています。
 老子思想の根本にあるのは、自然を重視した調和の思想である。これからの世界に必要なもの――それは調和である。戦争や対立ではなく、徹底した「調和」を実現しなければならない。
 フランスの作家ロマン・ロランはいう。
「真実の生活に根ざすただ一つの真の道徳は調和であろう。だが、人間社会は今日まで圧迫と諦めの道徳しか知らなかった」。
 この見方は正しい。二一世紀初頭の政治は悪い方向へ動いている。テロと戦争、強制と従属、エゴイズムの横行、そして諦めと受動的ニヒリズム(ニーチェ)の蔓延⋯⋯。この状況を一日も早く克服して、平和と調和と安定と希望の時代をつくり出したい。このために、私は「新老子主義」を広めるための新しい思想運動をこれから起こす。秋には私の論理を世に問うつもりである。(『森田実時代を斬る』、森田実著、日本評論社、2003、p8-9)

2023年11月4日土曜日

テロより怖いもの

 「テロより怖いもの」は、著書『堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法』の項目名です。文章も臨場感のある名文でしたので、この項目の本文全てを紹介します。
 9・1後、「銃の売り上げが右肩上がりに上昇、国会では巨額の軍事予算が、満場一致で承認」されたそうですが、ウクライナ戦争後に「世界の国々で軍事費が増額」されたのも、9・1後と同じ現象ではないでしょうか。
 9・1を思い出すたびに、記憶のフタがゆっくり開き、現れるのは、別のものなのです。
 あの日体験した地獄より、もっとずっと怖い世界。
 飛行機をハイジャックして、ナイフ一本で無慈悲に3000人を殺したテロリストよりも、さらに邪悪な者たちが存在すること。
 それを最初に目の当たりにしたのは、テロの翌日、9月12日の朝でした。
 恐怖と怒りでパニックになった人々の憎悪が、突然現れたテロリストという敵に向かって、凄まじい勢いで吹き出していたのです。
 朝起きて通りに出ると、鮮やかな赤と青が目に飛び込んできました。
 家々の門や窓にびっしりと貼られた星条旗(p18)
 少し開いた窓の隙間から、アメリカの国歌「星条旗」が流れていました。
 道行くバスや車にも星条旗がはためき、スーパーや量販店ではプラスチックの国旗が半日で完売、テレビをつけるとブッシュ大統領が拳を振り上げ、こちらに向かって力強くこう言います。
「アメリカは負けない、テロリストになど屈しない。我々は一丸となって、この戦争に必ず勝利する」
 バス停でも電車の中でも、会社の休憩室でも、人々の話題はテロとの戦争でもちきりでした。次のテロはいつ、どこに来るのだろう? 自分と家族を守るには、どんな武器を準備すべきだろう?
 この頃、多くの主婦たちが、チェーンの大型スーパーで銃を買い、州兵の訓練所に撃ち方を習いに行ったのです。
 家族の人数分だけ銃を買ったというアパートの隣人は、一人暮らしの私を心配し、熱心にこう勧めてくれました。
「ベッドサイドの引き出しに入れときなさい。テロリストが入ってきたとき、すぐ出せるようにね」(p19)
(寝るときに、頭のそばに銃ですか⋯⋯。むしろそっちのほうが、怖くて安眠できそうにありません)
 やはり、武器で自衛する国民の権利が憲法にまで書かれている国は違います。エレベーターで会うたびに、何度も念押しされました。
「一番上の引き出しに入れてね、聖書の横よ」
 無理もありません。テレビ、ラジオ、新聞では毎日のように、「正体のわからない危険なテロリスト」「国内すべての地域が次のテロのターゲットになる可能性」など、恐怖を煽る報道ばかりが流されていたのですから。
 武器というのは不思議なもので、増やせば増やすほど不安が大きくなるのです。
 恐怖が国全体を雨雲のように覆っていき、銃の売り上げが右肩上がりに上昇、国会では巨額の軍事予算が、満場一致で承認されていきました。(『堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法』、堤未果著、幻冬舎、2023年、p18~20,、強調は著者による)
 どうでしょうか。私はこの中の「武器というのは不思議なもので、増やせば増やすほど不安が大きくなる」は真実であり、名言だと思いました。やはり、さらなる戦火の拡大が危惧される今こそ、日本国憲法の真価を学び合う必要がるのではないでしょうか。
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、(この)政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ(「日本国憲法前文」より)

2023年11月3日金曜日

今こそ”民主化と地方自治”

 温暖化、省エネルギーと環境問題が取り上げられてから久しいです。にもかかわらず、軍隊が化石燃料の大量消費者である、と問題になることはありませんでした。しかし、とうとう批判が現れました。世界の軍事費が環境問題と深く関わっているだけでなく、次に紹介するように「世界で最も温室効果ガスを出しているのは各国の軍隊」だったのです。

 そう、世界で最も温室効果ガスを出しているのは各国の軍隊。ダントツの1位は、脱炭素政策の旗振り役であるアメリカの国防総省です。空軍の燃料費だけで年間30億ドルですから、推して知るべしですね。
 なぜこれがC〇Pで問題にならないのかって?
 アメリカは1997年の京都議定書でさんざんゴネて、軍事関連の炭素排出量報告義務から、ちゃっかり自分の国だけ外したからです。毎年報告しなければならないEU他46か国も、軍用機の分を一般飛行機枠に入れるなど、できるだけ少なく見せる工夫はしていますが、アメリカだけずるいという声が上がり、ついに2015年に免除を任意まで戻させました(任意なのでもちろんアメリカは出しませんがね)。
 もっと優過されているのは中国です。
 この間経済大国になり、軍事費も世界2位なのに、いまだに途上国枠なので報告義務なし、イスラエルやサウジアラビア、インドなども同様です。
 炭素を世界一排出しながらも、軍事産業はどの国にとっても機密情報扱いの分野ですから、今後も透明性はあまり期待できません。多国籍企業がよく批判される。環境保護を謳いながら実際には環境破壊に加担している「グリーンウォッシュ」の、まさにメガトン級と言えるでしょう。(『堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法』、堤未果著、幻冬舎、2023年、p272〜273)

 どうでしょうか。
 やはり、世界を席巻している軍国主義にメスを入れない限り、地球は持ち堪えられないのです。そうです。こうして書いて気がつきましたが、国防とかなんとか美名のもと、世界に覆うている暗雲は軍国主義そのものです。だからこそ、日本国憲法の出番であり、世界の民主化が求められていると言えるでしょう。世界の「扉を開くキーワードは、民主化と地方自治なのです」(上同、p275)。

2023年11月2日木曜日

超老朽化原発再稼働の狂気

  今朝の新聞を開いたら、2面にガザ難民キャンプへの空爆の記事があって、3面には<原発「40年超」運転、常態化 計6基、60年運転可能に>という記事が掲載されていました。「再来年までに運転開始40年を迎える運転中の九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)について、原子力規制委員会は1日、60年までの運転延長を認めた。」「60年までの認可は5、6基目。40年超が常態化し、今後も増えるのは確実だ」(朝日新聞、2023年11月2日)というのです。
 私は、両者の記事を眺めながら、”原発「40年超」運転、常態化”は、”ガザ難民キャンプへの空爆”と同じだと思いました。どちらも、被害を被るであろう住民のことなど考えてはいないからです。超老朽化した原発を再稼働すれば、原発事故の確率が高まることは火を見るより明らかです。にもかかわらず、再稼働を認めるということは、原発事故による被害住民のことなど考えていないとしか言いようがありません。
 空爆とて同じことです。無辜の住民のことを考慮していたら、とても空爆などできません。ただ、この場合は、即被害を被りますが、再稼働の場合は、確率の問題が絡んでいます。とは言え、被害の規模は甚大なことは福島の事故で証明済みです。一地区への空爆の比ではありません。だからこそ、ドイツでは脱原発への舵を切りました。しかし、当の福島で”原発事故終息への見通しも持てない状況”であるにもかかわらず、超老朽化した原発の再稼働を認めることは”狂気の沙汰”としか言いようがありません。

2023年11月1日水曜日

経験として成長してゆく条件

 画家にとっての「描く」という作業(仕事)について語った言葉を読んで、それらが”数学や英語の勉強にも言える”ことではないか、と思いました。たとえば数学の勉強にとっては計算が欠かせません。その計算について「計算することの中で経験として成長してゆく」「計算しながらでしか見えないものがある」と言えると思ったのです。
 英語について言えば、「英文を声に出して読む、あるいは英文を書くことの中で経験として成長してゆく」英文を声に出して読みながら、あるいは英文を書きながらでしか見えないものがある」と言えると思いました。なぜでしょうか。
 それは、記憶に関係しているような気がします。最近「暗記はあらゆる勉強の前提条件」(『自己発見の心理学』、国分康孝著、講談社、p96)だということを知ったばかりだからです。描くこと、計算すること、音読することなどは、全て記憶に定着させることでもあるため、「経験として成長してゆく」ことになると思うのです。
 人が何かのものを描くのはそのものを見るためだ。(ロビン・G・コリングウッド)見ることは描くことの中で経験として成長してゆく。・・・風景一つ描くにも、画家は現場で丹念にスケッチする。やりながらでしか見えないものがあるのだ。『藝術の原理』(山崎正和・新田博衞訳)から(「折々のことば:2897 鷲田清一」『朝日新聞』、2023年11月1日、強調は引用者)