2023年4月30日日曜日

江戸の平和 → 江戸文化

 最近、『世界』など、戦後の雑誌を読むのを楽しみにしている。『日本の歴史 31・戦後変革』によれば、戦後さまざまな雑誌が復刊・創刊されたこともわかり、どんな論文があるか、楽しみである。何が楽しいか、それは、戦後の息吹が感じられるからである。

   (『日本の歴史 31・戦後変革』、大江志乃夫著、小学館、1976年、p195


 古い美術雑誌の『美術手帖』も、県立図書館で蔵書していたので借りてみた。戦後のヨーロッパから日本を見た視点や、「みじめな敗戦によっても、少しも価値を失わなかったものに日本の美術」などがわかり、読み応えがあった。改めて、江戸文化を見直し、そうした江戸文化をもたらし江戸の平和というものを見直すことができた次第である。
 フランスの美術家が、長い戦争中も決して他からの統制等に一かつされずに、変りない各の仕事をつゞけて居た事を、私は今あらゆる戦争中の美術関係のドキュマンをしらべて愉快に感じて居るところである。
 さて、敗戦々々と、みじめさをむしろこちょう(原文は傍点)して考えて居る日本からヨーロッパに來て意外に思った事は、日本の敗戦を誰もが大して問題にして居ない事で、まして敗戦をけいべづしてる様な声や態度は、感じさせられた事がない。之は私の会う範囲の人々のデリケートさであるばかりでなく、勝敗の歴史は何百回もくりかえされて居る此処では、一向に珍しいことでもないからだ。問題にされた事といえば、如何にたたかったか(原文は傍点)という事で、人間味のかけた野蛮や、残忍行為が、大いに批審されたのである。
 ここで日本がみじめな敗戦によっても、少しも価値を失わなかったものに日本の美術がある。日本が現在の世界の動きについて敏感であり、おくれて居ないという以外に現代美術については未だ殆ど知られて居ない。ここでよく知られて居る日本美術といえば、ゴンクールの紹介した浮世絵以前の事が主で、北斎の百年祭が昨年巴里で催された事はすでに伝えたし、オランダのアムステルダムで北斎等の日本浮世絵大展覧会が開催された評判も恐らく日本では人は知るまいと思う。
 そうした日本美術に対する尊敬については、戦前以上耳にするし、フランスの美術家が日本の昔のものに目を向け、関心を寄せて居る事は想像以上に大きいといえる。之は祖先の遺業によって日本人が世界に信用を保って居る一つのよろこびであるにちがいない。世界に向って広く窓を開ける事は勿論大切であるが、日本人が日本を知る事は又最も必要なことではないかと思う。(萩須高徳著「フランス通信・希望を求めて」『美術手帖』、1950年、7月号)

2023年4月29日土曜日

元始、女性は太陽であった

 有名な言葉として、「元始、女性は太陽であった」は知っていた。だから、図書館で文庫本コーナーを覗いたら、本の方から私の目に飛び込んできたような錯覚を覚え、その場で目次を目にし、気になるところをバラパラ流し読みをして次の平塚らいてう氏の決意にも似た願いを知った。いまだに平塚らいてう氏の願いには程遠い日本だが、「日本を、世界の安全と人類幸福のための平和基地にする」を離れて平和な日本は望めないということは、普遍的な真理であることに変わりはない。
 現在は「アメリカ帝国主義」と言われることがなくなった。しかし、だからといって、アメリカが帝国主義でなくなったことでは決してない。世界に軍事基地を張り巡らせていること一つとっても、アメリカ帝国主義というべきであろう。改めて、日本国憲法の理想を掲げ、その実現に向かっていくことの重要性を痛感する。目を世界に向けると、戦争やファシズムの嵐の国が存在しているからである。
 一九五二年に講和条約が発効したのち、わたくしは日本人として、これから自分のしなればならないことを、手帳にこんなふうにしるしました。
〇現在のアメリカ帝国主義のアジア侵略と世界支配のための軍事基地となっている、日本の現在の立場を、根本的に転換させること。
〇そして日本を、世界の安全と人類幸福のための平和基地にすること。
〇そのため再軍備反対、日本の軍事基地化反対、帝国主義軍隊の完全撤退を要求してたたかうとともに、
〇朝鮮、中国、ソビエトをはじめ、全世界諸国人民との貿易と文化交流を要求し、
〇サンフランシスコ講和条約によってひきはなされた、諸国人民との国交調整、友好関係の樹立のためにたたかう――。
 安保条約の改定問題がおこるとともに、あらためてわたくしは、このノートのことばをおもいおこしたのでした。(「私は永遠に失望しない」『元始、女性は太陽であった・4』、平塚らいてう著、大月書店、1992年、p319)

2023年4月28日金曜日

共存文化の国、日本

 元々、人類は平和的だったのか、それとも好戦的だったのかは、大きな問題である。これまでの印象では、一部に陥没のある頭蓋骨が発見されていることから、好戦的だったという説も見られた。しかし、九州大学の米本史織先生の研究によれば、弥生時代の人たちは、大陸から渡ってきた人たちとも「英和的に融合し、共に文化を作った」(2023年4月26日放送「ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪 九州大学総合研究博物館」)と考えられている、だから、弥生時代の頭蓋骨は、バリエーションに富んでいる、という。
 九州大学総合研究博物館には、120年の歴史で収集された三千体の人骨標本もあり、それらを比較研究して明らかにされてようで、説得力のある話だった。そういえば、日本の神様は「萬の神」と言葉があるように、山の神を始めとして、様々な神が共存してきた。キリスト教だって、一時は弾圧された時期があったにも関わらず、今では、神道とも仏教とも共存している。日本には、交戦は似合わず、共存の文化が根付いているのかもしれない。
 九州大学総合研究博物館には、120年の歴史で収集された145万点の標本があるという。日本には多くの博物館があることを考えると、日本全体に保存されている標本の数は天文学的な数字になるかもしれない。これも、戦後七十数年にわたって戦禍に遭うことがなかったからである。このことひとつとっても、平和の尊さが実感できる。「平和の価値」という概念を大切にしていきたいものである。

2023年4月27日木曜日

平和主義は人権保障の前提

  日本国憲法の構造について関心を抱いてきた。ようやく、すっきりした、納得できた解説に出会った。それは、『高校生からわかる日本国憲法の論点』(伊藤真著、トランスビュー、2005年)にあった。憲法における重要な条文、つまり本文の柱は、「人権」と「統治機構」であり、とくに重要なのは人権規定のほうだと述べ、その人権保障の前提が、一章「天皇」と二章「戦争の放棄」だというのである。つまり、次の引用文のように、「二つの前提がそろったところで、はじめて国民の人権が保障される」のである。

 憲法の本文を見ていくことにしましょう。本文の柱は「人権」と「統治機構」であり、とくに重要なのは人権規定のほうだと述べましたが、本文ではそれが最初に置かれているわけではありません。「国民の権利及び義務」は第三章で、その前に「天皇」(第一章)と「戦争の放棄」(第二章)が置かれています。なぜ憲法制定の主目的である人権保障が、最初に出てこないのでしょうか。
 これは、明治憲法時代の反省からなされたことだと考えられます。戦前の日本では、憲法に人権規定はあったものの、あまり守られていませんでした。天皇という君主に強大な権力が与えられていたことと、軍部の暴走に歯止めをかけられなかったことがおもな理由です。そこで新しい憲法では、第一章で天皇の権力に歯止めをかけ、続く第二章で軍事力に歯止めをかけました。この二つの前提がそろったところで、はじめて国民の人権が保障される、いう意味がこめられているのです。ですから、人権規定が後ろのほうにあるのは、それを軽視したからではなく、むしろその重要性を強く意識した結果といえます。(上同、p74)

 しかし、そう簡単でないことも事実であろう。戦前の人権抑圧事例からも分かるように、人権保障が平和主義や国民主権の前提になっている側面もあるからだ。
 今、ウクライナにおける戦闘を前にして、軍事費の大幅増が現実味をおびてきている。パイが同じなら、人権に関わる経費が抑圧されるであろうことは必至である。このことからも、平和主義が人権保障の前提であることがよくわかる。憲法の三原則の相互関係が重要な所以である。

2023年4月26日水曜日

日本国憲法で文化革命

 住井すゑの言葉「二一世紀は食糧の自給ができない国から滅んでいく」に感動していたら、次々に、感動的な言葉が飛び込んできた。「日本はまさに新しい憲法で文化革命をやったはず」がそうであり、最後には、「国を守るといって、核戦争やって地球をこわしたら、国がなくなっちゃうじゃないですか」ときた。
 これからの日本の勝負どこは、「農業をどうおさえるか、農業をどう確保するかですね」と言い。続いて、
 そういう意味では世界的に結論がでていて、二一世紀は食糧の自給ができない国から滅んでいく、これは世界の常識ですよ。最後は核兵器を持ったところでもなければ、戦略防衛構想が成功することでもないんですね。食糧が自給できるというのが、その国が滅びない保障ですね。ことしから七七万町歩(ヘクタール)という減反、日本の全水田面積の三分の一を減反しようとしている。(『あすの農村』、1987年5月号、日本共産党中央委員会、p46)
 と言って、続いて、日本国憲法について、「文化革命であった」と次のように述べていたのだ。
 日本はまさに新しい憲法で文化革命をやったはずなんですよね。九条で。中国の文化大革命というけれど、あんなものは、私は文化革命じゃないと思うんです。日本の憲法九条は戦争しませんとうたったが、これが文化革命ですよね。(上同、p48)
 最後の「国を守るといって、核戦争やって地球をこわしたら、国がなくなっちゃうじゃないですか」という論理は、いつも私が感じていたことと同じである。つまり、「国を守るといっても、戦力を当てにしている限り、戦力を使ってしまった時点で、国民の命は奪われ、最悪の場合国の存続さえ危ぶまれる」ということである。島国で、ほとんど輸入に頼っているからである。

2023年4月25日火曜日

平山郁夫の浄土の世界

 孫悟空の元になった高僧の名前が「玄奘三蔵」だったことを『平山郁夫と玄奘三蔵』(平山郁夫監修、博雅堂出版、2002年)を読んで初めて知った。その玄奘に惚れ込み、「玄奘の偉業を肌でかんじようと、玄奘の足跡をたどる旅は130回いじょうにおよび、旅先で描いたスケッチブックは300冊にも」(上同)なったというから、平山郁夫もまた、すごい画家である。
 難関をものともせず、インドにわたり、お釈迦さまの教えを中国に持ち帰った玄奘三蔵の偉業を知ったからか、平山郁夫の作品の素晴らしさが伝わってくるようになった。画集の中で、次の2点が、特に心に響いてきた。夕焼けの色に心が癒され、雪山の白色に、玄奘三蔵の並々ならぬ心の強さと、浄土の澄み切った世界を感じることができた。

薬師寺 夕べ

西方浄土 須弥山

2023年4月24日月曜日

感嘆してしまった蜷川氏の最期

 革新知事として有名だった元京都府知事の蜷川虎三氏のことは知っていたが、彼の死に対する考え、「俺が死んでも通夜は要らぬ、供花も要らぬ。むくろは灰にして賀茂川にでも流してくれ」を知って、なんという潔さだろうと感嘆してしまった。最後の最期まで自分の思想を貫いたということだろう。
 一般の葬儀となると、高い戒名代に始まり、献花など、どう考えても、商業ベースに貫かれている。それに対し「蜷川氏は、そのおのぞみ通り、通夜もなく、供花もなく、憲法一冊を胸に抱いて棺におさまってゆかれ」たという。
 ここで気づいたが、それでは、住井すゑさんの最期はどうだったのだろう。と同時に、どのような準備をすれば、蜷川虎三氏のような最期を迎えることができるのだろう、という疑問が生じた。

  京都府知事在任中、「憲法をくらしの中に……」とのねがいから蜷川虎三氏は憲法の小冊子を作り広く府民に配られた。
(中略)
 ところが、去年の二月末、その蜷川氏が逝かれ、告別式は三月一日なのを私は知った。
 私は心重く、その日のテレビニュースに目を向けていた。すると、
「……俺が死んでも通夜は要らぬ、供花も要らぬ。むくろ(原文は傍点)は灰にして賀茂川にでも流してくれ……、生前そう言っておられた蜷川氏は、そのおのぞみ通り、通夜もなく、供花もなく、憲法一冊を胸に抱いて棺におさまってゆかれました……」。(住井すゑ著、「憲法と蜷川氏と減反と……」『あすの農村』 1982年5月、新日本出版社、p50)

2023年4月23日日曜日

道標としての日本国憲法

 2023年4月23日の朝日新聞コラム「加藤登紀子のひらり一言」は、「時代の変化は必ずしも進歩ではない」で、その解説は、「時代の変化についていけない、とお嘆きの皆さん、ご心配なく。激動の時代だからこそ、変化しないものが残り続けることが大事です」だった。この解説を読んだとき、「激動の時代だからこそ、変化しないで残り続ける大事なもの」として、日本国憲法があると思った。
 そういえば昔は、荒波を物ともせず航海するとき時の道標として、変化しないで光り輝く北極星が欠かせなかった。同じように日本国憲法は、船舶日本丸にとって北極星のように欠かせぬものなのだ。しかし、道標であるはずの日本国憲法を改正しようと躍起になっている人たちがいる。本当の改正なら、それもいいが、真実は改正でなく、根本的は変革、つまり、日本国憲法の破壊、骨抜きをめざしている。
 だからこそ、憲法改正とは何なのか、どのような改正(改訂)も許されるのか、を検討し、議論されるべきである。ハッキリ言って、「憲法改正の限界説」なるものの正体を、まず明らかにすべきである。これまで、「変化しないで残り続けて光り輝いている」日本国憲法を、激動の時代だからこそ、より一層輝かせたいからである。

2023年4月22日土曜日

「大衆に寄り添う」こと

 この世の思想家と言われている人たちの立ち位置がはっきりしない、そんな人が多いと感じていた。そのことをぼんやりと感じてきただけだった。適切な言葉で表現することができなかったといっても良い。でも、ようやく、姿を現してきた。探し求めてきた言葉は、「大衆に寄り添う」だったのだ。中島岳志さんが吉本隆明さんを評して「エリートによるスターリン主義を批判し、大衆に寄り添うことを是とした吉本は、親鸞の中に自己を見たに違いない」(『保守と立憲』、中島岳志著、スタンド・ブックス、2018年)と書いていたのである。
 つまり、これまで、思想家の立ち位置を測る基準というか、物差というものがはっきりしなかった。困難にあったら原点に戻って考えよ、と言われることもある。思想における原点というものがはっきりしなかったといっても良い。だから、自分の保身を第一に考える人がいても、適切な批判ができなかった。
 これからは違う。この思想は、大衆に、われわれ大衆に寄り添っているだろうか、と考えることができるようになったからだ。あとは実際に試して見るだけである。

2023年4月21日金曜日

自由と平和を愛する文化国家日本

 朝日新聞(2023年4月21日)記事「那覇軍港移設計画、浦添沖で日米合意 T字形の代替施設建設へ」を読み、日本国内にいつまで米軍基地を置こうというのか、気持ちが暗くなってしまった。「代替施設の完成には15年以上かかる」らしいが、「那覇市街地にある米軍那覇軍港の移設計画について、沖縄県の玉城デニー知事は代替施設が民間港とセットで整備されるため、『県経済の発展につながる』と容認する考えを示している」というから、計画通りに建設されるであろう。
 しかし、憲法九条を持つ日本国憲法には、決してなじまないのが軍事基地である。自衛隊基地であろうと米軍基地であろうと、関係がない。そういう意味でも、新基地建設は、ますます日本国憲法を窮地に陥れる材料になることは必至であろう。それだけに、日本国憲法の初心に帰り、当時描いた新日本建設の理想を思い起こすことが必要かもしれない。
 国会図書館の資料に
新警察手帳というのがあって、ネット環境さえあれば誰でも読める。なんとその手帳に、日本国憲法も載っていたのだ。それだけでなく、「朕は、国民と共に、全力をあげ、相携えて、この憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和を愛する文化国家を建設するやうに勤めたいと思ふ」という天皇の言葉も載っていた。「自由と平和を愛する文化国家日本の建設」を目指していたのは明らかであろう。



2023年4月20日木曜日

世界は破滅の寸前だった

 キューバ危機という言葉は知っていた、が、どのような言葉によって、世界の破壊が免れたか、は知らなかった。今回、フルシチョフの手紙のことを知り、「どちらもが確実に死に絶えるとわかっていて核戦争を始めるのは、狂人か自殺志願者のすることだ」というという現実認識の言葉と、「ふたつの異なる社会=政治制度をもつ国が平和に共存することを考えよう」という未来社会への現実的な提案の言葉が、ケネディ大統領の心に届き、世界の破壊が免れたのであろうということがわかった。
 現実を見よ、といって、軍事力を拡大し、核兵器を手放そうとしない人たちに言いたい。「どちらもが確実に死に絶えるとわかっていて核戦争を始める」ことがどういうことなのか、よく現実を見よ、と。
 フルシチョフは核戦争の恐怖について語り、少しでも可能性があるならそれを避けるのが二大国の指導者の義務ではないかと率直に語りかける手紙だった。
「私はふたつの戦争に参加してきた。いったん始まれば、戦争というものは村や町の中を猛進し、あらゆる場所に死と破壊をまき散らすまで終わらないことを知っている」と彼はケネディに語りかけた。どちらもが確実に死に絶えるとわかっていて核戦争を始めるのは、狂人か自殺志願者のすることだ。だから「ふたつの異なる社会=政治制度をもつ国が平和に共存することを考えよう」と呼びかけ、単純な交換条件――ソ連がミサイル基地を撤去するかわりに、アメリカはキューバ侵攻をしないと約束すること――を提案した。
「親愛なる大統領、私たちとあなたたちは、戦争というものの周囲に巻かれたロープの両端を引っぱりあうことをやめなければなりません。両端を強く引っぱれば引っぱるほと、結び目が固くなってほどけなくなってしまいます⋯⋯結び目を固くして核戦争を起こし世界を滅ぼすつもりがないのなら、ロープの両端を引く力をゆるめ、美しい結び目を作りましょう。私たちにはそれができると思います」とフルシチョフは手紙を締めくくった。
 アメリカ情報部が本物だと判断したその手紙の内容は、読む者に信じたいと思わせるものだった。しかしそれに続く数時間のあいだにも緊張はさらに高まっていったので、ケネディが返信を書いたのは翌日の夜だった。世界は破滅の寸前だった。(『世界を変えた100の手紙・下・ライト兄弟からタイタニック号の乗客、スノーデンまで』、コリン・ソルター著、原書房、2023年、p124)

2023年4月19日水曜日

恐ろしい共産主義への誤解

 昔から、共産党攻撃というものがあった。その根拠の出鱈目さというものを初めて知った。「日本で求めているものは暴動を引き起こすに十分な貧困と飢餓と混乱であり、暴動に引き続くものは、左翼の全体主義と奴隷国家の樹立である」というのだが、マルクスの書籍を少しでも読めば、マルクスの理論とは到底相入れない思想であることがわかるであろう。
 しかし、同じマルクスの理論を出発点にしながらも、毛沢東やスターリンのような、マルクスの理論を逸脱した思想家が現れ、専制政治を実践してしまったことも事実である。その結果、共産主義は恐ろしいという思想が生まれても不思議ではない。
 従って、なぜ、毛沢東やスターリンといった「マルクスの理論を逸脱した思想家」が現れてしまったのかを解明しなければ、共産党の汚名を挽回することはできないのかもしれない。
 かくて、次のような結論は避けられないもののようである。共産主義者が行動の基盤として、日本で求めているものは暴動を引き起こすに十分な貧困と飢餓と混乱であり、暴動に引き続くものは、左翼の全体主義と奴隷国家の樹立である。
 お手本は一国だけではなく、半ダースの国々でご高覧に供している。そして世界観と目的の相違は、アメリカとソヴェト二国の対立の尺度であり、この対立は占領軍と日本共産党によってそのまま、受けつがれているのである。(ニューヨーク・タイムズ、東京支局長リンゼイ・パロット著「共産党と占領軍の態度」『世界評論』、1949年10月、p19)

2023年4月18日火曜日

戦後の「民主主義革命」説

  新生日本の誕生当時の息吹を感じたい、そのため、当時の雑誌や新聞を読んでみたい、そう思ってきた。そして、初めて、初々しい確信の息吹を感じるような文章に出会った。八月革命説のみが今日まで伝わってきてきたが、戦後の改革を「民主主義革命」と位置付け、論じていたのに、そうした議論は埋もれてしまっていたのだ。雑誌に発表されていた「民主主義革命」説を読み、初々しい確信の息吹を感じることができたのである。たとえばこんな具合である。 

 いま我々の眼前に進行している政治的変革の過程は『民主革命』と呼ばれている。 今日までわが国の国家権力は、官僚軍閥と独占資本の抱合を中核として結成された帝国主義的勢力によって握られていた。この政治勢力は、連合軍の実力の前に崩壊し、いま急速に広範な市民階級の手にいて移転されてつつある。帝国主義政治勢力を構成していた階級から、他の階級への政権の移転が行われるという意味において、この政治上の変革は確かに政治革命と『呼ぶ』ことができる。(山川均著「日本民主革命の基本問題 天王星と新憲法」『世界評論』、1946年1月、p3)

 羽仁節子さんの「永久に野蛮な戦争行為を捨てる決心をしたことを幸福だと思う。戦争のない世界こそ人類の理想である」といった戦争放棄に関する感想も、当時の雰囲気が漂って、心打つものだった。しばらく、戦後の『世界評論』を読んでみたい。

 私たちは戦争のできない祖国を恥ぢはしない。永久に野蛮な戦争行為を捨てる決心をしたことを幸福だと思う。戦争のない世界こそ人類の理想である。一つの花が枯れてもおしいことをしたと思う人間の心に、どうして尊い人の命を投げ捨てる決心ができるのか。戦争に出て行ったまま帰って来ない多くの若い人々のことを思えば、彼らの血にかけて誓はねばならない平和である。(羽仁説子著「婦人は新憲法にかく要求す」『世界評論』、1946年5月、p3)

2023年4月17日月曜日

憲法改正限界説の正当性

 憲法改正には限界説というものがある。「日本の代表的な憲法体系書」(『岩波講座憲法・2』)『憲法』(芦部信喜著、岩波書店、2002年)によれば、「法的な限界が存するとする説が通説であり、かつ、それが妥当と解される」(p366-367)としながらも、「国際平和の原理も、改正権の範囲外にあると考えなくてはならない。もっとも、それは、戦力不保持を定める。。九条二項の改正まで理論上不可能である、ということを意味するわけではない(現在の国際情勢で軍隊の保有は直ちに平和主義の否定につながらないから)、と解するのが通説である」(p367)と、実質、限界説を否定してしまっている。
 しかし、日本国憲法の三原則の改正を認めない、しかも理路整然とした憲法改正の限界説を見つけることができた。
 憲法の改正は、憲法を廃止して新憲法を制定し、憲法の全面的変更を行うことと、固より同義でない。こうして、憲法の廃止若しくは変更と異る意味のかかる憲法の改正には、一定の限界がある。即ち、憲法の改正においては、現行憲法の成立及び存続の根底をなすその根本精神を破壊してはならない限界がある。
 かくして、日本国憲法にあっても、国民主権の原則、基本的人権の尊重、平和国家の建設などの原則を変更することは、日本国憲法第九十六条の予見する改正からは除外されねばならない。現に、日本国憲法前文は、国民主権の原理に反する一切の憲法を排除するから、現行憲法を廃止しない限り、国民主権の原理に反する憲法は存在し得ない。
 又、日本国民は日本国憲法によって恒久の平和を念願し、国際紛争解決の手段としての戦争を永久に放棄したのであり、又、国民の基本的人権は日本国憲法によって永久に侵されない権利として保障せられる。従って、現行憲法を廃止しない限り、徹底的な平和主義に反する憲法、国民の基本的人権を蹂躙する憲法は存在することを得ない。
 かくして、これらの原則は、現行憲法を存続させながら、それの改正としてこれを変更することを得ないのである。他面、これら根本原則の変更にふれない条項の改正は、常に第九十六条の改正手続を以て行なわれなければならない。かかる改正手続によらないで、これら条項の效力を停止し、又は、それと異りたる処置をとることは、改正ではなくして、非合法的な憲法の破棄である。蓋し、日本国憲法には、旧憲法第三十一条におけるが如く、憲法そのものにかかる非常処置を認めた規定を欠くからである。(『日本国憲法要論』、渡辺宗太郎著、有斐閣、1954年、p92-93、旧漢字を改めたり、改行を加え読みやすくしてある)
 この短い文章の中に、くどいほど、限界説の内容を説明している。
・憲法の改正においては、現行憲法の成立及び存続の根底をなすその根本精神を破壊してはならない限界がある。
国民主権の原則、基本的人権の尊重、平和国家の建設などの原則を変更することは、日本国憲法第九十六条の予見する改正からは除外されなければならない
・徹底的な平和主義に反する憲法、国民の基本的人権を蹂躙する憲法は存在することを得ない
これらの原則は、現行憲法を存続させながら、それの改正としてこれを変更することを得ないのである。

2023年4月16日日曜日

対等平等の日米関係を求めよう

 減反政策は知っていたが、その陰でアメリカから米を輸入していたことは知らなかった。「国内の生産者には、定米価と生産調整を押し付けながら、ばく大な赤字まで出してアメリカ米を輸入し続けるのは、もうやめさせましょう」という『赤旗日曜版』(2023年4月16日)の記事で初めて、その実態を知ったのである。「主食用アメリカ米の輸入価格は国産米の二倍超」というから驚く。
 これでは、食料自給率が低いのもうなづける。日本の米の生産高について、減反の「廃止後もコメ生産量の減少続く」(『日本経済新聞』、2022年7月2日)実態を知ると、日本政府の農政の歪みというか「出鱈目さ」が目にあまる。こういうところにも、従属構造が現れている。対等平等の日米関係抜きに、日本の将来はないといえよう。

(「『赤旗日曜版』、2023年4月16日」より)




2023年4月15日土曜日

健全な脳の発達と健康

  これまでも、大脳の健康、活性化が寿命に影響するであろうことを、芸術家に長寿者が多いことを例に書いてきた。このことと関係ありそうな話として、「人間は頭からダメになる」のではないかという考えを知った。もしそうなら、何よりも脳の健康を考えていけば、やはり長寿につながるのではないか、ということになる。その話というのが次である。

『ガリバー旅行記』の作者スウィフトは晩年、現在でいう認知症のような状態に陥った。その始まりのころ、老木を眺めていて、「梢から枯れていく」と言ったそうだ。そのような人間は頭からダメになる。哲学者のカントも同じようなことを述べているから、老いがすすむと、頭脳が日々、枯木状に干からびていくような気がするのだろうか。俗に「頭が固くなる」というのは、それとなく干からびの前兆を伝えているのかもしれない。(池内紀著「コブ老人」『一枚の絵』2012年2月、P33)

 脳の健康に関係ありそうな、もう一つの話として「南画は絵の精進と共に自己の精神の境地を澄明(ちょうめい)にしていこうとするのである」(村田喜代子著「こんな天使がおりました 水越松南の南画世界」『一枚の絵』2012年3月、P45)がある。この言葉は、頭の使い方に二種類あることを教えてくれている。
 つまり、絵をどう描くか、とか、文章の書き方、あるいは科学的思考といった外的対象に向かっていく方法で、この世の多くはこの範疇に属する。しかし、脳のより良い生理的状態を目指す、内的対象に向かう「自己の精神の境地を澄明(ちょうめい)にしていこうとする」方法論もある。だが、ひょっとすると、こちらは東洋的なもので、西洋にはなかったか、あまり発達することがなかったのではないだろうか。これは単なる感であり思いつきに過ぎない。いずれにしても、健全な脳の発達と健康には、両方の頭を上手に使うことではないだろうか。

2023年4月14日金曜日

これが独裁でなくて何でしょう

 これまで閣議決定というものに疑問を感じてきた。閣議決定されるとそれだけで物事が決まってしまうような風潮があったからだ。重要法案を十分な議論がされないで、多くの疑問を残しながら強行採決することも多かった。これら全て、独裁政権そのものではないか、という疑問を抱いてきたのだ。
 ところが、1952年の時点で、自民党政権を独裁政権そのものではないか、と次のように喝破していた論文を読んだ。国会審議の議事録を読んだ感想を、
 私の得た印象を一口に申しますと、もはやこれは討論の、相談ずくの場所ではない、ということです。予算案の審議や行政協定の質問答弁を見ますと、相談ではなくて、決定を多数の「威力」で押しつけております。まことに絶対多数党とは、このような暴力がふるえるものなのでしょうか。せめて、絶対多数党の内部で、民主的な討議が行われて、そこで決定が出されるなら、まだしもですが、この様子では、とても望みえないことです。決定はすべて、少数の最高権力者の、胸三寸にあると思わなければなりません。これが独裁でなくて何でしょう。しかもその独裁は、民主主義の名で呼ばれているのです。(「憲法と道徳」『竹内好全集 第6巻』、筑摩書房、1980年、p36)
 独裁政権にも、慣れてしまったのだろうか。それは困る。これからその実例を一つ一つ積み上げていく必要があるのかもしれない。「これが独裁でなくて何でしょう」である。

2023年4月13日木曜日

実篤が求めた理想の人間像

 武者小路実篤が目指した人間像の中に、人間の理想像を見出すことができた。それは、「人間はすべて自由人として勉強することができ」、「自分に与えられた個性を生かしぬく事」である。そのようにして「全ての人の個性が美しく咲き出し、実がみのれば、当然その結果として、美しい世界が生れる」(武者小路実篤著「敗戦と自分の望む世界」『世界』、岩波書店、1946年1月、p106)、という。
 また、こんなことも言っている。

 個性を生かすと言うのは、自己の天職を生かす意味である。自分に与えられた才能を生かすことでもある。つまりこの地上に個人がのこし得る最上の贈りものを贈って、死んでゆくことである。人生はそうつくられているものと僕は信じているのだ。(中略)それは事業でも、徳
行でも、学問でも、芸術でもついい、ともかく地上に生まれただけのことをしてゆく。(上同、p106-107)
 武者小路実篤のことを何度か取り上げたことがあった。こおたび、新たな発見があった。実篤の人間観である。こうした人間観が、彼の絵に滲み出ているから、彼の絵は、なんとも言えぬ味があるのかもしれない。

2023年4月12日水曜日

戦後民主化の実例

 戦後の改革は、「8月革命」と言われることがあるように、全面的な改革が行われた。それらをよく知ることは、戦後の革命に等しい改革を実感するためにも大切ではないだろうか。
 そこで今回は、裁判に関する改正改と、警職法改正について取り上げてみる。
 雑誌『世界』(1955年9月)に、家永三郎著「国民は裁判を批判する権利と義務をもつ 田中最高裁判所長官に対する公開質問状」なる論文が掲載された。そこに、旧憲法には請願令第十一条の「請願ヲ為スコトヲ得す」があって、そのため「裁判に対する批判には大きな制限が加えられ」(p121-122)ていたのに対し「現憲法は言論出版集会結社請願等の自由を完全に保障することにより、裁判に対する批判を制約する一切の法律的制限を撤廃」(p122)されたことを紹介し、田中最高裁判所長官に対しての批判を展開している。これこそ、戦後民主化の一つの実例であり、見本でもある。
 戦後になって、警職法も大きな改正があった。それがどんなものかを語った、生き証人の言葉を次に紹介する。この言葉も、
戦後民主化の生き生きとした証言である。
 敗戦までは、道を歩いていても交番が気になって、なるべく交番の前は通らぬように心がけ、どうしても廻り道できないときは全神経が片側に集るほど緊張して、しかし表面はさりげない風をよそおって、通りすぎた後でホッと息をつくといった状態でした。いつ呼びとめられるかわからないし、呼びとめられたら身体検査される危険があるからです。電車の中などでも会話にずいぶん気をくばったものです。いつ私服に腕をつかまれるかわからないからです。喫茶店で長時間ねばるのは危険だし、アベックで歩くのも禁物でした。その息苦しさは、思い出しても身の毛がよだちます。解放後しばらくの間は、この習性が抜けなくて、交番の前を通るときは、反射的に緊張しました。そして、ああ、もうその必要はないんだ、と気がついたとき、吸う空気のうまさは格別でした。「公共の安全と秩序」はいかにも大切でしょう。しかし、自由の味覚と引きかえにされるのはまっぴらです。(「警職法改正と戦前の警察」『竹内好全集 第6巻』、筑摩書房、1980年、p423-424)

2023年4月11日火曜日

光の画家モネの絵

 おはなし名画シリーズで、光の画家モネの絵の素晴らしさを発見し、さすがに、光の画家と言われるだけある、と思えた。抽象化概念というメガネをつけて鑑賞したからかもしれない。
 特に、「アルジャントゥイユのヨットレース」(1872年、オルセー美術館)、「セーヌ河の朝」(1897年、ひろしま美術館)などが良かった。細部の描写が見事に捨象され、その分、光の印象が強く感じられる。「セーヌ河の朝」は、朝もやに反射された弱い光が強く印象づけられる。「ルーアン大聖堂」も、抽象化概念というメガネがなかったら、その良さがわからなかったかもしれない。


2023年4月10日月曜日

文化の力で戦争の追放を!

 音楽(文化)の力で暴力を追放しようという映画を見た。『百万人の大合唱 暴力の街から<音楽都市こおりやま>へ』(須川栄三監督、東宝、2006年)である。戦争も暴力なのだから、戦争も文化の力で追放できると言えるのではないだろうか。
 戦争とまではいかなくても、思想の対立というものがあって、それゆえ、思想の共存という主張もある。そうした動きに共感を抱いてきたが、視点を変えた「暴力対文化」という対立というものも考えられる。どちらかといえば、こちらに重点を置いた方がいいのではないか。
 文化の力は、考えようによっては大きな力を持っているといえよう。音楽だけでなく、美術や文学も、多様な芸術も文化そのもので、楽しみながら、というより楽しむことが力になる。この楽しみ、喜びの力こそ、野蛮な戦争を追放できる大きな力である。

2023年4月9日日曜日

根をもって生きる

 私にとっての軸を考えたとき、反戦とヒューマニズムの精神こそが私にとっての軸ではないかと確信した。しかし、妻からの反発を受けて無力感に陥ったら、そんなものなどどうでも良くなってしまった。不思議なもので、命さえ惜しくなくなってしまった。無力感というものの何と恐ろしいことか。
 そもそも、無力感というものは、何者なのだろう。人はなぜ無力感に陥るのだろう。有名な話に、穴を掘ってはそれを埋め、その繰り返しをやっらされたとき、人は無力感に陥る、というのがある。つまり、無意味な労働をさせられたとき、人は無力感に陥る、というのである。私の場合は、夫婦で一緒にいても、共感を得られないのが一番辛い。二人で生活している意味を失い、たとえ一時的にせよ、自分が生きている意味さえ失ってしまう。その結果の無力感である。
 だがしかし、よく良く考えてみると、自分の感情をコントロール出来ない弱さ、人を許せない心の弱さが、根底にあるような気がする。ちょっとした反発を受けても、笑って受け流せるくらいの心の余裕があっても良かったのである。
 このように考えてくると、私にとっての軸も考えなおさなくてはならない。心を見つめ、トルストイの言うところの神に近づくこと。その意味と方策を思索することこそ、私にとっての軸に据える必要があるのではないだろうか。どちらにしても、もっと身軽になることを本気になって考える必要がある。そのためにも、何をあきらめるかを含めて、これらの問題を考え続けることである。そう簡単な問題ではないからである。
 以上は、だいぶ前に書いたものだ。
 今でも、夫婦喧嘩はするが、以前ように無力感に陥ったり、命さえ惜しくないような状態に陥ることがなくなった。なぜかを考えたとき、『根をもつこと』に書かれていたことを思い出した。
 人間は複数の集団に属し、生きることが多い。そのことをヴェイユは、「人間は、複数の根をもつことを欲する。自分が自然なかたちでかかわる複数の環境を介して、道徳的、知的、霊的な生の全体性なるものをうけとりたいと欲するのである」(『根をもつこと・上』、シモーヌ・ヴェイユ著、岩波文庫、p94)。なぜなら、 「異なる環境のあいだで交わされる相互の影響は、自然につむがれる人間関係への根づきと同じく、成長に欠かせない要因である」(上同)と述べている。以前よりも、しっかりと根を張ってきたのかもしれない。

2023年4月8日土曜日

戦争ができない保障構造の確立を

 大覚寺の「村雨の廊下」というものを見学し、その建築様式に工夫された平和の思想に感動してきた。大覚寺の説明によれば、
 宸殿と心経前殿を結ぶ回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光(いなびかり)にたとえ「村雨の廊下」と呼ばれる。高貴な人が通られる際の防犯の意味で、天井は刀や槍を振り上げられないように低く造られている。床は鴬(うぐいす)張りとなっている。

 確かに廊下で刀や槍を振り上げることなどできない構造になっていた。この説明を聞いたとき、「これだ!」と思った。「戦争にならない構造、ミサイルなどを打ちこめない構造」を工夫すれば、戦争をなくすことができるのではないか、と思ったのである。
 そういえば、森村誠一さんによれば、「平和は戦争がない状態だけでなく、戦争ができない保障構造が確立していること」だという。このような思想こそ、戦争にならない構造である。そして、日本国憲法第九条も、ひとつの戦争ができない法的保障構造と言ってよい。

2023年4月7日金曜日

エドガー・ドガの魅力を発見

 おはなし名画シリーズの『ルノワールとドガ』(ルノワール/ドガ画、、川滝かおり文)を読んで、初めてエドガー・ドガという画家の存在を知り、その魅力を発見することができた。その魅力というのは、画業に対する熱意、強い意志、あくなき探究心である。マティスの探究心にも感動したが、ドガの方が上手かもしれない。以下、印象的な言葉を列記してみる。
・ 昔のすぐれた絵をたくさん見て、それらをかきうつしながら熱心に絵の勉強をつづけました。
・踊り子たちの姿に、ドガは強く胸を打たれました。
「踊り子たちはたった一度の舞台に立つために、くる日もくる日も練習にはげんでいる。画家も、こうあるべきだ」
・踊り子たちの動きを注意深く観察し、それらをノートにかきとめました。ある絵の、手の部分をえがくためだけに、一冊のノートを全部使ってしまうこともありました。
・こうした人たち(町の人びと)を、何度も何度も観察して、くりかえし下描きをしました。
「同じものを十回でも100回でも書かなくてはならない」
 ドガは、画家として有名になっても、あいかわらず、こうした努力をつづけていたのです。(『ルノワールとドガ』、ルノワール/ドガ画、、川滝かおり文)
 また、ドガも抽象化された絵を描いていた。例えば、「踊り子たちのフリーズ」の場合は、「準備」という抽象的な概念が絵の対象になっている、珍しい絵ではないかと思っている。そして「ダンス教室」の場合は、右端の杖を持った老人などに見つめられている中央の踊り子が、抽象化された絵の対象になっている。

「踊り子たちのフリーズ」、1883年、クリーヴランド美術館蔵(アメリカ)

「ダンス教室」、1873〜74年、メトロポリタン美術館蔵(アメリカ)


2023年4月6日木曜日

ルノアールの絵画の魅力

 絵画における抽象化概念を用いて「マティスの「読書する女」」を鑑賞してから、ルノアールの絵画も抽象化概念を用いることによって、絵の素晴らしさがわかるようになってきた。『ムーラン・ド・ギャレットの舞踊会』の場合は、画面中央の肩に手を当てている二人の女性と女性を見つめる右端の男性以外は、その他大勢で大勢で捨象されて描かれている。つまり、男女の関係が見事に抽象化されて描かれている、と言える。
 次の『座るジョルジェット・シャルパンティエ嬢』は、もっとはっきり、背景の室内が捨象されて、ジョルジェット・シャルパンティエ嬢の可愛らしさが、見事に抽象化されて描かれている。このような抽象化がルノアールの絵画の魅力の源泉かもしれない。



2023年4月5日水曜日

マティスの「読書する女」

 おはなし名画シリーズの『マティス 絵本画集』(マティス画、森田義之監修、博雅堂出版、2000年)を読んだ。確かに色彩の魔術師と言われるだけあると実感することができた。青年になって絵に目覚め、絵に熱中し、多くの画家との交流しながら高めていったという。老年になって手術をしたが回復して最後まで絵を描き続けた。絵に対する情熱、エネルギーに溢れていたのが印象的だった。
 作品のことでは、戦争中の絵は黒が多く使われており、心理状態を色で持って見事に表現しているのがわかった。息子を戦場に送り出さざるを得なかった社会の暗さが反映していたと思われる。強いて一枚をあげるとすれば、サロンで入選し、国に買い上げられたという「読書する女」かもしれない。随所に省略があり、そのためか、読書している女性の後ろ姿が妙に色っぽいく感じられる。
 壁にかけられた何も描かれていない額縁も印象的だ。この絵を通じて、これこそ、絵画における抽象化ではないかと思った。「読書する女」以外の対象は捨象されて描かれているからだ。


2023年4月4日火曜日

政治の焦点を移す

 平和共存の重要性と必要性について、何度も書いてきた。それでも、戦争をこの世から一掃するため、永遠の平和のためのもっと有効な方法はないものか、と問い続けてきた。そして、ハクスレーの一つの思想に出会った。政治の焦点を、解決の困難な「現状の力の政策や軍備拡張競争」から、「解決可能にして、しかもずっと緊急を要する人間の欲求の問題へと注意を向けるべきだ」。「現在の力の政策と戦争の準備がナショナリズムという文脈のなかでつづくかぎり、これら世界の三分の二のひとびとの貧困は」(『ハクスレ-の集中講義』、オ-ルダス・ハクスレ-著 、人文書院、1983年、p103〜104からの要約)つづくからだ、というものである。
 このような、世界政治の焦点を移すという視点は、温暖化をはじめとする気候危機の問題など、地球規模で解決が迫られている課題が待ったなしの時点にきていることからも、ますます重要な課題になってきているといえよう。「戦争などやっている場合か!」なのであり、だからこそ、平和共存の思想も、必要になってくる。湯川秀樹博士も、紀元前五世紀頃の思想家墨子の思想について、「 平和共存以外に、存続と繁栄の道のない現代の人類にぴったり当てはまる考え方ではなかろうか」と書いている。我々には「平和共存」以外に、存続と繁栄の道はないのである。

2023年4月3日月曜日

言葉には力がある

 言葉には力があると言われる。だから、願いを紙に書くと、それが実現しやすいとも言われる。あるいは、宗教の持つ力というものも、言葉の力というものが大きく作用しているのかもしれない。
 この言葉の力というものを具体的に表現したものが次に引用した「理想や至上命令を明確に表現」した体系的シンボルというものではないだろうか。ここに、とても重要なことが書かれている。理想を実現しようと思ったら、それを明確に表現する必要があるということである。
 新たな疑問も生まれた。理想などを明確に文章で表現すれば、それが「体系的シンボル」になるのだろうか、という疑問である。これまで読んだ限りでは、分かったつもりだったのに、こうして文章化していたら、わからなくなってしまった。これは宿題にしておくことにする。
 わたしたちが体系的シンボルをもち、理想や至上命令を明確に表現できるからこそ、人間は神聖な義務でも、悪魔のような極悪非道でも、どちらでもすることができるのです。愛と理解の最高レベルを維持することもできれば、邪悪と愚劣の最低のレベルにとどまりつづけることもできるのです。しかし動物は天使にも聖人にもなれないし、狂人にも悪魔にもなれません、というのは彼らはいわば断続的にしか生きていないからです。このことは二匹のイヌの喧嘩を見ればわかります。彼らは怒りくるって喧嘩をはじめますが、とつぜん一匹がすわりこんでノミにくわれたところをかきはじめ、二匹とも喧嘩のことはすっかり忘れてしまいます。(『ハクスレ-の集中講義』、オ-ルダス・ハクスレ-著 、人文書院、1983年、p90)

2023年4月2日日曜日

善意と寛容を尊重したエラスムス

 1466年にオランダに生まれ、オランダの紙幣の肖像画にもなったエラスムスという人物のことを初めて知った。「彼は西洋のすべての作家文人の中にあって、最初の自覚せるヨーロッパ人であり、最初の戦闘的な平和の友であり、ヒューマニストの理想の、世界と精神とに友愛的なる理想の、最も雄弁なる代弁者であったということである。そしてまた、彼がわれわれの精神世界をもっと正しく理解あるものに形成せんとする戦において遂に敗北者となり終ったという、この彼の悲劇的な運命こそ、かえって密接に彼をわれわれの同志的な感情に結びつけるものであるということである」(『エラスムス』、ステファン・ツワイク著、池田薫訳、1936年)。

 ツワイクのいうとおり、エラスムスは私たちの愛する多くのものを愛した。詩と哲学、書籍と美術品、いろいろの言語と民族、そしてそれらの間に区別を設けず、もっと文明を高めるという目的のために、全人類を愛した。彼は善意と寛容を尊重した。そして、狂信を理性の敵として最も憎んだ。ところが、不幸にして、時代の進展はこのような考え方、そしてまた、このような考え方の上にたった生き方を、ほとんど不可能なものにしてしまった。『本の中の世界』、湯川秀樹著、みすず書房、2005年。p109〜110)

 「エラスムスは私たちの愛する多くのものを愛した。詩と哲学、書籍と美術品、いろいろの言語と民族、そしてそれらの間に区別を設けず、もっと文明を高めるという目的のために、全人類を愛した。彼は善意と寛容を尊重した。そして、狂信を理性の敵として最も憎んだ」。なんと素敵な表現であろうか。しかし、戦前、戦中の日本は狂信そのものであったが、いまだに世界で狂信が跋扈している。エラスムスの精神を呼び起こし、狂信に対抗すべきなのかもしれない。

2023年4月1日土曜日

思想における平和的共存

 統一地方選挙が始まった。しかし、以前のような野党共闘の機運の高まりはない。野党は「小異を捨てて大同につく」という猿でもわかるような原則を忘れてしまっているようで心許ない。そこに野党攻撃や共産党攻撃らしきものも現れているから、この辺でなんとかしなければ、アメリカにモノも言えない自民党政権を倒すことはできない。
 ではどうすればいいのか。
 一つのヒントは、「思想における平和的共存」という課題への挑戦であろう。そうした課題に取り組んだ思想家小田切秀夫・竹内好などの業績を受け継ぐことである。まずは、
「思想における平和的共存」の大まかな考えだけ、引用しておく。

 小田切秀雄氏が、平和的共存の原則を思想の分野に適用して、「思想の平和的共存(1)」ということを提案したのは、平和五原則の発表された翌年(一九五五年)のことだった。
(1)小田切氏のつぎの二著を参照。『人間の信頼について』(講談社)、『さまざまな思想の新しい関係について』(河出新書)。
 日本文化人会議第九回総会(一九五五年十二月)においてこの小田切提案をとりあげた粟田賢三氏は、その論点をつぎのように要約している。「小田切氏は、共産主義者と非共産主義的な進歩的知識人との協力はどうしたらうまくゆくかということについて、共産主義者の自己批判という形で問題を展開しています。協力がうまくゆかないのは、マルクス主義者が自己の立場以外の哲学を、すべて下らないものとしてやっつけるからである。だから、協力をしっかりしたものにするためには、知識人はおたがいの思想を、なんらかの程度で積極的に評価しなければならない。マルクス主義者も、それ以外の思想的立場から学ぶことができるはずだ―これが簡単にいえば、小田切氏の思想の平和存という考え方の内容であります。」(小松摂郎編『日本の知談人』法律文化社、九六頁)私は、「おたがいの思想をなんらかの程度で積極的に評価しなければならない。」という主張に注目したい。小田切氏は、その立脚点をはっきりとマルクス主義もしくは共産主義においているのであるが、彼の提案の根底には、マルクス主義を唯一の真理体系とみる「一元論的」価値観ないし世界観にたいする否定の精神がみとめられる。(『現代日本の思想 第11巻』、岩波書店、1957年、p220-221、強調は引用者による)