誰しも、戦争は嫌であるし、二度と戦火に苦しむような世の中にはしたくない。だからこそ、「なぜ戦争が起きてししまうのか」という素朴な、根源的な問いに向き合うことが大切だ。その答え、わかりやすい答えを見つけた。それは、コロンブスの卵かもしれないが、それは「国家間の対立」である。「主権国家の対立は、必然に戦争を引き起こす」(横田喜三郎著「世界国家の論理」『世界』、1948年7月号、p18)からである。 最近の動きと動きとして、「相手領域内で弾道ミサイル等を阻止する能力」として「敵基地攻撃能力」の保有に言及してきている。明らかに対立を煽るようなもので、戦争の危険性が一層増すことは疑いようがない事実であろう。ならば、いかにすれば国家間の対立をなくしていけるか、平和的に共存していけるかを考えていくべきである。そのためにも、現代の原子力時代に思いを馳せて、「ひとたび戦争が起きれば全世界の破滅的な破壊が起こる。人類も文明も、完全な破滅である。この事実を前にして、平和は無上命令である」(上同。p22)ことを肝に銘じるべきである。
「実際において、あくまで正義に固執し、そのために平和を破壊するようなことになれば、人類の破滅と文明の破壊をまぬがれない。そうなっては『萬事休す』である。人類が破滅し、文明が破壊されたのちにおいて、正義がなんの役にたつであろうか」(上同。p21)ここの「正義」を「抑止力」に置き換えると、まさに今の日本のことになる。
アインシュタインの、『全世界の破壞をさけようとする目的は、他のいかなる目的にも優先しなければならない」という言葉がおもい出される。この言葉を、ひじように重要なものとして、さきに私は注意しておいた。それは、平和こそ、原子力の世界において、至上の目的であり、無上の命令であつて、われわれはそれを選ばなくてはならないことを示しているからである。
いつたい、あらゆる法と政治において、その窮極にあるものは、正義と安定である。安定は秩序といつてもよい。国際關係においては、平和といつてもよい。安定といい、秩序といい、平和といい、言葉はちがつているが、実質的には同じである。いずれにしても、 これと正義とは、いかなる法と政治においても、窮極の目標とされている。学者のうちには、これらの二つを一つに統一しようとか、どちらか一方をより根本的なものと見ようとか試みたものもあつたが、けつきょくは成功しなかつた、やはり、二つをひとしく窮極の目的と見るのが正常である。(上同。p21)