2022年10月31日月曜日

もっと「明るいニュース」を

 このところ、コロナ禍ニュースに加えて、戦争のニュースと、暗いニュースが続いている。このような傾向に対し、「気が滅入る情報ばかりを延々と流すニュース番組」には、脳の神経細胞を破壊してしまうほどの威力がある、と、警告とも言える記事があった。
 「コロナ禍や戦争など気が滅入る情報ばかりを延々と流すニュース番組を見続けると、精神に大きなストレスがかかり、脳の神経細胞が破壊される」(医師で作家の米山公啓氏)
 夕方の情報番組も、同じ話の繰り返しで毎日見ると着実に脳が衰える。
「思想的に右寄りの人ばかりが出演し、ワーワーと持論をがなり立てる特定のバラエティ番組や、反対に年配のコメンテーターたちが世間への不平不満ばかりをグチグチ垂れている休日朝の番組は、最初から結論を決めつける思考パターンで脳の機能を低下させる」(精神科医の和田秀樹氏)(『おとなの週刊現代』、2022年、VOL.3、p31)
 というものだ。
 コロナ禍や戦争がなくても、もともとニュースには刺激的で暗いものが多かった。世の中、あるいは世界は広く、明るい話題も多くあるはずなのに、そうした話題は少なかったのだ。だから、もっと明るいニュースを取り上げるべきだ、と、常々思ってきた。それだけに、今回の警告とも言える記事に、「我が意を得たり」の心境だった。
 と同時に、一部で「日本人の劣化」が叫ばれている。その原因の一端にマスコミの報道がある。脳細胞に気質的な変化をきたしてきた可能性が大きい番組が放送されてきたからだ。となれば、テレビ報道姿勢の責任は大きいと言わなければならない。もっと「明るいニュース」を増やして欲しいものである

「『おとなの週刊現代』、2022年、VOL.3」より

2022年10月30日日曜日

トマホーク購入米に打診は国会軽視

  朝日新聞一面記事、「トマホーク購入、米に打診 巡航ミサイル 敵基地攻撃能力、念頭に」(2022年10月29日)を知り、国会を通り越して(議論もなしに)、政府が先走っている問題行動ではないか、と思った。

 政府が米国製巡航ミサイル「トマホーク」の購入を米政府に打診していることがわかった。敵のミサイル発射拠点などをたたく「敵基地攻撃能力」の装備として配備することが念頭にある。政府は、敵基地攻撃に転用できる国産ミサイルの長射程化を進めているが、運用開始は2026年度の見通しで、実績のあるトマホーク導入をめざす。(2022年10月29日)

 という。
 記事の中に、「トマホークは艦艇や潜水艦などから発射できる。米海軍のホームページによると、1991年の湾岸戦争における『砂漠の嵐作戦』で米軍が初めて実戦投入。以降、2千発以上を戦闘で使用した」とあった。「2千発以上を戦闘で使用した」と何気なく書かれているが、どれだけの血を流し、命を奪ってきたかと考えて胸が苦しくなってきた。
 そんなことを考えていたら、今度は、「対ミサイル、衛星50基 敵基地攻撃に利用視野 防衛省検討」(2022年10月30日)という記事が載った。

 ミサイル防衛のため、多数の小型人工衛星を一体的に運用して情報収集する「衛星コンステレーション」について、防衛省が約50基の打ち上げを検討していることがわかった。迎撃が難しい「極超音速ミサイル」の探知や追尾の研究実証に生かし、「敵基地攻撃能力」を保有した際、攻撃対象の情報収集に利用することも視野に入れる。(2022年10月30日)
 というのだ。
 ますます、国会軽視が明らかになってきている。改憲の議論よりも、防衛論議こそ、ミサイルの是非をこそ議論すべきであろうに。そうした議論もなしに、「トマホーク」の購入が、どんどん前のめりになってきているのは異常である。さらに言えば、この「異常が問題にもならない”異常”」を危惧している。 




2022年10月29日土曜日

助け合い共感する能力

 運動が、特に散歩が身体的健康にいいだけでなく、精神的な健康にもいいことは、よく言われることである。『直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足』(ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳、文藝春秋、2022年)でも、同様な結論について言及していた。
 たとえば十四章は「歩けば脳が動き出す」で、最初に「散歩好きの偉人が多い理由は、歩くとマイオカインが運ばれて脳が動き出すのだ」ということがが紹介されていた。ダーウィン、ディケンズ、ニーチェ、ジョブス⋯⋯などが散歩好きだったようで、「ダーウィンはサンドウォークを周回しながら、自然淘汰による進化という独自の理論を発展させていった」(p305)という。
 さまざまな統計を駆使し、運動ががんを抑制することを説明している。その原因は、「運動には、傷ついたDNA自力修復を助ける働きがあるようだ。一日に少なくとも二〇分間運動する被験者は、DNAのコピーミスを修復する能力がやや高かった」(p294)らしい。
 しかし、二足歩行の最大の収穫は、「助け合い共感する能力」の獲得であろう。「大怪我を負いながら生き続けたと思われる化石は多い。二足歩行は脆弱ゆえに助け合い共感する能力が生まれたのだ」(p343)。だとすれば、人類に戦争は似合わないし、助け合い平和な暮しこそ人間の本来の姿のなだ。
『2001年宇宙の旅』の棍棒を振りかざす類人猿にしろ、「大型動物の肉を食べたいという欲望こそ、人類進化の駆動力の一つだった」という、誤りであるにもかかわらずいまだにはびこっている「人類=ハンター」説にしろ、人類の過去に関してこれまで構築されてきた物語においては、人間の否定しがたい暴力的・攻撃的傾向が支配的だった。だが、進化の旅は人類にたぐいまれな共感能力をも与えた。往々にして、われわれは人間の善なる本性に目を向けることなく、(呉が発見した、頭に重傷を負っても他人の援助のおかげで生き延びられた四十体のホミニンが物語るように)対立と共感はつながっているという事実を無視してきた。
(中略)
 三百六十六万年前のラエトリの足跡を思い出してみよう。いちばん小さな個体はひどく足を引きずって歩いていたようだ。彼女の片足は進行方向から三十度近く曲がっていた。だが、一人ではなかった。助けてくれる仲間と一緒に歩いていた。(p354)

2022年10月28日金曜日

初期人類の主食は何か?

 果たして初期人類の主食は肉食だったのだろうか。なんと、この問題に取り組んだ人類学者が見つかった。『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』(中公新書、島泰三著、2003年)の目次に「初期人類の主食は何か?」という章があったのだ。
 島泰三さんの仮説は、意外だったが、骨食というものだった。「初期人類の主食についてのこれまでのあらゆる仮説は、肉食を重視するか、骨という骨髄の中の脂肪を食べると考えていた」(上同、p201) 島泰三さんは、付着肉を含んだ骨の栄養分析結果が栄養的にも優れていることをを調べ上げている。それだけでなく、牛の肋骨を食べられるか実験したというから、その研究意欲に関心してしまった。
 豚骨ラーメンがいつから食べるようになったかは知らないが、経験的に発見したのであろうか。うまさと栄養を兼ね備えられていたことが、科学的に明らかになったのではないだろうか。改めて、食べてみたいし、骨付き鶏肉の骨も捨てずに、しゃぶり尽くす方法を考えてみたいものである。
 ところで、書名にもなっている「親指はなぜ太いのか」は、骨を砕く石を持つためである。そうして片手に石を持ち、もう一方の手に骨を持って移動するには、どうしても二足歩行でなくてはならなかった。つまり、骨を主食にすることが、直立二足歩行の起原にもなったのではないかというのだ。なるほど。

2022年10月27日木曜日

為政者はいつの時代もウソをつく

 アウシュヴィッツ強制収容所には、「働けば自由になる」という標語が掲げられていたことを石井俊郎さんのコラム<「人、生き物や自然のいのちを守る」こと>(アウシュヴィッツ平和博物館ニュースレター、2022年10月1日)で初めて知った。そこに、双葉町の入口にあった標語「原子力明るい未来のエネルギー」も紹介しながら、「為政者たちは、いつの時代もわかりやすい言葉でウソをつきます」と書いてあった。
 それでは、今の為政者は、どんなウソをついているか。その最たるものが、核抑止論であり、安保条約によって日本は守られているという言葉であろう。これらの言葉は、「原子力明るい未来のエネルギー」という言葉がそうであったように、知らず知らずのうちに、真実の言葉として信じられるようになってしまうのだ。それが恐ろしい。
 写真が示しているような歴史から「為政者たちは、いつの時代もウソをつく」ということに気付いたなら、それなら、「安保条約によって日本は守られている」ということもウソではないか、ということになる。そのことに、どうして気づかないのだろうか。

「働けば自由になる」と掲げられたアウシュヴィッツ強制収容所のアーチ門

撤去前、双葉町にあった当時の看板(2013年5月撮影)

2022年10月26日水曜日

軍事産業の餌食にされてたまるか

 今日の朝日新聞に、税金の浪費の極みともいうべき驚く記事があった。「装備品、購入費超す維持費 見積もり甘く、最大5倍 防衛省」という記事と、その解説でもある「予算足りず、部品の使い回しも F35維持費、30年で4.4兆円に 防衛装備品、甘い見積もり」という見出しの記事だ。要点は以下の通り。

 米国製のグローバルホークの場合、3機の購入費は613億円である一方、維持費は20年間で、2951億円かかる見通しだ。予備部品のほか、米国企業から技術支援を受けるのに816億円かかる。
 2027年に運用開始予定のスタンド・オフ電子戦機は、4機の取得に1849億円を想定する。それに対し、30年間で予備部品だけでも5380億円かかる。まだ開発中のため、修理などの費用は未定となっており、コストはさらに増える可能性がある。
 この二つは、当初の見積もりに比べ、維持費は膨らんでいる。スタンド・オフ電子戦機は今年8月の見積もりで当初計画から約2割、グローバルホーク無人偵察機は1割弱、増えた。
 このような現実を目の当たりにすると、絶えず敵の存在が必要なわけも理解できるし、防衛という名のまやかしにも気づくというものである。戦争は経済問題だという人もいたと記憶しているが、全くその通りだ。軍事産業の餌食にされてたまるか、改めて、強く、そう思った。

(「朝日新聞デジタル、2022年10月26日」より)

 

2022年10月25日火曜日

生まれよ”人類を救う哲学”

 いつの時代も、多くの困難を抱え混迷を深めている、と言われてきたのかもしれない。「今、まさに混迷を深めている」と書こうとして、思ったことである。これから先だって、これで万々歳と思いる時代は、望めないのであって、絶えず、何らかの問題が発生しているのが社会の生きた姿なのだ。そう思うと、不思議と幾らか気持ちが楽になってきた。
 とは言え、一気に”戦争へ突入”といった事態になっては困る。自然災害なら諦めもつこうが、人災を招いてしまっては、未来社会の人々に、何とお詫びをしていいかわからない。だからこそ、問題解決の優先順位の先頭に、「戦争を未然に防ぐ」課題を持ってきたい。その課題が、難問なのだ。
 ここで、”急がば回れ”という先人の知恵を借りれば、直球勝負で防衛論議に臨むよりは、社会学や哲学といった広い概念の議論が求められていると言えよう。今、「新しい哲学が求められている」のである。どのような哲学かといえば、『人類を救う哲学』(梅原猛・稲盛和夫著、PHP研究所、2009年)である。梅原猛さんの本を読んでいると、新しい哲学の構築は日本人に課せられた使命ではないか、とさえ思えてしまう。次に引用した仏教とキリスト教の対比には説得力がある。仏教と日本国憲法を持った日本にこそ、”人類を救う哲学”が誕生するのかもしれない。
 仏教の戒律では第一に、「殺すなかれ」と説いています。その対象は「有情」、つまり人間だけでなく動物まで含みます。それらを「殺すなかれ」というわけで、だからお釈迦さんは菜食生活で、肉食をしないのです。
 一方のキリスト教では、「殺すなかれ」は十戒のうち六番目です。モーセの十戒には、一番目から五番目までは「ヤハウェの神以外を信じるな」という戒めと考えてよい。「殺すなかれ」にしても「同じ神を信じている人間を殺すなかれ」で、これは逆にいえば「他の神を信じる人間は殺してもいい」ということです。実際、そのほうが現実的で、国家同士の戦争が起きたとき、「他の国民を殺してかまわない」という論理を生み出します。(『人類を救う哲学』、p 122)

2022年10月24日月曜日

途中下車読書法の楽しみ

 最近、速読について語られることが多い。早く読める上、脳の活性化にもなるから、ということらしい。しかし、速読もよさそうだが、遅読の楽しみや効能というのもある。『本の読み方 スロー・リーディングの実践』や『遅読のすすめ 』という本もあるのだ。昔からある「精読」も範疇としては遅読である。
 遅読を勧めている著書には、「助詞、助動詞に注意する」「辞書癖をつける」といった技術が紹介されているが、私が命名した遅読というものは、そうしたニュアンスのものではなく、途中下車(本を読むのを一時やめて考える)をしながら読むので、結果的に遅読になってしまう途中下車読書法である。
 トルストイも、そうした読書をしていたのか、彼の著書『愛のあるところに神あり』(あすなろ書房)の主人公マルティン・アウジェーイチが、「途中下車読書法」を実践していた。彼は、聖書を読むとき、じっくりと考えながら読むことを実践していたのである。たとえば、
「この言葉を読んだアウジェーイチは、心に喜びがあふれました。眼鏡をはずして本の上に置くと、テーブルに頬杖をついて考えこみました」(p10)
「アウジェーイチはまた眼鏡をはずして本の上に置き、もう一度考えこみました」(p12)   
 という具合である。 
 そういえば散歩にも、わき目も振らず早足に歩く方法と、周りの草花などを見ながらゆっくりと歩く方法がある。そして、早足では見落としてしまうような美しさを発見できるのが、脇見をしたり、途中で立ち止まったりしながら歩く、ゆっくり歩きである。
 読書も同じようなもので、速読では味わうことができないような読書の感動が、「途中下車読書法」などの遅読には存在するのである。

2022年10月23日日曜日

どんなことがあっても戦争はしちゃいけない

 前に、テレビで「おしん」の再放送をやっていた。その時の感想と、お母さんがおしんに語った言葉を書き取ったメモがあった。その時の感想は、
 おしんは、「今もうだれにも逆らえない強大な権力が日本の運命を握っていることをしみじみと感じるのであった」。このように、テレビを通じて流れてきた言葉が、何故か、生々しく聞こえてきた。憲法が改悪され、ものがいえなかった時代へ、今まさに暗転されようとしているからである。
 だった。
 いまだに憲法は無事だが、逆風の嵐は一向に止む気配はない。それどころかますます強まってきている。だからこそ、おしんのお母さんの言葉に真摯に耳を傾けたいものである。
 覚えておくんだぞ。
 どんなことがあっても戦争はしちゃいけない。たとえ日本が戦争をするようなことになってもおしんだけは反対するんだ。
 たった1人の力は小さいけれど、そういう人たちが力を合わせれば国家を動かすことだってできる。
 戦争というものは相手の物たくさん壊し、人をよけい殺した方が勝ちなんだ。物を壊したり、人と人とが殺しあったり傷つけあったりすることが立派なことだと思うか。
 人を傷つけたり殺したりすることは許されないことだ。人を殺せば殺すほど手柄になるのが戦争。それでも戦争は名誉なことだと思うか。

2022年10月22日土曜日

フッサールへの興味

  フッサールという名前だけは聞いたことがある。その程度の理解だった。しかし、『歴史と哲学の対話』(西研・竹田青嗣・本郷和人著、講談社、2013年)の中でフッサールの言葉を見つけ、一気にフッサールへの興味が湧いてきた。次のような言葉である。

 僕らはたえず他者と言葉をかわし、ふるまいあいながら、この他者も自分も同じ世界を生きている、と確かめあって生きています。(中略)
 このように、ふるまいによって、さらに人間どうしの場合には言葉の交換によっても、「ほかの人と同じ世界に生きているという信憑」をたえず僕らは再生産しているわけです。この信憑を〈世界信憑〉とフッサールは呼んでいますが、この世界信憑が実証科学の一番根っこにある。(『歴史と哲学の対話』、p 22〜23)

 ここで語っているのは、実証科学の根底にある思想だが、実証科学のみならず、これから益々求められている”共生の哲学”にとっても欠かせない思想的な基盤になるのではないだろうか。
 さらに言えば、次のフッサール言葉は、「大抵の人はそんなことはなく生きてこれた」と言って、注目されないようだが、私から言わせると、今のウクライナの現実を考えると、まさにフッサールの予言通りに思えてくる。だからこそ、フッサールの言葉にもっと注目してみたいものである。
 今のところ、『厳密な学としての哲学』(エドモンド・フッサール著、岩波書店、1976年)や、『現象学と人間性の危機』(E.フッサ-ル・A.ティミエニエツカ著 、御茶の水書房、1983年)に目を通してみたい。

 フッサールは、これまでつくりあげてきた「共有された世界の信憑」が三〇秒後に全部崩れてしまう――すべての現象がバラバラになってしまう―ーということも「論理的には」考えられる、と言っていますが、幸いなことに(笑)大抵の人はそんなことはなく生きてこれたわけですね。(『歴史と哲学の対話』、p 22)

2022年10月21日金曜日

七福を一服にして飲めば大福茶

 禅僧の船外に興味を抱くようになり、「禅僧仙厓(せんがい)の『布袋画讃』」でも、気に入った彼の絵を紹介したが、今回は、「七福神図」を紹介する。
 楽しい絵も素敵だが、「七福を一服にして飲めば大福茶になる」という発想も、また素晴らしい。こうした縁起物は、いつから描かれるようになったのか、このような縁起物は日本独特のものなのか、新しい疑問が生まれてきた。
 また、縄を蛇と間違えて遊んでいる子供たちの絵「朧月夜図」を見て、縄を蛇と間違えて驚いている子供の絵もあったことを思い出した。これらの絵のように、結構似たような絵を描いているので、自分なりに分類してみるのも面白いと思った。今後の一つの楽しみになりそうである。

(「『永青文庫』、2018年、No.104、p15」より)

(「『永青文庫』、2018年、No.104、p15」より)

2022年10月20日木曜日

人間味が溢れているプラトンの『饗宴』

 本の魅力を、これほどまで見事に紹介した書評は初めてだった。「我々をある高きものへ引きつける強烈な魅力」や、「文芸復興期の人々が聖書と共にブラトンを至宝と考えたのはあまりにも当然」、そして極め付けは「人間味が溢れている」という。このような素晴らしい本なら、是非とも読んでみたいと思った。
 そして、この紹介文で、初めて「ブラトンの饗宴」という絵の存在を知ったし、この絵の雰囲気から滲み出てくる哲学のイメージを感じることができた。哲学は、一応名詞だが、「哲学する」という動詞に近いのではないか、と、そんな感想も抱くことができた。
 ブラトンのこの書(『饗宴』のこと)は我々をある高きものへ引きつける強烈な魅力をもっている。道徳と芸術と宗教と哲学との中核を端的に掴んでみせている。文芸復興期の人々が聖書と共にブラトンを至宝と考えたのはあまりにも当然である。人間を永遠に悩ませ喜ばせる憧憬とか恋愛とかいう気分が秀抜無比な把握力によって解明されている。のみならず、その場面にも、その取扱い方にも、人間味が溢れている。(「書斎漫筆」『九鬼周造随筆集』、菅野昭正編、岩波書店 、1991年、p50)

 私は力ールスルーエとベルリンとで見たフォイエルバッハの「ブラトンの饗宴」という、画因の同じな、二つの美しい絵を思い出さずにはいられない。夜は深更である。ソクラテスは燈火のかげに高選な横顔を見せて下を向きながら静かに語っている。弟子達は立ったり坐ったり寝ころんだりして聞いている。月桂冠を戴いた主は盃をって新来の客を迎えている。酔っぱらって半裸体になったアルが数人の美しい白拍子に取巻かれて戸口から入ってくる。子供が笛を吹いたり花を撒いたりしている。ソクラテスは愛と美と真と善とを語りながら酒盃を交わして夜を明かしたのである。あんな自由な気もちで何ものにも囚われず、絢爛にしかも重厚に、哲学することが今日は何故に跡を絶ったのか。たまたまそれをする者があれば何故世人は異端視するのであろうか。(同上、p50~51)
「ブラトンの饗宴」

2022年10月19日水曜日

全方位外交を目指そう

 九鬼周造の言葉「我々の心には深い憧憬と広きへの念願とがある」(「書斎漫筆」『九鬼周造随筆集』、菅野昭正編、岩波書店 、1991年、p44)を紹介しながら「深い憧憬と広きへの念願」を書いたが、同じような、ギュヨーという人の言葉「汝の生をすべての方向へ発展させよ。内包的にも外延的にも出来るだけ豊かな個体であれ」(「藍碧の岸の思い出」『九鬼周造随筆集』、菅野昭正編、岩波書店 、1991年、p21)が紹介されていた。
 また、同じようなことが「伝統と新取」という随筆で論じられていた。ひたすら伝統を重んじて、外国より新規なものを取り入れることを軽視しているような批判に応えたものであった。すなわち、伝統も大切だし、外国の優れたものを取り入れることも大切である、ということであった。どちらに偏ってもいけないということであろう。
 そういう意味でも、外交と言ってアメリカ一辺倒では片手落ちというもので、九鬼周造なら、偏りのない、あらゆる国と対等に、全方位外交を目指すのではないだろうか。それは日本国憲法の目指す道であり、言うなれば、内包的にも外延的にも出来るだけ豊かな日本への道こそ、戦争を防ぐ道である。

2022年10月18日火曜日

朝鮮人虐殺事件の実態

 関東大震災の時に、朝鮮人虐殺事件があったことは知っていたが。その実態は知らなかった。ところが、新発見された関東大震災の絵巻の中に、朝鮮人虐殺事件の実態が生々しく描かれていたことを、赤旗日曜版の報道で初めて知った。
 このような事実はあってはならないことであり、だからこそ、忘れてはならないことでもある。そこで切り抜きの一部を紹介する。





2022年10月17日月曜日

防衛装備品という最たる嘘

 物理学や数学などの発展は目覚ましいものがある。なぜか。物理学や数学などの世界では、「分からないこと」と「わかっていること」が明瞭である。そして、分からないことについては、それこそ束になって、多くの科学者が難題に取り組んできているからに違いない。
 それに対して政治の世界では、虚言が正々堂々とまかり通っている。朝日新聞(2022年09月30日)の投書に「私自身は国葬に反対の意見を持っていたが、その理由は極めて単純で、安倍元首相は国会において100回以上の虚偽答弁をしたから」というものがあったように、その度合いが強まっている感じさえ受ける。
 最たる嘘は、何と言っても、「自衛隊が所持している戦闘機や戦艦(「ミサイル艇」や「掃海母艦」など)は防衛装備品で、憲法でいうところの戦力には当たらない」というものであろう。戦闘機や戦艦が戦力に当たらないというなら、何の力なのか。
 海上自衛隊のホームページから写真を引用しておいたが、国民が知らないうちに、相当の戦力を持つようになってしまったようだ。このような装備品をたくさん抱え、戦力に当たらない、などと言い続ければ、日本語の「誠実」という言葉の重みがますます軽くなってしまうであろう。日本語をもっと大切にしてもらいたいものである。



2022年10月16日日曜日

”よりよい生活”を目指す「生活の経営」

 放送大学の面接授業で、「生活の経営」という授業を受講した。「生活の経営」などという言葉、学問のことは初めて知ったが、毎日”当たり前の生活”を送っていながら、その生活そのものを振り返って、その良しあしを検討するというようなことは、今まで思いもよらないことだった。
 しかし、生活そのものを対象にして、その対象を科学的に検討する「生活の経営」という概念と、その内容を学ぶことで、今まで気づかなかった多くの、例えば生活資源などに気づかされ、同時に、毎日の生活そのものを「よりよい生活」にしていく方法論を学ぶことができた。そして、こんな身近なところに学問の対象があったことに驚いた。
 具体的な方法の一つとして、ポストイットを使って、複数の人が「自分ができること」と「自分がしてほしいこと」を書き出して、それらをグルーピングする方法を学んだ。こうした学びの過程を通して、頭の中に隠れていた思いを引き出すことを実感することができた。この手法は、家に帰ってからも、家族や友人とやってみたい。今回限りで終わりにしては、あまりにももったいない。そう言えるだけの方法だと思える内容だった。

面接授業での実践例

他大学学生による実践例

2022年10月15日土曜日

「意志」の自由を手に入れる

 腹八分に医者いらず、と言われている。わかっていても、つい食べてしまう。そして後で後悔する。どうしてこうも意志が弱いのだろう、と。カントに言わせれば、これでは自由を手にしたことにならない。「カントの考えでは、『意志』の自由は欲望にあらがうときにこそ生まれる」 (『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』、宮台真司著、世界文化社、2008年、p 189)からだ。
 考えてみれば、意志は理性に属し、欲望は本能、つまり、旧皮質に属する。本能の方強いのは当たり前であった。つまり、何らかの理性的な対策を取らない限り、意志の方が負けてしまうのは目に見えていたのだ。
 では、どのような対策があるのだろうか。ToDoリストに基づく行動、と言った具体的な対策に習熟することではないだろうか。何度もやってみる。ちょっとした工夫をしながら試行錯誤を重ね、やってみることである。さてさてどうなることであろうか。

2022年10月14日金曜日

パワーポイントのいいところ

 これまで、文章を書くことばかり考えて、何が問題で、何を伝えたいのか、など、「考えること」 を軽視してきたのではないか。出口治明さんの、「パワーポイントのいいところ」について書かれている文章を読んで感じたことである。要約すると次のようだった。
 パワーポイントのいいところは、内容が簡潔になることです。
 書き込みすぎれば、文字が小さくなって参加者から「読めない!」と文句が出ます。なので、必然的に文字を大きくせざるを得ない。そうなれば、書ける内容が制限されます。そこで資料作成者は、「どうすれば伝えたいことを、簡潔に表現できるか」を必死に考えるようになります。 その結果、資料もよくなるのです。  
 結局、資料が多くなるのは、考えていないからであり、何がコアかが見えていないからです。あれもこれもと詰め込んで、資料が分厚くなってしまうのです。
 考え抜き、シンプルになったものは、説得力を持ちます。そして、 周りの人にも伝わりやすくなります。(『人生の教養が身につく名言集―――「図太く」「賢く」「面白く」』、出口治明著、三笠書房、電子書籍)
 パワーポイントというと、発表するときに用いるもの、という印象がある。だから、特に発表する予定もなければ、あえてパワーポイントを使うという気にはならなかった。
 しかし、考え抜き、シンプルになって、説得力を持つようになるということは、何も、他人に対して「説得力を持つ」だけではない。自分自身に対しても「説得力を持つ」ことになる。つまり、パワーポイントを活用すれば、何よりも自分自身がよりよくわかるようになり、納得するようになるということであったのだ。

2022年10月13日木曜日

深い憧憬と広きへの念願

 人間に対して、広き外に向けた宇宙と言われる世界が存在している。それに対し、内に向けた小宇宙と言われる世界も存在している。心の世界である。九鬼周造が、この二つの世界を「深い憧憬と広きへの念願」という素敵な言葉で表現してくれていた。
 我々は自分の心を深く 掘り下げて行かなければならない。 またますます広い限界を獲得していかなければならない。我々の心には深い憧憬と広きへの念願とがある。(「書斎漫筆」『九鬼周造随筆集』、菅野昭正編、岩波書店 、1991年、p43~44)
 古代より現在に至るまで、宇宙への関心は高く、多くのロマンと科学への情熱をそそられてきた。その成果も、実りあるものとして世界的な認識の広がりを見せてきている。それに対し、「深い憧憬」の対象である心の世界というものは、どうしても孤独な作業になりやすく、それだけ認識の広がりは遅々として進展が遅い。その証拠は、二十一世紀になったにもかかわらず、戦争などという野蛮な行動をして恥じない人間が存在しているからである。
 今までは、戦争の問題は社会科学の問題だと思ってきた。哲学の問題と言ってもよい。しかし、それだけでは不十分で、人間の心の研究からも迫っていく必要があるのではないか。九鬼周造の言葉を考えていて気づいたことである。
 いずれにしても、人間の欲求として「深い憧憬と広きへの念願」が存在しているという発見の意義は大きい。「深い憧憬」のため、ジャーナリングを見直したいし、「広きへの念願」のため、初めての物理や宇宙論の放送大学科目受講を考えていきたい。
 

2022年10月12日水曜日

「人間の尊厳」<「生命の尊厳」

 雑誌『暮しの手帖・2020年8-9月号』に、「生命は」という詩が掲載されていた。この詩を通じて、詩人吉野弘の存在を知った。この詩は、「生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい」と始まり、その生命は、花なら、めしべやおしべ、虫や風といった「他者から満たして」もらって初めて存在し得ることを謳う。そして最後に、
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
-―『吉野弘詩集』(岩波書店)
 この詩に貫かれているものは何だろう、と考えてみた。そして、それは「人間の尊厳」の上に位置する「生命の尊厳」である、という結論に達した。「人間の尊厳」よりも広い概念である。だから、

「人間の尊厳」<「生命の尊厳」

 の関係式が成り立つ。
 これからの社会は、「生命の尊厳」がもっと前面に出ていくようでなければならない。なぜなら、「生命の尊厳」が成立しなければ、「人間の尊厳」も成立しないからだ。この点は、生命科学者の中村桂子さんや哲学者の梅原猛さんが主張されていることでもある。
 似たような詩「岩が」を吉野弘詩集『素直な疑問符』に見つけることができた。「魚が岩を憐れんだり/岩が魚を卑しめたりしないのが/いかにも爽やかだ/流れは豊かに/むしろ 卑屈なものたちを/押し流していた」という部分に、心地よい批判精神と、この詩の真骨頂を見出すことができた。なぜなら、人間関係だけでなく、日米関係の中にも「卑屈なものたち」を見出すことができるからだ。
岩が

岩が しぶきをあげ
流れに逆らつていた。
岩の横を 川上ヘ
強靱な尾をもつた魚が 力強く
ひっそりと 泳いですぎた。
逆らうにしても
それぞれに特有な
そして精いっぱいな
仕方があるもの。
魚が岩を憐れんだり
岩が魚を卑しめたりしないのが
いかにも爽やかだ。
流れは豊かに
むしろ 卑屈なものたちを
押し流していた。

2022年10月11日火曜日

諦めていなかった核燃料サイクル

 高速増殖炉は、さまざまなトラブルを発生したりして、すでに諦めているものと思っていた。諸外国も撤退しているということで、日本も核燃料サイクルは無理だと。しかし、「日本は高速炉とサイクルに挑戦しなくてはならない」という。びっくりした。諦めてはいなかったのだ。高速増殖炉は無理でも、高速炉なら大丈夫と考えているのだろうか。
 しかし、朝日新聞で「高速炉と高速増殖炉の違い」について解説していたが、「高速増殖炉として使おうが、高速炉として使おうが、冷却材に液体ナトリウムを使う。水と爆発的に反応するため扱いが難しく、技術的な困難さは変わらない」(朝日新聞、2016年10月8日)という。それでもやらなければ、と思う根拠は何なのだろう。
 3.11の大きな教訓に「知らなかったでは済まされない」というのがあった。高速炉と高速増殖炉の実現不可能性について、知っていく必要があるのではないだろうか。

 ウランは輸入だが、高速炉を実用化し核燃料のクローズド(国内完結)サイクルができれば国産化できる。ウランの確認埋蔵量は90年分とされる。今後どれだけ使えるかは不確かな面があるので、日本は高速炉とサイクルに挑戦しなくてはならない。 原子力は年間を通じ発電ができる安定電源だ。海外では18~24カ月の連続運転が通例で、過去20年間の設備利用率は世界平均で80%を超える(日本は約24%)。海外は運転中に予備設備を点検することで定期検査期間を短縮した。日本は再稼働の遅れに加えて、このオンラインメンテナンスができていない。(山口彰氏、日本経済新聞、2022年10月10日)

(朝日新聞、2016年10月8日)


2022年10月10日月曜日

無限なる時間と空間を生きる

 永遠に輝き続けるに等しい太陽でさえ、いつかは死に絶える。ましてや人の命のはかなさは、一瞬の瞬きの如く喩えられることもあるくらいに短い。とはいえ、永遠に生きるが如く生きることもできるのが、人間の素晴らしいところである。
 そんなことができるのか、と思われるかもしれない。だが、可能だと思っている。その前提は、 無限なる時間と空間を認識し、実感できるようになることである。人間は考える葦であるといったパスカルが、思惟というものは、宇宙よりも大きいというような言葉を残している。正確な言葉は忘れてしまったが、スケールの大きさに感動したことを思い出すことができる。同じように感じた九鬼周造の言葉に出会った。

 無限な時間は青い色の波、波、波、波、波、波の重畳また重畳にほかならぬ。無限な空間は青い色の山、山、山、山、山、山の重畳また重畳であろう。新しい年の波がまたしても一つ。波の数は無限だ。いつどの波間に溺れても大差はない。場所も無限だ。骨を埋むべき青山は至るところにあろう。魂よ、何故に土くれの黒きにみずからを縛るか。魂よ殻を破れ。殻を破れ。千鳥となって魂よ竜宮の青貝を海原の遠きに求めよ。私の新春の所感は青山の琵琶を把って自他の魂に呼びかける青海波の舞曲である。(「青海波」『九鬼周造随筆集』、菅野昭正編、岩波書店 、1991年、p68)

 ここに示されている「無限なる時間と空間」は、読書を通じて、学習を通じて身につけることができる。それ以外の方法はない。物理学や宇宙論といった学問の醍醐味は、時間感覚の拡大ではないか、と勝手に思っている。思うようになったといったほうがいい。私の仮説でしかない、とも言える。この仮説を検証するためにも、じっくりと放送大学で学び続けていきたいところである。

2022年10月9日日曜日

戦争を避けようとするなら

 放送大学福島学習センター機関紙「もみじ・99号」巻頭言は、南雲勇多客員教員による「基本的人権としての学習権の行使」だった。ユネスコの「学習権宣言」というものを紹介しつつ、放送大学には欠かせない生涯学習について解説したもので、次のようにまとめている。

 生涯学習とは、生涯にわたりそうした権利(学習権)を行使し、自身の主体性を発揮してゆく試みであると思います。そして、社会が変動する中にあっても、生涯を通じ、その社会や人間のあり様に「問い」を立て、また想像・創造することを通して、「自らの歴史を作る主体」の一人として関わっていく営みであると思います。(南雲勇多著「もみじ・99号」)

 私は、「もみじ・99号」を通して、ユネスコの「学習権宣言」というものを初めて知った。それは「~第4回ユネスコ国際成人教育会議(パリ)の宣言(1985.3.29)~」のことで、「学習権を承認するか否かは、人類にとって、これまでにもまして重要な課題となっている」として、次のように述べている。

学習権とは、
 読み書きの権利であり、
 問い続け、深く考える権利であり、
 想像し、創造する権利であり、
 自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、
 あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
 個人的・集団的力量を発達させる権利である。(「ユネスコ学習権宣言」より)

この宣言の中に「わたしたちが戦争を避けようとするなら、平和に生きることを学び、 お互いに理解し合うことを学ばねばならない」というステキな言葉も見つけた。次のように続く。

 学習権は、人間の生存にと って不可欠な手段である。
 もし、世界の人々が、食糧の生産やその他の基本的人間の欲求が満たされることを望むならば、世界の人々は学習権をもたなければならない。
 もし、女性も男性も、より健康な生活を営もうとするなら、彼らは学習権をもたなけれ ばならない。
 もし、わたしたちが戦争を避けようとするなら、平和に生きることを学び、 お互いに理解し合うことを学ばねばならない。(「ユネスコ学習権宣言」より編集して紹介)

2022年10月8日土曜日

野党は本気で政権奪取を目指して

 朝日新聞デジタル(2022年10月3日)で、「野党サバイバル 小沢一郎氏に聞く いま必要な野党像」というインタビューがあった。野党が目指すべき方向性が示されていて、自民党政権に代わる政権を目指したいなら、耳を傾けるべきである。
 要点を簡潔に示すと、
1、「本気で政権を取ろう」という気概を持つ。
2、「今のような権力の乱用による腐敗・汚職の政治を根本から無くし、この国のうみを出し切ること」を新政権の大きな柱にする。
3、そのためにも、「ただ一点、国民のための政治を実現する、つまり自民党政権ではダメだ、という合意」の元に、野党が「選挙協力して政権奪取を目指す」。
 なんという明確な指摘であろうか。ここに示されているような、「互いの違いを認め、一致点で共闘する」という共闘の原則を忘れ(見ようとしないで)、「共産党が日米同盟や自衛隊の役割を正面から認めなければこれ以上の共闘は難しい」(『世界』、2022年10月号、岩波書店、p23)などといった議論は、野党共闘の本質を理解していない議論に他ならない。
・「一番問題なのは、野党幹部の誰も、本気で政権を取ろうと思っていないことだ。みんなで政権交代を目指して力を合わせることが一番大事なことだ」
・「大前提として、政権奪取を目指さない野党に存在意義はない。『自民党はダメだが、野党はもっとダメ』という批判がある。しかし、政権交代をすれば、今のような権力の乱用による腐敗・汚職の政治を根本から無くし、この国のうみを出し切ることができる。まずはそれだけで十分。私は政権を2度代えた。『三度目の正直』を絶対にやる」
・「国会運営でもなんでも、野党が力を合わせるのはいいこと。だが、政権を取るためには選挙協力が一番重要。政権を目指した協力となると、目標をはっきりとしなければダメ。政治は子どもの遊びではなく現実。選挙協力して政権奪取を目指すなら、ただ一点、国民のための政治を実現する、つまり自民党政権ではダメだ、という合意さえできれば、それでいい」(朝日新聞デジタル、2022年10月3日、「野党サバイバル 小沢一郎氏に聞く いま必要な野党像」)

2022年10月7日金曜日

出光佐三の”人間尊重の思想”

 出光佐三の中心思想である”人間尊重の思想”については、「芸術の” 美”と人間尊重」に書いたが、より詳しい内容が『人間尊重五十年』(出光佐三著、春秋社、1962年)にあった。創業五十周年記念式挨拶で述べたもので、”人間尊重の精神”を掲げ、「世界の平和、人類の幸福を打ち樹てるような大きな目標に向かって、 妥協を排し、誘惑に陥らないように、今後一意専心進まれることを希望」(『人間尊重五十年』、p 344)する、と発言している。”人間尊重の精神”を掲げていれば、世界の平和、人類の幸福といった大きな目標も、決して不可能ではない、といった自信に満ちた発言であった。
 さらに重要なのは、”人間尊重の思想”が、一企業体ではあっても、その中での実践を通して、「それが間違いでなかった」と検証しての発言であることだと思う。そういう意味でも、さらなる人間尊重の思想に関する部分を引用しておく。なお、太字強調は引用者による。
 なお、日本国憲法を体現している思想でもあるにもかかわらず、憲法に言及していないのがなぜなのか、そこは今のところわからない。
  この五十年もちょうど白い馬が隙間をぱっと通ったような、早い、あっという間の五十年でありました。しかし、しみじみと考えるならば、これは本当に苦労に苦労を重ねた五十年であって、死ななければこの苦労からのがれることはできないと思われるほどの苦労の五十年であったのであります。しかしながら、この十年の間に人間を尊重してゆく、この行き方が本当であると言ったごとく、この五十年後の今日はそれが間違いでないのみでなく、世界の物質文明が行き詰まって、精神文明いわゆる人間尊重の時代が来たということを世界に呼びかけるように、われわれがなったのであります。この五十年に、人間尊重をもって世界に呼びかけるというような羅針盤が出来たのであります。(上同、p339)

 出光にはもう一つ眼に見えない、数字でも計算のできない信念的のものがある。それが人間尊重である。その人間尊重、いわゆる形而上のものが出来上がっておって、これが日本国内、あるいは出光の会社内ということでなくして、世界に対して、「物質尊重より人間尊重へ」というような言葉となって出ておるのが非常な変化である。今、世界は時間的に非常に狭くなりましたから、思想を統一しなければならないが、その思想統一の目標をどこにおくかといえば、人間を大切にせよ、人間の世界をつくれ、というわれわれの言っておる人間尊重のところにゆくのは当然であると思う。(上同、 p341)

2022年10月6日木曜日

”当たり前の世の中”を目指そう

 広末涼子さんが、ヘーゲルの言葉「一個の人格、そして、他のであれ、ひとびとをもろもろの人格として尊敬せよ!」を受けて、”9.11アメリカ同時多発テロ事件”についての随筆を書いていた。その最後で、一人一人の人間が一個の人格として尊重される、そんな「当たり前の世の中になれば、テロや戦争はなくなるはずなのに」と結んでいた。

 人を、ひとりひとりの人格を大切にできたら、こんな悲劇は起こらないはず。(中略)
 他者の痛みや苦しみを分かち合えたり、他人の幸せを自分のこと同様に喜んだりすることができる。そんなステキなことが当たり前の世の中になれば、テロや戦争はなくなるはずなのに。(『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』広末涼子著、宝島社、2022年、p228)
 最後が「〜なのに」なので、どうしてなかなか戦争やテロがなくならないのだろう?という疑問も含まれている。読者に一緒に考えてもらいたい、という工夫の表れなのであろうと、そうした書き方に、共感が持てた。
 当たり前の世の中といえば、「暴力はいけないことだし、ましてや、人を殺してはいけない」ことは、当たり前である。にもかかわらず、国家という名の下では、暴力も殺人も許されてしまうのだ。最近のことで言えば、プーチンがどれだけ多くに命を奪ったか計り知れない。にもかかわらす、のうのうとして、テレビの前で世界に向けて顔を見せている。こような異常を異常として認識できるような世界に、早くなってもらいたいものである。

2022年10月5日水曜日

自分に命令しないものは⋯⋯

 ゲーテの言葉「自分に命令しないものは、いつになってもしもべにとどまる」が、『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』( 広末涼子著、宝島社、2022年)で紹介されていた。このゲーテの言葉を受けて広末涼子さんは、「そうだよね!そうなんだ。生活を大切に、日々無駄遣いせず、自分を甘やかすことなく、奮起させていかなければいけない」(p182)と書いている。
 このゲーテの言葉に通じる言葉が、アランの「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」であろう。自分に対する命令というものは、強い意志に他ならないからだ。だからこそ、「感情の波に呑み込まれ、悲しい涙にくれた性悪説に囚われるよりも、自分の意志を信じて、目標や夢、あるいは、解決策を探し求めるほうが絶対にいい(p 16)のである。
 それでは、自分の意志でもある「自分に対する命令」の具体的な姿形は、どのようなものなのであろうか。これこそが、いわゆる「Todo=文章化された”やること”」ではないだろうか。そう考えると、「Todo」の管理と習熟の重要性がわかってくる。わかってきたといった方が良い。これまであまり重きをおかなかったからだ。「自分に対する命令」というものを、もっと重視していきたい、と思いを新たにすることができた。

2022年10月4日火曜日

如何にすればよい政治が?

 人間尊重の精神を芸術と結びつけた出光佐三の思想に惚れ込んだことは、「芸術の” 美”と人間尊重」に書いたが、出光佐三の「事業理念の根本にあった『人間尊重』という理念は、武藤山治の『温情主義経営』と偶然にも相通じる」(『出光佐三と仙厓』、出光佐千子著、國民會館、2019年、p5)ところがある、ということで、出光佐三より一八歳上の武藤山治の存在を知った。
 早速彼の著書を探し、公開されている「通俗政治経済問答 - 国立国会図書館デジタルコレクション」の「如何にすればよい政治が行はれるか」という項目部分を読んでみた。そして、そこに現代に通じる真理が書かれていて驚いた。要点として三点にまとめると次の通り。
・帝国議会は此様に立法に参与するばかりでなくて、行政を監督する任務をも持って居る。
・政府の為す政治が国民の幸福を害するようであるならば、議会で質問するとか其他種々の権限を利用してなるべくこれを矯正するに努めることが出来る。
・議会の定めた予算に基き政府が財政を執行して居るが其結果は如何であるか、即ち決算状態がどういふ風になって居るかといふことを審査することが出来る。
 ここの部分を読んで、ここ一年の国会を振り返ってみよう。国会は、行政を監督するどころか、行政による国会軽視、あるいは無視が横行している。そのためもあって、政府のなす政治を強制するなどほとんどない。決算を審査するといったことも見られない。何よりも、行政文書を作成していなかったり、改ざんしたり、と、明治時代に掲げられたことが、いまだに実行できないで、ところによっては、はるかに後退しているところもあるのではないだろうか。残念だ。
 いずれにしても、立憲主義、民主主義の原則をもう一度しっかりと再確認し、そうした原則に則った政党政治の是正こそが、何よりも重要なことではないか、そう痛感させられた。
 法律は憲法上天皇陛下の大権に属するものゝ、外は必ず議会の協賛を経ねばならねことになって居る。(中略)議会の議決があって後、天皇陛下が御裁可を遊ばされ、御裁可に依って初めて法律が確定するのであります。
 法律が成立する為めには、御裁可を受ける前に予め議会の議決を経なければならぬのであります。これが即ち立憲国の立憲国たる所以であります。
 帝国議会は此様に立法に参与するばかりでなくて、行政を監督する任務をも持って居るのであります。例へば政府の為す政治が国民の幸福を害するようであるならば、議会で質問するとか其他種々の権限を利用してなるべくこれを矯正するに努めることが出来る。又議会の定めた予算に基き政府が財政を執行して居るが其結果は如何であるか、即ち決算状態がどういふ風になって居るかといふことを審査することが出来る。従って政府が若し予算外の支出をするようなことがあったなら、後から議会の承諾を求めねばならねのであります。(『通俗政治経済問答』、武藤山治著、実業同志会、1924、p 11〜12)

2022年10月3日月曜日

芸術の” 美”と人間尊重

 とても素敵な言葉に出会い、気分がいい。NHK放送の「日曜美術館 アートシーン」(2022年9月25日)で、禅僧仙厓の作品展「仙厓のすべて」(出光美術館)のことを知り、「禅僧仙厓(せんがい)の『布袋画讃』」を書いたばかりだが、その後、「仙厓」に関する本を探している過程で、『出光佐三と仙厓』(出光佐千子著、國民會館、2019年)に出会い。その本の中で、出光佐三の言葉として紹介された素敵な言葉に出会ったのだ。それが、
 人の美しさということは、人間というものはお互いに仲良くして、力を合わせていくということで、それが人間の尊厳であり、平和であり、美だと思います。私はそれを人間尊重といっているわけなんです。(『出光佐三と仙厓』、p 31)
 である。
 何よりも” 人の美しさ”というものを芸術の” 美”に結びつけ、そうした美しさを”平和”にも結びつけ、それらをまとめて”人間尊重”といっている。このような思想が日本人の思想として生まれたことに誇りを感じ、出光佐三の伝記にまで興味を抱いてしまった。まず、『出光佐三反骨の言魂 日本人としての誇りを貫いた男の生涯』(水木楊著、PHP研究所、2013年)を読んで見るつもりだが、いずれにしても、出光佐三の思想は日本国憲法の精神を体現しているのは間違いない。それゆえ、日本国憲法の実現するためも、文化立国を目指すべきなのかもしれない。

2022年10月2日日曜日

基地のない沖縄をめざして

 辺野古への米軍新基地建設の問題点は、数えればいくらでもある。最近は、軟弱地盤が発覚したことを理由に挙げることもある。しかし、このような理由では、軟弱地盤でなければいいのか、とか、技術的に問題がなくなればいいのか、と反論されれば、反対の前提が崩れてしまう。だから、もっと根本的な理由を上げる必要がある。
 では、根本的な理由とは何か。『基地のない沖縄をめざして現状と前途を考える』(不破哲三講演、日本共産党出版局)では、沖縄の米軍基地の問題点として、「沖縄米軍の主力である軽兵隊は、海外への”殴り込み攻撃”を主な任務、専門任務とする部隊」であること、「核爆弾を持ち込んで、沖縄を再び核先制攻撃の基地にする。その基盤が引き続き、温存されている」ことの二点を挙げ、「こういう基地の存続が、沖縄はもちろん、日本の未来、世界の平和を危うくするものである」と結論している。つまり、こうした沖縄米軍の機能強化こそ、辺野古への米軍新基地建設の最大の問題点なのである。
 なぜか?
 次の文章にあるように、沖縄米軍の機能強化は、何より更なる軍事的緊張の高まりを呼び込むからである。

 老朽化した普天間基地に替わって最新のハイテク機能を備えた基地を辺野古に建設し、空中給油すれば中国や北朝鮮に直接攻撃が可能なMV22オスプレイを配備すれば、東アジアの軍事情勢はどうなるか。中国・ロシア・北朝鮮の対抗的軍事強化を引き起こすのは目に見えている。それは新しい軍事的緊張を生み出すだけでなく、経済危機にある軍事費の負担を強いることによって、東アジア全体の経済・政治に不安要因をつくり出すことになるだろう。(『沖縄 草の声・根の意志』、目取真俊著世織書房、2001年、p186〜187)

2022年10月1日土曜日

野党共闘こそ、希望

 宇野重規といえば、進歩的な学者だと思ってきた、『民主主義のつくり方』(宇野重規著、筑摩書房、2013年)や『<私>時代のデモクラシー』(宇野重規著、岩波書店、2010年)の著書もあり、学術会議任命拒否問題で、拒否されたメンバーの一人でもあったからだ。しかし、宇野さんまでが、「左派が活力を取り戻す」前提として、「共産党が日米同盟や自衛隊の役割を正面から認め」ることを要求していて驚いた。
 その内容は次の通りだが、これでは、「互いの違いを認め、一致点で共闘する」という共闘の原則を忘れた議論である。「根源的なところ」を変えなければ、という議論は、「互いの違いを認めめない」ことだから、初めから共闘など成立しないことになってしまう。だから、このような議論は、じんわりとした思想的な野党共闘攻撃に他ならない。
 こうした野党攻撃があるにもかかわらず、国会内での共闘は健全のようで、「日本共産党の穀田恵二国対委員長と立憲民主党の安住淳国対委員長は26日、国会内で会談し、10月に召集される臨時国会で共闘を強め、統一協会問題を徹底追及し、物価高騰や新型コロナから暮らしと命を守る国会とすることを確認し」(臨時国会で共闘強化へ/共産・立民が国対委員長会談)ている。野党共闘こそ、希望である。日頃からの共闘を、引き続き強めていただきたいものである。

宇野 中北さんの『日本共産党』は、非常に重要な問題提起をしていると思いました。
共産党が、自衛隊や憲法9条の問題を含めて、日米安全保障条約について、政党間協力としてある程度妥協しているのは確かです。しかし、根源的なところではあまり変わっていない。これでは野党連合政権ができても、たちまち行き詰まります。
 中北さんは、共産党が日米同盟や自衛隊の役割を正面から認めなければこれ以上の共闘は難しいと、はっきり書いている。(『世界』、2022年10月号、岩波書店、p23)

共産・立民 両党の確認事項
 日本共産党と立憲民主党の国対委員長会談で確認した事項は次の通りです。
 確認事項
 立憲民主党と日本共産党は、憲法53条にもとづき臨時国会の早期召集を要求してきたことを踏まえ、次の臨時国会において、さらに共闘を強めていくことを確認した。
 1、臨時国会を統一協会問題追及国会とする。
 政府・自民党と統一協会との癒着の全容を解明し、反社会的集団の広告塔となり被害を拡大してきた責任を徹底追及する。
 被害者救済のために必要なすべての措置をとるとともに、被害者の救済と防止のための法整備の実現に努力する。
 統一協会と自民党改憲項目との関係についても徹底究明する。
 細田衆議院議長については議院運営委員会の場で説明を求める。
 2、国民のくらしと命を守る国会とする。
 物価高騰から国民のくらしを守り、新型コロナから国民の命を守ることは、政治に課せられた焦眉の課題である。国民のくらしと命を守る国会とするため、全力をつくす。
 3、東京オリンピックをめぐる汚職事件の全容を徹底追及し、政治の責任を明らかにする。(臨時国会で共闘強化へ/共産・立民が国対委員長会談