「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2024年11月30日土曜日
面白みを見出すまでやってみる
(注)目に見えるものは熱心に勉強すればかけるものと思う。しかしそれがなかなか思うようにかけない。思うようにかけないので、なおかきたくなる。思うようにやすやすとかけたら、努力も勉強もする必要がなく、反って面白くないと思う。なかなか思うようにかけないところに反って面白味を見出す。
無論、いくらかいてもかける望みがなかったら、それは面白いとはゆかないだろう。進歩する望みがあるので楽しみがあるわけである。(武者小路実篤著「画をかく楽しみ」『令女界』、宝文館、1946年5月、p6~7)
2024年11月29日金曜日
2024年11月28日木曜日
戦争の愚を語り続けよう
といって交渉すればいいだけです。
なにしろ日本人の人権は、アメリカのコウモリや遺跡よりも、米軍から圧倒的に低く扱われているのです(第六章)。真正面からその事実を示して堂々と交渉すれば、
「いや、それは今後も続ける」
といえる大統領も国務長官も、さすがにいないでししょう
日本人が、この歪んだ従属関係であるサンフランシスコ・システムから脱却することは、日本はもちろん世界の歴史にとっても、非常に大きなプラスをもたらすととになるのです。(『知ってはいけない 1』、矢部宏治著、講談社、2017年、p253)
2024年11月27日水曜日
身につける学び
新聞の連載小説を読んでいて、これこそ”真理的な飢え”そのもの!と感心した少年の姿に出会いました。読んでいて、少年の渇望と向学心が痛いほど伝わってきたのです。それは、次のような隼人のことです。
またも声を潤ませた信乃を瞬きをせずに見つめ、「わたしは何があろうとも、傷つきはいたしません。人を怨みもいたしません」と、隼人はひと言ひと言噛み締めるように告げた。
「学べることがどれだけわずかであろうとも、誰かからどれほど手厳しい裏切りを受けようとも、何も得られず、誰とも関わらぬことに比れば、よっぽどましです。姉上が世のお人をお嫌いになるのであれば、わたしがその分、人と交わり、学べる限りを学んでまいります。(澤田瞳子著、連載小説「春かずら」『福島民報』、2024年11月27日)
私は、隼人の心意気を知って、自らの勉強ぶりを恥じました。学びの環境に恵まれているからこそ、飽食気味になってしまっていたことに気づいたからです。もっと身につける学びというものを意識すべきであることに気づいたのです。隼人に負けるな!です。
2024年11月26日火曜日
幸福になるための確実な手段
幸福の条件
(注1)本当の幸せは何か、それは、愛されることではなく、愛する人が身近にいるということではないだろうか。同じように、庭とか家などの愛すべき対象があってもいい。庭に草が生い茂っていたり、家の中が乱雑になっているということは、考えようによっては、庭や家に対する愛情が足りないからといってよいのである。
同じことをやるにしても、やらなければならないよりも、やりたい、やりたいよりも、やってあげたい、その方が気持ちよくやれる。トルストイ名言集に「善を行うこと、ただそれだけが、幸福になるための唯一の確実な手段である」とか「われわれは、隣人への奉仕のなかにのみ幸福を発見する」という言葉がある。この真理に、ようやく気づいたのかもしれない。後は、実戦を通して、この真理を体感することである。2009年05月12日火曜日
2024年11月25日月曜日
非人間的労働の最たるもの
資本主義のなにが問題なのかについて、これまで、<「商品の”物象化”」こそが、資本論の核心部分であり、資本主義社会の、そして現代社会の問題の核心である>(「100分de名著 マルクス“資本論”」より)と思ってきました。しかし、資本主義社会における”価値増殖”という言葉にであって、”価値増殖”という運動法則の結果として、「商品の”物象化”」をもたらすのではないか、と思うようになりました。
それだけではありません。”価値増殖”というものは、本来なら「創造性や自己実現の契機」となるはずの労働が、労働の疎外といういう概念を通してとなってしまうのです。ひょっとすると、”価値増殖”がもたらす「非人間的労働の最たるもの」こそ、兵士なのかも知れません。だとしたら、資本論の解明抜きに戦争問題の解明はできないことになってしまいます。
労働の疎外について考える際は、マルクスの『ゴータ綱領批判 (岩波文庫) 』が欠かせません。そこに「労働そのものが第一の生命欲求」になると書かれているらしいからです。魅力的な言葉です。資本論については、まずはマルクスやエンゲルスのよる『資本論』紹介論文を読むことから始めてみたいです。斎藤幸平による資本論解説も参照したいです。果たして私の仮説は、どうなっているのでしょうか?
2024年11月24日日曜日
日常の幸せの第一歩
(注1)人間を豊かに
人生の目的は何だろう。良く言われることに、夢(目標)を持ち、その夢に向かって、その実現を目指すことがある。宝地図を作る、手帳を使う、マインドマップを使う、など、ちまたに氾濫している成功法則なるものは、その形こそ違うにせよ、夢の実現を目指すことに関しては、皆同じである。しかし、これだけでは片手落ちであることに気づいた。いずれの場合も、人間を磨くという観点が抜けているのである。
もしかしたら、人間を磨き、心を豊かにすること、このことは、夢を実現すること以前の問題で、人生の大目的ではないだろうか。つまり、夢の実現などは、人間を豊かにする手段でしかないのではないだろうか。そんな気がしてきた。戦争はなぜなくならないか、この問題も、一人一人の心の問題に行き着くような気がする。自殺者が減らない、社会不安をかかえている人が多い、病気も減らない、こうした社会問題も、心豊かな人が増えることで解決するに違いない。
それでは、どうすればいいのか。先ずは良書を読むことである。「若さを失わないためにも、また、自己というものをどこまでも伸ばしていくためにも、自己の人生というものを豊かにする、深くするためにも、これは最も必要なことで、絶えず読書をする」(『運命を創る』、安岡正篤著、プレジデント社、p197~8)のである。
また、身の回りの掃除をする、整理整頓をするのも大切ではないだろうか。確か、「掃除力」という言葉を作って、掃除の持つ力の大きさを説いた本もあった。確かに、掃除をすると気持ちが良くなる。夢や理想を持って、その実現を目指すことも大切である。人間は、絶えず進歩する動物だからである。2009年06月12日金曜日
(注2)何事も人生修行
吉川英治の『宮本武蔵』を再読している。そして、宮本武蔵の「人間を磨くという志」に魅かれていたことを再認識できた。しおりが挟まれていたメージの次のような言葉が教えてくれた。
「生まれ出たこの世において、どこまで自分というものを磨き上げられるか、それを完成してみないうちには、この生命をむざと落としてしまいたくないのである」(p101)。
<孤剣!
たのむはただこの一腰。
武蔵は手をやった。
「これに生きよう! これを魂と見て、常に磨き、どこまで人間として高めうるかやってみよう。 沢庵は禅で行っている。自分は剣を道とし、彼の上にまで超えねばならぬ」
と、そう思った。>(p110)。
今の自分には、武蔵にとっての剣に相当するものはない。しかし、「人生においてはすべてが師なり」というような言葉があるように、民生の仕事も、町内会長の仕事も、日々の読書も、武蔵にとっての剣にすることができる。そう思っただけで身が引き締まる。何事も人生修行だ。これからは、人間を磨くことを目標に生きていこう。2011年05月24日
久しぶりに、家を出るときに部屋を整理して見た。こたつの上もきちんと整理されて、畳の上には余計なものが置かれていない。そんな部屋から出るとき、それだけで気持ちが良かった。何度か、そんな状態を維持しようとしながら、いつの間にか、こたつの上も、畳の上も、乱雑になってしまっていたのである。そう言えば、流し台も、最近乱雑になってきた。玄関と一緒に、ここもきちんとしようとしていたはずなのに。
今日帰ったら、流しもちゃんと掃除をしよう。玄関の掃除もしよう。身の回りを掃除することで、心の掃除もできるという。このことを思い出しながら、流し台も、玄関も、きれいに掃除をしよう。今まで、出かけるときだけ、きちんと見直そうとしたが、寝る前にも見直して、身の回りをきれいにしてから寝るようにしよう。
どこに幸せがあるのか。旅行や、何かの行事といった非日常にあるのか、それとも、ささやかな日常にあるのか、そのどちらかである。子供たちにとっては、運動会とか、修学旅行といった非日常が楽しみである。大人だって同じである。それはそれでいい。しかし、日常に幸せがなかったら、つまらない人生かも知れない。人生のほとんどが日常だからである。身の回りをきれいにし、気持ちの良い状態に維持して行くことは、日常の幸せの第一歩かも知れない。(2017年6月11日)
2024年11月23日土曜日
日本の選択すべき道
この世界の現実をふまえて、日本が選択すべき道は、軍事力増強、軍事分担拡大による、米ソの世界管理体制のアメリカ部分の一部を補強するようなものであってはならないのである。
日本のとるべき道は、憲法の理念にたった独自の立場を強め、回復し、豊かな経済力と高級技術をバックに、世界中と、なかんずく第三世界と「共栄共苦、平等互恵」の立場にたって、経済・技術援助と交流、学術・文化援助と交流を強めることであり、核軍縮への努力の先頭にたつとともに、世界の全民族が政治的、経済的にも対等視される新国際秩序の建設であるべきである。
これこそが自由と民主主義の世界づくりへの道であり、このような日本は、米ソにも独自の大きな影響力を発揮しうるのである。
さらに日本が、非同盟・中立への道を選択するならば、"日本から世界はかわる"といっても過言ではないほど、世界の流れは大きく転換するだろう。(『自衛隊 : その実態と軍事大国化とは 増補版 』、林茂夫・松尾高志著、東研出版、1987年、p202~203
2024年11月22日金曜日
勉強とは何か
このような考えに対し、「私たちは、研究室や学校や机の前での勉強ももちろん大切なものであることを忘れてはなりませんが、同時にそれ以外のあらゆる場所での勉強心というものをもっと強めなければならないと言うことを私は考えるのです。道を歩いていても、人にあっても娯楽にふけっているとこでも人生に対して、ほんとうにつよい関心を、たえず胸に燃やしているならば、私たちは自然に心に動いてくる興味に刺激されて、あらゆるものの中から自分の問題を発見することができます。そしてその発見した問題に対して、決して無精せず、ほんとうに忠実である、それが勉強ということであります」(古谷綱武著「勉強の魅力」『令女界』、1946年、宝文館、p16)。その一つの例として、文字を書いていて、ちょっとあやふやな言葉に出会ったら、不精して、よく調べもしないでごまかしてしまうこと取り上げて、「たとえいかに小さなことであっても、自分のめぐりあった疑問を、決してそまつに扱わないこと」が大切で、「心にわいた疑問と問題とに、常に忠実であること、それが勉強のこころです」(上同、p17)と結んでいました。
そういえば、博物館にあった「白亜紀の巨大アンモナイト」は何度か目にしていたのに、今回に限って、”白亜紀”って地球の歴史のどの辺のこと? 巨大な恐竜の生きた時代も、”白亜紀”だったの?といった疑問だ生じました。早速調べて、巨大アンモナイトと恐竜が同時代に生きていたことがわかりました。巨大アンモナイトが生きていた白亜紀は、中生代最後の紀で、今から約一億四三〇〇万年前から約六五〇〇万年前までのおよそ七八〇〇万年間のことでした。それに対して恐竜は、約二億年前から約六六〇〇万年前まで繁栄したそうです。白亜紀の末期には世界的に海退があり,動物界は激変した」そうです。この辺に恐竜を絶滅させるほどの激変があったのでしょう。これが”勉強”なのか、と実感した次第です。
2024年11月21日木曜日
安保は諸悪の根源
同じ情報に繰り返し接していると、それがだんだんと真実に思えてくる「真理の錯誤効果」と呼ばれる脳の働きがあるそうです(注)。ですから、日本には日米安全保障条約がなくてはならないもの、と繰り返し報道されてきた結果、そういうものと、思わされてきてしまったわけです。「情報が実際はウソであっても関係ない。頭の中で無意識に進む、やっかいな現象」(注)だということが気になります。
私は常々「安保は諸悪の根源」と思ってきました。どうすれば、このことが分かってもらえるか、それがわかりません。今のところ、機会あるごとに、真の独立の必要性を語っていくだけです。
(注)同じ情報に繰り返し接していると、それがだんだんと真実に思えてくる。「真理の錯誤効果」と呼ばれる脳の働きだ。人間が抱えているさまざまな認知バイアス(偏り)の一つで、情報が実際はウソであっても関係ない。頭の中で無意識に進む、やっかいな現象である。(「春秋」『日本経済新聞』、2024年11月21日)
2024年11月20日水曜日
心をこめて筆を運ぶ
雑誌『プレジデント』連載「齋藤孝の人生がうまくいく『古典の名言』」(2024年3月15日)の中で、杉本鉞子の言葉「一点、一劃にも心を落ち着けて正確に筆をはこば負ければなりません。このように心をこめて筆を運ぶことを通して、私共、子供は心を制御することを学ぶのでございます」(『武士の娘』より)を紹介しています。この言葉を受けて、「心の乱れや不注意は、すぐ筆先に現れるので、丁寧に文字を書く練習を積むことが、おのずと心を安定させる練習になるわけです」(『プレジデント』、p87)と解説されていました。
ここまで書きながら、音読でも、丁寧に音読する練習を重ねていけば、習字と同じような心を安定させる練習になるかも知れない。ピアノの練習だって、心を安定させる練習になるかも知れない。そう思いました。とりあえず、音読はすぐできるので、今日から始めてみたいと思います。
2024年11月19日火曜日
気づきの喜び
(注)「岡先生が数学的思索にふけっていると」(「磯田道史の この人、その言葉」、朝日新聞、2009年10月10日土曜日)という言葉が、なぜか心に残った。哲学者が思索にふけるというイメージはすぐに抱けるように、思索は哲学者の専売特許と思っていた。だから、思索が哲学者の専売特許でないことが分かって、新鮮さを感じたのも事実である。そう言えば、発明の過程でいろいろと思索を巡らすということもある。
思索にふけるとか、思索を巡らすという状態は、一種の禅の境地に似ている。だから、学問の世界に魅力を感じ、思索にふける自分の姿をイメージしてしまうのかも知れない。
「なぜ人間が数学上の発見ができるのか。それを岡(潔)は考えた」。そして、「<発見の鋭い喜び>に導かれて、学問的な発見はなされることに気づいた(「磯田道史の この人、その言葉」、朝日新聞、2009年10月10日土曜日)」ともいう。しかし、そう易々と学問的な発見が続くことはない。ではどうする?
日ごろの小さな気づきの喜びを拾い上げるようにすれば良い。本を読んでいるとき、あるいはテレビを見ているときなど、小さな思いつき(気づき)がある。これらをメモという形で拾い上げれば、そこには「気づきの喜び」というものがある。そうした喜びが積み重なって初めて、学問的な発見の喜びにつながるのではないだろうか。学問を目指すものにとってメモは書かせないということである。2009年10月10日土曜日
2024年11月18日月曜日
自分の外に精神の独立を!
ここの「研究や瞑想が、ある意味で、われわれの精神をわれわれの外に引き出し、肉体と離して働かせる」というところの「われわれの外に引き出された精神」のことがずっと気になっていました。なぜなのかを考えてみました。この精神がしっかりと自分から独立して存在し始めると、不眠といったこともなくるんじゃないか、そんなことが頭の中に渦巻いていて、気になっていたようです。つまり、不眠で不安にとらわれるようでは、まだまだ勉強が足りない、ということのようです。
2024年11月17日日曜日
人は言葉を求め言葉に救われる
さらに驚いたことがある。1981年頃に、書く、まとめるものの筆頭に、私のバイブル「私のアンソロジー」というのがあったのである。この当時から言葉の重要性は分かっていたのである。だから、『死と愛』の書評に心が動いたのである。その上、学習日誌や買った本まで書いてあった。どうして続けてこなかったのだろう。多分移り気身の性かも知れない。移り気身で継続性がなかった。これが俺の弱点なのか。
今こそ、念願の「私のアンソロジー」をまとめ、学習日誌も再び付けるときである。ここで、螺旋状の発展という言葉を思い出した。また振り出しに戻ったように思えるけれど、成長しながら1981年頃の課題に戻ったのである。回り道をしただけで、その回り道も必要な勉強だったのである。だから、何も悔やむことはない。そう考えると、弱点に思えた「移り気もまたよし」という心境になってきた。個人史に学び、胸を張って前に進もう。2009年08月28日金曜日
2024年11月16日土曜日
健康的な生活の基本
いつも気になっていたのだが、低カロリーを実践して調子いい人たちは、元々肥満気味で蓄積された脂肪とか老廃物などがあった人たちではないか、つまり、ダイエットなどでカロリー制限をして、そのままそうした低カロリーの生活が定着している人だから、低カロリー食があっているのではないか、と思っていたのである。
ここで、「果たして、人間などの動物で、省エネ体質なるものが存在するのだろうか」という、一つの疑問が残る。省エネ体質では、その実、何らかの無理を体に強いていないだろうか、という疑問である。脳とか、心臓など、最も必要としているところにのみエネルギーが集中して、その他の部分は、どうしてもエネルギー不足になりがちになってしまうと考えられるのである。
しかし、一生のうちで、心臓の細胞などの働ける時間が決まっていると仮定すれば、省エネ体質で十分な機能を維持できれば、働ける時間が長くなる。それだけ延命効果があることになる。どちらが真実なのかは分からない。ただ、何かに熱中して体のことを忘れているときは、自律神経がうまく働き、体の働きを最適な状態に調整してくれる。食べる量さえも調整してくれるのではないか、そんなきがする。だから、最低限のことさえ押さえておけば、体はうまくやってくれる。毎日、食事時間を忘れるくらいに一生懸命にやれることがある生活が、最も健康的な生活といえるゆえんである。(2009年08月21日金曜日)
また、どれだけ能動的に生きられるかが、健康問題では大きな要素になっている。西式健康法では、四大原則というのがあって、皮膚と栄養、そして足の3つを精神が頂点から支配している構造である。つまり、精神的健康を維持増大させることを最も重視していることになる。
その精神的健康に欠かせないのが前頭葉の働きでもある能動的な、冒険的な生き方である。年々平均寿命が伸びている、しかも、日本だけでなく多くの先進国と言われる国で伸びているのは、初めは経済的な豊かさが関係していると思っていた。しかし、「能動的な人が増えてきているのが大きな要因ではないか」と思うようになった。
能動的に生きるためには、計画性やセルフマネジメントなどが必要になる。物事をやり遂げる意志力も重要である。これらは全て、経済の成長にも欠かせないことでもあるのだ。能動的に生きていれば、何を食べてもいいというわけではない。能動的に生きることを重視して、程よい栄養の摂取と、程よい運動をしていれば(最低限のことさえ押さえておけば)、前にも書いたように、体はうまくやってくれるので、毎日、能動的に、食事時間を忘れるくらい一生懸命にやれることがある生活が、最も健康的な生活といえるのである。2012年07月22日
2024年11月15日金曜日
教育立国を目指そう
私は、教育を国策の目玉にすべきだと思うようになりました。北海道旭山動物園元園長小菅正夫さんの言葉「子育てを楽しいと思えない種族は絶滅します」(内田美智子著「食卓で育む生きるの力」『心揺るがす講演を読む』、水谷もりひと監修、ごま書房新社、p201)を知ったからです。教育は子育てそのものですから、「教育を大切にしない国は滅びる」ことになります。このことは、学徒動員までして国を滅ぼしてしまった日本の現代史が証明しています。
だらこそ、日本国憲法の理想を旗印に教育立国を目指すべきです。
2024年11月14日木曜日
がんばらないということ
「がんばらないということ」 宇宙塵
がんばらないは、楽しい。
がんばらないは、愉快だ。
がんばらないは、自分の時を刻むこと。
がんばらないは、幸せだ。
がんばらないは、身体に良い。
がんばらないは、心にも良い。
がんばらないは、自分を知ること。
がんばらないは、元気だ。
がんばらないは、争わない。
がんばらないは、自然に優しい。
がんばらないは、人を傷つけない。
がんばらないは、ほんとうの「平和」。
がんばらないは、地球を愛し続けること。
がんばらないは、宇宙。
がんばらないは、私だ。(『「ゆっくり」でいいんだよ』、辻,信一、筑摩書房、2006年、p166〜167)
2024年11月13日水曜日
法秩序全体の腐食・危機の日本
日本の最大の問題として日本国憲法の上位に存在する「日米地位協定」という法体系があること、その法体系から決別しない限り、日本の真の独立はありえないことを「米国属国路線からの決別を」に書きました。日本国憲法の上位に存在する法体系「日米地位協定」があるからこそ、戦後半世紀以上にわたって米軍基地が存在し続けていられるのです。その関係で、「明らかに憲法で軍事力を否定しているのに軍隊を事実上持っているというような憲法違反状態を長年続けて、それが当たり前になってしまっている」(注)のです。
こうした現状を国際法学者の大沼保昭は、「法秩序全体の腐食であり、危機であるし、社会の歪みにもつながっていく」(注)と言っています。首都圏に強大な米軍基地が存在していることや「法秩序全体の腐食」に対して、鈍感というか、麻痺してしまっていること、それが、やはり問題の核心です。そういう意味でも、大沼さんや白井さんのような学者の存在はありがたいです。
実際、ここ数年特に、違感という言葉がものすごく軽くなったような気がします。当然のことですが違憲は重大なことであり、違憲立法は許されないことです。(白井聡著『憂国論 戦後日本の欺瞞を撃つ』、鈴木邦男・白井聡著、祥伝社2017年、p188)
2024年11月12日火曜日
米国属国路線からの決別を
いったい、どこの国に、首都圏まっただ中に外国軍隊のため二カ所もの大航空(東京都・田空軍飛行場、神奈川県・厚木海軍飛行場)を提供し、くわえて空母艦隊の母港となる海軍基地(神奈川県・横須賀港)まで与えている国があるだろうか?
地上の航空基地や港湾施設にとどまらない。横田飛行場の滑走路上空に広がる見えない軍事領域は、「横田空域」だけでも関東〜信越〜東海の一都八県にまたがり、羽田と成田に通じる民間空路を狭めて、乗客に時間の不経済とニアミスの危険を日常的にしいているのである。
また、世界中いったいどこに、一三五施設もの駐留外国軍基地に「日米地位協定」にもとづく「全土基地化容認」と「自由使用権付与」、すなわら事実上の治外法権を認め、それらの無償提供のうえに、施設整備費から人件費・光熱水費にいたる経費すべてを、”思いやり予算”などと称し負担している愚かな政府を見いだせるだろうか? 駐留米軍への"思いやり負担分"だけで、〇七年度は二〇一七億円に達する。
さらに、沖縄本局の二割の面積にもおよぶ広大な土地を六〇年以上にもわたって米軍用地に差し出し、あまつさえ「辺野古の海」を埋め立てて新たなヘリ基地建設計画を準備しつつ、なお県民に「基地との共存」継続を強要する――かくも無慈悲な政府がどこにあるだろうか?(前田哲男著「米国属国路線からの決別を —— 米軍と一体化する自衛隊」『日本はどうなる 2008』、『週刊金曜日』編集部編、金曜日、2007年、p212〜213)
2024年11月11日月曜日
死の準備と練習をする
そこで、モンテーニュが言いたいことはどんなことだろうと、読み直して、なるほどと、その内容に感心してしまいました。ポジティブ心理学も包含されて見事にまとめられていたからです。それは次の通りです。
「キケロは、哲学をきわめるとは死の準備をすることにほかならない、と言った。これはつまり、研究や瞑想が、ある意味で、われわれの精神をわれわれの外に引き出し、肉体と離して働かせるからで、いわば、死の練習、模倣のようなものだからである。あるいは、世のあらゆる知恵と理論が、結局は、われわれに死を少しも恐れないように教えるという一点に帰着するから」(注2)です。
続いて、「また、その努力は聖書にもあるように、結局、われわれをよく、しかも楽しく、暮らさせることを目指しているにちがいない。世のあらゆる意見は、たとえ方法はまちまちでも、快楽こそわれの目的であるという、この一点に帰着する。そうでなければ、そんな意見などははじめから追い払われるであろう。実際、われわれの苦労や不幸を目的とする人の言説などを誰が聞くだろうか」(注2)とまで言っています。
(注1)島井哲志著「いくつになっても死ぬのが怖い。どうしたらいいか」『プレジデント』、2018年3月5日、p105
(注2)『世界古典文学全集 第37巻 (モンテーニュ1)』、筑摩書房、1984年、p55
2024年11月10日日曜日
思索体系が与える喜び
「哲学的思索の成果としての体系が与える喜び、世界のあり方に思索をめぐらせ、完璧な均衡を得た思想へ組織された知的体系が与える満足、それは、つねにすぐれて美的な種類の喜びである。これは素材に秩序を与え、人生の多様な乱れをふるいにかけて、明確な、普遍的な眺めを与える力をもった芸術から得られるところの満足、これらの高い、つねに楽しい満足は、同一の源泉から流れて出る。
真と美とは、つねに関わり合わなくてはならぬ。真と美とが、各自他からの支持を受けず孤立しているならば、かかるものの価値は、動揺的なものに過ぎない。真を味方とせず、真にかかわりをもたず、真のうちに、真をとおして生きていないような美とは空しい妄念の怪物であろう」。
(注)形而上学の体系が与える喜び、世界が、緊密に推理され、完璧な均衡を得た思想へ組織された知的体系が与える満足、それは、つねにすぐれて美的な種類の喜びである。これは素材を形成して秩序を与え、人生の多様な紛乱をふるいにかけて、明確な、普遍的な眺めを与える力をもった芸術からえられるところの満足、高い、つねに楽しい満足と同一の源泉から流れて出る。
真と美とは、つねに関わり合わなくてはならぬ。真と美とが、各自他からの支持を受けず孤立しているならば、かかるものの価値は、動揺的なものに過ぎない。真を味方とせず、真にかかわりをもたず、真のうちに、真をとおして生きていないような美とは空しい妄念の怪物であろう。『ショペンハウエル (永遠の言葉叢書)』、ショペンハウエル著、トーマス・マン編,、坂田徳男訳、創元社、1953年、p7)
2024年11月9日土曜日
希望の光があればこそ
「だがの、余のパライツは、だれもが好きな神を好きなように拝む国だ。だれからも余計な口出しをされず、だれにも監視されぬ。どんな強国からも不当に侵略をされぬ国だ」
それがわたしの理想とする国である。(諸田玲子著「登山大名」日本経済新聞、2024年8月8日)
(注2)無理もない。祖父のパードレが谷に隠れ棲んでいる。父の蛇之助は仲間と山中を放浪している。岡にはいまだ切支丹が潜伏、肥前国からも迫害された切支丹が逃げこんでくる。そんなときに、皆のためとはいえ岡城へ避難して不自由のない日々を送るだけでもうしろめたかったにちがいない。江戸へ逃れるなど、敬虔な切支丹であるらんには卑怯な行いとしかおもえなかったのだ。
「腹の子のためだ。無事に子を産むことが皆の力となる。希望の光があればこそ、人は苦難をのりこえられるのだぞ」
ありふれたことしかいえぬもどかしさを感じつつも、目を伏せて考えこんでいたらんがようやく同意してくれたときは、うれしさのあまり小おどりしそうになった。子を産むことが希望の光だとらんもわかっているのだ。(上同、2024年8月9日
2024年11月8日金曜日
睡眠レッスン
(注1)「深部体温は上がった分、大きく下がろうとする性質があります。40度のお湯に15分つかると深部体温は約0・5度上がり、90分かけて元の体温に戻った後、そこからさらに下がります。すると皮膚温度との差が縮まり、入眠・熟睡しやすくなる。寝る時間の90分前までに入浴を済まることが重要です」(西野精治著「最高の集中力を生み出す睡眠レッスン」『プレジデント』、2018年1月29日号、p63)
(注2)不眠に悩む方は、「眠れないときは寝床から出る」→ 「眠れそうになるまで寝床に戻らない」→「寝床に戻った後、10分経っても眠れなかったらほかの部屋に移る」というサイクルを、眠れるまで何回でも繰り返してみましょう。
2024年11月7日木曜日
”無気力”からの覚醒・2
ここで、一つの問題意識が生じました。創作活動といえば、芸術や科学のように、新しいものを創り出す活動と思ってきました、一般にもそう思われていると思います。それに対して、音楽を聴いたり、読書をしたりと言った受動的な活動は、創作的とは言われません(確信はありませんが)。しかし、創作力が「無形の人間力をして、有形な活動形式をとらしめる力」だとすれば、芸術鑑賞、文学鑑賞等も、りっぱな創作力になります。そうして考えてみると、確かに、新しいイメージや、意識を生み出し、生活の活力の源泉になったりします。、「”無気力”からの覚醒」で紹介した「創作力と言えば、一寸芸術家の専有に属するものの様に考へられますけれども、人間は皆その質の差と量の程度はあっても、ことごとくその芽を持って居ります」ということは、こういうことでもあったのです。
2024年11月6日水曜日
理性の眠りは怪物を生む
2024年11月5日火曜日
”無気力”からの覚醒
2024年11月4日月曜日
妻に対する愛おしさ発見
今朝早く飛行場まで送ってきましたが、背中が少し曲がった後ろ姿を見送りながら、なぜか、今までにない愛おしさを感じてしまいました。そういえば、だいぶ言いたいことも言ってきたし、迷惑もかけてきました。改めて、申し訳なかったと思ってしまいました。
今回は一人で寂しい思いをすることになってしまいましたが、妻に対する愛おしさを発見することができました。最大の収穫です。旅行から帰ってきても、この感情を忘れうことなく、妻を大切にしていきたいと思いました。そのためにも、まずは妻に対する感謝の気持ちを伝えることに心がけたいです。
2024年11月3日日曜日
食料自給という安全保障
(注)日本の食料自給率は、カロリーベースで38%(2021年度)。ちなみに海外に目を向けると、カナダは233%、オーストラリア169%、フランス131%、アメリカ121%(いずれも2019年度)。いかに日本の食料自給率が低いかがわかります。
ロシアによるウクライナへの侵略が始まってからは、小麦の輸入が滞り、あたふたしています。日本でもパン食が一般的になったからには、この危機を転じて国内における小麦の生産量を上げたほうがいいのではないでしょうか。
全国を回っているうちに実感したのは、農業や漁業、林業など、第一次産業に相当予算と力を入れないとダメだ、ということでした。そんなさなか、政府は防衛費を倍増すると言い出した。でも、いくら防衛装備品を買っても、自分の国で食べるものを自分たちでつくれない国が、危機に対して強いはずがありません。安全保障が大事だというのなら、自分の国で食べるものを自国でつくれるようにしなくてはダメだと思います。第一次産業を守ることが、危機に強くなること —— これこそ、大事な安全保障なのです。(『声をつなぐ 崖っぷちで見つけた「希望のデモクラシー」』、辻元清美著、中央公論新社、2022年、p37)
2024年11月2日土曜日
政府は戦争を欲しているか?
(注)信じ難いように見えるが、諸国の政府は戦争抑止のあらゆる真剣な企図に対して、根強い反対態度を示している。軍縮会議は長い審議の果てに、単にある種の無益な合意、――万人が知るように戦争が勃発すれば、その日のうちに破棄されるにちがいない合意――の更新を決議しただけで終った。つまり集まった諸国の政府は文明世界の知性を嘲弄し、自分らは戦争の危険を多少とも減少し軽微なものにする努力を何一つ傾ける意志がないことを明らかにした。
これらの事実から引き出される結論は、世界各国の政府は戦争を積極的に欲しないけれども、依然として一九一四年以前と同様、戦争抑止に役立つ一切の方策を妨害しようと心に決めているらしい事実である。それゆえ今こそ普通の市民は、彼ら自身や子孫を無益な恐るべき死から救うために必要な良識を、まだそれが間に合う今のうちに身につけることが望ましい。そのための第一の階梯は、全世界的規模の強制的かつ完全な軍備全廃であり、第二の階梯は国際的政府の樹立である。陸海軍はけっして安全に役立たない。現代世界における唯一の安p157全保証は、戦争の手段を持たぬことである。(『人生についての断章』、ラッセル著、みすず書房、1979年、p157〜158)