2022年8月31日水曜日

学校でこそ、民主主義の大切さを

 武田砂鉄さんの『暮しの手帖』コラム「今日拾った言葉たち」(2022年8-9月号、p128)で、絵本『やめて!』(デイビッド・マクフェイル作・絵、柳田邦男訳、徳間書店、2009年)の題名「やめて!」を取り上げ、「作者は『大人たちが暴力をなくそうとしないで、どうして子どもの世界からいじめをなくすことができようか』との思いでこの絵本を描いた」と紹介している。
 ところで、最大の暴力は戦争であることは言うまでもないことだが、軍備はその最大の暴力を行使する手段である。ゆえに、戦争と戦力を放棄した日本国憲法は、子供の世界からいじめをなくすためにも大切なものであることがわかる。にもかかわらず、現実に行使されている戦争を前にして、軍備の必要性を声高に叫ぶのは間違っている。軍備によって戦争は防げないし、何よりも暴力を肯定する論理は、子供の心理に与える影響が計り知れないからだ。
 朝日新聞(2022年8月30日)の「声欄」に、弁護士さんの投書「民主主義の大切さ、学校でこそ」が掲載されていた。その中で、「子どもが普段生活する学校に自由と民主主義が無ければ、大人になってもその大切さは理解できないでしょう」と述べていた。その通りで、日本だけでなく世界で、人権教育や「民主主義」の教育が徹底されていけば、戦争も、きっと一掃できるに違いない。そう思えたら、気分も、なぜか明るくなってきた。

2022年8月30日火曜日

戦争を回避するためのあらゆる方法を

 原発に関して、「安全神話」というものがあった。東日本で、あれだけの事故を経験していながらも、「原発安全神話」は無くならないようで、初めて増設と言い出す有様で残念だ。と思っていたら、「安保神話」という言葉まで出てきで、驚くと同時に、やはり神話は打ち砕かなくては、と思いを新たにした。
 台湾有事などで米中戦争が勃発し、日本の国土が戦場となるリスク、しかも最悪の場合、核戦争の戦場になるリスクについて取り上げました。アメリカが計画している新し い地上発射型中距離ミサイルの配備は、そのリスクを飛躍的に高めます。
 日本の存亡にかかわる重大なリスクであるにもかかわらず、残念ながら、その危機感が国民の間で十分に共有されているとはいえません。その最大の要因となっているのが、「いざという時はアメリカが守ってくれる」という「安保神話」の存在です。
(中略)
 米中戦争のリスクが高まる今こそ、私たちは日米同盟を絶対視する「安保神話」から抜け出し、日本の国土を戦場にしないための方策を自ら考え、実行していかなければなりません。ここに日本の命運がかかっているといっても過言ではありません。(『日米同盟・最後のリスク なぜ米軍のミサイルが日本に配備されるのか』、布施祐仁著、創元社、2022年、p298)
 こうした「安保神話」を裏付けるような沖縄の高校生を取材した記事がある。基地を身近に感じてきた沖縄の高校生でも、〈誰も近所に基地があっていいとは思いません〉と言いながら、〈県外での基地負担や、無人島、人工島を活用した基地負担を提案します〉と、米軍基地の存在を前提に考えている。「米軍基地の撤去」など、思いもつかないほど、「安保神話」というものが浸透してしまっているのかもしれない。
 今こそ、「安保神話」から抜け出し、日本の国土を戦場にしないための方策を自ら考え、実行していかなければならない。しかも大切なのは、全人類が破滅するかもしれない戦争に対しては、「それを回避するためのあらゆる方法を尽くそう」(久野収著『さらばおまかせ民主主義』、佐高信編、岩波書店、1997年、p24)ということであろう。そうした本気度が試されているような気がする。
 自分はこれまで、「中国の状況を考えると、沖縄に基地が集中しているのは仕方ない」と思う面もあった。でも、祖父の話を聞いて、「人の感情だって大事だよな」と思い直した。それを考慮せずに語るのは、あまりに冷たい。
 〈誰も近所に基地があっていいとは思いません〉
 〈県外での基地負担や、無人島、人工島を活用した基地負担を提案します〉
 長くて140文字のツイートを計16回。下書きもせず、文章をつないだ。3桁の「いいね」がついた投稿もあったし、「反日売国奴にだまされないように」といったリプライ(返信)も多く届いた。 ——(復帰50年 沖縄県知事選)「#米軍基地」つぶやいてみた 高3、祖父の覚悟知り、朝日新聞、2022年8月30日 —— 

2022年8月29日月曜日

足下からの民主主義

 家庭内民主主義という言葉がある。その対極にあるものが、家庭内暴力であろう。国家の民主主義も大切だが、国家を形成している一つの単位としての家庭の民主主義が抜けていれば、ある意味では国家の土台がしっかりしていないことになるのだから、社会の、敷いては国家の民主主義が育つわけがない。 だから、家庭という足下からの民主化が重要になってくる。
 久野収さんに言わせると、 「奥さんと自分との関係、自分と子供との関係、自分と隣近所の関係、これが全部古いしきたりと制度によって圧倒的に縛られている。そのうちの一つでも良いから、解放の方へ歩ませる」(『さらばおまかせ民主主義』、佐高信編、岩波書店、1997年、p34)という。要は、妻や夫、子供や親の前に、それぞれが主権者、人間としての尊厳というのが存在している、ということをお互いに認め合うことである。
 そうなると、学校教育では、家庭のことをどのように教えているのかが気になってくる。子どもの権利条約や人間の尊厳について、しっかりと教えられているのであろうか。そもそも、学校内で、子供の権利は守られているのであろうか。国籍が違っても、肌の色や髪の毛の色が違っても、あるいは障害があってもなくても、等しく人間として尊重されなければいけない」ことを学んでいれば、いじめもきっとなくなるに違いない。

2022年8月28日日曜日

家康74歳の「天下取り」

 新しく始まった朝日新聞の連載小説は、今村翔吾さんによる『人よ、花よ』で、この小説で初めて今村翔吾さんの存在を知った。「人よ、花よ」が読みやすかったので、並行して『てらこや青義堂』と『幸村を討て!!』を少しずつ読み始めた。
 秀吉や家康のことは、名前を知っているくらいで、彼らについて、さほど興味もなかった。しかし、『幸村を討て!!』を読み始めて、家康に興味を持ってしまった。なぜなら、家康が、なんと七十四歳のときに「天下取りを決意した」ということを知ったからである。その経緯は次の通り。 

 いわれなき罪を着せられて取り潰されてもおかしくはなかった。なんとか打開策をと頭を捻った矢先に、信長が攻め滅ぼされたので、家康はその死を哀しむどころか、ほっと胸を撫でおろしたのをよく覚えている。    
 まだ安堵していた己などは可愛いもの。家臣たちはこれまでの同盟者の死を飛び上がって喜び、
――今こそ徳川家が天下を窺う時ですぞ!
 などと嬉々として語った。
 しかしことはそう簡単には運ばなかった。(中略)信雄が己に一言も相談せずに勝手に秀吉と和議を結んだことを契機に、秀吉と講和を進めることにした。

 1600年の関ヶ原の戦いで勝利し、「自身に敵対するものを一掃し、世に肩を並べるものはいなくなった。しかし、豊臣家が滅んだわけではない。秀頼が天下人だったからだ」と述懐している。そして、天下人秀頼と家康は対面することになった。1611年、秀頼が十九歳の時だった。老境に入った自分に比べてますます逞しくなってきた秀頼を前にして、「豊臣家を潰す」と決意するのであった。家康七十四歳だった。その気概に圧倒され、その気概に魅了されてしまったのだ。

2022年8月27日土曜日

日本国憲法は、すでに改正された?

 宮台真司が影響を受けたという一人の小室直樹の本も読んでみたいと思い、とりあえず、『田中角栄の遺言 官僚栄えて国滅ぶ』(小室直樹著、クレスト社、1994年)をさっと読んで驚いた。「第五章 デモクラシーとは何か」に「日本国憲法は、すでに改正された」という項目があったからだ。そこで、「明文化された憲法がデモクラシーを謳っていても、その憲法に実効性がなければ、その政治はデモクラシーとはいえない。憲法は改正されたと解釈されなければならない」と言い、「現在の日本では、どうか。 角栄後、デモクラシーは死んだ。憲法は改正されたと解釈されるべきである」と言い切っている。
 確かに、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(憲法9条)とあるにもかかわらず、世界有数の戦力を持っているのは自明のことだ。さらに、「国会は、国権の最高機関」(憲法第四一条)とは名のみで、閣議決定されれば、何でもできる風潮に成り下がっている。安倍総理の国葬も、国会で議論されることもなく、着々と進められているではないか。「日本国憲法は、すでに改正された」と言われてみて初めて、ことの重大さに気づいたが、多くの国民は、そこまで深刻に考えていないように見える。残念だ。
 にもかかわらず、日本国療法本文の、実質的な改正(改悪)に至っていない意義が大きいのも、また事実であろう。何よりも、掲げられた理想を失っていないからだ。理想の衣がズタズタに引き裂かれてしまったとしても、衣がしっかりと存在している意義は大きいのだ。少しずつでも修繕可能だからだ。衣を失ってしまえば、それは叶わない。そして、新しい衣 を作ろうとしたら、とんでもないへネルギーが必要になるであろう。だからこそ、実質的な憲法改悪を許してはならないのである。

2022年8月26日金曜日

戦争の根源としての憎悪

 アウシュビッツから生還した元国際司法裁判所判事、トーマス・バーゲンソールさんの「ジェノサイドと現代」というインタビュー記事を読んで、よく言われてきた「憎しみの連鎖」こそが戦争の根源であることを学んだ。このインタビューで、「憎悪がある限り戦争は起き、戦争が起きれば相手を殺してしまい、また憎悪が生まれる。それはどうしてもやめさせなければならない。・・・・憎悪をやめること、やめさせること。そして憎悪が政治家たちに影響を及ぼす状況を作ってはいけない。このほかに解決はありません」と言い切っているからである。
「もし私たちが『憎悪のサイクル』を持ち続けたら、世界はどうなるでしょう。ドイツとユダヤの対立は、続けてはならないと思います。むしろ大事なことは、我々の孫たちや、さらに子孫の世代が仲良くできること、殺し合わない環境を作ることです。その始まりの部分を我々の世代が作らなければならないと考え、これまでやってきました」とも言っている。
 それでは『憎悪のサイクル』を断ち切るためには、どうすればいいのでしょうか。トーマスさんは、「大事なことは教育です。未来の世代に対する私たちの義務です。他者に対する憎悪を扇動するような動きが出てきても、それを拒絶すること。それを教えることです」「なるべく早く、小さい時から教えて欲しい。公教育で。小学1年生から始めてもいい。皮膚の色や目の色、発音が違っていても悪い人ではないと認識させることが大事です。学年が上がるにつれて、なぜ人は悪いことをするのか、どうやったら悪い指示や命令に抵抗できるのかなど、具体的な内容に入っていけばいいと思います。高学年になれば過去のこと、ホロコーストを教えることも大事です」と言っている。
 確かに、このような教育は大事である。しかし、この世には善人と悪人がいるのではなく、「もともとは普通の人たちが、特定の条件に置かれるとそういう(残虐な)行為に走る、ということ」を周知させることの方が重要なのではないだろうか。水戸黄門、忠臣蔵は日本人に好まれている作品だが、そうした作品を通じて、この世には善人と悪人がいることを学び、憎悪の感情が育くまれてきたのではないだろうか。
 そこで、水戸黄門、忠臣蔵における憎悪の感情の発生と成長というようなテーマを持った、作品の研究を思いついた。さらに、社会の中の不寛容による憎悪が存在して「力を持つ集団が別の集団を憎悪し、それがジェノサイドを引き起こします。表面的には何もないように見えても、すぐ下ではびこっていることを意識してほしい」という指摘は、社会にはびこっているイジメ問題の温床になっている可能性が大きい。このことも、詳しく調べてみたい。
 また、「大学生を対象に、ある集団は捕虜に、別の集団は収容所の警備兵に分けました。すると、警備兵役の学生たちは時間がたつにつれて残虐さを増していった」という興味ある実験を示し、「状況が人間をどう変えるかがわかります」と言っている。この実験は、国防軍を創設することの危険性を教えている。どちらにしても、国防軍が寛容と相入れないことは明らかである。そういう意味でも、国防軍の創設には問題かある。
「アウシュビッツを一人で生き抜いた少年」(朝日文庫)などの著書がある過去の悲劇の展示だけなら『歴史の墓場』です。人権の観点から未来につなげ、人類全体が二度と起こしてはならないと訴えることが重要です」

2022年8月25日木曜日

真の民主主義の前提条件

 NHK放送の『100分で名著』で取り上げられた『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』(ヤニス・バルファキス著、ダイヤモンド社、2019年)が、民主主義についても述べていることを知って、読んでみる気になった。早速、初めの方に、「だれもが経済についてしっかりと意見を言えることこそ、いい社会の必須条件であり、真の民主主義の前提条件だ(上同、p3)と書いてあった。この一言でも、この書を熟読してみたいという意欲が湧いてきた。
 読み進めてみると、さらに食指が動くようなことが書かれていた。この書はバルファキスが、父として娘に経済について語ろうと思ったから書かれたわけだが、その理由について、なぜ、生まれながらにして貧乏な人と裕福な人がいるのかも、「『なぜ、人間は地球を破壊してしまうのか』ということも、すべては経済にまつわることが理由だ」(p 25)と書かれていたのだ。「人間は地球を破壊してしまうのか」というところでウクライナの惨状を想像してしまい、そういえば、戦争も、経済問題も大きく関わっているにもかかわらず、そうした側面は、戦争の影響という観点でのみ経済は問題になっても、戦争の原因となるとあまり経済が問題になることはなかった。
 しかし、なぜ戦争が始まってしまったか、なぜ、これだけの惨状を目の前にしながら、終戦に向かう方向性が見えてこないのか、を考えるには経済的な視点が欠かせないに違いない。だからこそ、しっかり経済学を学んでみたい、と思うのだ。
 もう一つ、経済を学びたい理由がある。多額の国債を抱えた日本は、いつかは財政破綻をしてしまうのではないか、という不安を抱えていた。ところが、<「国の借金が大変だ!」というのは、日本政府の最大のウソでありデマだ>ということを最近知った。「借金は負債、すなわちバランスシート上の右側の数字に過ぎない。負債があれば資産も当然あるのに、財務省が資産については全く触れようとしないで国の借金が大変だというのはおかしい」というのである。実際に日本政府のバランスシートを知って驚いた。そして、バルファキスが言うように、「経済についてしっかりと意見を言える」ように、経済を学んでいきたい、と思うようになったのだ。
(「財政破綻論の大ウソ-資産が借金を上回る日本政府のバランスシート、世界一の金あまり日本 | すくらむ」より

2022年8月24日水曜日

春よし夏よし秋もよし・・・

 一時期、短文を書き続けていた。その時書いた「成熟とは何か」は、今読んでも、なるほどと思わせる内容だったので、少しだけ手を加えてアップすることにした。「老年期もまたよし」である。
 辞書によれば、成熟とは人の心や身体などが十分に成長することである。それで良いと思ってきた。しかし、身体の成長のことは別として、成熟としての心の成長については分からなくなってしまった。青春像の象徴としての「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」(2010年10月05日、朝日新聞)という精神科医で評論家でもある野田正彰さんの記事を読んだからである。
 アメリカの詩人サムエルの有名な「青春」という詩がある。「人は年を重ねるだけでは老いはしない。ただ、理想を失うことによって老いるのである」というような内容で、松下幸之助などの実業家に親しまれている詩でもある。今までは、この詩は素晴らしいものとして疑わず、一時期は松下幸之助の真似をして額にして飾ったこともある。このことが「成熟拒否の表れ」というのだから人事ではない。
 どうしてだろう、と寝転がって考えていたら、「青春」というような詩に憧れるのは、過去の栄光、あるいは、過去の栄華を引きずっている証拠ではないか、ということに気づいた。そして、成熟した心の成長とは、年相応の素晴らしさを発見できることではないか、と自分なりの答えを見つけることができた。そこで思い出した次のような詩がある。
 春よし
 夏よし
 秋もよし
 冬もまたよし
 正確な詩は忘れてしまったが、「心の成長過程も、よく描かれている詩である」と再認識できた。(2010年 10月 5日記)

2022年8月23日火曜日

恐竜時代に大進化した哺乳類

 恐竜は今も人気だが、恐竜時代に恐竜と共生していた哺乳類がいて、恐竜がなしえなかった独自の進化を遂げ、今を生きる哺乳類の基礎を築いていたことを知った。恐竜は巨大化し、何十年〜一〇〇年といった長命を獲得していたのに対し、哺乳類は、ネズミのような小動物で、2〜3年の命だったと言われている。
 哺乳類が短命だったということは、それだけ多くの世代交代が可能なため、進化という点では有利になった。進化の過程で獲得した一つに、大脳新皮質がある。恐竜時代の哺乳類は、恐竜から身を守るため、夜行性で、主に昆虫が主食だった。そのため聴覚が発達し、聴覚の発達が脳の進化を促したという。
 次なる哺乳類の進化を成し遂げる原動力は、花の出現だった。花の出現は多くの昆虫の進化を促し、「昆虫の増加」と「植物の実や種という新しい食べ物の出現」が更なる哺乳類の進化を促したのである。それは、発見されて哺乳類の多くの種類の歯が証明していた。
 そして、恐竜時代の終わり頃に、哺乳類はついに胎盤を獲得する進化を成し遂げ、現代の哺乳類への更なる進化の基礎が築かれていたのだ。そして、最後は地球に訪れた突然の大異変で恐竜は滅びてしまったが、哺乳類の一部は生残り、現在に命をつないでくれた。それが可能だったのは、食べ物の多様性からなしえた哺乳類の多様性があったからである。哺乳類の多様性が、哺乳類の生息環境の多様性を可能にし、その結果、地球の大異変にもかかわらず、哺乳類の一部は生残ることができたのであろう。多様性が重要な所以でもある。
 以上、「『恐竜vsほ乳類 1億5千万年の戦い』1・2」からの要約である。

植物食に進化した歯

多様に進化した歯の種類

2022年8月22日月曜日

すべてを善い方良い方に考える

 最近、宮台真司さんにハマっている。まだ彼の著書を読み始めて二冊目だが、彼のすごいところは、例えばカントの思想について、その大切なポイントを簡潔に紹介してくれているところである。カントの著書である『純粋理性批判』や『実践理性批判』は、難解な著書として有名だが、それらのエキスを数ページで紹介し、その中で、次のように重要なポイントを簡潔に紹介している。
 カントのすごいところは「〈世界〉 —— ありとあらゆる全体 —— はどうだか知らないけれど、〈社会〉 —— あらゆるコミュニケーションの全体 —— は主意主義的にできて上がっている」と見通したことだ。完全に正しい。現にぼくたちは主意主義的に誰かに責任を帰属する。(『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』、宮台真司著、世界文化社、2008年、p 181〜182)
 つまり、社会では、「意思」が出発点だという。それがなんと、健康を維持していく上でも重要なことだと、格言を紹介しながら次のように説明してあった。それだけ、「意思」とか「思惟」が重要だということであろう。
 ホール氏の格言は、つぎのようなものである。
 「われわれはわれわれの思惟の種を蒔いて、われわれはわれわれの行動を刈り取る。われわれはわれわれの行動の種を蒔いて、われわれはわれわれの習慣を刈り取る。われわれはわれわれの習慣の種を蒔いて、われわれはわれわれの性格を刈り取る。われわれはわれわれの性格の種を蒔いて、われわれはわれわれの運命を刈り取る。」
 つまり、根本は思惟にあるのであって、正しい思惟、幸福なる思惟が、正しく健康なる運命を作るのである。すべてを善い方良い方にと考えて、すべて積極的に健康幸福の彼岸に向かって進まねばならぬ。(『原本・西式健康読本』、西勝造著、農山漁村文化協会、2003年、p 195〜196)

2022年8月21日日曜日

知識を血肉化させる

 今、最も求められていることを痛切に感じさせられた言葉に出会った。「ぼくが小室直樹や廣松渉にひかれたのも、全く同じ理由だった。小室も廣松も信じられないほどの知識の持ち主だ。そしてその信じられないほどの知識量が、人格の中にきちんと構造化されている」 (『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』、宮台真司著、世界文化社、2008年、p 136)の中の「人格の中にきちんと構造化されている」だ。
 これまで多くの本を読み、多くの文章を書いてきたが、その中身をどれだけ血肉化できたか問われると、はなはだ自信がない。多くの問題意識が膨らむばかりで、それらが、キチンと構造化されているとは、とても思いないのだ。そのことをはっきりと自覚することができたことでよしとしよう。
 それでは、これからどうすればいいのか。やはり、頭の中(パソコンの中も含めて)にあるものを、すべて書出し、分類整理するしかない。その前の作業として、すべての(書き抜きなども含め)情報に、項目名(題名)を付けるというのがある。膨大な作業になるそうだが、急ぐ必要もないので、楽しみながら、取り組んでみたい。
 並行して、積極的に文章書いていくことであろう。書くことで整理されるということも十分にあるからだ。これまでは、短文を書くことが多かったが、意識的に長文を書くようにしていきたい。そうして初めて、「人格の中にきちんと構造化されていく」ように思えるからだ。

2022年8月20日土曜日

抜け出せない「お任せ民主主義」

 衆院議員の杉田水脈(みお)氏は、月刊誌で同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」とまで書いて話題の人になったことがある。その杉田水脈氏が、「衆院本会議で『男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想だ』と述べ、男女共同参画社会基本法の廃止を求めたこともある」ということは、朝日新聞コラム「天声人語」(2022年8月18日)を読んで初めて知った。
 続けて天声人語で、杉田氏の主張は戦前の帝国議会でまかり通っていた、「女性の参政権を阻むのに使われてきた、『天下国家を論じる前に、女性には家庭でなすべき使命がある』という主張」と似ていることを指摘していた。つまり、杉田氏戦前の前近代的な思想の持ち主だ、ということになる。
 なぜ、このような前近代的な思想の持ち主が国会議員として当選してしまうのだろうか。考えられることは、普段は、特に選挙の時などは、前近代的な思想は表に出さず、美辞麗句ばかり話していることである。そして、何かのきっかけで、つい「本音」が出てしまうことがある、ということだ。有権者は、言い様に騙されてしまっているとしか考えられない。
 だからこそ、選挙の時だけ議員に注目するだけでなく、普段から、特に地元の議員に注目し、どのような活動をしているのかを注視していく必要がある。つまり、選挙が終われば、「後は、お願いします」の、「お任せ民主主義」では、民主主義の発展は望めない。有権者は、もっと議員と結びつき、政治に関与していく必要がある、ということだ。「お任せ民主主義」に代わる名称が思いつかないが、とりあえず、「みんなの民主主義」とでも、命名しておく。
 ネットで検索したら、「お任せ民主主義」ではいけないことは、十分知られていたことのようで、だいぶヒットした。主なものを列記すると次の通り。あとで読んでみたい。

2022年8月19日金曜日

負の感情を一句一句に変換していく

 分かち合えば、喜びは倍加し、悲しみは半減するという。「心を病むウクライナの子供たち」では、爆撃のショックからか、絵を描けなくなってしまった少年が、作家のオリガ・ホメンコさんのアドバイスで再び絵筆を取るようになった話を紹介した。そこでオリガ・ホメンコさんは「出したいものを全部出せば、自分も軽くなる。苦しみは、人と分かち合えばその分軽くなる」と語っていた。
 ちょうど朝日新聞コラム(2022年8月19日)「折々のことば:2472 鷲田清一」に、同じような言葉が紹介されていた。「無心で手を使うこと、何らかの方法で心を吐き出すこと、自分の悲しみを誰かと共有すること」(夏井いつきの元同僚)、と。そしてその解説で、俳句も「心を吐き出す」一つの方法であることを教えてくれている。それにしても、俳句は「負の感情を小さく千切っては一句一句に変換していく」とはよく言ったものである。
 ここで「昇華」という言葉を思い出した。辞書には、「情念などがより純粋な,より高度な状態に高められること、とあり、「人間の苦悩が硬質な詩的文体に昇華された」という例文があった。「負の感情を小さく千切っては一句一句に変換していく」ことで、「人間の苦悩が硬質な詩的文体に昇華される」ということであろう。
 中学の国語教師をしている頃、父を亡くし悲嘆に溺れそうになっている自分を見た年長の同僚が、親しい人の死を受け容(い)れてゆく方法を教えてくれたと、俳人は言う。増殖する「負の感情を小さく千切っては一句一句に変換していく」俳句も、「複雑骨折」した心を右から左から支えるネジのようなものなのか。(『瓢箪から人生』から)

2022年8月18日木曜日

民主主義の前提は人間の尊厳

 だいぶ前に、「民主主義の前提」というものを考えたことがある。今考えると、民主主義の前提に「誠実さ」を持ってきたことは間違いではないが、「すべての人間の尊厳」こそが民主主義の前提なのかもしれない。近代民主主義、「その根本の精神は、少数の支配者の権威を否定して、すべての人間の尊厳を主張するところにある」(『日本国憲法』、橋本公亘著、有斐閣、1980年、p82)からだ。
民主主義の前提
「文学や文化の創造性が発揮される基盤は、現代では市民的自由を中核とする民主主義だ」(p343丸山眞男)とある。そう言えば、科学的創造性が発揮される基盤も、人間の幸福を享受できる基盤も、民主主義である。
 それでは、民主主義性が発揮される基盤といもの、民主主義の原理、あるいは前提というものは、どのようなものなのだろう。日本は民主主義国家と言われているが、民主主義は十分機能しているだろうか。そこを十分検証しないまま、ズルズルと、民主主義は機能しているという認識のもとに社会が動いているのではないだろうか。
 民主主義の前提に「誠実さ」というものがある。平然と嘘をつき、そうした風潮が支配的になれば、民主主義は崩れてしまう。そういう音味でも総理の行動と発言は問題だ。普天間基地′の面積は480.6Hに対して、辺野古新基地の.面積は、2336.5Hで耐用年数200年だという。こうした事実は初めて知ったが、「普天間、しいては沖縄の負担軽減のために辺野古へ基地を移転する」という発言は、嘘の典型であろう。
 しかし、現実の世界では、マスコミも、国民も、政府の嘘を追求することはない。戦時中の大本営発表の多くがが嘘であったことは、歴史的な事実である。嘘の発表というのは、国家権力の本性なのだろうか。国家権力のことはこの際考えないとしても、嘘の数々を明確にしておく価値はあるかもしれない。何といっても、社会における、誠実さの欠けた嘘は、民主主義の対極にあると言っても過言ではないからである。2015年2月18日水曜日 

2022年8月17日水曜日

心を病むウクライナの子供たち

 日曜美術館(2022年8月14日放送)「ウクライナ 子供たちの1000枚の絵~北海道巨大じゃがいもアート館」で、戦禍によって平和な日常が破壊された「非日常」の中で描かれたウクライナの子供たちの絵を見た。戦争が始まる前に描かれた絵と比較されていたが、どれだけ心が病んでいるかが一目瞭然で、1日も早く平和な日常に戻れることを願わずにはいられない。
 エフゲーニャさんのロボットみたいな絵は「未来の人間」という題で、骨は鉄でできており、1000年生きられるように、という願いを込めて描いたという。デニス君の4年前に描かれた絵は「ぼくの好きな町」という題で、丁寧に描かれている。しかし、お母さんが爆撃で片腕を失うという怪我をしてから、デニス君は絵を描かなくなってしまった。
 そんなデニス君に対し、作家のオリガ・ホメンコさんが「あなたは持っているものを隠している。人に見せない、箪笥に隠した宝物と一緒だよ。勇気を出して、人に見せるべき」とアドバイスをしたという。次の日お母さんから「デニスがスケッチを始めた」と連絡があった。オリガ・ホメンコさんはスタジオで、「出したいものを全部出せば、自分も軽くなる。苦しみは、人と分かち合えばその分軽くなる」と語っていた。
 朝日新聞(2022年8月19日)の一面トップ記事は「住民全員が監禁された村 地下室に28日間、壊れた心 ウクライナ・ヤヒドネ村」だった。この記事に、心の中を映し出したかのような少年の写真が掲載されていた。「地下室に閉じ込められていたマキシム君=7月17日、ウクライナ・ヤヒドネ、細川卓撮影」である。「心を病むウクライナの子供たち」の一人として、紹介しておく。

(「地下室に閉じ込められていたマキシム君=7月17日、

ウクライナ・ヤヒドネ、細川卓撮影」、朝日新聞、2022819日)


エフゲーニャ・リトビネンコ8歳

デニス・ゴジエフ16歳

2022年8月16日火曜日

未来によって今という瞬間を生きる

 日本には、こんな思想家、哲学者がいたのか、という発見があった。九鬼周造である。中島岳志著『思いがけず利他』で引用されていた文章を読んで直感した。九鬼のいう「未来」を、日本国憲法が指し示してくれている未来と考えることによって、九鬼の言葉が、いっそう生き生きと迫ってくるものがある。
 私には、日本国憲法という未来がある。だからこそ、偶然性によって九鬼周造の思想を発見することができた。問題は、新しい可能性を必然性へ発展させられるかであろう。どちらにしても、『九鬼周造著作集』もあるようだし、九鬼周造の思想をもっと覗いてみたい。
 私は「今」の意味を、未来から贈与されるのです。そのためには、「今」を精一杯、生きなければなりません。偶然の邂逅に驚き、その偶然を受け止め、未来に投企していく。その無限の連続性が、私たちが生きていることそのものであり、世界の有機的な連環を生み出す起点なのです。
 九鬼は言います。

 無をうちに蔵して滅亡の運命を有する偶然性に永遠の運命の意味を付与するには、未来によって瞬間を生かしむるよりほかはない。未来的なる可能性によって現在的なる偶然性の意味を奔騰(ほんとう)させるよりほかはない。(『偶然性の問題』、九鬼周造著、岩波書店、2012年、P282)
  私たちは、未来によって今という瞬間を生きています。「未来的なる可能性」が、今起きている偶然の意味を「奔騰させます。この構造を認識し、自己を偶然に開いていくこと こそ、利他の円環を生み出していく動力となるのです。
 最後に九鬼は、『無量寿経』の注釈書である『浄士論』の一説を引いたうえで、次のように言います。

 不可能に近い極微の可能性が偶然性において現実となり、偶然性として堅く掴まれることによって新しい可能性を生み、さらに可能性が必然性へ発展するところに運命としての仏の本願もあれば人間の救いもある。(上同)

 偶然性が可能性を生み、それが必然性へ発展することで「運命」が生まれる。これが「仏の本願」であり、「人間の救い」である。そう九鬼は力を込めて言っています。(『思いがけず利他』、中島岳志著 、ミシマ社、2021年、p268〜270)

2022年8月15日月曜日

生命を慈しみ生命の世話を!

 2022年8月8日放送の100分de名著は、『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』だった。解説者の竹内薫さんがウクライナでの惨状に触れて述べた言葉が印象的だった。ウクライナでは、「人が大勢殺されているし、動物もたくさん死んでいます。人類は皆同じ、生命は皆兄弟と、そうした観点があれば、人を殺戮したりといったことをしないと思う。だから、世界の指導者にポール・ナースのこの本を読んでほしい」という。今必要なのは「人類」という観点だけでなく、「生命は皆兄弟」という地球に存在している全生命体の観点に立って物事を考え、判断していくことだというのである。そうすれば、人類同士が無用な争いをしなくなるであろう、と。
 ポール・ナースの著書『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』の最後の言葉として紹介された「我々は、地球の生命に対して、特別な責任を負っている。生命を慈しみ、生命の世話をしなければいけない」という我々に突きつけられた責任は、真っ当なものである。
 われわれは、他のすべての生命と深い絆で結ばれている。おそらく人間は、こうした深い絆を理解し、その意味に思いを馳せることができる、唯一の生命体だ。だから、我々は、地球の生命に対して、特別な責任を負っている。生命を慈しみ、生命の世話をしなければいけない。そして、そのために、我々は生命を理解する必要があるのだ。

2022年8月14日日曜日

命あっての物種

 朝日新聞一面トップ(2022年8月14日)で、ウクライナの惨状を伝えていた。たとえば、「ブチャでは、数百人の市民がロシア軍に虐殺されたとされ、その遺体は路上や庭に放置された」という具合だ。この記事を読み、<「敗北」を認める能力>で紹介した「屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れ」、多くの命が守られたというパリとプラハの両都市のことを想像した。そして、両都市の歴史をもっと深く知りたいと思った。
 ちょうど朝日新聞の天声人語で、木製モーターボートに爆薬を乗せた兵器「震洋」のことが紹介されていた。「敵艦に向かい、乗組員ごと自爆する」特攻兵器である。なんと酷いことを、と思うに違いない。徹底抗戦と口にして多くの命を盾にすることと、どんな違いがあるというのだろう。
(「海上特攻艇」より)
 私から見れば、「多くの命の犠牲を強いる」という観点で、同じであろう。「命あっての物種」とはよく言ったもので、パリとプラハの両都市の歴史は、この言葉の重みを教えてくれている。

2022年8月13日土曜日

目指すはグルカゴン人間!

 ブドウ糖が消費されてしまった空腹時のエネルギーについて、ケトン体が使用されるということはわかってしたが、その仕組みについてはよくわからなかった。『今すぐできる体質改善の新常識』に、その仕組みが分かりやすく書かれていた。インスリンと対称的なグルカゴンというホルモンが鍵だった。グルカゴンが出やすい体になれば、ケトン体を上手に使用して、健康を維持できるということだったのだ。あとは実践で検証するのみである。

 自然界の生き物は、食べ物があったりなかったり、という生活です。ある時ない時、どちらでも生き延びていけるよう、ある時にはインスリンの力を借りてエネルギーとし、余った分は脂肪にして蓄え、ない時には、その脂肪をグルカゴンの力を借りてエネルギーとして生きていくようにできているのです。
 グルカゴンとインスリン。人類が生き延びるために用意されたこれらのホルモンは、バランスよく使われてこそ、うまくからだが維持されていくのです。
 肥満ではない、つりあいのとれたからだをつくるために、子供にも時どきは空腹をがまんさせて、グルカゴンを出す訓練をして、細胞の発育を促してやる必要があります。ちょうど副腎を刺激して育てないと、副腎皮質ホルモンを十分に分泌しないからだに育つように、時にはショックを与えないと、グルカゴンが出やすいからだになりません。
 空腹を少しがまんさせると、からだはやむを得ずグルカゴンを出して、エネルギーを補給するようになります。そうなると空腹が苦痛ではなくなります。さらに空腹時に運動をさせると、グルカゴンが出やすくなり、空腹をしのぎやすいからだになります。(『今すぐできる体質改善の新常識』、小山内博著、新潮社、2004年、p 38)

2022年8月12日金曜日

「敗北」を認める能力

 ロシアによるウクライナの侵略戦争が終わらない。ウクライナが徹底抗戦の構えを崩さない中、それは当然のことなのかもしれない。ロシアの行動が許されないことは当然のこととしながらも、そうした徹底抗戦を貫いているウクライナの対応も、腑に落ちないものを感じてきた。しかし、なぜなのかは分からなかった。
 政治学者・豊永郁子さんによる朝日新聞(2022年8月12日)の論文「(寄稿)ウクライナ、戦争と人権」を読んで腑に落ちなかった正体がわかった。「政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた第2次世界大戦の体験」と、「徹底抗戦を貫いて国民に無益な犠牲を強いているウクライナの対応」がダブって見えたからだったのだ。
 豊永郁子さんは、「政府と軍の『敗北』を認める能力」ということも言っているが、こうした能力についての言及は初めてだ。しかも、そうした能力を発揮して無益な犠牲が免れた例まで紹介されていた。少し長いが引用しておく。これらの例は、9条の精神の先取りでもあるのではないだろうか。
 最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。中世以来つづく2都市は科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第2次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。プラハはプラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって。パリは間近に迫るドイツ軍を前に無防備都市宣言を行い、無血開城することによって(大戦末期にドイツの司令官がヒトラーのパリ破壊命令に従わなかったエピソードも有名だ)。
 両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。プラハはその後、ソ連の支配にも耐え抜くこととなる。これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。
 2都市に訪れた暗い時代にもやがて終わりは来た。だがその終わりもそれぞれの国が自力でもたらし得たものではない。とりわけチェコのような小国は大国に翻弄(ほんろう)され続け、冷戦の終結によりようやく自由を得る。プラハで滞在した下宿の女主人は、お茶の時間に、共産主義時代、このテーブルで友達とタイプライターを打って地下出版をしていたのよ、といたずらっぽく語った。モスクワ批判と教会史の本だったそうだ。私は彼女がいつ果てるともわからない夜に小さな希望の明かりを灯(とも)し続けていたことに深い感動を覚えた。(豊永郁子著、朝日新聞「(寄稿)ウクライナ、戦争と人権」より)

2022年8月11日木曜日

互いを尊重しあう先に幸せな未来が

 連続テレビ小説「ちむどんどん」(88回、2022年8月10日放送)で、久しぶりに登場した和彦君のお父さんが、素敵な言葉を話してくれた。「思い出は必ずに、それぞれが違います。その違いを知って、考えて、互いを尊重してください。その先にだけ、幸せな未来が待っている、と私は思います」という言葉だ。
 この言葉は、人間対人間について語ったものだが、その思想は、国対国についても言えるのではないだろうか。平和共存の思想である。国際社会が、「それぞれの国の違いを知って、考えて、互いを尊重しあう」そんな関係で結ばれていけば、決して争いは起きないであろう。
 考えてみれば、当たり前のことである。にもかかわらず、互いを尊重しあうどころか、敵愾心に燃えて、侵略さえ正当化してしまう国が存在している。なぜだろうか。そもそも、初めから、相手を尊重することなど考えられない。相手に対する固定観念を払拭することできないのだとしたら、そうして固定観念に囚われてしまう思考法に問題があることになる。どうして固定観念に囚われてしまうのか、これから考えていきたい問題になりそうである。

2022年8月10日水曜日

いま世界が必要な9条の精神

 赤旗日曜版(2022年8月7日・14日合併号)に、被団協事務局長・木戸季市さんの記事が掲載されていた。日本国憲法の精神と核兵器禁止条約第1回締約国会議の成果について言及した部分が感動的だった。ロシアによるウクライナ侵略が続いているが、その影響で軍備の必要性がかつてなく強まってきている。だから、非武装を柱とする日本国憲法の精神も、批判の対象になりつつある。だからこそ、こんな時こそ、武力ではなく対話によって国際紛争を解決する9条の精神こそ、いま世界が必要」なのだという主張は心強い。
 さらに、「私たちは、最後の国が条約に参加し、最後の核弾頭が解体・破壊されるまで、休むことはない」という「ウィーン宣言」の感動的な締めくくりは、私たちの最終目標が具体的になって、運動に弾みが出てきそうに感じた。できれば、5年とか10年という具体的な期限も決めてほしかった。
 戦争や武力の行使・威嚇をしない、戦力を持たないと定めた日本国憲法9条の尊さです。憲法施行から75年間、日本は戦争で人を殺していないし殺されてもいません。一方で制定結成から66年間、原爆の実相を伝え休まず核廃絶を求め続けてきたたのです。武力ではなく対話によって国際紛争を解決する9条の精神こそ、いま世界が必要なものです。
 締約国会議で採択された「ウィーン宣言」は、感動的な言葉で締めくくられています。
「…私たちは、この条核兵器禁止条約約の目的を実現する上で立ちはだかる課題や障害に幻想を抱いていないが、楽観主義と決意をもって前進する。」(被団協事務局長 木戸季市)

2022年8月9日火曜日

心に愛がないと憎しみ合う

 ラジオ深夜便で、宮本亜門さんがチャップリンの言葉を紹介していた。その話が、トルストイの思想にダブって印象的だった。「心に愛を知らなぬものだけが憎しみあう」と次のように話したいたのだ。
 思いやりがなければ、残るのは暴力だけ。心に愛を知らなぬものだけが憎しみあう。心に愛がないと憎しみ合うんだって!!人生はもっと美しく、素晴らしいものだって、言っているんですよ。(宮本亜門)
 100分de名著でトルストイの「人は何で生きるか」を取り上げたとき(2022年8月1日) 、解説者の若松英輔さんが「平和というものは私たちの心からしか生まれない。愛ということから考えることで、平和の道筋を見つけることができる」と言ってた。チャップリンの言葉と同じである。本当の愛というものが、憎しみ合うことがないような愛のある心の持ち主が増えていくことで、真の平和というものが実現されるのかもしれない。最近そう考えるようになってきた。
 そう思ったとき、ヒューマニズムの思想、人倫の思想というものが、人権の陰に隠れてしまい、あまり問題にされなくなってしまったように感じる。しかし、愛の問題は、ヒューマニズムの思想、人倫の思想というものに深く関係しているのではないだろうか。考えていきたい問題である。

2022年8月8日月曜日

朝に食をなす国よ、汝は禍なるかな

 朝食をやめて、三週間を過ぎたところだが、少しずつ良くなってきている実感が出てきた。「すばらしい爽快感」まではまだまだであろう。しかし、朝食は食べない方が良いという主張が、どんどん見出され、そうしたことも、励みになっている。聖書にまで、「朝に食をなす国よ、汝は禍なるかな 」と書かれていて驚いた。ネットで調べてみたら、「その君たちが朝から、ごちそうを食べる国よ、あなたはわざわいだ」とあった。昔から、朝食についての真理は明らかにされていたようだ。
 新しい本では、『生活習慣病に克つ新常識 まずは朝食を抜く!』(小山内博著、新潮社、2003年)という本を見つけた。近いうちに読んでみたい。

 長年の習慣を変えるのですから、苦痛をともなう人も多いでしょう。しかしそれを過ぎると、すばらしい爽快感が待っています。
 旧約聖書にも「その王は童子(わらしべ)にしてその侯伯は朝に食をなす国よ、汝は禍なるかな。その王は貴族の子またその侯伯は酔ひ楽しむ為ならず力を補うために適宜き時に食をなす国よ、汝は福なるかな」 (「伝道之書」一〇・一六〜一七傍点筆者{下線部分})とあります。朝の食をやめれば、福がもたらされるのです。(『朝食をやめて健康になる』、渡辺正著、光文社、2003年、p 115)

2022年8月7日日曜日

日本は民主主義の国か?

 古代より宇宙の星々は、さまざまな想像をかき立ててきた。星座をめぐる話がその典型だ。今回「天体観測」という映像を見て、銀河や星雲にも興味ある名前がつけられていることを知って、名前をつけることの重要性を再認識することができた。名前が与えられることによって初めて、その存在がはっきりと認識されるということだ。
 こうした命名による分類は、考えようによっては、科学の基礎である。しかし、社会科学においては、こうした基礎が不十分である。何よりも、「民主主義」、という言葉がそうである。なぜなら、「民主主義」という言葉には、いろんな意味合いに使われておりながら、命名による細分化、分類がなされていないからだ。
 よく「日本は民主主義の国」と言われるが、本当だろうかと、そうした呼び方に違和感を覚える。民主主義の危機と言われるように、森友問題など、さまざまな未解決の問題を抱えているからだ。だからこそ、民主主義の言葉の問題から考えていきたいものである。






2022年8月6日土曜日

南スーダンPKO日報隠蔽事件

 南スーダンPKO日報隠蔽事件に関する本を読んだが、ここで大切なキーワードは、「一事が万事」ということであろう。要は、政府自民党には「都合の悪いことは隠せばいい」という隠蔽体質があるということだ。自殺者まで出した森友問題の赤木ファイルの時もそうだったし、桜を見る会問題でもそうだった。それでも、選挙で勝ち続けている。この国の国民はどうなっているのだ。野党よりはマシということなのだろうか。
 野党はバラバラでは勝ち目がないことがわかっていながら、野党共闘に背を向けた立憲民主党の姿に、国民目線が薄いことが読み取られているのかもしれない。国会議員よ、もっと国民の中に入って、国民の真の声を救い出してほしいものである。
 二〇一六年七月初旬、陸上自衛隊のPKO派遣部隊が活動する南スーダンの首都ジユバで、政府軍と反政府勢力の大規模な戦闘が発生した。自衛隊の宿営地の近傍が戦闘現場となり、宿営地内にも流れ弾が多数、飛来・着弾した。政府軍の戦車も出動する激しい戦闘だったにもかかわらず、防衛大臣は記者会見で「散発的な発砲事案」と発表した。そして、日本政府は「戦闘行為」 や「武力紛争」 の発生を否定し、活動の継続を早々に決定した。
 これに違和感を抱いた筆者が、情報公開法に基づいて派遣部隊が作成した 「日報」を開示請求すると、防衛省は「既に廃棄した」という理由で不開示処分を下した。しかし、その後、日報は廃棄されずに保管されていたことが明らかになり、隠蔽に関与した関係者が懲戒処分を受けるとともに、防衛大臣と防衛事務次官、陸上幕僚長が引責辞任するという大スキャンダルに発展する。
 派遣部隊は日報に、「激しい銃撃戦」と記していた。その報告を受けていなから、防衛大臣は戦闘の発生を否定し、散発的な発砲事案などという言葉で矮小化していたのである。さらに、防衛省はその日報を、「既に廃棄した」と偽って隠蔽していたのである。
 派遣部隊は当然、現地の状況をありのままに報告する。そうしなければ、日本政府が的確な判断を下せないからだ。しかし、日本政府は現地の状況が危険になった時、それをありのままに国民に説明することを避けてきた。この姿勢を象徴したのが、南スーダンPKO日報隠蔽事件であった。
 実は、隠蔽されたのは南スーダンPKOの日報だけではなかった。南スーダンPKO以前の海外派遣の日報も、行政文書として扱われず、開示請求しても「不存在」を理由に不開示とされてきたのである。(『自衛隊海外派遣 隠された「戦地」の現実』、布施祐仁著、集英社新書、2022年、p8〜10)

2022年8月5日金曜日

誰もが声を上げやすい公共空間を

 昨日のブログで、デモクラシーにとってとても重要なことは「日常の中で人と対話し、異なる人の意見というものを尊重しながら合意を形成していく。そういう場所を無数に作っていくと」こと、という中島岳志さんの言葉を紹介した。同じような言葉をハンナ・アーレントも書いていることを知った。ハンナ・アーレントは、「異なる意見を持つ人が集まり、開かれた議論をする公共性こそ人間の特性」と言い切っている。アーレントに言わせれば、開かれた議論ができないようでは、人間として未成熟だということになるであろう。
 だがしかし、未成熟として蔑むようでは、何かおかしい。そうだ。人間の尊厳という概念から見ると、公共性に馴染めないからといって人間の条件に合わないといって良いわけではない。ハンナ・アーレントは、間違ったことを言っているのだろうか???とは言え、「開かれた議論をする公共性」が重要なことには変わりない。
 ドイツの政治学者ハンナ・アーレントの「人間の条件」を思い出した。異なる意見を持つ人が集まり、開かれた議論をする公共性こそ人間の特性である――。
 「正しい結論はわからなくとも、議論することは疑いなく正しいと、確信めいたものがありました」。自分は、誰もが声を上げやすい公共空間を守ろう。そのためには、議論にうまく加われない人の支えになろう。そう考え、弁護士になると決めた。(朝日新聞夕刊、2022年8月5日、谷口太規弁護士)

2022年8月4日木曜日

「永遠の微調整」という改革

 2022年8月1日放送「SWITCHインタビュー 達人達『UA×中島岳志 EP2』」の中で述べられた「あるべき民主主義についての提言」は、未来社会を展望する上で大切な視点に思えた。
 まず、「民主主義って投票だけなのか」と問題提起をして、「日常の中で人と対話し、異なる人の意見というものを尊重しながら合意を形成していく。そういう場所を無数に作っていくというのがデモクラシーにとってとても重要なこと」だという。どうすればこのような場を作れるのか、それが問題だが、「それぞれが精一杯生きて、共に生きる」という生命科学者中村桂子さんの共生の思想に通じるところがあって興味深かった。
 中島岳志さんの話のキーワードは「他者との共存」と「永遠の微調整」だった。その「永遠の微調整」について、『保守と立憲』からの言葉が次のように紹介されていた。

 保守の目指す改革は「永遠の微調整」である。無名の死者たちから継承した暗黙知を重視し、伝統と呼応しながら丁寧に調整を進めて行ことこそ、 保守の態度にほかならない。(『保守と立憲』中島岳志著)
 この「永遠の微調整」を経て目指す改革については、丸山眞男が似たようなことを言っていたことを思い出した。民主主義の改革というものにはゴールはなく永遠に続くものといったニュアンスだったと思う。

2022年8月3日水曜日

本当の時間の流れ、とは

 小川のせせらぎや海辺の波の音を聞いていると、なんとなく心が洗われるような気がしていた。が、その理由は分からなかった。だが、『ゆたかな人生が始まるシンプルリスト』(ドミニック・ローホー著、講談社)に、その答えを見つけることができた。音を聞きながら、「立ち止まり、なにもしないでいてはじめて、時に支配されず、あらゆる束縛から解放され、本当の時間の流れを感じることができる」(p 56)からだったのだ。
 これまでのように、あれもやりたい、これもやりたい。あるいは、あれも、これもやらなければ、という思いに駆られて生活していると、一見、忙しくて充実しているようで、実のところ、本当の時間の流れを忘れ、何か見えない力に押されて生活してきたのかもしれない。
 どういうことか。
 食事の件で考えてみると、本当はお腹が満たされているのに目が食べたい、というときがある。これと同じようなことが心に起きると、「あれもやりたい、これもやりたい」という状態になるのであろう。つまり、心の声ではなく、時に支配され、慢性的な心の満腹状態に陥っていた。それゆえ、本当の時間の流れを忘れてしまったのであろう。本当の時間の流れを取り戻していきたいものである。

2022年8月2日火曜日

未来型の人間像

 「人間の進化論」というものを考えた。例えば、男尊女卑の思想に凝り固まった前近代的な人間から、人間の尊厳という原則を身につけた近代的な人間へ、その土台の上に、さらに新しい人間像の人間へと進化していくという考えである。社会の発展は、こうした人間の進化が進みながら、より良い方向に発展してきたし、発展していくものなのだ。
 しかし、歴史は必ずしもまっすぐに発展するものではなく、ときには逆戻りをしながら、それを跳ね返しながら、「人間の進化論」のように発展するであろう。そういう目で、ロシアによる歴史の逆行現象を見なくてはならないのだ。以下、「新しい人間像」の一例が示された文章である。「やっていて楽しいこと」「得意なこと」「解決したいテーマ」が全てマッチすることをやれる人間は、まさに未来型の人間像である。

 私の憧れの気候活動家である、海洋生物学者アヤナ・エリザベス・ジョンソンさんが「アナタらしい気候アクションを見つけるには?」という講演をしています。その中で「やっていて楽しいこと」「得意なこと」「解決したいテーマ」が全てマッチすることを時間が許すだけ沢山やると良いと言っていました。
 まずは、自分の楽しいことと得意なことを探すところからはじめよう~!としている最近です。(「2022年7月31日、赤旗日曜版コラム『風の色』、小野りりあん〔モデル・気候活動家〕著」より)

2022年8月1日月曜日

戦争などやっている場合か

 ロシアの蛮行が続いている。国際社会は、さまざまな蛮行を目の当たりにしながら、ウクライナを支援することはあっても、ロシアに対して有効な対策を打ち出せずにいる。その結果、日本も、今までになく軍事の必要性が高まってきている。恐ろしいことだ。それでは、前近代的な防衛論に逆戻りになってしまうであろう。
 軍事力を背景とした対外政策をとっているロシアの対極にある国は、明らかに日本であろう。自衛隊の存在はあるにしても、憲法の対外政策は、戦争放棄条項を原則にしたものであるからだ。ある意味で日本の存在は、北極星の存在に似ている。船乗りが北極星を目印に進んできたように、恒久の平和を願う人々は、日本国憲法の原則を目印に進めば間違うことはない。
 だからこそ、日本国憲法の原則を変えるようなことはあってはならない。それでは国を守れない、というかもしれない。それでは、憲法を変えれば、戦争を防ぎ、国を守ることができるといえるのか。そんなはずはない。逆に、戦争に巻き込まれる確率が増えるだけであろう。なんといっても、前近代的な防衛論に逆戻りしてしまうからだ。
 では、どうすればいいのか。「それぞれがそれぞれに精一杯生きて、共に生きる」(「ラジオ深夜便」中村桂子)といった哲学的視点に立って世界を見ること、広い観点に立って世界を見ることではないだろうか。そういえば、生命科学者の中村桂子さんが温暖化等々、地球的な対策が求められているときに、「戦争などやっている場合か」と言っていた。新しい哲学が求められているのかもしれない。