2022年12月31日土曜日

武者小路実篤の憲法草案

 武者小路実篤が「私の憲法草案――世界平和のために――」を書いている。世界平和のためには、個人の自由、生活の安定、人間の尊重を保障していくことが重要だと言っているわけだが、個人の自由や個人の尊重に対して、生活の安定というスローガンはあまり叫ばれなかったのではないか。最低生活の保障など言われてきたが、それではダメだ。「生活の安定」という言葉の響きがいい。
 ことわざに「衣食足りて他人の笑顔」というのがある。生活が安定し、生活が満ち足りていれば、戦争する気も起きてこないであろう。それでも戦争を求めるとしたら、軍事産業に関わる人くらいに違いない。
 日本の独立と平和の為にはどうしたらいいか、冷静に厳格に考えてものを言ってほしいと思うのである。
 僕は世界が本当に平和になる為には、個人の自由と、生活の安定が必要だと思う。何処の国も本当の意味で個人の自由を認め、それ等の人が正当に働けば生活が安定出来るようになれば、我等は何処へ行っても安心して生活が出来るわけだ。又強制されることがなければ何処の国に日本がとられても、結局同じことになり、とるだけ損になる。
 世界中の政府は人々の自由と幸福を助けるが、奪わない。結局何処の国の政治も同一で、国をとっても、とられても国民の生活には少しも変化がない。そう言う時になって始めてこの世から戦争はなくなるのだと思っている。
 国民は世界中何処へ行っても、同じように生活が出来る。同じく一日二三時間働けば、生活の安定が出来自由がたのしめる事になれば、戦争する必要はない。人間の方が主である。個人は何処に行っても自分の値打だけの生活は出来る。
 世界中の政府はあってもなきが如く、国民は政府の圧迫は少しも感じない。何処の政府も人民を同じように尊重し、生活の安定と自由を与えてくれ、いやなことはしないですむ。その代り、一人前の仕事をする。それも今に世界中の人は殆んど遊んでくらせる時がくる、労働はスポーツのようにだのしく果せる。そうなれば戦争の必要はなくなる。(武者小路実篤「私の憲法草案――世界平和のために――」『読本憲法の100年 第3巻 憲法の再生』、作品社編集部編、作品社)

2022年12月30日金曜日

地球の悲鳴が聞こえる

 日曜美術館アートシーン(2022年、12月25日放送)で、山梨県立美術館で開かれている「米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家」の紹介があり、そこで、作品《ヨーロッパの危機》の存在を知った。アートシーンの解説は
 世界地図が描かれた物体にひびが入り様々なものが溢れ出しています。1936年、スペイン内戦が勃発、日本でも2・26事件が起きました、戦争への不安をにじませた作品です。
 だが、私に言わせると、「あの頃の芸術家たちが、言いたくても言えなかったことを込めた絵は、時を超えて私たちの心に届く(山梨県立美術館制作映像「画家・米倉壽仁の生涯と芸術をたどる」より)とあったように、まさに現在の、ウクライナでの悲劇を訴えているような印象を受けた。米倉壽仁さんの心が、「時を超えて私の心に届いた」のである。
 以前、「地球が発する悲鳴」という詩を書いた。そこに、「・・・・・戦禍のたびに、地球が発する悲鳴が聴こえる/痛ましい地球の傷口を、これ以上、増やさないで!」と書いた。「ヨーロッパの危機」を見ていると、地球が発する悲鳴が聞こえるようだ。

米倉壽仁《ヨーロッパの危機》・1936年・山梨県立美術館蔵


2022年12月29日木曜日

歴史の逆行を許してはならない

 朝日新聞(2022年12月29日)コラム「天声人語」で、特定秘密保護法違反で初めて摘発された件が取り上げられていた。特定秘密保護法について、「あなたは秘密を聞きましたか。何が秘密かは秘密ですけど――。まるでそんな法律である」と書き、ベールに包まれた不気味な側面を紹介してくれている。
 特定秘密保護法だけでなく有事法制もそうだが、まだ、その真価が発揮されていない。憲法がしっかりとガードしてくれているからだ。これらの悪法は、日本国憲法という重石に鎖でしっかりと繋がれている状態なのだ。もし、憲法が改悪されるようなことになったら、重石がなくなり、悪法は一気に本領を発揮するであろう。
 ここで、改めて「天声人語」に耳を傾けてみる。

「どの部分が特定秘密に当たるのかは分からなかった」。機密を教えられた元海将は警務隊の取り調べのときでさえ、黒塗りの文書を見せられたと共同通信に語っている。「真っ黒だから何か分からず、話が通じない状態だった」▼あなたは秘密を聞きましたか。何が秘密かは秘密ですけど――。まるでそんな法律である。国会の強行採決から9年。違反摘発は初めてだ。当時の不安な気持ちを思い出した。

 今回の摘発は、「小手調べの摘発」に違いない。このような摘発が続けば、どうなるか。戦前の歴史を紐解けば、その重苦しさがわかるに違いない。そのような歴史の逆行を許してはならないのだ。 

2022年12月28日水曜日

戦争などしている場合ですか!

 戦争を防ぐためにも、新しい思想、新しい哲学の構築が必要だと書いてきた。生命科学者の中村桂子さんや、哲学者の梅原猛さんの考え方でもある。その二方に加え、モデルで気象活動家の小野りりあんさんを加えたい。気象活動家と言われる人たちがどれくらいいるのかもわからないが、彼らにとっては常識的なことでも、一般には馴染みのない言葉がある。「地球エコシステム」という言葉である。
 小野さんの解説によると、人類も、地球エコシステムの一部なのに、「自分達人類は地球の一部ではない」という思想が生まれ「自然や他国の人々を搾取し続ける構造が長年行われて」(「自分と向き合い さあ来年」『赤旗日曜版』、2022年12月25日)きたという。その結果が、温暖化等の気候危機である。
 それゆえ、気候危機を乗り越え、人類の未来を約束するために「必要なのは、『人類が地球エコシステムの一部である』という思想にもとづく社会構造への作り直し」(上同)でないか、という。ここでいうところの「人類が地球エコシステムの一部である」という思想は、国境という壁を取り払った「人類は皆兄弟」という思想でもある。こうした思想は、地球エコシステムを破壊する戦争というものと相容れない。だからこそ、「戦争などしている場合ですか!」となるのだ。

2022年12月27日火曜日

閣議決定で終わりではない

 作家の中村文則さんが、「閣議決定 終わりではない」というインタビュー記事を赤旗日曜版(2022年12月25日号)を寄せていた。自衛隊が「このままでは、アメリカの対中政策の軍事的なコマとして使われる」というのだ。だから、岸田政権の今回の決断は、「国の滅亡に直結するトップクラスの愚かな決断」だと、次のように述べている。

 日本はこれまで、アメリカの軍事行動には憲法や世論をたてに直接は参加して来ませんでした。今回の岸田政権の「決断」は、アメリカの戦争に参加する道を開く亡国の決断です。歴代政権の決断の中でも、国の滅亡に直結するトップクラスの愚かな決断です。

 閣議決定で終わりではない、とすれば、どうすればいいのだろうか。それは、「本当にこれでいいのか、日本がアメリカの戦争に巻き込まれていいのかと問題にし続けることが必要」だという。
 確かにその通りで、諦めてしまったら、それで終わりになってしまう。諦めないで声を出し続けることである

2022年12月26日月曜日

地球生命の存続という使命

 日本は、エネルギー自給率が低いだけでなく、食料自給率も低い。「食料自給率が低いと何が問題なのか」わかりやすい事例が紹介されていた。
 それは、輸入できない状態になった時に、食べるものがなくなってしまう危険があるということです。  
 2022年のロシアとウクライナの戦争では、小麦の輸出大国である両国から小麦の輸入ができなくなってしまいました。さらに、日本が小麦を輸入している他の国、アメリカ・カナダ・オーストラリアなどの小麦に世界中から注文が殺到したため、小麦の価格が急上昇し、パスタやラーメンなどの値段が上がってしまいました。
 また、コロナ禍の初期の2020年には、自国民の食料を優先し、他国への輸出を止めた国が何か国もありました。そうした事態が長引けば、日本は食べものを買いたくても買えない状況に陥ってしまいます。(『いちばん大切な食べものの話』、小泉武夫・井出留美著、筑摩書房、p12)
 結局、一度戦争に突入してしまえば、エネルギーの枯渇と相まって、国民は生命の危機に陥ってしまうことは目に見えている。いくら防衛費を倍増しようとも、とても、戦争の継続すら危ぶまれるであろう。
 だからこそ、軍隊では国民は絶対に守れないこと、日本は戦争を始めてはいけないこと、日本国憲法の普遍的な審理性に気づくこと、地球生命の存続という大きな使命に目覚めること、これらを実現していくことで初めて、平和が訪れる。

2022年12月25日日曜日

三分法的カテゴリー

 松岡正剛さんが、本を紹介していた著作で『バース著作集』は読んでおいた方がいい、と書いていた。その理由は忘れたが読んでみたい本のリストにあったので、どんな内容なのかを知りたくて借りてみた。そして、その内容が私も問題意識に合致するもので驚いた。というよりも嬉しかった。
 ほとんど一冊が、三分法的カテゴリーに関するもので、憲法の三原則を検討する際の哲学的バックボーンになるのではないか、と思えたのである。たとえば、哲学は、現象学、規範科学、形而上学の三つに、規範科学は、美学、倫理学、論理学の三つにという具合で、世界を三つの関係性のもとに捉えようとしたものではないか、と今のところ考えられる(そう理解した)。
 とにかく内容そのものは、役者が告白しているように難しいようで、解説から読んだ方が良いみたいなところがある。どちらにしても、日本文化の中にも、三昧、三すくみ、三拍子といった三分法的カテゴリーが存在しているので、焦らずゆっくり、読み解いていきたいと考えている。
(『バース著作集』、勁草書房、p202)

日本国憲法革命説

 日本国憲法の第一章は、天皇に関する条文で八条もある。それをもって、憲法で一番大切にされているのが天皇だ、そうした主張もあるようだ。だからだろうか。『今だから、日本国憲法』(盛泰寛編、地湧社)は、最高法規、平和主義、と解説が続き、天皇に関する条文は最後だった。
 しかし、天皇条項をよく見ると、それらは「全体として権力制限的」で、「否定的でありネガティブ」(『憲法九条は国際政治に無力か』、弓削達著、かもがわ出版 、1996年、p38)であるという解説を知って、目から鱗だった。解説は続いて、「大日本帝国憲法との国体
の連続を否定することに意味があった」。だから、「国体上のつながりはないということを示すもの」(上同)だ、と主張していた。これは、明らかな革命説にほかならない。
 ここでは簡単に述べられているが、もっと詳しく調べて、内容を膨らませてみる必要があるのではないだろうか。宮沢さんの「八月革命説」はどうだったのか。「八月革命説」とどこが違うのか。調べてみたいところである。(24日分)

2022年12月23日金曜日

渋沢栄一さんの金言

 齋藤孝さんの著書『小学校では学べない一生役立つお金の勉強』に、「偉人の金言から学ぶ」というのがあって、渋沢栄一さんの言葉と齋藤孝さんによるその解説があった。憲法の三原則の関係に興味を持っている関係で、「三拍子」という言葉に反応し、憲法の三原則も、”揃って正しくなければならない関係”ではなかろうか、と考えられることに気づいた。
 行為と動機と満足する点との三拍子が揃って正しくなければ、その人は徹頭徹尾、永遠までも正しい人であるとは申しかねるのである。

道徳的であるとは「正しい人」であるということだ。渋沢さんは、やっていることとやろうとした理由が正しく、しかもそのけっかに自分が満足していてはじめてほんとうに正しいとしている。とてもきびしい教えだね。
 とえば宿題がおわらずこまっている人を手つだってあげるのは正しいかな。助けたいという気もちは正しくても、手つだってあげるのはいいことじゃないよね。あとから「やっぱりほんにんのためにならなかったなあ」なんて思うかもしれない。渋沢さんのせいこうは、これくらい正しさにこだわったからかもしれないね。 (p 72)

 下腹部に力を籠める習慣を生ずれば、心寛く体胖かなる人となりて、沈着の風を生じ、勇気ある人となるのである。

わかりやすく言いかえると、おへそのしたあたり(丹田と言う)に力をいれる習慣があると、心やからだがおちつくというアドバイスだね。武道やスポー ツの話のように思うかもしれないけれど、渋沢さんは経営者にもこれが役立つと考えたんだ。なにかとつぜんのことでびっくりしたりこまったりすると、人はからだがブルブルふるえたりするからね。この習慣を身につけると、そんじょそこらのことでは動じなくなって、立派な人だと思われるようになるよ。 (p 73)

2022年12月22日木曜日

福沢の危険思想

 朝鮮人虐殺となど戦前から戦中にかけて、苦い経験があった。残念ながら、いまだにそうした思想が存在し、歴史的な和解の障害になっている。その源流が明治期の福沢諭吉の思想にあったことを知って驚いている。「福沢の脱亜論は単に脱亜にとどまらないで、蔑亜 —— アジアを蔑み、同時に、侵亜 —— を侵すことをめざすものとなった」(『憲法九条は国際政治に無力か』、弓削達著、かもがわ出版 、1996年、p9)というのだ。
 丸山眞男は、福沢諭吉の思想を評価していたが、福沢のマイナス面、恐ろしほどの危険思想を見抜けなかったのだろうか。諭吉の伝記は、こうした危険思想を伝えているのだろうか。やはり、日本のこれからは、明治の思想から書き直される必要があるのだろうか。今後の課題である。
 諭吉は、1885年頃、『時事新報』というのを発行していたようで、その社説に、「東洋諸国と縁を切る。西洋の文明国と仲間になろう」と書いていたという(上同)。諭吉の『時事新報』というものを読んでみたいものである。

2022年12月21日水曜日

完全非武装非交戦こそ”真の国防”

 私は、非武装、非交戦主義者で、ことあるごとに、その旨を発言してきた。しかし、なかなか理解されず、理想論に過ぎない。ロシアとウクライナの現実を見よ。どうしようもない国が存在している以上、そうした国から日本を守るためには、軍備も必要なのだ。そう言われ、そうした意見に効果的な反論も言えずにきた。
 しかし、一点だけはっきりしていることがある。軍備を持っている以上、先制攻撃をしなくても、攻撃されたと言って反撃(自衛権の行使)すれば、その時点で平和な状態は崩壊してしまう、ということである。ゆえに、真の国防は、「完全非武装、非交戦を定めた第九条を守り抜く」だけでなく、第九条を世界に宣伝し、普及していくことではないだろうか。
 それにしても、第九条には、「理想主義だけではなくて、現実的効用」があって、その現実を認識することが、一番大切という弓削達さんの指摘には気づかなかった。そう言えば、これまで、9条のおかげで、実際に戦闘に巻き込まれることがなかった意義は大きい。しかし、いつまでこの状態が続くかわからない。9条の解釈改憲が一層進んできているからだ。こんな時だからこそ、改めて日本国憲法の真価を学び直しないものである。

 一貫して第九条を、非現実的な理想主義として小馬鹿にする声高な議論に対して、完全非武装、非交戦を定めた第九条を守り抜くためには、この完全非武装、非交戦が、現代においてもっているところの現実的効用を認識すること。理想主義だけではなくて、現実的効用を認識することが必要です。それがいま一番大事ではないかと思います。
 まず、現代においては、戦争と、そのための準備としての軍備は、本来それが目的であったであろうこと、たとえば、自分の国を外国の侵略から守り、独立を維持し人権を守るという本来の目的を達成する手段としては、もはや武器による戦争はその意味を失い、反対に、人権、経済、財政を破壊する手段でしかなくなっていると理解することにほかならないのです。
 ということは、戦争も軍備も、その手段性を失っているということです。いま世界中にある核兵器の威力は、広島、長崎の揺籃期からは想像もできないほどになっています(広島投下原爆の四〇万個分ともいわれます)。人類を何十回も滅亡させるほどになっているわけです。非桜兵器の威力も放射能を出さないだけの違いで、その破壊力は核兵器に劣りません。一個五〇円から三〇〇〇円くらいでできるというブラスティック製の地雷は、この一〇年間に世界各地の民族粉争で一億個も使われ、いまだに週に五万個くらいは埋められていると言われているわけです。一般市民を殺傷し続けているということです。(『憲法九条は国際政治に無力か』、弓削達著、かもがわ出版 、1996年、p54〜55)

2022年12月20日火曜日

戦争はなぜ起こるのか?

 戦争については、いろんな考えがあって、議論もされている。しかし、戦争はなぜ起こるのか?について、これほど明快な考えは、初めて知った。同じ憲法でも、読み方一つでこのように明確に読めるということに感動してしまった。そうなのだ、「国家権力を握っている政府が戦争を起こす」のである。だからこそ、戦争を防ぐためにも、「立憲主義」が重要なのである。

 どうして平和はいつも破壊されるのか、そして戦争が起こされるのか。この点に関して日本国憲法は実に明快に答えています。日本国憲法のはじめにあるのは前文です。その最初の文章は、「日本国民は」とありまして、それを受けて「決意し」となっています。何を決意するのかと言いますと、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」となっています。日本国憲法の前文の最初の文章は、戦争の惨禍は、政府の行為によって起こるのだ、という明確な認識が表明されています。
この認識は、一九四五年に戦争が終わったときに、その敗戦までの日本の侵略戦争の中で生きてきたすべてのわれわれ日本人の共通の認識でした。つまり戦争は決してひとりでに起きるような自然現象ではない、政府の行為によって起こるのだ、つまり国家権力を握っている政府が戦争を起こすのだ、という認識です。ですから、戦争を起こそうとする国家権力を抑えなければ、平和を維持していくことができないということです。(『憲法九条は国際政治に無力か』、弓削達著、かもがわ出版 、1996年、p36)

2022年12月19日月曜日

感動は心の扉をひらく・2

 しばらくぶりに読んだ本『感動は心の扉をひらく』に、先生に見放されるほどの劣等生だったのに、一冊の本に感動し、その感動体験をきっかけにして優れた農業指導員にまでなった話が載っていた。
 その一冊の本はロマンロランの『ジャン・クリストフ』で、三回も読んだというのだ。その後、農業の専門書を、村役場の農業指導員の教えを受けながら、なんと十五冊を「暗記するくらい読んじゃった」(
『感動は心の扉をひらく』、 p76)というのだ。

そしたらね、あとはもう楽にスイスイ読めて、読んだり実験したりしていくうちに、人々は俺を農業の指導員と呼ぶようになったのよ(p76)

感動というやつは、人間を変えちまう。そして奥底に沈んでおる力をぎゅっと持ち上げて来てくれる、そういう性質を持っているんです。(p76)

我々は、何回も感動を受けては、心の中の日を大きくして、感動を受けるたびに、心を変えて、人間を変えていく。(p77)

 つくづく、「まだまだ感動が足りない」と思った。何よりも、何回も読んだ本が、どれだけあるだろうか。


2022年12月18日日曜日

感動は心の扉をひらく

 雑誌『MONOMASTER』など、初めて知ったが、「スナフキンに学ぶ心に染みる名セリフ集」に惹かれて手に取ってみた。そこで紹介されていた「自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界中でもな」もよかったが、この言葉の解説にあった「心から素晴らしいと感じたものは必ず自分の血肉にとなる」(『MONOMASTER』、2023年1月号、p9)が一番心に沁みてきた。
 それは、これまで読書の過程で心から素晴らしいと感じてきた言葉たちは、たとえ忘れてはいても、きっと自分の血肉になっているに違いない、と思えたからだ。つまり、「どのような感動体験も、必ず自分の血肉になるようだ」と確信できたことである。
 そういえば『感動は心の扉をひらく』(椋鳩十著)という本を持っていた。さっと読んでみたら、感動について、「感動と言うやつは、人間の心を変えるんです」と、次のように語っていた。
 感動と言うやつは、人間の心を変えるんです。感動は、心の中に起こる地震ですよ。心のそこからぐーっとひっくり返していく。そして、どちらへ向けるかというと、感動の方向に向かって、人の心を変えていくんです。すばらしい方向に人の心を変えていくんです。すばららしい感動を受けなかったら、人の心は変わりませんよ。(p53)
 このように考えていくと、文学の力、芸術の力の大きさを考えてしまう。理詰めも必要だが、感動的な詩や絵画等の芸術の力をもっともっと活用して、新しい明るい未来を切り開いていくことが必要なのかもしれない。

2022年12月17日土曜日

国防をめぐる”論理の罠”

 最近、国防という言葉が大手を奮って闊歩するようになってきた。国防が正論として当然視されるようになってしまったからだ。しかし、ここに論理の罠があることに、誰も気づいていないような気がする。どういうことか。
 それは、「戦力(武力)を用いて国を守る」ことは、戦争を始めることを意味するのに、あたかも本当に戦争を防ぐことができるように考えられている。しかし、よく考えてほしい。戦力(武力)を用いて戦争を防ぐことができるには、一つの前提条件がある。抑止力によって、均衡が保たれているという条件である。
 だが、歴史が証明しているように、なんらかの条件が引き金になって、これまで、それこそ数え切れないほどの戦禍に見舞われてきたではないか。それなのに、前提条件を軽視し、あたかも、永遠に戦争を防ぐことができるように考えてしまっている。これこそ”論理の罠”ではないだろうか。それが現状である。

2022年12月16日金曜日

崇高な憲法の精神を守り抜く

 大幅な軍事費拡大に向けて、国をあげて取り組み始めている。かつては1%枠というのを守ってきていた。その枠を取り払ったと思っていたら、一気に2%に向かうというのだ。それに対し、反対する声が聞こえてこない。意識してマスコミが取り上げていない面もあろうが、それにしても、末恐ろしい。
 なぜ、こんなになってしまったのか。「憲法に対して、忠誠心が上の方で揺らいでいて、結局国会の議員も、内閣も、最高裁判所も、そして財界やその他の社会体制も、それを自らのものとして、社会の中に根づかせるということについて、徹底的に不熱心だった」(奥平康弘著「活かすことが護ること」『世界』1993年6月号、p26)。にもかかわらず、そうした傾向に対し、効果的な反撃ができなかった。真に憲法を” 活かす”ことができなかったからに違いない。
 だからと言って、このまま政府の言うままに任せていたら、日本の国はどうなってしまうか、とても心配だ。間違ってもウクライナのように戦禍に見舞われるようなことは避けたい。崇高な憲法の精神を守り、残していきたい。その思いが一層強くなってきた。決して諦めないつもりだ。これからなのだから。

2022年12月15日木曜日

ストレスや不安感の処方箋

 これまで、何度か不眠症になったことがある。その時の不安感は、本当に辛かった。胸が押しつぶされるような苦しさで、心と体が密接に繋がっていることを実感した瞬間だった。それだけに、心の処方箋を渇望していたといって良い。「あの時のようになったらどうしよう」という思いが心のどこかにあるからだ。
 でも、著書『わたしは99歳のアーティスト 古ぎれコラージュとひとりの暮らし』(三星静子著、NHK出版、2012年)の中に、その答えを見つけることができた。心から打ち込めるものを持つこと、食事の時間も忘れるほど熱中できるものを見つけることだったのである。
 三星静子さんは次男を亡くしている。その時は「本当につらくて悲しかった。コラージュに真剣に打ち込むようになったのは、その時から」(p15)と書き、コラージュにようになったのは、その時から」と書き、夢中になっていると「悲しみとか悩みとかストレスとか、みんな飛んでしまう」(p15、原文も太字で強調)とも言っている。
 何と、心のモヤモヤがスッキリするだけでなく、体の痛みまで忘れるようで、夢中になると「体の痛みも心の痛みも何もかも無に」(p16、原文も太字で強調)なるという。脊柱管狭窄省で「座ってても、寝てても腰が痛い」のに、「コラージュをしていると、痛みも全然わからないの。ほんと不思議なくらい」(p16)だというから本物だ。
 そういえば、私の耳鳴りも、何かをしている時は忘れている。夢中になることは、その時の不安などが和らぐだけでなく、神経や同細胞そのものの癒しにもなり、”心の抵抗力”というようなものがあって、その抵抗力も強くなるのかもしれない。

2022年12月14日水曜日

マルクスは決して古くない

 現代の世界は、アメリカの強大な軍事力を背景に、アメリカ中心に動いている。日本はその一翼を担っている。そうした現実は戦後一貫しているのである。つまり、「国連が、とりわけ安保理事国が世界の大国支配 —— すなわち、冷戦体制意識 —— を脱し得ない現実のままに、政府は国連追随の大国意識を明らかにしている」(『政治は途方に暮れている その理念と現実』、内山秀夫著、日本放送出版協会、1994年、p66)のだ。
 この事実を考えたとき、頭によぎったのが、レーニンの『帝国主義論』だ。ひょっとしたら、レーニンが描き出した世界像というものは、まさに今日の戦争も含まれた世界なのかもしれない。つまり世界は、マルクスやレーニンが心配した通りに進行しているのかもしれない。
 マルクスは古くなったとも言われているが、決してそんなことはなく、今でも光り輝いている部分があるに違いない。プラトンやカント、ヘーゲルといった哲学者の理論が色あせないように、パルクスやレーニンの理論も、決して色褪せるようなことはないのかもしれない。とりあえず、レーニンの『帝国主義論』を紐解いてみたいものである。

2022年12月13日火曜日

運動そのものが意欲を育てる

 昨夜、また夜中に覚醒してしまい、しばらく雑念の空回りで眠れなかった。そのため、起きたのが七時過ぎてしまった。そこで、改めて『運動脳』(アンデシュ・ハンセン著、御舩由美子訳、サンマーク出版、2022年)に書かれていたことを思い出し、継続的な運動の必要性を痛感している。読書メモの中で気に入ったのが、「運動は、副作用が一切ない薬だ。少しだけ気持ちが滅入っている人でも、深い苦悩抱えている人でも、たいていは運動をすれば晴れやかな気分になれる」(p169)というところだ。
 図書館の内容紹介によると、「脳は頭を働かせようとするより、身体を動かすことでこそ威力を発揮する器官。『歩く・走る』で、学力、集中力、記憶力、意欲、創造性、すべてがアップする」という。さらに魅力なのが、無理さえしなければ、体力も向上するらしいということだ。次の体験記に教えられてことである。うつ病の患者さんに運動を処方した結果の記録である。

 彼女の状態では週にランニングを3回というのは無理があったため、まずは定期的なウォーキングから開始した。最初の数日は10分ほどしか歩けなかったが徐々に歩く時間を長くして、ペースも上げていった。そして3週間後に再び病院にやって来たとき、まだ疲労感は抜けきっていなかったものの、1回につき15分のスロージョギングができるまでに体力は回復していた。
 数週間と続けるうちに、彼女は少しずつ運動の強度を上げていった。初めて救急外来を訪れてから4か月が過ぎるころには週に3回走れるようにいなり、ときには1時間近く走ることもできた。
 体調の変化には目を見張るものがあった。全般的に健康になり、夜もぐっすり眠れるようになっていた。また、短期記憶や集中力も改善した。職場でも家庭でも些細なことで不安を覚えなくなり、ストレスも減っていた。(p167)
 運動の成果で「全般的に健康になり、夜もぐっすり眠れるようになっていた」というのが何よりの励みであった。「運動が身体にいいことは知っていても、その効果がどの程度のものであるかや、運動そのものが意欲を育てることを知っている人はほとんどいない」(p169)素晴らしい、あとは自ら実践あるのみである。

2022年12月12日月曜日

研究の卵を育てる

 朝日新聞(2022年12月10日)のコラム「天声人語」で、「人類を冬眠させる」研究をしている研究者(小児科医である砂川玄志郎さん)の存在を知った。人工的に人間を冬眠させることができれば、患者の搬送や治療での「積極的な時間稼ぎ」につながるというのだ。しかし私は、研究そのものよりは、冬眠する猿もいるらしいという論文記事から浮かんだ疑問、「同じ霊長類の人間も冬眠ができないだろうか」を大切にし、それを膨らませて、「職を辞し、睡眠研究の道に転じた」という人生のドラマに興味を抱いた。
 そういえば、ニュートリノ研究でノーベル賞も受賞した小柴昌俊さんが、研究の卵を持って大切に育てることの重要性を語っていた。しかし私は、大切に育てているとは、とても思えない。いくつかも卵を抱えているのは良いとしても、時々卵を温めることを忘れてしまうことが多かったのだ。だからこそ、砂川玄志郎さんの人生ドラマに感動したのかもしれない。
 ちょうど今、”人権主体概念”という新しい卵を温めつつある。しかも、その卵は、前に温めてきた”日本国憲法の三原則概念”という卵の兄弟のようで、助け合うことで互いに成長していくような気がしている。今度こそ、それらの卵を、大切に、執拗に温め、育てていきたいものである。

2022年12月11日日曜日

歴史のバトンをしっかりと未来に

 日本国憲法の第九七条では、「憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と記し、基本的人権が長きにわたる歴史的な遺産であること示している。この条文の、「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ」てきたものであることを、より具体的に膨らませ、わかりやすくしたものがあった。
 それは、
「地球は丸く、自転している」というガリレオの主張が許されなかったのは三五〇年前のことです。しかもそれは、無知からというよりは、櫂威に逆らっているという理由からだったのです。
「この人とは結婚しません」と、女性が主張できるようになったのは、日本ではわずか四〇年たらず前のことにすぎません。それまでは「家」制度という秩序にもとづいて、婦人の権利・地位が低くおさえられていました。
 今日の私たちにとっては「あたりまえ」のことが、そうなるために、実に多くの人びとの努力があり、さらに多くの人びとがその「あたりまえ」のことが認められずに苦しみに耐えてきたことがわかるでしょう。
「人間が、自分の身体、心そして活動について、他から東縛されることなく、自分の意志で決定できる」ということを確立するためには、大きな犠牲を払いながらの人類の長期にわたる努力がありました。しかも、そうした努力の成果も、専制的な権力者によって何度も崩され、あともどりをしいられてきたのです。(『世界の憲法 人権思想のあゆみ』、一橋出版、1991年、まえがき)
 である。
 現在我々は、「人間が、自分の身体、心そして活動について、他から東縛されることなく、自分の意志で決定できる」自由がある。しかし、少し前までは、それこそ信じられないような不自由や不平等があった。空気のありがたさを普段は忘れているように、今では当たり前のことも、かつてはそうでなかったことを思い出し、歴史的発展というものが確かに存在することを確信し、未来をこの発展の方向に推し進めていくべきである。歴史のバトンをしっかりと受け取り、未来に引き渡すべきなのである。

2022年12月10日土曜日

森の思想が人類を救う

  梅原猛さんが「森の哲学」というものを提唱している。一言で言うと、西洋のように森を食い尽くす(上手く言えないが、大陸の砂漠化を招いた思想)思想ではなく、森の生物と人間が共生して生きていく思想のようである。この思想を、「 森の哲学はまだ生きている」という文章の中で、加藤登紀子さんが次のようにわかりやすく紹介している。

「文明は森のあるところに生まれ、森を食い尽くして滅び、また別の森を求めて旅をしてきた」
 人類の歴史とともに始まった環境破壊。四大文明の跡をことごとく草木のない砂漠に変えてきた歴史の悲劇。
 有史以来の都市文明を宿命のように引き受けてきた数千年、そしてせっせと上をコンクリートに変えてきたこの数十年、自然との対立構造は絶望的なまでに進んでしまった。
二十世紀前半、戦争と産業革命という破壊力にさらされた地球は、何とか平和を手に入れた後半紀も開発という名の破壊に打ちのめされた。どちらかといえば、後半の世紀のほうが圧倒的な破壊力だったともいえる。
 今、二十一世紀をむかえ、何とか新しい基軸を見つけたいと願う反面、後戻りはもうできないのだという投げやりな感情に苛まされていることも確かだ。
そんなゆきづまり感の中で、日本人はまだまだ森の哲学を失ってはいないというこの発見は、とても大きな希望を与えてくれる。
 国土の三分の二が森であり、そのうち四割が原生林、稲作中心の農業と海からの豊富な漁業に支えられてきたゆえに、日本は森の破壊をまぬがれた。
日本人の心にはまだまだ森が生きており、土の層が存在している!
「森の思想が人類を救う」
 二十一世紀の日本の役割をこう言い切った梅原さんの想いに、私たちはしっかりと応えていかなければいけないと強く思う。(『梅原猛著作集 17巻』月報)

 豊かな森に育まれてきた日本、「国土の三分の二が森であり、そのうち四割が原生林森」の萬の神に育まれてきた日本、だからこそ、日本の「森の思想が人類を救う」のかもしれない。大きな希望である。

2022年12月9日金曜日

永遠の命と命の輪廻

 映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を観た後に流れた山下達郎さんの歌「REBORN」も、その歌詞に感動した。感動した部分の字幕をメモしたが、いろんなメッセージが込められているようで、いろんな人に励ましと勇気を与えてくれる歌詞ではないかと思った。
 行替えは私が勝手にしたものだが、一連目からは、感動した著作は、あなたからしっかりと受け取ったので、私から誰かへ想いを繋ぎたい、と思ったし、二連目からは、とにかく勇気をいただいた。そして三連以降は、永遠の命、命の輪廻というものを感じることができた気がする。そして、こうした想いの大切さを教わることができた。ありがとう。
あなたからわたしへと
 わたしは誰かへと
想いを繋ぐために

悲しまないで
 うなだれないで
振り向かないで
 怖がらないで
止まらないで
 あきらめないで
生きて行きたい
 あなたのように

あなたはいつの日か
 ふたたびよみがえり
永遠のどこかで
 わたしを待っている

たましいは決して
 滅びることはない、
いつかまた
 きっとまた
めぐり会う時まで
少しだけ さようなら
たくさんの ありがとう
少しだけの さようなら

2022年12月8日木曜日

人生を燃やし尽くそう

 映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を観た。敦也、翔太、幸平の幼なじみ3人組が、30年以上むかしの人からのお悩み相談を手紙を通して受ける物語である。最後に敦也が、白紙の悩み相談を出し、ナミヤ雑貨店の店主からの返信を受け取る。その中身は、およそ次のようなもので、心に響く内容だった。
 手紙の要点は、
「未来は白紙→白紙だからどんな未来も描ける→すべては自分次第 → 何もかもが白由で可能性は無限 → 人生を悔いなく燃やし尽くそう」
 となる。
 子供や青年向きの言葉に思えるが、何歳になっても、「未来は白紙」と思えるし、だからこそ、何歳になっても、「人生を悔いなく燃やし尽くそう」と思える。だから、心に響いたのだ。
名無しの権兵様へ

 あなたが白紙の手紙をくださった意味を、じじいなりに考えてみました。
 思うにこれは、あなた自身の心を表しているのではないでしょうか。
 
 今のあなたには、自分の道が見えていない。
 でも、どうか絶望をしないでください。どうか あきらめないでください

 あなたの未来はまだ白紙です。白紙だからどんな未来も描けます。すべてが、あなた次第なのです。何もかもが白由で、可能性は無限に広がっています。その人生を悔いなく、燃やし尽くされることを心より祈って おります。

 悩み相談の回答を書くことは、もうないと思っておりました。
 最後に、素晴らしい難問を頂けたこと。感謝いたします。本当にありがとうございました。

2022年12月7日水曜日

”前提が曖昧”の議論の実例

 数学の世界と違って、社会における議論は”前提が曖昧”のまま進められることが多い。そのことが気になって数学に興味を抱いてきた。だが、”前提が曖昧”の議論を直接批判したことはなかった。
 ロシアとウクライナの戦闘状態が未だ止む気配はない中、さまざまな論評が飛び交っている。軍事アナリスト小泉悠氏による「『戦争論』が説くウクライナ前線の背景」(『週刊東洋経済』、2022年12月10日)も、その一つだ。初めは何の疑いもなく、読むことができた。しかし、前提を”真なるもの”と確信して議論が進められていることに気がつ具ことができた。
 例文を次に引用したが、下線部分が前提で、太字部分が結論になっている。下線部分が真実かどうかは疑わしい。だから、「人間性の発露としての戦争をトゥキュディデスは紀元前から直観的にわかっていたし、それは古代も今も変わらない」という結論もあやしいことになる。
 また、「クラウゼヴィッツは、 攻撃の相互作用によって、暴力が極限に達する」と言っているようだが、クラウゼヴィッツの言葉が真実ならば、とても恐ろしい事態が予想されることになる。それにしては、それほどの危機感を抱いていないように思われる。危機感を抱いていれば、とても、軍事力倍増の議論にうつつを抜かしていることなどできない。それよりは、全力で停戦合意を目指しているはずだからである。

 プーチンの語りを素直に聞けば、ウクライナが西側に取られてしまうという恐怖心や、本来ロシアの一部であるウクライナを自分が取り戻すという名誉心で戦争を始めたとしか思えない。そんなフィクション中の悪役のような理由で人間は戦争を始めることがあり、それはトゥキュディデスの時代から変わっていないのだ。
 戦争と人間性は対比して語られがちだが、むしろ悪い意味で非常に人間的な営みといえる悪い意味での人間性の発露としての戦争をトゥキュディデスは紀元前から直観的にわかっていたし、それは古代も今も変わらないのだと『戦史」は教えてくれる。
 もう1つ挙げたいのが、プロイセンの軍人だったクラウゼヴィッツの『戦争論』だ。彼は近代の戦争の普遍的なルールを見いだし、19世紀前半に本書を書いた。
 クラウゼヴィッツは『戦争論』の冒頭で、「戦争は暴力闘争である」と定義する。戦争は拡大された決闘であって、暴力によって敵を屈服させることがその本質にある。国家が政治目的を達成するための激しい暴力闘争。これがクラウゼヴィッツの戦争モデルだ。(『週刊東洋経済』、2022年12月10日、p42)

クラウゼヴィッツは、 攻撃の相互作用によって、暴力が極限に達すると説く。(上同、p43)

2022年12月6日火曜日

政治世界像の再構成ということ

 政治というものは、政治家の仕事だという認識だった。だが、我々一般市民にとって”もっと身近な存在”だった。それだけでなく、私が日頃考えていたこと、政治に倫理を持ってこなければという思いが、「政治とはつねに倫理と結びついた形で展開するべし」と、政治学者の言葉として聞かれ、大いに励まされた。
 さらに、「生活の質がどうしても問題にならざるをえなくなって、はじめて政治として発動された人間のいとなみとしての政治」が問題になり、「統治のための権力が、人間のための権力として始原的に考え直されるようになったいま、権力による政治世界像が再構成されようとしている」という。”政治世界像の再構成”なんて考えたこともなかったが、社会科学の中に、身近な政治の世界像というものを、倫理と結びついた政治というものを構築したいものである。探したいと言った方が良いかもしれない。
 アメリカでの六〇年安保は、丸山先生が政治の選択として『政治の世界』のなかで〈戦争か革命か〉と提示した状況を私に考えさせるよすがになったが、私に〈選択〉をもっとも痛烈に突きつけたのは、大学紛争だったというべきである。もちろん、そこでの選択は、体制か反体制か、というものではなく、政治とはつねに倫理と結びついた形で展開するべし、というポイントにかかわる、というぎりぎりの思い方である。それこそ、生活としての政治につながってゆくことがらである。
 この生活としての政治を、私は政治を事件につなげる発想を拒否することで考えねばならなかった。民主主義とは、まさしく、日常的に行なわれる人間のもっともありのままの表現だとすれば、民主主義とは、〈民主主義を支える私情〉といったものに拠るほかはない。この私情は、必ずしも意識とか認識とか、あるいは組織によってかき立てられるものでなく、まったくの日常生活の平和な維持への感覚に支えられている。
 丸山先生の政治世界には、民主主義が抽象的政治理念としては世界中でゆるぎない正当性を認められるようになった時代において、民主主義の当の担い手である一般民衆が、政治的無関心と冷淡さを増してゆく状況を、いたましいバラドックス〉とみる姿勢が一貫している。しかし、このパラドックスは、安定を重大とした豊かな民主主義ではいかにしても解決できないたぐいのものであった。
 人間が人間であろうとしなければならなくなったのは、豊かさそのものが問い直されねばならない環境の変化をもって契機としている。それは生活の質がどうしても問題にならざるをえなくなって、はじめて政治として発動された人間のいとなみとしての政治である。統治のための権力が、人間のための権力として始原的に考え直されるようになったいま、権力による政治世界像が再構成されようとしているのである。それは、丸山先生が考えられた、もう一つの政治の世界だったのではないか。(『いのちの民主主義を求めて』、内山秀夫著、影書房、2015年、p13)

2022年12月5日月曜日

「一汁一菜」思想の源流

 私も美術館の会員証(年間パスポート)を持ってはいるが、土井さんほど熱心に通ったことはない。「”溺読”という精読」で、土井さんの読書の徹底ぶりを紹介したが、美術品鑑賞の徹底ぶりも、見上げたものである。「美術館に通うようになって一年経ったとき、なんとなくいいなと感じるものが増え、一年前は見えていなかった美に気づく。それからまた一年して、一年前はわかっていなかったと気づく、その繰り返し」だという。料理の本で美術品鑑賞というものを学べるとは思いもしなかった。  
 何よりも、読書にせよ、美術品の鑑賞にせよ、その”徹底ぶり” に、「一汁一菜思想の源流を見た思いがする。彼の”徹底ぶり” は、私にとって、あるいは最も学ぶべき点なのかもしれない。あやかりたいものである。
 実際に「善いもの」とを、区別して見ないといけないこともわかってきました。とにかくいいものを見ないといけない。しかも、雑多なものよりも、一級品のいいものを見ないといけません。
 それからというもの、時間があれば、大阪中之島の東洋陶磁美術館、天王寺の大阪市立美術館、京都の国立博物館などに通い始めました。美術館の会員証を持って、少しでも時間があれば、とにかく見る。当時は今よりも美術館は空いていました。今では美術館も企画展が多くなりましたが、当時は、たとえば国立博物館には本当にたくさんのものが常設で並んでいたのです。美術館に通うようになって一年経ったとき、なんとなくいいなと感じるものが増え、一年前は見えていなかった美に気づく。それからまた一年して、一年前はわかっていなかったと気づく、その繰り返しです。京都や大阪の画廊や道具屋にも興味を持つようになって通いました。 ただの若いもんでも、どこに行っても親切にいろいろなことを教えてくれるものです。(『一汁一菜でよいと至るまで』、土井善晴著、新潮新書、新潮社、2022年、p167)

2022年12月4日日曜日

九条の福音

 新聞広告で『九条の大罪』というタイトルの漫画を知った。「法とモラルの極限ドラマ!」で、「厄介な案件ばかりを引き受ける弁護士・九条間人(くじょうたいざ)」の活躍が描かれているらしい。私は、ドラマの内容はともかく、タイトルが気になった。「日本国憲法九条の大罪」とも読めてしまうからだ。
 そこで考えた。『九条の福音』といタイトルの本を書いたらいいではないか、と。類書はないかを検索し、「聖書釈義から説き起こし、広大な思想史的考察を経て、憲法九条に基づく防衛戦略構想」に及んだ『山上の説教から憲法九条へ 平和構築のキリスト教倫理』(宮田光雄著、新教出版社)を見つけた。

 今まさに戦禍の真最中だけに、九条の福音に耳を傾けたいものである。
【目次より】
1 「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ」
   ――《山上の説教》と平和構築の倫理
 1 論争の中の《山上の説教》
 2 《山上の説教》と責任倫理
 3 《山上の説教》と現代の平和構築
 4 《主の祈り》を生きる
2 兵役拒否のキリスト教精神史
 1 イエスと兵役拒否
 2 古代教会の兵役拒否
 3 中世教会と宗教改革の正戦論
 4 平和主義セクトの兵役拒否
 5 現代の世界教会と兵役拒否
3 近代日本のキリスト教非戦論
   ――内村鑑三の思想と系譜
 1 義戦論から非戦論へ
 2 非戦論の展開
 3 非戦論と再臨思想
 4 非戦論と兵役拒否
 5 非戦論の継承
4 非武装市民抵抗の構想
   ――日本国憲法九条の防衛戦略
 1 非武装による防衛構想
 2 市民的抵抗の諸形態
 3 市民的抵抗とデモクラシー
 4 《草の根》からの市民運動(出版社のサイトより)

2022年12月3日土曜日

梅原猛と二ーチェの思想

 最近、梅原猛の思想を追いかけ始めている。そんな彼が、丸山眞男や小林秀雄を批判していたことを知った。「ニーチェの論争の教訓に従って、小林秀雄を、丸山真男を、三島由紀夫をこてんぱんに叩いた。私からみれば、彼らは何ら普遍的価値をもたず、いたずらに時流に乗って驕りたかぶっている人間のように思われたから」というのである。小林秀雄や三島由紀夫はともかく、丸山真男の思想は、民主主義に対する考えなど、学ぶべきことが多かっただけに、意外だった。
 こうなると、梅原猛がどのような批判を書いたのかが気になる。梅原猛氏によれば、「二ーチェは、『実際は大きな価値をもたないのに、いま時流に乗って驕りたかぶっている人間にたいして批判の矢を放て。そしてその際、自らに真理以外に何の味方もないのを確かめて戦いを始めよ』といった。味方を博み、衆を持んで戦いをしかけるのは卑劣である。ニーチェは当時、評価の高まったダビッド・ストラウスやリヒャルト・ワグナーに単身戦いを挑み、それによって学界、マスコミ界から孤立した」という。やはり、二ーチェの思想もしっかりと学ぶ必要がありそうだ。
 まだ読み始めたばかりだが、「道徳の系譜学」は、3つの論文からなり、「いずれも、最後のところで、新しい真理が厚い雲間から顔を出す」と書かれているという。二ーチェにしては珍しい論文の形式と、「雲間から顔を出す」であろう真理というものに興味がある。どのような真理を描き出したのか、楽しみに読み進めていきたい。

2022年12月2日金曜日

「人生の方程式」で解く戦力

 ベクトルという物理の概念がある。力に向きを加えて矢印で表せせるものだ。「人生の方程式」というのを知って、人生にベクトルの概念を取り入れたものだと理解できた。そして、平和を守る方法に最適な方程式でもあることに気がついた。
 どういうことか。
 武力を、戦力を使用する考え方」か、使用しない考え方で”結果が逆になってしまう”ことを意味する、ということである。つまり、考え方が悪ければ、その”結果はマイナス”になってしまうということだ。
 この方程式で大切なこと、忘れてはならないことは、(戦力の)能力が高いほど、マイナスのダメージが大きいということである。防衛費倍増の恐ろしさがよくわかる方程式である。

「稲盛和夫著『PRESIDENT』、2022年12月2日、p34」より

2022年12月1日木曜日

エンタルピーこそが平和への道

 この世の中は、エントロピー増大の法則に支配されているという。人間の手を加えなければ、畑は荒地になり、古い家は朽ち果ててしまうのも、エントロピー増大の法則によるものだったのだ。このようなエントロピーには形を壊す効果があり、逆に、形を作る効果をエンタルピーという。このことを知って、「戦争こそ、エントロピーの最たるもの」ではないか、と思った。焦土と化した戦後の日本や現在のウクライナのことが雄弁に物語っている通りである。
 そこで考えた。軍事予算を倍増が計画されている。これらの武器を使用した結果はどうなるか? 被害は倍増で、想像すらできないほどの甚大な被害を被ることは目に見えている。軍事予算の倍増に比例してエントロピーも倍増するからだ。エントロピーにエントロピーで対抗しては、エントロピーが、つまり破壊が増加するだけなのだ。
 やはり、エントロピーに対抗するには、エンタルピーに限る。文化、芸術、科学の予算を倍増し、世界的な交流も活発にしていくことは、エンタルピーを増大させることになる。エンタルピーが増大すれば、それだけエントロピーは減少し、減少したぶんだけ戦争の危険がなくなっていくことになる。エンタルピーこそが平和への道なのかもしれない。