2020年8月31日月曜日

共に賛嘆す


武者小路実篤さんの詩をアレンジして創ったもの

 一心で仕事をすると喜びになり、力が内に満ち溢れるようになり、その結果、益々元気になり、益々真剣(一心)になる。そして、また喜びになり、と好循環が続く。この真理を、この詩は謳っているのだ。

一生自分は仕事するなり
これがどんなものになるか
我は知らねども
ただ一心で
仕事すると
我喜びになり。

力内に満ち
益々元気になるなり
益々真剣になるなり
見ていると
かかれるものの線が
ますます生きてくるなり。

内の力
外の力
これがすれすれに
相共に生きるなり
我生きるなり
彼生きるなり
共に生きるなり
喜びその内にあるなり。

一心こめて
仕事するなり
一心こめて
文章を書くなり
一心こめて
線をひくなり
一心こめて
字を書くなり
それがしたくって
毎日勇んで起きるなり
一心こめて
仕事できる喜び。(「仕事の喜び」『武者小路実篤画文集・6』からの抜粋)

2020年8月30日日曜日

新しい世界を発見する喜び

 武者小路実篤の思想に惚れ込んで、画文集を読み鑑賞しているが、多くの画家に関心を示し、感動している。ルーブル美術館にも行っているようで、「まずロダンで驚き、セザンヌ、ゴッホに驚き、アンリー・ルソー、マチス、ピカソ に驚いた。中には感心できないもの、理解できないものもあったが、珍しい、新しい世界を発見する喜びがあった」(『武者小路実篤画文集・1』、p90)と書いている。
 美術館だけでなく、雑誌の記事などにも興味を示したようで、「何か自分の求めているものがあるように思って、本の広告や、美術雑誌の記事を見たりして、自分の求めている人を捜した」(上同、p91)。最近、同じような体験をした。
 8月25日のブログで紹介した浜田知明の作品「初年兵袁歌・歩哨」も、そうだが、それ以前にも、美術館に備えてあった「アンドリュー・ワイエス」展覧会の図録を見ていて発見した「白昼夢」にも感動した。窓から差し込む柔らかい光とカーテンの柔らかさが肉体の柔らかさと相まって何とも言えぬ雰囲気を醸し出している。
 読書には、再読というのがあって、再読によって新たな発見があると言われている。画家などの人物についても、同じようなことがあるようで、「今まで知っていた人を再吟味し、そこに新たな喜びを発見することができるようになる」と書いている。そう言えば、ワイエスの「白昼夢」は、ワイエスの再吟味によって見出したものだった。

2020年8月29日土曜日

全体的破滅を避けるという目標

 世界的な規模での脅威には、現在進行形としての新型コロナ等の感染症、それに地球温暖化、そして、核エネルギーである。物理学者のアインシュタインが平和の問題でいろいろと発言しているのは有名だが、ホーキング博士も発言していた。「私たちは原子雲が落とす影の中に暮らしていて、誰もが寿命を全うできる保証など、どこにもないのだ」(ジェーン・ホーキング著、『無限の宇宙』、p46)と書いていたのだ。これこそ、原子力(核兵器・原子力発電所)否定の思想そのものである。
 核兵器は、抑止力という機能だけに頼って戦場で使わなければ安心という考えもある。仮にそうだとしても、事故による暴発というシナリオが成立し、存在自体が危険なのだ。それは、軍事基地の存在と類似している。 『核は暴走する』という著書が、そのことを暴いている。

 壊滅的な被害を招く核兵器事故が1度も起きていないのは、「設計が優れているからではなく、幸運に恵まれた」からだと考えた方が良い(『核は暴走する』、p271)

 トライデントⅡミサイルを潜水艦に積み込む方法については、二つの方法が考えられている。「だが、いずれの場合も、事故が起これば同じ結果を招くだろう。100発以上の核弾頭を積んだ潜水艦で、ミサイル一発が爆発すればどうなるかは、議論を待つまでもない」(『核は暴走する』、p280~281)

 絶対安全と言われていた原子力発電所でも、事故を起こしてしまった。事故による核爆発は、決して起きない、と誰が言えるだろう。「全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねぱならぬ」というアインシュタインの原則は、第一回の京都会議以来確認されてきた平和の大前提である。

2020年8月28日金曜日

再エネへの投資 早期に移行を

 朝日新聞夕刊(2020年8月27日)に「再エネへの投資 早期に移行を 」という記事が載った。「気候危機を回避するには、2030年に温室効果ガスの排出を世界全体で45%削減し、50年には実質排出ゼロにする必要がある」と具体的な目標の提示が示されて心強かった。
 具体的な目標を達成するためには再生可能エネルギーに対する投資が大切として、「国際エネルギー機関は、再生可能エネルギーに対して今後3年間で1兆ドル(約107兆円)を投資すれば、環境関連で900万人の雇用を創出できるとの試算を発表した」という。
 さらに、「新しい発電源として風力と太陽光が最も安価となった。30年までには、ほぼ全世界で石炭および天然ガスによる既存の発電のコストを下回る見込みだ」。日本も、原発に固執する事はやめて、軸足を再生可能エネルギーに向けるべきであろう。

(「朝日新聞夕刊、2020年8月27日」より)

2020年8月27日木曜日

自然エネルギー普及は加速する

 2011年に起きた福島における原発事故以来、福島県で自然エネルギ−100%を目標に掲げたものの、期待したほどの成果は上がっていない。逆に、再稼働する原発が出てきたり、最近は、小型原子炉の研究に予算がついたりしているのが現状である。
 自然エネルギーの不安定というマイナス面ばかりが強調され、自然エネルギーへの見通しは暗いと思っていたほどである。しかし、世界の大勢を概観すると、「世界的な規模での自然エネルギーへの転換なしに地球温暖化を防ぐことはできない」ことが明らかになっているようだ。
 自然エネルギ−100%など、夢のような話と思われるかもしれない。しかし現実は、「自然エネルギーがエネルギーの主役となり、『自然エネルギ−100%』(RE100)がグローバル企業の目標となり、その自然エネルギ−を電源とする電気自動車や自動運転が普及を始めた」(『通販生活』2020年盛夏号、p169)ほどである。

(「『通販生活』2020年夏号、p183」より)

 

2020年8月26日水曜日

野党共闘新政権で新自由主義にメスを!

 最近の新型コロナ感染者数は、インドで増えているが、米国とブラジルでも、依然毎日万単位で増加している。その大きな原因についてジャーナリストの青木理さんによれば、 新自由主義(「無駄なものは削れ」「もうかれば正義、すべては自己責任」など)がまん延し、その結果、「医療・福祉などは極度に脆弱(ぜいじゃく)化」してしまったから、だという。
 それでは、どうすればいいのか。その答えも、青木理さんが示してくれている。「資本主義を大幅に修正し、生産や労働の在り方、税制や富の再配分などの仕組みを再構想しなければ、もはや世界はもたないでしょう」(『赤旗日曜版、8月23日)と。
 皮肉にも、強大な軍事力を持っている米国での感染拡大が続いている。感染症だけでなく、地球規模の気候変動やそれに起因する気象災害なども、軍事力ではどうしようもないことは明らかである。そういう意味でも、辺野古といった新たな軍事基地建設など以ての外なのだ。
 世界のコロナ患者数も、これで治るとは思えない。だからこそ、新自由主義にメスを入れられる、野党共闘による新政権の誕生が望まれる。

チャートで見る世界の感染状況 新型コロナウイルス:日本経済新聞」より)


2020年8月25日火曜日

個としての人間を全否定する旧日本軍隊

  ラサ・ラーソン展を観てきた。チラシのトラや猫など可愛いくて素敵さ作品がたくさんあったが、常設展にあった図録(『いわき市立美術館コレクション100』)に掲載されていた浜田知明の作品「初年兵袁歌・歩哨」と、その解説に心を奪われてきた。



 その作品は、「浜田の自画像といえるもので、軍隊生活のなかで一人きりになれる唯一の時間である歩哨の最中に、銃口を喉元に当てて引き金を足で引いて、自らの生命を絶とうとする初年兵の姿を描いたもの」(「浜田知明100年のまなざし展示-戦争を経て、人間を見つめる(2018.3.20 町田市立国際版画美術館)」より)だ。


 家に帰ってよく観たら、一筋の涙が描かれていた。図録の解説には、

 若き画学生であった浜田知明は、昭和14年東京美南学校を学業し、同年郷里熊本で入営。翌年より中国大障へ派遣され、黄塵の中、歩兵砲、軍馬と共に東北地方を4年間にわたり転戦した。
 そんな彼を待っていたものは、個としての人間を全否定する旧日本軍隊の機構と、戦場という異常な殺人環境であった。聖戦美名の下に行われる殺りく、強奪、凌辱の日々。また、軍隊個有の組織制度である内務斑とその延長上にある戦場での生活、とりわけ、後者の階級と年次でもってくり返される初年兵教育は、逃げ場のない日常的なものだけに、時として戦場における生命の危機や肉体的な苦痛を超えるものがあったという。
 軍隊という上意下達の閉塞した集団。そこで行われる教育に名を借りた私的制裁。多くの兵隊は、組織で生き抜くためその状況に順応し、やがて、エゴイスティックに他者に刃を向ける。この予盾と不条理に満ちた環境に順応できなかった者は、かかる抑圧の解放手段として最終的に自殺を選らばざるを得ない
 この作品は、一介の兵士として転戦しながら、人間として「モノを考えることを止められなかった」作者の自画像である。(いわき市立美術館の元学芸員・堀越達雄さんによる解説、強調は引用者による)

 とあった。この短い解説の中に、軍隊生活、軍隊というものの本質が見事に描かれていいて驚いた。特に、「戦場という異常な殺人環境」という本質をついた表現に驚いた。この解説を読んで作品を観ると、作品の素晴らしさが倍加するような気がする。

2020年8月24日月曜日

「もう戦争はしない」ときめたのに!

 今日は、『基地の子 この事実をどう考えたらいいのか』(1953年)から、軍事演習に関する子供達の声を紹介する。
 あれから何十年、今も演習は続いている。写真で紹介した自衛隊のロケット砲でわかるように、威力は何十倍も上がっているであろう。
 今年の5月23日、「コロナ禍報道のただ中で陸上自衛隊の実弾演習が行われ、弾薬だけでも3億6000万円、19トンを使用したと報じられ」(『世界』、2020年8月号、p41)たという。なんという無駄だ。

しゃげき場
    愛知県二川町二川北部小学校五年
               後藤祥子

えんどうと美しい花で知られている
私たちの渥美半島、
その渥美半島に、
「しゃげき場ができそう。」
中山の子たちが知らせてきた。

私たちの学校近くの高山かいたくちも
きょ年、よび隊のしゃげき場になった。
けさも、ドンドーンと音がきこえる。

「もう戦争はしない。」ときめたのに、
あっちにも
こっちにも、しゃげき場ができる。
私たちの田や畑をつぶすのはいやだ。 (p220)

砲弾の下の村
   山形県戸沢村小学校五年
         中里千代子

 ドカーン、タタタタ・ダダダ…と、きょうもまた、しゃげきのれんしゅうがはじまりました。大ほうのたまが、いやな音をたててとんできます。そして、うちのすぐうらの松倉山で、バリバリと耳がさけるような音をたてて、はれつします。
「ほら、てぇへんだ。」
「みんな、家さ、かぐれろ。」
と大声あげて、おとなの人たちが、はたけの方からにげてきました。
「ああ、いまがいつばん、でえじな、うえつけどきだでばのう。」
 かげにかくれて、うらめしそうに、たまのとんでくる方をにらみつけました。
「こげ、まい日、ドカンドカンやられるど、しごとなど、とんと、できねえぜ。」
 うらの星野のおじさんがいいました。星野の家の人たちは、戦争の終った年、東京から六百キロの遠い道をあるいて、この村へきた人です。おもい荷をつんだリヤカーをおして、ひと月もかかって、この開拓団にはいりました。ほかの人もみんな、戦災者や引揚者ばかりです。
「五年もあせ水たらして、ひらいた土地だども、たまの雨ふってけば、畑もなにもできねえぜ。」
 また音がして、家がビリビリふるえました。ぱらぱらと、たまの破片や土のこながとんできました。
「あぶねえぞ。」
「せをひくくせえ。」
 みんな、どっと、地面にはいました。
 そのとき、うらの山がバリバリ音をたてて、もえはじめました。
「山火事だ。」みんな顔いろをかえました。たまがとんでくるので、火を消しにいけません。火はだんだんひろがっていきました。
 私は、きょねんの今じぶん、たまにあたって死んださち子姉さんのことを、おもいだしました。たまの音と山火事の音のなかから、千代子、千代子と、私の名をよんでいる姉さんの声が、きこえてくるような気がしました。
 そのとき、「姉ちゃん、おっかねえ。」と、おとなりへあそびにいっていた三つの弟が、にげてきました。私は弟をだきよせて、じっと息をとろして、たまのやむのをまっていました。
「アメリカの兵隊さんがた、どこか人のいねえどこさ、えって、れんしゅうしてくれねえがのう。」
 私は、心の中で、いいました。(p255~257)

「『日本の基地 1 写真・絵画集成 沖縄の基地』
(林茂夫編、日本図書センター、2002年)」より

(上同)

2020年8月23日日曜日

米軍は演習が終わると・・・

  昨日紹介した『基地の子 この事実をどう考えたらいいのか』に、とてもショッキングな子どもの詩を見つけた。本当は実弾演習に怯える詩を紹介する予定だっが、まずこの詩を紹介する。


 米兵が子どもたちに、ガムやチョコレートをくれる話はよく聞かれる。「そんなものか」と思うだけだったが、この詩を知って、とても嫌な気持ち、複雑な気持ちになってしまった。
 騒音などの物理的な被害は、目に見えてわかるのに対して、精神的な、屈辱的な被害というものは、複雑に屈折して見えるから始末が悪い。いずれにしても、こうした被害が延々と何十年も続いているのだ。
 しかし、新聞上での議論を見ると、安全保障がどうの、こうのという議論ばかりで、それらがもたらしてきた負の部分には、あまり触れられることはない。議論が逆立ちしているからかもしれない。つまり、まず、憲法で保障されて人権が守られているか、が議論の出発点であるべきなに、そうした議論がないがしろにされている、ということである。
 これまでは、憲法に照らしてどうなのか、という視点が欠けていた。だから、子供たちの真摯な声、切実な声に耳を傾ける必要がある。憲法に照らしてどうなのか、と。


2020年8月22日土曜日

日常化してしまった非日常

『基地の子 この事実をどう考えたらいいのか』(清水幾太郎他編、光文社、1953年)という本がある。編集の言葉で、「この狭い日本の中には、六百いくつかのアメリカ軍事基地があります。そして、どなたもご存知のように、これらの基地の周囲には、いろいろの面倒な問題が起きております。この『基地の子』という書物は、基地の付近に住む子供達の観察と感想を盛った文章を集めてできたものであります」とあった。
 軍事基地周辺で面倒な問題を抱えているのは、なくなったわけではない。今でも、軍用機は飛び交っているし、実弾演習もしている。しかし、私を含め、多くの日本人は、そうした問題と無関係に、あたかもそんな問題はないが如くに生きている。
 そして、「核の傘は必要だ」とか「安保条約があったから今日の繁栄がある」などと、平気な顔で、本気になって思い、発言している人が多くいる。日常が非日常になることの恐ろしさを、毎年のように襲ってくる自然災害によって、あるいは、今回の新型コロナ問題で思い知らされた。
 しかし、軍事基地周辺周辺の人たちにとっては、「非日常が日常化」してしまったのだ。何度申し入れても、夜間飛行をやめない、という声もある。アメリカ本土では決してしない、ありえない生活圏上空の低空飛行も、なくならない。まさしく「非日常の日常化」である。そうした日常化してしまった非日常というものを想像してほしい。それは、考えようによっては拷問に等しいではないか。
 こうして書いているうちに、軍事基地周辺周辺の人たちに申し訳ない、今まで、ほっておいて、申し訳なかった、と思った。そういえば、授業中に軍用機が飛ぶと窓は振動し、授業にならない、と読んだことがあった。しかし、すぐ忘れてしまった。もし、例えば息子が転勤になって孫がその学校に転校になったら、それでも、忘れてしまうだろうか。そんなことはない。やはり、「非日常の日常化」は、あってはならない。

2020年8月21日金曜日

重慶爆撃はまだ時効になってはいない

 恥ずかしい話だが、一九四八年、国連総会で採択された「ジェノサイド条約」 (集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約)のことを最近知った。

「歴史上のあらゆる時期において集団殺害が人類に多大な損失をもたらしたことを認め、このいまわしい苦悩から人類を解放するために国際協力が必要であると確信し」
 という前文をもって結ばれた「ジェノサイド条約」は、集団殺害の定義を、「国民的、人種的、民族的又は宗数的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもって行われた行為」とし、「集団殺害が、 平時に行われるか戦時に行われるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、これを防止し処罰することを約束する」と協定していた。
 この条約は、直接的にはナチス・ドイツの行ったような「人道に対する罪」を防止し処罰するためのものであるが、戦略爆撃の罪科がここから除外されるいわれは全くない。ゲルニカ → 重慶 → 広島の歳月を貫く一本の糸は、まぎれもなく「集団殺害の意図」そのものであり、レオ・クーパーのいうように、「広島と長崎への原爆投下は、絶対的なホワイトカラーの技術的ジェノサイドを代表するもの」にほかならないからである。 (前田哲男著「戦略爆撃の思想 ゲルニカ → 重慶 → 広島への軌跡」『Asahi journal』1987年12月25日号 朝日新聞社、p46)

「全面戦争へと向かう戦争の性格の変化と、多数の人間を即時に殺戮するための技術的諸手段は、ジェノサイド的争いに導く状況を作りだす。この可能性は、ドイツが支配をめざす戦争でジェノサイドを用い始めた第二次世界大戦において現実のものとなった。しかし私は、その用語はアメリカによる日本の広島、長崎両市への原爆投下にも、また連合国によるハンブールグ、ドレスデンのような町々へのじゅうたん爆撃にも適用されねばならないと考える」(『ジェノサイド』)とクーパーは書いている。(同上、p46)

 それでも、ジェノサイドはなくならない。ベトナムはその典型かもしれない。次のようにか紹介されている。

 北爆は、北のすべてを目標とすべきである。爆撃する以上、相手を灰燼に帰すまで徹底的に爆撃すべきである。「爆撃に爆撃を加えて、彼らを石器時代に引き戻してやるのだ」。D・ハルバースタムはルメイの発言をこう記している。ベトナム戦争で使用された爆弾の量は七年間に一三〇〇万トン、これはマリアナの米軍が日本の全土に投下した爆弾一五万四千トンのじつに八四倍にものぼる。ボール爆弾、パイナップル爆弾と名づけられた新手の対人殺傷兵器も登場してきた。(同上、p48)

 ベトナム人を人間とは思っていないような発言である。ジェノサイドに背景には、有色人種への根強い差別意識があることは間違いない。プラス、武器商人の存在である。だからこそ、次のような「地球を乗っ取り、人類を人質とした核抑止戦略」が、いまだに支配的なのだ。それにしても、「人類を人質とした核抑止戦略」とは、よく言ったものだ。


 一九八七年。戦略爆撃の思想は、米ソ保有の各一万発を超す「戦略核弾頭』によって、地球と人類の運命をその手中に握り釘づけにし続けている。増大する危機と破局の前兆を目にしながら、脱却への歩みは急速には進まない。たとえ米ソ両国に戦略発動と兵器使用の意思がないにしても、地球を乗っ取り、人類を人質とした核抑止戦略下の歳月に生じた退廃と虚無の広がりを止めるのは容易ではなくなった。(同上、p48)  

 最後は、日本軍による「空からのテロリズム」に言及していた。

 核保有国のみならず日本もまた、みずからかかわった空からのテロリズムの歴史を直視することなしに、彼らを裁く道義的資格はもっていない。無差別大量殺戮史における「失われた環」である重慶爆撃は、その意味でもまだ時効になってはいないのである。=おわり(同上、p48、強調は全て引用者による)  

2020年8月20日木曜日

常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべき

「グアム移転で、すでに2,298億円提供」というブログを書いてから、グアムのことが気になってきた。全島の約3割が米軍というほどの基地の島なのに、新たな基地強化が図られるのは、残酷な仕打ちだ。沖縄の基地負担軽減は、裏を返せば、グアムの基地負担増を意味するではないか。つまり、「負担を他に押し付けることでしかできない負担軽減」は、真の負担軽減とは言えない。基地機能の削減、停止こそ、目指すべき負担軽減といえよう。
 しかし現状は、基地負担軽減という隠れ蓑の中で、新基地建設による基地機能のバージョンアップ、つまり、基地の強化を図っているに過ぎない。このような真実に目を向けて、ここに至っては、「基地が存在する限り、負担軽減などあり得ない」という事実に気づくべきであろう。
「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべき」(『永遠平和のために』カント著)存在であることは、一つの真理であり、それゆえ、新たな軍事基地を建設する時代ではないのである。それは、新しい原子力発電施設を建設する時代ではないのと一緒ではないだろうか。

2020年8月19日水曜日

グアム移転で、すでに2,298億円提供

 本日の『しんぶん赤旗』で、沖縄の基地負担軽減、という名目で、移転費用を米政府に払い続けていることを知った。これまで支払った総額が 2,298億円で、今年度も404億円を提供する計画だという。そして、「米領内の基地建設のための資金提供は前代未聞」のことらしい。
 ネットで調べていたら、「グアム移転費/日本負担分 米国に返還求めよ」という『しんぶん赤旗』(2012年2月17日)の主張があった。この時点で、「政府が予算化し米政府に送金した金額は、09年度3・36億ドル(約345億円)、10年度4・978億ドル(約468億円)合計約813億円もの巨額」なっていた。この調子で、米政府に毎年貢いできた結果が、2,298億円になってしまった。
「見過ごせないのは、日本がグアム移転費として米政府に送金した巨額の負担分がこれまで一部しか使われず、大部分が米財務省の『勘定』(口座)に眠ったままになっていることです。日本政府もそれを知りながら黙認」していることだ。従属も甚だしい。
 それでなくても、コロナ対策で、巨額財政支出をしていて、よそ様に貢ぐ余裕などないはずである。真の独立国家として生まれ変わるには、米軍基地が邪魔である。1日も早く、撤退してもらいたいものである。

2020年8月18日火曜日

核兵器禁止条約の発効まであと6か国

「広島原爆の日」の6日に、アイルランドなど3か国が核兵器禁止条約を批准していたが、「長崎原爆の日」の9日に合わせて、新たにカリブ海の島国、セントクリストファー・ネービスが批准したので、核兵器禁止条約の発効まであと6か国となった。
 セントクリストファー・ネービスのブラントリー外相は、声明の中で「長崎への原爆投下は残虐性と非人道性の極みだ。核兵器を持たない小さな国々が世界の平和に貢献している中で、核兵器に有用な目的を見いだせない。すべての国が人類のための平和互いを尊重する世界に向けて取り組むことを願う」(核兵器禁止条約 新たに1か国批准 発効まであと6か国 」より、強調は引用者による)と発表している。心強い限りだ。
 また、2日から原水爆禁止2020年世界大会がオンラインで開かれたようだが、その中での発言も心強かった。

 「明るい兆しも見えています。私たちは大義を掲げて立ち上がり、すでに多数派です」(オーストリアのトーマス・ハイノッチ大使)
 禁止条約は「明るい光」とし、「参加する国が一つ増えるごとに、核兵器のない世界に近づきます」(核兵器廃絶国際キャンペーンのベアトリス・フィン事務局長)
 アメリカの圧力に抗し、「必ず(政府の)調印が実現すると確信しています」(西洋条約機構の「核の傘」のもとにあるスペインで、禁止条約参加を求めているペドロ・アロホ氏)
 「パンデミックで新自由主義の破綻が浮き彫りになりました。若い人々が不正義に立ち向かっています」(イギリス核軍縮運動のケイト・ハドソン事務局長)
 黒人差別問題で立ち上がる市民にふれて、「人々は抜本的な社会の変革を求めはじめています。戦争と核兵器を時代遅れにしましょう」と呼びかけました。(アメリカ・ピースアクションのジョージ・フライデー氏)(「2020年世界大会/「核なき世界」へ希望を示した」をもとに編集して紹介しました)

 批准した国は、下記の国々(「核兵器禁止条約批准国一覧(2020年7月15日現在 40か国)」より引用)と、アイルランドなどの3カ国に、セントクリストファー・ネービスを加えて44カ国、考えようによってはこれだけの国々が、核の脅威に怯えている、とも言える。
《アジア》
カザフスタン、タイ、パレスチナ、バングラディシュ、ベトナム、ラオス、モルディブ

《オセアニア》
キリバス、サモア、ニュージーランド、バヌアツ、パラオ、フィジー、クック諸島

《アフリカ》
ガンビア、ナミビア、南アフリカ共和国、レソト、ボツワナ

《ヨーロッパ》
オーストリア、サンマリノ、バチカン

《ラテンアメリカ カリブ海地域》
アンティグア・バーブーダ、ウルグアイ、エクアドル、エルサルバドル、ガイアナ、キューバ、コスタリカ、セントビンセント・グルナディーン、セントルシア、ドミニカ、トリニダード・トバゴ、ニカラグア、パナマ、パラグアイ、ベネズエラ、ボリビア、メキシコ、ベリーズ

(以上40カ国)

2020年8月17日月曜日

老いて伏すも志は千里にあり

  横山光輝著、漫画三国志の解説に、著者が心を奪われたという曹操の漢詩「歩出夏門行」の一節が紹介されていた。


 その意味は、「名馬は年老いて馬小屋に伏すようになっても、若いころの千里を疾駆した志は今なお持っているし、それと同じように強い気持ちを持って節義を重ずる男は、人生の晩年になっても、その壮烈な心をなくすようなことはない、と曹操はうたいあげているのだ」(16巻)
 この曹操の漢詩の一節をさらに短くし、「老いて伏すも志は千里にあり」という言葉にしてみた。是非ともあやかりたいし、同時に、日本国憲法の志も、千里先にある、先進的なものであることを思い起こさせてくれる。

2020年8月16日日曜日

被爆の実相に迫った写真集の紹介

 次の文章を読んで、初めて【酷烈】(きわめてきびしく,はげしいさま)という言葉を知ったが、被爆の実相は、この序でも述べられているように、言葉による文章によっても、それぞれに一長一短があって、写真によっても、文章によっても、ましてや一つの単語によって伝えることはできない。写真や文章に想像力が加わって初めて、被爆や戦争の実相に迫ることができるのである。そういう意味で、写真や文章に接した後の、じっくりと想像を巡らす時間が大切になってくる。
  写真集より、なんとも痛々しい写真2枚を紹介したが、やはり胸に迫ってくるものがある。こうした実相に背を向け続ける現政権が恥ずかしい。そして同時に、「再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し」と謳った日本国憲法を、改めて誇らしく思えた。

 経済大国化し太平の毎日を謳歌している現代日本では、戦争を忘れている人々が多いかもしれないけれど、戦争中日本の圧制に苦しみ日本軍の残虐行為の対象となった思いを忘れない人々が、中国・朝鮮韓国・フィリピン・シンガポール・マライなどのアジア地域にはおおぜいいて、何かにつけてその思いが吹き出すのである。日本国民には、それら諸民族に対する加害責任をとる義務があり、その義務を果たすためにも、加害の事実を知っておく必要があるのである。
 同時に日本人は、国内においては、被害者でもあることが多かった。召集されて否応なく戦場にかり出され、あるいは死に、あるいは傷つき、あるいは非人道的行為の実行を余儀なくされた出征軍人たちのほかに、銃後の国民も戦争を体験させられた。近代に入って以後の対外戦争をふり返ると、日清・日露・日独戦争などでは、みな戦場は国外であったから、本土の日本国民は戦場体験をもたないですんだが、15年戦争では本土も戦場となったので、大多数の国民が戦争の惨禍に直面させられた点、それ以前の対外戦争と大きく違っているのである。その意味で日本人のほとんどすべてが被害体験を味わってきたと言ってよいだろう。
 しかし、それも、ノド元過ぎれば熱さを忘れるという諺のとおりに、時間がたつと被害の苦痛が忘れられ、上述のように世代の交替によって体験者が逐年減少していくにつれ、忘却はいっそういちじるしくなる。そのような結果に陥るのを防ぐために、戦争の惨禍についての知識が談話・文献・映像などを媒体として後に伝えられていかなければならない
 戦争の惨禍を後に伝えるための媒体としては、まず言語と文章が数えられる。戦争の惨禍の極限的な情況を写真として撮影することは困難、むしろ不可能な場合が多いし、時間的順序を追っての展開のあとをたどるのもむづかしいから、談話や記録という媒体が大きなはたらきをする。
 日本人の戦争被害体験のなかで、いちばん酷烈なのが原爆によるそれであることは言うまでもなかろう。原爆の悲惨なことは、単に日本人の被害として想起されねばならないだけでなく、核兵器時代の今日、人類滅亡の危険への注意を喚起するという意味で、全人類的課題であると言ってもよいのである。さきに私たちが多くの原爆記録を集めた『日本の原爆記録』全20巻を世に送ったのは、時間の進行とともに人手のむづかしくなる原爆記録を、今の時点で改めて広く読んでもらいたいと考えたからにほかならない。
 しかしながら、上述のように、戦争の惨禍の極限状態の再現と伝達とは、写真では困難で言語文章によるほかしかない場合が多いのはたしかであるが、文字によるそれにも限界があって、映像の一目瞭然たるに及ばないというところのあることもまた事実である。この『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成』を刊行するのは、さきの『記録』とあわせて、原爆の恐怖をまのあたり再現するのに不可欠だからであった。(家永三郎著「映像記録の意味するもの」『ヒロシマナガサキ原爆写真・絵画集成 1卷 被爆の実相』[家永三郎他編、日本図書センター、1993年]より、強調は引用者による)

なく元気もない乳飲み子と医師を探す父親。長崎付近。8月10日午後2時頃

町からリヤカーで、やっと道ノ尾まできた少年。身体を火傷している

2020年8月15日土曜日

沖縄本島面積の15%も米軍基地だった!!

 昨日紹介した『日本の基地 1 写真・絵画集成 沖縄の基地』(林茂夫編、日本図書センター、2002年)に、沖縄県の自衛隊と米軍基地が図示してあった。改めて、基地面積の大きさに驚いてしまった。何%くらいなのかをネットで調べ、また驚いた。本島に限れば、何と、本島面積の15%も米軍基地だという。そこに自衛隊基地を加えれば、さらにパーセントが増えることになる。
 さらに詳しく市町村単位で見ていくと、嘉手納町は、82.0%、金武町は、55.6%、北谷町は、52.3%、宣野座村は、50.7%、と、町の半分以上が基地のところがこれだけあって、嘉手納町のように、基地の中に、申し訳なさそうに存在している町さえあるのだ。何ということだ!! 沖縄の人たちに申し訳ない。心からそう思う。

 

 沖縄にはどれだけの米軍基地があるのですか。 第2章 米軍基地の現状と日米地位協定 A  沖縄県には、31の米軍専用施設があ り、その総面積は1万8,609ヘクター ル、本県の総面積の約8%、人口の9 割以上が居住する沖縄本島では約 15%の面積を占めています。  その規模は東京23区のうち13区を 覆ってしまうほどの広大な面積です。 沖縄が本土に復帰した昭和4 7年 (1972年)当時、全国の米軍専用施設面 積に占める沖縄県の割合は約58.7%で したが、本土では米軍基地の整理・縮小 が沖縄県よりも進んだ結果、現在では、 国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、 全国の米軍専用施設面積の約70.6%が 集中しています。 (平成29年1月1日現在) (「沖縄にはどれだけの米軍基地があるのですか」より)

2020年8月14日金曜日

沖縄で劣化ウラン弾が使われていた

 『日本の基地 1 写真・絵画集成 沖縄の基地』(林茂夫編、日本図書センター、2002年)を読んで、沖縄で劣化ウラン弾が誤射とはいえ、訓練で使用していたことを初めて知った。


ネットで調べたら、沖縄タイムズのニュースがあった。3回も、1520発も撃ち込んで、なんで誤射と言えるのか。
 もう一つ、気になった写真があった。自衛隊の「武装訓練」の写真で、ミサイルを運んだり、ミサエル装填をしているものだ。ミサイルは、明らかな武力でなくて何であろう。




米軍、被ばく恐れ環境調査せず 沖縄・鳥島の劣化ウラン弾誤射 政府の説明と矛盾

 2019年5月8日 沖縄タイムス+プラス ニュース
 【ジョン・ミッチェル特約通信員】1995~96年に米軍機が鳥島射爆撃場(沖縄県久米島町)で劣化ウラン含有弾を誤射した事故の後、米空軍が兵士の被ばく懸念から少なくとも2010年9月まで鳥島での動植物の生息状況や水質などを調べる通常の環境調査を実施していなかったことが分かった。米国情報公開制度で本紙が資料を入手した。
 日本政府は1997年、誤射について「鳥島に立ち入ったとしてもその影響は十分小さい」との調査結果を公表。2002年にも「影響は無視できる」としたが、同射爆撃場を管理する米軍側の評価はこうした地元への説明と矛盾していることが明らかになった。
 また報告書によれば、未回収の劣化ウラン弾は発射1520発のうち1273発で、総重量は計188・4キロだった。弾丸にはウラン234、同235、同238の3種類の同位体が含まれており、大部分を占めるウラン238の半減期は約45億年。
 米軍岩国基地(山口県)所属の海兵隊機が1995年12月と96年1月に計3回、劣化ウラン弾を鳥島射爆撃場に誤射した。米空軍の資料によると、米軍はその際に鳥島を調査したが、わずか192発(13%)しか回収できなかった。

2020年8月13日木曜日

アメリカにノーと言える議員を!!

 最近知ったことだが、「改憲は近い未来の政治日程には上ってこない」と予測していた内田樹氏による記事が、2013年に掲載されていた。その根拠が、なんと、アメリカの意向であり、アメリカからのシグナルだった。
 改憲の見通しが薄らいだらしいということは嬉しいが、「アメリカの意向を忖度する人々」の力を考えると、気が重くなる。アメリカにノーと言える統治者を選ぶことは難しいのだろうか。そんなことはない。アメリカにノーと言える議員を国民が支持すればいいだけの話である。

 アメリカが「中韓との関係を緊張させることはしてはならない」というはっきりしたメッセージを出してきている以上、安倍自民党が改憲をこれ以上どり押しすることはありえない。
 たしかに改憲を強行しようと思えばできないことはない。参院選で自民党が圧勝すれば、自民党の改憲草案を国民投票にかけて可否を問うことは技術的にはできる。だが、それは「戦争ができる国になる」という宣言に他ならず隣国からの激しい外方的な反発を招くことは間違いない。
 たしかに日本が改憲によって集団的自衛権を自由に行使してアメリカの軍事行動をフルサポートすることはアメリカにとっては好ましいことだが、軍事的フリーハンドを持った日本が東アジアのリスクファクターになることはまったく歓迎できる事態ではない。ナショナリスティックな政権が主導する改憲がアジア諸国と日本の間の外交的緊張を高めることは、誰が考えても必然の成り行きである。それは端的に「西太平洋におけるアメリカの仕事を増やす」ということを意味している。ただでさえ北アフリカ、西アジア、北朝鮮に問題を抱えているアメリカはこれ以上仕事を増やすことを同盟国には許すまい。
 だから、アメリカは「今は改憲すべき時ではない」ということをすでに安倍首相に対して複数のチャンネルを通じてはっきりと伝えているはずである。長期政権を狙うなら首相にこれを拒否する選択肢はない。拒否した場合に、「アメリカの意向を忖度する人々」(自民党内にも官僚にもたくさんいる)が「アメリカのメッセージを聞き損なった統治者」をどう処遇するかは鳩山由紀夫元首相の先例から明らかである。だから、改憲は参院選の争点にならないし、仮に選挙で自民党が圧勝しても、やはり近い未来の政治日程には上ってこない。以上の日米関係の文脈に基づいて私はそう予測している。(内田樹著、「アメリカからの『警告のシグナル』」『新潮45』、通巻376、2013年8月号8、p51)

2020年8月12日水曜日

もっと怒らなければならない

 武田砂鉄さんが、「もっと怒らなければならない」という言葉を引用し、「怒りとは、『相手』の存在を認め、つながること。怒りを伝達せず、無理やり抑え込むことで分断が生まれ、憎悪が暴発する」(『暮らしの手帖』、2017-2018年1-2月号、p151)と書いていた。

 例えば、日米間の従属関係に怒りを持った時、その相手とは日米政府関係者ということになるのだろうか。従属関係を良しとしている人たちにも向けられる。そして、怒りを伝達できるまで、怒りの本体をしっかりと認識できている必要がある。
 それに対して憎悪は、感覚的な感情の域を出ることがない。だから、余計に始末が悪い。だからこそ、もっと怒る必要があるのかもしれない。「相手」の存在を認めて怒りを伝達すれば、きっと本意が伝わるに違いない。「怒り」は、コミュニケーションの一つの手段だったのだ。多分。

2020年8月11日火曜日

在日米軍における差別意識

 なお燃えさかる米国の抗議運動「ブラック・ライブズ・マター」だが、直接的な暴力だけでなく、その背景にある「米社会に残る差別の構造が問われている」と言われている。米社会に残る差別は、黒人に対してだけでない。日本人を含む有色人種に対しても、同じような差別があったし、今もあるに違いない。
 実は、在日米軍の軍人による暴力の背景に、日本人に対する差別意識があることを告発した論文を読んで、「有色人種に対する差別意識」の問題は、安保条約の根本問題ではないか、とさえ思えてきた。そう考えると、日本特有の地位協定も理解できるからだ。
 とにかく、彼らアメリカ兵は日本人を、「どうも、人間とは考えていないらしい、という結論が生れて来る」というから、驚く。

 第一のグループは、アメリカ兵を中心とするものである。アメリカ兵を中心とするとはいえ、勢い、樣々な問題が含まれて来るが、やはり、特に目立つのは、アメリカ兵の乱暴である。彼等の乱暴は、私の、そして、恐らく、読者の想像を遙かに越えている。文字通り滅茶苦茶である。子供たちの作文(注)を読んで、私は全く呆れ返つてしまった。一体、彼等は日本人というものを人間と考えているのであろうか。馬鹿らしい話だが、最後には、こういう疑問が湧いて来る。そして、どうも、人間とは考えていないらしい、という結論が生れて来る。(岩波講座「教育」第一巻の「現代文明論」に書いた通り、この「結論」には、アメリカの社会心理学者が科学的根拠を与えている。) ヨーロッパ各地にもアメリカ軍軍事基地はあるけれども、白色人種の住む彼地では、よもや、こんな乱暴を働いてはいまい。有色人種の住むアジアへ来ると、アメリカ兵は気軽に振舞えるのだ。万一、アメリカ本国で毎日こんな乱暴をやっていたら、刑務所をいくつ作っても足りる訳がないし、そもそもアメリカの社会が成り立つまい。つまり、日本では何事も気軽に出来るのである。(清水幾太郎著「基地社会の構造」『基地日本』、和光社、1953年、p216)

(注)『基地の子』、清水幾太郎著、光文社、1953年

2020年8月10日月曜日

軍事的侵略は もはや起こりえない

 三日前に、「攻め込まれたらどうするのか?」という一般的な疑問に対する考えを書いたばかりだが、こうした「問い」そのものが、今ではあり得ないことがわかった。
 確かに昔は、よく言えば帝国主義戦争、悪く言えば侵略戦争がよくあった。だから「攻め込まれたらどうするのか?」という疑問が生じるのも無理はなかった。しかし、一九四五年以降は、戦争は当たり前のことではなくなっており、常識的な先の「問い」は無意味になってしまったのだ。すなわち、

 ごく少数の例外を除けば、世界の国々は一九四五年以降、征服・併合を目的として他国へ侵攻することはなくなった。こうした征服劇は、はるか昔から、政治史においては日常茶飯事だった。大帝国の多くは、征服によって建設されてきたのであり、大半の支配者も人民も、この状況が変わることはないと考えていた。だが今日では、ローマやモンゴル、オスマントルコのもののような征服を目的とした軍事遠征は、もはや世界のどこにおいても起こりえない。一九四五年以降、国連の承認を受けた独立国家が征服されて地図上から消えたことは一度もない。国家間の限定戦争(相手の殲滅を目指すことなく、その目的や、攻略の範囲や目標、手段などに一定の制限を使けた戦争」は、今なおときおり勃発するし、何百万もの人が戦争で命を落としているが、戦争はもう、当たり前の出来事ではない。(サピエンス全史・下 文明の構造と人類の幸福』、ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社、2016年、p207、下線は引用者による

 こうした歴史的事実は、世界史が軍縮を可能にする客観的な保証を指し示している。軍縮は世界史の流れなのであり、日本国憲法は未来を先取りしているといえよう。ということは、辺野古のような新しい軍事基地が必要となる必然性はなくなっていると言える。即刻中止してほしい。

2020年8月9日日曜日

軍隊の力学と経済の力学は車の両輪

 軍事力には、軍事力そのものに備わった力があって、「軍人の心理はそれに支配され」てしまう、という考えを知って、その独創性に驚いた。天体に固有の重力が働くように、軍隊にも固有の力が働くというのである。なるほど、軍隊(軍備)が自己増殖する所以である。それは、次のように書かれていた。

 軍事力にはある種の力学があって、軍人の心理はそれに支配され、持っている武器は使いたいんです。一方、軍事産業は次々に新しいモデルの武器をつくって利益をあげたいはず。しかも国が相手だから国が破綻しない限り取りはぐれはない。つまり軍隊の力学と経済の力学が車の両輪のように働けば、この国はまたしても軍事国家になる可能性が大きい。(澤地久枝著「人類が最終的にいきつく答えが平和憲法」『わたしの平和と戦争』、集英社、2016年、p250〜251)

 よく、旧日本軍の特殊性が問題にされることがある。しかし、そうだとしても、その特殊性を生み出したのも、軍隊(軍備)が持っている固有の力であると、説明することもできる。つまり、各国の個別的な軍隊(軍備)から導き出される、各国に共通する軍隊(軍備)が持っている固有の力というものの存在を認められるべきなのだ。
 その力の方向性には特徴があって、より残虐で、より拡大する方向性である。軍隊(軍備)に、このような性質が認められるなら、その先端である核兵器などのみ禁止しても、決して実現しないであろうことが予想できる。9条のごとく。元から断たなければ実効性が怪しい、ということである。だからこそ、軍隊(軍備)が持っている固有の力というものをもっと究明する必要があるのかもしれない。

2020年8月8日土曜日

生きている限りは、勉強、勉強

  武者小路実篤の言葉に、「勉強、勉強、勉強 勉強のみよく奇蹟を生む」という言葉があるのは知っていたが、『武者小路実篤画文集・3』を読んでいて、「生きている限りは、勉強、勉強」という言葉もあることを知った。

 画文集の中に、「娘が、僕が縁側で画をかいていると『……いくら下手でもうまくなる』と言って前を通って行った。実際、僕は毎日画をかいていた。目に見えてうまくはならなかったが、目に見えないうちにいくらかずつうまくなったのだろう」(『武者小路実篤画文集・3』、p36)という、実篤の勉強ぶりを伺えるエピソードがあった。あやかりたいものである。

2020年8月7日金曜日

攻め込まれたらどうするのか?

 憲法九条で常備軍を持たなかったら、軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか、と必ず問われる。それに対し、様々な考えもあるが、今日、決定だともいうべき考えに出会った。作家の阿刀田高さんの言葉だ。
 阿刀田さんは、「十歳のときに長岡大空襲に遭い、強いと教えられた日本の軍隊が国を守ってくれないことを思い知らされ」(『わたしの平和と戦争』、集英社、2016年、p63)たという。そうした体験を経て得た「軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか」の答えは、

 私の答えは決まっています。そのときは死ぬんです、とはっきり申し上げております。実は私たちの世代は戦時下の子ども時代、国家のために死ぬんだと教えられました。だから、やれ本土決戦だと竹やりを持つようになると、敵国が攻めてきたら死ぬ覚悟でした。しかし戦争が終わって日本国憲法が施行されたとき、戦争の放棄をうたい軍隊を持たないというのだから、なんと素晴らしい決心だろう、と感動した覚えがあります。
 私は、人を殺すくらいならば、自分が死ぬ道を選びたい。特別な倫理ではなく、同じ倫理観の持ち主はきっといるはずです。だから私は命がけで平和を守り、それでも攻撃を受けたら、丸腰で死ぬんだと覚悟を決めています。攻められたら死ぬんです、という覚悟が憲法九条の精神だと思います。私たちはこうした憲法を保持し、培ってきた。だから、戦争しないでやってきたのです。
 といっても誰しも死にたくはありません。将来のある若者を死なせたくはない。だから、そういうことにならないように、外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くすのです。平和を守るには並々ならぬ覚悟がいります。命がけでなくてはならない。それを実行するのが政治です。(上同、p63〜64、強調は引用者による)

 これまでの政府がやってきたことは、専守防衛、専守防衛と、軍事力の拡大に力を注ぐことばかりで、平和的な手法による戦争をしないための努力というものはやられていない。アフガニスタンで活動していた中村さんのような民間人による活動だけだった。
 もしも、国を挙げて、平和のためなら、と「外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くす」ならば、攻め込まれる不安や心配は皆無に近いものになるに違いない。

2020年8月6日木曜日

常備軍は全廃されなければならない(カント)

 昨日、「もっと理想を語らなければ!」と書いた。カントの『永遠平和のために』は、理想を語った典型として、よく引き合いに出され、引用もされている。日本国憲法には、カントの理想が流れ込んでいるとも言われている。カントは「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」と書いているのだから、日本国憲法こそ、最もカントの理想主義を体現しているのかもしれない。
 哲学者の柄谷行人氏も、「日本の憲法九条は、カントの永遠平和論にもとづくものです」(『わたしの平和と戦争』、集英社、2016年、p24)と言い、だから、日本国憲法を実践する政府が取るべき具体的な第一歩は、「日本が憲法九条を実行するということを国連で声明」(上同)することだと提起している。そうすれば、「それに賛同する国がどんどん出てくるでしょう。それによって国連を再編成していくことが、カソトの説いた永遠平和への第一歩となります」(上同)と。
 同じ哲学者の梅原猛氏も、カントの永遠平和論に触れて、次のように語っている。

 二一世紀以後の世界は核戦争を避け、地球環境問題を解決することを最優先しなくてはいけない。それは国家を絶対とする憲法では不可能ではないですか。現在の憲法にこそ新しい人類の理想が盛られており、だから私は改憲に反対なのです。
 地球環境問題という国家を超えた課題に対処していくには、カントが『永遠平和のために』で提唱した「国家間の連帯によって平和を築く」理想に立たねばなりません。憲法にはカントの永久平和論に通じる恒久平和の理想、つまり人類の未来への理想が語られています。(上同、p33)

 現在、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威が猛威を振るっている。こうした脅威も、核戦争や地球環境問題と同様、「国家間の連帯」によって解決していくしかなく、常備軍は、何ら役には立たない。だからこそ、常備軍は撤廃し、人類史的な課題にシフトを変えていく必要があるのだ。

2020年8月5日水曜日

現実を批判するものは理想である。

 最近、武者小路実篤の思想、生き方に興味を持つようになった。それで、新しい画文集を借りてきたら、「現実も強いが結局理想の力はさらに強い」という言葉を見つけた。
 
『武者小路実篤画文集・2』より

 今日(2020年8月5日)の朝日新聞夕刊コラム素粒子では、 現実の典型でもある「敵基地攻撃能力」について、現実の力の内実を解説してくれていた。
 日本が「敵基地攻撃能力」を持てば何が予見されるかは明らかだ。地域の不安定化と軍拡競争である。政権末期、民意が離れた首相が手を着けるべきテーマとは思えない。

 このような現実に対抗できるのは、理想でしかない。素粒子の後半で「いや政権末期だからこそ、戦後日本の背骨でもある専守防衛に傷を残したいのか。改憲に代わるレガシーとして。」と専守防衛という観点から、「敵基地攻撃能力」を批判しているが、それでは、説得力に欠ける。
 ここは、日本憲法の理想、憲法前文と第9条による平和主義の理想を根拠に「敵基地攻撃能力」を批判すべきである。そうでなくても、理想を語ることが少なくなっている感がある。
 そういえば、東大の学長でもあった矢内原忠雄さんも、理想の力について言及していた。もっと理想を語らねば!!

 現実批判のためには現実の中にいなければならないが、現実に執著する者は現実を批判するを得ない。すなわち現実によりて現実を批判することは出来ないのである。現実を批判するものは理想である。あたかも地上物件を爆撃するためには飛行機が離陸しなければならないごとく、また敵の飛行機を打ち落すためにはそれよりもさらに高く飛び上ることが必要であるごとく、現実を批判し指導するためには理想を明らかにし、理想の世界に足場を据えればならない。理想の高度の高さほど、現実批判は力たり得るのである。(「国家の理想」『矢内原忠雄全集 第18巻 時論1』、岩波書店、p623)

2020年8月4日火曜日

 読書のすすめ -国会図書館デジタルコレクション

 国立国会図書館デジタルコレクションは、結構いろんな本もあって、自宅パソコンでも読めて便利だ(著作権の関係で、図書館のパソコンを通してのみ読めるものもある)。
 今日も、『読書のすすめ』をパソコンで読んだ。以下その書き抜きである。この本で紹介されていた『春城漫筆』も、国会図書館にだけあって、『春城漫筆 - 国立国会図書館デジタルコレクション』で、読める。なるほどと思ったところに下線を引いておいた。

 朝に夕に、休息の時に、一書を繙いて見よ。私たちは我を忘れて、悠久にして偉大なる自然に遊ぶことも出来、又、精神が陶冶されては、朝夕の生活に励みを覚える。まさに読書は精神生活の清涼剤であり、エネルギーである。(椎貝彌生子著「女性と読書」『読書のすすめ』、p8) 

 とかく吾が邦人はいろいろの口実を設けて読書を避ける。或いは繁劇でひまがないという。しかし繁劇の人には最も読書を進めたい。読書は疲れた頭を和らげ、気を転換する妙がある。(中略)多くの場合、衣食足つての人よりも、窮乏の間に苦学をした人が後に成功するのは、書物を親身に楽しんで読むから、ヒシヒシと頭にしみ込んで、義理よく通ずるからである。(春城漫筆)(市島謙吉著「読書の鼓吹」『読書のすすめ』、p13)

 科学者として書物から学ぶべきところもものは、事物の考え方と、その思想の言い表し方である。一書を熟読すればするほど、その著者の風体を自然に会得するものである。(小酒井不木著「科学者としての読書」『読書のすすめ』、p24
野山獄読書記 ー 吉田松陰
 野山獄読書記は、安政元年十月二四日から同四年十一月に至るまでの間に、松陰先生が、その読了せる典籍名を主として記録し、時に対読者の姓名を付記し、稀に短評を加へ、(中略)
 この三年余は、先生が実に渇せる者の水に対するが如き関係に於いて、読書と思索に没頭し、遂にその思想を確固たる基礎の上に統一した重要な期間である。しかもこの間に、獄中でも幽室でも、自らにして囚人や親歳の少年等の教育が行はれるに至っているのである。かくて、この読書記は極めて貴重なる修養と教育の記録であると言はねばならぬ。(吉田松陰全集解題 玖村敏雄) (『読書のすすめ』、 p26)

2020年8月3日月曜日

政府の文字による支配


 人間は言葉する存在である。ところがその言葉というものは、フワフワした浮動性のいささか頼りのない存在である。(中略)言葉を浮遊的性格から脱出させる決定的な役割を担ったものが文字の発明であった。(「書という運動」『石川九楊著作集別巻3』、ミネルヴァ書房、p5)

 このところを読んで、文字の重要性とともに、日本政府が戦時中より「文字を使って思想を混乱させてきた」ことの意味を考え込んでしまった。戦争と言わず、事変と言っていたように、最近は、防衛装備品に始まって「防衛装備品移転」などわけのわからない文字を使い出した。しかも、誰が見てもおかしいと思いながら、違を唱えることもなく、マスコミも使っている。
 これらのことを、どう考えたらいいのか、今のところ、よくわからない。ただ、国民を騙そうとしていることには違いない。英訳に、どんな言葉を使っているか、今度調べてみたい。いずれにせよ、文字を国民支配(ごまかし)の道具に成り下がっていることは確かである。継続して考えていきたい。


2020年8月2日日曜日

国会の開会時に全員起立して憲法前文の斉唱

「国会の開会時と閣議の前には全員起立して必ず憲法前文を斉唱」してはどうだろう、と胸のすくようなことが書かれていたエッセーを見つけた。次のような内容である。

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」--ここがどうやら前文の眼目。
 政府が戦争をひきおこし、惨禍を招いた、政府とはそういうものだというこの図星の一節が現政府には目障りで、抹消したくて仕方がないにちがいないと見当がつく。
 政府がまたまた戦争をひきおこさないように、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」した。国家や公務員を不用意に、「お上(かみ)」と口にする東アジア的な政治意識を超えて、国家を国民よりも下位にある「下下」(しもじも)「お下」(おしも)とする思想。それが西欧民主主義、日本国憲法の思想である。

 朝礼で、社員そろって社是を斉唱する企業がある。これに倣って、国会の開会時と閣議の前には全員起立して必ず憲法前文を斉唱することにしてはどうか。いやすべきだろう。議員や公務員が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに……」の文言を諳じるようになれば、軽々しく憲法改悪を口にする政府は生まれないだろう。今からでも遅くない。憲法第九十九条に「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあるのだから。天眼鏡で覗きこめば、歴史が社会がそして希望の青空が見える。(「日本国憲法」『石川九楊著作集別巻3』、ミネルヴァ書房、p606〜607)

「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことが前文の眼目で、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」したというのも,わかりやすくて、なかなか良かった。しかし、辺野古への政府の対応に特徴的な、強権的な政治が今だに幅をきたしているのは、まだまだ「東アジア的な政治意識」が抜けきらないから七日もpしれない、と思ってしまった。

2020年8月1日土曜日

日本はアメリカの側についている。なぜなんだ? 

 2003年3月20日 バグダットで米英軍の空爆開始された。その映像記録映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』を観た。アメリカがイラクにしてきたことは何だったのか。「論より証拠」のなのごとく、雄弁に語ってくれていた。
 映像の一部をYouTubeにアップしたので、その映像と、その中で語られているアラブ人の声、米英軍の空爆被害者の声、アメリカ兵に銃撃されたイラク人の声を紹介する。「おまえらとブッシュは組んでいる。一緒にイラクを破壊しているんだ! 」などといった声を聞くと、胸が痛む。


なぜ急にイラクへの心を変えたんだ?
以前は、日本とイラクの関係は何も問題なかった。
いま、日本はアメリカの側についている。
  なぜなんだ? 


私はアラブ人だ。
バクダットの人間ではないが・・・
この国を攻めてくるやつは
 俺がみんな殺してやる。
本当だぞ
これから百年間覚悟していろ


何時ごろ空爆があったんですか?
答えるもんか
おまえには答えない
おまえらとブッシュは組んでいる
一緒にイラクを破壊しているんだ!
おまえらとブッシュだ





注射してくれ
俺の足・・・
注射してくれ 死にそうだ
何も言うな 近寄るな

もし アメリカ兵が
ここにいたらなんと言いますか?

俺に近づくな
アメリカはイラクを殺した

検問所で白旗をあげていたのに
撃たれて この腕もケガをした

白旗をあげたら 来いと言われたんだ
アッという間に弾が飛んできた
こちらの目が真っ暗になって
何も見えなくなった

米兵は 私を車の中から運び出したのに
誰もだれも手当てをしてくれなかった

聞きたいんだが・・・
この目はだれが返してくれるんだ?
神に願います

わたしの目をとりもどしてほしい

ブッシュに聞きたい
イラクを解放するために?
それとも 私たちを殺しに来たのか?


今は耐えよう 神の教えだ(映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』より)