2024年1月31日水曜日

”ほんとうの平和”という嘘

  驚きました。本の帯広告に「護憲派vs.改憲派の/不毛な対立を越えて/ほんとうの平和を考える憲法入門講義」と書きながら、結局著者は、改憲派の立場に立って、”改憲を求めていた”からです。

「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。」という純明快な言葉による改正を求めたいです。(『はじめての憲法』、篠田英朗著、筑摩書房、2019年、p200)

 と最後に言って締めくっていますが、明らかに読者を騙しています。「不毛な対立を越えて」と言ったら、普通なら、どちらの立場にも立たない第三の道が示されるからです。これでは、出版社の質が問われても仕方がありません。
 結論だけでなく、途中の論理の展開にも、首を傾げたくなるようなところがありました。例えば、

 英文では一項に出てくる「国権の発動としての戦争(war as a sovereign right of the nation)」という概念と二項の「war potential」が明確に結びついています。「戦争潜在力」とは、違法行為である「国権の発動としての戦争」を遂行する目的で保持する潜在力のことです。合法である自衛権を行使するための手段は、「戦争潜在力」としての「wa potential」には含まれません。
「戦争(war)」が否定されても、自衛権は否定されません。「戦争」を遂行する目的を持つ た戦争潜在力としての「戦力(war potentil)」は、「戦争」が違憲なのですから、保持することも違憲です。ただし「戦争」には自衛権が含み込まれていないため、自衛権を行使するための組織は「戦力(war potentia)」はなりません。(上同、p142)

 どうですか。そもそも、”「戦争」には自衛権が含み込まれていない”ということがどういうことなのかさっばりわかりあません。その上、”自衛権を行使するための組織は「戦力(war potentia)」はなりません”っていうのも、おかしいです。戦力にならないような組織では、自衛権の役に立たないからです。
 さらに言えば、「ほんとうの平和を考える憲法入門」という帯の宣伝も、はっきり言って”嘘”です。改憲したらますます「平和が遠のく」からです。騙されないようにしましょう。

2024年1月30日火曜日

余韻(余白)は天衣無縫である?

 若松英輔著「画家の原点~中川一政『画にもかけない』」(『日本経済新聞』、2024年1月27日)を読んで、中川一政の存在を知りました。『画にもかけない』は九十一歳の時に出版されたと知って、余計に興味が湧いたのです。
 国会図書館ですぐに読めるものを探してパラパラ読みました。そして、勉強と余韻という含蓄のある小文を見つけました。
 勉强は、手段に力を入れすぎて目的を忘れてはいけないよ、という戒めの言葉です。文法書をいくら勉強しても、英文を読めなくては意味がないのと同じだと思いました。
 余韻は、余白を重視する東洋の芸術の特徴を言ったものですが、「余韻は天衣無縫である」というのは初耳です。重要なことを言っているようですが、まだ理解しきれていません。
 図書館に『中川一政全文集』が第1巻から揃っているので、どんなものか読んで見るつもりです。興味津々です。
    勉强
 或る人が勉強ばかりしていた。すると先生が来てこう言った。
「君は勉強の為に勉强しているのか」
 恐らくその男はこう言う先生がなかったら、一生涯その勉強方法をつづけていただろう。
 若し諸君。諸君のうちにそういう人がいたら、勉强を役立てる事を考へて勉強したまへ。
 例へば飛行機を作るなら飛べる様な飛行機を作り給へ、それは当たり前じゃないかというか。
 実は僕は飛行機作りなのだが毎日飛行機をいじってばかりやっていて、飛ぶ爲に飛行機を作つているという事を忘れてしまったのサ。(『中川一政画集』、中川一政画、アトリヱ社、1926年、p13〜14)

    余韻
 余韻は画の第一義である。
 余韻は天衣無縫である。
   ① 詩歌などにわざとらしさがなく自然に作られていて,しかも美しいこと。
 ロダンの彫刻はあまり上手に作ったから余韻がない。
 大雅は「画は一物もなき處最も爲し難し」と言った。
 余韻を第一とした東洋の画家は省略法を採った。
 東洋の人は西洋の人の画を見て、
「過ぎたるは及ばざるが如し」と思うのである。(『中川一政画集』、中川一政画、アトリヱ社、1926年、p21)

2024年1月29日月曜日

平和な日本国家建設の方策

 目的も目標も、同じようなものと思ってきました。ところが、目的とは原点や初心ののことで、目標と区別している論文に出会いました。若松英輔著「画家の原点~中川一政『画にもかけない』」(『日本経済新聞』、2024年1月27日)です。「ある人は原点を初心と呼び、ある人は目的ということもある。現代ではしばしば、目的が見失われ、目標が重んじられる。」というのです。だから、「目標に邁進(まいしん)することは、目的を見失っていく道程になり得る」と。
 私は、この論理は現政権の防衛政策そのものであると直感しました。つまり、軍事力を増加させて抑止力を高めるという”目標に邁進する”ことは、憲法のさし示してくれている平和国家の建設という”目的を見失っていく道程”にほかならない、と思ったのです。
 考えようによっては、目標は、目的達成の手段です。だから、いろんな目標があっていいし、なくてはならないのです。政府の手段としての目標は軍事力一辺倒です。だから怖いのです。
 平和国家の建設という目的達成のための手段は、たくさんあった方がいいのです。非軍事的手段を増やしていけば、それだけ軍事力を減らしていけます。そうして、軍事力のない平和な日本を創っていけば良いのです。

2024年1月28日日曜日

棟方志功のホトケさま

 図書館で何気なく手に取った『棟方志功作品集 てのひらのなかの網羅万象』(石井頼子著、東京美術、2022年)を借りてきました。著者の「はじめに」の次の言葉が気に入ったからです。
 棟方志功は「板画家」です。板から生まれる画という意味で、棟方は自らの版画作品を「板画」と称しました。そしてその一点一点を、お遍路さんがお寺に納めるお札になぞらえて、「柵」と表現しました。棟方は「一柵」「一柵」に想いを込め、生涯の道標を置いて行くように制作を続けました。
 山を描けば山に向かい、花を描けば花に向かって、棟方は手を合わせました。これは絵を描き始めた青年時代から晩年まで終生変わらない習慣でした。万物の中に神や仏の姿を見、その命に感謝を捧げることは棟方の本質です。
(中略)
 一方で棟方は、言葉から発想が湧き、作品が生まれる作家でもありました。非常な読書家で、多くの文学者や歌人俳人たちと交流して、彼らの作品を板画の中に展開しました。物語を絵巻仕立てにしたものや本の挿絵は棟方の真骨頂とも言いましょう。
 このところを読んで、著者は<棟方は「一柵」「一柵」に想いを込め>て制作を続けました、と書いていますが、私には、<棟方は「一柵」「一柵」に”祈り”を込め>て、と思えてきました。そして、信心というものに何か崇高なものを感じてしまいました。
 作品集の中で気に入ったのは「弘仁の柵」と「門世の柵」です。棟方による解説を読み、いっそう好きになってしまいました。「裸体の、マッパダカの顔の額の上に星をつければ、もう立派な仏様になって仕舞うんだから、ありがたく、忝けないんですね。それが、ホトケさまというものなのです。その額の星がつくと付かないので、タダの素裸の女であったり、ホトケサマに成り切ったりするという大きな世界は、うれしいものです。板画という大世界こそ、そうしたモンなんです」という。やはり、仏様には”第三の目”が欠かせないようです。ここで気づいたことですが、仏様には「第三の目でのみ見える霊性」が備わっていると考えるべきなのかもしれません。

「弘仁の柵」

「門世の柵」

2024年1月27日土曜日

人間は前頭葉動物である

 計画の重要性は知っているつもりです。しかし、全然計画性がなっていません。読書だって、図書館の返却期限に追われて読んだり、と気分次第で、次から次と変わってしまう状態です。

 人間は前頭葉動物であるといってもいいくらのなんです。
 進化史からいってもそうです。系統発生をたどると、人類進化は脳進化として起きたということがすぐわかるんですが、その脳進化は、大脳が大きくなる方向に、なかんずく、大脳中でも前頭葉が大きくなる方向に進んできたんです。だから、人間らしさをもたらしたものは何といっても前頭葉機能にあるだろうという推測は前から成り立っていたんですが、それは恐らく、知的側面にあるだろうと考えられていました。しかし、ロポトミー患者からの知見で、人間らしさは、必ずしもいわゆる人間の知性にあるのではなく、むしろ、生きる方向づけ、動機づけ、気力、意欲、目的、目的実現のための計画能力、抑制能力といったものにあると考えられるにいたったのは実に興味深いことです。

2024年1月26日金曜日

戦後の原点と松川事件 そこにある歴史の矛盾と対立

 戦後の原点とはなんでしょうか。人によって捉え方が違うかもしれませんが、日本国憲法前文に示された「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」て、平和な日本の建設というものだと思います。何よりも戦争が終わり、ホッとして、サーこれからは新しい日本を建設するぞ、というものでした。戦後の新聞や雑誌には、そうした息吹が感じされるものに満たされていたのではないでしょうか。
 戦争中は、暗黒の政治が行われ、自由は抑圧され多くの思想家が弾圧され、獄中に入れられました。三木清とか武谷三男といった著名人も、その中に入っていました。戦後は、そうして抑えられていたものが、一挙に花開き始めたというべきかもしれません。その典型が、1949年1月の総選挙で、日本共産党が35名(約9倍)に躍進したことです。
 そんなとき、下山事件や松川事件が起きました。犯人として日本共産党員らが検挙され、松川事件では死刑の判決さえ出されたのです。結局無罪放免になったわけですが、共産党へのダメージは大きかったようです。次の総選挙では議員を失ってしまいました。何年にもわたって共産党員が犯人、死刑の新聞記事が流されたわけですから当然です。このようにして、戦前に支配的だった反民主勢力が力をつけてきました。
 つまり、戦前に支配的だった反民主勢力は、戦後も命脈を保ち、徐々に力をつけて、今に至っているのです。戦後に花開き始めた民主勢力も、相対的には弱いと言えども、同じく力をつけてきているのではないでしょうか。何よりも、自由に批判できるという雰囲気がまだまだあるからです。このような反民主勢力と民主勢力の矛盾対立こそが、歴史を動かしている原動力なのです。マルクスは歴史は階級闘争の歴史である、と言ったようですが、歴史を矛盾の対立という観点で捉える視点は同じです。  
 ここで重要なのが「戦争を反民主勢力の主要な目的」と捉えることです。戦中は、反民主勢力が”民主勢力を弾圧してまで”戦争を遂行してきたことが何よりの証明です。
 

2024年1月25日木曜日

負のエントロピーを持つ生命系

 久しぶりに感動的な読書をすることができました。実は、世界をエントロピー概念で把握すればわかりやすいのではないか、と考えていました。しかし、エントロピー関連の本を読んでも、いまいちピンとくるものがなく、”棚上げ状態”でした。それが、分厚い本『情報の歴史21 象形文字から仮想現実まで』(松岡正剛監修、編集工学研究所、2021年)の序文みたいな「象形文字から人工知能へ」という文章の中に求めていた考えを見つけることができたからです。
 その部分を引用すると次の通りです。
「生物は、まずは負のエントロピーを食べつづける“情報列車”になった」のですが、人類社会がここまで発展して来れたのも、負のエントロピーを食べつづけてきたからと言えそうです。
 ほんとうのところをうちあければ、情報を主人公とした全歴史はもともと宇宙史・生物史・人間史・社会史のいずれをも貫通してきたものなのだ。おそらく宇宙史のどこかから「時間の矢」や「エントロピーの矢」とともに「情報の矢」かあらわれ,この三つの矢があやしけな攻防をくりかえしているうちに、エントロピーの猛威を脱した情報が(いわば原情報流ともいうべきか) 、宇宙空間を飛行しながら適当な遊星のひとつにたどりついたという顛末なのである。
 もうすこし穏やかにいうのなら、生命の発生が情報史の発端である。宇宙から飛来してきたであろう“情報の種子"を、たまさか選んだ地球条件の中でながい時間をかけて保存し維持することが、生命系の役割であったからだった。宇宙的な時空ではエントロピーはだんたん増大し無死状態に向かっていく。それが宇宙の熱源から遠く離れた地球では生命はエントロピーにさからって成長することができた。情報をなんとか高分子状態にして運ぶこと、生命系の役割とはそのことにあるからだ。こうして生物は、まずは負のエントロピーを食べつづける“情報列車”になったのである。しかし.それたけではなかった。われわれは世代交代だけを目標とする利己的な遺伝子のための“借家"だけにはおわらなかったのである。
 生物史がヒトサルからヒトをめさすまでに、生命系は二つの重要な仕事をおえていた。ひとつは、自分自身を複製するためにD N Aなどをつかって遺伝情報を操作することである。これは利己的な遭伝子のためのすこぶる有効な子守歌になった。しかしもうひとつ仕事があった。外界からの情報を選択し、生体に有利な情報処理システムを開発することだった。この後害のシステムが、まず原始的な神経系になり、しだいに中継部門と端末ネットワークを形成して、やがては巨大な脳をつくるようになっていった。私は、この後者のシステムを「自己編集化のシステム」とよんでいる。(松岡正剛著「象形文字から人工知能へ」『情報の歴史21 象形文字から仮想現実まで』、松岡正剛監修、編集工学研究所、2021年、下線は引用者)

2024年1月24日水曜日

神仏習合の世界

 神仏習合というのがあることは知っていました。もともと日本古来の神道は心が広く、異教であった仏教を受け入れていたのです。問題は、この期間はどのくらい続いたのか、です。私の予想では、この期間は平和な日本が続いたのではないか、そう予想しましたが、実際はどうなのでしょうか。
 ちょっと調べてみたら、神道を国教化することが目的で、1868年(明治元)に神仏分離令が出され、排仏毀釈という仏教を排斥しようとする政策や行動があったようです。つい最近まで、神仏習合だったようです。実際のところは、文献にあたってもっと詳しみみてみたいと思います。

神仏習合の世界
 神道と仏教、神社と寺院が明確に区別されるのは近代以後のことで、中世の人々は神と私とを混然一体として信仰していました。
 神仏習合とは、仏教が広まる中で、わが国固有の神々と仏に対する信仰が混ざり合った祈りの形をいい、古代から中世にかけて、さまざまな宗教美術があらわれました。
 銅製や木製の円盤に仏の姿をあらわした懸仏(かけぼとけ)は、古くは御正体(みしょうたい)とも呼ばれ、寺社の堂内等に懸けて祀られました。神聖な鏡に仏の姿が現れるという神仏習合の遺品といえます。
 福島市の信夫山では、奉納された和鏡とともに密教法具(みっきょうほうぐ)などが出土しており、古くから神仏を祀る霊場であったことが分かります。

木製の円盤に仏の姿をあらわした懸仏

神社に祀られていた十一面観音菩薩立像

2024年1月23日火曜日

戦争を招く軍事的な同盟

 21世紀は戦争のない世界へ、そんな希望がありました。しかし、ウクライナやイスラエルの現実によって、その希望が打ち砕かれてしまいました。その結果、軍事費は増加され、ますます平和が遠のいてしまった感じさえします。これでいいのでしょうか。
 いいはずがありません。「そもそも戦など無いほうが良いに決まっている。その考えは今も不変である」(『人よ、花よ、』、今村翔吾著、朝日新聞、2024年1月16日)ことに間違いありません。しかし、そのための戦術が間違っていれば、戦争をなくすことなど不可能です。
 残念ながら、閣議決定が大きな力を持っている現実政治は、「無益な手段方法〔原子兵器やその他の軍事力〕が、現実に即した政治であると誤って考えられ、信頼されている」(アインシュタイン)のが現状です。
 では、どうすればいいのでしょうか。
 それは、「軍事的な同盟を結んで平和をかためようとする試みは、けっして平和と安全をもたらすものではなく、かえって、戦争とあらゆるものの破壊とをもたらすだけでしかないとうことを、くりかえしくりかえし〔人びとの心に〕さとらせる」(アインシュタイン)ことです。このことは、幾多の戦争によって実証されています。
 今最も心配なことは、ロシアやイスラエルなどの「情勢の如何によっては、すべての戦争当事国は、もっとも有効な、すなわちもっとも殺人的な兵器を使用せざるをえないような事態においこまれるであろう」(アインシュタイン)ということです。だからこそ、アインシュタインのメッセージに耳を傾けて、日本国憲法の真の価値に気づく必要を感じます。
 そのメッセージとは、一九五三年の広島・長崎の原爆記念日に際して、『アインシュタインの世界』訳者の一人篠原の僭越な願いに応えて寄せられた、アインシュタインから日本国民にあてたメッセージで、次のような内容です。
 規則的な催しをおこなって、広島と長崎の悲劇の思い出を、善意をもったすべての人間の意識の内になまなましくとどめておくことは、よいことです。しかしながら、こうした記念の催しというものは、諸国民の平和な一致にもとづいた世界政府建設の必要性についての確信を〔世界の人びとの心のうちに〕つよめるうえで役立つものであってこそ、はじめて、永続的な価値をもつことになります。この確信は〔つぎのような認識、すなわち〕国家というものを超越した力が欠けているかぎり、結局、戦争を避けることは不可能であろう。従って情勢の如何によっては、すべての戦争当事国は、もっとも有効な、すなわちもっとも殺人的な兵器を使用せざるをえないような事態においこまれるであろう、——という認識によって裏付けられているべきです。
 軍事的な同盟を結んで平和をかためようとする試みは、けっして平和と安全をもたらすものではなく、かえって、戦争とあらゆるものの破壊とをもたらすだけでしかないとうことを、くりかえしくりかえし〔人びとの心に〕さとらせることが必要です。
 人類の将来にとって最大の危険は、無益な手段方法〔原子兵器やその他の軍事力〕が、現実に即した政治であると誤って考えられ、信頼されているところにあります。
 一九五三年七月十八日
      ニュージャージー、プリンストンにて アルベルト・アインシュタイン(『アインシュタインの世界 物理学の革命』、講談社ブルーバックス、1975年、「訳者あとがき」より)

2024年1月22日月曜日

政治の中心となるもの

 1月21日のNHK日曜美術館は、「戦後新宿・渋谷をつくった建築家・坂倉準三」でした。坂倉準三さんは、ル・コルビュジエに学び、1937年パリ万博日本館でデビューし、戦後、鎌倉の神奈川県立近代美術館や羽島市庁舎、大倉山ジャンプ競技場から高速道路トールゲートまで数々の建築や都市計画を手がけたということです。放送の中で、彼の印象的な言葉を紹介していました。それは、
建築の中心となるものが人間であるということと、生理的心理的動物としての人間であるということを何よりもまず忘れてはならない
 です。
 この言葉を知ったとき、すぐに建築を政治に置き換えて、一人で納得していました。「政治の中心となるものが人間であるということを何よりもまず忘れてはならない」と。こうして書いている中で気づいたことですが、政治家だけが政治を行なっているわけではなく、行政を行なっている公務員も、政治に関わっています。彼らが忖度をして政界をにぎわせましたが、忖度政治こそ国民(人間)に背を向けた政治であり、政治の中心から外れたものでした。
政治の中心となるものが人間だったならば、森友問題で赤木さんも命を落とすこともなかったはずです。「政治の中心となるものが人間である」ような、そんな政治を実現していきたいものです。

2024年1月21日日曜日

家畜化された(?)日本人

 草間彌生さんに「どうして他人と同じかっこうしているの?1968」という詩があります。「体制に抵抗しよう!/なぜ他人と同じかっこうをしているの?/あなたに個性はないの?/個性を表現しようよ!」という短いものです。
 私はこの詩を読んで、「家畜とは何であるか」という文章を思い出しました。この文章を読み直して、「他人と同じかっこうをしているの?」というのも、外形的なものではなく、精神的なものを指していることに気づきました。
 もう一つ気づいたことがあります。意識的な服従芯がなくても、体制の横暴を黙認していれば、そうした人たちも、家畜と言われても仕方がないのではないか、ということです。そういえば、「家畜化された日本人」みたいな本を読んだことを思い出しました。そして見つけたのが『自己家畜化する日本人』(池田清彦-、祥伝社、2023年)です。「体制に抵抗しよう!」という言葉は、「人間性を取り戻そう!」ということでもあったのです。
 家畜とは、最小限度左の如き性質を有するに至った動物である。
 ⑴一定の人間の支配下に於て繁殖を続け
 ⑵その人間の支配下より逃亡の意志なく
 ⑶ その人間のために生存し、その人間に絶対服従すること。
 故に家畜と野生の動物との根本的な相違点は、外形的なものではなく、精神的なものである。一言にしてこれをいえば、家畜とは、生れながらにして一定の人間に対する服従心を持つ動物であると言うことが出来る。(『近きより5帝国日本崩壊』、正木ひろし著、社会思想社、1991年、p288)

2024年1月20日土曜日

住民無視の核実験強硬の記録

 本当は、別に記事を読みたくて取り寄せた『月刊社会党』でしたが、「ネバダ核実験場の惨禍」グラブビア記事に釘付けになってしまいました。住民の被曝などお構いなしに、なんと、「住民に核実験の観察を勧めた」というのですから、”開いた口が塞がらない”とはこのことです。これが米政府、米軍の正体であることは明白です。さらに「最高裁は『政府に賠償支払いの義務なし』との判決を下し、被害者住民の訴えを棄却した」という事実も、日本の最高裁と同じようで見逃せません。忘れられては困ることなので紹介します。

 一九五一年一月二七日午前五時四四分、ネパタ実験場の上空で、核爆弾が炸裂した。ネバダで最初の核実験である。実験場の東約一八〇キロ、ネパタ州バンカービルにあるグレガーソン家では爆風で窓ガラスが吹きとび、壁に亀裂が走った。家族九人はバジャマ姿で外へ飛び出し、車で近くの丘に避難した。やがてピンク色の放射能雲が漂ってきて、家族の頭上をこえてユタ州南部の方向に流れていった。
 ネバタ実験場が設けられた時、人口が少ないという理由から、核実験は風が北東すなわちユタ州南部に向かって吹くときだけ行なうことが、決められていた。
 以来、一九五八年まで一〇〇回の大気圈内核実験が行なわれ、死の灰が流れたネパタ州北郎、アリゾナ州北西部、ユタ州南部は「風下の町」とよばれた。政府は「核実験は安全」と宣伝し、住民に核実験の観察を勧めた。放牧中の羊の大量死の後、白血病、ガン、甲状腺障害などが住民の間に広がっていった。

 一九七九年、約一二〇〇人のがん患者と遺族は、「ガンは核実験が原因」として政府に対し総額二〇億ドルの損害賠償請求訴訟を起こした。八四年の一審は勝訴したが、八七年の二審では敗れ、裁判は最高裁にもちこまれた。しかし今年一月一一日、最高裁は「政府に賠償支払いの義務なし」との判決を下し、被害者住民の訴えを棄却した。
 ネバタ実験場での地下核実験は、八七年末まで公表六一六回(未発表の極秘実験が一一七回あるといわれる)。米ソ核軍縮の兆しが見えはじめてはいるが、核実験は止まず、約一七万人といわれる風下地域の人々は、いまなお放射能に蝕まれている。風下地域の人々は核実験停止を訴えながら、被害者の救済を求めて、議員立法による法案を成立させようと運動をすすめている。写真と文 豊崎博光(『月刊社会党』1988年5月、グラビア)

2024年1月19日金曜日

鎮魂のための芸術

 また、草間彌生さんの詩です。彼女の鋭い現代社会批判には目を見張るものがあります。例えば、「この地獄絵図の中で/生の神秘は/すでに息づくことをやめている」とか、「私たちを迎え入れる死は、/その荘厳である静かさを放棄し、/私達は静謐な死を見失いつつある」であろう現実に暗澹たる思いがします。しかし、その一方で「人間性の退廃の彼方に、/星はいぶし銀の光を秘めてまたたいている驚き」に、救われる思いがします。私たちは、「生命の輝き」を取り戻す必要があるのかもしれません。
 また、「私の制作のイメージは『死』がテーマである」と書いていますが、哲学者も、同じようなことを書いていました。「最も強く心に響いたのは死を考えるというテーマでした。死の思いに取り憑かれていたというわけではないが、でも死を思うことはより良く生きるための助けになるという事実にいつも驚いていました。最後の日、最後の時間を生きているかのように生きるのです」(『生き方としての哲学 : J.カルリエ, A.I.デイヴィッドソンとの対話 』、ピエール・アド著、小黒和子訳、法政大学出版局,、2021年、p272)という具合です。彼女のよりよく生きるための芸術でもあったのです。
  鎮魂のための芸術

体制と規約の壁はいつも厚く、
人間性の集団の虚偽と、政治への不信、
戦争による人間性の喪失と混乱、
マスコミの暴力、公害などなど。

人類の精神的退化は
我々の前途の太陽をいつもさえぎろうとする。

芸術の創造的思念は
最終的には孤独の沈思の中から生まれ、
鎮魂のしじまの中から
五色の彩光に煌めきはばたくものだと
私は断固として信じる。

そして今、
私の制作のイメージは「死」がテーマである。

科学や機械万能の
進歩による人間の思い上がりは
生命の輝きを失わせ、
イメージの貧困をもたらしている。

暴力化した情報化社会、
画一化した文化、自然の汚染、
この地獄絵図の中で
生の神秘は
すでに息づくことをやめている。

私たちを迎え入れる死は、
その荘厳である静かさを放棄し、
私達は静謐な死を見失いつつある。

この白痴的なゴキブリと
どぶ鼠を捏ねる地球の醜さと
人間性の退廃の彼方に、
星はいぶし銀の光を秘めてまたたいている驚き。

無限の何億光年の一瞬の静寂を
目に見えぬ力に生かされて、
イリュージョンの中に存在する私の一瞬の生命。

今まで
私の生きていくための自己革命は
即ち死を見出すためであった。

死の意味するもの、
その色彩や空間の美、
その死の足跡の静かさ、
死の後の「無」、

それらを含めた
わが鎮魂のための芸術を作る時期に、
私は来ている。(「わが魂の遍歴の闘い」『草間彌生わたしの芸術』、建畠晢他著、グラフィック社、2019年、p120から、「鎮魂のための芸術」という詩に改編)

2024年1月18日木曜日

自殺よ待ってくれ

 なぜだか知りませんが、自殺者数は毎年一定数あって、なかなか下がりません。どうすれば、自殺願望者は「自殺を思いとどまる」ことができるのでしょうか。その特効薬はないかもしれませんが、自殺したいほどの苦しみを抱え込んでしまったら、その苦しみを決して頭の中で苦しむことをやめて、その苦しみを言葉にして(日記や短歌、詩など)してほしい。そうして「迫りくる自殺への憧れを/炎に燃やし尽く」してほしい。そのようにして「死そのもの」を考えることです。そのとき、ここで紹介した「自殺よ待ってくれ」などの、死のうとした人たちの作品を読むことも重要です。自分だけが苦しいのではない、ということがわかるからです。
  自殺よ待ってくれ

粗雑なる人の世の狭間を 
かろうじて駆け抜けて来た
わたしの長い長い来しかた。
顧みて幾度か自殺のナイフを首にあてて、
わたしは死のうと思い悩んだことだろう。

明暗に刻まれた人の世の影を踏みしだいて
自殺から思いとどまった生への掛け橋に
わたしはこの命の陰りを
振払い幾度かくぐり抜けた生への危機。
そして思い直してふたたび立ち上がったわたくし

芸術への陽炎(かげろう)のような道標にすがりついて
長かりし自らの歩み来たりし 
命の輝きへの願望か きらびやかなる生への希望を
心に抱いて幾年月をくり返しのなかで、
あっという間に年老いてしまったわたしに
溢れ出る白髪、この驚き。

「くさま」、
このわたしの生き方に光をともしてくれる
人間美の求道の日々を顧みて、
わたしは迫りくる自殺への憧れを 
炎に燃やし尽くすべく
ふたたび絵具と画布にむかいぬ

人生は美しい
そして自滅の響きにこたえるべく、
今日の一日を 明日の一日を
わたしは死を乗り越えて生きていけるだろうか。
そして永遠に見えることのない 生と死の輝きのなかを
果てることもなく終わりまでも生きたいと思う。

自殺よ待ってくれ、
わたしは生きていかれるのだろうか
わたしの芸術に聞いてみる。(「草間彌生より愛のメッセージ 2006」『草間彌生わたしの芸術』、建畠晢他著、グラフィック社、2019年、p156)

2024年1月17日水曜日

戦争という巨大な悪を前に

 今、頭の中に去来しているものの、その姿がはっきりしないものがあります。そのもやもやしたものは、戦争はなぜ始まるか、どうすれば、戦争をなくすことができるか、という大それた問題への仮説的な回答です。
 そのヒントになった文章があります。それは、

 戦争という巨大な悪を前に、一人一人が全存在をかけて残したもの。それらを積み重ねれば、いつの日か「『悪』を押し留めるような抑止力になるのではないか」。同氏が記す希望をかみしめる。(「春秋」『日本経済新聞』、2024.1.15) 

 というものです。
 この社会には、戦争を起こしたい勢力と、戦争を防ぎたい、無くしたいという勢力があって、そのせめぎ合いが社会の底流に、時には本流になって存在しているのではないか、そんな考えです。徐々にはっきり姿を表して来ました。
 ここで注意を要するのは、戦争を起こしたい勢力ではあっても、正面切ってそうは言えないので、言葉だけで判断することはできないことです。

2024年1月16日火曜日

草間彌生の真の偉大さ

 草間彌生さんに次のような「求道の輝く星は遠く」という詩があります。
道を求めて 永く歩みきし日々は
星の光さえも 見失いがちの迷路

人の世の迷いの小道より
  遠き天を見上げれば
空の彼方の 輝く星たち
  求めれば求めるほどに
  輝きは遠のけるごとくなり

地上の暗愚のぬかるみの中で
  何をおろかにも
  かくほどに永き道のりを
われは くるしみつつ歩みきたりしか
やがて死がせまりくるというに ——(『草間彌生 芸術の女王』、建畠晢監修、別冊太陽、平凡社、2015年、p7、改行を加えるなど改編 )
 この詩を受けて、「草間の真の偉大さは、こうした孤独の深淵からの自らの救済への切実な願いが、世界へのより普遍的な愛の深さへとつながっている、自己と他者の同時的な救済への祈りに通じているところにあるに違いない」(建畠晢著「草間彌生への賛歌」(『草間彌生 芸術の女王』、p7)という賛辞が綴られていました。草間さんにとっての求道とは、自らの救済であり、救済への祈りでもあったのです。
 最近知ったことですが、草間さんは「子どもの頃から、産まなきゃよかったと母に言われて、殴られて耳が聞こえなくなったり」(「草間彌生に聞く」『草間彌生を知りたい いま水玉の女王にニッポンは夢中!』、枻出版社、2012年、p66)したようで、そんなこともあって、「死にものぐるいで絵を描いた」(上同)そうです。なぜなら、「絵を描いていると、気持ちが落ち着くの。必死で網目や水玉を描くのよ」(上同、p67)。草間さんにとって絵を描くことは、求道そのもので救済でもあったのです。

2024年1月15日月曜日

長生きしたければ

 朝日新聞(2024年1月15日)記事の見出し「検索より50年の相棒」が目に止まりました。なんのことかと思って読み始めら、「50年の相棒」とは、50年前に買った「世界大百科事典」(全26巻で値段は5万2千円)のことでした。溶接工だった彼の仕事はきつく、過酷な現場では労災事故で死者も出たそうですが、「そんな生活の支えが、百科事典だった」というのです。今でも、「分からないことがあれば、開くのはやっぱり百科事典」そうです。そんな彼は、造船現場で使われていたアスベストが原因の「石綿肺」に罹患していました。実は、そことに触発されて思い出したことがあります。
 それは、『生き方としての哲学』(ピエール・アド著、小黒和子訳、法政大学出版局,、2021年)の著者が、成人してから一〇回ほども麻酔をかけた「いろいろな外科手術を受けていた」ということです。このことを知った時、これだけの手術を受けながら、88年も長生きしたのはよく頭を使ったからではないか、と思って、すぐ忘れていました。で、「検索より50年の相棒」を読んだ時、「石綿肺」に罹患しながら元気なのは、ピエール・アド氏と同じく毎日頭を使って来たからではないか、そう思ったのです。これらのことは、芸術家に長命な人が多い傾向に共通しています。長生きしたければ、毎日脳の活性化に努めるに限るということなのです。

2024年1月14日日曜日

地球の人々に告ぐ

 草間さんの詩「永遠の永遠の永遠 2011」には、「地球の人々に告ぐ」という勇ましい句があります。続いて、「未来は原爆や戦争をやめて/かがやいた生命を/永遠の永遠の永遠にあこがれた/私の精魂こめた芸術を見てほしい」と、私の好きな一連に続きます。
 ウクライナやイスラエルでの戦闘を目の当たりにして、いままさに「新しい戦前」とか、「戦中」という人まで現れて来ています。さらには、辺野古に新しい米軍基地建設が強硬に推し進められています。100年後も戦争は無くなりそうもない雲行きです。それでもいいのでしょうか。いつまでも争いを続けていけば、紛争はエスカレートして「核戦争に発展する確率が高くなる」ことは目に見えています。だからこそ、「未来は原爆や戦争をやめて/かがやいた生命を/永遠の永遠の永遠に」していく必要があるのです。
    地球の人々に告ぐ

毎日、私をおそってくる死の恐れを克服する時は
私は命の限りの心をしづめて
芸術へのあこがれを見いだすのだった

人の世に生まれいでた時の感動が
私の人生を
新しい創造のあらしをもって再生するのだ

地球の深々とした神秘のささやきが
いつも自殺しようとしていた私のうらぶれた命への救済をもって
私は死のあこがれと恐怖を追放して
華やいだ生命のかがやきにいつもめざめさせてくれたのだった

わたしは生きてゆくことに
生存のかがやきに
深く打たれ、心打たれ
人間の生命は
永遠に回帰するのだという事を実感するときの喜び

私は死の憂鬱を乗り越えて
世界最高の芸術をもって
人間のすばらしさを求めていきたいと
決意している毎日なのだ

私は生きたい、心の限りも
芸術にかがやいた火をつけて
命の限り、
無限の生と死のかがやきをもって
永遠の果てまでも

平和と人間愛の行き着く所への
不滅の志をもって
命の限り、たたかっていきたい

そして、地球の人々に告ぐ

未来は原爆や戦争をやめて
かがやいた生命を
永遠の永遠の永遠にあこがれた
私の精魂こめた芸術を見てほしい

あなたたちと一緒に宇宙にむかって
心から人間讃美をうたい上げよう
*2014年改訂(「永遠の永遠の永遠 2011」『草間彌生わたしの芸術』、建畠晢他著、グラフィック社、2019年、p166、)

2024年1月13日土曜日

人生を変えましょう!

 草間さんの詩「地獄から天国まで、地下鉄に乗ろう 1968」に、”「閉じ込められた」ままでいるの?”という言葉があります。初めは、、何を言っているのかわかりませんでした。しかし、「監獄の鉄格子を破ろう!/自由を求めよう!/人生をおもしろくしょう!」という言葉に惹かれて何度も読んでいるうちに、「心が閉じ込められたままでいいの?目に見えない鉄格子を破って、もっと自由になろう!」謳っていることに気づきました。そうなのです。今も、これからも、「もっと自由に」そして、「積極的な行動が必要」なのです。
   人生を変えましょう!

このエポックメイキングなイベントに参加して、
地下鉄を天国に変えようよ!

なぜ地下鉄に、
自分のアパートでも同じことだけれど、
「閉じ込められた」ままでいるの?

地下鉄の「高速輸送」は、
今や思い込みにすぎない。
あなたはどこにも向っていやしない。

監獄の鉄格子を破ろう!
自由を求めよう!
人生をおもしろくしょう!

退屈で単調なのに、
なぜ受け身のままでいるの?

積極的な行動が必要だというのに、
同じショーを見て、
同じものをずっと読み続けている。

人生を変えましょう!(『草間彌生わたしの芸術』、建畠晢他著、グラフィック社、2019年、p110、「地獄から天国まで、地下鉄に乗ろう 1968」から後半を七連の詩に改編)

2024年1月12日金曜日

生命の輝き

 草間彌生さんの一生が凝縮されている一編の詩「戦いのあとで宇宙の果てで死にたい 2007」を、「広大な草間彌生ワールド」で紹介しました。「生命の輝きに興味を持って」で紹介した一連の詩「私の好きな場所 2006」を紹介し、「歴史のただ中で、私の生命の輝きに興味を持って欲しい」と謳った「生命の輝きのみが暴力を一掃できるのではないか」と書きました。
 改めて詩「私の好きな場所 2006」を読み直して、この詩にも、「生命の輝き」を求道した彼女の一生が凝縮されている
ことに気づきました。だから、八連の詩「生命の輝き」に改編して紹介します。この詩は、個に秘められた生のエネルギーが「永遠に尽きる事のない宇宙へ」まで広がっている、彼女の壮大な人生を感じさせてくれています。
  生命の輝き

この新しいビルは
草間ビルと名付けた。

この建物は
空を泳ぐ雲を取り込んで
ビルのまわりを優しく包んでしまう。

私の愛に捧げてくれるつもりで
雲は毎日
私に王道の事を話してくれる。
そして、魂の行方知らずの彼方へ
私を導いてくれるのだ。

そこで私は
新しい愛についていろいろの色彩を選びとって、
生きる事について考えこんでしまう。

私の求める愛とは、
永遠に尽きる事のない宇宙への
限りもない美しい
憧憬に満ちあふれている事への驚き。

私は
百歳もの年月に耐えるだけの
エネルギーと生への念願を心に秘めて
変わる事のない毎日の芸術への求道を
もっともっと心を込めて高めたい。
私は求道のしもべだ。

待っていて後世の人々よ。
歴史のただ中で、
私の生命の輝きに興味を持って欲しい。

私は
千年もの深々とした空間の中に
空は果てしなき愛を盛り込めて
世紀を乗り越えたいのだ。

待っていて、宇宙中の物事よ。
みなさん私の戦いの姿勢を
見つめていて欲しい。(『草間彌生わたしの芸術』、グラフィック社、2019年、p154、「私の好きな場所 2006」より改編)

2024年1月11日木曜日

暴力によっては暴力を一掃できない

 今、世界に目を向けると”暴力の連鎖”が止まりません。こんな時だからこそ、と、「”暴力によって暴力を一掃できない”/という剥き出しの真実」(「生命の輝きに興味を持って」にて)という言葉を紹介しました。
 しかし、この言葉は、草間彌生さんの言葉であるだけに、「水玉模様」や「憎しみと争いに満ちた地球」といった言葉との関連で語られると、その真実味がいっそう引き立ちます。
 そこで、五連の詩「私のヒーロー、リチャード・M・ニクソンへの公開質問状 1968」を八連の詩「暴力によっては暴力を一掃できない」に改編して紹介します。

「展示風景より、草間彌生《水玉強迫》」(「『毎日愛について
祈っている』展で迫る草間創作の新境地|美術手帖
」より)
  暴力によっては暴力を一掃できない

球はまるで
何百万もある天体の小さな水玉模様。

併用で静寂な天体の中、
憎しみと争いに満ちた地球。
皆さんと私とで
すべてを変えて新世界、
エデンの園をつくりましょう。

親愛なるリチャード様、
私たちは自己の存在を忘れ、
神と一体化しましょう。
裸のまま集まってひとつになりましょう。

大空を高く駆け上がれるよう、
身体に水玉模様を描き合い、
始めも終わりもない永遠の中に
エゴを滅却して初めて、

暴力によっては暴力を一掃できない

という剥き出しの真実を
発見するのです。

私があなたの力強い体に
優しく愛を込めて飾る球体の中に
この真実は記されています。

穏やかに! 
親愛なるリチャード。
雄々しい闘争心をなだめるのです。(「私のヒーロー、リチャード・M・ニクソンへの公開質問状 1968」『草間彌生わたしの芸術』、建畠晢他著、グラフィック社、2019年、p103より改編)

2024年1月10日水曜日

ポルカ・ドットちゃん

 草間彌生さんの作品は水玉模様が特徴です。その水玉は、個人であり、地球でもあり、月でもあるということです。このことがわかる詩を紹介します。「生命のすべてが昇華する一瞬」とか、「連帯の意識のなかで、/個は初めて/接した個を発揚する」といった含蓄のある言葉のある素敵な詩です。詩の題名を「ポルカ・ドットちゃん」にしてみました。

  ポルカ・ドットちゃん

青、赤、黄、緑、みんな、集まって、
輝いた青い空、太陽煌いているよ。

自分自身をポルカ・ドットで
永遠のなかに解き放してやろう。
病める自分。社会の中で苦しがっているきみの魂よ。

病める大衆。
不毛の生命の置かれた不幸な争いの地球は
字宙から勘当されてしまった。
家出の不肖の息子。

苦しみの果ての、
自殺未遂の残務整理は、
ボクが引きうけてやるって、
ポルカ・ドットちゃんは宣言しているの。

生命のすべてが昇華する一瞬なのだ。
ひょっとしたら、許されてまた、
字宙のオウチにかえれるかもしれない。

わたしは一つの水玉。
あなたも一つの水玉よ。
もう一つの水玉は、
あのお友達。

地球は一つの水玉。
太陽は、水玉の形している。
月も水玉型してる。

水玉は個だけでは存在しない。
全体主義の画一性による連帯の意識のなかで、
個は初めて
接した個を発揚するの。(『マンハッタン自殺未遂常習犯』、工作舎刊、1978年、p63、三連のもを八連に編集しています)

2024年1月9日火曜日

広大な草間彌生ワールド

 すごい詩に出会いました。草間彌生さんの「戦いのあとで宇宙の果てで死にたい 2007」です。何がすごいか、ですが、一編の詩に草間彌生さんの一生が凝縮されていることです。しかも、「わたしはやがて老いて/宇宙の広々とした天国の階段をのぼりつめて、/(中略)/ゆったりとねむりつづけるだろう。」と、壮大なのです。原詩は一連でしたが、六連の詩にして紹介します。広大な草間ワールドそのものです。
   戦いのあとで宇宙の果てで死にたい 2007
すべての人々に愛はとこしえと叫びつづけてきたわたし
そしていつも生きることに悩みつづけ
芸術の求道の旗をふりつづけてきた。
生まれいでてからこのかたそして
今迄走りつづけてきたのだった。

世界という檜舞台でのいくたびかの
昨日の衣を常に新しい衣に脱皮しながら
膨大な作品群を造りつづけてきた
このわたしの「道程」は、真夜中の灯の下で
ねむれぬ幾夜中のしじまに励ましてくれる
そしてもっともっと愛を世に叫び刻印を残したい。

世界の争いや戦争やテロや貧富の泥沼をのりこえることを
心から願って止まない。
人々が平和でくらせるようにと
わたしの願いはつきることもない。

芸術の力をもって斗っていきたいのだ。
芸術の心のかぎりの求道のいしづえをもって
人々に仕え社会に貢献したい。

そのゆきつく先は、わたしはやがて老いて
宇宙の広々とした天国の階段をのぼりつめて、
白雲が静かにつづくしとねで
わたしは自我をはなれ
深々とした青い空のしとねで、
ゆったりとねむりつづけるだろう。

そして地球にサヨナラを伝えるのだ。(『草間彌生わたしの芸術』、建畠晢他著、グラフィック社、2019年、p158)

2024年1月8日月曜日

生命の輝きに興味を持って

 独特の水玉アートの作者草間彌生の存在は知っていても、何が魅力なのかもわからず、なぜか馴染めませんでした。しかし、「今なおまなび続ける87歳」で紹介したように、今も、「昼も夜も画面に向かい、詩も作る」草間彌生さんに興味を抱くようになりました。そして最初に手にした本が『草間彌生わたしの芸術』(建畠晢他著、グラフィック社、2019年)で、最初に飛び込んできた草間さんの言葉が「身体に水玉模様を描き合い、/始めも終わりもない永遠の中にエゴを滅却して初めて、/暴力によって暴力を一掃できない/という剥き出しの真実を発見するのです」(p103)でした。「暴力によって暴力を一掃できない」という当たり前の真実に、どうして皆は気づかないのでしょうか。暴力を用いると、ウクライナやエスラエルの現実が見せてくれているように、暴力の一掃どころか”暴力は拡大するばかり”です。
 私は『草間彌生わたしの芸術』によって、言葉が発するエネルギーというものを知りました。壮大な草間ワールドの広がりを知りました。壮大な草間ワールドのエネルギーを知りました。そして気づきました。生の輝きのみが暴力を一掃できるのではないか、と。

私の好きな場所 2006
この新しいビルは草間ビルと名付けた。
この建物は空を泳ぐ雲を取り込んでビルのまわりを優しく包んでしまう。
私の愛に捧げてくれるつもりで雲は毎日私に王道の事を話してくれる。
そして、魂の行方知らずの彼方へ私を導いてくれるのだ。
そこで私は新しい愛についていろいろの色彩を選びとって、
生きる事について考えこんでしまう。
私の求める愛とは、永遠に尽きる事のない宇宙への
限りもない美しい憧憬に満ちあふれている事への驚き。
私は百歳もの年月に耐えるだけのエネルギーと生への念願を心に秘めて
変わる事のない毎日の芸術への求道をもっともっと心を込めて高めたい。
私は求道のしもべだ。
待っていて後世の人々よ。
歴史のただ中で、私の生命の輝きに興味を持って欲しい。
私は千年もの深々とした空間の中に
空は果てしなき愛を盛り込めて世紀を乗り越えたいのだ。
待っていて、宇宙中の物事よ。

みなさん私の戦いの姿勢を見つめていて欲しい。(p154、強調は引用者)
草間彌生のアートが堪能できる、国内スポット10 」より

草間彌生のアートが堪能できる、国内スポット10 」より

2024年1月7日日曜日

防衛という曲者

 朝日歌壇(2024年1月6日)に、戦禍のニュースが絶えない現実を謳った歌「つくる人売る人買ふ人使ふ人ありてぞ武器に殺さるる人(焼津市)増田謙一郎」を見つけました。そして、武器を「つくる人売る人買ふ人使ふ人」、これらの人たちは、「その武器によって殺されるであろう人たち」のことを考えたことがあるのだろうか、と思ってしまいました。
 そもそも商品は、人々の役に立つものがほとんどです。売れれば何を作っても構わない(人を殺すことを目的に作られる武器など)、というのは、倫理上あってはならないはずです。それでも、防衛という立派な目的がある、と主張する人もいるでしょう。それゆえ、現在は、武器も商品として出回っているのです。
 どうも、防衛というのが曲者のようです。防衛力=軍事力が常識化しているのが問題なのです。そうではなく、今必要なのは、防衛力など必要がなくなるための方策なのです。どうすれば、隣国と仲良くしていけるかを考えることです。どうでしょうか。

2024年1月6日土曜日

一連の戦争は必ず収束する

 イスラエル等の戦闘が止まない中、遂に米軍も空爆という形で実力行使に踏み切りました。「米国防総省は4日、イラク駐留米軍が、イラクやシリアで活動する親イラン武装組織の指導者ら2人を自衛目的の空爆で殺害したと明らかにした」(朝日新聞、2024年1月6日)のです。戦闘の更なる拡大が危惧されます。このような状況を前にして、人間は進歩しているのだろうか、戦争は無くならないのだろうか、という疑問が生まれ始めています。それに対して私は、1945年をピークにして、戦争は下火になっているのであって、この度の一連の戦争は「一時的な揺り戻し」として捉えることができると考えています。だから、必ず収束する、あるいは収束させなければならない、できる、と考えるようになりました。人間の歴史は、確実に発展してきているからです。そう確信できるだけの資料が少ないだけなのです。

2024年1月5日金曜日

今なおまなび続ける87歳

 正月に『日曜美術館 SP ハッピーニューアーツ!』を観ました。そこで、今なおまなび続ける87歳田名網敬一(日本を代表するポップアートの巨匠)の存在を知りました。なんと、ピカソの模写をし続け、これまで600点も描いてきたというのです。90歳近いのに、顔立ちも凛として若く見えます。
 また、「94歳の今も生命感に満ちた絵画を描き続ける前衛芸術家の草間彌生さん」(『朝日新聞』、2024年1月1日)の存在にも勇気づけられました。今も、「昼も夜も画面に向かい、詩も作る。近年は大作は難しくなったが、アメーバ状の抽象形態を色彩豊かに描いたり、水玉を緻密(ちみつ)に描き込んだり」しているというのですから。
 草間さんの言葉「アイデアやイメージが次々に浮かんで手が追いつかない」という言葉も紹介されていましたが、”若返り”などもったいない」で紹介した「彫刻家の平櫛田中さんが九十歳頃に、『あと20年寝かせておけば、立派な彫刻材になる』と言って大きな楠を取り寄せた」という話を思い出しました。

ピカソの模写

ピカソの模写

日本を代表するポップアートの巨匠・田名網敬一さん

2024年1月4日木曜日

仮説実験授業に魅かれた原体験

 鍼灸師だった私は、「仮説実験授業の世界」に魅かれ、現在に至っています。実は、高校の教師をしていた友人の勧めで「たのしい授業」の存在を知り、バックナンバーを貪り読んで「仮説実験授業の世界」に開眼しました。20年も前のことです。教師でないのに、どうして「仮説実験授業の世界」に魅かれたのでしょうか?
 今までは、<高校時代に夢中になって真空管ラジオを作ったことが原体験としてあった>と思っていました。しかし、改めて振り返ってみたら、「たのしい授業」に出合う前の様々な体験が、「仮説実験授業の世界」に魅かれた原体験となっていることに気づきました。
 思い出すままに列挙してみます。
子供時代
 パッタ遊び
 チャンバラ遊び
 缶けり遊び
 釘うち陣地取り(正式な名前は分からない)遊び
 カジカ取り
 魚釣り
学生時代
 ゲルマニュームラジオ作り
 真空管ラジオ作り
社会に出てから
 電子工作マニア
 サークル活動(緑の会)(「仮説実験授業」の思想的な原体験として)
 政治活動(「仮説実験授業」の思想的な原体験として)
 山歩き
 子供時代の遊びが「仮説実験授業の世界」に魅かれた原体験とすることに対して、異論があるかも知れません、しかし、「もの作り」や「たのしい授業」の感動と、子どもの遊びには、相通じるものがあると思います。そういう意味で、子供時代の遊びも、「仮説実験授業の世界」に魅かれる原体験になると思ったのです。
 このように考えてきて、子供たちからお年寄りまで、広い世代に「たのしい授業」が支持されてきた理由が分かりました。考えようによっては、「たのしい授業」は、<忘れかけていた楽しかった「感動体験」を思いださせてくれる>ので、多くの人たちに歓迎される、と言えるのかも知れません。

2024年1月3日水曜日

日本は世界最大の債権国

 今年になってから、昔のノートを読み返しています。その過程で、「日本は世界最大の債権国」を見つけました。「アメリカの国債を中心に海外の国々に膨大な額の借金をさせている。2012年の段階で、世界一の座を実に22年連続でキープしている」という内容です。

  (「『日本経済新聞』、2023年5月26日」より)

 現在はどうなのでしょうか。早速調べてみました。そして、22年末で日本の対外純資産418兆円となり、「32年連続で世界最大の純債権国」だったことがわかりました。ちなみに、「世界最大の純債務国は米国で、対外純債務残高は2137兆9298億円に上った」そうです。これらの事実は何を意味しているのでしょうか。そこまではわかりませんが、それだけ日本は豊かであったと言えるのでしょうか。
 なお、「32年連続で世界最大の純債権国」だったその内実は次の通りです。
 財務省は26日、日本の対外純資産が2022年末時点で418兆6285億円だったと発表した。円安に伴って外貨建て資産の評価額が円換算で増え、過去最大となった。対外純資産が増えると海外からの配当金や利子収入が増えて経常収支が改善したり、国債格付けの評価の引き上げにつながったりする
 対外純資産は日本国内の企業や個人、政府が海外に持つ「対外資産」から海外投資家などへの「対外負債」を差し引いたものだ。対外純資産は21年末時点と比べて0.2%の微増で、5年連続の増加だった。32年連続で世界最大の純債権国となった。
 対外資産の残高は21年比で6.5%増の1338兆2364億円だった。増加は14年連続となる。金利上昇に伴う債券価格の下落などで証券投資の資産残高は8.4%減の531兆2900億円となったが、円安が残りの資産残高を押し上げた。
 22年末の円相場は1ドル=132円14銭で、21年末に比べて14.8%の円安・ドル高となった。円安で外貨建て資産の評価額が108兆1890億円増えた。
 海外から日本への投資などを映す対外負債残高は9.6%増の919兆6079億円だった。4年連続で増えた。外貨建ての負債の円換算での評価額は27兆8690億円増えた。
 国・地域別でみると、22年末時点で日本に次いで対外純資産が多いのはドイツで389兆509億円となった。中国が335兆7807億円、香港が233兆6321億円で続いた。世界最大の純債務国は米国で、対外純債務残高は2137兆9298億円に上った。(「日本の対外純資産418兆円、22年末 円安効果で過去最大」『日本経済新聞』、2023年5月26日、下線は引用者)

2024年1月2日火曜日

絵本『へいわとせんそう』

 絵本のブロンズ新社 『へいわとせんそう(たにかわしゅんたろう/ぶん、Noritake/え)を読みました。敵の、顔も、朝も、赤ちゃんも、味方と同じであるところが印象的でした。そうなのです。敵も味方も、同じ人間なのです。この地球上にはわけもなく殺されていい人間などいないのです。
 しかし、絵本に見るような「せんそう」の現実が、世界の片隅で起きています。そして世界は、この現実を止めることができずにいます。なんとかしなければいけません。その第一歩は、諦めないで声をあげ続けることではないでしょうか。

へいわのボク せんそうのボク
ブロンズ新社 『へいわとせんそう」より

 





 

 

へいわのワタシ せんそうのワタシ
へいわのチチ せんそうのハハ
へいわのかぞく せんそうのかぞく
へいわのどうぐ せんそうのどうぐ
へいわのぎょうれつ せんそうのぎょうれつ
ブロンズ新社 『へいわとせんそう」より


 









へいわのき せんそうのき
へいわのうみ せんそうのうみ
へいわのまち せんそうのまち
へいわのよる せんそうのよる
へいわのくも せんそうのきのこ雲(の絵)
みかたのかお
てきのかお(同じ顔)
みかたのあさ
てきのあさ(同じ朝)
みかたのあかゃん
てきのあかちゃん(同じあかちゃん)

2024年1月1日月曜日

アイデアマラソン再出発

 新しい年が始まりました。この正月元旦というめでたい日に、忘れていたアイデアマラソンを始めることにしました。古いノートを読み返し、身辺の整理をして行こうとして思い出したからです。アイデアマラソンに関する図書の書き抜きファイルもありました。 以下、これから参考にしたい『マラソンシステム』(樋口健夫著、日経BP出版センタ-)からの引用です。

 マラソンシステムは、人が自分で人生を切り開くための総合行動システムである。(p30)
 マラソンシステムの基本は、私たちの生活の中で、一定の期間に何か意義のあることを積み上げて継続していくことにある。(p31)
 具体的には、毎日、何か自分のオリジナルのアイデアを発想し、それらをノートに連続的に記録していくことである。(p32)
 マラソンシステムにはいくつかの目的がある。あなたが持っている未確認の能力を開発することと、生きがいの発見、そして天賦の才能(天才)を探し出すことである。(p35)
 マラソンシステムは、簡単に言えば、次の行動パターンに要約できる。
 ●発想し●計画を立て●記録を残し●行動し●学び●付き合いを広め●積み上げていく
 このように並べられると、「難しい」ように見えるかもしれないが、内容は簡単で常識的だ。要は一つずつ積み上げることである。このシステムにこだわることで、あなたの人生は賑やかなものになるだろう。
 当初は緩やかに開始することになるが、次第に太いシステムに成長する。
 人間は、自分にも見えない能力を持っている。ただし、なにもしなければその存在に絶対に気が付かない。(p36) 

 ここで言われている「緩やかに開始することになるが、次第に太いシステムに成長する」ということは、継続し、積み上げていく中で明らかになると思う。人生を切り開く手段として、有効に活用してみたい。