「幸福」になるためには何が必要なのか?
外的な幸運を真に生かすための内的な力が必要だ。その力のことをアリストテレスは「徳(アレテー)」と呼び、それが一定の行動を何度も繰り返し習慣化することで「性格」として身についていく。
第三回は、勇気、節制、正義、賢慮といった現代でもそのまま活用することができるさまざまな「徳」と、それに対立する「悪徳」を分類しつつ、「徳」を身につける方途を探っていく。
幸福とは完全な徳に基づく、魂のある種の活動である以上、われわれは次に徳について考察しなくてはならないだろう。
その「徳」は 人間が持っている可能性や能力を現実化し、充実したあり方ができるようになるのことで、「勇気」とか、「節制」という力のこと。この「徳」は、はるか彼方にあるように見えていたかもしれないが、充実したあり方をすること自体の中に幸福が実現し始めている。
「もろもろの<性格の徳>がわれわれにそなわるのは、自然によってではなく、また自然に反してでもかく、むしろそれらの徳を受け入れうる資質をわれわれが持っているからであって、習慣を通じてわれわれは完全なものになるのである」
「徳」は 生まれつき持っているわけではない。人間の本性に反しているわけでもない。そうではなくて、人間が元々持っている素質、資質、人間であれば誰でも持っている勇気や節制などを身につける可能性、それらを一回一回の行為の積み重ねを通じて現実化していくことで「徳」が身につく。
「さまざまな技術の場合と同様、われわれはまずその行為を現実化することによって見つけるのである。(中略)例えば、人は家を建てることによって建築家になり、竪琴を弾くことによって竪琴奏者になるである。まさにこれと同様に、正しいことを行うことによって、われわれは正しい人になり、節制のあることを行うことによって節制のある人になり、また勇気あることを行うことによって、勇気ある人になるのである。
一回の成功体験が二回目の成功体験につながる。コツがつかまれるから。
「徳」が身につくと、技術と同様に「素早くできるようになる」と、そのことに「喜びを感じる」ようになる。
「徳」ある人をモデルにして初めて「徳」は身につく。「徳」を身につける時の最初のモデル=両親
「徳」が身につくと、技術と同様に「素早くできるようになる」と、そのことに「喜びを感じる」ようになる。
「徳」ある人をモデルにして初めて「徳」は身につく。「徳」を身につける時の最初のモデル=両親
人と人との交渉におけるいろいろな事柄を行うことによって、われわれは正しい人間になったり、不正になったりするからである。
また恐ろしい状況におけるもろもろの事柄を行いながら、恐れることや自信をもつことを習慣づけられて、われわれは勇敢な人間になったり、臆病になったりするからである。
結論は、「中庸を実現することによって徳が身につく」ということになるのだが、中庸というと「ほどほどに」と捉えられがちだ。しかし、「食べるべきものを」「食べるべき時に」「食べるべき程度に」といった、さまざまな条件を満たして初めて、真に中庸と言える。
また恐ろしい状況におけるもろもろの事柄を行いながら、恐れることや自信をもつことを習慣づけられて、われわれは勇敢な人間になったり、臆病になったりするからである。


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