友人に紹介された「日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明」と、その理由を読んだ。とても心強かった。昨日書いたように、日本学術会議問題は、国民に対する暴力であること、しかも、言論弾圧だけでなく、「《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)」と言っているからだ。
http://studiit.jp/pdf/%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%96%87%EF%BC%88%E7%90%86%E7%94%B1%E4%BB%98%E3%81%8D%EF%BC%89.pdf (「日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明」と、その理由)
「日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明」
日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについ て、明確な理由説明はなく、説明の要求を斥けることは学問の自由の理念に反すると同時に、民主主義に敵対す るものであり、これに断固として異議を唱えます。《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力の行使(国民に対する暴力)であり、主権者である国民に説明責任を果たすことが民主主義の基本だからです。情報公開の 制度は古代ローマの時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。 必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望致します。
令和2年10月17日 イタリア学会会長 藤谷道夫(慶應義塾大学教授)
《説明しない》ことこそが権力の行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。なかには権力に忖度し、取り入る者が出て来る。こうした事例からも民主主義がいかに「説明すること」にかかっているかが判る。説明と情報公開が民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなのである。(強調は引用者による)
という部分があったが、”安倍政権の暴力”によって少しづつ民主主義が破壊されてきて、その延長で、今回の暴力の行使に至ったことを重く見なくてはならない。これまでは、国民に対する暴力という認識がなかったから、ズルズルと、無言の暴力を許してきたのではないだろうか。今度ばかりは、どこまでも声をあげていく必要がある。つくづく、そう思った。























