2020年9月30日水曜日

「男系の男子之を継承す」は差別の根源

 朝日新聞の夕刊(2020年9月30日)で、「米国の理想と本音」と題して、『ハーレムの熱い日々』(1972年刊)が紹介されていた。

 人種差別という病巣は不変――。多くの人々の目にそう印象づけたのが、5月にミネソタ州で起きた、黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に暴行を受け死亡した事件だ。「BLM(黒人の命も大切だ)」運動への共感は全米に広がっている。
 黒人文学が専攻の荒このみ・東京外国語大名誉教授(74)は「この半世紀余、制度上の様々な前進がみられた米社会に今なお根深い差別意識が存在する」と指摘する。

 日本にも、部落による差別、女性蔑視、等々、様々な差別があったし、現に存在する。部落差別を扱った小説として『橋のない川』(住井すゑ著)がある。その住井すゑさんが、差別の根源に言及した言葉を最近見つけ、溜飲が下がる思いがした。

 大日本帝国憲法には「皇位は皇室典範の定むる所により、男系の男子之を継承す」と明記されている。・・・旧憲法を思うとき、真っ先に頭によみがえるのは「男系の男子之を継承す」の語句である。これには、私の感じとしては全く形容しがたいほどの差別 —— 差別の根源とも言うべきもの(原文は傍点)が居座っている。(『いのちは育つ』(住井すゑ著、人文書院、1985年、p30〜31)

 新憲法については、胸おどらせて「前文を読みはじめた」けれども、「第一章 天皇」を読んでがっかりした。<民主主義の原則であるべき「平等」と「自由」が全く無視されていると感じたからだ>(p31)と言う感想を述べている。こうした視点は初めてで、考え続けていきたいテーマの一つになりそうだ。

2020年9月29日火曜日

米軍による先住民強制移住の実態

 マーシャル諸島と言えば、米政府が島の全住民を強制的に移住させ、核実験を行ったことで有名だ。米政府は1946~58年にかけ、マーシャル諸島の小さな島々で67回もの核実験を行っていたのだ。しかし、米政府による強制移住は、これだけでなかった。『米軍基地がやってきたこと』に、米政府による強制移住の生々しい報告があった。島民の人権など省みない「問答無用」の処置に、ただただ呆れ、怒りを感じずには居れない。
 ”一事が万事”という諺がある。米国は、近代にもなっても、こうした植民地時代の感覚を引きずっているとしか思えない。以下、少し長い引用だが、紹介する。なお、強調は引用者による。このような米軍とは、1日も早く手を切り(安保条約を解消し)、対等な日米関係を築いて欲しいものである。

 一九五〇年代後半、米海軍はチャゴス諸島にあるイギリス領ディエゴ・ガルシアに新しい基地を建設する計画を立てていた。イギリス当局との話し合いのなかで、米国防総省と国務省の交渉担当者たちはチャゴス諸島の「独占的支配(住民は排除)」を求めた。
 こうして住民には退去命令が出された。一九六八年から一九七三年の間に、米英政府はディエゴ・ガルシアの先住民全員を強制的に立ち退かせ、故郷から二〇〇マイル離れた西インド洋のモーリシャス諸島やセーシェル諸島に移送したのである。
 追放されたチャゴス島民たちには新たな地で定住するための支援もなかった。強制排除されてから数十年たった今でも、そのほとんどがモーリシャスやセーシェルの貧困層の底辺に留まり、外から訪れる人たちからは異国情緒豊かな観光地や新婚旅行先として知られる場所で、生き延びるのに必死な状況にある。チャゴス島民から故郷を奪った米軍は、ディエゴ・ガルシアに「自由の足跡」というニックネームをつけている。(『米軍基地がやってきたこと』、デイヴィッド・ヴァイン著、原書房、2016年、p8182)

 イギリスの業者は米海軍のシービー船の助けを借り、島民の飼い犬を捕らえることから立ち退き作業を開始した。倉庫に閉じ込められた飼い犬が毒ガスで殺され、焼かれるのを見て、チャゴス島民は恐怖に震えた。残っていたチャゴス島民はすし詰め状態の貨物船に乗せられた。立ち退きは一九七三年五月まで段階的に行われ、移送される間、チャゴス島民のほとんどは船倉のグアノ ―― 肥料用の鳥の糞 ―― の上で眠った。馬は甲板の上で身動きもできず、五日間の旅の終わりには、あちこち吐しゃ物、尿、糞便だらけになっていて、少なくともひとりの女性が流産した。この状況を奴隷船に例える人もいた
 モーリシャスやセーシェルに着くと、チャゴス島民のほとんどはそのまま桟橋に置き去りにされた。住む家も仕事もなく、持ち金はごくわずか。ほとんどが、身の回りの物を入れた箱ひとつと敷布団一枚をもってくるのが精いっぱいだった。最後の立ち退きから二年たった一九七五年、西側の報道機関として初めて、「ワシントン・ポスト」紙がこの話を暴露した。ある記者は、新聞で報じられた「大最誘拐行為」の被害者たちが、「極貧」生活を送っていることを突き止めた。
 オレリー・リゼット・タラーテは、最後に鳥を離れた島民のひとりだった。「私は六人の子供と母親と一緒にモーリシャスに来ました」とオレリーは言った。この家族がモーリリシャスに着いたのは一九七二年末だった。「ボワ・マルシャン幕地のそばに住まいを見つけたけれど、家にはドアがなく、水道も電気もありませんでした。人が生きていけるような状況ではなかったのです。そうして私たち家族の苦しみが始まりました。子供たちはみな、すぐに病気にかかってしまいました」モーリシャスに着いて二か月と経たないうちに、ふたりの子供が死んだ。埋葬費用が工面できず、二番目の子は募標のない墓に埋められた。「もうお金がなかったんです。役所の人があの子を理葬し、今も、とこに埋められたのかわかりません」オレリー自身も失神の発作を繰り返し、食べることができなかった。
 故郷にいたころは「太っていたが、モーリシャスに着くと瞬く間にやせ細ってしまったという。「私たちの暮らしは動物並みです。土地?そんなものはありません⋯⋯仕事? ありません。子供たちは学校にも行けないのです」レリーは言った。チャゴス鳥民はほとんどすべてのものを失ったのだ。たまたま米海軍が欲しがった島に住んでいたというだけの理由で。(同上、p88〜89)

2020年9月28日月曜日

人びとはみんな蒸気となって・・・

  こんな素晴らしい詩「ヒロシマ」もあった。同じく『名詩に学ぶ生き方(西洋編)』(荒井洌著、あすなろ書房)よりだが、「人びとはみんな蒸気となってたちのぼっていった」という言葉が、なんとも迫力・インパクトがあった。この言葉から、キノコ雲が人びとの蒸気であったと連想してしまったからだ。
 次の総選挙では、野党連立政権を誕生させて、核兵器禁止条約を批准して欲しいものである。以下は荒木さんの解説より

 空のかなたでかがやくめぐみの太陽でなく、地上のわずか上、ヒロシマの街の上空で、ひとつの太陽が爆発しました。
 それは、人間がつくりだした死の太陽です。太陽が原子核のエネルギーによってかがやいているのをまねて、人間は核爆弾をつくり、ヒロシマに投下しました。その爆発の熱光が、一瞬にしてヒロシマの人びとをもやしつくしました。
 のこったのは、黒こげのかげでした。熱光がやきつけた石の上のかげによって、そこに人がいたのだとわかったのです。
  ―― 日本の一都市広島を”ヒロシマ”とかくときには、かつていまわしい原子爆弾がおとされた地であることを物語っています。一九四五年八月六日、午前八時十五分。戦争下とはいえ、世界ではじめての核兵器・原子爆弾がどんな兵器であるのかが、ヒロシマの地でしめされました。
 すべてをやきつくす熱光と熱風、空にのぽるキノコ雲、そして放射能の黒い雨……世界中の人びとが注目しました。

 アッギェーエ(一九一一~八七年)は、現代インドのヒンディー語文学の詩人。小説家。本名、サッチダーナンド・ヒーラーナンド・ワーツヤーヤン。考古学者の子として、北インドで生まれ、インド各地を巡りながら少年時代をすごした。
 マドラスなどの大学で物理学や英文学を学ぶうちに、反政府の地下組織に加わってイギリス官憲に捕えられた。獄中で書いた詩が”アッギェーエ”(知られざる者)のペンネームで雑誌に発表されて以来、これを用いた。晩年に全詩集「水は流れて」(二巻、一九八六)がある。

 掲出詩の訳者・森本達雄(一九二八・昭和三年~ )は、和歌山県生まれ。現代インド思想・文学者。著訳書多数。(掲出詩は、森本達雄編訳「インドのうた ―― 闘いと瞑想の中から」法政大学出版局、一九七六年刊による)


2020年9月27日日曜日

ただ輝いてなさい(太陽の教え)

 スクラップを整理したおかげで、忘れていた詩を思い出した。いい詩だなと思ってスクラップして、すっかり忘れていた。なかなか、こんふうにはなれそうもないが、あやかりたいものである。「太陽の教え」『名詩に学ぶ生き方(西洋編)』(荒井洌著、あすなろ書房)より




2020年9月26日土曜日

防衛装備品の買い物は当面凍結を!

 古いスクラップを見て、 防衛省の「お買い物リスト」存在と、財務省がこれの廃止を求めていたことを知った。それでは、現在のリストはどうなっているかを調べてみた。次の文書が公開されており、買い物リストと、単価がわかった。「中期防衛力整備計画(平成 31 年度~平成 35 年度)」は、「平成 31 年度以降に係る防衛計画の大綱について」(平成 30 年 12 月 18 日国家安全保障会議決定及び閣議決定)に従って作成したもの。それで、例えば潜水艦が5隻になっている。
 こうしたリストにされたものを見ると、ただただ、なんでこれ程の、量と金額に驚くばかりである。防衛装備品の買い物は当面凍結し、その分を、現に脅威となっている新型コロナ対策に当てるべきである。

中期防衛力整備計画(平成31年度~平成35年度)について[PDF形式]
中期防別表装備品の単価について[PDF形式]


「中期防衛力整備計画(平成 31 年度~平成 35 年度) 」より

「平成 31 年度以降に係る防衛計画の大綱について」より



 

2020年9月25日金曜日

放射性ゴミが問う日本の責任

 スクラップを整理していて、ロシアで「放射性廃棄物の海洋投棄が大きな問題になっている」ことを取りあげた記事を見つけた。なんと、「原発などの原子力にかかわっている国は、日本も合めてどこも同じ問題を抱えており、すでに大量の放射性廃棄物を同様に海に捨ててきた」という。それらは、今どうなっているのだろうか?

 また、「日本政府はまず現在、そして将来に発生するゴミの量がどのくらいになるかを明らかにし、それらに対してどんな責任を持つのか、どういう形で、どこにどのように処分するつもりなのか、きちんとした放射性廃棄物対策を打ち出すべき」だ、という主張は、もっともな話である。どれだけの重荷を抱えているのか、想像もできない。30年前の主張だが、今も立派に通用する。

 鮎川さんが『これからの環境エネルギー 未来は地域で完結する小規模分散型社会』(鮎川ゆりか著、三和書籍)、という本を出していることもわかった。環境にできる限り負荷を与えず、私たちの生活を快適にしてくれるエネルギー利用生活とはどういうものか。「エネルギー」という分野を「環境」という切り口で解説し、地球温暖化対策にも直結する小規模分散型社会の提案を行う本だという。原子力問題は、新エネルギーとセットで考えていきたい、そう思った。

2020年9月24日木曜日

民家27棟をなぎ倒して宮森小に激突

 1964年4月5日、東京都町田市で米軍機が市街地に墜落。4人が死亡、重軽傷者32人が出る大惨事が起きたが、そうした「米軍機墜落事件の記憶を風化させてはいけない」と、自宅の敷地の一画に、ブロンズ製の母子像を昨年から設置している岩崎俊男さんが、赤旗(2020年9月21日)のひと欄で紹介されていた。
          
 沖縄でも、墜落事件の大惨事が結構起きている。やはり、忘れてはいけない、風化させてはいけないと思う。宮森小ジェット機墜落事件のことも、最近その詳しい実態を知って驚いた。

そのとき何か起きたか 
豊濱光輝 (石川・宮森630会会長) 

◇一九五九年六月三十日
 その日も大変暑い日でした。宮森小学校では、二時間目が終わり、ミルク給食の時間になったところでした。コップに注がれたミルクを子どもたちが飲もうとしたとき、大きな大きな爆発音がしたのです。
 火を噴きながら、ジェット機が学校へ突っこんでいくのを、多数の石川市(現うるま市)民が目撃していました。校庭はたちまち炎と黒煙に包まれ、まるで地獄絵図のよう。子どもたちは泣き叫び、逃げまどいました。

◇尊い命がうばわれた
 宮森小学校に墜落したのは、米軍嘉手納基地所属のジェット戦闘機でした。離陸直後に操縦不能となり、パイロットは具志川村(現うるま市)で脱出。 機体は石川市の民家二十七棟をなぎ倒し、宮森小学校に激突しました
 児童十一人、住民六人の命をうばい、百五十四人の児童、五十六人の住民が重軽傷を負いました。後に、後遺症によって、さらに一人の命が失われました
 事故を起こしたジェット機は、整備不良のまま離陸し、墜落直前に搭載していた爆弾を海に投棄していた、ということが、事故から四十年後の一九九六年になってわかりました。
 この事故、いいえ、整備不良ということを知りながら離陸させたのですから、事件と言えるでしょう。戦争が終わって十四年もたつというのに、なぜ、このような悲惨で残酷な形で、十一人もの尊い子どもたちの命がうばわれなければならなかったのでしょうか。
 ジェット機の一部が飛びこんだ六年三組の教室には、四十八人の子どもたちがいました。その手前の二年生の教室はガソリンをかぶって燃え上がりました。教室からは次々に「先生、助けて!」と子どもたちがとび出してきました。
 その子どもの一人、玲子さんは、家に逃げ帰るつもりで校門まで走りました。玲子さんを保護した先生は、どうやって助けたらいいのかわかりませんでした。「痛いよう、痛いよう」と泣き叫ぶ玲子さんですが、抱っこしようとすると、紫色にやけどした皮ふが手にくっつくのです。手を引いて歩いていたとき、米軍の救護班がやってきたので、先生はその米兵に玲子さんを引き渡しました。
 玲子さんを学校、病院とさがしまわった両親は、米軍病院で変わり果てたわが子に対面しました。玲子さんは「水がほしい、お母さん、水をちょうだい……」としきりに水をほしがっています。けれども、看護婦から「飲ませないでください」と言われ、がまんさせるしかありませんでした。
 玲子さんは、その日の夕方に亡くなりました。玲子さんのお母さんは二〇一一年に八十六歳で亡くなりましたが、娘があんなにはしがっていた水をあげられなかったことを、一生後悔していたそうです。九十四歳のお父さんは今も元気で、毎朝コップに水を入れ、玲子さんの遺影の前に置き、「今日は晴れているよ」「今日は雨だよ」と話しかけているそうです。(『ひまわり 沖縄は忘れない、あの日の空を』、ひろはたえりこ他著、汐文社、2012年、p152~155、強調は引用者による)



2020年9月23日水曜日

「対立」ではなく「人々の結束」を

 NHKBSで、映像の世紀プレミアム17集「人類の危機」を観た。最後の方で、フランクリン・ルーズベルト第32代アメリカ大統領の就任演説で、大恐慌に立ち向かう決意を次のように述べている。

 私たちが恐れなければならないのは、恐怖心そのものです。恐怖心は退去を前進に変えるために必要な努力を麻痺させてしまうからです。
 私たちの祖先が恐れず信念を持って克服してきた危機に比べれば、今はずっと恵まれています。我々は国民の結束で生まれる温かい勇気をもって、目の前の困難な日々に立ち向かうのです。

 ここで、「我々は国民の結束」を「我々は世界の人々の結束」に置き換えれば、現在に森p@ぱに通用する演説になる。今必要なのは、武力による対立ではなく、「世界の人々の結束で生まれる温かい勇気」なのである。

1986年4月26日、ウクライナ北部のチェルノブイリ原子事故が起こった。事故の後は、火災を消火し、がれきを取り除き、汚染廃棄物を地下深くに埋める必要があった。勇敢な消防士や兵士、用務員、鉱夫といった「リクビダートル(ロシア語で「後始末をする人」の意味)」と呼ばれる人たちが、ありとあらゆる事故処理作業を行ったのである。その数、60〜80万人と言われている。しかし、「約20万人は50歳まで生きられなかった」という。そして、約500の村落が地図上から消えた。

 リクビダートルは、モスクワの第6病院で治療を受けた。その「第6病院が成した最大の貢献は、人命救助ではなく失った人命の多さにあったと言えるかも知れない。なぜなら、命を救えなかった失敗は、原子力がいかに死を招きやすいか、さらに激しい放射能にさらされたとき世界がいかに無力であるかを証明したからだ。つまるところ、現状ではということだ。私たちは皆、チェルノブイリのすぐ隣に住んでいるのだ」。


 2013年、直径17センチの隕石が旧ソ連に落下した。このことを取り上げて、「もし、いん石がもっと大きかったら?」「もし、落下したところが人口密集地だったら?」と問い、
「危機は、いつも、予期せぬ、とて、思わぬ形で私たちを襲う。残酷に、容赦なく、平和な日々を破壊する」。だから、「対立」ではなく「人々の結束」が求められているのだ。

いん石の軌跡

隕石が落下した場所



2020年9月22日火曜日

描くこと書くことは心に掻く(刻む)こと

 書家の石川九楊さんが、「描く」こと、「書く」こと、「掻く(刻む)」ことは同じで、初めは絵も、文字も、鋭利なもので掻いた(刻み込んだ)ものだが、だんだん「描いた」り、「書いた」りするようになった。そんなことを読んだことがある。
 木下晋さんや、東山魁夷さんの描く対象に対する心構え、姿勢というものを知って、描くこと書くことは心に深く「掻く(刻む)こと」ではないか、と思うようになった。それは、求心力で、遠心力による表現とは矛盾する。だからこそ、心に刻むことと表現が渾然一体となって、素晴らしい表現としての作品となる、と。
 こうした作品の製作過程の理解を経て初めて、ゴッホが何故自画像を何枚も描き続けたのか、モネが何故睡蓮の絵を何枚も描き続けたのか、わかった気がした。そして、文章を書くときも、心に刻むような気持ちで書くことが大切なのかも知れないと思った。

黒いフェルト帽の自画像
最後の自画像

《睡蓮》1897‐1898年鹿児島市立美術館
《睡蓮、夕方の効果》1897年マルモッタン・モネ美術館

2020年9月21日月曜日

描くことは相手を知ること

『いのちを刻む 鉛筆画の鬼才、木下晋自伝』(城島徹編著、藤原書店、2019年)を読んで、画家の木下晋さんを知った。木下さんは、徹底して、皺のある対象に興味を持って描いた。何故か、「しわのない肌が語る人生など、たかが知れている。深みも悲しみも歳月もない」(p219)からだという。

 そんなだから、描きたい人に対し、徹底してインタビューをする。次にようにだ。

「描くことは相手を知ること」。そう自分に言い聞かせ、私はハルさんに言葉をかけ、生い立ちや、女としての修行体験を聞き出すことに努めた。(p112)

 盲目の旅芸人・瞽女(ごぜ)として105年の天寿を全うした小林ハルさん

「東日本大震災復興祈念 東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」を観てきたが、東山魁夷も、描く対象を徹底的に研究したようで、作品を「制作するに当たって、1年間を鑑真と唐招提寺の研究に充てている。何度も渡航に失敗し、失明してまで仏教の普及に努めた鑑真の人柄にどんどん引き込まれていったのではないか。作品の随所に深い尊敬の気持ちが表れている」(「障壁画展を企画、監修した茨城県近代美術館館長尾崎正明さんの話」『河北新報』)という。
 このようにして描かれた障壁画だけあって、見応えがあった。作品の前に椅子まで用意されていて、順番を待てば、作品の前に座って、ひと時をじっくり鑑賞できた。ここに描かれた中国との深い心の交流を考えると、こうした歴史に学び、再び、日中の国交正常化することを願わずにはいられない。

こうした荒波を渡って来てくれた鑑真の心象風景に思いを馳せてみた

2020年9月20日日曜日

軍事力による抑止論はアリ地獄への道

  北欧には、レミング(ネズミのような小動物)が大発生して森林から移動し、一部は川や海に突入したり、谷から飛び込んだりする様子が、集団自殺の例として伝説になっている。先の大戦も、ある意味ではレミングのように一億総突進して多くの命を失いましまった。その代償として日本国憲法が与えられた。しかし、現在は、憲法の精神からどんどん離れてきており、レミングのように死の淵に向かっているように思えてならない。安倍晋三元首相のような旗振りの後を、ただ追いかけて死の淵に向かっているイメージである。
 雑誌『 世界』(10月号)を読んでいたら、現代の軍拡路線をひた走る様を「蟻地獄」に喩えて批判している論文を見かけ、同じような考えに出会え、嬉しくなってしまった。その論文は「戦争を抑止できるものは何か」という池内了さんのものだ。

 世界を破壊するための精鋭な武器をいくら装備しようとも、目に見えない半生物体であるウイルスを根絶できず、累々たる犠牲者を生み出す一方である。そのような状況であるにも拘らず、世界中で軍拡路線が止まりそうにない。環境の悪化が地球の異変をもたらしかねないと何度も警告が発せられているのに、さらに武器の絶えざる生産と更新のために資源とエネルギーの膨大な浪費を行ない、環境の悪化を加速させていることが明らかなのに、軍事予算を環境の整備のために転換する動きはまったく見られない。その背景にあるのお軍事力による戦争の抑止論なのだが、それはアリ地獄への転落でしかない。戦争を真に抑止するのは人間の理性と道理に基づいた人間力であり、一切の軍事力を放棄した世界こそ人類の目標としなければならないのではないか。 (p128、強調は引用者による)

 ぜひ、手に取って読んで欲しい。

2020年9月19日土曜日

生贄の思想が生きている日本

 スペインのアラゴンや中世ヨーロッパで知られている生贄伝説がある。ある王国に、毒を吐き、人を襲う龍がいた。人々は羊の生賢を捧げていたが、ついに王の娘を差し出すことになってしまう。そこへ青年ゲオルギウスが通りかかり、龍の口に槍を突き刺し、姫の帯を龍の首につけ生け捕りに成功する、そんな話である。このように、みんなを助けるために生贄を差し出す話は世界にあった。
 戦争中は、ある意味では国に命を捧げた生贄のようなものである、そう思ってきた。戦後になっても、国の犠牲になる人たちが絶えなかった。在日米軍基地周辺で、軍用機の低空飛行による騒音などの危険に晒されてきた人たちが典型である。この人たちも、生贄のようなものである、そう思ってきた。
 なんと、同じように考えていた人がいた。しかも、しっかりとした根拠も示している。嬉しかった。次のように書かれていたのだ。

 「戦争を、いつの時代、どこにでもある諍(いさか)いの延長、国家間の喧嘩と考えるのでは不十分である。ひとりの変質者による傷害や殺人でも重大事件であるのに、桁違いの大量殺戮と破壊が合法とされ、裁かれることがない点にこそ戦争の本質がある。なぜこのような不思議な無法状態が放置されつづけているのだろうか。それは、民主制と法治といわれる現在においてもなお、国家という存在自体が、民衆を犠牲(生贄・人柱)として献げることを通じて生き続けるという、古代宗教国家時代からの野蛮な側面を克服しえていないからである」(『石川九楊著作集別巻III』、p334、強調は引用者による)

 今現在も、基地があるゆえに苦しんでいる人たちがいる。桁違いの騒音や、嫌な振動などを想像し、その苦しみを想像して、1日でも早く、苦しみから開放されるよう、微力ながら力を尽くしていきたい、そう思った。

2020年9月18日金曜日

日本国憲法の思想は戦争否定の思想

 外務省の安保条約に関する解説を読んでみた。第5条は、日米のいずれか一方に対する武力攻撃が前提になっており、第6条は、日本に対する侵略が前提になっている。しかし、武力攻撃にしろ、侵略にしろ、実際にことが起こったら、それは戦争そのものである。
 つまり、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」た(日本国憲法前文)にもかかわらず、「戦争の惨禍」そのものを前提に議論が展開されている。そして、武力によらないでも、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」する方法に関する考察が一切ないし、なされてこなかった。
 考えようによっては、日本国憲法の思想は、戦争否定の思想と言って良いし、事実そう言っている方もいる。日本国憲法の目玉とも言える戦争否定の思想は、戦争を前提に議論を展開することは許されない。したがって、「平素より米軍の駐留を認め、米軍が使用する施設・区域を必要に応じて提供できる体制を確保しておく」ことは、戦争否定の思想に馴染まない。
 「日米安保条約は、当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、日米いずれか一方の意思により、1年間の予告で廃棄できる」のだから、その意思のある内閣が誕生すれば、一気にことが進むような気がしてならない。だからこそ、野党共闘に期待したい。

以下は外務省による安保条約の解説(「https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/hosho/jyoyaku_k.html」)
○第5条
 第5条は、米国の対日防衛義務を定めており、安保条約の中核的な規定である。
 この条文は、日米両国が、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対し、「共通の危険に対処するよう行動する」としており、我が国の施政の下にある領域内にある米軍に対する攻撃を含め、我が国の施政の下にある領域に対する武力攻撃が発生した場合には、両国が共同して日本防衛に当たる旨規定している。

○第6条
 侵略に対する抑止力としての日米安保条約の機能が有効に保持されていくためには、我が国が、平素より米軍の駐留を認め、米軍が使用する施設・区域を必要に応じて提供できる体制を確保しておく必要がある。(まさしく、これこそ、日本の全土が基地になってもおかしくない、根拠)第6条は、このための規定である。

○第10条
 この条文は、日米安保条約は、当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、日米いずれか一方の意思により、1年間の予告で廃棄できる旨規定しており、逆に言えば、そのような意思表示がない限り条約が存続する、いわゆる「自動延長」方式である。本条に基づき、1970年に日米安保条約の効力は延長されて、今日に至っている。

2020年9月17日木曜日

日本中が米軍の軍事基地に

 日本にも、安保条約に基づく米軍の軍事基地がある。それが、全土基地方式によって支えられていることを、『日本の基地 その法構造と実態』(潮見俊隆著、東大新書、1965年)を読んで初めて知った。次のように書かれている。

 アメリカ軍は、安保条約第六条にいう「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」ならば、わが国のどの土地についても基地の設定を請求できるわけであって、じじつ、アメリカ軍の基地は、北海道から九州にいたる全国いたるところに設置されている。このような全土基地方式は、アメリカがその軍事基地をおいているイギリスはもとより、フィリッピンにおいてすらとられてはいない。たとえば、昭和二八年に締結された米・英軍事基地協定は、ニューファウンランド、バーミュダ、ジャマイカ、セント・ルーシャ、アンティーグァ等の一定区域を基地として限定しているし、昭和二二年の米・比軍事協定も、第一条および附属文書によって、とくに指定されたクラーク・フィールド航空基地、レイテ・サマール海軍基地などにその範囲をかぎっている。(『日本の基地 その法構造と実態』、p177〜178)

 こんな屈辱的なことを、このままにして言訳がない。もっと詳しく知りたいと、ネットでも調べてみた。そして、志位委員長の解説を見つけた。

(新安保条約)「第6条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される

 (地位協定)「第2条 1a 合衆国は、相互協力及び安全保障条約第6条の規定に基づき、日本国内の施設及び区域の使用を許される

 新安保条約のもとでの基地貸与の問題について、1983年12月に作成された外務省内部文書「日米地位協定の考え方 増補版」では、つぎのように説明しています。

 「米側は、我が国の施政下にある領域内であればどこにでも施設・区域の提供を求める権利が認められている。……地位協定が個々の施設・区域の提供を我が国の個別の同意によらしめていることは、安保条約第6条の施設・区域の提供目的に合致した米側の提供要求を我が国が合理的な理由なしに拒否し得るものを意味するものではない

 ちょっとややこしいいいまわしですが、これは換言すれば、“合理的理由がなかったら、米側から要求された基地提供を拒否することはできません”ということを言っているのです。まさにいまなお、「全土基地方式」が、こういう形で日本をしばっているということを、外務省自身が内部文書で認めているわけであります。({日本の真の主権回復をめざして 4・28 「安保条約廃棄・真の主権回復を求める国民集会」 志位委員長の発言 2013年4月28日}より)

 さらに、「安保条約を廃棄して、憲法が輝く日本を作ろう」という素晴らしいPDF文書を見つけた。
https://anpo-osk.jp/down/140723-anpohaiki-23osaka.pdf」このリンクで読めるので、ぜひ読んで欲しい。

PDF文書の一部、赤線強調は引用者


2020年9月16日水曜日

真の脅威は「敵」でなく米核政策

 前に、「全体的破滅を避けるという目標」というブログを書いて、宇宙物理学者であるホーキング博士の言葉を引用しながら、「核戦争を避けることが何にもまして重要な課題であり、目標である」ことを述べた。
 『核のボタン』(ウィリアム・ペリー、トム・コリーナ著、田井中雅人訳、朝日新聞出版)の書評(評者・長崎大学准教授中村桂子さん、『しんぶん赤旗、2020年9月13日』より)を読んで、事態はさらに深刻であることを知った。何よりも、「米大統領には核兵器使用にかかわる専権が与えられ、その決断を誰も止めることはできない」(同上)ということが怖かった。なぜなら、

 そもそもの判断材料が誤情報だったら? 
 コンピューターがハッキングされたら? 
 大統領がかんしゃく持ちで冷静さを欠いていたら? 
 ピザの注文よりも簡単に、何百という核ミサイルが発射され、何百万、何千万の人々が命を落としうる。それがこの世界の「日常」なのだ。 (同上)

 こうした、「明日にでもありうる日常」の危険性は十分に考えられる。だからこそ、怖い。そもそも、米大統領に核兵器使用にかかわる専権が与えられていることは、周知のことなのだろうか。ロシアや中国などの核保有国の場合は、どうなのだろうか。何れにしても、

 日本の私たちにとってこれは人ごとではない。核戦争が起きれば世界中誰しも、「対岸の火事」ではいられない。しかしそれ以上に私たちは「当事者」だ。まさに狂気でしかない米国の核政策を支持し、その庇護の下で安全をうたうというこの国の「異常さ」に気づき、声をあげなければならない。時すでに遅しとなる前に。本書は私たちへの警告の書である。(同上)

出版社からのコメント
 本書は「核のボタン」を握るトランプ大統領への警告の書であり、 大統領に核のボタンを専権的に握らせることが人類にとってどれほど恐ろしく、 破滅的なリスクをはらむものかを市民社会に伝えるものです。
 核軍拡競争に明け暮れた米ソ冷戦時代が終わり、 オバマ大統領の「核なき世界」へ歩む契機がようやく訪れました。 しかしトランプ政権により突入しつつある米中露の「新冷戦」時代。 オバマ氏の「核なき世界」政策につながる礎を築いた 米国4賢人」の一人である元米国防長官のウィリアム・ペリー氏は、 世界が再び暗黒の20世紀へ引き戻されることがないよう警告を放ちます。
 日本の安倍晋三首相が「核の先制不使用」への反対を個人的に オバマ氏に伝えたことへの懸念も本書では表明されています。

2020年9月15日火曜日

米軍による占領関係が続く異常

  在日米軍による低空飛行のことは、昨日述べたばかりだ。なぜ、このようなことがまかり通るのか、沖縄国際大学教授の前泊博盛によると、

 75年前の敗戦で米軍占領が始まり、その占領を継続するため安保条約が結ばれ、そのもとで行政協定(現・地位協定)も締結させられました。(赤旗日曜版、2020年4月12日号)

 ところが、この日米地位協定が曲者で、日本の空の安全を維持・担保するための航空法があって、航空法6章で、最低安全高度や物件の投下禁止などを定めている条項があるのに、「日米地位協定に基づく航空特例法は6章の全てについて米軍への適用を除外」(上同)している、という。米軍は、空の安全を無視してもいい、と言っているようなものである。それで、実際の航空法を調べてみた。最もな条項ばかりである。よく考えてみれば、軍用機なのだから、他人の迷惑など考えていられない、のもわかる気がする。そう考えると、軍用機などの常備軍を認めたこと自体を問題にしなければならない、事になる。

航空法 (昭和二十七年七月十五日法律第二百三十一号)

(最低安全高度) 
 第八十一条 航空機は、離陸又は着陸を行う場合を除いて、地上又は水上の人又は物件の安全及び航空機の安全を考慮して国土交通省令で定める高度以下の高度で飛行してはならない。但し、国土交通大臣の許可を受けた場合は、この限りでない。

(粗暴な操縦の禁止)
 第八十五条 航空機は、運航上の必要がないのに低空で飛行を行い、高調音を発し、又 は急降下し、その他他人に迷惑を及ぼすような方法で操縦してはならない。

(物件の投下) 
 第八十九条 何人も、航空機から物件を投下してはならない。但し、地上又は水上の人 又は物件に危害を与え、又は損傷を及ぼすおそれのない場合であつて国土交通大臣に 届け出たときは、この限りでない。

 2018年に高知沖で起きた米海兵隊戦闘機墜落事故をきっかけに、米軍パイロットが読書やスマホで自握りをしながら戦闘機を飛ばしていたことが明らかになりました。今年には沖縄で海兵隊が訓練でヘリから大型標的を海上に落下させています。
 こうした度を越した危険飛行は、国内法が適用されていれば、起こりえないことです。
 しかし日本政府は地位協定上、米軍には国内法を適用できず、規制できないという姿勢です。それが無法な訓練を許す事態につながっているのです。
 日本と同じように米国の同盟国であるイタリアやドイツは米軍に国内法を適用しています。沖縄県の調査にイタリアの元司令官は
 「米軍の活動にはイタリアの法律を全て適用させる」と明言しています。
 領土、領空、領海で自国の法律を適用できないのは主権国家ではないということです。
 75年前の敗戦で米軍占領が始まり、その占領を継続するため安保条約が結ばれ、そのもとで行政協定(現・地位協定)も締結させられました。こうした日米関係が戦後変わることなく続いていることは異常です。
(上同)

 こうした日常化した異常は、今日までの経過からしても、地位協定の改定、といった小手先の変更ではなんら変わることがないに違いない。そうではなくて、同じ日本人の人権の問題、平和的生存権の問題としてのみ、解決の方向に光を見出せる唯一の方法である。私はそう思う。

2020年9月14日月曜日

低空飛行を繰り返す常備軍の怖さ

 世界一危険な普天間米軍基地と言われている。そう言われてもそう言われても、離れていては、実感が湧かないものである。しかし、夜間に、住宅密集地の上空を低空飛行している写真を見ると、その異常さがヒシヒシと伝わってくる。このような非日常が何十年と続けられ、これからも続くであろうことを考えると胸が痛む。
 ところが、このような異常が日本各地に広がってきている現実がある。このような低空飛行の実態は、「常備軍と言われる軍事基地には、人権という概念など無いに等しい」ことの証明である。このような無法の実態を、このままにしていいのだろうか。
 低空飛行の映像もあれば、と思って検索したら、あった。音量を下げて再生して欲しい。オスプレイはいらない、ではなく、常備軍は、もうたくさん!!なのだ。


「『日本の基地 4 写真・絵画集成 住民と基地』、林茂夫編、日本図書センター」より


(「『赤旗日曜版』2020年4月12日号」より)

2020年9月13日日曜日

身心を健康を保つ第一歩

「身心一体科学からの健康寿命延伸」という跡見順子先生の放送大学の講義をテレビで視聴した。「心身」でなく「身心」なのがミソで、立ち居振る舞いといった日常の所作に悪癖を抱えたままの活動は考えもので、和の所作に学ぶことが重要だという。
 それは、臍の下三寸にあると言われる丹田を意識することだが、この辺のことは言葉では難しいので、YouTubeでどうぞ)。
 いずれにせよ、「活動しない身体は壊れて餌食になる宿命です」。だから、「考えること、活動することが身心を健康を保つ第一歩なのです」という言葉が印象的だった。


 

2020年9月12日土曜日

ベトナム戦争は終わっていない

 ベトナム戦争当時、米軍はベトナムに大量の枯れ葉剤を散布した。その影響で、様々な奇形児が生まれ社会問題にもなったこともあるが、いつしか忘れ去られてしまった感がある。そんな時、ベトナム枯れ葉剤被害を追うドキュメンタリー映画監督の坂田雅子さんを取り上げた「ひと」欄(しんぶん赤旗2020年9月12日)で、映画「花はどこへいった」の存在を知った。
 映画を紹介したホームページ(http://www.cine.co.jp/hana-doko/story.html)に、「あらすじ」があったので紹介しておく。

 10代でベトナム戦争に送られたグレッグ(坂田雅子さんの夫)は、帰国後、祖国を捨て、日本でフォト・ジャーナリストとして活動を開始する。戦争の加害者であると同時に被害者ともなり、深く傷ついた心と体を癒すようにベトナムを幾度も訪問していた。彼女(坂田雅子さん)は、グレッグが所属していた米軍基地があるロンタンを皮切りに、ベトナム各地を訪れる。
 彼女がベトナムで目にしたのは、ダイオキシンを含む枯葉剤が、ベトナムの人びとと大地を蝕み続けている現実だった。戦後30年を経て、なお世代を越えて、重い障害をもった子どもたちが生まれていたのだ
 ベトナムの主要な産婦人科病院であるホーチミン市の“ツーズー病院”の一角に設けられた“平和村”では、100人以上の障害をもった子どもたちが生活し、アメリカ人の元兵士の提案によってハノイ郊外に建てられた “フレンドシップ・ヴィレッジ”では、枯葉剤の被害者である多くの子どもたちが共同生活を送っていた
 一方、地方の村には、不自由な生活を強いられる、生まれながらの障害を負った子供たちとその家族たちがいた。彼らに、治療、リハビリといった医療を受ける余裕はなかった。たいへんな貧困と困難の中にありながら愛情と深い絆によって結ばれた被害者とその家族たち。
 これらの出会いの中から、彼女はこれからを生き続ける力を与えられ、グレッグが彼の仕事を通じて伝えようとしていた、反戦や平和への意思にあらためて気づかされるのだった。(カッコ内の補足と強調は引用者による)

 このような現実を知ると、「ベトナム戦争は終わっていない」と、つくづく考えさせらた。『花はどこへいった』という坂田雅子さんの本や中村梧郎さんの『母は枯葉剤を浴びた』、石川文洋さんの『ベトナム 戦争と平和』と言った本の存在も知ったので、近く読んでみたい。ちょうど、化学兵器の散布を受けた状態で死亡している写真を見たばかりだったが、枯葉剤を浴びた人も、こんなだったのかもしれない。

   (『シリーズ20世期 1 戦争と革命 アサヒグラフ別冊 1995年8月」より)

2020年9月11日金曜日

戦争なんか、もうできない

  新型コロナウイルス後の世界が論じられるようになってきた。新型コロナウイルスは、大きな爪痕を残しつつあるが、大きな財産も残しつつある。「財産?」と思われるかもしれないが、それは、「新型コロナウイルス対策は国際協調が欠かせないことから、戦争などやっていられない」という機運が高まりつつあることである。

 例えば、映画監督・神山 征二郎さんは「世界で新型コロナウイルスが猛威をふるっている今戦争なんか、もうできないと思います。世界はお互いに助け合わなければならない」(『赤旗日曜版・2020年8月30日号、強調は引用者による)と言い、インドシナ外相も、「武力行使せず 国際法尊重を」という見出しで、次のように述べている。

 今世界で「一方的な行動に出て、国益のために国際法を弱体化させる国家が増えている」と指摘。「緊張と不信は、新型コロナウイルス対策などでの国際協力の方法とはなりえない」と述べ、EAS(東アジアサミット)を地域平和のために前向きに活用し、「ASEANインド太平洋構想」に沿って互恵協力に力を注ぐべきだと強調しました。(『しんぶん赤旗、2020年9月11日、強調は引用者による)

 また、浅倉むつ子(早稲田大学名誉教授)は、「新型コロナの感染拡大のなか、世界中に暴力がはびこり、人々が相互に分断されている今こそ、私たちは、透明で、思いやりに満ちた、理性の政治を取り戻さなければならない」(『「九条の会」メルマガ詳細版 2020年9月10日 第330号』より、強調は引用者による)と述べている。

 対立や分断では新型コロナウイルスに対応できないことは明らかなのだから、今こそ「戦争なんか、もうできない」ことを悟り、辺野古は即刻中止し、在日米軍事基地は、徐々に日本から撤退してもらい、自衛隊も当面防衛予算を大幅にカットして、人件費と維持費のみにするなどの取り組みに着手する必要がある。

2020年9月10日木曜日

日本よ!大志(理想)を抱き続けよ!

 憲法に書かれていることは、理想である。しかし、現在に至っては、理想と現実があまりにも乖離してしまった。それで、理想の方を現実に合わせる必要がある。それゆえ、自衛隊の存在を憲法に明記すべきだ。これが、改憲論者の現在の論理である。
 ところで、なぜ、日本国憲法が理想と言えるか。それは、日本国憲法が、戦争のない平和な世界の青写真と、その世界の実現の方法を示しているからである。
 元々、理想と現実とは一致していない。武者小路実篤氏によれば、「理想と現実が一致した時、人類の進歩はとまる時である。進歩がとまる時、理想もなくなる時である」『勇気を燃やす言葉人間らしく生きるために』(青春出版社、1980年、p212)。もっともな話である。理想を現実に合わせてしまったら、進歩も止まってしまうのだ。
 クラーク博士は、「青年よ、大志を抱け!」と言ったと言われている。国だって同じで、大志(理想)を抱き、どんな風が吹こうとも、大志を高く掲げ続けることが大切なのだ。

2020年9月9日水曜日

ベルリン解放の真実 ー 戦争・強姦

 『侵略戦争と性暴力 軍隊は民衆をまもらない』(津田道夫著、社会評論社、2002年)という本がある。この本で、『一九四五年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』という本の存在を知った。大量虐殺(ジェノサイド)も、目を背けたくなるような戦争犯罪だが、ジェノサイドに負けぬほどのショッキングな「ベルリン大強姦」ともいうべき戦争犯罪が、一九四五年のベルリン解放という名の元に実行されていたのである。少し長いが引用しておく。なお、強調は引用者による。

 戦時下における性暴力と強姦
 私が南京強姦や軍隊「慰安婦」問題を、自分の思想的批判の課題として引き受けなければならないな、と自覚させられたのは九〇年代に至ってからである。そんな折、一日、記録映画作家の土本典昭宅に参上したさい、一冊の本を紹介された。ヘルケ・ザンダー、バーバラ・ヨール編著の『一九四五年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』(邦訳書名)というかなりの大冊である。
 PART・Iが論文・レポート・インタビューからなり、PART・IIがシナリオ「解放・する者とされる者」からなっていて、そこでは、赤軍によるべルリン解放に重ねる形で現出させられた、同じく赤軍兵士によるベルリン大強姦ともいうべきものが、赤裸々に追跡され、私の前にパノラマのように繰りひろげられたのであった。こういう事態の存在についての知的予兆が、私に全くなかったとはいわない。しかし、その本を読むことで、そのあまりの凄まじさが、ベルリン解放にかんする私のイメージを可成り転換させるところとなった。というより、ベルリン解放――それはたしかに解放ではあったが―ーという事件の総体としての真実に、よりリアルに迫りえたと感じた。そこで本節では、ベルリン解放をベルリン強姦という側面から、この本を素材に整理しておきたい。
 話をベルリンだけに限らせていただく。

 と、続いて、生々しい話が綴られている。『ベルリン解放の真実』も、図書館にあるので目を通しておきたいと思っている。

2020年9月8日火曜日

老後も堂々と生きていける保障を

 山田太一さん脚本、笠智衆さん出演のNHKドラマ「冬構え」をDVDで観た。 一人の老人が貯金を全て下ろして、念願の東北を一人旅する。それというのも、やがて来るであろう病気などで子供たちに世話にならなければならない時のことを、あれこれ想像し、自分で死を選べるうちに命を経とうと、死を決意した最後の旅立ちだったのである。
 もし、子供たちに疎まれるようになったら、と、心配したのだが、山田洋次監督映画にも、「父親がこどたちの家をたらい回しにされた映画」があった。昔は、長男が当たり前のように親をみたものだが、核家族化するに従って、親の方が肩身が狭い思いをする風潮になってきたのかもしれない。
 こうした問題は、だから、だいぶ前からあった。しかし、今までは人ごとのように思って深くは考えてこなかった。今回は、そうはいかなかった。笠智衆さんの悲しみが、我がことのように思え、どう準備すればいいのか考え込んでしまったのだ。
 一つの答えが、『60歳からを楽しむ生き方 フランス人は「老い」を愛する Kindle版』(賀来弓月著、文響社)にあった。フランスでは、子供たちが親たちを扶養、あるいは介護する義務があるなどとは考えていないようで、「求めるものは、子どもや孫たちの愛情だけ。高齢者たちの面倒をみるのは、国及び地方公共団体の責任だと考えられている」というのだ。
 老後を肩身が狭い思いをしなければならないのなら、なんかがおかしい。一人ひとりの尊厳を憲法で保障しているのだから、老後になって障害を抱えるようになっても、堂々と生きていける保障を要求していくことは大切なのかもしれない。 

2020年9月7日月曜日

「なんたるみじめな有様」だ

 「砂煙り」は、『基地の子 この事実をどう考えたらいいのか』(1953年)に掲載されたものだが、「私達をみじめな目にあわせ、堕落させかけている」という瑞々しい感性がうらやましかった。
 あれから70年経っても、米軍は居残り、それどころか自衛隊と歩調を合わせ、度重なる共同演習もこなしている。屈辱的ともいえる地位協定の実態からも想像できるように、自衛隊とは名ばかりで、完全に米軍の傘下に成り下がっていると言っても過言ではない。
 子供の目で見た感性は鋭く、そして本質を見抜いていた。高額な軍用機等々を、言われるままに買い続ける姿は、惨めだし、堕落の極みと言って良い。なんの疑いもなしに「ハローッ」とおねだりした子供たちと、同じではないか。情けない。
 しかし、日本人の、どれだけの人たちが、「惨めな目に合っている」と思っているかが問題だ。残念ながら、慣らされてきて、子供たちのような感性は失われているのではないだろうか。
 遊佐君が現代の私たちにも突きつけてくれた「私達をみじめな目にあわせ、堕落させかけている原因はなんであろう」という問いは、すぐには答えられない。宿題にしたい。

砂煙り
佐世保市愛宕中学校一年 遊佐智郎

 私は、じりじりと焼けるよらな日をあびて、水気のないアスファルトの道路の上を、歩いていた。と、その時、前方からかわき切った砂ぼこりをモウモウとあげて、米軍専用バスと西肥バスが朝鮮戦線に向かうのであろう、兵を満さいして走って来るのである。
 と、そのへんで遊んでいたのであろう、小さい子供から小学校の五、六年生くらいの者がとび出してきて、自動車が目の前にくるたぴに「ハローッ」としきりに呼びかけて、チュウインガムなどを投げてもらおうとしているのである。これは去年の夏休みのある日、お使い帰りに目げきしたのでした。
 私もそのとき、心を引かれないではなかったが、私の良心が許さなかった。
 あれから、はや一年またたくまに過ぎ、もう私は中学生だ。そして、あの時のことを反省して見て、思わずハッとした。「これじゃいけない。なんたるみじめな有様であろう。」あの時いってた、「ハロー」という言葉の意味を、おそらく知らなかったろう。いや、知らなくてもよい。が、ただそう言いさえすれば、お菓子でももらえるんだという、浅はかな考えに気をとられている、あの子供達が、かわいそうだ。いいえ私達もです。私達の心にも、そういう欲心が頭をもたげているんだと思います。
 いったい、このように私達をみじめな目にあわせ、堕落させかけている原因はなんであろう。それだ。それを私達は、よく考えなくてはならないと思います。(p66)

2020年9月6日日曜日

燃えるが如き意力をもつ汝よ

 武者小路実篤さんの、伝記のような詩を三つ紹介する。ゴッホは有名だが、ホイットマンについてはよくわからなかった。辞書で調べ、実篤さんが傾倒するのもわかったような気がした。[1819~1892]アメリカの詩人で、従来の詩の定型を破る「自由律」を駆使して,自由・平等・友愛の民主主義思想を謳った。『民主主義展望』という本もあることがわかり、借りてみた。初めの方をちょっと読んだだけだが、初めの書出しから、心を奪われてしまった。この時代に、こんなことを言った人がいたの?って感じだった。でも、だんだん難しくなって、先に進めないでいる。

「自然」が宇宙を通じて與えてくれる最大の教訓は、おそらく多樣と自由の教訓だろうが、それがまたこの「新世界」の政治と進步に現われている最大の教訓である。『民主主義展望』、ホイットマン著、岩波文庫、p8)

 ホドラーは、初めて目にした名前だった。図書館にも蔵書がなかった。ネットで調べ、スイスの画家であることがわかった。作品も紹介されており、魅力的なもあった。

バン・ゴッホ

バン・ゴッホよ 

燃えるが如き意力をもつ汝よ 

汝を想うごとに 

我は力わく 

高きにのぼらんとする力わく 

ゆきつくす処までゆく力わく 

ああ、 ゆきつくす処までゆく力わく。 


ホイットマン 


ホイットマンよ、 

勇ましき自由の男よ。 

汝を想うごとに

我に希望わく 

すべてのものを肯定し得る希望わく。 

生命のカ 

かかるものを強く感ず。 


ホドラー


ホドラーよ 

大なる孤独の男よ 

汝を想うごとに 

我おちつきを得 

内に力充つるおちつきを得 

悠々自適の化身の如き 

汝よ!(『武者小路実篤画文集・6』より)


  ホドラー《シェーブルから見たレマン湖》1905年頃 油彩・カンヴァス 80×100cm
ジュネーヴ美術・歴史博物館

ホドラー《トゥーン湖とニーセン山》1910年 油彩・カンヴァス 105.5×83cm 個人蔵

ホドラー《木を伐る人》1910年 油彩・カンヴァス 129.5×100cm
ベルン、モビリアール美術コレクション


2020年9月5日土曜日

理性が眠ればデーモンがめざめる

ゴヤ 死者に対して何という偉大な行為!(版画集『戦争の惨禍』39)

 ゴヤの版画集『戦争の惨禍』のことは知っていた。しかし、それらに対する詳しい説明は知らなかったが、今日、『名画への旅(16)18世記Ⅱ 絵画と革命』に、その解説を見つけた。

「半島戦争」の名で呼ばれる対仏独立戦争の特敬は、従来の正规軍同士の戦闘ではなく。住民を巻き込んだゲリラ戦にあった。この種の戦争の常として、ゲリラと一般民衆の区別はつけにくい。いったんゲリラ側から攻撃を受けると、報復として住民に対する大量虐殺が生じる。住民全体を敵にまわしたフランス軍は恐怖から逃れるために、殺人、暴行、拷問。略奪、放火に走った。ゲリラたちはフランス兵、軍属、親仏派のスベイン人を見さかいなく血祭りにあげた。それも殺すだけでは飽きたらず、死体を切り刻むなど、敵味方とも精神に錯乱をきたし、憎悪と復讐の念にかられてサディスティックな殺人にふけった。
 ゴヤはフランス将校の肖像やジョゼフ・ボナバルトを讃える<マドリード市の寓意>を描く一方で、独立戦争をテーマに版画集を制作していた。

 この解説を読んで、日本軍による「南京大虐殺」や、ヒトラーによる「ユダヤ人への大量虐殺」のことを思い、こうしたジェノサイドこそ、戦争の本質ではないか、と思った。そして、この一連の版画集の一枚の画題「理性が眠ればデーモンがめざめる」という言葉が、戦争の本質を見事に言い表しているのに感心した。ゴヤは、戦争による地獄を見たようである
 

   ゴヤ 理性が眠ればデーモンがめざめる(版画集『気まぐれ』43図)

2020年9月4日金曜日

カントの永遠平和の方程式

 カントには、『永遠平和のために』という本がある。集英社で発行している池内紀訳の販を読んで、 「カントの永遠平和の方程式」というものを創って見た。カントの言葉を選んで、並べ替えただけである。括弧内は、引用者による。

永遠平和=A → ではどうする→ → C

A、永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれ(人類)に課せられた使命である。

B、たとえ理性が道徳的立法の最高の力として戦争を断罪し、平和状態をあるべき義務とするにせよ、民族(国家)間の契約がなければ平和状態は確立されず、保障されもしない。そのためにも「平和連合」とでも名づけるような特別の連合がなくてはならない。

 平和条約は一つの戦争を終わらせるだけであるが、
 平和連合は、あらゆる戦争を永遠に終わらせることをめざしている。

C、離れた国同士が友好的な関係を維持し、ひいてはひろく法で結ばれ、人類がついに世界市民となることも可能なことなのだ。

 戦争を起こさないための国家連合こそ、
 国家の自由とも一致する唯一の法的状態である。

2020年9月3日木曜日

アクテイブシニアのICT活用生活

 新型コロナウイルス感染が広がってから、ZOOMの活用などのICT(情報技術)活用生活が脚光を浴び、実際にその成果が現れ始めてきている。放送大学では、初めからICT活用に力を入れ、授業にも取り入れれられてきた。
 衛星放送では、一般授業だけでなく、特別講義も放送されていて、今回「アクテイブシニアのICT活用生活」、という特別講義を聞いた。

放送大学からの提言として
1、シニアは自ら情報受発信をして社会に参加しよう
2、経験や人脈は宝。引退後もネットでつながり、おおいに活用しよう
3、ジェロントロジー(高齢学)を学び超高齢社会日本の知恵で世界に貢献しよう
 三つを上げていた。

ジェロントロジーとは-Gerontology-
*高齢学、加齢学などと呼ばれる
*高齢者や、高齢社会の問題を解決するために生まれた学問領域
*老年医学、高齢社会学、社会保障、家族関係など高齢社会における幅広い分野を含む
*欧米では100年以上前から存在し、多くの大学で普通に教えられている

以上に関連する授業は次の通り、

2020年9月2日水曜日

自衛隊の「治安という名の人民弾圧訓練」

 60年の安保闘争時に、当時の岸首相が自衛隊の出動を打診したことは、有名な話で、このブログ(安保闘争)でも取り上げたことがある。最近のアメリカでも、黒人男性の死亡をきっかけとしたデモに対し、トランプ大統領がデモの鎮圧のために米軍を派遣するという動きがあった。エスパー米国防長官など、鎮圧のための米軍派遣に反対する姿勢を明らかにした高官も現れ、軍を派遣する事態には至らなかった。しかし、これらの事実は、軍隊が国民に牙を向ける、国民にとって危険な存在であることを雄弁に物語っている。
 自衛隊が、治安という名目で、今でも「人民弾圧の訓練」をしていることを、『日本の基地 3 写真・絵画集成』(林茂夫編、日本図書センター、2002年)の写真を見て、初めて知った。
 今でも、辺野古の基地反対運動に対して、機動隊が派遣されている。もし、自衛隊が派遣されたら、どうなるのか、想像もつかない。ただ、自衛隊も、国民に牙を向ける側面を持っている事実を知っておくことは重要である。

2020年9月1日火曜日

不条理な存在である軍事基地

 『 日本の基地 3 写真・絵画集成』(林茂夫編、日本図書センター、2002年)に掲載されていた米軍の砲弾の写真の大きさと、そこに装填されている弾薬から、それらを作っている企業、労働者、さらに、それらを使用する兵隊、それらの砲弾を浴びる運命にある人たちに思いを寄せて見た。
 単なる演習なら、砲弾の、国家財政の浪費でしかないが、実戦で使われれば、間違いなく人間を殺生する。どんな理由があろうとも、人の手による殺生はあってはならない罪である。しかし、国家公認の軍隊では、罪にはならない。だから、平時に軍用機の墜落によって命を奪われても、パイロットが殺人罪で問われることはない。大きな不条理である。
 原発の使用済み核燃料も、それこそ沢山あって、軍隊と同様、存在しているだけで大きなリスクになっている。しかし、国民の目には見えないところにあって、その危険性と共に、国民の記憶の外にあるのが現状である。だから、人々の目に触れるようにしておくことが大切なのかもしれない。