「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2020年6月30日火曜日
一尺を開けば 一尺の仕合あり
2020年6月29日月曜日
日本の新憲法は、正当な道・ただ一つの道
日本の新憲法があらゆる場合を通じて絶対的に戦争を否定し、交戦権を放棄し、徹底的、絶対的に軍備を廃止したことは、世界史上実に画期的な事実と言はねばならない。思想家、宗教家、哲学者でさへ、徹底的に之を主張する者の極めて少かった絶対的平和論を、日本の新憲法は実定法として規定したのであって、それは太平洋戦争を遂行した旧日本よりの驚くべき飛躍であるに止らず、世界の平和思想及び平和政策の歴史に於いても亦、驚嘆すべき飛躍であるのである。この点に於いて日本の新憲法は、世界の平和愛好国民の先頭に立ち、絶対平和論の旗じるしを掲げて進む旗手となったのである。
この絶対平和の理想を、日本の新憲法はひとり日本の国是として宣言しただけでなく、それが国際社会の普遍的原則であることを確認して居るのである。それは各国家に普遍的に妥当する世界的理想として、宣言せられている。言を換へて言へば、世界の平和を愛好する他の諸国民が、ひとしく日本の新憲法に掲げる原則をばそれぞれの国家の憲法に採用し、日本の新憲法と同一の国是を定め、同一の国策を実行するとき、世界の平和は実現するのである。昭和二十一年(一九四六)四月五日、東京で開かれた連合国の対日理事会に臨んで、マッカーサー元帥のなした演説の一節に、次の言葉がある。
「日本の新憲法における戦争放棄の提案を、世界のすべての国民が慎重に考慮するやうに、私は勧告したい。それは正当な道を、ただ一つの道を示している。国際連合の目的はまことに立派なもので、その目標は本当に偉大な高尚なものであるけれども、それが永続してその目的と目標を達成し得るのは、日本が法によって一方的に成就しようとしてみることを、つまり主権の行使としての戦争を放棄することを、すべての国家も成就したときにのみ、可能である。かやうな放棄は、同時的に普遍的に行はれなくてはならない。すべてがそれを行ふことを要し、さうでなければ無意味である。」
かくして日本は、世界平和の理想を達成する為めに、平和を愛好する諸国民のとるべき政策を率先して実行したのであり、その意味に於いてすでに、平和を愛好する国際社会において、「名誉ある地位」を占めたのである。而もこの名誉を空虚なものとせず、新憲法の絶対平和原則を言葉だけのものとしない為めには、その意味するところをよく深解し、誠実を以てその理想の為めに努力しなければならない。その意味をよく自覚し、その実現の為めに誠実なる国民的努力を尽すときに、国際社会において占める日本国民の「名誉ある地位」は、その実質を得るのである。日本国民は果して自己の制定した新憲法の意味を、自ら意識してみるのであらうか。(「新憲法の平和原則」『矢内原忠雄全集 第19巻 時論 2』、矢内原忠雄著、岩波書店、p504~505、強調は引用者による)
2020年6月28日日曜日
憲法に関する世界の叡智が詰まった日本国憲法
2020年6月27日土曜日
今だからこそ、コスモポリタニズムの再評価を
① コスモポリタニズムを信奉する人。世界主義者。
② 一つの国や民族にとらわれず,全世界を自国として考え,生活する人。世界市民。国際人。
③ 世界国家の成員としてとらえた個人のこと。世界公民。
2020年6月26日金曜日
敵基地攻撃能力よりも、先ず「悔改」
私は、これら先人(内村鑑三など)と同様の立場から「自国の罪過を感覚し」「国家的悔改」を遂行することこそ、祖国が再度の「罪過」のくり返しに陥るのを防ぎとめ、新生への道を邁進する原動力たらしめる不可欠の前提となる「愛国心」の発露であると確信する。戦争責任の追及の継続は、単に愛国のためになされるのでなく、より広い世界人類のため、さらに人類をも超えた形而上学的目的に奉仕するものと思うのであるが、少なくとも愛国心の発露でもあることを信じて疑わない。(「戦争責任の追及は何のために」『戦争責任』、家永三郎、1985年、p396)
第一、罪の悔改なきところ、如何に努力しても救は臨まない。
第二、罪の悔改あるところ、如何なる窮境からも救はある。
之は基督教の二大公理であり、個人の生涯も、国民及び世界の歴史も、すべてこの二つの公理の証明である。 (『矢内原忠雄全集 短言第17巻』、岩波書店、p246~247)
「悔改」とはギリシヤ語メタノイアの訳語であって、心の向きを転換することを意味する。それは罪を悔いて告白する意味をも含むけれども、それに止らず、更に心を新にして再出発を為す趣旨である。之まで神に背きたる心を百八十度転回して、神に向ふことである。そこには天地の創造主たる人格神が、明瞭確固たる悔改の対象、新生の目標として仰がれ、人のたましひは此の神の前に、全人格的なる畏怖を以て罪を悔い、赦を求め、又この神によりて救の希望を与へられる。之によって始めて我らの罪の悔改は徹底的となると共に、新なる道に生きる積極的・建設的希望を有ち得るのである。(同上、p264)
2020年6月25日木曜日
辺野古の問題は、憲法の問題である
*陸上イージスは、
ハードウエアの改修に2200億円前後のコストと12年前後の時間がかかる
*辺野古は、
2020年6月24日水曜日
先ずは第1波を検証し、第2波に備えよう
2020年6月23日火曜日
美濃部達吉の思想・3
2020年6月22日月曜日
次は辺野古の白紙撤回を
2020年6月21日日曜日
日本の自衛隊が世界を救う
2020年6月20日土曜日
心的外傷の防波堤、日本国憲法
2020年6月19日金曜日
「当たり前のこととしての権利」という自覚を
図書館で、『世界中の子どもの権利をまもる30の方法: だれひとり置き去りにしない! 』(甲斐田万智子 、国際子ども権利センター 編集、荒牧重人監修)をサッと読んできた。そして、カンボジアの小さな村では、「一番大切なもの」として「権利です」と答えた子どもがいたということ、逆に日本では、「多くの子どもが自分たちの権利を知らされいない」ということに驚き、考えさせられてきた。
大人の我々も、権利を大切なものとして、当たり前のこととして、社会に要求し、訴えてきただろうか。例えば、「桜を見る会」における「5,000円問題」も、何ら解決していない。実際は、ホテルにいくら支払ったのか、一国民として「知る権利」がある。にも関わらず、何も要求も、訴えもしなかった。それでいいのか。
森友問題で自死した近畿財務局職員赤木俊夫さんが作成したメモが公表された時、赤木俊夫さんの奥さんが新しい事実を元に、再調査を要求したが、あっさりと断られ、その後の進展は見られない。これだって、「知る権利」の問題でもあった。もっともっと私たちの権利を大切にしたい、そう思った。
「あなたにとって一番大切なものは何ですか?」と間かれたら、あなたは何と答えますか? 3年前、カンボジアの小さな村で、子どもたちに「あなたの一番大切なものは何ですか?」と尋ねたとき、「権利です」と答えた子どもが何人かいました。
そして、その理由を聞いてみると、1人の子どもは、「差別されなくなるから」と答えました。真しい家庭の子どもは差別されがちですが、この地域の子どもは物どいにベトナムに行くことが多く、地域としても差別されていました。 ・・(『世界中の子どもの権利をまもる30の方法: だれひとり置き去りにしない! 』、 p2)
差別を受けてきた子どもたちは、集会・結社の自由の権利を使い、学ぶ権利、保健医療を受ける権利、搾取を受けない権利など、当たり前のことを要求し、社会に訴えていました。それだけでなく、同じように権利を侵害されている女性や少数民族の人たちに思いを寄せるようになっていました。
その後、カンボジアをはじめ、いくつかの国で子どもたち自身が自分の権利を力強く訴えるのを見てきました。
一方、今年、子どもの権利条約が国連で採択されて3年、日本が批准して4年になり、子どもの権 利を総合的に実現しようとする条例をつくった自治体も増えていますが(2019年4月現在、48自治体。子どもの権利条約締合研究所調べ)、多くの子どもが自分たちの権利を知らされていません。また、学校の先生や子どもに関わる人々がどれだけ子どもの権利に基づいた実践をおこなっているかというと、まだ限られているように思えます。・・(同上、p3)
2020年6月18日木曜日
「公文書の廃棄、改ざん、黒塗り」は犯罪だ!
ところが現在は、
〈不作為の責任〉はおろか、実際に生じた事実の認定さえも拒みとおそうとする心性がしぶとく残存しつづけているばかりか、歴史的事実を隠蔽し、なおかついわゆる歴史修正主義的なねじ曲げまでしてみせようとする勢力が大手を振ってのし歩いているありさまである。(『未来』、2004年2月号、p43)
さらには、
戦後民主主義の良質の部分はたしかに醸成されたけれども、いまはむしろその「戦後民主主義」さえも葬り去ろうとする勢力が政治の実権も言論空間も、さらには学問・教育の現場も支配しつつある。(同上)
現在はどうか。
公文書の改ざん、黒塗り、さらには廃棄までしても、問題にはされても、責任は曖昧なままだ。『汚れた桜 「桜を見る会」疑惑に迫った49日』(毎日新聞「桜を見る会」取材班著)という本も出版されているが、この本でさえ、「この政権は違法すれすれの『脱法行為』を繰り返して、国家そのものを私物化しつつあるのではないかと危惧している」(「あとがき」p225~226)、と、「際どいことをしているが違法ではない」と受け取れるような書き方をしている。脱法と無法とどこが違うのかわからないが、どちらも違法よりもタチが悪いではないだろうか。
何れにしても、「公文書の改ざん、黒塗り、さらには廃棄」のどれを取っても犯罪に違いない。どう考えても、私には、そうとしか考えられない。「国民の知る権利への明らかな侵害そのもの」だからだ。だからこそ、この問題をうやむやにしてはいけない。
2020年6月17日水曜日
どんどん理想を語っていこう
2020年6月16日火曜日
写生を極めた円山応挙の極意
1、実際のものを写生して自分で新たに形をとらえなければ絵画とは言えない。
2、現実の世界に意識を向け、万物の道理を把握していれば万物を描くことができる。
3、対象をを観察し形を写すことを極めれば、自然とその生き生きとした生命感を表現できる
4、誠意はその時その場の状況に応じて自分なりに尽くせばいいのである。いつの時もいい加減にならないことが大事である。
2020年6月15日月曜日
少子高齢化社会を解決する方法
「育児にかかる経済的負担の軽減」について、そもそもOECDのなかで最も恵まれた水準とはどの程度なのか。
その答えは、子どものいる共働き夫婦と、いない共働き夫婦の間で、実質的な所得の差がほとんど存在しない、という水準になる。すなわち、子育てのために家計が負担するコストを、税金の控除や子ども手当のような現金給付、あるいは公教育などの行政サービスの無償化といった形で、ほぼすべて埋め合わせることを意味する。
ちなみに日本における税控除や現金給付を合わせた児童給付の水準は、先進国でも最低のレベルにある。少し古いデータではあるが、1997年時点の標準的な世帯の収入に占める標準的な世帯の収入に占める、児童給付の割合は、わずか2%ほどだ。これだけ子育て世帯に冷たい制度をとっていれば、少子化(およびそれによる高齢化率の上昇)で困るというのも当然の話である。(図表10) (『統計学が日本を救う 少子高齢化、貧困、経済成長』、西内啓著、中公新書、p53)
たとえば保育所利用率(0~4歳人口あたりの保育所入所児童数割合)が高い都道府県ほど合計出生率は高い。また、保育施設数や保育所定員数の伸び率が高く、男女共同参画に関する計画のある市町村ほど、出生率の伸び率も高い。さらに、就業している女性が保育サービスを受けているかどうかで、2人以上の子どもを持つ確率が約10%も高くなる、という実態も指摘されている。
つまり、政府が本気で少子化対策に取り組もう、というのであれば、やるべきことは既に明らかだ。有識者たちを集めて堂々巡りの「論」を戦わせるより、とにかくこの「子育て世帯向けの大幅な減税・給付」、そして「保育サービスの拡充」を図った方がはるかに筋が良い。(上同、p55~56)
2020年6月14日日曜日
絵画にみる矛盾
2020年6月13日土曜日
60年安保闘争の大きな成果
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内堀通りを埋め尽くして日比谷公園から国会に向かうデモ隊(1960年6月15日)(Wikipediaより) |
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国会を取り囲んだデモ隊、1960年6月18日。当時国会前庭は まだ整備されていなかった。(Wikipediaより) |
2020年6月12日金曜日
現に今も「戦争中と変わらぬ戦闘機の爆音」が!
青春の日の甘美なロマソスに浸るどころか、食物さえ思うように食べられない青春、おしゃれをすることも許されず、ひたすら「お国の勝利」を信じてすごした青春、それは悲劇と呼ぶのには、あまりにも、痛ましいものに思えるのです。
学校が工場にかわったり、学徒動員で工場などに働きにいって勉強さえ満足にすることの出来ない青春というものが、どんなものかは、僕たちの想像に絶するものだろうけれど、いくらお国の為とはいえ、あまりにもむごいことのように思うのです。
2020年6月11日木曜日
日本の未来への処方箋
戦争を始めようとするものが「これは戦争をするためにやるのです。」と言って物事をしはしない。気がついた時には、どうにもならなくなっているものだ。それまでは目隠しをしておくのだ。それはこれからも同じだろう。
だから、戦争をくり返さないためには目隠しを見破り、かなぐり捨て、戦争を進めるものを打ち倒さねばならない。それには、戦争が始まってからではなく、その前、戦争へ向って進んでいたときのことを聞きたい。戦争へ向っている社会が、市民生活にどんなところで、どんなふうに影響を与えたか、それを知りたい。そうすれば、われわれの生活がこんなになったからおかしいぞ、ということがいえ、目隠しを見破る一つの手段となり得るのではないだろうか。戦争が始まる前、日本が戦争への道を進んでいた時のことが重要なのだ。
戦前は「戦争反対」も言えなかったという。だが今は、敗戦という大きな犠牲を払って「表現の自由」という権利、「戦争反対」を大声で叫べる権利をかちとった。この権利を本当のものとして活かし、戦争を止めることが、戦争で死んだ人に対しての、我々の責任であり、義務ではないだろうか。
(中略)
歴史は繰り返す、しかし、戦争の歴史は決して繰り返してはならない。(『暮しの手帖・97』1968年、p202~203)
2020年6月10日水曜日
戦争という言葉を忘れる?
2020年6月9日火曜日
「戦争は絶対悪」=「生き延びるための思想」
2020年6月8日月曜日
人権全体に対する総攻撃
これを読んで、正直な話、これは大変だ、立憲主義破壊だという認識をもっている人でも、これだけの危機意議を持っている人は少ないのではないだろうか。朝日新聞でさえ、この度の憲法解釈の変更などの暴挙に対して、「憲法軽視は目にあまる」程度の認識である。例えば、「安倍政権は、閣議決定による憲法解釈の変更によって9条を変質させてしまった。53条に基づく野党からの臨時国会召集の要求も無視した。憲法軽視は目にあまる」という具合なのだ。
改めて考えたことは、「立憲主義というのは、憲法を建築物に例えれば土台ではないか」ということである。つまり、立憲主義という土台の上に、憲法の三原則などの諸法が乗っかっている。従って、立憲主義が破壊されたら、すべてがグラついてしまうのである。そういう意味でも、憲法の構造というものをしっかり学び直す必要がありそうだ。(2016年1月13日に書いたものだが、人権全体に対する総攻撃は、じわりじわりと広がりつつ、強くもなってきていることがわかる。辺野古の例が雄弁に物語っている。この度の多額な国債発行も、やがては人権にしわ寄せが来ることは、当然に考えられることだ。このように、すべてのことを憲法との関係で考えていくことが重要になってくるだろう。)
2020年6月7日日曜日
理性的な世界(崇高な理想)のために闘おう
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(「日本国前文」より)
6分の演説。チャップリンの言葉を借りれば「世界に向けて出す崇高な声明」。そのエッセンスは、こんな内容だ。
「私は皇帝なんかになりたくない。だれをも支配、征服したくない。私たちはお互いを助けたいと思っている。人間とはそういうものだ。お互いに悲しみながらでなく、幸せに生きたい。兵士諸君、獣に身をゆだねてはならない。彼らはあなた方を奴隷にし、大砲の餌として使う。あなたは機械ではなく人間なのだ。心に人類愛を持つ人間だ。兵士だちよ、隷属のためでなく自由のために闘おう。あなた方には幸せを築く力がある。人生を自由で美しいものにする力がある。民主主義の名のもとに、その力を使おう。新しい世界のために団結して闘おう。世界を自由にするために闘おう。国の壁を取り外し、貪欲、憎しみ、不寛容を追い払おう。理性的な世界のために闘おう」。
兵士たちを前に高らかにこう語ったあと、床屋は愛するハンナに呼びかける。「ハンナ、僕の声が聞こえるかい。見上げるんだ。雲は切れ、太陽の光が射しこもうとしている。ぼくらは暗闇から光の、新しい世界に入ろうとしている。人々が貪欲さと憎しみと残忍さを克服した世界に。見上げるんだ、ハンナ。人間の魂は翼を得て、虹に向かって羽ばたこうとしている。ハンナ、見上げてごらん」。(『凛凛チャップリン』伊藤千尋著、新日本出版社、2020年、p110~111)
2020年6月6日土曜日
自民党(案)『緊急事態条項』の危険な実態
政府が「緊急事態」だと判断すれば、人権や民主主義、三権分立等々の保障が制限されるわけだが、判断の基準が曖昧なため、容易に政府による権利侵害が可能になってしまうのだ。
ここまでは、ある程度予想はできた。しかし、大日本帝国憲法よりも、後退している、ひどい条項があるという説明には驚いた。その条項を比較してみる。
かに国会の承認を求めなければならない。
② 此ノ勅令ハ次ノ会期二於テ帝国議会二提出スヘシ若議会二於テ承諾セサ
ルトキハ政府ハ将来二向テ其ノ効カヲ失フコトヲ公布スヘシ
2020年6月5日金曜日
基地ある限り沖縄の悲劇は続く
昨春、沖縄県うるま市で20歳の女性がウォーキング中に米軍属の男に強姦目的で殺害された。追悼の県民大会で稲嶺進・名護市長は、21年前にも同様の事件が起きたのに「風かたか =防波堤」になれなかったと涙した。沖縄の基地負担は一向に減らないばかりか、米国への忠誠を誓うかのように、日米首脳会談直前に辺野古新基地建設の海上工事に着手した。珊瑚礁が巨大な重石に踏みつぶされていく。映画『標的の島』は、国策で踏みにじられ続ける沖縄の怒りを捉える。「私はぶれない」とゲート前に立ち続ける87歳の島袋文子さんの目を見て欲しい。(武田砂鉄著『暮しの手帖』、2017年4~5号、p142)
2020年6月4日木曜日
心が荒めば好戦的にもなる
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| 米フィラデルフィアで30日、ジョージ・フロイドさんの死をめぐり抗議する人々が集まり、 一部がひっくり返した車両の上で跳びはねた=AP(「2020/6/1朝日新聞デジタル」より) |
2020年6月3日水曜日
憲法は生活の普段着です。
昨年101歳で没したジャーナリストの言葉は「だから、体に馴染むまで徹底的に着こなすことがまず先です。着こなす前に、新しいものを買ったのでは、自分にほんとうに似合うものがわからなくなりますよ」と続く。南スーダンPKOで殺傷行為」はあったが、憲法9条上の問題になるから「武力衝突」とした、と述べた防衛大臣に送りたい。(武田砂鉄著『暮しの手帖・2017年4-5月号』、p143)
2020年6月2日火曜日
社会主義体制に対する確信
昨日の段階では、日本共産党は、「ソ連邦を世界史の流れの中の進歩勢力としての社会主義国と位置づけ、評価していた。覇権主義も、社会主義が発展すれば自ら克服していくと考えていたのかもしれない」と予想しては見たものの、確信は持てなかった。それで、手元の資料で調べてみたら、私の予想は当たっていた。日本共産党の11回党大会報告で、「社会主義体制の人民の力で、諸問題を解決し、世界の人民を一層鼓舞激励してくれる」と確信していたのだ。しかし、こうした確信は、見事に裏切られてしまった。
どうして、こうした間違った認識に陥ってしまったのだろうか。そして、後年、間違いという認識に達したのだろうか?という疑問が生じた。どう評価したのか、興味を覚えた。
どうも、ソ連の消滅という実験結果を前にしても、認識に間違いはなかった、という認識だったのではないか、そんな気がする。
不十分な国連統計によっても、社会主義諸の経済の発展率は、日本のような例外をのぞき、一般に資本主義諸国をひきはなし、社会主義の経済力の比重はますますたかまりました。
もちろん、社会主義諸国の政治と経済のなかには、その発展過程における矛盾が表面化し、解決の必要に迫られている問題も少なくありません。また、社会主義体制内の深刻な不団結問題やその他の好ましくない事件は、資本主義体制にたいする社会主義体制の優位をさらに大きくすることを妨げました。しかし、われわれは、地球上の面積の四分の一、人口の三分の一をしめるにいたった社会主義体制の人民の力は、いずれこれらの諸問題を正しく解決して、全世界の人民をいっそう鼓舞激励する新しい発展段階をかならずかちとることができると確信しております。(「第11回党大会に対する中央委員会の報告」『前衛・No.312』、p28)









