2022年5月5日木曜日

アリストテレスの倫理学(1)

 これまで倫理学に関心を抱いてきた。私の理解では、倫理学とはヒューマニズム学のような気がしたので、それ以来だが、ドイツで原発を止めるのに倫理学者が大きな力を発揮したことも、影響している。そんなこともあって、『100分de名著 アリストテレス“ニコマコス倫理学”[新](1)倫理学とは何か』(2022年5月2日放送)は迷わずに見た。番組指南の山本芳久先生は東大大学院の先生で、大学では今でもニコマコス理学をテキストに使っているということを知り、人間の本質は2500年経っても、変わらないということを痛感し、アリストテレスの人間洞察に感嘆してしまった。以下、要点を列記しておく。

1、アリストテレスの学問は大きく三つに分類される。
(1)理論学:知識そのものが目的『自然学』『形而上学』『数学』
(2)実践学:得た知識に基づいて実際に行為し、よく生き、幸福になる実践を目的にした学問。行為が目的『倫理学』『政治学』
(3)制作的学:制作物が目的『詩学』『弁論術』


2、一般に倫理学は二つに分類される。
(1)義務論的倫理学:カントに代表される「~すべきだ」という義務や「~してはならない」という禁止に基づいた倫理学
(2)幸福論的倫理学:アリストテレスに代表される、どうすれば人間は幸福になることができるのかという観点から、人間のことを体系的に考えていく倫理学

3、優れた古典というのは、冒頭部分の一文に全てが込められていたりすることがあるので、一文一文とても丁寧に読んでいくことが大切。

 あらゆる技術、あらゆる研究、同様にあらゆる行為も、選択も、すべてみな何らかの善を目指していると思われる。それゆえ、「善(=何か価値あるもの)とはあらゆるものが目指すもの」と明言されたのは適切である。
 ちょうど弓を放つ人たちのようにして目標を定めることによって、われわれはなすべきことをいっそうよくなし遂げることができるのではないだろうか。

 目的は一つだけ存在しているのではなく、連鎖して存在している。連鎖の過程で、目的は手段にもなるが、究極目的である幸福になるは手段にはなり得ない。


 富のために身を滅ぼしたものもいれば、勇気のゆえに破滅したものもいる」。それじゃ富や勇気がない方がいいのかというとそうではない。大抵の場合は、勇気や富があった方が良い。つまり、「例外な事柄があるからと言って、それにとらわれることなく、たいていの場合あてはまるという次元で、揺らぎのある人生をバランスよくとらえていく」。

4、平和が目的の場合
 アリストテレスの倫理学に基づいて平和の問題を考えてみた。つまり、平和が目的の場合だが、平和を守る、つまり、「平和のために軍備も備える」とき、平和は目的で、軍備はその手段になる。そこに矛盾が出てくることがわかった。手段を使った時点で平和でなくなる。つまり、軍備は、戦争の手段であろう。断じて平和の手段にはなり得ない。アリストテレスの倫理学で重要な視点は、目的は、その手段とセットで考える必要があるということなのではないだろうか。原典も読み解き、その辺のことを考えてみたいものである。

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