2024年4月30日火曜日

『幸福の王子』の真実

 愛とは自己犠牲だという考えがあります。『幸福の王子』という作品には、その自己犠牲の美しさが描かれているということを知りました。曽野綾子訳の『幸福の王子 新装版』(オスカー・ワイルド原作、建石修志画 、バジリコ、2018年)の”あとがき”で、自己犠牲について触れていたのです。しかし、そのところを読んでいたら、なんか苦しくなってしまいました。次の引用文にあるような「自分が盲目になることや、最後には自分の命さえ与えることを承認すること」など、私には無理だと思えたからです。
 もし、平和や愛の達成というものが、戦争の残酷さを語りついだり、デモや署名活動に参加したり、いっしょに歌を歌ったり、千羽鶴を折ったりすることで達成できると思っている若者や壮年や老人がいるとしたら、平和や愛とは、そのために自分の持ち物や財産をどれだけ差し出し、自分が盲目になることや、最後には自分の命さえ与えることを承認することだ、ということを悟るはずである。平和は平和を叫けでは達成しない。そのためにどれだけの犠牲を払う覚悟があるかを自分で選ぶのだ。(上同、p49)
 しばらく経って、神谷美恵子さんの、次の文章の中に「みごとな老人というものは、死にさいしても公のこと、他人のことを気にかけているものだ」という言葉を見つけ、この言葉の中に、『幸福の王子』の真実が含まれているのではないか、これなら、手の届く真実だと、思えました。そして、臨終の最後の言葉が、「永遠の平和、永遠の平和 —— 」だったという元首相鈴木貫太郎のことを思い出しました。彼も、みごとな老人だったようです。
 八〇歳を過ぎて頻死の床にある田島を見舞ったときのことを、美恵子は次のように書いている。
「最後に病院にうかがったとき、先生は酸素テントに入っておられたが、おそばの手でテントを押し上げ、お顔を近づけて真剣な表情でいわれた。
『私のことはね、心配しないでいいから、あのことだけは頼みますよ。いいですか」
『あのこと』とは、全く公のことであった。みごとな老人というものは、死にさいしても公のこと、他人のことを気にかけているものだ。苦しい呼吸の中での、あのことばの迫力に、私は今なおたじたじとしている」(『神谷美恵子著作集』みすず書房)
「あのこと」とは、さる皇族の心の主治医として美恵子が助力していたことを指す。(『神谷美恵子人として美しく いくつもの生ただひとつの愛』、柿木ヒデ著、大和書房、1998年、p162)

2024年4月29日月曜日

ビジョンある人生を経営する

 変わったというか、興味のある本『世界は経営でできている』(岩尾俊兵著、講談社、2024年)が出版されました。新聞の書評で知ったのですが、「仕事から家庭、恋愛、勉強、老後、科学、歴史まで、人生がうまくいかないのには理由があった! 一見経営と無関係なことに経営を見出すことで、世界の見方がガラリと変わる」というのです。
 とりあえず、すぐに読める同じ著者の本『13歳からの経営の教科書 「ビジネス」と「生き抜く力」を学べる青春物語』(KADOKAWA、電子書籍)を読んでみました。最初に飛び込んできた言葉が、「人は誰だって自分の人生を経営している」でした。「思いついたことをやってみるのも、経営は必ず必要」とありました。なるほど、確かに、「世界は経営でできている」と言えるのかもしれません。
 その他、メモした言葉が、計画の力(:何かを実行するには、何が必要で、誰が何をすればいいのかきちんと計画を立てる必要がある)、戦略、挑戦、手間や”目的に合うやり方で組み合わせ” → 付加価値、ニッチ(隙間)市場、世の中のために何をしたいか、そのビジョン(ビジョンのない会社や組織は必ず滅びる)、でした。
 なお、以下は書き抜きです(太字は原典では傍点)。「情熱は経営にとって全ての出発点」だそうです。

 戦いのためにあれこれ考えることを戦略という。
 ずいぶんぶっそうな言葉だ。でも、経営における戦略、経営戦略は何も人を傷つけるものではない。ライバルのことを知って、自分のことを知って、世の中のことを知って、その上でどうすれば儲かるかを考えればいい。
 もちろん、儲けがすべてではない。しかし儲けがないとビジネスを続けられないのも事実だ。
 戦略を考えるとき、自分とライバルと世の中を良く知ることが出発点になる。その次は、どんな製品・サービスならライバルに勝てそうか考える。そして、その製品・サービスをどういうふうに作って売ればいいか考える。
 こうしてみるとすでに学んだこととも重なっている。
 このとき大事なのは、「一番すばらしい戦略は、競争を避けること」だということだ。他の人が目を付けないような製品を、誰も考えなかったような方法で売る、これが一番の戦略なのである。
 そして、そのためには「何をやるかではなく何をやらないか」を考える必要がある。ライバルがやっていることをあえてやらない。代わりに別のことをやるということだ。p51

 だから、大事なのは、 何かに挑戦するときには、成功するまでの道筋、作戦、戦略、計画といったものをちやんと考えることと、それでも失敗したときには失敗の原因を振り返ってみることの二つだ。
 そうすれば、良い失敗をできるようになって、いつか必ず成功するだろう。p65〜66 

 知能指数いう数字を作ったビネーという人は、実は知能指数を三つの数値の掛け算だと考えた。
 ひとつ目は論理的思考能力。
 これは数学ができるとか、クイズができるということに似ている。論理的に考えることができる力のことだ。
 ふたつ目は言語能力。
 論理的に考えられても、それを他人にきちんと説明できないと、他人は評価できない。自分の頭の中だけですごくてもダメなのだ。
 そして最後。一番大事なものは何だとされているか。それが情熱なのだ。
 論理的に考えることができて、言語能力があっても、それを他の人に伝えよう、その力を使って何かをしようという気持ちがなければ何も生まれない。しかも、数学や国語が時間をかければ誰でもわかるように、論理的思考能力と言語能力は鍛えることができる。
 でも情熱だけはそうではない。
 情熱は「あるか、ないか」なのだ。情熱は鍛えられるものではない。
 情熱は鍛えられない、でも、火をつけることはできる。
 そして、ここまで読んでいる君。自分に情熱があるかどうか不安にならずとも大丈夫。みんなにはもう心に火が灯っている。そうでないと、学校で習わないこの教科書を最後まで読み終わらないはずだ。むずかしいこの本を最後まで読み終わったこと自体が、この本を読みながら情熱の火が燃え始めた証拠なのだ。
 そして経営も同じである。p67

2024年4月28日日曜日

餓死者が続出する悪夢が現実に?

 日本の自給率が低く、このことからも有事を引き寄せてはならないと思って来ました。ですから、「地球生命の存続という使命」では、「結局、一度戦争に突入してしまえば、エネルギーの枯渇と相まって、国民は生命の危機に陥ってしまうことは目に見えている。いくら防衛費を倍増しようとも、とても、戦争の継続すら危ぶまれるであろう。/だからこそ、軍隊では国民は絶対に守れないこと、日本は戦争を始めてはいけないこと、日本国憲法の普遍的な真理性に気づくこと、地球生命の存続という大きな使命に目覚めること、これらを実現していくことで初めて、平和が訪れる」と書きました。
 最近になって、『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』(高橋五郎著、朝日新聞出版、2023年)という恐ろしい書名の本が出版されていました。この本によると「日本はすでに食料自給率18%の隠れ飢餓国」だそうです。だからこそ、いざという時が心配です。そのことで、恐ろしいことが書かれていました。「もし日本に関係する有事が半年でも続いた場合、このわずかな食料の保管量では、国内では食料不足から餓死者が続出する悪夢が現実になる恐れがある」というのです。詳しくは次の通りです。

 四方を海で囲まれた日本列島自体力海上封鎖される可能性もなくはないが、最も懸念される事態は、マラッカ海峡や台湾海峡、インドネシアからグアムまで膨らんで日本列島に至る第二列島線(中国が想定する海上軍事線)を通過する船舶のリスクである。アメリカがついているさ、という声は海のかなたに消えてしまう恐れがある。
 本書の想定では、もし日本に関係する有事が半年でも続いた場合、このわずかな食料の保管量では、国内では食料不足から餓死者が続出する悪夢が現実になる恐れがある。特に人口が集中する東京や大阪には食料の備蓄も在庫もほとんどなく、交通事情から地方の余剰食料を運ぶにも苦労するおそれが十分にある。なんといっても、東京や大阪の食料自給率はゼロに等しいことをこの2つの大都市住民は知っておくべきであろう。(『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』、高橋五郎著、朝日新聞出版、2023年、p71)

2024年4月27日土曜日

「民に希望を」こそ政治の目的

 すでに終わった韓国ドラマ「御史とジョイ」の主人公の御史に、政治の根本を教わりました。官吏の暗行御史(アメンオサ)として王様に次のように進言するシーンがありました。結局、政治の真の目的は弱者への不当な差別をなくし、民(市民)に希望を与えることだったのです。
 さらに御史の言葉に「たとえ人を殺す権利を与えられても、私はその権利を行使せぬ。それが人としての良心だからだ」というのがありました。政治の世界に” 人としての良心”という道徳心、モラルという上位の価値概念を持ち込んでいたのが印象的でした。最近の日本で軽視されている概念だと思えたからです。何せ、政治家の犠牲になって自殺者が出るような世界です。そこには倫理のカケラも見当たりません。
王様、王様は民の父であられます
私が望むのは正当な裁きです。
不当な権力ではありません。
暗行御史(アメンオサ)としての在任中に民が悪政に苦しむのを見ました。。
願わくは大臣や役人を厳しく戒め
規律を正して不正を防ぎ
貧しい民を救って頂きたいのです。
身分が低い者でも冷遇せず
有能な人材を登用し
女人や子供のような弱者を差別し
抑圧する礼法を改め
民に希望を、お与え下さい。

2024年4月26日金曜日

ニーチェの思想を歪曲か?

 ニーチェの思想について、何の疑いももっていませんでしたが、「えっ、、そうなの!」と疑わざるを得ないような立花隆さんによる「ニーチェ評」を見つけてしまいました。「ニーチェとって、世間一般の俗人は、既成の道徳律に縛られた奴隷であり、家畜の群れのような存在であり、侮辱と軽蔑の対象でしかないない存在だとされます。 現在は、そういう卑しむべき連中が支配的になろうとしている時代だ」というのです。この部分は、一度「俗人は既成の道徳律に縛られた奴隷」で引用していましたが、その時は何の疑いもせずに引用したのです。
 しかし、今回再読し、「侮辱と軽蔑の対象でしかないない存在」と「そういう卑しむべき連中」という差別的な表現に反応してしまったのです。ニーチェの思想に「差別的思想」が含まれえいるのか、それとも、立花隆さんに、差別的思想があって、ニーチェの思想を歪曲(故意ではなかったとしても)して伝えてしまったか、その、どちらかです。そのうちに真偽を確かめたいです。
 乗り超えられる凡庸な俗人は「最後の人間」(der letzte Mensch)(手塚はこれを「末人」とするが、これは取らない。同様に高等な人間=der letzte Menschを手塚は「高人」とするが、これも取らない)と言われます。
 要するに、ニーチェとって、世間一般の俗人は、既成の道徳律に縛られた奴隷であり、家畜の群れのような存在であり、侮辱と軽蔑の対象でしかないない存在だとされます。 現在は、そういう卑しむべき連中が支配的になろうとしている時代だと。(『サピエンスの未来 伝説の東大講義 講談社現代新書 立花隆著、講談社、p 282~283)

2024年4月25日木曜日

日本国憲法の平和主義健在なり

 日本の自衛隊の戦力は、世界に肩を並べるほどに拡大されて来ました。そんなこともあって、日本国憲法の平和主義も”ズダズダに引き裂かれてしまっている”と言われることがあります。戦後民主主義についてさえ、疑問視する声があります。私自身、多少、そういうものかな、という思いもありました。しかし、国民の権利という視点で見れば、日本国憲法の平和主義、戦後の民主主義というものが立派に機能していることがわかりました。その根拠は次の通りです。
 「自己の意思に反して他人を殺すことを強要されない権利」と「他人を殺すための訓練を強要されない権利」というものは、「日本人は自覚することなく、文字にすることさえ忘れて、今日まで生きてきた」と言われるように、あまり問題にされて来ませんでした。そして、いつも注目されるのは、日本国憲法13条です。しかし、平和主義との関連で見れば、第一八条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」こそ重要だったのです。上記の「自己の意思に反して他人を殺すことを強要されない権利」と「他人を殺すための訓練を強要されない権利」は、第一八条「何人も、・・・その意に反する苦役に服させられない」から導き出せる権利だと思います。したがって、たとえ自衛隊の軍事力が強力になっても、日本国憲法第一八条が健在である限り、”日本国憲法の平和主義健在なり”なのです。

 私たち日本人は、この五〇年間、誰一人「自己の意思に反して他人を殺すことを強要されない権利」を侵された人はいません。また、「他人を殺すための訓練を強要されない権利」も享受し続けてきました。これは、日本国憲法が私たちに与えてくれた全く新しい基本的人権の一つなのです。
 この素晴らしい権利を、日本人は自覚することなく、文字にすることさえ忘れて、今日まで生きてきたのです。
 日本には、自衛隊という組織はありますが、日本の青年は、兵役の義務はありませんし、軍事訓練を受ける義務もありません。自衛隊の人たちだって、その気にさえなれば、兵士としての命令による殺人を拒否する自由はあるのです。
 日本人は、この五〇年間、日本国政府の行為としての戦争に参加することなく、「敵兵」といわれる立場の人を殺すことを命令されないで生きてきました。徴兵制がなく、兵役の義務がないということは、戦争をしない国の国民という以上に、計算では計りえないおおきな恵みが、与えられてきたのです。
 兵役の義務が一般的である諸国の人びとは、人間が最も感受性・創造性の強い青年期に、軍隊という「官」組織の中で、「上意下達」の生活習慣をねじこまれ、「殺人」と「戦争」のための訓練を強いられ、集団生活の中で、理性と感性を殺す生活環境の中で生きることを強いられ続けているのです。(『地球時代の道しるべ 今、憲法九条を世界に活かす』、太田一男著、法律文化社、1996年、p85〜86)

2024年4月24日水曜日

寛容こそ、平和を支える精神

 最近、「ネガティブ・ケイパピリティ」という言葉を知りました。精神科医帚木蓬生氏の説明によると、「先が見えず、どうしようもない不安に耐えながら、熟慮する。答えが出なくても問題に挑み続ける力こそ、ネガティブ・ケイパビリティ」(朝日新聞、2024年1月3日) だそうです。
 ネガティブ・ケイパビリティの力で興味深かったのが、戦争を予防する力も持っているらしいということです。つまり、
 相手を『敵』と決めつけて、一気に答えを出そうとしてはいけません。問題を解決できなくても切れずに、何とか持ちこたえていくことが大切です。寛容が踏みにじられた先に、戦争があります。寛容を保つことこそ、平和を支える精神だと私は思います。(朝日新聞、2024年1月3日)
 まったく、この通りです。例えば「中国を敵視することの愚」や「手遅れにならないうちに」で示したように、中国は最大の貿易国です。それほど大切な国を『敵』と決めつけて、敵基地攻撃能力、早い話がミサイルを保持しようなどということは、とんでもない話ですし、”道”に反します。外交の手段として、ネガティブ・ケイパビリティの力を活用して欲しいものです。

2024年4月23日火曜日

励む,挑む,積む,泥む,編む

 NHKドラマ「舟を編む 〜私、辞書つくります」が終わりました。辞書作りが最終段階に入って、コロナウイルスによる感染症がが発生してしまいます。それによって、パンデミックなど、たくさんの新しい言葉が使われるようになってしまいました。それに伴って、新しい言葉を辞書に入れるかどうかを議論します。その中で、印象的な言葉が話されました。「さまざまな困難は、どうしても、どんなに避けてもやって来てしまう。それでも人間は、未曾有の困難に直面する度、懸命にあらがって、大切な何かを失って、でも同時に、尊い何かを獲得し、それを後世に手渡し、少しずつ前に進んできたんだと思います」と。
 そこで私は、アウシュビッツの悲劇と、太平洋戦争の悲劇という未曾有の困難を思い出していました。両者とも多くを失いましたが、アウシュビッツの悲劇は、フランクによる「尊い『夜と霧』」をもたらし、太平洋戦争の悲劇は、「尊い日本国憲法」をもたらしてくれました。それゆえ、日本国憲法を後世に手渡ししたいと思いました。
 そして、ドラマの最後の方で、「励む、挑む、積む、泥む、編む」という五つの言葉を紹介していました。これからの指針にしたい言葉たちでした。
残すべき言葉は手渡すための言葉
手渡すって何を
嵐の避け方超え方でしょうか
災害や病気、生き抜く上でのさまざまな困難は、
どうしても、どんなに避けてもやって来てしまう。
きっとなくなることはないでしょう。
それでも人間は、未曾有の困難に直面する度
懸命にあらがって、大切な何かを失って
でも同時に、尊い何かを獲得し、
それを後世に手渡し、
少しずつ前に進んできたんだと思います。
手渡すためには言葉が必要です。

励む:熱心に事を行う、精を出す、努める。
挑む:難しい仕事などをやる、やり遂げようと立ち向かう。
積む:長い時間をかけて次第に増やしたり高めたりする
泥(なず)む:深く心を寄せる、打ち込む
編む:文章を集めて本を作る、編集する。(「舟を編む 〜私、辞書つくります」)

2024年4月22日月曜日

アウシュビッツ生還者の真実

 かのアウシュビッツの生還者V.E.フランクルの著書『夜と霧』は、書棚に積読状態でした。しかし、放送大学の面接授業「危機の時代のドイツ文学」で、ポイントと思える部分を読むことができました。
 アウシュビッツの「被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた」ので、彼らにとって「行動的な生からも安逸な生からも」生きる意味を見出すことは不可能でした。だから、逆に「およそ生きることそのものに意味があるとすれば」という問いを発し、「苦しむことにも意味があるはずだ」と、結論するのです。その辺のところは次の通りです。

 そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そし不死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。
 おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった、生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。(『夜と霧』、V.E.フランクル著、池田香代子訳、みすず書房、2002年、p112〜113)

  そうは言っても、日常的な苦しみ絶えずやってきました。フランクルはあるトリックを弄しました。

 突然、わたしは晧々と明かりがともり、暖房のきいた豪華な大ホール」の演台に立っていた。わたしの前には坐り心地のいいシートにおさまって、熱心に耳を傾ける聴衆。そして、わたしは語るのだ。講演のテーマは、なんと、強制収容所の心理学。今わたしをこれほど苦しめうちひしいでいるすべては客観化され、学問という一段高いところから観察され、描写される⋯⋯このトリックのおかげで、わたしはこの状況に、現在とその苦しみにどこか超然としていられ、それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、わたしをわたしの苦しみともども、わたし自身がおこなう興味深い心理学研究の対象とすることができたのだ。
 スピノザは『エチカ』のなかでこう言っていなかっただろうか。
「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表象したとたん、苦悩であることをやめる」(『エチカ』第五部「知性の能力あるいは人間の自由について」定理三)
 しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともは精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。(上同、p124〜125)

 これだけでも、すごいことです。しかし、もっとすごいのが「生きる意味」についての、次のような「コペルニクス的転回」でした。

 ひるがえって、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
 こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。
 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(上同、p130〜131、下線は引用者)

 私は、この後半を読んだとき、ここにカント哲学の実例を見出していました。カントが言いたかったことは、こういうことだったのか、と一人納得していました。霜山徳爾訳では、義務という言葉を使わないで、「人生が各人にする使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである」(p183)と訳されていました。使命と訳されると、より身近に感じられるかもしれません。

2024年4月21日日曜日

最大のならず者国家”米国”

 核兵器製造過程で放出された放射性物質による住民の被曝を、40年にわたって隠蔽してきたアメリカのことを「忘れられてきた核兵器被爆者」に書きました。そのアメリカ軍による空爆を、中村哲さんが国会で「蛮行でテロリズム」だと発言していたこと、そんなアメリカは「最大のテロ国家」で、「最大のならず者国家」である、と佐高信さんが言っていたことを知りました。詳しくは次の通りです。
 佐高 テロっていうことで言うと、私はアメリカが最大のテロ国家だと思うんだよね。ロシアも含めてもいいけど。それを気づかされたのは、対人地雷禁止条約。中堅の国々とNGOが頑張ってやってた。でも、その条約に入らない、つまり最大のならず者国家っていうのは米、露、中なんだよね。そうすると、アメリカを正義だと考えたら、もう全部最初から間違ってしまうんだよね。
 高世 はい。中村さんは参考人発言で、「英米の蛮行」という言葉を使って、現在進行しているアフガニスタンへの空爆は蛮行だと言ってるんです。「テロリスト、テロリズムの本質は何かと申しますと、これはある政治目的を達するために、市民も何も巻き添えにしてやるということがテロリズムであれば、これは少なくともテロリズムと言わないまでも、同じレベルの報復ではないですか」と。つまり、アメリカの空爆はテロリズムだって中村さんは言ってるんですよね。そこで激しいやじが自民党議員から浴びせられます。(『中村哲という希望 日本国憲法を実行した男』、佐高信・高世仁著、旬報社、2024年、p279)

 どうでしょうか。
 日本は、このような米国と日米安全保障条約を結んでいます。最近はその関係がいっそ緊密になり、指揮系統の統合の話さえ進められています。だからこそ、早く関係の解消に向けた検討を考えていただきたい。この日本の子孫たちにどういう世界を残すのか、私たちは岐路にあると思う」(中村哲著、上同、p37)からです。 

2024年4月20日土曜日

忘れられてきた核兵器被爆者

 著書『黙殺された被曝者の声 アメリカ・ハンフォード正義を求めて闘った原告たち』(トリシャ・T・プリティキン著、宮本ゆき 訳、明石書店、2023年)の第一章は「忘れ去られたモルモット」でした。しかし、そのモルモットは、ワシントン州ハンフォードの広大な風下地域内に住んでいた数千人の住民のことだったのです。
 ハンフォードには、ハンフォード核施設があって、「プルトニウム製造に伴い、大気中そして水中に流されたハンフォードからの放射性物質」により、40年にわたって住民が被曝していたというのです。しかも、「ハンフォードの核兵器製造過程は、国の広大な核施設の中にあり、厳しいセキュリティーに守られ、不可視化され、非公開だった。プルトニウム製造に伴い、大気中そして水中に流されたハンフォードからの放射性物質は、ほとんど感知できないため、原子力委員会とその後継者であるエネルギー省は、この甚大な公害を隠蔽してきた」のです。
 これが、アメリカの真実の姿です。『黙殺された被曝者の声』は、「世界人権問題叢書」中の一冊です。人権意識に問題のあるアメリカ、核兵器禁止条約に背を向けるアメリカの姿を見極め日本の外交のあるべき姿を考えていただきたいものです
 ここに記すのは、ハンフォードの広大な風下地域内に住んでいた数千人の内のほんの一握りの人たちの証言だ。彼らは被害がある地域に住まわされ、アメリカ政府により虚言を繰り返されてきた。国の原爆製造という目的のため、そして冷戦時代はソ連より優勢に立つため性懲りもなく核兵器を製造し続けるという目的のため、犠牲にされた最初の一般市民の話だ。ネバダ核実験場の風下被曝者の放射線によるがんとその他の疾病の話はよく知られているだろう。彼らはネバダ州ナイ郡のネバダ核実験場(the Nevada Proving Grounds:NPG)での核実験の放射性降下物の通り道に住んでいた人々だ。大気圏内核実験はネバダ核実験場で1951年1月に始まったが、それ以前からハンフォードの風下地域と川下地域では、すでにハンフォードからの放射性降下物が降り注いでいた。
 ネバダの風下被曝者の被害の方がより広く知られているのはいくつかの理由がある。おそらく最も影響が大きいのは、地上での爆発で成層圏に高く昇るきのこ雲が何百マイルも離れたところから目視できたことだろう。また爆発に続いて異彩を放つピンクや灰色に染まった放射線を伴う雲が、実験場の風下にある牧場の上、牧章を食べる家畜の上、そして小さな町の上を頻繁に流れていくのも観察された。
 一方、ハンフォードの核兵器製造過程での危険は、ネバダ核実験場の大気圏核実験で見られたように可視化されていない。ハンフォードの核兵器製造過程は、国の広大な核施設の中にあり、厳しいセキュリティーに守られ、不可視化され、非公開だった。プルトニウム製造に伴い、大気中そして水中に流されたハンフォードからの放射性物質は、ほとんど感知できないため、原子力委員会とその後継者であるエネルギー省は、この甚大な公害を隠蔽してきた。ハンフォード施設から出る低線量の放射線は夜の闇にまぎれて恒常的に排出されていたが、この事実は稼働開始から40年以上も経った1986年まで一般には公開されなかった。  
 第二次世界大戦後、アメリカの指導者は新兵器である原爆の開発と核実験を継続することで、戦後ソ連の勢力拡大に先手を打てると考えていた。1946年、アメリカは広島・長崎に投下された原爆に類似した核分裂型爆弾(原爆)の実験を太平洋の真ん中に位置する太平洋核実験場で開始した。これらの実験は1952年初頭から、より強力な核融合爆弾(水爆)へと移行した。(『黙殺された被曝者の声 アメリカ・ハンフォード正義を求めて闘った原告たち』、トリシャ・T・プリティキン著、宮本ゆき 訳、明石書店、2023年、p12〜13)

2024年4月19日金曜日

日本画風抽象画家・福田平八郎

 日曜美術館「時を超え、自由に 日本画家・福田平八郎」(2024年4月14日)を見ました。番組の説明によると、「写実なのか、抽象なのか。大正から昭和にかけて活躍した日本画家・福田平八郎(1892-1974)は、時に賛否両論を巻き起こしながら、革新的な日本画を描き続け、膨大な写生を重ねながら自然を徹底的に見つめ、まるで抽象画のような独特の日本画を追求した」そうです。
 平八郎は、こんなことも言っていました。「写生の対象から先ず何を一番強く感じるかと言うと、形や線よりも先に色彩を強く感じる。 そして、この色彩を追求していると、自然に対象の形を捉えることができる」と。このことを作品「竹」を例に説明がありました。写生ノートに記された追求の過程が紹介されたのです。
 作品「竹」は、番組を見ているときは感じなかったのですが、こうして改めて見ると「筍のみずみずしさ」が伝わってきます。「游鮎」と「青柿」は、言葉では言い表せないけれど、「なんかいいな!」と、何かが伝わってくるのです。それはなんだろう、と思って気づいたのが、西洋画には見られない、日本画の伝統を受けついた「平八郎が切り拓き発見した抽象画」だと思いました。強いて名前をつければ、「日本風抽象画」でしょうか。対象の本質に迫った優れものではないでしょうか。
 
作品「竹」の一部

竹ノート

ノートで追求された竹の写生


作品「青柿」の一部

2024年4月18日木曜日

東アジアの平和構築への提言

 4月17日、「東アジアの平和構築への提言―ASEANと協力して」と題して、日本共産党の志位和夫議長による講演があり、各界各分野・多くの在日大使館から参加」があったことを知りました。(講演全文)既存政党によって、すでにアジア地域における「平和と協力」の取り組みが始められていたのです。

「東アジアの平和構築への提言―ASEANと協力して」を
テーマに講演する志位和夫議長=17日、衆院第1議員会館

 平和をつくる大きな希望は、ASEANのとりくみから学び、「分断と敵対」から「平和と協力」へと力を合わせていくことだというのです。
 ASEANは、1976年に武力の不行使と紛争の平和的解決を誓約した東南アジア友好協力条約(TAC)を締結し、この条約を土台に、粘り強い対話の努力を続け、半世紀前には「分断と敵対」が支配していたこの地域を、「平和と協力」の地域へと劇的に変化させてきたからです。
 東南アジア友好協力条約について、どんな内容なのかを調べ、その内容の素晴らしさに驚きました。全く日本国憲法の精神に合致するものでした。
 第1条
 この条約は、締約国の強化、連帯及び関係の緊密化に寄与する締約国の国民の間の永久の平和、永遠の友好及び協力を促進すること目的とする。
 第2条
 締約国は、その相互の関係において、次の基本原則を指針とする。
a 主権・領土保全等を相互に尊重
b 外圧に拠らずに国家として存在する権利
c 締約国相互での内政不干渉
d 紛争の平和的手段による解決
e 武力による威嚇または行使の放棄
f 締約国間の効果的な協力(「東南アジアにおける友好協力条約和文テキスト(訳文)(PDF)」より)

2024年4月17日水曜日

手遅れにならないうちに

 昨日、「中国を敵視することの愚」を書きました。日本にとっての最大の貿易国が中国だからです。その真実を『日本国勢図会 日本がわかるデータブック 2023/24』(矢野恒太記念会編集、矢野恒太記念会、2023年)から見てみましょう。
 中国を先頭に、世界中の国々との貿易で日本が成り立っていることがわかります。この世界地図を見て、世界中の平和に貢献し、世界の国々に恩返しをするべきではないか、そう思いました。しかし、現実は、敵基地攻撃能力の保有を目指すなど、その逆を行っています。そうした政策の過ちに、早く気がつくべきです。手遅れにならないうちに!!


 日本の貿易は、わが国企業の生産拠点の海外移転やアジア地域の経済成長を背景として、対アジア貿易が中心となっている。かつては欧米諸国との貿易が盛んであったが、今では中国を筆頭に対アジア貿易が上位を占める(p279)

2024年4月16日火曜日

中国を敵視することの愚

 台湾有事が身近であるようなニュースに事欠かない中『台湾有事と日本の危機』の書評が掲載されており、<劉明福の「新型統一戦争」とは。その時まで、あと三年>(『週刊文春』2024年4月18日)などと、恐ろしいことが書かれていました。しかし、「日本経済にとって最大の貿易相手国・中国とのビジネスの途絶は死活問題で、企業も対応に苦慮している」(朝日新聞コラム「日曜に想う」2024年4月14日)とあるように、中国を敵視することは、日本にとっても死活問題です。
 そこで、実際の統計はどうなっているのかを調べてみました。「最近の輸出入動向 : 財務省貿易統計」によれば、やはり、中国が一位で、20%(2022年)でした。しかし、驚いたことに地域別統計では、アジアが半数の50%であったことです。日本にとって「アジアを平和に保つことが如何に重要な課題であるか」を思い知らされました。早く舵を切らなければ、大変なことになるのではないか、そんな不安もよぎります。

2024年4月15日月曜日

歴史が成立するために必要な条件

 政治的な問題、社会的な問題に”歴史的認識”は欠かせない要素です。しかし、その”歴史的認識”には、カオス的なものと、秩序立ったものがあるようです。『加藤周一最終講義』(かもがわ出版、2013年)を読んで初めて知りました。そういえば、政治的な問題や社会的な問題を扱った本に、分かりにくいものがありました。そういう本は、きっとカオス的な歴史的記述が多かったのかもしれません。そう考えると、これまで混沌としていたことの理由も頷けて、先の見通しも明るくなってきました。その答えのヒントが次の引用に示されています。
 要約すると、秩序立った歴史といういうものが重要なので、秩序立った歴史が成立するための二つの条件、つまり、そこでおこっているある種の事柄に持続性があるということと、変化がどうしても必要です。持続性といえば、日本共産党が日本の政党間では最もその条件を満たしています。しかし、変化というと、その条件が見渡りません。持続性を保守、変化を革新とすれば、「革新のない保守というのは停滞にすぎない」(上同、p158)という言葉が気になります。本当にそうなのでしょうか。今後の検討課題です。
 時間的にみると、基本的な問題は持続と変化の問題。これを社会的・政治的状況に移して言えば、日本で言われている保守的な立場と革新的な二つの立場の対立によってある程度代表されています。保守と革新。しかし言葉の選び方に関しては、政治的な概念はかならずしも正確ではなくて、保守と言うよりは反動と言ったほうがいいかもしれないし、革新というのは進歩的な立場と言ったほうがいいかもしれませんが、現在広く使われている言葉で言えば、保守対革新の問題に部分的に重なってきます。
 しかし、持続と変化の問題はもっと根本的で、したがってもっと広い。政治的な問題だけではない。これをいくらか哲学的に言えば、もし変化がゼロならば時間はない。時間概念が現実を叙述する範疇として、あるいは世界認識の概念的な道具として生きてくるのは、変化があるからです。変化が止まるときは時間がなくなる。(p141)
 だからどうしても変化が必要なのですが、しかし、変化だけならばそれはカオスです。持続的な要素がそのなかにないと、秩序立った時間の経過にはならない。すべての歴史的時間は単なる混乱ではないでしょう。秩序立った歴史ということが成立するためには、二つのことがどうしても必要な条件となる。一つは、そこでおこっているある種の事柄に持続性があるということ、他方で、変化がどうしても必要です。持続と変化のバランス、あるいは緊張関係、あるいはダイコトミーは、歴史が成立するための条件になると思います。
 これを空間的に見ると、中心と周辺という考え方は、中心部からは、ある意味で必然的に、世界を理解する仕方が全世界を含むかたちで出てくる。その意味で、普遍的な思想は中心部から出てくる。そして、普遍的な理想、あるいは考え方、あるいは環境理解というのは同時に抽象的です。抽象的概念の構造をつくり出すことで世界の普遍的なモデルをつくることができる。普遍的というのは、どういう地域にも該当するということです。(『加藤周一最終講義』、かもがわ出版、2013年、p141〜142)


2024年4月14日日曜日

歴史を見る視点への疑問

 NHKスペシャルで「未解決事件 File.10 下山事件」という放送がありました。概略は次のような内容でした。
 日本中に大きな衝撃を与えた「未解決事件」の真相を徹底検証するシリーズ第10弾。“占領期最大の謎”と呼ばれる「下山事件」に迫る。1949年7月、国鉄総裁・下山定則が突然失踪し、列車にひかれた無残な姿で見つかった。遺体には不自然な点が多く、警察の捜査は「自殺説」「他殺説」で見解が対立。それぞれが独自に捜査したものの、捜査本部は解散。事件は迷宮入りした。その後も、松本清張や著名ジャーナリストたちが繰り返し謎に挑んだが解けないまま70年以上が過ぎた。(「NHKスペシャル 未解決事件 File.10 下山事件 第1部」より)

 私は、この番組を見て「下山事件」だけを扱って、その真相を明らかにしようとしているところに違和感を感じました。当時は、三鷹事件や松川事件など似たような事件が発生していました。それらの事件との関連などを考慮しないで、あくまでも単独事件として扱っていたからです。ですから、「歴史的事件相互のあいだにいかなる規則性を見出すか」という視点の重要性を説いた次の記述を知ったときは、「これこそ、求めていた思想である」と喜びました。この視点を持って、「下山事件」だけでなく「三鷹事件や松川事件」なども考慮した考察を試みてみたいです。

 一回的な事件同士のそれぞれを、まったく無関係に、その個別性にだけ注目するのでは、お互いに関係なくただ提起するのだったら、歴史の発展には規則性が全然なくなってしまう。別の言葉で言えばそれはカオス、無秩序です。学問的に歴史を把握するというのは、歴史のなかにいかなる秩序を見出すかということです。その秩序が「私」の体験ではなくて、感覚ではなくて、客観的な知的な感情理解の一つとして、歴史的事件相互のあいだにいかなる規則性を見出すか。
 自然科学は自然的環境のなかに秩序を見出しますが、その秩序は根本的に因果論的です。ところが歴史的事件の一回性に注目すると、因果論的な秩序を歴史のなかに見つけることは困難です。ヴェーバーは、因果論の代わりに、規則性ではあるけれども非因果論的な規則性を、意図と行為との分析を媒介として叙述しようとしたのです。あることを原因として次の事件がおこるというのではなく――それは原因・結果でしょう、そうじゃなくて、私が何かをすると誰かがまた何かをする。ナポレオン・ボナパルトにしても、東条首相にしても。そういう何かをする人は一定の意図をもってするわけです。(『加藤周一最終講義』、かもがわ出版、2013年、p150〜151)

2024年4月13日土曜日

死の練習、模傲とは

 『エセー・1』の目次を見ていたら、「第二十章哲学をきわめるとは死ぬことを学ぶこと」という興味のあるタイトルを見つけることができました。なぜ興味があるのかといえば、死というものが、すでに手の届くところにやってきている年齢になったからです。死を目前にしても慌てることのないように、心の準備をしておきたいのです。
 まず、読んでみましょう。
 キケロは、哲学をきわめるとは死の準備をすることにほかならない、と言った。これはつまり、研究や瞑想が、ある意味でわれわれの精神をわれわれの外に引き出し、肉体と離して働かせるからで、いわば、死の練習、模傲のようなものだからである。あるいは、世のあらゆる知恵と理論が、結局は、われわれに死を少しも恐れないように教えるという一点に帰着するからである。
 本当に、理性は、われわれをからかっているか、それとも、われわれの満足だけを目指しているかのいずれかであるにちがいない。また、その努力は聖書にもあるように、結局、われわれをよく、しかも楽しく、暮らさせることを目指しているにちがいない。世のあらゆる意見は、たとえ方法はまちまちでも、快楽こそわれわれの目的であるというこの一点に帰着する。そうでなければ、そんな意見などははじめから追い払われるであろう。実際、われわれの苦労や不幸を目的とする人の言説などを誰が聞くだろうか。(『エセー・1』(モンテーニュ著、原二郎 訳、岩波書店、1965年、p150)
 ここの論理で最も気に入った点は、「実際、われわれの苦労や不幸を目的とする人の言説などを誰が聞くだろうか」、それゆえ、「世のあらゆる意見は、たとえ方法はまちまちでも、快楽こそわれわれの目的であるというこの一点に帰着する」という論理は明快です。
 また、「世のあらゆる知恵と理論が、結局は、われわれに死を少しも恐れないように教えるという一点に帰着する」とも言っているので、快楽を求めて「研究や瞑想など精神の働きを強化する過程」こそ、死の練習であり、模傲であるというのです。あらゆる哲学的営々も、結果的に詩の練習をしていることになるのかもしれません。だとしても、「死を対象にした考察、研究」も欠かせないことは明らかです。

2024年4月12日金曜日

「太平洋の海底で」眠る戦死者

 日曜美術館で画家の冨山妙子さんを知ったことは、「狂暴な野獣であった日本軍」に書きました。彼女がの著書を探していて、その中で見つけた富山妙子著「日本の戦争責任から原発まで、政治問題を照射する越境の画家」『美術手帖』(2021年8月)に、一度見たら忘れられないような、なんとも寂しい、あるいは悲しい戦争の記憶でもある「太平洋の海底で」という作品を知りました。

(「『海の記憶』 | 富山妙子 Taeko Tomiyama」より)

 また、「道徳哲学者の宮本ゆきは、思春期を植民者として旧植民地で過ごし、被植民者の人々と身近に接した経験が、戦後の冨山の芸術を特徴づける・・・・・と推察している」(上同、p55)という紹介文から宮本ゆきの存在を知り、例によって彼女の著書を探しました。そして、そして、次に示すように、核の問題に絞って発言していることを知りました。

1、『なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識』、宮本ゆき著、岩波書店、2020年:多くが原爆投下を肯定するアメリカ。日本とかけ離れた核意識は、いかに形成されたのか。シカゴの大学で教える著者が、アメリカ市民の核認識を、人々の語り、映画やコミック、流行歌等の文化や歴史から読み解く。
2、『黙殺された被曝者の声』、トリシャ・T.プリティキン著、宮本ゆき訳、明石書店、2023年:アメリカ・ハンフォード核施設の風下住民は放射性物質に曝され続けていたが、40年以上調査されず政府に隠ぺいされてきた。核被害で障がいや重病に苦しむ無辜の人々の悲しみと怒りの記録。
3、ノーマ・フィールド 著、宮本ゆき共訳「福島から」『10年後の福島からあなたへ』、武藤類子著、大月書店、2021年
4、宮本 ゆき著「「祝われる原爆開発・消費される被ばく体験」『部落解放研究 : 広島部落解放研究所紀要』、2019年1月、p.123-142
5、宮本 ゆき著「日米での核理解の違い、親鸞における悪 (第七十回現代と親鸞の研究会 核をめぐる罪と悪)」『現代と親鸞』、2023年12月、p.135-151

2024年4月11日木曜日

偶然に助けられた滋賀原発

 最大震度7を記録した能登半島地震は、多くの建物が崩壊し、道路は寸断されて、原初事故の際の避難の困難を、いや不可能なことを教えてくれました。しかし、それでも再稼働ありきの方針を貫徹しようとしています。しかし、滋賀原発が一部の電源喪失の事故に遭いながらも惨事に至らなかったのは二つの偶然に助けられただけだったのです。
 一つの偶然は、滋賀原発が10年にもわたって運転を停止していたことです。「稼働していたら、福島第一原発事故と同様の経過を辿っていたかもしれない」(小出裕章)そうです。だから、 「今回一番学ばなければいけないことは滋賀原発が止まっていてよかったということ」です。なぜなら、

 100万キロワットの原発が一年間稼働すれば広島原爆が作った死の灰の千発分の核分裂生成物ができる。(原発が止まっているときに地震に襲われる)のと、運転中に地震に襲われるのとは全然違うことを皆さんにわかってほしい。
 その上日本は、国土面積が世界の0.25%しかない小さな国だが、世界の地震の1割から2割が起きている。そんな場所に57基もの原発を建てしまったことこそ誤りだと知るべきだ。(小出裕章)

 もう一つの偶然は、滋賀原発が最大震度7の地域から約10Km離れていたことです。つまり、滋賀原発が最大震度7の地震に見舞われていたかもしれなかったのです。やはり日本は、再稼働ありきの原発政策を見直さなければなりません。



2024年4月10日水曜日

軍国主義再来のストップを

 画家の富山妙子さんは、「なぜ戦争はふせげなかったか」という自らの問いに対して、先ずは知識人や作家の責任を取り上げ、「時代精神の灯台であるべき知性は混乱し、狂気の時代に覚醒した理性であるべき知性は座標としての思考と論理を失った」と書いて、その一例として、高村光太郎の詩『暗愚小伝』を紹介しています。
詔勅をきいて身ぶるいした
天皇あやうし
ただこの一語が
私の一切を決定した
身をすてるほか今はない
陛下をまもろう
 この詩を受けて天皇制にも言及しています。その流れで「戦後・四分の一世紀」を経て、「民衆を呪縛にかけながら、日本軍国主義は着々と復活した。 ふたたび、アジア侵略の体質は戦前に復帰した」ことを宣言しています。しかも軍国主義は日本だけでなく、世界に広がってきています。
 しかし、日本の知性は、かつての理性のように「座標としての思考と論理を失った」状態のようで、次のように「最強レベルの軍備」を求めた軍国主義を後押しするような出版物も出てきています。軍国主義の再来は、なんとしても、止めたいものです
 日本が第二次世界大戦敗北後今日に至るまで、長きにわたってアメリカの軍事的属国としてアメリカ一辺倒の軍事外交姿勢を取り続けてきたことは、国際社会では常識となっている。したがって、日本が永世中立宣言をなした場合、アメリカから完全に独立するために日本が打ち出す永世中立政策が「真の国家意志である」と国際社会に認識させるには、「武力を行使してでも中立義務は果たす、少なくとも果たす最大限の努力をなす」という姿勢を誰の目から見ても明らかなように示すことが不可欠である。
 永世中立国としての日本が整えるべき軍備は、まず第一に中立義務を果たすために量的には必要最小限ながらも質的には最強レベルの軍備である必要がある。量的に必要最小限に留めるのは、アメリカのように国益維持・拡大のために安易に軍事力を投入する必要がない永世中立国である以上、しごく当然といえよう。ただし、質的には国力に鑑みて可能な範囲で最強を目指すことも、永世中立国としていかなる軍事同盟も締結できない以上、やはり理にかなった方針といえよう。(『米軍最強という幻想 アメリカは日本を守らない』、北村淳著、PHP研究所、2024年、p230〜231、強調は引用者)

2024年4月9日火曜日

狂暴な野獣であった日本軍

 NHKの日曜美術館(2024年4月7日)「いま、ここで生きてる -第8回 横浜トリエンナーレ-」で画家の富山妙子さんの存在を知りました。韓国の民主化運動”光州事件”に翻弄される庶民の姿が力強い版画で表現された「光州のピエタ」など、富山妙子さんの作品が紹介されていたからです。

(富山妙子作「光州のピエタ」)

 画集があれば、と、著書を調べてみました。そして、『反権力の証言』(富山妙子編、合同出版 、1971年)や『女への讃歌 : われらの解放』(富山妙子編著、三省堂、1973年)と言った興味のある本が出版されていたことを知りました。
 ちょっとだけ中身も読んで、さらに、その内容の素晴らしさに驚きました。「なぜ戦争はふせげなかったか」で「狂暴な野獣であった日本軍」、と日本軍を痛烈に批判し、「今日の眼で、私たちは過去の日本を振り返るとき、明治以後の日本のいびつな体質を、根底から疑わずにはおられない」(『反権力の証言』)と次のように言い切っていたからです。 
なぜ戦争はふせげなかったか
 なぜ戦争はふせげなかったか!「一五年戦争」で中国大陸を侵略し、南京入城で四十数万人の中国人民を虐殺し、シンガポール占領で五万数千人の華僑を殺戮、ベトナム進駐で二〇〇万人の餓死者をだし、その他、フィリピン、インドネシア、ビルマ戦線で、狂暴な野獣であった日本軍
 朝鮮、台湾を収奪しつづけた、アジアの強盗であった日本。
 なぜ日本の人民は赤紙一枚で、羊のごとく従順に、異民族殺戮の屠殺場にむかったのか。
  無謀な戦争により、父を、夫を、恋人を、息子をうばわれながら、なぜ反戦運動はおこらなかったのか。   
 今日の眼で、私たちは過去の日本を振り返るとき、明治以後の日本のいびつな体質を、根底から疑わずにはおられない。(はじめに」『反権力の証言』)

2024年4月8日月曜日

アートになった日常

 NHKの日曜美術館(2024年4月7日)「いま、ここで生きてる -第8回 横浜トリエンナーレ-」で、展覧会のテーマ「野草:いま、ここで生きている」について、次のような解説がありました。
 展覧会そのものが今私たちが生きる世界、さまざまな人生の写し絵なのです。それは私たち誰にも関係していている日々の暮らしの中にある経験です。それが今回のタイトルを通して伝えたいことです。
 ここで説明のあった「日々の暮らしの中にある経験」の一つを表現したものとして、南アフリカの作家ルギスワ・グンタの”有刺鉄線に布を巻いた”作品がありました。「不平等や非均等を作品として表現した」そうです。作者へのインタビューを聞いて、いまだに「日々の暮らしがアパルトヘイトの真っ只中である」ことを知りました。そうと知ったからか、彼女の作品が、その現実の悲しさ、痛々しさを表現しているように感じました。
 南アフリカには、もうアパルトヘイトなど存在しないと思っている人たちに、私たちが未だに苦しめられていること、まだアパルトヘイト後の”時代になんか”なっていない、いまだにその真っ只中にいることを訴えたいのです。作品の緑の布は植物のように見えますが、そこには暴力があると言うことを気づかせます。柔らかくて、美しくて、植民地支配などないように感じられるものでも、そこには植民地支配の歴史があり、その中には暴力性があるのだということを理解する扉になる。(ルギスワ・グンタ談)



2024年4月7日日曜日

兵器提供の中止決議

 ウクライナやパレスチナでの戦争が止みそうにありません。できるだけ早く終戦を迎えてほしいと世界中で模索しながらも、有効打を示せないでいるのです。そんな中で、国連人権理事会が国連人権理事会が「ガザでの人権侵害を防ぐため、各国にイスラエルへの兵器提供をやめるよう求める決議案を賛成多数で採択」(「兵器提供の中止決議」『朝日新聞』』、2024年4月6日)しています。米国などがイスラエルへ兵器を提供していたのです。
 もっと驚いたのが「ロシアの侵攻を受けるウクライナへの大規模な軍事支援のため、武器の在庫が逼迫(ひっぱく)している」(「防衛装備、日米の協力強化 共同開発、新体制合意へ」『朝日新聞』、2024年4月5日)というのです。「武器の在庫が逼迫している」から、「米海軍艦船の日本での大規模修繕に向けた協力も議論される。米側では、日本との艦船の共同生産への期待も大きい」と。
 これらの報道は、重要なことを教えてくれています。世界の国々が戦争当事国への兵器提供を止めれば、戦争は終わらざるを得ない、ということです。つまり、兵器の存在そのものが、戦争を引き起こす大元なのです。
 よく「無理が通れば道理が引っ込む」と言われます。世界の現状は、正に「無理が通って道理が引っ込」んでいる状態です。この現状を打破するには、この逆を行くしかないのです。道理の声を大きくしていくのです。日本国憲法の道理を世界に拡散していくことで、無理が引っ込む状態に持っていくのです。

2024年4月6日土曜日

人間自身の最終目的

 カントといえば、『純粋理性批判』といった難解な哲学書 の著者として知られています。そんな彼が、「人間学」についての研究者でもあったことを最近知りました。しかも、『人間学』を出版したのが七十四歳のときでした。亡くなる六年前です。この事実だけでも、その意欲に感嘆し、励まされました。
 そして、序文の、最初の言葉が、また素晴らしいのです。それは、「文化におけるあらゆる進歩は、これによって人間が自分を磨くものであるが、それにはこの獲得せられた知識や練達をこの世のために役立てるという目標がある」という言葉です。文化におけるあらゆる進歩は、人間を磨くと同時に、この世のために役立てるというのです。しかも、「役立てうる世間のうちで、最も重要な対象はといえば人間(原文は傍点)」だというのです。なぜなら、「人間こそ人間自身の最終目的なのだから」と。
 ここでいう「人間こそ人間自身の最終目的」ということが意味することはなんでしょうか。それは、人間にはある目標とすべき完成形があって、「文化におけるあらゆる進歩は、これによって人間が自分を磨」きながら、その完成形を目指すのだと思います。そのことをカントは『啓蒙について』で言及しているのではないでしょうか。

2024年4月5日金曜日

潰滅的破局を防ぐ

 端的に世界の現状を表現した言葉に出会いました。現代社会は、「核弾頭は生産され続けたあげくに、現実に火を噴くまでに至るか、あるいは凍結され解体されて、現在の自由奔放な暴力文化が、新たな非暴力文化に道を譲りはじめるかのいずれか」(『「成長の限界」に学ぶ A・ペッチェイ:21世紀への行動指針』、A・ペッチェイ著、2000年、p84)なのです。
 つまり、平和というものを軍事力によって維持している(つもりでいる)限り、いつかは核弾頭が火を噴き、最悪の場合人類の滅亡という
滅的破局を迎えてしまうことは明らかです。「人間の悲劇的な失敗や愚行によっても、また単なる電気回路の故障によってさえ、容易に大殺戮が起こり」(上同、p88)得るからです。私たちの歴史で、このような潰滅的な終末を迎えるようなことは、なんとしても防がねばなりません。そのためにも、「現在の自由奔放な暴力文化」を止めさせ、日本国憲法がさし示している「新たな非暴力文化」を築いていくことが大切です。従って、
 平和であるということは、社会の発展、生活の質、自己実現を目標とするいかなる方程式においても、基本的な要因です。また、平和は、人間の社会のあらゆるレベルと、あらゆる分野だけではなく、人間の社会と自然の関係においてすらも、非暴力という普遍的な考え方の深まりと広がりなければなりません。(上同、p110)
 どうでしょうか。”非暴力”というと、理想論で片づけられ、その普遍性は、なかなか理解されません。しかし、だからこそ、非暴力という普遍的な考え方の深まりと広がりのうちに理解されるよう努めていくことが必要です。人類の滅亡という滅的破局を防ぐために・・・・。

2024年4月4日木曜日

武器を全部溶かしてしまえ

 ワイマール共和国は、ヒトラー政権の誕生によって短い命を葬られてしまいました。しかし、さまざまな成果を遺産として残してくれていました。その中に、「戦争のない国という理想像」を見出すことができました。それは、次のような、シャンソンで”右翼の喜ぶ 再軍備のシグナル”を風刺したものです。

 武器を全部溶かしてしまい、
 それで子供たちのためのベットを作れ。
 すっかり切り換えられた巡洋艦(クルーザー)に乗って、
 人々が楽しく世界へ出ていく。(『ベルリン 1928-1933』、平井正著、せりか書房、1982年、p75〜76)
 私は、最初の一行を読んだとき、とっさに戦後に文部省によって発行された『あたらしい憲法のはなし』に掲載されていた「武器を溶かしている絵」を思い出しました。この著者は、この歌詞を知っていたかのような絵です。
 この絵を探したついでに、戦争放棄の項を再読してみました。改めて、その素晴らしい内容に驚きました。ここに、世界平和への道が示されていたのです。
 よその国と争いでとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。(『あたらしい憲法のはなし』、文部省編、実業教科書、1947年、p20)

2024年4月3日水曜日

真の民主主義を目指すなら

 安保条約こそ諸悪の根源と思ってきました。今も、その考えに変わりがありません。しかし、マスコミも含めて、国民の多くは安保容認で、在日米軍の存在さえ肯定しているようです。一番驚いたのは、リベラル派と思われてい内田樹さんまで、天皇制や属国日本を肯定していたことです。例えば、

「天皇制という固有の制度を持つ、アメリカの属国であるところの国の民主制はどうあるべきか」というのが僕たちに課せられている「問題」です。(『やっぱりあきらめられない民主主義』、内田樹著、水声社、2016年、p138) 

 という具合です。
 私に言わせれば、天皇制も、アメリカの属国であることも、民主制とは相容れないのであって、真の民主主義は、真の国民主権が確立し、真の独立を確立して初めて達成されるものです。
 したがって、真の民主主義を目指すなら、やはり、安保条約は解消し、在日米軍は撤去されるべきです。憲法学者さんの主張を聞いてみましょう。
 核の全面廃絶の実現のためにも、"日本はアメリカの核の傘の下にいる"となどいわれないためにも、日米安保は、日本が一方的に廃棄すれば良いことであり、沖縄のみならず日本全体から米軍の撤退を求めれば良いことである。
  日本にとって一番困難なことは、米軍に日本から出ていってもらうことであって、他国が日本に攻撃をかけてくることなどではない。
 日本人の多くが、米軍は日本を守ってくれていると信じきって、日本が巨費を支出して米軍のアジアでの存在を保障し続ける限り、米軍は日本から出ていくこともなければ、アジアでの軍事的諸行為を中止することもない。
 アジアのどこかの国をアメリカが、テロへの報復行為という口実で攻撃をするようなことがあれば、テロ集団は、日本でも何かをやらかしかねないし、在日米軍基地が、テロの対象ともなることになる。
 日本が権力非武装国家になれないのも、世界平和の実現に向けて、具体的な貢献が充分にできないのも、日本人の多くが、今日なお"自衛のためには軍隊が必要である"と考えて、戦争や侵略に対しては反対であっても、日米安保を維持し、「武力による安全保障」という今日では過去のものになりつつある認識の仕方の上に立って、平和を考えているからである。(『現代憲法大系 2』、山内敏弘・太田一男著、法律文化社、1998年、p438)
 やはり、米軍には日本から出ていってもらう以外に日本の未来はなさそうです。

2024年4月2日火曜日

戦後民主主義は終わったか?

 このブログの目的が、「日本国憲法が『ドイツにおけるワイマール憲法の二の舞になる』のを防ぎたい」ということでした。ですから、ワイマール共和国の歴史をヒトラーの政権獲得で終わりにするのは、常識的なやり方である」(『ベルリン 1928-1933』、平井正著、せりか書房、1982年、あとがき)という言葉に出会い、それなら、と触発された思いがあります。
 それは日本における戦後民主主義についてです。ドイツにおける「ワイマール共和国の歴史」に対応するものを「戦後民主主義の歴史」とした場合、「戦後民主主義の歴史」の終わりは、何をもって終わりにすればいいのだろう、という問いです。
 例えば、一部に、「戦後民主主義の歴史は終わった」といった言説もあります。その場合、その根拠は何だったのでしょうか。私は、言論の自由が保障されている限り、「戦後民主主義の歴史」は終わらない、と思っています。だからこそ、「戦後民主主義の歴史は終わった」といった言説の根拠が気になります。
 それでは、言論の自由が保障されていない状態とは、どのような状態をイメージすればいいのでしょうか。それは、ミャンマーの「血に染まったアスファルト」で示されたような状態、つまり、「平和的なデモという手段を行使しただけで、銃弾によって殺されてしまう」状態、もっとリアルな表現を用いれば、「自衛隊や警察が国民に牙を剥いた」状態です。そうなってしまう前に、なんとしても、民主主義を、日本国憲法を守り抜きたいものです。

2024年4月1日月曜日

血に染まったアスファルト

 世界に目を向けたとき、今注目は”やはり戦争”です。早く戦争が終わって欲しいと思いますが、注目の戦争の陰で、「前近代的な圧政に苦しんでいる人たちがいる」ことも忘れてはなりません。「頭蓋骨」という詩の存在を知って、思い知らされたことです。「一発の銃弾が誰かの脳みそを/路上にぶちまける」と書いた詩人その人が、一発の銃弾で「脳みそを/路上にぶちまけ」てしまったというのです。
 日本という平和な国で「のうのうと生活している」その陰で、平和的なデモという手段を行使しただけで、銃弾によって殺されてしまっていたのです。
 女たちの戦いの詩「女たちは自らの命を質に入れる/血に染まったアスファルトの路上に倒れた/夫や息子たちのために」も紹介されていました。それで、もっとミャンマーの詩を読んでみたいと思い、四冊の本をピックアップしてみました。
1、『二十一世紀ミャンマー作品集』、南田みどり編訳、大同生命国際文化基金、2015年
2、『ミャンマー現代女性短編集』、南田みどり編訳、大同生命国際文化基金、2001年
3、『ミャンマ-現代短編集1』、南田みどり編訳、大同生命国際文化基金、1995年
4、『ミャンマ-現代短編集2』、南田みどり編訳、大同生命国際文化基金、1998年
 ミャンマーの「詩人の母」こと南田みどり氏は、ミャンマー証言詩集『いくら新芽を摘んでも春は止まらない(仮題)』の日本語訳版の監修だけでなく、詳細な解説まで書いてくださった。80年代後半以降、言論統制が強まるにつれて、ジャーナリズムや小説に代わって「モダン」と呼ばれる自由詩が盛んになったとある。
革命の花が咲く前に/一発の銃弾が誰かの脳みそを/路上にぶちまける/その頭蓋骨の叫びが君に聞こえたか?
 この詩「頭蓋骨」を書いたゲーザーウィンは、その10日後の21年8月3日、デモの最中に路上で射殺された。
女たちの口は語る/女たちの両手は広げられる/女たちは自らの命を質に入れる/血に染まったアスファルトの路上に倒れた/夫や息子たちのために(ミチャンウェー「残余の生」)
 現実が過酷になればなるほど、比喩と多義性に満ちた詩の言葉は、その現実を乗り越える力を増してゆく。(四元康祐著「詩探しの旅:地球という一座」『日本経済新聞』、2024年3月31日)