2023年6月30日金曜日

美術館予習の試み

 福島県立美術館で、明日から「ブルターニュの光とが始まる。いくつかの展示作品も紹介されていたので、その中から、ぜひ、これだけはじっくりと作品と向き合ってみたい、という作品に出会った。《藁ぶき屋根の家のある風景・1921年》と、《ポン=タヴァンの風景・1888-89年》と《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち・1896年頃》である。
 フェルディナン・ロワイアン・デュ・ピュイゴドー作《藁ぶき屋根の家のある風景》は、「空を大きくとらえ、印象派のタッチにより日の出もしくは日没の大気を巧みに表現」していると紹介されているが、なんともいえぬ、いい雰囲気を醸し出している。その前に自分が立っているような錯覚さえ生じさせる力を持っている。
 アンリ・モレ作《ポン=タヴァンの風景》は、「藁ぶき屋根の家並みと牧草地の牛たちが鮮やかな色彩で描き出され、ブルターニュの自然の豊かさがよく感じられる逸品」と紹介されているが、朝日に包まれたのどかな雰囲気が、なんとも心地よい、素晴らしい作品である。
 アルフレッド・ギユ作《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち》も良かった。「ギユは苦難にあふれた漁村の日常を、喜びとともに生き生きと描き出し」たと紹介されているが、娘たち一人ひとりの表情が、なんとも素敵だ。
 ホームページ「ブルターニュの光と」のおかげで、美術館へ行く前の予習ができた。そのため、美術館でこれらの作品に会うのが楽しみである。初めての「美術館予習の試み」である。

(《藁ぶき屋根の家のある風景・1921年》「ブルターニュの光と風」より)

(《ポン=タヴァンの風景・1888-89年》「ブルターニュの光と風」より)

(《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち・1896年頃》「ブルターニュの光と風」より)

2023年6月29日木曜日

時間の移ろいを描いたマティス

 日曜美術館で、朝吹真理子さんによるマティスの作品「夢」「金魚鉢のある室内」の解説を聞いた。夢は単なる気持ちよさそうに”まどろんだ一瞬”を切り取った絵ではなく、夢と現実が行き交うような”気持ち良い一定の時間”を描いている、といい、「金魚鉢のある室内」は、”室内の静粛な時間から、川の流れや人の動きへと続いた時間”が描かれているという。
 こうした風吹さんの解説を聞いて、今までわからなかったマティスの作品「ダンス」の素晴らしさが分かってきた。色彩以外の一切が捨象してあり、その分強調された、ダンスの動きや踊っている時間が描かれている。画面から踊っている人たちの喜びの感情が溢れており、声までも聞こえるようである。
 そういえば、葛飾北斎などの浮世絵にも、一枚の絵の中で時間の流れが描かれている絵がある。「山下白雨」は有名だが、そこには「移り変わる自然の姿や、その中にあって微動だにしない藤の雄大さが、一つの画面のうちに描き出されている」(ポーランド国立博物館浮世絵名品展』郡山美術館、1999年、p178)というように、時間の流れがしっかりと描かれている。マティスは、浮世絵から学んだのだろうか。
 浮世絵「山下白雨」の解説を読んで閃いたことだが、ダンスの青という背景は、ダンスの動にないする”静”を意味しているのではないだろうか。そう考えると、赤のダンスが一層激しい動きとなって表現されることに気がついた。





2023年6月28日水曜日

スピノザの倫理学

 なんで『スピノザ全集』など読む気になったのか、その理由は忘れてしまったが、『スピノザ全集・2巻』の目次の「幾何学的秩序によって論証した倫理学」の第四部「人間の屈従に就て或は感情の力に就て」に惹かれ、ちょっと読んでみた。
 序言のはじめの言葉にカウンターパンチを受けてしまった。「感情を統御し制止し得ない人間の無能力を私は屈従と呼ぶ。なぜかと云へば、感情に支配される人間は、自己の権能に依らず運命に隷属し、自ら一層善きものを見ても一層惡きものに就くようにしばしば強制されるほど運命の力に左右されるからである」と自分の弱点を見透かされてしまったように感じたからである。
 To-doリストに従って、自分を管理しながら生活できるのが理想であることはわかっていても、どうしても、その日の気分で生活する悪習から抜け出せないでいる。だから、自分の部屋一つ片付けることができず、健康管理も一貫性がない。これでは、「感情を統御し制止し得ない無能力な人間」と言われても仕方がない。だからであろう、1年ぶりに不眠に陥ってしまった。と言ってもまだ夕べだけなので、なんとかまた正常なリズムのある生活にしていきたい。そのためにも、ちょっと難しそうなスピノザの倫理学を読んでいきたい。

2023年6月27日火曜日

二項対立を超えて

 この世界には、あらゆる分野に二項対立問題があって、それゆえ、対立が続いている。だから、「二項対立を超えて」という解決策が示されている。だが、今一つ、そのメカニズムというか、論理が理解できないでいる。そのため、「二項対立を超えた解決策」の実例を探している。そんな中で、新聞の連載小説の中に、「小楠は昨年九月、桂と会って談じたことがある。小楠の開国論が戦略であり、桂の攘夷論が戦術であること、『開国を目的とする攘夷論』で意見は一致した。」(辻原登著「陥穽 陸奥宗光の青春」『日本経済新聞』、2023年6月27日)とあったのだ。
 つまり「開国」か「攘夷論」という二項対立を超えて、「開国を目的とする攘夷論」と対立を調和させてしまったことになる。この所だけをみる限り、矛盾論でいうところの、対立物の統一にあたる。それでいいかどうかはわからないが、二項対立問題は、矛盾論の範疇に入る可能性が大きい。
 しかし、それだけ(矛盾論)で終わるようにも思えない。二国間の対立といった場合の「対立を超えた解決策」も一緒に考えたいからだ。二項対立問題をヒントに、思想が違っても、互いの思想を認め合い、共存する道も見つけたいのである。

2023年6月26日月曜日

世界各地で/憎しみの炎が

 日本の場合、戦争を知らない世代がほとんどである。だから、「戦争を知らない世代はいない」(『これから戦場に向かいます』、山本美香写真と文、ポプラ社、2016年、p6)ということに驚いた。アフガニスタンでは、戦火の中での暮らしが「もう20年以上続き、戦争を知らない世代はいない」というのである。
 アフガニスタンのことは、度々報道されていたので知ってはいた。米軍が関与していたこと、その米軍が撤退したことなど、ニュースで知ってはいた。しかし、上っ面の理解で済ませて、肝心のアフガニスタンの生活については何一つ知らなかったのだ。
 また、「国、宗教、民族、地域・・・/世界各地で/憎しみの炎が燃えている」(上同、p24)という。不条理という言葉がある。筋が通らないこと。道理が立たないことだが、世界各地で今も燃えているであろう憎しみの炎は、不条理ゆえの炎である。
 不条理ということで「(天声人語)戦争と基地のにおい」(朝日新聞、2023年6月24日)の記事を思い出した。沖縄の嘉手納町には、「巨大な米軍基地と隣り合う暮らしを体験できるブースが設けられている。なかに入ると、子どもと母親の何げない会話が聞こえてきた。ただ、すぐに軍用機の爆音が響き、声はかき消されてしまう/驚いたのは、これとともに、ツンとした燃料臭が噴き出されてくることだ。騒音は想像していたが、戦闘機が飛び立つ下ではこんな臭気があるのかと初めて知った」という。
 これらの不条理に鈍感になってはいけない。絶えず関心を持ち続け、解決の道を模索し続ける必要がある。それが戦場カメラマンの勇敢に感謝することでもある。そして、宮沢賢治の「世界全体が幸福にならなければ・・・」という一節を思い出す。絵本『これから戦場に向かいます』を読んだ感想である。

2023年6月25日日曜日

タンパク質は”3食”食べ続ける

  戦後、日本人の健康は飛躍的に伸びてきた。百寿者の数も年々増えてきている。栄養状態が良くなってきたことが大きな要因であることは間違いないであろう。その中でも、やはりタンパク質の充足が大きかったであろうことの理由がよくわかった。エネルギー源の栄養素はたくわえることができるのにたいし、タンパク質は、絶えず充足してなければならなかったのだ。
 例えば、

 私たちが仮に断食を行った場合、外部からの「入り」がなくなるものの内部からの「出」は継続される。身体はできるだけその損失を食い止めようとするが「流れ」の掟に背くことはできない。私たちの体タンパク質は徐々に失われていってしまう。したがって飢餓による生命の危険は、エネルギー不足のファクターよりもタンパク質欠乏によるファクターのほうが大きいのである。エネルギーは体脂肪として蓄積でき、ある程度の飢餓に備えうるが、タンパク質はためることができない。(『生物と無生物のあいだ』、福岡伸一著、講談社現代新書、2007年、 p163)
 ここで述べられている「飢餓による生命の危険は、エネルギー不足のファクターよりもタンパク質欠乏によるファクターのほうが大きい」ということは、大切なことを教えてくれている。欠食は良くないこと、野菜等は少なくしても、十分なタンパク質は食べ続ける必要があることである。朝食廃止とか、16時間ダイエットとかは、一時的には良いということもあるかもしれないが、長期的には、やはり、3食食べ続けることが重要なのではないだろうか。

2023年6月24日土曜日

日本で戦争になったら?

 前に、「戦争はそもそも起こしてはいけない」と書いた。そうすると、だから、軍備を増強する必要がある、という人たちもいる。しかし、戦争を「軍備で持って防ぐ」という発想では、戦争を防ぐことはできない。21世紀に入っても戦争が続いているのだから、歴史が証明していることになるであろう。
 では、どうすればいいのだろうか。
 日本で戦争になったら、どのような事態になるかを想像してみることである。そうするば、日本国憲法第9条の思想がいかに重要であるかがわかるに違いない。
 そこで、みわ明彦さんの想像を紹介する。
 もし、明日、日本が戦争を始めたらどうなるでしょう。石油がなくてどうやって戦闘機を飛ばすのですか。軍艦だって動きません。石油を備蓄しているといってもほんの二、三ヵ月したら使いきってしまうのです。日本には石油だけでなく、鉄、アルミ、ニッケルなど何の資源もないのです。それでどうやって戦うというのですか。あっという間に飛行機一機、船一隻も造ることも補充することもできない状況に陥ってしまうのです。それどころか、武器、弾薬、鉄カブトひとつ作れなくなってしまうのです。
 戦闘機や軍艦だけじゃない、国内の輸送も交通もストップするのです。現代は車社会。自動車がないと生活できない時代になっているのです。ガソリンがなくなればどんな車も動かない。日本国中が大渋滞、交通麻痺が起きるのです。普段、何げなく使っている電気だってなくなるのです。日本には石油に代わるエネルギーがないのですから仕方がないのです。(『世なおしトークあれこれ』、美輪明宏著、パルコエンタテインメント事業局、2007年、p248)
 続けて、それでも「戦争という悪魔を呼び寄せようとするバカな輩が今なお後を絶たない」と、次のように嘆いている。早く目を覚まして欲しいものである。
 戦争を始めたらすぐにこんな悲惨な状態になる、小学生でも簡単にわかる算数なのに、それでも「自衛のために軍隊を作ろう」とか、「ミサイルを撃ってくるなら先制攻撃もやむなし」とか、戦争という悪魔を呼び寄せようとするバカな輩が今なお後を絶たない。(上同、p2(上同、p250)

2023年6月23日金曜日

戦争を起こさせない

 このブログの「今こそ”世界の安定”と”寛容さ”を!」にも書いたことだが、「”対立から和平”へ転換」は、世界の趨勢というべき課題なのかもしれない。というより、世界の叡智を結集して”対立から和平”へ転換していくべきだし、行かなければならない。そして、”対立から和平”へ転換する方法は、「戦争を起こさせない方法」でもある。”対立から和平”へ転換して初めて、戦争を根絶できるからだ。
 私たちは日本国憲法によって、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した。それなら政府は、世界の叡智を結集して、「近隣国との交流を深めるなど、戦争を起こさせない方法を考えることに力を注ぐべき」(朝日新聞デジタル、2023年6月23日)である。しかし、そうした努力を軽視し、もっぱら軍事力に頼り切っている現状は間違いである。絶えず戦禍を招いてしまう危険がつきまとうことになるからだ。だからこそ、繰り返しになるが、どうすれば戦争を防げるか、その方法を考えて、実践していかなければならないのである。

「朝日新聞デジタル、2023年6月23日」

2023年6月22日木曜日

生きること=エントロピーの逆転

 これまで書いてきたエントロピーと生命の本質」や「エンタルピーこそが平和への道」のように、今、エントロピーの理解が、健康、生き方、社会のあり方までを理解するキーポイントではないか、と思い始めている。自然の法則として、無秩序に向かうことをエントロピー増大の法則というのだから、生命現象は、エントロピー増大の法則に逆らうことだと思ってきたのだ。やはり、そうだった。「食べることが、エントロピー増大に抗する力を生み出す」(『生物と無生物のあいだ』、福岡伸一著、講談社現代新書、2007年、p150)ということは、生命現象そのものだからである。
 ハクスレ-も、「生きることはより大きなシステムのなかで一時的なエントロピーの逆転である」(『ハクスレ-の集中講義』、オ-ルダス・著 、人文書院、1983年、p109)と述べているが、同じことである。これらのことを詳しく説明すると、

 生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。なぜなら、その秩序とは、他の生物の情報であったものであり、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。
 とはいえ、シュレーディンガーの省察のうち、食べることが、エントロピー増大に抗する力を生み出すという部分は、彼の意識のレベルにかかわらず、的確なものであった。(『生物と無生物のあいだ』、p150)
 である。しかし、それだけではなかった。
 何と、エントロピーが芸術にも関係していた。生命現象が生み出す「秩序がもたらす美」が存在する、と次のように説明されていたのだ。それに、『エントロピーと芸術 : 秩序と無秩序に関する考察』(R.アルンハイム著、関計夫訳、創言社、1985年)という本まで出版されている。ということは、文化活動一般に”生命力を高める力がある”ことでもあると言えよう。
 員殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。
 動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの規準(クライテリア)がある。そのことを考えるためには、DNAの世紀が開始された一九五〇年代からさらにすこしだけ時間と場所を遡る必要がある。(『生物と無生物のあいだ』、福岡伸一著、講談社現代新書、2007年、p135)

2023年6月21日水曜日

今こそ”世界の安定”と”寛容さ”を!

 マレーシア元首相 マハティール・ビン・モハマド氏の講演記録「戦争は問題解決せず」「世界の安定 寛容さ必要」(日本経済新聞、2023年6月20日)に、これからの日本が進むべき道が示されていた。
 まず、第2次世界大戦後について、「第2次世界大戦後も、欧米が中心の北大西洋条約機構(NATO)と旧ソ連諸国によるワルシャワ条約機構など、敵と味方をつくりながら世界は対立してきた。どちらかが平和ならばよいという考えはやめ、世界全体で安定を求めるべきだ。共通の善のために互いに味方になる必要がある」と、対抗姿勢をやめ、互いに歩み寄ろうと訴えた。
 その具体例として、日本を含む東アジアについて言及し、「日本は不思議だ。米国に原爆を落とされたのに彼らとは友好国で、国内に米軍基地もある。なぜ中国や韓国と(、米国と)同じように親しくなれないのか。日本と中国、韓国には歴史的な問題はあるだろうが、過去に固執せず、今と未来を見据えて外交に臨むべきだ。残虐な歴史ばかりに目を向けると、過去に支配されてしまう」と、今と未来を見据えた和平外交を提案してくれている。その内容は、日本国憲法が指し示している道でもある。
 さらに、世界政府についても提案し、「日本には目標達成の手段として兵力を使わないでほしい。他国も日本をお手本にしてほしい。世界の多くの国に対して戦争を非合法化するよう統治する組織はできないのだろうか。
 世界はいま、気候変動や戦争など共通の課題を抱えている。自国だけで解決することは難しく、各国の協力が必要だ。ただ既存の枠組みには限界がある。国連やG7などの枠組みをアップグレードし、どの国も拒否権を持たない新たな世界政府をつくるべきだ。安定と平和など世界共通の価値も共有したい」と述べている。
 いずれも、素晴らしい提案である。世界には、対立は一時停戦してでも”各国の協力なしには解決できない難問”が山積みしている。だからこそ、まずはその難問に目を向け、”対立から和平”へ転換していくことが急務になってきているといえよう。

2023年6月20日火曜日

知識の活性拡散モデル

 これまで、多くのことを学んできた。だが、今一つ、何かが欠けている気がしてきた。このブログでも明らかなように、学んだ多くのことが、なんの脈絡もなく、時系列に並べられているだけになっている。それぞれの情報は、脳内のニューロンにように複雑に絡み合ってこそ、生きてくるのに、私の情報は、そうなっていない。このことが、今の私に最も欠けていることだったのだ。
 放送大学教科書『より良い思考の技法』で出会った「知識の活性拡散モデル」を知って、これこそ、私が求めていたもの、と直感したのである。つまり、「新しい知識や概念の学習とは、ネットワーク構造の中に新しいノードを組み込み、知識構造を作り変えていくこと」だったのに、単発的な情報を仕入れるだけで満足してしまったのだ。救いは、幾らかは文章化の過程でまとめることができたことである。
 それにしても、「知識の活性拡散モデル」はよくできている。問題は、このモデルを実践でどのように応用できるかであろう。今後の課題である。

 人の知識(長期記憶)が、頭の中でどのように整理・保存されているかは、認知心理学の初期から取り組まれてきた重要な研究テーマの一つである。最も代表的な意味ネットワーク・モデルでは、意味的に関連性が強かったり連想関係にあったりする知識や概念がそれぞれリンクによって結ばれたネットワーク構造になっていると考えられている。このモデルでは、ある知識や概念(ノード)が想起されたり使用されたりすると、そのノードが活性化し、その活性化がリンクで結ばれた近くのノードに波及する。すると、それらのノードも活性化されて想起や利用可能性が高まる現象(プライミング)が生起する。そのためこのモデルは活性化拡散モデルと呼ばれる(図15-2)。
 このネットワークモデルにもとづけば、新しい知識や概念の学習とは、ネットワーク構造の中に新しいノードを組み込み、知識構造を作り変えていくこととしてとらえられる。知識が別のさまざまな知識と結ばれた状態を記憶の精緻化と呼び、互いに一定のまとまりに整理されることを記憶の体制化と呼ぶ。精緻化された知識は、一つの知識が関連知識と意味をもって結びついているので、さまざまな手がかりから情報が引き出される想起可能性が高まる。(放送大学教科書『より良い思考の技法』、p 287~289、強調は引用者による)

2023年6月19日月曜日

彫刻家(作家)はいのちを生む

 今、朝日新聞連載小説「今村翔吾著『人よ、花よ、』」を読んでいるが、文章を読んだだけで登場人物である茅乃の気品、気丈さ、艶やかさが感じられ、不思議に感じていた。
 茅乃は多聞丸に、「帝(みかど)の守り」をお願いに来ていた。しかし、一度は断るが、298回の、茅乃が多聞丸に多聞丸に食い下がるあたりが圧巻だった。

 「今、確かに帝は危うい状況なのだろう。だがそれは廷臣たちが招いた事態であり、彼らの手によって解決すべきことと存じます」
 多聞丸は落ち着いた口調で突き放した。故に楠木が巻き込まれる所以(ゆえん)はない。楠木が新たな道を進もうとしている今、関わるべきではないとも考えている。
 茅乃はまた項垂(うなだ)れた。重苦しい雰囲気が場に漂う。此度(こたび)のことは聞かなかったことにしてお送りしましょう。そう言い掛けた時、茅乃がか細い声で話し始めた。
「もし……もし、とある百姓が今まさに賊に襲われているとします」
「何の話を……」
「お聞きください」
 言い掛ける最中、茅乃は顔をさっと上げた。その瞳は潤んでおり、木窓から差し込んだ夕陽(ゆうひ)がそれを輝かせる。
「ああ、聞こう」
 多聞丸は思わず素直に応じた。(298回)
 ちょうど、私の疑問に答えてくれる文章「彫刻家はいのちを生む」を見つけた。作家は、彫刻家(芸術家)のように「いのちを生む」ようである。だからこそ、生き生きとした描写となって、素敵な女性(人物)像を描き出してくれているに違いない。
 人は意識だけでなく、いわゆる無意識を活発に働かせながら書くからである。さらにいえば、意識が無意識とつながったとき、真の意味で「書く」ことが始まるとすらいえるように思う。
(中略)
 光太郎の彫刻に魅了されるのは、彫刻の形や姿が美しいからだけでなく、そこに生じた不可視ないのちの実在にふれるからなのではないか。彫刻家はいのちを生む。(若松英輔著、「書くとは~高村光太郎と内村鑑三」、日本経済新聞、2023年6月10日)

2023年6月18日日曜日

第9条は”世界の救世主!”

 日本国憲法第9条は、世界の救世主である。
 だからこそ、日本国憲法第9条よ、世界に広がっておくれ!

 The Article 9 of the Constitution of Japan is the savior of the world.
 That is why, Article 9 of the Constitution of Japan, spread throughout the world!
Article 9 of the Japanese Constitution(日本国憲法第9条)

1、Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.

2、In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

以下は、AIによる翻訳

 国際的な正義と秩序に基づく国際平和を真摯に願い、日本国民は永遠に戦争を国家の主権として放棄し、脅威や武力行使を国際紛争の解決手段として使用しないことを宣言します。

 前段落の目的を達成するために、陸海空軍およびその他の戦力は一切保有されません。国家の交戦権は認められません。」

2023年6月17日土曜日

柄谷行人思想の限界・2

 柄谷行人がバーグルエン賞を受賞したという著書『力と交換様式』をさっと読んでみた。やはり不満が残る。議会制民主主義を否定しているように取れるし、待っていれば、理想的な社会「Dが必ず到来する」という楽観論にも取れるからだ。
 何よりも、「それは、専制的体制によってではなく、民主主義、すなわち多数決にもとづく規制として実行されるものであり」というように民主主義を「多数決にもとづく規制」というように、一面的に捉えているのも問題がある。民主主義とは、民主主義革命と言われることもあるように、もっと内容が豊かであり、市民による絶えざる革新も含まれるし、国民主権、主権者としての自覚も含まれるからだ。だからこそ、民主主義が発展すれば、民主主義の力は、<資本の力=人間の意志をこえた「力」>に必ず勝つ、そう私は信じている。

 議会制民主主義を通して、国家の力を制限しつつ、同時に資本主義を制御しようという考えが、一般に行き渡るようになった。これは本来、エンゲルスが「科学的社会主義」を唱えたとき抱いていた見方であるが、のちに、社会民主主義と呼ばれるようになったものである。しかし、このような考えには本来、限界がある。それは、国家や資本主義経済を、人々の自由な意志によって制御できるものであるかのように見なしている。しかし、交換様式の観点からみれば、CやBは、人間の意志をこえた「力」をもつ。民主主義的な国家体制において、人々は、自由になったと考えているが、CやBの「力」に対して、一層屈的になったにすぎない。そして、そのことに気づきもしない。しかも、それが"科学的"な見方だと考えている。『力と交換様式』、柄谷行人著、岩波書店、2022年 p393

 エンゲルスがかつて考えたように、Aの限界を一先ずB、すなわち、国家権力によって超えることが「科学」的だとみなされることになる。もちろん、それは、専制的体制によってではなく、民主主義、すなわち多数決にもとづく規制として実行されるものであり、それによってCが抑えられた暁には、Bは不要となって自然に消滅するだろう、と考えられている。しかし、実は、そうはならないのだ。Cは制限されても、Bは残る。また、Aもそこに取り込まれる。具体的にいえば、ネーション=国家が存続する。その結果として、Cもやがて復活する。その結果、資本が存続することになる。(上同、p394〜395)

 そこで私は、最後に、一言いっておきたい。今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、"Aの高次元での回復"としてのDが必ず到来する、と。(上同、p396)

2023年6月16日金曜日

初めてのChatGPT

 ChatGPTが盛んである。どんなものか、よくわからず触りもしなかった。しかし、雑誌の「ChatGPT特集」を読んで、試してみる気になった。上手に質問すれば、英語の学習の先生にもなるとあり、例えば、直接知りたい英文の文法解説もしてくれる、とあったからだ。
 そこで、「ChatGPTの始め方」に従ってアカウント登録をしてから、絵本の英文を示して、<「There's a bit I`ll have to mend.」の訳と文法解説をお願いします。>と打ち込んでみた。すると、次のように、ちゃんと解説してくれた。大したものである。
「There's a bit I'll have to mend.」は、「直さなければならない部分がある」という意味です。
 この文の主語は「There」であり、be動詞「is('s)」と組み合わさっています。「bit」は「少し」という意味で、ここでは具体的な対象を指しています。「I'll」は、「I will」の短縮形で、将来の意味を持つ動詞「mend」(直す)と組み合わさっています。
 この文の文法解説を行うと、以下のようになります:

• 「There is」: 「There is」は英語の文法において、存在を示すための表現です。この場合、「is」は単数形であり、主語「bit」に合わせています。もし複数形の主語が使われる場合は、「There are」が使われます。
• 「a bit」: 「a bit」は「少し」という意味で、非常に一般的な表現です。
• 「I'll have to mend」: 「I'll have to mend」は、「直さなければならない」という意味です。ここで、「I'll」は「I will」の短縮形であり、将来の意味を持ちます。「mend」は動詞で、「直す」という意味を持ちます。

したがって、全体としては「There's a bit I'll have to mend.」は、「直さなければならない部分が少しある」という意味になります。

2023年6月15日木曜日

柄谷行人思想の限界

 雑誌『文學界』(2023年7月号)記事「柄谷行人 バーグルエン賞授賞式での挨拶」を読んで初めて、「哲学のノーベル賞」を目指して創設されたというバーグルエン賞の存在と、柄谷行人氏がバーグルエン賞を受賞したことを知った。『力と交換様式』(柄谷行人著、岩波書店、2022年)で集大成された仕事が認められたようである。
 結論的なことを示すと、
資本主義の構造と力、呪力、権力、資本の力が結合した「資本=ネーション=国家という結合体は、二一世紀の今日においても支配的であり、(中略)そしてこれは、致命的な欠陥 —— 戦争・貧困・差別など —— を伴うシステム」(上同、p238〜239)だという。ここまではいい。しかし、「これらの力を克服するのは極めて難しい」(『文學界』、2023年7月、p239)と言って、真の解決策が示されていない。
 では、どのような解決策が示されているのか。
 これらを超える力として、交換様式Dを考えた。が、われわれの意志によって実現できるものではない。われわれが意識的に実現できるのは交換様式Aだけです。
 私はこう書いたのです。「Dは、向こうからやってくる」と。(上同、p239)
 結論を知って、正直がっかりした。そんな消極的でいいのか、と。それに、「意識的に実現できるのは交換様式Aだけ」というのもおかしい。言っていることが矛盾している。交換様式Aの真の力は、”霊的な力、すなわち、人間の意志を超えた「力」”(上同、p238)のはずだからである。
 それでは、真の解決策はどうあるべきなのか。
 それは、交換様式Aの真の力の大きさを知り、それに対抗できるだけの、あらゆる力を意識的に結集していくことである。「万国の意志は団結せよ」である。人間の意志を信じたい。

2023年6月14日水曜日

自然・自己一元の生・2

 斎藤茂吉は、「自然・自己一元の生を写す、これが短歌」だと言っていることは昨日書いた。すると、偶然にも、ゴッホも同じようなことを言っていたことを知った。
「まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる日本人」に憧れ「日本と同じ南仏」アルルへ引っ越し、芸術家のユートピアを夢見て黄色い家をひまわりの絵で飾り、ゴーギャンを招いた。そして事件は起きた。(視覚デザイン研究所編集長 早坂優子著、日本経済新聞コラム「美の十選」(2023年6月14日)「名画の中の絵画(4)ファン・ゴッホ「耳に包帯をした自画像」)
 この記述によれば、文学だけでなく、芸術の分野においても、「自然・自己一元の生」というのがあるらしい。それだけでない。このような日本文化の特質は、日本人でなくても感銘を与えていることになり、それだけ普遍性があることを意味している。
「耳に包帯をした自画像」には、背景の中に浮世絵が描かれている。だから、「この作品は浮世絵(日本人)と一体になりたかった心情が読める」(上同)という。そう言われると、この絵の観方も変わるかもしれない。

耳に包帯をした自画像


2023年6月13日火曜日

自然・自己一元の生

 美術館に展示されていた、明治時代の雑誌『アララギ』復刻版で、斎藤茂吉の「短歌に於ける『写生』の説」を読んできた。そして、「虚叙(抽象的)は理性に訴えること多く、実叙(具象的)は、ほとんど全く感情に訴えるもの」(5号、p15)と「辛苦に満ちた人生に清らかで喜びにあふれた自然という存在を一体化させるのが人間の理想と考え、実相に観入して自然・自己一元の生を写す、これが短歌なり」(9号、p12)をメモしてきた。
 人間の認識過程における抽象化(具象化)概念について、「理性に訴える(感情に訴える)」と捉える見方は、とても新鮮だった。抽象化の深度というのがあるとすれば、深度が深くなるほど、つまり、抽象化されるほど、理解が難しい理由が、これで分かった。逆に、徐々に抽象化を進めていけば、理解が進むということもわかってきた。
 また、「自然・自己一元の生を写す、これが短歌」であるという説は、俳句にも言えることであろう。「青蛙負けるな一茶ここにあり」という俳句も、そこに自然と自己が”一元化”されている。「自然・自己一元の生」とは、よく言ったものである。
 後で分かったことだが、斎藤茂吉の「短歌に於ける『写生』の説」は、斎藤茂吉全集14巻で読めるし、彼の随筆も、全集で読めるようだ。一度ゆっくり読んでみたい。

2023年6月12日月曜日

死の恐怖から人を解き放つ

 少食について、若い頃より関心を持ちながら、何度も挫折を繰り返してきた。半月ほど前の旅行でも、バイキングでたらふく食べてきた。どうしても食の誘惑には弱かったといえよう。
 もう、後期高齢者になってしまったが、また、少食に傾いてきた。『無病法 極少食の威力 102歳を生きた偉大なルネサンス人ルイジ・コルナロの食生活と教訓』(ルイジ・コルナロ著、中倉玄喜編訳・解説、PHP研究所、2012年)を紹介されて読んだからだ。
 これまでにない、魅力的な少食の効果があった。「死の恐怖から人を解き放つ」ということである。死を前にすると、人は宗教に救いを求める。そいうものかな、とも思ってきた。しかし、少食という手段も、死の不安を取り除いてくれるらしい。魅力的である。
 あとは実践あるのみ。
 真にまことに、聖なるかな、摂食よ!
 汝、摂食こそ、
  人をして長寿ならしめ、
  その智慧を磨かししめ、
  そしてその智慧より、みずからを官能の罠より救わしむ。
 また汝は、
  死の恐怖から人を解き放つ。
  汝あればこそ、人はこの世の妙なるを知る。(『無病法 極少食の威力 102歳を生きた偉大なルネサンス人ルイジ・コルナロの食生活と教訓』、p70、引用者によって、一節を詩的に表現したもの)

 同じような少食の参考書は次のとおり。 

『「空腹」こそ最強のクスリ』、青木厚著、アスコム、2019年
 睡眠時間を合わせて「1日16時間食べない」だけで、細胞内の悪いタンパク質や感染症を引き起こす病原菌が掃除され、全身の細胞がみるみる修復! がんを克服した医師が実践する、超簡単健康法を紹介する。

『できる男は超少食 空腹こそ活力の源!』、船瀬俊介著、主婦の友社、2015年
 小腹が減ってもすぐ食うな。3時間の空腹が頭と体をキレッキレに研ぎ澄ます! 頭が冴える、集中力がアップするなど、「少食」のさまざまな効果を明らかにし、挫折しない「少食」の実行法、おすすめの食事などを紹介する。

『3日食べなきゃ、7割治る! 「空腹」こそが最高のクスリ』、船瀬俊介著、ビジネス社、2018年
 腹八分で医者いらず、腹六分で老い知らず! 「自然治癒力を呼び覚ます」「遺伝子を活性化する」など空腹がもたらす利点を紹介。さらに、病気を癒す笑いや筋トレの効果も解説する。

2023年6月11日日曜日

慈こそが、世に最も必要なもの

 美術館に行って、ジョルジュ・ルオー作「母たちに忌み嫌われる戦争」の前に立ったとき、この絵にふさわしい言葉として、「慈(いつくしみ)」という言葉を思い出した。ちょうど新聞の連載小説で、「慈」という言葉のことを知ったばかりだからかもしれない。「慈」に関する部分を引用すると、
「ええ、常々、儒家の口にする、仁、義、礼、智(ち)、信、忠、孝、悌(てい)の八徳には、大事なものが欠けていると思っておりました」
「欠けている?」
「欠けているというより、あるいは、その上に立つものがあると言えばよいかとも思います」
「それが慈だと」
「はい、この慈こそが、世にもっとも必要なものと思えます。生きとし生けるものにあまねく慈が降りそそぎ、あらゆる者の心から慈が湧き出れば、世はこの上なく太平になりましょう。小糸殿には、この慈の心が豊かにあったのだと思われます」
 五常八徳の上に立って世をあまねく照らすべきものが慈の心だという。(沢木耕太郎著『暦のしずく:34 第三章・夜講〈七〉』、朝日新聞、2023年6月10日)
 つまり、「世をあまねく照らすべきものが慈の心」で、「あまねく慈が降りそそぎ、あらゆる者の心から慈が湧き出れば、世はこの上なく太平に」なるだろうというのだ。なんとも素晴らしい。戦争の指導者にも、「あまねく慈が降り」そそいでもらいたいものである。

ジョルジュ・ルオー作「母たちに忌み嫌われる戦争」

2023年6月10日土曜日

”コモン”= ”みんなの所有(もの)”

 5巻もある『石の花』を流し読みで読み終えた。「戦争を本気で憎み、心から平和を願わなければ・・・」(『石の花・4』、坂口尚著、KADOKAWA、2022年、p15)など、『石の花』は、戦争を描きながら、心から平和を願って描かれた著書であることがよくわかった。
 だが、それだけでなく、あるべき未来社会を暗示しているところもあった。そして、この部分こそこの著書の心臓部ではないか、とさえ思えた。「あの橋を町の一人が一人じめしたら困るでしょう。みんなの所有(もの)で誰でも利用できるから不満は出ず、対立も起こらないんです」(上同、p18)というところであり、ここの”みんなの所有”というのが、斎藤幸平さんの中心概念とも言える”コモン”に相当すると思えたからである。
 これまで、斎藤幸平さんの経済学を学習してきたが、”コモン”という概念が漢字でないため、わかりにくいという意見が出されていた。その点、”みんなの所有”という概念はわかりやすい。斎藤幸平さんの本を読むとき、”コモン”のところを、 ”みんなの所有”と置き換えて読み直してみたい。



2023年6月9日金曜日

”江戸城無血開城”に学ぼう

 ウクライナにおける戦闘状態は、終わる兆しが全くない。ウクライナに対する兵器の援助が継続されているからだ。果たして、これでいいのだろうか。ロシアは、確かに悪い。だからと言って、軍事力による反撃だけが真の解決策とは言えない。命をかけてでも守るべきものあるとは思えないからである。だから、マンガ『石の花・2』のセリフ「人を殺したら、ドイツ軍と同じになってしまう」を読んだとき、「ウクライナ兵が人を殺したら、ロシア軍と同じになってしまう」と思えてきた。
 日本の歴史に、勝海舟がとった政策によって成し遂げた「江戸城の無血開城」というのがある。ウクライナは、こうした歴史に学ぶべきである。一時的に被るであろう”屈辱”よりも、ウクライナ人の、あるいはロシア人の人命の方が遥かに価値があると思うからである。マンガも、ロシアとウクライナに置き換えて読んでみると、そう思えてくる。
クリロ:ゲリラ(ウクライナ軍)は迫害者(侵略者)じゃない!
イザーク:でも、人を殺したら、ドイツ軍(ロシア軍)と同じになってしまう。
イザーク:暴力に暴力で向かってしまったら
「『石の花・2』、坂口尚著、KADOKAWA、2022年、p67」より

2023年6月8日木曜日

何が何でも”戦争だけ”はしちゃいけない

 朝日新聞コラム「折々のことば」(2023年6月7日)に「何が何でも、戦争だけはしちゃいけない」(黒澤明)が取り上げられていた。鷲田清一の解説に
 いったん戦争が始まってしまうと、虫も殺せなかった人が「鬼の形相」で人を殺(あや)める。恐怖の連鎖の中でついに「人間が人間でなくなる」。そういう深い傷から立ち直るまでに、「さらに世代を超えて累々と悲しみは続くんだよ」と語っていたと。黒澤和子の『黒澤明「生きる」言葉』から。
 とあった。早速、『黒澤明「生きる」言葉』を予約した。もっと、黒澤明さんの声を聞きたくなったからだ。
 そういえば、武谷三男さんが「ひとたび戦争が起れば(米軍の)最前線基地(日本)は完全に廃墟となってしまう」と、次のように書いている。だからこそ、「何が何でも”戦争だけ”はしちゃいけない」のである。
  日本は、米国の重要な最前線基地である事は世界中は認めている通りである。(中略)われわれがよく考えておかねばならぬことは、兵器技術の進歩の今日の段階では、ひとたび戦争が起れば最前線基地は完全に廃墟となってしまうことである。(「”基地日本”」『武谷三男現代論集・2 核時代』、勁草書房、p114〜116)

2023年6月7日水曜日

大革新 序言
 我々は自分みずからについては語らぬ。しかしここで論じられる事柄については、諸人がこれを単なる意見としてではなく、一つの重要な仕事と解し、また我々の意図するところは、一学派の創設や任意な学説の確立ではなくて、実に人類の広大な福祉の建設にあるということを信じて頂きたい。また諸人が各自の利益を思念し、⋯⋯一般の福利を考慮し、⋯⋯この仕事に親しく参与して頂きたく思う。
 更にまた諸人は安んじて、我々の革新を何か無際限な、また超人間的な事柄と見なさざらんことを切に望みたい。この革新こそ、実に限りなき謬見の終りにしてかつその正当な限界だからである。(ヴェルラムのベーコン)
 哲学者カントには『純粋理性批判』という難解と言われている著書がある。同時に、『永遠平和のために』という著書もある。一見すると関係がなさそうに見える二冊だが、共通の意図を見出すことができた。「大革新 序言」と題された”ヴェルラムのベーコン”の言葉「我々の意図するところは、・・・実に人類の広大な福祉の建設にある」というものだ。「人類の広大な福祉」というものは、永遠平和があってこそ実現可能だからである。
 この事実を知って、難解な『純粋理性批判』に対する興味を再び抱いたが、同時に、何をするにも「人類の広大な福祉」という高邁な理想を忘れてはいけない、という思いも湧き上がってきた。しかし現実は、ロシアのような国に攻められてらどうする、と言った理想とは程遠い思念が支配的になっている。だからこそ、「人類の広大な福祉」という高邁な理想を掲げ続ける必要がある。

2023年6月6日火曜日

作られた空気に抗して

 いまも、世界のあちこちで戦争が続いている。
 戦争をする国の支配者は、「自分の戦争は正義の戦いだ」と言って、新聞やラジオやテレビに国が発表した通りのことを伝えさせる。そのため、「戦争の最初の犠牲者は真実だ」と言われるくらい、国民に本当のことは伝わらなくなる。その上、戦争に反対する人は捕まるから「こんな戦争はおかしい、やめよう」と思った人がいても、言うのは命がけになる。
 国民が言いたいことを言えないように支配者がするのは、その方が都合がいいからだ。つまり、国全体が賛成していることにして、戦争を続けることができるということである。

 かつての日本も、そうだった。
 本当は戦争に負けていたのに、国は「勝ち続けている」という嘘の情報を発表し続け、新聞やラジオも国が発表した通り伝えた。その嘘のニュースを信じて、多くの日本人は浮かれていた。
 そういう時の空気はとても恐ろしい。集団で興奮して感情的になるからだ。そうして、国のために力を合わせて戦うのが正義、戦わないなんて日本人じゃない、という支配者のねらい通りの空気ができあがる。
 すごいのは、そんな 空気のなかで戦争に反対した人が少数でもちゃんといたことだ。でも彼らは捕まった。「国のすることに反対する意見を言ってはいけない」という法律があったからである。
 結局、「正しい情報」もなく、「少数意見を大事に」することもなく、多数決はどんどん間違って日本の戦争は悲惨な終わりをむかえた。(『「くうき」が僕らを呑みこむ前に 脱サイレント・マジョリティー』、山田健太・たまむらさちこ作、理論社、2023年、p60〜63を基に、接続詞を加えるなどして編集して紹介する)
 ここに、戦時中の”戦争賛美の空気”が簡潔に述べられている。それでは、現代社会には、”空気なるもの”は存在しないのだろか。残念ながら、今でも存在している。安保容認論などは典型的な”空気”と言って良い。しかし、まだ自由はある。今のうちに、作られた空気に抗していくことが求められている。

2023年6月5日月曜日

亡国の大軍拡に歯止めを!!

 わずか5年で軍事費を2倍化ー。亡国の岸田大軍拡が狙われています。
 戦力不保持を明記した新憲法の下、日本の軍事費はいったんゼロになりましたが、米占領軍の要求で1950年、自衛隊の前身である警察予備隊が発足。軍事費が復活します。
 60年の安保条約改定で日米共同作戦条項が加わり、軍拡に道が開かれますが、「他国の脅威にならない」という方針の下、軍事費の「GNP(国民総生産―現在のGDP)1%枠」が設けられます。87年に撤廃されますが、60年代から80年代にかけて、日本経済は成長を続け、軍事費が増えても「1%枠」は実態として維持されてきました。しかし、第2次安倍政権下、米国の高額武器"爆買い"で軍事費が過去最大を更新。さらに「すべての同盟国は国防費をGDP比2%以上にしろ」という米国の要求に応じるため、岸田政権が異次元の大軍拡に踏み切ったのです。90年代以降の日本は「失われた30年」といわれ、主要国で唯一、経済成長が止まっています。そうした中での異常な大軍拡が破滅的な影響をもたらすことは明らかです。(『しんぶん赤旗』、2023年3月1日)
 冒頭の「亡国の岸田大軍拡が狙われています」という文は、文法的におかしいところがある。誰に狙われているか、の”誰に”が抜けているからである。自明だからだとしても、”米国”に狙われている、と書くべきである。つまり、次に示すように、戦後一貫して、米国に狙われてきただけでなく、米軍への”思いやり予算”のような自覚的隷従によっても、軍事費増に拍車がかけられてきたといえよう。そして、軍事費の推移(グラフ1)のような軍事費増によって、教育予算(グラフ2)など文化予算が圧迫されてきたことも深刻に受け止め、亡国の大軍拡に歯止めをかけなくてはいけない。

 1950年、警察予備隊が発足し、軍事費が復活
 1978年、米軍への”思いやり予算”開始
 1987年、GNP(国民総生産―現在のGDP)1%枠撤廃
 2013年頃、第2次安倍政権下、米国の高額武器"爆買い"で軍事費が過去最大を更新
 2022年、「すべての同盟国は国防費をGDP比2%以上にしろ」という米国の要求に応じ、岸田政権が異次元の大軍拡

2023年6月4日日曜日

”謙虚さがすべて”である

 傲慢は断定を生み、誤った断定は命を奪う。名医などいない。謙虚な姿勢で病を知ろうとする医者。謙虚な姿勢で人を知ろうとする医者。謙虚な姿勢で自然を知ろうとする医者。謙虚さがすべてだ。
 医者は聡明さよりも深みを持つべきだ。深みを持て。
 骨に刻み、血に流れるようにせよ。(「女医の見習いチャングムに対し諭す指導教官の言葉」韓国ドラマ『チャングムの誓い』、2023年6月1日放送)
 医師をめざす者に対する心構えのような言葉だが、すべての人間が生きていく上で大切な心構えでもある。つまり、専門知識だけでなく、人間一般や広く科学を知ろうとする謙虚さが必要ということである。謙虚さに欠け、傲慢になってしまうと、断定を生み、その断定が向上心を奪ってしまうからだ。
 指導教官の「骨に刻み、血に流れるようにせよ」という言葉も骨身に応えた。記憶というものの重要性を語った言葉と受け止めたからだ。古代ギリシャのエピクロスも、「われわれは全般的な原則に立ち帰り、たえずこれを十分に記憶にとどめ、それによって事物にかんする最も重要な把握が得られる」(『エピクロス』、岩波文庫、1991年、p9)と記憶の重要性を語っている。苦手にしているだけに、心して身につけるべく励みたいものである。

2023年6月3日土曜日

憲法9条を死なせてなるものか

「憲法9条は死んだ」という見方も出ているが、樋口さんはどう考えているのだろうか。答えは明快だった。
 「条文は勝手に生きたり死んだりはしない。理念と現実の間の緊張に疲れて理念を捨てるのか、理念と現実の開きを前にしてなお理念を現実に近づけようとするのか。公共社会を作っている主体である私たち一人ひとりの意思が、ずっと問われ続けてきた」
 樋口さんが問いかけたのは、憲法を機能させるのはだれかという問題だ。
 「憲法とはお月様のようなものだ」と知り合いの憲法学者に聞いたことがある。月のように自分では光を発しない。しかし、光をあてれば輝く。条文を生かすのは、私たちの意思次第であるということだ。(朝日新聞夕刊、2023年5月29日「取材考記 9条の理念と現実 憲法、輝かせるのは私たち 豊秀一」)
 元内閣法制局長官・阪田雅裕さんが「憲法9条は死んだ」と朝日新聞(2023年4月14日)で語ったことを知ったとき、「それはない、もし、本当に”憲法9条は死んだ”なら、憲法改正など必要ないことになるではないか」と思ったが、きちんと反論するだけの力はなかった。それだけに、樋口さんの「条文は勝手に生きたり死んだりはしない」という言葉には勇気づけられた。「そうだ、そうだ」と。そして改めて「人類の宝でもある憲法9条を死なせてなるものか!」と思った。

2023年6月2日金曜日

再生エネルギーの可能性あり

 朝日新聞夕刊コラム「素粒子」(2023年6月1日)で、別名「原発推進法」のことを取り上げ、「事故に学ばず、安全神話復活。非現実的な原発利用計画付き」と評していた。原発を60年も延命させるというのだ。古くなればなるほど、事故の確率が高くなるであろうことは、素人でも容易に想像がつく。

 翻って、ドイツではどうか。
 グラフのように、福島での事故に学んで、全原発停止が実現している。何という違いだろう。ドイツでの経験は、脱原発はやればできることを教んてくれている。ドイツは日本の経験を学んだように、日本はドイツに学ぶべきであろう。
すいよう特集 | 『しんぶん赤旗』2023年4月19日号」より

2023年6月1日木曜日

生き残りのための指針

われわれは兄弟姉妹として
生きていくことを
身につけなければならない。
さもなければ、
愚者としてみな一緒に滅びてしまう。
マーチン・ルーサー・キング2世

 いまやわれわれは、第3一千年期のはじまりと日本国憲法の公布と施行の50周年を迎えている。このときにあたり、地球上これ以上有意義な戦争放棄条項はありえず貴重な宝物である、憲法9条に敬意を払うことはきわめて時宜を得たものである。憲法9条こそお互いにとっての「生き残りのための指針」たりうるからである。(『地球憲法第九条』、チャールズ M.オーバビー∥著、講談社インターナショナル、1997年、p26)
 日本国憲法第9条について、「生き残りのための指針」こそ、最強で最適な説明である。 われわれ地球市民として生き残れるかどうかの瀬戸際に立たされているからだ。
 これまでのようにいつまでも対立を続けていけば、いつかは、キング牧師が言うように「愚者としてみな一緒に滅びてしまう」ことは目に見えている。日本国憲法第9条を指針とし、「兄弟姉妹として生きていくことを身につけなければならない」のである。戦争などしている場合ではないことに気づかなければならない。