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| (《藁ぶき屋根の家のある風景・1921年》「ブルターニュの光と風」より) |
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| (《ポン=タヴァンの風景・1888-89年》「ブルターニュの光と風」より) |
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| (《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち・1896年頃》「ブルターニュの光と風」より) |
「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
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| (《藁ぶき屋根の家のある風景・1921年》「ブルターニュの光と風」より) |
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| (《ポン=タヴァンの風景・1888-89年》「ブルターニュの光と風」より) |
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| (《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち・1896年頃》「ブルターニュの光と風」より) |
戦後、日本人の健康は飛躍的に伸びてきた。百寿者の数も年々増えてきている。栄養状態が良くなってきたことが大きな要因であることは間違いないであろう。その中でも、やはりタンパク質の充足が大きかったであろうことの理由がよくわかった。エネルギー源の栄養素はたくわえることができるのにたいし、タンパク質は、絶えず充足してなければならなかったのだ。
例えば、
私たちが仮に断食を行った場合、外部からの「入り」がなくなるものの内部からの「出」は継続される。身体はできるだけその損失を食い止めようとするが「流れ」の掟に背くことはできない。私たちの体タンパク質は徐々に失われていってしまう。したがって飢餓による生命の危険は、エネルギー不足のファクターよりもタンパク質欠乏によるファクターのほうが大きいのである。エネルギーは体脂肪として蓄積でき、ある程度の飢餓に備えうるが、タンパク質はためることができない。(『生物と無生物のあいだ』、福岡伸一著、講談社現代新書、2007年、 p163)
もし、明日、日本が戦争を始めたらどうなるでしょう。石油がなくてどうやって戦闘機を飛ばすのですか。軍艦だって動きません。石油を備蓄しているといってもほんの二、三ヵ月したら使いきってしまうのです。日本には石油だけでなく、鉄、アルミ、ニッケルなど何の資源もないのです。それでどうやって戦うというのですか。あっという間に飛行機一機、船一隻も造ることも補充することもできない状況に陥ってしまうのです。それどころか、武器、弾薬、鉄カブトひとつ作れなくなってしまうのです。
戦闘機や軍艦だけじゃない、国内の輸送も交通もストップするのです。現代は車社会。自動車がないと生活できない時代になっているのです。ガソリンがなくなればどんな車も動かない。日本国中が大渋滞、交通麻痺が起きるのです。普段、何げなく使っている電気だってなくなるのです。日本には石油に代わるエネルギーがないのですから仕方がないのです。(『世なおしトークあれこれ』、美輪明宏著、パルコエンタテインメント事業局、2007年、p248)
戦争を始めたらすぐにこんな悲惨な状態になる、小学生でも簡単にわかる算数なのに、それでも「自衛のために軍隊を作ろう」とか、「ミサイルを撃ってくるなら先制攻撃もやむなし」とか、戦争という悪魔を呼び寄せようとするバカな輩が今なお後を絶たない。(上同、p2(上同、p250)
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| 「朝日新聞デジタル、2023年6月23日」 |
生物は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。なぜなら、その秩序とは、他の生物の情報であったものであり、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。である。しかし、それだけではなかった。
とはいえ、シュレーディンガーの省察のうち、食べることが、エントロピー増大に抗する力を生み出すという部分は、彼の意識のレベルにかかわらず、的確なものであった。(『生物と無生物のあいだ』、p150)
員殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる美である。
動的な秩序。おそらくここに、生命を定義しうるもうひとつの規準(クライテリア)がある。そのことを考えるためには、DNAの世紀が開始された一九五〇年代からさらにすこしだけ時間と場所を遡る必要がある。(『生物と無生物のあいだ』、福岡伸一著、講談社現代新書、2007年、p135)
人の知識(長期記憶)が、頭の中でどのように整理・保存されているかは、認知心理学の初期から取り組まれてきた重要な研究テーマの一つである。最も代表的な意味ネットワーク・モデルでは、意味的に関連性が強かったり連想関係にあったりする知識や概念がそれぞれリンクによって結ばれたネットワーク構造になっていると考えられている。このモデルでは、ある知識や概念(ノード)が想起されたり使用されたりすると、そのノードが活性化し、その活性化がリンクで結ばれた近くのノードに波及する。すると、それらのノードも活性化されて想起や利用可能性が高まる現象(プライミング)が生起する。そのためこのモデルは活性化拡散モデルと呼ばれる(図15-2)。
このネットワークモデルにもとづけば、新しい知識や概念の学習とは、ネットワーク構造の中に新しいノードを組み込み、知識構造を作り変えていくこととしてとらえられる。知識が別のさまざまな知識と結ばれた状態を記憶の精緻化と呼び、互いに一定のまとまりに整理されることを記憶の体制化と呼ぶ。精緻化された知識は、一つの知識が関連知識と意味をもって結びついているので、さまざまな手がかりから情報が引き出される想起可能性が高まる。(放送大学教科書『より良い思考の技法』、p 287~289、強調は引用者による)
「今、確かに帝は危うい状況なのだろう。だがそれは廷臣たちが招いた事態であり、彼らの手によって解決すべきことと存じます」
多聞丸は落ち着いた口調で突き放した。故に楠木が巻き込まれる所以(ゆえん)はない。楠木が新たな道を進もうとしている今、関わるべきではないとも考えている。
茅乃はまた項垂(うなだ)れた。重苦しい雰囲気が場に漂う。此度(こたび)のことは聞かなかったことにしてお送りしましょう。そう言い掛けた時、茅乃がか細い声で話し始めた。
「もし……もし、とある百姓が今まさに賊に襲われているとします」
「何の話を……」
「お聞きください」
言い掛ける最中、茅乃は顔をさっと上げた。その瞳は潤んでおり、木窓から差し込んだ夕陽(ゆうひ)がそれを輝かせる。
「ああ、聞こう」
多聞丸は思わず素直に応じた。(298回)
人は意識だけでなく、いわゆる無意識を活発に働かせながら書くからである。さらにいえば、意識が無意識とつながったとき、真の意味で「書く」ことが始まるとすらいえるように思う。(中略)光太郎の彫刻に魅了されるのは、彫刻の形や姿が美しいからだけでなく、そこに生じた不可視ないのちの実在にふれるからなのではないか。彫刻家はいのちを生む。(若松英輔著、「書くとは~高村光太郎と内村鑑三」、日本経済新聞、2023年6月10日)
Article 9 of the Japanese Constitution(日本国憲法第9条)1、Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
2、In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.以下は、AIによる翻訳
国際的な正義と秩序に基づく国際平和を真摯に願い、日本国民は永遠に戦争を国家の主権として放棄し、脅威や武力行使を国際紛争の解決手段として使用しないことを宣言します。
前段落の目的を達成するために、陸海空軍およびその他の戦力は一切保有されません。国家の交戦権は認められません。」
議会制民主主義を通して、国家の力を制限しつつ、同時に資本主義を制御しようという考えが、一般に行き渡るようになった。これは本来、エンゲルスが「科学的社会主義」を唱えたとき抱いていた見方であるが、のちに、社会民主主義と呼ばれるようになったものである。しかし、このような考えには本来、限界がある。それは、国家や資本主義経済を、人々の自由な意志によって制御できるものであるかのように見なしている。しかし、交換様式の観点からみれば、CやBは、人間の意志をこえた「力」をもつ。民主主義的な国家体制において、人々は、自由になったと考えているが、CやBの「力」に対して、一層屈的になったにすぎない。そして、そのことに気づきもしない。しかも、それが"科学的"な見方だと考えている。『力と交換様式』、柄谷行人著、岩波書店、2022年 p393
エンゲルスがかつて考えたように、Aの限界を一先ずB、すなわち、国家権力によって超えることが「科学」的だとみなされることになる。もちろん、それは、専制的体制によってではなく、民主主義、すなわち多数決にもとづく規制として実行されるものであり、それによってCが抑えられた暁には、Bは不要となって自然に消滅するだろう、と考えられている。しかし、実は、そうはならないのだ。Cは制限されても、Bは残る。また、Aもそこに取り込まれる。具体的にいえば、ネーション=国家が存続する。その結果として、Cもやがて復活する。その結果、資本が存続することになる。(上同、p394〜395)
そこで私は、最後に、一言いっておきたい。今後に、戦争と恐慌、つまり、BとCが必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、"Aの高次元での回復"としてのDが必ず到来する、と。(上同、p396)
「There's a bit I'll have to mend.」は、「直さなければならない部分がある」という意味です。
この文の主語は「There」であり、be動詞「is('s)」と組み合わさっています。「bit」は「少し」という意味で、ここでは具体的な対象を指しています。「I'll」は、「I will」の短縮形で、将来の意味を持つ動詞「mend」(直す)と組み合わさっています。
この文の文法解説を行うと、以下のようになります:
• 「There is」: 「There is」は英語の文法において、存在を示すための表現です。この場合、「is」は単数形であり、主語「bit」に合わせています。もし複数形の主語が使われる場合は、「There are」が使われます。
• 「a bit」: 「a bit」は「少し」という意味で、非常に一般的な表現です。
• 「I'll have to mend」: 「I'll have to mend」は、「直さなければならない」という意味です。ここで、「I'll」は「I will」の短縮形であり、将来の意味を持ちます。「mend」は動詞で、「直す」という意味を持ちます。
したがって、全体としては「There's a bit I'll have to mend.」は、「直さなければならない部分が少しある」という意味になります。
これらを超える力として、交換様式Dを考えた。が、われわれの意志によって実現できるものではない。われわれが意識的に実現できるのは交換様式Aだけです。私はこう書いたのです。「Dは、向こうからやってくる」と。(上同、p239)
「まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる日本人」に憧れ「日本と同じ南仏」アルルへ引っ越し、芸術家のユートピアを夢見て黄色い家をひまわりの絵で飾り、ゴーギャンを招いた。そして事件は起きた。(視覚デザイン研究所編集長 早坂優子著、日本経済新聞コラム「美の十選」(2023年6月14日)「名画の中の絵画(4)ファン・ゴッホ「耳に包帯をした自画像」)この記述によれば、文学だけでなく、芸術の分野においても、「自然・自己一元の生」というのがあるらしい。それだけでない。このような日本文化の特質は、日本人でなくても感銘を与えていることになり、それだけ普遍性があることを意味している。
真にまことに、聖なるかな、摂食よ!汝、摂食こそ、人をして長寿ならしめ、その智慧を磨かししめ、そしてその智慧より、みずからを官能の罠より救わしむ。また汝は、死の恐怖から人を解き放つ。汝あればこそ、人はこの世の妙なるを知る。(『無病法 極少食の威力 102歳を生きた偉大なルネサンス人ルイジ・コルナロの食生活と教訓』、p70、引用者によって、一節を詩的に表現したもの)
同じような少食の参考書は次のとおり。
『「空腹」こそ最強のクスリ』、青木厚著、アスコム、2019年
睡眠時間を合わせて「1日16時間食べない」だけで、細胞内の悪いタンパク質や感染症を引き起こす病原菌が掃除され、全身の細胞がみるみる修復! がんを克服した医師が実践する、超簡単健康法を紹介する。
『できる男は超少食 空腹こそ活力の源!』、船瀬俊介著、主婦の友社、2015年
小腹が減ってもすぐ食うな。3時間の空腹が頭と体をキレッキレに研ぎ澄ます! 頭が冴える、集中力がアップするなど、「少食」のさまざまな効果を明らかにし、挫折しない「少食」の実行法、おすすめの食事などを紹介する。
『3日食べなきゃ、7割治る! 「空腹」こそが最高のクスリ』、船瀬俊介著、ビジネス社、2018年
腹八分で医者いらず、腹六分で老い知らず! 「自然治癒力を呼び覚ます」「遺伝子を活性化する」など空腹がもたらす利点を紹介。さらに、病気を癒す笑いや筋トレの効果も解説する。
「ええ、常々、儒家の口にする、仁、義、礼、智(ち)、信、忠、孝、悌(てい)の八徳には、大事なものが欠けていると思っておりました」
「欠けている?」
「欠けているというより、あるいは、その上に立つものがあると言えばよいかとも思います」
「それが慈だと」
「はい、この慈こそが、世にもっとも必要なものと思えます。生きとし生けるものにあまねく慈が降りそそぎ、あらゆる者の心から慈が湧き出れば、世はこの上なく太平になりましょう。小糸殿には、この慈の心が豊かにあったのだと思われます」
五常八徳の上に立って世をあまねく照らすべきものが慈の心だという。(沢木耕太郎著『暦のしずく:34 第三章・夜講〈七〉』、朝日新聞、2023年6月10日)
クリロ:ゲリラ(ウクライナ軍)は迫害者(侵略者)じゃない!イザーク:でも、人を殺したら、ドイツ軍(ロシア軍)と同じになってしまう。イザーク:暴力に暴力で向かってしまったら
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| 「『石の花・2』、坂口尚著、KADOKAWA、2022年、p67」より |
いったん戦争が始まってしまうと、虫も殺せなかった人が「鬼の形相」で人を殺(あや)める。恐怖の連鎖の中でついに「人間が人間でなくなる」。そういう深い傷から立ち直るまでに、「さらに世代を超えて累々と悲しみは続くんだよ」と語っていたと。黒澤和子の『黒澤明「生きる」言葉』から。
日本は、米国の重要な最前線基地である事は世界中は認めている通りである。(中略)われわれがよく考えておかねばならぬことは、兵器技術の進歩の今日の段階では、ひとたび戦争が起れば最前線基地は完全に廃墟となってしまうことである。(「”基地日本”」『武谷三男現代論集・2 核時代』、勁草書房、p114〜116)
大革新 序言哲学者カントには『純粋理性批判』という難解と言われている著書がある。同時に、『永遠平和のために』という著書もある。一見すると関係がなさそうに見える二冊だが、共通の意図を見出すことができた。「大革新 序言」と題された”ヴェルラムのベーコン”の言葉「我々の意図するところは、・・・実に人類の広大な福祉の建設にある」というものだ。「人類の広大な福祉」というものは、永遠平和があってこそ実現可能だからである。
我々は自分みずからについては語らぬ。しかしここで論じられる事柄については、諸人がこれを単なる意見としてではなく、一つの重要な仕事と解し、また我々の意図するところは、一学派の創設や任意な学説の確立ではなくて、実に人類の広大な福祉の建設にあるということを信じて頂きたい。また諸人が各自の利益を思念し、⋯⋯一般の福利を考慮し、⋯⋯この仕事に親しく参与して頂きたく思う。
更にまた諸人は安んじて、我々の革新を何か無際限な、また超人間的な事柄と見なさざらんことを切に望みたい。この革新こそ、実に限りなき謬見の終りにしてかつその正当な限界だからである。(ヴェルラムのベーコン)
いまも、世界のあちこちで戦争が続いている。
戦争をする国の支配者は、「自分の戦争は正義の戦いだ」と言って、新聞やラジオやテレビに国が発表した通りのことを伝えさせる。そのため、「戦争の最初の犠牲者は真実だ」と言われるくらい、国民に本当のことは伝わらなくなる。その上、戦争に反対する人は捕まるから「こんな戦争はおかしい、やめよう」と思った人がいても、言うのは命がけになる。
国民が言いたいことを言えないように支配者がするのは、その方が都合がいいからだ。つまり、国全体が賛成していることにして、戦争を続けることができるということである。
かつての日本も、そうだった。
本当は戦争に負けていたのに、国は「勝ち続けている」という嘘の情報を発表し続け、新聞やラジオも国が発表した通り伝えた。その嘘のニュースを信じて、多くの日本人は浮かれていた。
そういう時の空気はとても恐ろしい。集団で興奮して感情的になるからだ。そうして、国のために力を合わせて戦うのが正義、戦わないなんて日本人じゃない、という支配者のねらい通りの空気ができあがる。
すごいのは、そんな 空気のなかで戦争に反対した人が少数でもちゃんといたことだ。でも彼らは捕まった。「国のすることに反対する意見を言ってはいけない」という法律があったからである。
結局、「正しい情報」もなく、「少数意見を大事に」することもなく、多数決はどんどん間違って日本の戦争は悲惨な終わりをむかえた。(『「くうき」が僕らを呑みこむ前に 脱サイレント・マジョリティー』、山田健太・たまむらさちこ作、理論社、2023年、p60〜63を基に、接続詞を加えるなどして編集して紹介する)
わずか5年で軍事費を2倍化ー。亡国の岸田大軍拡が狙われています。冒頭の「亡国の岸田大軍拡が狙われています」という文は、文法的におかしいところがある。誰に狙われているか、の”誰に”が抜けているからである。自明だからだとしても、”米国”に狙われている、と書くべきである。つまり、次に示すように、戦後一貫して、米国に狙われてきただけでなく、米軍への”思いやり予算”のような自覚的隷従によっても、軍事費増に拍車がかけられてきたといえよう。そして、軍事費の推移(グラフ1)のような軍事費増によって、教育予算(グラフ2)など文化予算が圧迫されてきたことも深刻に受け止め、亡国の大軍拡に歯止めをかけなくてはいけない。
戦力不保持を明記した新憲法の下、日本の軍事費はいったんゼロになりましたが、米占領軍の要求で1950年、自衛隊の前身である警察予備隊が発足。軍事費が復活します。
60年の安保条約改定で日米共同作戦条項が加わり、軍拡に道が開かれますが、「他国の脅威にならない」という方針の下、軍事費の「GNP(国民総生産―現在のGDP)1%枠」が設けられます。87年に撤廃されますが、60年代から80年代にかけて、日本経済は成長を続け、軍事費が増えても「1%枠」は実態として維持されてきました。しかし、第2次安倍政権下、米国の高額武器"爆買い"で軍事費が過去最大を更新。さらに「すべての同盟国は国防費をGDP比2%以上にしろ」という米国の要求に応じるため、岸田政権が異次元の大軍拡に踏み切ったのです。90年代以降の日本は「失われた30年」といわれ、主要国で唯一、経済成長が止まっています。そうした中での異常な大軍拡が破滅的な影響をもたらすことは明らかです。(『しんぶん赤旗』、2023年3月1日)
傲慢は断定を生み、誤った断定は命を奪う。名医などいない。謙虚な姿勢で病を知ろうとする医者。謙虚な姿勢で人を知ろうとする医者。謙虚な姿勢で自然を知ろうとする医者。謙虚さがすべてだ。医者は聡明さよりも深みを持つべきだ。深みを持て。骨に刻み、血に流れるようにせよ。(「女医の見習いチャングムに対し諭す指導教官の言葉」韓国ドラマ『チャングムの誓い』、2023年6月1日放送)
「憲法9条は死んだ」という見方も出ているが、樋口さんはどう考えているのだろうか。答えは明快だった。元内閣法制局長官・阪田雅裕さんが「憲法9条は死んだ」と朝日新聞(2023年4月14日)で語ったことを知ったとき、「それはない、もし、本当に”憲法9条は死んだ”なら、憲法改正など必要ないことになるではないか」と思ったが、きちんと反論するだけの力はなかった。それだけに、樋口さんの「条文は勝手に生きたり死んだりはしない」という言葉には勇気づけられた。「そうだ、そうだ」と。そして改めて「人類の宝でもある憲法9条を死なせてなるものか!」と思った。
「条文は勝手に生きたり死んだりはしない。理念と現実の間の緊張に疲れて理念を捨てるのか、理念と現実の開きを前にしてなお理念を現実に近づけようとするのか。公共社会を作っている主体である私たち一人ひとりの意思が、ずっと問われ続けてきた」
樋口さんが問いかけたのは、憲法を機能させるのはだれかという問題だ。
「憲法とはお月様のようなものだ」と知り合いの憲法学者に聞いたことがある。月のように自分では光を発しない。しかし、光をあてれば輝く。条文を生かすのは、私たちの意思次第であるということだ。(朝日新聞夕刊、2023年5月29日「取材考記 9条の理念と現実 憲法、輝かせるのは私たち 豊秀一」)
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| 「すいよう特集 | 『しんぶん赤旗』2023年4月19日号」より |
日本国憲法第9条について、「生き残りのための指針」こそ、最強で最適な説明である。 われわれ地球市民として生き残れるかどうかの瀬戸際に立たされているからだ。われわれは兄弟姉妹として生きていくことを身につけなければならない。さもなければ、愚者としてみな一緒に滅びてしまう。マーチン・ルーサー・キング2世いまやわれわれは、第3一千年期のはじまりと日本国憲法の公布と施行の50周年を迎えている。このときにあたり、地球上これ以上有意義な戦争放棄条項はありえず貴重な宝物である、憲法9条に敬意を払うことはきわめて時宜を得たものである。憲法9条こそお互いにとっての「生き残りのための指針」たりうるからである。(『地球憲法第九条』、チャールズ M.オーバビー∥著、講談社インターナショナル、1997年、p26)