戦争を避ける道を選ぶよう主張した土田杏村は、「世界平和運動を国際的に起して行くことが刻下の急務である」と言って、平和的な方法で平和を構築していく具体策まで提唱していた。次の通りである。
何れにせよ、第二次世界大戦の結果らされるものは、人類文化の著しい低下である。人類はもはや今日の生活に於けるような豊潤な文化享受をなすことが出来ない。またもしもその文化享受が今のように高いものであるならば、引き続いて第三次第四次の世界大戦をなし、結局に於いて人類の生活が救うことの出来ない低級さに達するまではその戦争を廃棄しないであろう。人類文化も、まことに今がその絶頂期であるらしい。ここで、条件付とはいえ、「人類の生活が救うことの出来ない低級さに達するまではその戦争を廃棄しないであろう」と予言していることが、ロシアの蛮行を見せつけられ、戦争やに活気が出てきている現状を見るにつけ、土田杏村の予言が真実味をもって迫ってくる。
戦争の為めの準備をなし国民にその覚悟を今より固めるように努力することも必要ではあろうが、私は同時に世界平和運動を国際的に起して行くことが刻下の急務であると考えている。戦争を避けることほど日本を国家的に繁栄ならしめるものはない。ここに我々は米国にも英国にも反戦的空気をつくり、各国をして戦争の危險を出来るだけ除去せしめるように努力しなければならない。このためには平和運動のための国際的協議も開かれなければならない。戦争を起す原因としては、経済的要因だけが唯一のものではない。今日に於いては国家的英雄主義や人種的偏見もまた強力な原因になって居る。我々はそれを打破しなければならない。反戦運動なるが故に非国家的であるといふのは大いなる誤謬であって、その反戦運動の背後には烈々たる愛国心愛民族心が動いて居り、その点ではまさに国防運動と提携して進むべきものである。(『明日に呼びかける』、土田杏村著千倉書房、1933年、p8〜9)
また、土田杏村の「各国をして戦争の危險を出来るだけ除去せしめるように努力しなければならない。このためには平和運動のための国際的協議も開かれなければならない」と言った平和思想を知って、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という言葉を思い出した。そして、宮沢賢治が生きた時代を調べて、1896年8月27日に生まれで、1933年に亡くなっていた。だから、土田杏村が宮沢賢治の思想に影響を受けていたことも十分にありうる。今こそ、宮沢賢治や土田杏村の平和思想というものを見直して、その実現を目指すべきであろう。
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