2023年8月31日木曜日

メディアはニュースを選ぶ

 今まで、ウクライナ報道への疑問を持っていました。報道がウクライナに偏っているのではないか、という疑問です。何年にもわたって戦闘が続いてるガザ地区など、慣れてしまったのか、あまり問題にされていないからです。
 同じ思いを抱いて発言していた人を見つけることができました。雑誌『PHP』のヒューマン・ドキュメントに登場したフォトジャーナリストの安田菜津紀さんです。武田砂鉄さんのインタビューに答えて、

 関心の格差を感じましたね。ウクライナについてはメディアはもちろん、さまざまな自治体、企業や個人が声をあげました。とても大切な動きだと思います。いち早く終息させなければいけません。でも、世界を見渡せば、このような苦しみの中にある地域は他にもたくさんあります。では、シリアに対して、ミャンマーに対して、今回のような動きがあったでしょうか。(『PHP』、2022年10月、p60)

 と発言していたのです。
 この発言に続いて武田砂鉄さんは「メディアはニュースを選ぶ。自覚的に選ぶ。あるいは空気に乗せられてしまう。」(上同)誰か(メディア)がニュースを選び、空気が作られてしまったようです。あまりにもうまく軍事費倍増路線に直走れたのも、偶然ではないのかもしれません。
 それにしても、「メディアはニュースを選ぶ」は名言です。だからこそ、メディアの怖さを痛感しました。一方的な報道には特に気をつけるなど、メディアの監視を怠らないようにしたいものです。そのメディアについての現状について述べた
武田砂鉄さんのメディア論は、あまりにも現状の問題点を言い当てて驚きました。 
 メディアはどうしても鮮度を求める。今、みんなが興味のある題材は何か、数字が取れるのは何か、こうして鮮度ばかり気にしている限り、議論されている話題は次々と変わっていく。いつの間にか興味は失われ、何一つ解決していない状態のまま、また次の問題が起きる。(上同、p61〜62)

2023年8月30日水曜日

マーシャル諸島で67回も核実験

 アメリカがマーシャル諸島で核実験を行い、「多くの島民を被曝させてしまったこと、多くの島民の故郷を奪ってしまったこと」までは知っていました。しかし、核実験を行った回数を知って驚きました。「米国は一九四六年から五八年まで、マーシャル諸島で計六十七回の核実験」(『生の時・死の時』、p134)を行っていたのです。
 それだけではありませんでした。「被曝が予見されたにもかかわらず、米国は住民を事前に避難させず、人体実験を意図していたとの批判が出ている」(上同)というのです。
 ここで考えて欲しい。日本の同盟国アメリカは、人が住んでいる島で、六十七回もの核実験していたのです。「そんな国が日本国民のことを考えている」と信じることができるでしょうか。私は信じることができません。
 確かに、戦後改革では、日本国憲法制定など日本国民のことを考えた時期もありました。しかし、「逆コース」という言葉が定着してしまったことでもわかるように、方向転換してしまいました。そして、この逆コースの道を今に至っても「直走っている」のです。この現実認識をしっかりと見定め、日本の進む道を、
「逆コース」ではない「日本国憲法がさし示している本来の大道」に戻るべきなのです。

 人体実験説
 米国は一九四六年から五八年まで、マーシャル諸島で計六十七回の核実験を行った。五四年三月一日にビキニで実施された初の実用水爆実験「ブラボー・ショット」が最大で、広島型原爆約一千個分の規模だった。この実験で、東方のロンゲラップ島など多数の現地住民が大量の死の灰を浴びた。マグロ漁船第五福竜丸も被曝し、久保山愛吉さんが死んだ。
 近年、被曝が予見されたにもかかわらず、米国は住民を事前に避難させず、人体実験を意図していたとの批判が出ている。米国はロンゲラップの核汚染除去と再定住をめぐり住民側と交渉中だが、帰島のめどは立っていない。(『生の時・死の時』、共同通信社編、共同通信社、1997年、p134)

2023年8月29日火曜日

処理汚染水海洋放出の問題点

  今、処理汚染水の海洋放出が問題になっています。タンクが一杯一杯になっていることだし、仕方がないのではないか、そう、なんとなく思っていました。しかし、処理汚染水の放出には大きな問題があったのです。それに、代替案さえあったのに、そのことは知りませんでした。恥ずかしいことです。

Q:トリチウムは世界中の原発から排出されているから問題ないのでは? なぜ、今回の放出だけ問題にされるの?

 今回の処理汚染水の放出が、いままでの原発からの排水と大きく違う点は、処理されているとはいえ、デブリ(核燃料が溶け落ちたもの)に触れた水の放出であるということです。これは、トリチウム以外にも、さまざまな放射性物質を含んでいることを意味します
 トリチウムに関して言えば、確かにトリチウムは国内外の原発から放出されています。日本の沸騰水型原発(BWR)からは1年間に数百~数兆ベクレル、加圧水型原発(PWR)からは数十兆ベクレル、まだ完成していませんが、六ヶ所再処理工場からはけた違いに多くのトリチウムが排出されます。海外の原発でもトリチウムが放出されています。 ただ、環境中のトリチウムの量が少しずつ多くなることの累積的影響についてはまだわかっておらず、世界中の原発から出されているからよい、ということにはなりません。(「【Q&A】ALPS処理汚染水、押さえておきたい14のポイント | 国際環境NGO FoE Japan」より)

 以下の写真は、「 代替案は? - YouTube」からです。このような意見には見向きもしないで海洋放出を始めてしまったことは許せません。






2023年8月28日月曜日

人類の進歩に貢献できる国日本

 占領政策の基本方針は「天皇及び日本政府の権限は最高司令官に従属する」でした。しかし、「占領政策は二つの柱によって行われた。非軍事化と民主化である。二度と戦争を起こさないように軍隊を解体し、天皇が神から人間になり、国民主権の国家へと作り変えられた」と言われるように、連合国軍最高司令官・マッカーサーは財閥解体や農地改革を断行し、日本国民に「民主主義の父」と称えられるようになりました。
 その辺のことを坂口安吾は、「妙な話だが、日本の政治家が日本のためにはかるよりも、彼が日本のためにはかる方が、概ね公正無私で日本人に利益をもたらすものであったことは、一考の必要があるでしょう。占領されることが幸福をもたらすという妙な経験を日本はしたものさ」という言葉を残しています。
 しかし、世界で共産主義が拡大すると、アメリカは占領方針を180度転換します。マッカーサーは日本の再軍備を進め、逆コースに舵を切るようになってしまうのです。ケナンの回顧録によれば

 私がマッカーサー元帥を訪ね会談し、最終的にはワシントンから指令が発せられ、それらが一体となって、占領政策の改革に大きく貢献することができた。マッカーサーはその後、民主化、非軍事化とは逆行する政策を打ち出していく。逆コースである。
 という具合でした。NHKラジオ番組「日曜娯楽版」では「ものにはなんでも裏がある。裏にはそのまた裏がある。表じゃ平和をとなえても、裏では軍備に熱上げる」とうたわれたようです。
 確かに、逆コースに舵を切り、その方向に現在まで歩んできたことになります。とはいえ、戦後の改革は本物でした。マッカーサーの発言の中に、それを見ることができます。
1、昭和20年9月2日降伏文書調印式でのマッカーサー元帥の挨拶「この式典を境に、歴史が殺りくと血にまみれた過去から 自由と正義、そして寛容の未来へと変わることを私は心から望む。 それは全人類の願いなのです」
2、マッカーサーは、連合国対日理事会初会合で日本国憲法の先進性をを誇らしげに語った。「新憲法に掲げられた戦争放棄の提案を全世界の人々が真剣に検討されるよう勧めたい。」
3、マッカーサーの退任演説 1951年4月19日
 「老兵は死なず。ただ消え去るのみ。・・・・戦後、日本国民は近代史に記録された中では最も大きな改革を体験してきました。私は占領軍の4個師団を朝鮮戦争に送りましたが、日本に生じる”力の空白”についてはなんの不安もありませんでした。結果はまさに、私が確信していた通りでした。日本ほど穏やかで秩序のある勤勉な国を知りません。また日本ほど将来人類の進歩に貢献することが期待できる国もないでしょう。」
 日本国憲法を知っているからこそ、「日本ほど将来人類の進歩に貢献することが期待できる国もないでしょう」といった発言になったのでしょう。これからどんどん「人類の進歩に貢献する」ようにしていきたいものです(NHK2023年8月21日放送「映像の世紀バタフライエフェクト GHQの6年8か月 マッカーサーの野望と挫折」からのメモを編集しなおしたものです)。

2023年8月27日日曜日

意志(魂)の再生物語『MINAMATA』

 映画『MINAMATA−ミナマタ−(字幕版)』を観ました。1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスは、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていました。 「子供は口をきいてくれない。いつ死んでもいい状態。金もない。もうやり残しは何もない。全て売り払った。機材も何もかもだ」という具合だったのです。
 そんなユージンのもとに、アイリーンと名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれます。そして、日本に渡り、チッソからの様々な妨害に遭いながらも、ユージンは撮影を続けます。私は、水俣の犠牲になられた現実の悲劇がどんなものだったか、改めて再認識することができました。特に、アメリカのLife誌の1972年6月号に載った『入浴する智子と母』は、水俣の現実を世界に知らしめた写真ですが、忘れてはいけない現実を訴えています。
 この映画の素晴らしさは、皆まだの現実を知らしめたことだけでなく、ユージンの意志の再生の物語でもあることです。すっかり生きる意思を失いながらも、「ミナマタという新しい写真の対象との出会いと、対象との格闘を通して意(魂)を取り戻して行く物語になっているのです。
 

2023年8月26日土曜日

トマホーク400発で2113億円

 青森・大分両県に23年度に大型弾薬庫建設が計画されていることは、「大型弾薬庫が全国に」に書きましたが、当然、弾薬庫に入れるものが必要です。どのような計画なのでしょうか。
 赤旗日曜版で、すでに報道されていました。トマホークなど400発も輸入予定で、その額はなんと、2113億円です。その他、国産のミサエルも開発研究中だとそうです。まさに、戦争の準備そのものです。
 何度も言っていますが、戦争が始まってしまったら、日本は、持ちません。石油不足の時のトイレットペーパー騒動もありましたが、エネルギーと食糧の時給のことを考えただけでも、戦い続けることなど不可能なのです。だからこそ、平和的な手段によって戦争を防ぐことに全力を注ぐべきなのです。



2023年8月25日金曜日

大型弾薬庫が全国に

 大型弾薬庫が全国に計画されていることを知って驚いています。「日本各地に敵基地攻撃ミサエルなどを保管する大型弾薬庫を、今後10年で全国に130棟も造るというのです。ウクライナを侵略したロシアが攻撃目標にしたのが火薬庫です。真っ先に攻撃対象になってしまう施設です。」(2023年3月13日『赤旗日曜版』)
 日本経済新聞(2023年2月15日)には、「青森・大分両県に大型弾薬庫、防衛省方針 23年度に」という見出しで、「防衛省は2023年度、青森県と大分県の自衛隊施設に長射程の『スタンド・オフ・ミサイル』などを保管できる大型の弾薬庫を新設する方針だ。海上自衛隊の大湊地方総監部(青森県むつ市)と陸上自衛隊の大分分屯地(大分市)に2棟ずつ設ける」と報道がありました。
 朝日新聞(2023年8月12日)には、陸自大分分屯地の弾薬庫新設に反対する住民らが「考える会」を結成した記事があり、神戸輝夫・大分大名誉教授共同代表の挨拶などの報道がありました。「もし戦争状態になったとすれば、真っ先に狙われるのは私たち。大分市を二度と戦場にしてはならない。大分市に大型ミサイルの弾薬庫はいらないという運動をしていく」と述べていました。私たちがボケッとしていると、知らないうちにどんどん戦争の準備が進められてしまいます。もっともっと目を光らせていきたいものです。


2023年8月24日木曜日

公平な総合累進課税へ

 累進課税という名前だけは知っていましたが、それが公平でいちばん民主主義的な税制だったことまでは知りませんでした。しかも、赤旗の記事によれば、「大企業や資産家が能力に応じた税負担をするなら、消費税を維持増税する必要はなく、社会福祉への財源を生み出せます」。能力に応じた税負担をお願いするわけですから、決して無理な税制ではないはずです。
 理想を言えば、要求されてから渋々税負担に応じるという形ではなく、応分の税負担をすることで国を支えていきたい、と進んで税負担をするような形がベストです。いずれにしても、野党共闘によって政権を取らないことには話にもならないわけですから、何をするにも野党共闘で前進してほしいです。



2023年8月23日水曜日

この世の楽園「鳥獣花木図屏風」

 前のブログ「自然がなければ生きられない」で、『十七條憲法』に示されている、「山川国土草木禽獣、あらゆる動物、どんな人間」も平等であるという日本独特の宗教観のことを書きました。このような日本の宗教観を伊藤若冲が作品「鳥獣花木図屏風」に見事に描き出していました。「絵をご覧になれになれば、トラがウサギと遊び、ヒョウが小ネズミとたわむれ、そこに敵はいません。みな誰もがハッピーで、鳥は空を舞い、存在感を示して地に立ちあがり、若冲が描く特有の世界を見せてくれます。(プライス)」
 また、「この屏風に釈迦や菩薩は描かれていませんが、一つの仏画だという見方もあります。画面全体に生き物たちが生きる生命の大切さ、現生での心の平安を願う気持ちが強く感じられるからです。(若冲と江戸絵画 [1]東日本大震災復興支援)」
 このような素晴らしい絵を前にすると、「民主主義」に息を吹きこむのは私たち」で紹介した「空気のようにその価値が忘れられている『国民皆保険制度』のような宝物が、日本にたくさんあることに気づくこと。人間はかけがえのないものに出会ったとき、それを守ろうと立ち上がりたくなる生き物なのです」(堤未果著『18歳からの民主主義』、岩波新書編集部編、2016年、p128)という言葉を思い出し、「鳥獣花木図屏風」のような絵画も日本の仏教思想も”日本の宝”である、と思いました。

伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」


2023年8月22日火曜日

日本国憲法と『歎異抄』

 私の頭の中で化学変化が起きている感じがしています。立憲主義と歎異抄と日本人論が混じり合って、立憲主義の中心に歎異抄に代表される仏教の精神と日本人論が入り込んできた感じです。
 立憲主義とは、「権力の暴走を防ぐため国家に命令したもの」という解説が多いです。しかし、立憲主義の憲法で一番大切なことは、国民、人民、公民、あるいは庶民の基本的人権を守ることで、そのために権力の暴走を防ぐ憲法もあると捉えることが重要です。その際、立憲主義憲法の対象と、歎異抄の対象は同じだということです。
 ところが、憲法に基づいて選挙された代議士の多くの目線は、庶民の方を向いていません。だから、軍事予算を倍加しようなどと考えるし、法治国家と言いながら、平気で国会開催要求を拒んだり、本来は守るべき憲法を改悪しようとしたりしています。
 参考までに、歎異抄について、なるほどと思ったところを引用しておきます。なお、最もわかりやすかったところは「この本願は親の念力である。親の念力は子を育て上げる力である。この力によりて子は助かるのである。この道を子のほうからいえば絶対他力の大道にほかならない。その絶対他力の大道とは、我々が生に処し、また死に処し、自分という考えをはさまずして、もっぱら仏力本願に順応して平和と自由とを享受して行く主義である」(『歎異抄講話』、暁烏敏著、講談社、1981、p33)です。分らないところもありました。「親鸞聖人の精神よりいえば、カントの哲学も、ヘーゲル
の哲学も、ダーウィンの進化論も、・・・みんなそらごとたわごと」(上同、p35からの要約)だというところです。
 いずれにしても、多くの人が解説しているので、読み比べてみようと思っています。特に『梅原猛の「歎異抄」入門』です。(一晩経ってみたら、「カントの哲学も、・・・みんなそらごとたわごと」の意味がわかりました。カントの哲学を学ばなくても、ということだろう、と。やはりそうでした。この項には続きがあって、「一つとしてあてにすべきところはない」「ただ一つあてになるものは如来のお慈悲である」「この真実の御力を信じ御光に照らされていったならば、ぬすむ者でも、殺す者でも、・・・仁者でも、悪人でもことごとく仏の真実にたよって大安心ができるということをていねいに教示したのがこの『歎異抄』である」(上同、p35強調は引用者による)とあったのです。日本国憲法第一三条の「すべて国民は、個人として尊重される」に「照らされていったならば、ぬすむ者でも、殺す者でも、・・・仁者でも、悪人でもことごとく憲法の真実にたよって大安心ができる」となるのではないでしょうか。
 今日私どもを種々批評し嘲弄(ちようろう)する人でも、一年二年または数年の後には、私どもの信仰と同じいところに来るにちがいないと思えば末たのもしいことである。今日いくら私どもを罵り『歎異抄』の精神を嫌う人でも、まじめに人生問題を思考し、着実に宗教の修養に心がけたならば、必ず一度は「歎異抄』に来たらねばならぬことは火をみるより明らかなことである。
 私どもが先年初めて精神主義の絶対他力信仰を天下に発表した当時非常に嘲弄していた朋友で、その後種々人生問題に苦しんだ結果今日では大いにこの絶対他力の信仰で安慰を得ておるのが二、三に止まらない。 これは動かすべからざる真理である。
 いやしくも安心立命を求むる人であったならばこの『歎異抄』に逢着(ほうちやく)するまで進まねばならぬのである。この『歎異抄』まで来ねば大安心は得られぬのである。この『歎異抄』に来たらずして定まった安心は破損する安心である、危うい安心である。ゆえにこの『歎異抄』の味のとれない人は大安心のない人であるというても過言ではない。
 これと同時に、この『歎異抄』の大精神を発揮しつつある私どもの精神主義についてかれこれいう人はいまだ安心の境界に遠い人と申さねばならぬ。しかし私どもが『歎異抄』を嫌いながらついに『歎異抄』の渇仰者とならねばならぬようになったように、今日私どもの精神主義をかれこれいう人も、ついには精神主義によらねばならぬときがくるにちがいないと思えば末たのもしいことである。
「歎異抄』はまじめに自己都察をし、戯格に自己を判断し、自己の罪悪に泣く人でなければ解せられないのである。『歎異抄』は自心を地獄の底に沈ませるほどの深き洞見がなければ、味わわれないのである。ゆえに『歎異抄』は死の問題に驚いた人、事に失敗して失意の境にある人、倫理的罪悪に苦しむ人でなければ味わうことができぬのである。これと同じく私どもの精神主義もそうである。ゆえに私は精神主義を誹る人がいくらあろうが、これらの人々はいまだ人生の経験の足りない人々であるから、やがて種々の経験をつむに至らば、自然に私どもと同じ信仰に来たるに相違ないと信じて疑わないのである。(『歎異抄講話』、暁烏敏著、講談社、1981、p30〜31)
 ここでいちばんの魅力というか、関心は、「安心立命」であり、「大安心」という境地です。やがて訪れるであろう「死の準備」こそが、『歎異抄』の説く「安心立命」であってほしい、という希望でもあります。
 ただ、カントが「これでよし」と言って旅立っていったということが心に引っかかっています。このことを知ったとき、カントの哲学を修めれば、カントのように「これでよし」と言って旅立つことができるかもしれないと思ったものです。だから、宗教と哲学の二面作戦を考えています。

2023年8月21日月曜日

戦争を戦えない日本の現実

 NHKスペシャル「Z世代と“戦争”2023年5月15日放送」を見ました。Z世代3千人へのアンケートでは「10年以内に日本が戦争に巻きこまれる可能性は」という質問に、半数以上が「ある」「どちらかと言えばある」と回答していたことに、そういうものかなと思いましたが、太平洋戦争に関心があると答えた人の中で、60%の人が「二度と戦争を起こしたくないから」と回答していたことに安心感を抱くことができました。
 しかし、侵略されたらどうしたいかと言った質問に対して、戦い続けるべき、とか、銃を持って戦うと言った勇ましい意見が紹介されただけで、日本が戦争になったらどうなるのかの議論がなかったのが不満です。「エネルギーも食糧も自給できていない」という日本の現実を踏まえた議論がなかったのが残念です。どんなに勇ましいことを言っても、戦争を戦えないのが日本の現実なのです。  
 もう一点、議論の論点で欠けているところがありました。なぜ「日本が戦争に巻きこまれる可能性」があるのかという問いです。対立の構図を強めるばかりで、和解の努力について話されていないに等しい現実があるわけですが、これでは米軍の戦争に(これが重要です)巻き込まれる確率が増えてしまうことは、火を見るより明らかです。そこまで踏み込んでほしかったです。

2023年8月20日日曜日

布袋様を40年描き続けた若冲

 著書『しびれるほど仕事を楽しむ女たち』(日経ウーマン編、日本経済新聞社出版局、2005年)に、ハリーポッターを翻訳し、その魅力を日本に伝えた松岡佑子さんの仕事ぶりが紹介されていました。その中で、「五巻分の重みを背負って翻訳しないといけませんから、チャレンジはますます大きくなります。でもそれだけ楽しみもある。もともと面白くてほれ込んだ仕事ですからね。第一回目の訳から推敲に推敲を重ねて少しずつ進めています」(p25〜26)と語っていました。「五巻分の重みを背負って」、ストレスになるどころか、楽しみながら「少しずつ進め」られたということに、とても勇気付けられました。
 ちょうど「若冲と江戸絵画」というDVDを見ていたら、無病息災のご利益があると言われる伏見でつくられた布袋様のお人形を、若冲は40年も描き続けたと言っていました。その作品が七人の布袋様を描いた「伏見人形図」です。一つの対象をじっくりと時間をかけて取り組む姿勢は、あやかりたいものです。



2023年8月19日土曜日

楽しみは尽きない

 著書『定本見田宗介著作集・10』に「未読のたのしみ」とい小論があります。「あるいはあの未読の書物の主題が、書庫の中のみえないところから、今もわたしを触発しつづけているのかもしれない」(p148)というのです。確かに、本棚に並べられた本のタイトルたちは、「読んでくれ! 読んでくれ!」と読まれるのを待っているのかもしれません。
 私が「未読のたのしみ」というものを実感しているのが連載ものです。新聞の連載小説が良い例です。毎日、次なる展開が楽しみなのは、まさに「未読のたのしみ」です。連載論文でも、興味のある論文は毎回楽しみなものです。
 この考えを、残りの人生に応用できるのではないか、と何となくイメージしているのですが、まだ、その姿がわかりません。ただはっきりしていることは、身の回りのことにせよ、これまで考えてきたいろんな課題が山積みしています。それらから無言の圧力を受けている状態です。
 つまり、未読の本がありすぎる状態なのかもしれません。どうやら、だいぶはっきりしてきました。この状態を、何とか楽しみにできないか、というのが、漠然としたイメージの正体のようです。
 次のステップです。
 未読の対象がはっきりしているもの、と、はっきりしていないものに分れることがわかってきました。やるべきことも、はっきりしてきました。未読の対象がはっきりしているものは、読んでいき、並行して、未読の対象を発揮しさせていくことです。そして、これらの課題に完璧というものはないのだから、楽しみは尽きない、ということです。そういう意味でも、次の聖アウグスティヌスの言葉には味わい深いものがあります。

「これでもう充分、完璧の地位に辿り着いたのだ」ときみが言ったとすると、何もかもが失われてしまう。 自分が完璧ならざるものであること知らせてくれるのか完璧というものの役目にほかならぬのだから。◎聖アウグスティヌス(『永遠の哲学 : 究極のリアリティ 』、オルダス・ハクスレー著、中村保男訳、平河出版社、1988年、p487)

2023年8月18日金曜日

退歩することを欲しなければ

 続いて『永遠の哲学 : 究極のリアリティ 』(オルダス・ハクスレー著、中村保男訳、平河出版社、1988 年)を読んでいて、ドキッとする言葉に出会いました。「退歩することを欲しなければ、走らなくてはならぬ。◎ベラギクス」(p487)という言葉です。
 この場合の「走らなくては」は、当然、「run」ではありません。ちょうど今エントロピーについても学んでいるので、エントロピー概念を用いて解釈すれば、ここでの「走る」は、エントロピーの減少を意味します。自然は何もしなくても時間と共にエントロピーは増大する(退歩であり、乱雑化を意味します)からです。
 それでは、エントロピーの減少するようなことって、どのようなことでしょうか。次の説明が役に立ちそうです。
 材料を集めて家を建てるとエントロピーが下がったとか、工業生産は商品を集めてエントロピーを下げる社会活動であるとか、自動車が走るとタイヤが粉になり、エントロピーが増えるとかいう場合にもあてはまる。このような日常的な大きさのエントロピーの問題は、・・・・(エントロピー入門 : 地球・情報・社会への適用』、杉本大一郎著、中央公論社、1985年、p113)
 つまり、松岡正剛さんの編集理論に従えば、「いろんな思いを組み立てて構想を練り、何らかの形にしていく」ことで、エントロピーを下げていく、絶えず、下げ続けていくことが重要なのです。
 もちろん、身の回りの整理整頓も同時並行にやり続けることです。計画的に、意識的に、ということも大切です。

2023年8月17日木曜日

この光の中に立て!!

 前に『ハクスレ-の集中講義』(オ-ルダス・ハクスレ-著、人文書院 、1983年)を読んだとき、彼の思想に触れて彼の他の著書も読みたくなりました。そして、『永遠の哲学 : 究極のリアリティ 』(オルダス・ハクスレー著、中村保男訳、平河出版社、1988 年)『多次元に生きる : 人間の可能性を求めて』(オルダス・ハクスリー著 、片桐ユズル訳、2010年)を借りたのですが、肝心のハクスレ-の思想が思い出せません。しかし、『永遠の哲学』も、『多次元に生きる』も、期待通りの本でした。
 特に『永遠の哲学』は、多くの引用文が挿入されており、その引用文を読んだだけでも、実りのある読書になる優れた本でした。例えばこんな引用がありました。
 光明の中で暮らしていれば、光のおかげで何もかも見えるので、つまずくおそれはない。外で歩いている時でも、この光がきみの胸の中にきみと共にあるので、ここを見ろとか、あちらを見よなどと言う必要はなく、ベットに寝ている時でも、この光は現前していて、外へとさまよい出るきみの心に教えを授け、かつその心ときみの高邁な思考と想像とを裁き、それらを従属させる。きみ自身の考えに従っていると、きみはたちまち迷ってしまうのだから。この光の中に暮らしていればこそ、きみの罪に汚れた肉体や、きみの腐敗ぶりや、きみの置かれている堕落した状態がきみの目に見えてくるのだ。こうしたことすべてを明るく示してくれる、この光の中に立て。右へも左へも動くな。◎ジョージ・フォックス(『永遠の哲学 : 究極のリアリティ 』、p482)
 私はこの引用を読んだとき、すぐに日本国憲法の九条の光を思い浮かべ、「九条の光の中で暮らしていれば、光のおかげで・・・」と読みました。十七条憲法の光をも置き換えてみました。そして、理想の光が灯ってさえ居れば、虫たちが光のもとに集まってくるように、世界の国々のあらゆる人々も、集まって手を携えるようになるに違いない、そう思いました。だからこそ、いつまでも「光の中に立て」続けていくことが大切なのです。

2023年8月16日水曜日

世界の大勢は反戦平和

 ウクライナ戦争が始まってから、ウクライナ戦争の報道が多くなってきています。朝日新聞(2023年8月16日)記事「(交論)戦場から遠く離れて 深緑野分さん、松元悠さん」は、「太平洋戦争の終戦から78年の夏。日本から8千キロ以上離れたウクライナでは戦争が続いている。時間的・空間的に隔たった戦争の『現場』を、私たちは実感できるのか」と問いかけています。
 この記事を読んで、アフガニスタンやパレスチナでの戦争のことを考え、アフガニスタンやパレスチナでの戦争も、ウクライナ戦争と同列に扱われるべきではないか、という疑問、どうしてウクライナだけが大きく取り上げられているのだろうか、という疑問が生まれました。「時間的・空間的に隔たった戦争」という意味では、アフガニスタンやパレスチナでの戦争も同列だからです。
 ここで思い出されることは、主要な国々が軍事的支援を表明し、各国で軒並み軍事費が増額されようとしていることです。こうなると、軍事的支援という美名のもとでの、軍事商品の大量消費が、目的になってしまっているか、あるいは、初めからこうなることを目論む勢力があって、彼らの暗躍の成果が、今日のウクライナ情勢であった、と勘ぐりたくもなります。いずれにしても、核兵器禁止条約の締結で明らかなように、世界の大勢は反戦平和であることに変わりないことに自信を持ちたいものです。

2023年8月15日火曜日

法然さんの革命性

 法然さんの革命性に関する説明に違和感を抱いてしまいました。法然さん以前は、仏教の恩恵を受けられたのは朝廷の公卿や貴族の一部だった。それを、法然さんが「誰でも救いの恩恵を受けられるようにしてくれた」というのです。しかし、十七条憲法の時代、空海の時代とも、民衆の救いというものを本気に考えたことで知られています。ということは、どちらの場合も一代ないし二代くらいで廃れてしまったのでしょうか。
 空海の影響を受けた天皇の考えに、多くの反抗があったという話があります。ということは、革新的な、あるいは革命的な思想が現れては消え、を繰り返しながら、法然さんの時代にまた、革命的な思想が復活してきたのでしょう。
 そういえば、日本の歴史そのものが「追放と復活の繰り返しであった」といいます。(『法然の編集力』、p151に詳しく述べられています)だから、「日本は、 この事故(福島の原子力事故)を機に復活をとげていくと思います。ですから、甚大な被害はもちろん痛ましいわけだけれども、そんなに悲観する必要は無い」(上同、p152)とまで言いきっています。
 町田――奈良・平安の仏教では、救いのサークルに入れたのはほんとうに選ばれた人たち、それこそ朝廷の公卿とか貴族だけだった。それを一気に崩してしまったところに法然さんの革命性がある。男でも女でも「一〇は一〇人ながら、一〇〇人は一〇〇人ながら往生す」と言ってしまったわけですから。(『法然の編集力』、松岡正剛・町田宗鳳著、NHK出版、2011年、p157)

2023年8月14日月曜日

地球そのものを生命と見る

 原子力発電所はトイレのないマンションと言われてから長い年月が経ってしまいました。いまだに最終処分の方法も、場所さえ決まっていません。もう原発などダメだろうと言われてほどダメージを受けた原発事故を受けても、喉元過ぎれば暑さ忘れる、の諺通りに再稼働を許してしまいました。懲りないようです。なぜでしょうか、どうすればいいのでしょうか。
 そこで考えたことは、同じ次元で考えていては、真の解決策は見えてこないのだから、次元の高いところから見直してはどうか、ということです。岡目八目が正しい判断をしやすいのも、次元の高いところから全体を見渡しているからです。同じように、エネルギー問題という狭い範囲を越えた地球的な視点に立つことで、あたしい判断を下せるようになると思ったのです。次の指摘のような文明観の転換、つまり「もっと地球そのものを生命と見るような文明への転換が求められているのではないか、と。地球と人間、あるいは動植物をも一体として見るような文明が必要だ」(『法然の編集力』、松岡正剛・町田宗鳳著、NHK出版、2011年、p149)と思うのです。
町田――私は、 今回の震災は、偶然におきたことではなく、歴史の必然性のなかでおきたことだと考えています。そして、法然さんの没後八〇〇年という大きい節目にこのような未曾有の大災害がおきたということは、「日本人よ、物質文明の幻影から目覚めよ」という天からのメッセージではないかと思っています。これを機に日本の仏教は脱皮しなければいけないし、日本の文化そのものも変わらなければなりません。
松岡―国難ともいえるような、これだけの大災害ですからね。そこに何かのメッセージを感じる人も多いでしょう。
町田――とくに今回の3・11は、地震と津波だけでなく福島第一原発の放射線流出事故というじつに深刻な事態を招きました。ここには文明史的な意味があるのではないでしょうか。つまり、地球資源を乱開発して人間の思いのままに利用するようなライフスタイルはもう打ち止めにして、もっと地球そのものを生命と見るような文明への転換が求められているのではないか、と。地球と人間、あるいは動植物をも一体として見るような文明が必要だというメッセージをうけたように思えてなりません。(『法然の編集力』、松岡正剛・町田宗鳳著、NHK出版、2011年、p148〜149)

2023年8月13日日曜日

現代版「人身御供」

 昔から、しかも世界で「人身御供」という風習がありました。野蛮な風習で、あってはならないことです。その点は、現代社会では多くの人に納得してもらえることです。しかし、その野蛮な風習が、姿を変えて現代社会に蔓延っていると感じていました。軍事基地被害が典型です。例えば騒音被害があっても、多少の補償で済ませているのが現状です。私は、そうした人たちは、「人身御供」に供されているに等しいのであって、あってはならないこと、と考えていました。
 とうとう同じ考えをしている人を『暮しの手帖』(2022年10-11月)の中に見つけることができました。作家の榎本空さんが、著書『それで君の声はどこにあるんだ?―黒人神学から学んだこと』の中で、「諦めたくなることも多いが、きっと誰かの生存と幸せが他の誰かの犠牲を前提としない、もうひとつの現実が可能なはずだ」と書いてあることを、武田砂鉄さんが紹介していたのです。「
誰かの生存と幸せが他の誰かの犠牲を前提としない、もうひとつの現実が可能」とは、なんと素敵な言葉でしょう
 榎本空さんの言葉も素晴らしかったように、榎本空さんの言葉を紹介した次の武田砂鉄さん紹介文も素晴らしいかったです。

 黒人神学者ジェイムズ・H・コーンに学ぶため、マンハッタンの神学校に通った著者が、このように希望を言葉にした。「冷笑と無関心を規範として粛々と回転していく歪な社会」を前に、不順応であろうと誓う。キング牧師は「世界の救済は、不順応にかかっている」と言った。未来は大きな集団によって規定されるのではなく、孤独の中にも宿るもの。「誰かの犠牲」によって勝ち組が生まれるような社会をひっくり返すために、とにかく自分で考える。(『暮しの手帖』、2022年10-11月、p129)

2023年8月12日土曜日

日本独特の自然哲学

 私にとってゴッホは、三年間でこれだけのことができるんだと、勇気を与えてくれる存在です。ゴッホの「わずか10年の画業のうち、彼がまさに近代的な絵画を生み出したのは最後の3年間だけ」(図録『ゴッホ展響きあう魂へレーネとフィンセント』、2021年9月、p12)だというのです。後期高齢者になって、残りの人生を意識するようになってきただけに、ゴッホのように密度の濃い人生に魅力を感じます。
 もう一つ、ゴッホの魅力を挙げれば、ゴッホが日本に憧れていたことです。ゴッホにとっての日本とは、どのような存在だったのでしょうか。これまでの印象では、日本独特の自然哲学に基づいた日本美術に魅せられたのではないか、そう思っています。そのことは、次のようなゴッホの手紙から読み取れます。「その人はただ一本の草の芽を研究している」ということは、その辺にある「一本の草の芽」さえ、一つの絵の対象として最大限の尊重を抱いていることになるのではないでしょうか。そして、そこに日本美術の素晴らしさを発見したのではないか、そう考えています。ここに、
日本独特の自然哲学があると思っています。

 1888年9月23日か24日、フィンセントはアルルから、テオに宛ててこう書いている。「日本美術を研究すると、あきらかに賢く、哲学的で知的な人物に出会う。その人は何をして過ごしているのだろうか?地球から月までの距離を研究しているのだろうか?いや違う。ビスマルクの政策を研究しているのか?それも違う。その人はただ一本の草の芽を研究しているのだ」(書簡686/542)。ファン・ゴッホが収集していた浮世絵版画に見られるように、質素なものに本質を見出す日本の芸術家の眼識は、彼にとって魅力的に映った数多くの要素のうちの一つだった。ファン・ゴッホ自身は、つつましいモティーフの中に注目に値するものを見つけ、詩的な性質を添えて描き出すという偉大な才能をもっていた。(上同、p128)

2023年8月11日金曜日

日本国憲法は国民の目標地点!

 日本国憲法に対する改憲の理由に、現実にそぐわない、というものがあります。安全保障環境が悪化しているのだから、そうした環境に適したものにすべきだ、というのです。しかし、憲法は目指すべき日本の理想の姿そのものです。戦争のない国、軍備を必要としない国が理想であることは、誰にも異論はないと思います。それでも不安だというなら、次の言葉を日本国民に置き換えて読んでほしい。
 私と一千二百万の アメリカの黒人にとって民主主義は私たちの国家が向かっている目標地点です。それは夢であり、理想であり、最終的に実現することを心からゆるぎなく私たちは信じています。(メアリー・マクラウド・ベシューン著「アメリカの民主主義は私にとって何を意味するか」『アメリカの黒人演説集』、キング・マルコムX・モリスン他、荒このみ編訳、岩波書店、2008年、p271)

 日本国民にとって民主主義(日本国憲法)は私たちの国家が向かっている目標地点です。それは夢であり、理想であり、最終的に実現することを心からゆるぎなく私たちは信じています。
 そうなのです。「民主主義、そして日本国憲法は、私たちの国家(国民)が向かっている目標地点」でもあったのです。目標を勝手に変えてはいけないのです。

2023年8月10日木曜日

命あっての物種

 ロシアのウクライナへの侵略に対して、ウクライナが徹底抗戦で戦っています。そうしたウクライナに対して、多くの欧米諸国や日本が兵器の供与という形で支援しています。ウクライナの抗戦を正義の戦争と位置付けているからです。
 戦後の議論の中で、「正しい戦争などない。どのような形であれ、戦争は絶対悪である」という認識が強まりました。人の命を犠牲にしてまで守るべきものはないという考えです。しかし、丸山眞男は、”戦争は絶対悪”という根拠として、アメリカの国際政治学者F・シューマンの言葉「戦争が起るのはすべて、人間が平和を尊重する以上に何か他のものの価値を重んずるからである」(『丸山眞男集 5巻』、p10、引用文は傍点)を紹介しています。
 ということは、ウクライナは、「平和を尊重する以上に何か他のものの価値を重ん」じていることになります。では、それは何でしょうか。国の独立でしょうか

 私は、国の独立よりも、国民の命を重視したい。だから、初めから白旗を上げれば良かったと考えます。人の命は取り戻すことはできないが、国の独立は取り戻すことができるからです。実際は多くの命が犠牲になってしまいましたが、それでも、いいとは、犠牲者にとっては言えないのです。「命あっての物種」だからです。とはいえ、この辺のことは、もっと時間をかけて考えていきたい問題です。

2023年8月9日水曜日

絵画鑑賞における画家の人生

 絵画鑑賞にとって画家の人生など対して影響はない、ただ、絵が訴えてくるものを感じられれば良い、そうした考えもあります。しかし、一枚の絵が、どのような心の状態で描かれたかを知ることも、重要なファクターであることを最近知りました。
 例えばゴッホの「花咲くアーモンドの枝」は、弟テオに子(フィンセント・ウィレム)が生まれたのを祝って制作した作品です。そのことを分かっただけでも、澄み切った青空に向かってどこまでも枝が伸びていきそうで、ゴッホの他の絵にはない魅力を感じます。それだけに、画家の人生を知ることも、絵画鑑賞の大きな要素であることを教えてくれた次の言葉には、味わい深いものがあります。

ゴッホ「花咲くアーモンドの枝」
 まだ幼いヤンネさんたちの子供世代にも生身の画家を語り継ぎたいという。
「人生と格闘したファン・ゴッホの芸術は、生きることの意味を問いかける。作品を見て、手紙を読むことで私たちは他者に対して共感の気持ちを持てるようになると思う」。ヤンネさんの言葉を聞いて、21世紀のファン・ゴッホ伝説に新風が吹く予感がした。(窪田直子著『日本経済新聞』、2023年8月6日)

 作品を通して、画家の人生や思念、感情に思いを巡らせることもまた、絵画鑑賞の大きな楽しみだ。(田村広済著『日本経済新聞』、2022年2月24日)

2023年8月8日火曜日

暮しを豊かにするもの

 暮しを豊かにするもの、と言えば、どうしてもお金が十分あって、物に不自由しないことと思ってしまいます。しかし、「金で買える物の与える満足は浅く、長つづきしない」が、「自分で学び、試み、努力してしか手に入らない」ような「心の満足」(『よく生きることは人間の仕事である』、中野孝次著、海竜社、1999年、p55)は深く、長つづきするようです。だからこそ、そうした心の満足こそ、「本当に人の暮しを豊かにする」というのです。
 後期高齢者になったばかりです。この歳になると、後20年も生きられれば・・・、と先が見てしまう。だから、「老年のよさとは、それが人間の成熟しきった段階だというところにある」(上同、p170)と言われても、そうですか、と納得するわけにはいきません。「人間の成熟しきった段階」というよりは、ますます未熟さがはっきりと見えてきているからです。
 と、ここまで書いてきて、「成熟しきった」からこそ、未熟さがはっきりと見えてきた」と考えることもできることに気づきました。そして、対象が未知のとき不安になり、対象が鮮明になるほどに安心できるようになることもわかってきました。だから、心の満足のためには、未知なる不安を取り除く必要があります。
 ここで、多くの画家がたくさんの自画像を描いていることを思い出しました。自分の思いを形にした文章は、ある意味自画像に、心の自画像に相当するように思えてきたのです。画家たちも、たくさんの自画像を描く過程で未知なる不安を取り除いていったのかもしれません。『よく生きることは人間の仕事である』を読んで、私も、文章という形の自画像を描いていきたい、心の満足を追求していきたい、そう思いました。
 今は物を追うのでなく、目に見えぬ価値、美とか、善とか、上品な趣味とか、そういう心でなければ得られぬものの充実を求めたい。金で買える物の与える満足は浅く、長つづきしない。美しい絵、音楽、文学などを味わう心は、金銭でも物でも得られない、自分で学び、試み、努力してしか手に入らない。が、本当に人の暮しを豊かにするのはそういう心の満足しかないことがわかった。勇気をもってそっちにいこう。(『よく生きることは人間の仕事である』、中野孝次著、海竜社、1999年、p55)

 老年のよさとは、それが人間の成熟しきった段階だというところにある、とわたしは思う。肉体は衰えても、その代りに長い人生を生きてきた知恵がある。生涯に学んだ教養がある。何よりも一つの職業をやってきたプロとしての業と経験がある。つまり、形に見えぬ精神において成熟しているのが、老年の美というものであろう、と。(上同、p170)

2023年8月7日月曜日

「民主主義」に息を吹きこむのは私たち

 今の世界はというと、ウクライナ戦争は終わる気配はないし、それとの関連で防衛費増大が確実視されつつあるなど、明るい見通しが見えてきません。そんな中にあって、希望の持てる言葉に出会いました。それは、「空気のようにその価値が忘れられている『国民皆保険制度』のような宝物が、日本にたくさんあることに気づくこと。人間はかけがえのないものに出会ったとき、それを守ろうと立ち上がりたくなる生き物なのです。自分の頭で考え、決めて、行動する国民は、そう簡単に騙せません」(堤未果著『18歳からの民主主義』、岩波新書編集部編、2016年、p128)という言葉です。
 毎日接するニュースに明るいものがないためもあしますが、日本にあるたくさんの宝物と言っても、なかなか気付きません。それだけに、日本にあるたくさんの宝物を探し出し、「自分の頭で考え、決めて、行動する国民」になって行くこと、そうして「民主主義」に息を吹きんで行くことが大切になってきます。そこに希望を見出すことができるようです。
 長い間のアメリカ取材で繰り返し教えられたこと、それは、戦うべき敵を決して間違えてはいけないということです。
「民主主義」も「憲法」も、そこにあるだけでは美しい理想にすぎません。私たち国民が息を吹き込んで、初めて動き出すのです。そのためには歴史を知ること、政局ではなく制度をみること、空気のようにその価値が忘れられている「国民皆保険制度」のような宝物が、日本にたくさんあることに気づくこと。人間はかけがえのないものに出会ったとき、それを守ろうと立ち上がりたくなる生き物なのです。自分の頭で考え、決めて、行動する国民は、そう簡単に騙せません。大切なものをいくつも見つけ、自分や家族が住みたい幸福な社会を頭に描き、それを伝え続けてください。
 この国の状況が、政治が、今どんなに暗く見えたとしても、悲観することはありません。私たちが傍観者でなく「主権者」になったとき、未来は限りなく未知数になるからです。(上同)

2023年8月6日日曜日

為致者の常套手段「外敵を作れ」

 今日は、広島に原爆が落とされた日で、平和記念公園で平和記念式典が開かれました。そこで挨拶に立った広島市の松井一実(かずみ)市長は、核抑止論は破綻(はたん)している」として、世界中の指導者に対して、核抑止論から脱却するよう、訴えていました。
 北朝鮮がどうの、中国がどうの、と真面目に心配している人が結構いるように、「核抑止論から脱却できないのは外敵を恐れているから」と考えられているようです。しかし、現実は違うのです。外敵は作られていたのです。しかも、そうした現実は、なんと、シェクスピアの時代から変わらず続いていたのです。シェクスピアの声を聞いて見ましょう。

 ヘンリー四世は死の床で皇太子ハリーに言います、「反抗的な勢力はもっぱら海外遠征に送り出すようにしろ。国外の戦いに従事していれば過去の記憶は薄れるものだ」(松岡訳)と。ここを訳しながら、ほとんどゾッとしたことを思い出します。
 これは、古今東西の為致者がやってきた常套手段では? 国内の不満を抑えつけるために外敵を見つけたり、作り出したりして、そこに国民の目を向けさせるという戦略。げにシェイクスピアはおそろしい。(松岡和子翻訳家、演劇評論家『赤旗日曜版』、2023年8月6日)
 シェクスピアの時代から、為政者のはかりごとを見抜けなかったことになります。だからこそ、いまだに抑止論なるものが幅を利かせ、人類の生存さえ脅かしているのです。もう気づいて欲しいものです。

2023年8月5日土曜日

思考こそ生と力との息吹

 詩人のウイリアム・ブレイクに「羽虫の歌」という詩があります。その中の一節「思考こそ生と力との息吹であり、思考せぬことが死であるならば」が私の心に響いてきました。でも、これだけでは何かが足りません。思考した結果としての”志”は、植物に絶えず水やりが必要なように、思考の手入れも欠かせないからです。
 分厚い本『独学大全:絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』(読書猿著、ダイヤモンド社、2020年)によると、志の強さは、それを立てた時間にあるのではなく「自身の行為や思考を絶えず志に結び直した、その繰り返しの中に生じる」(p67)といいます。つまり、思考や意志、意欲、志といった想いには、絶えざるメンテナンスが欠かせない、ということでです。
 紙片に残されたメモに「目標を定め、その想いの強さが行動を変える」とありました。「思考こそ生と力との息吹であり」に続けると、「思考こそ、目標実現のはじめの一歩」ということにもなるのです。そういえば、稲盛和夫さんも、思うこと、思いつきが「物事の出発点」になる、と次のようの語っています。加えて、
「具体的な戦略・戦術を練って」(p75)、その”思いを強める”ことにも言及しています。「具体的な戦略・戦術」も思考なのだから、「思考こそ生と力との息吹」であることには変わりないようです。
 一般には「そんな思いつきで、ものを言うな」とよく言われるように、「思いつき」というのは軽いことだと思われがちです。しかし、実はその「思いつき」こそが非常に大事なのです。人の心に浮かんだ様々な「思いつき」が、発明・発見の原動力となり、今日の科学技術を生み出したのです。このように、「思う」ことは物事の出発点となります。人間の行動は、まず心に「思う」ことから始まるわけです。それがなければ、人間は何も行動を起こすことができません。多くの人は「思う」ことを簡単なことだと捉え、軽んじていますが、「思う」ことほど大事なものは他にありません。(『プレジデント』、2022年12月2日、p73)

2023年8月4日金曜日

図書館と美術館の魅力

 私の大切なものは、図書館の利用カードと美術館の年間パスポートです。
 初めは市立図書館に通っていました。そのうちに市立図書館にない本を求め、県立図書館や大学の付属図書館からも借りるようになって、時には3つの図書館をはしごするようになってしまいました。
 そんな私ですが、本などなかった農家で生まれ育ち、教科書以外に本を読むという経験がないまま社会に巣立ちました。それでも、学校の先生に勧められた「毎日でなくてもいいから、書きたいときに書く日記」を書くことだけは実践し、その過程で『人生手帳』という雑誌に出会い、その雑誌の読書サークルに参加するようになって、少しづつ読書もするようになってきたのです。
 なぜか、家で本を読む時よりも図書館で読む方が集中できます。そんな環境の図書館が好きですし、書架に並んだ本を眺め回って気に入った本を見つけた時の喜びも、図書館の醍醐味の一つです。
 美術館の年間パスポートは、企画展でも何度でも鑑賞できるのが魅力です。
 絵には、画家の「生き生きとした生命力を宿し」ているという人もいます。そのことを若冲の展覧会(福島県立美術館)を何度も見て痛感しました。「象と鯨図屏風」を鑑賞していたら、初めはさほど魅力を感じなかったのに、二度か三度目の時、鯨が波の中に「今まさに潜っている」ような錯覚に陥り、とても七九歳の作とは思えないくらいの迫力を感じたのです。
 画家には、何度も美術館に通って作品を模写しながら学んだ画家もいるようですが、鑑賞者も、何度も同じ作品を見ることで新しい気づきを得たり、記憶に定着し易かったりして、図書館通いと同じく、脳の活性化にもなるのではないかと期待しています。

2023年8月3日木曜日

自然がなければ生きられない

『十七條憲法』には、「山川国土草木禽獣、あらゆる動物、どんな人間の上にも神様がその御心を宿させられるのであります」(『聖徳太子十七條憲法講話』、暁烏敏著、日本放送出版協会、1935年、p12)といった日本独特の宗教観が中心思想となっているようだが、その思想が現代科学思想という形で蘇ってきているようである。
 例えば生命科学者の中村桂子さんは、 「一つ一つの生きものが長いいのちの歴史の中にあるのです。私たち人間もその中の一員であることを忘れずにいれば、生きものを大切にする気持ちはおのずと生まれてくるのではないでしょうか」(『老いを愛ずる』、中村桂子著、中央公論社、2022年、p82)と「すべての生きものに仲間としての眼差しを向けること」(同、p81)に重要性を訴えている。
 また朝日新聞(2023年8月3日)には、動物行動学者、ジェーン・グドールさんのインタビュー記事で「人間と動物はお互いを尊重しなければなりません」と言って、次のような警告とも取れる言葉を寄せている。

 私たちが抱えている大きな問題の一つは、自然から切り離されていることです。人間の未来の存続は、健全な環境が保たれるかにかかっています。それは動物や植物が複雑に絡み合って構成されていて、すべてが役割を担っている。そのひとつが失われるたびに、生態系は不安定化し、いつかは生態系全体が崩壊します。

 この地球で生き続けるためには、いますぐ行動を起こさなければなりません。私たちは地球の自然に依存していて、自然がなければ生きられない。覚えておくべきことは、私たちは自然の一部であるということなのです。

 日本独特の宗教観が、このように現代社会に甦っているだけでなく、その重要性が増してきていることに気づくべきである。 

2023年8月2日水曜日

伝統とは再生なのである

  諸橋近代美術館に行くと、ロビーの展示スペースにダリの言葉も展示されている。その中に、「伝統とは、外科手術でも切断でもなく、革命でもない —— 再生なのである」という言葉があった。美術館では気が付かなかったが、しばらく経ってメモを読み直したら、サルバドール・ダリの「引き出しのあるミロのヴィーナス」などは、ミロのヴィーナスの再生ではないか、と気づくことができた。

引き出しのあるミロのヴィーナス

 それだけでない、多くの画家はたくさんの模写作品を残しているが、その模写も一つの”再生”と考えることができるのではないだろうか。例えばゴッホは、ミレーの「種まく人」を模写したゴッホの「種まく人」が有名だが、ミレーのたくさんの「『野良仕事』のスケッチ」を、題名を変えて模写していた。

ゴッホの「種まく人」
 例えば、ゴッホ「鎌で麦刈る人」1889年9月、大鎌で麦刈る人」1889年9月、「麦を束ねる女」1889年9月、「熊手を持つ農婦」、麦を束ねる人」1889年9月、「わらを刻む農婦」1889年9月、「麦を叩く人」1889年9月、「羊の毛を刈る人々」1889年9月、「糸を紡ぐ女」1889年9月、「木こり」1890年2月などである。これらゴッホの模写作品を見ると、「ゴッホによって新たな命を吹き込まれた」見事な再生作品ということがよくわかる。これら芸術作品だけでなく、『十七条憲法』なども、再生させて、新たな命を吹き込む必要があるのかもしれない。

ゴッホの「大鎌で麦刈る人」

ミレーの「野良仕事」


2023年8月1日火曜日

眠れないことを苦にする不眠症

 不眠症で苦しんでから、もう一年になる。苦しくなって不安になり、夜中に救急隊員に電話したこともあった。 結局対応してくれる病院を紹介してもらい、病院の看護婦さんと話しただけだった。何度も心療内科で薬をもらったほうがいいのではと思ったこともあった。そんな状態だったが、接骨院でマッサージをしてもらったりしているうちに、次第に眠れるようになった。それから、2ヶ月くらい前に、軽い不眠症になったが、その時は、クエン酸を飲んだり、上下運動をしたりして早めに克服することができた。
 今、こうして振り返ってみると、体調が悪くなると、不眠症になってしまったように思われる。しかし、不眠症に対する、なるほどと思える定義を見つけた。「不眠症とは、眠れない病気でなく、眠れないことを苦にする病気」(子屋壽著「西医学ノート」『西医学』1951年3月、p72)だというのだ。
 続いて、睡眠の心がけについて、次のように書かれていた。
 睡眠は、眠る時間の長短が問題でなく、眠る時間と眠る深さとの相乗積である。われわれは眠る時間を極力短く、眠る深さは極力深くするように心がけるべきだ。眠くなるまで起きて居て仕事をし、眠くなったときに寝るという方法を採れば、時間を短く、眠りを深くことができる。(上同)
 眠りの常識を疑うようなことだが、心に留めておきたい。そして、生活リズムの重要性を守りながらも、やりたいことが残ってリズムが狂うことがあっても、どっちに転んでもシメタの気持ちで気楽に生きることが重要なのかもしれない。