「行動の先に希望がある。行動を続けることで未来は切り開かれる」(サルトル) 「人間は進化する存在。今の自分を超えて、創造的であり続ける『超人』を目指せ!」(ニーチェ) こうして社会に発信するというささやかな行動を通じて、一歩でも二歩でも、未来を切り開いていける存在でありたいです。
2022年11月30日水曜日
「構造的差別」という矮小化
確かに、「構造的差別」が新米軍基地問題を長引かせているという側面もあるにはある。しかし、「構造的差別」があるのは沖縄だけではない。原子力発電所のある地域にも、「構造的差別」があると言われている。だから、新米軍基地問題を「構造的差別」 の問題に矮小化してはならないのだ。
「頭ごなしの閣議決定で基地建設が強行されている。構造的差別を行う側の当事者であるヤマトの人々の態度が問われている」(親川志奈子著「28・6万の『いいね』——ひろゆき氏ツイート現象が炙り出したもの」『世界』、22年12月号」と書いているが、これでは、「基地建設が強行」よりも、「ヤマトの人々の態度」の方が問題がある。あるいは、「ヤマトの人々の態度」に問題があるから「基地建設が強行されている」と読み取られても仕方がない。
では、1番の問題は何か、ということになる。辺野古の新米軍基地問題は、原発再稼働問題の閣議決定、防衛予算倍増の閣議決定などの問題と本質的には同じであることである。つまり、万国の労働者ではないけれど、問題を抱えて苦しんでいる人たちが手を繋いでいけるようにすることではないだろうか。根っこは同じであることに気づき、手を繋いで声を上げていくことが大切、ということである。
2022年11月29日火曜日
仙崖の「民主的な思想」
2022年11月28日月曜日
芸術における伝統と創造
一つの例として、尾形光琳作「住之江蒔絵硯箱」が紹介された。藤原敏行による「住之江の岸による波よるさえや/夢の通い路人目よくらむ」からイメージを得て制作されたものだが、自ら内箱蓋裏に「光悦造以写之」と書いている。解説によれば、「光悦のデザインを光琳はそのまま用いて、そこに自分の美意識を加えて新しい作品を造った。継承と新しい創造というのがうかがわれる」という。
2022年11月27日日曜日
闘争より平和の哲学
早速手元にあった『哲学する心』をパラパラと読み、今こそ彼の思想を学ぶべき時である、と確信した。そう思わせた文章がヴェトナム戦争に思いを馳せながら綴った次の一文である。ヴェトナム をウクライナに置き換えれば、立派に今に通用する内容で驚いたくらいである。
ヴェトナムにおける人間相互の殺し合いを、私は見るにしのびない。あれが、世界の本質で、やがて世界全体があのようになるのだと思いたくはない。あれはまちがった世界で、ほんとうの世界は、別なのだと私はみたい。そのために、いったい人類はどうしたらいいのであろう。
アラブにおいて起こったことが、私を憂えさせる。イスラエルの片目の国防相は、私には、旧約聖書に出てくる奇怪な英雄を思い起こさせる。民族と民族との間にある憎悪を静めるべき役割をもつ大国どもは、かえってその憎悪に火をつけようとする。暴力がここでも、平和への熱望より、はるかに確定的な役割を果たしたかにみえる。
世界は、さまざまな種類のわからずやどもにより一触即発の危機にのぞんでいるかにみえる。闘争より平和が、人類ばかりか生物のほんとうのあり方であることを人類全体に説得する哲学が必要なのである。(『哲学する心』、梅原猛著、講談社、1968年、p47)
もし今、「ウクライナの世界はまちがった世界だ」などと言ったら、馬鹿にされるだけかもしれない。しかし、世界から戦争は無くならない、などという考えは、確実に間違っているのは明らかだ。。無くす方向にもっていかなければ、「一触即発の危機」の確率が確実に増してくるからだ。そのことを分かっていながら、その危機を避けようとしないということは、未来社会の人々に対する裏切りに他ならない。
2022年11月26日土曜日
「能動的な読書」というスタイル
あえて特徴をあえるならば、特定の技術的な要素が加わると言えるかもしれない。『英語長文の読み方流れが見える読解マッピング』の場合は、読解のキーとなる単語に注目して読んでいく。そういう意味では、三色ボールペンを片手に読んでいく、という齋藤孝さんが提唱している読書も、能動的読書に入る。
2022年11月25日金曜日
「論理」が尊重される社会に
いまの世の中は「論理」が蔑ろにされる場面が目立ちます。ネット上の論争の中には、大半が議論とは呼べない代物が見受けられます。ただひたすら攻撃的な罵倒語を投げ合っているだけ。テレビの討論番組を見ていても、声と態度の大きい人が強引な論法で相手を黙らせ、勝ったように見えることが少なくありません。
国会の論戦や政府の記者会見はいわずもがな。「問題はない」「指摘は当たらない」といった根拠なしの強弁や、論理性のかけらもない言い訳などがまかり通っています。まっとうな理屈がなかなか通らない。議論の土台そのものが揺らいでいるのが、いまの大きな特徴であり、深刻な問題のひとつではないでしょうか。(『数学的思考ができる人に世界はこう見えている ガチ文系のための「読む数学」』、齋藤孝著、祥伝社、2020年、p248、強調は引用者による)
2022年11月24日木曜日
人間の愚かさの治療薬「謙虚さ」
こうした国民の不安を背景に、「防衛費の増額」が議論されている。果たして、このような軍事力による防衛戦略で、「この国のすべての人々が、安心して暮らせる社会と生活を守ること」(朝日新聞「主張」、2022年11月24日)ができるのだろうか。
残念だが、それは難しい。なぜなら、これまでの歴史が教えてくれているだけでなく、次に示したように、軍拡競争に未来はないからだ。そして、”知の巨人”と言われているハラリ氏による処方箋「人間の愚かさの治療薬となりうるものの一つが謙虚さ」は、日本国憲法の精神でもある人間の尊厳に通じるとことがあって心強かった。
軍を増強し、果てしない軍拡競争に乗り出し、どんな争いにおいても譲歩を拒み、善意の意思表示は罠にすぎないのではないかと疑う。そうなれば、戦争の勃発は確実になる。その一方で、戦争は不可能だと決めつけるのは考えが甘い。たとえ戦争はどの国にとっても壊滅的な結果をもたらすとしても、人間の愚かさから私たちを守ってくれる神もいなければ、自然の法則もない。
人間の愚かさの治療薬となりうるものの一つが謙虚さだろう。国家や宗教や文化の間の緊張は、誇大な感情によって悪化する。すなわち、私の国、私の宗教、私の文化は世界で最も重要だ、だから私の権益は他の誰の権益よりも、人類全体の権益よりも優先されるべきである、という思いだ。世界に占める真の位置について、国家や宗教や文化にもう少し現実的で控えめになってもらうには、どうしたらいいだろう?(『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』、ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社、2019年、p236〜237)
「新たな世界大戦が避けられないと決めてかかるのは、とりわけ危険」です。「各国は、戦争は避けられないと思い込めば、軍を増強し、果てしない軍拡競争に乗り出し、どんな争いにおいても譲歩を拒み、善意の意思表示は罠にすぎないのではないかと疑う。そうなれば、戦争の勃発は確実になる」(註2)からです。
人間が戦争へ向かっていくのは、「人間の愚かさ」だと言い。その「人間の愚かさの治療薬となりうるものの一つが謙虚さだろう。国家や宗教や文化の間の緊張は、誇大な感情によって悪化する。すなわち、私の国、私の宗教、私の文化は世界で最も重要だ、だから私の権益は他の誰の権益よりも、人類全体の権益よりも優先されるべきである、という思いだ。世界に占める真の位置について、国家や宗教や文化にもう少し現実的で控えめになってもらうには、どうしたらいいだろう?」(註2)
改めて、カントのへ
SNSで発信した意見が拡散し、「#MeToo運動」のように一つの大きな力となって社会を変えていくことも可能になりました。
国民の一人一人が自由に思考し、行動する能力を高めれば、やがて国の統治にも影響を及ぼせるとカントは述べています。
「統治者は、もはや機械ではなくなった人間を、その尊厳にふさわしく処過することこそが、みずからにも有益であることを理解するようになる」
2022年11月23日水曜日
脳年齢を改善する「速音読」
それでは、手軽に脳の活性化を促し、アンチエイジングになる方法はないものであろうか。実は齋藤孝さんが、次のように「速音読」による脳年齢の改善を提唱している。
人の若さは、⋯⋯見た目以上に脳年齢が重要だと考えます。脳が若ければテンポよく話し、行動できる。すると、高齢者でも「シャキシャキして若々しいなぁ」と思われるはずです」(『PRESIDENT』より)。
そのために、「速音読」をすると良い。1分間にできるだけ早く音読するトレーニングで、会話もテンポ良く、ハキハキと喋れるようになる、という。そこで考えたことがある。できるだけテンポの早い音楽を選び、聴いたり、音楽に合わせて体を動かせば(リズム体操)、脳も体も活性化するのではないか、と。大極拳とは真逆だが、やってみる価値はありそうだ。
2022年11月22日火曜日
情報の断片を結びつける能力
「教育」の世界では、今何が起こっているのか。著者は「教師が生徒にさらに情報を与えることほど無用な行為はない」と指摘します。すでに子どもたちは膨大な量の情報にさらされ、どんなテーマでもクリック一つで最新情報が手に入ります。ただし矛盾する情報も多いため、人々は何を信じていいか迷ってしまう。よって今の教育に必要なのは、情報そのものではなく、「情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力」、さらには「大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力」を育てることだと述べています。
(中略)
この連続する世界においては、一見するとバラバラな情報をうまくつなぎ合わせて、全体を捉える能力が不可欠です。これはピータ―・M・センゲの著書『学習する組織」で紹介されたシステム思考にも通じます。システム思考とは、一つの要素だけで考えるのではなく、様々な要素を矢印でつないで全体を捉えようとする考え方です。情報を結びつける力を鍛えるには、紙に要素を書き出して矢印でつなぎ、図式化して考える習慣をつけるといいでしょう。私は本や文章を読みながら、内容を図にまとめるのが好きです。(「齋藤孝の人生がうまくいく[古典の名著]」『PRESIDENT、2022.7.15』、p86)
2022年11月21日月曜日
対立から対話へ、その前提は共通認識
どういうことかというと、理想を「戦力の放棄」などにしてしまうと、すべての人が納得できる共通認識にはなりにくいけれど、「みんなが生きていてよかったと思える世の中」という理想であれば、すべての人(例えば憲法9条を変えて方が良いと考えている人でも)が納得できる共通認識になるのではないか、そう思ったのである。
なぜ共通認識か、だが、共通認識としての理想があれば、思想的な対立(9条の是非をめぐる対立など)があっても、同じ対話のテーブルにつくことができるようになるのではないか、そう思ったのだ。紛争を話しあいで、というなら、まずは国内において、対立から対話へ移行することが大切では無いか、と。その前提が、「みんなが生きていてよかったと思える世の中」という共通認識としての理想だと思う。
2022年11月20日日曜日
南米の一連の左傾化は希望
ブラジル大統領選で労働者党のルラ氏が勝利し、これで南米12カ国中8カ国が左派政権になったという。赤旗日曜版コラム『風の色』を読んで初めて知ったことである。そのコラムによると、
ルラ氏は森林破壊ゼロと3300万人の飢餓を無くすことを目指すと宣言してる。アマゾンの守り人である先住民の"虐殺"の流れは、ルラ大統領の就任で先住民の権利尊重へ変わるようだ。政治の二極化が激しさを増しているのは心配だが、全ての命のための政治を人々と共に実現していこうとする道。これほどに希望がある未来はないし、「ピンクの潮流」が世界中に広がる日が待ち遠しい。(「2022年11月20日、赤旗日曜版コラム『風の色』、小野りりあん〔モデル・気候活動家〕著」より)「ピンクの潮流」という言葉も、今まで知らなかったが、2000年代初頭の左傾化のことを指していることがわかった。南米の一連の左傾化は、かつての「ピンクの潮流」の左傾化を思わせるため、南米の一連の左傾化を「ピンクの潮流」と呼んでいるらしい。
2022年11月19日土曜日
絵画における主題について
「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を鑑賞してきた。今回は、滝という主題の作品を150点も描いているということに強い印象を受けてきた。強い印象を受けてきた。主題といえば、自画像や宗教画、風景画などが一般的だが、滝といった滝といった絞られた対象を主題にこれほどの作品を描いたことに感銘を受け、自分の興味関心も、絞り込むべきではないかという気づきを受けてきた。
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| ヤーコブ・ファン・ライスダール「城山の前の滝」 |
そういえば、日本経済新聞コラム「美の十選」で、雲を主題にした作品を紹介していた。その一回「空を見上げて(1)」は、コンスタブルの「雲の習作:木々の地平線」だった。「かれは描く、海辺で、森で、村落で。激しく動き、流れゆく雲を追いかけて、なかに溶け込んでしまうかのように」( 哲学者小林康夫著『日本経済新聞』、2022年11月7日)
私は、何を追いかけたらいいだろう。憲法や民主主義という広い概念の中から、滝や雲に相当するしぽられた対象を見つけ、ヤーコブやコンスタブルのように追いかけてみたい。
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コンスタブル「雲の習作:木々の地平線」 |
2022年11月18日金曜日
憲法の初心忘れるべからず
そして、もう嘘をつき通すことはやめよう、と言いたい。「今、自らに問うべきは、『もう一度平和主義の仕切り直し、もう一度⋯⋯平和憲法の仕切り直しを積極的にやるような状況』(『アジアから日本を問う』、姜尚中著、岩波書店、1994年)に立たねばならないのである」(『政治は途方に暮れている その理念と現実』、内山秀夫著、日本放送出版協会、1994年、p12)改憲など、とんでも無いことなのだ。
2022年11月17日木曜日
国家百年の大計
人生は短きも芸術は長し、というが、独り芸術のみでなく、一般の仕事の生命もまた、真理に叶っている限り、永遠不滅である。
転々変化する 目先の事物や思想に囚われて所謂臨機応変の政治的、或いは経済的工作を為すことも国策の一つではあるが、国策として最も重要なるものは、国家生命の永続性に鑑みて百年の大計を建て、着々之を実行してゆくことである。(『武藤山治全集 6』、武藤山治著、新樹社、1965年、p464、新漢字にしたりして読みやすくしている)
2022年11月16日水曜日
日中韓3国共同歴史編纂委員会
東アジアに平和共同体を建設するためには、国境を越えた歴史認識をつくりだす必要がある。2006年、ドイッとフランスは共同で編集した歴史教科書の現代史部分である『1945年以降のヨーロッバと世界(Europe and the World since 1945)』を出版した。これは、ドイッとフランスによる1930年代からの努力の結果である。ドイツとポーランドも1972年から同様な共同研究を開始し、その研究結果はすでに教科書編纂に影響し、2010年に歴史教科書編集への提言がなされた。いずれも国境を越えた歴史認識を構築した成功例として認められている。
ヨーロッバの状況と比べて、アジア、とくに日本・中国・韓国などの国家の間では、歴史認識問題の面で差異が顕著にあらわれている。では、日中韓3国の間で歴史問題の対話をすすめることはできないのであろうか? さらに、国境を越えた歴史認識を構築することはできないのであろうか? こうしたなか近年、日中韓3国の研究者、教育者の間で、国境を越えた歴史認識を構築するための有意義な試みと努力がすすめられてきている。(『新しい東アジアの近現代史 下』、日中韓3国共同歴史編纂委員会編、日本評論社、2012年、p233)
2022年11月15日火曜日
「戦争が必要」という異常
アメリカにおいて、多くの市民が銃を所持している。それ故の悲劇が後を経たない。こうしたアメリカの銃社会を分析した『銃社会アメリカのディレンマ』では、次のように、銃器などの兵器の「恒常的需要のため、戦争が必要であり」とまで言い切っているのだ。
アメリカは武器を販売する国であり、それはアメリカの経済基盤になっているという現実があった。平和と家族を守るためという名目で兵器やけん銃が作られ、販売される。そして、皮肉なことに、その恒常的需要のため、戦争が必要であり、国内では、銃を使った犯罪が頻発しなければならない。(『銃社会アメリカのディレンマ』、丸山隆著、日本評論社、1996年、p189)
2022年11月14日月曜日
「一汁一菜」の思想
「一汁一菜」の思想土井は、料理が大事ではない、とは言わない。何よりまず、人間とその命を大事にすることが、優先されなければならない。命を大事にするのに、一番適しているのは料理。そこまではいい。ただし料理することに時間的・金銭的・心理的コストをかけすぎて、自分自身を大事にできなくなったら本末転倒だし、そこまでコストをかけなくても、命を大事にする料理はできる。なんと、できてしまう。その技術論が、「一汁一菜」なのだ。(中略)そうそう、書名に必要なメッセージのほぼすべてが尽くされていた、という話が終わっていなかった。「でよい」の後を締め括る「提案」、これがまたよかった。わかりやすさや説得力を求める自己啓発書にありがちな、「〇〇したければ、〇〇しなさい(命令)」でも、「〇〇しなければ、〇〇になる(脅迫)」でもない。共感や納得を強制しない、柔らかな問いかけであり、誘いとしての「提案」。そこまで配慮の行き届いたメッセージだったからこそ、料理のプレッシャーに押し潰されそうな人たちの琴線に触れる、どころか、その柔らかい部分をかき鳴らしたのだ。(橋本麻里著、『別冊太陽:土井善晴』、平凡社、2022年、p11)
「一汁一菜」の技術料理することです。一人暮らしであっても、自分で料理すれば、生き生きと生きていけます。きれいに整えればいいですね。
「一汁一菜」というのは、「料理して食べる」を実現する方法です。誰にでもできるし、誰かに相談しなくても、いいと思えば、一人ですぐにだって始められる。
味噌汁を具だくさんにすれば、おかずの一品を兼ねるんですね。ごはんを炊いて、具だくさんの味噌汁を作ればそれでいいわけです。栄養的に何の問題もありません。和食には、メインディッシュなんてありませんが、西洋や栄養学の影響を受けて、メインディッシュから献立を考えるようになったのです。それは西洋で生まれた栄養学を、戦後日本人の栄養改善に取り入れたことにもよります。季節を取り入れた日本型の栄養学が必要です。
日常は一汁一菜で何も考えないでいいわけです。そうすれば、私たちの忙しさに追われた暮らしでも自分の時間を持てるでしょう。気持ちに、時間に、お金にも余裕があるときに、おかずを作ればいいのです。
肉を食べたい⋯⋯おいしいものを食べたいというのが現代人の欲求ですが、それを楽しみにすればいいですね。
AIと共存するデジタル社会、若い人が担う「未来」にも、「一汁一菜」のスタイルを、暮らしをつくる秩序の要にしてください。(『別冊太陽:土井善晴』、平凡社、2022年、p68)
2022年11月13日日曜日
”溺読”という精読
前に、座右の書というものもあるが、「溺読できた」と言えるような本に出会いたいものである。そのためにも、書き込みを入れながらも、丁寧に読み込む読書というものも、続けていきたい。まず初めに何を選ぶか、だが・・・。
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| 「目に留まった文章は、流すのではなく、必ずそのページに自らの気づきや疑問、 新たな着想などを書き込む。読み込みが深まっていくほどに、ベージは細かな メモ書きでびっしりと埋め尽くされ、ぽろぽろの状態に。読書から得たものを 考え尽くすことが、『一汁一菜でよいという提案」に代表される、土井の料理 哲学をつくり出している」(『別冊太陽:土井善晴』より)。 |
『魯山人著 作集』を手に入れ、料理や美術、物の見方まで、魯山人に師事したと言えるほど、読み込んできました。後で読み返した時、『魯山人が自分と同じことを考えている!』と驚くことがあるのですが、よく考えたら 『かつてこの本を読み、自分の中に残ったものを、まるで自分自身が考え出したことのように感じてしまっているんだな』と我に返ります。それくらい、血肉になってしまっている(『別冊太陽:土井善晴』、平凡社、2022年、p124)
2022年11月12日土曜日
「相互互恵」を旗印にした外交
とりわけ近年の中国が、経済の発展が減速し始める中で突出した軍事増強路線を続けており、共産党の独裁体制が続く限り、どうしても性急なナショナリズムやアジアの覇権に手を伸ばそうとする志向はなくならないことがはっきりしてきた。日本にとっては、同じ”覇権主義"であっても、このような未成熟で「粗野」な「覇権」よりも、アメリカの成熟し経験済みの「覇権」の方が、誰が見ても相対的には好ましいはずである。しかし、そのとき、「日本はアジアの友を見捨て、西欧の味方をするのか」という、元来誤ってはいるが、どうしても"直き心"あるいは「実直なる日本人」(司馬遼太郎氏の表現)の心の琴線に触れる問いかけが起るかもしれない。しかしこれに対しても、日本人が自信をもって返答でき、文明のアイデンティティと大きな国益が両立する「日本の選択」のあり方を示唆している点で、ハンチントンの示す道は、二十一世紀に入っても当面、日本人にとり大きな意義をもつものであることは間違いないであろう。『文明の衝突と21世紀の日本』、サミュエル・ハンチントン著、鈴木主税訳、集英社新書、2000年、p205)
2022年11月11日金曜日
ムンクの「太陽」とその習作
話は変わって、日本国憲法の三原則について、その憲法三原則相互不可分律という概念を作り、そのことについて、何度か文章にして発表したが、それらは、考えようによっては習作と言える内容かもしれない。もっともっといろんな角度から検討し作品に仕上げていく必要がある。ムンクの多くの習作のことを知って考えたことである。
そういえば、ピカソも、多くの習作を経て描いている。文学で言えば、推敲をしてしまって、元の作品がなくなってしまったものが多かったに違いない。しかし、推敲前の作品も残っていれば、それらも習作として立派な作品だったに違いない。
2022年11月10日木曜日
世界連邦のミニュチュア版
これまで、「加盟国の領有権抗争が発生するなど ASEAN内部での対立や衝突も何度か経験したが、外相会議を着実に積み重ね信頼関係を築く努力をつづけ、地域各国の協力機構の形成をすすめた」。素晴らしいことである。その上、1995年に東南アジア非核地帯条約を締結し、「ASEAN加盟国は、国連などで核兵器廃絶に向けた積極的役割を果たしている」のだから、日本も積極的に関与し、世界平和に貢献できるようになって欲しいものである。
コラム-ASEAN共同体形成への道
東南アジア諸国連合(ASEAN)は、「東南アシア諸国の豊で平和な共同体がつくられる基盤を強化する」(結成宣言)ことを目的に1967年に結成された。現在は東南アジアの全10ヵ国が加盟している。
第2次世界大戦以前の東南アジアは、タイを除く全部の国が欧米列強の植民地統治を受け、アジア太平洋戦争ではタイを除くすべての国が日本軍の侵略に晒され、軍事占領下におかれた。また第2次世界大戦後も植民地宗主国にたいする独立戦争やアメリカのベトナム戦争、さらには国家間の領有権をめぐる紛争や国家内での内戦、さまざまな戦争の惨禍を経験した。一方では、アメリカの主導により、東アジアにおける共産主義勢力の拡大を防くことを目的に、軍事防衛協力機構として東南アジア条約機構(SEATO)(1954年マニラにて締結)が存在していた(1975年ペトナム戦争の終結により段階的解体を決定、77年に解散)。
ASEANが結成された目的は、このような東南アジアの歴史や軍事環境からの脱却をはかるために、地域経済協力体制を強化して自由貿易地域(AFTA)を設定して経済発展をはかるとともに、戦争を回避する国家グルーフを形成することにあった。ASEAN諸国にとって、グアム・ドクトリンの実施と米中和解によるアメリカの撤退は、各国内に共産主義勢力の抵抗を抱えていただけに大きな衝撃であったが、その空白を埋めるために、各国は政治協力を強めざるを得なくなった。加盟国の領有権抗争が発生するなど ASEAN内部での対立や衝突も何度か経験したが、外相会議を着実に積み重ね信頼関係を築く努力をつづけ、地域各国の協力機構の形成をすすめた。
SEANは1976年には初の首脳会議を開催し、東南アジア友好協力条約(TAC)を締結、1994年からASEAN地域フォーラム(ARF)を開催、1995年に東南アジア非核地帯条約を締結した。同条約の実現は核戦力をもつアメリカが妨害してきたが、核兵器を配備していたとみられるフィリピンの米軍基地撤去により、締結の機運が一気にもり上がった。核保有5国は現在まで同条約議定書に署名していないが.ASEAN加盟国は、国連などで核兵器廃絶に向けた積極的役割を果たしている。
2008年11月には前年の首脳会議において署名されたASEAN憲章が、全加盟国の批准を経て発効した。ASEANは2015年に安全保障共同体、経済共同体、社会・文化共同体を3本柱とする共同体創設を目指しており、同憲章の発効は統合に向け、基礎が築かれたことを意味する。(『新しい東アジアの近現代史 上』、日中韓3国共同歴史編纂委員会編、日本評論社、2012年、p213)
2022年11月9日水曜日
震度6強で原子炉倒壊の恐れ
原子炉土台の4分の1が損傷していても「耐震性に問題はない」とする試算もあるようだが、耐震性に問題があると指摘している専門家がいることは見逃せない。その指摘というのは
「耐震上、重要な欠陥がある。緊急対策を考える必要がある」。1号機の原子炉内部の写真からこう指摘するのは、福島第一原発事故の研究を手がける森重晴雄さんだ。三菱重工で原発の耐震構造を研究し、現場責任者として四国電力伊方原発3号機の建設などに携わった経歴をもつ。(「朝日新聞、2022年11月9日」よりこのような事実が明らかになると、それでは、他の原子炉の損傷具合は大丈夫なのか、という新たな不安も生じてきた。やはり、東電に任せておいて大丈夫なのだろうか。国が率先して、廃炉というより、廃炉も含めた事後処理として、最優先課題として取り組むべき課題ではないだろうか。
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「本来はコンクリートで覆われているが、鉄筋がむき出しになった原子炉の土台[ペデスタル]。鉄筋の上に燃料デブリの可能性がある堆積物がある=国際廃炉研究開発機構、日立GEニュークリア・エナジー提供」(「朝日新聞、2022年11月9日」より) |
2022年11月8日火曜日
「恕」という老子思想の核心
老子は、「生涯行うべきことを一文字で表せましょうか」という弟子の問いに対し、「それは恕(じょ)だよ」と答えたという。その恕とは、「相手の身になってものを考える優しさや思いやりのこと」である。(『90歳を生きること 生涯現役の人生学』、童門冬二著、東洋経済新報社、2018年、p17からの要約)だとすれば、『鏡餅と鼠図』は鏡餅を飾った人に対する相手(ネズミのカップル)の身になってものを考えているから、「ネズミが盗んで行くことこそめでたい」ということになるのだと思う。
このような仙崖の思想や老子の思想が行き渡れば、平和の問題も解決するのではないか、そんな希望も生まれてきた。自国第一主義になってしまい、相手の身に立って考えられなくなるからこそ、戦争といった悲しい選択に走ってしまうに違いないのだ。核弾頭を保有している権力者たちには、核弾頭を落とされる相手の身のことなど念頭にないに違いない。仙崖の思想や老子の思想のさらなる展開発展が望まれる所以であろう。
2022年11月7日月曜日
人生の幸福は美術品のようなもの
幸福の原則
万人が幸福を追求して、然もその実現に困難を感じ、それを求むるに失敗がちな訳は何であるかといへば、多くの人は幸福と云ふものを自己本位のものとのみ考へ、従って自分のためにのみそれを見出そうと焦って居る所にる。
私は人生の幸福といふものは、丁度、美術品のようなものだと常に考へて居る。美術品が美しく人に愛好される訳は、その形成する種々な物体や色彩が各々其所を得て正しく配合され、調和されたところの微妙な表現と、其表現が人間の心に與へる快感と感化の力を持って居るからである。そして調子はづれした点があっては、美を欠いてしまふものである。人生の幸福も人間の社会生活に調和せぬ孤独の生活からは得らるものではない。
幸福は人間が社会的動物である以上、人間相互間の正しい調和があって、初めて存在するもので、彼幸福の方便である所の富も、社会の人々が各々その職分を忠実に守り、協同一致して働き合ふ所から生じて来るものである。つまり幸福は相対的のものである。そしてこの相対関係が益々正しく調和して行くに連れて、その愉快の度も増すのである。
卑近な例を舉げると、幸福はテニスをする愉快の如きもので、相手無くしては得られぬものである。テニスの競技から得られる最大なる愉快は、相手同志の腕前が可成り調和し且つ常に公正なる仕合、即ちフェアプレーをお互いがすることによって、初めて求められるものである。余り力に隔りがあったり、或はダーテイ・プレー(不正な仕合)をすると、その競技から、自他共に愉快を感ずる訳には行かない。(『武藤山治全集 6』、武藤山治著、新樹社、1965年、p126〜127、新漢字にしたりや改行を加えたりして読みやすくして紹介する)
2022年11月6日日曜日
戦争は「ツマラナイカラヤメロ」と!
あるいは、本当のところは「どうしていいのかがわからない」のかもしれない。でも、私にとっての出口とでも言葉を見つけることができた。今から35年前の冷戦時代に言われて言葉だが、「アメリカとソ連」を「ロシアとウクライナ」に置き換えれば、今に通じる真実を語っているのではないだろうか。つまり、「私たちや私たちの政府は、そう、ロシアとウクライナに対し、『ツマラナイカラヤメロ』とだけ言えばよい」と。
また、防衛費倍増と言った掛け声が大きくなっているだけに、「私たちの存在が他の人たちの脅威になる、そのことだけはしてはならないのではないか」という声にも、真摯に耳を傾けたいものである。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は素直に読んでゆけば、私たちが憲法で別の表現をしたものかもしれない。「北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」、私たちや私たちの政府は、そう、アメリカとソ連に「ツマラナイカラヤメロ」とだけ言えばよい。イランとイラクの人たちにもそう言うのだ。今を現在を悪くし、私たちの存在が他の人たちの脅威になる、そのことだけはしてはならないのではないか。そうした想いを夢だ、と言うのなら、私たちは日本国民をやめねばなるまい。(『いのちの民主主義を求めて』、内山秀夫遺稿集刊行委員会編、影書房、2015年、p428~429)
2022年11月5日土曜日
軍隊では国民は絶対に守れない
防衛費の増額は、当然自衛隊の本質を理解し、自衛隊の強化が不可欠という認識が前提だ。つまり、軍事力を倍増することで、本当に日本を守れるのか。日本国民を守れるのか。まず、こうした議論が前提になければならない。
沖縄戦では、日本軍に殺された沖縄県人がいた。日本軍は、国民を守るどころか、国民に銃口を向けてしまったことで知られているのだ。太平洋戦争で「私たちが確信したことは、軍隊では私たち国民は絶対に守れないという真実だった。いや、軍隊を守るために使ってはならない、といった方が妥当かもしれない。そして、戦争は死と破壊しかもたらさない、という事実がそれに加わる。戦争末期の私たちの生活は常に死を引きずっていた」(『いのちの民主主義を求めて』、内山秀夫遺稿集刊行委員会編、影書房、2015年、p451)。
内山さんの言葉は、この度のウクライナにおける防衛戦でも実証されてきていると言って良い。おびただしい「死と破壊」がもたらされているからだ。さらには、「これが戦争。ロシア軍が逃亡兵を射殺する督戦隊を展開か。英国防省の分析に戦慄」(朝日新聞夕刊コラム「素粒子」2022年11月5日 )である。建物は、建て直すことができても、亡くなった命は、決して戻らないのだ。だからこそ、軍隊で国や国民を守る、というのは、時代錯誤だし、間違っている。今こそ、「軍隊では国民は絶対に守れない」という真実に目を向けるべきであろう。
2022年11月4日金曜日
法を守らぬ現実への違和感
表現をするということは……「社会を変える方法」を手にするということです。(山田創平)これを読んで、初めはなるほど、と思った。しかし、「表現とは、個人の内に秘された何かを書いたり描いたりすること」もあるし、そうした目的で表現することも多い。だから、「表現とは、個人の内に秘された何かを書いたり描いたりすること<だけ>でない」というべきだと思う。
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「表現」を英語でエクスプレッションという。エクス(外へ)とプレス(押す)を合成して、内なるものを表出することを意味する。だが、表現とは、個人の内に秘された何かを書いたり描いたりすることでないと、都市社会学者は言う。表現とは社会への違和を形にすること。社会は変わりうると信じて動きだすこと。みずみずしい定義だ。京都精華大学のホームページから。(朝日新聞、2016年3月14日、折々のことば:339、鷲田清一)
それにしても、「表現とは社会への違和を形にすること。社会は変わりうると信じて動きだすこと」というみずみずしい定義は、時代にマッチした定義である。「社会への違和」ということで真っ先に浮かぶことは、国会議員自らが法を守らぬ現実への違和感に鈍感になってしまっていることだ。
2022年11月3日木曜日
被曝絵画「お母ちゃんを探して!」
早速ネットで他の絵も探してみた。やはり、紹介されていた。核兵器の恐ろしさ、戦争の恐ろしさは、決して忘れてはいけないことであり、伝え合わなければならないことだと思う。「二度と同じ過ちを繰り返さない」ためにも。
絵を描いた高校生は、被曝の記憶(たとえ他者の記憶でも)を絵にする過程で、被曝を追体験してきたのかもしれない。だとすれば、被曝体験を文学の形で表現した詩を朗読することも、被曝を追体験したことになるのではないだろうか。
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「お母ちゃんを探して!」 切明千枝子。はぐれた母親を必死で探す女の子に出会った(制作・福本悠那)(photo 写真映像部・東川哲也):(「被爆者の体験を聞き高校生が絵に」より) |
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「おびただしい遺体」 飯田國彦。被爆翌日、住吉橋の袂は被爆者で凄絶な状況(制作・サンガー梨里)(photo 写真映像部・東川哲也):「被爆者の体験を聞き高校生が絵に」より) |
2022年11月2日水曜日
気に入らぬ風もあろふに柳哉
どういうことか。夫婦喧嘩は、「夫婦喧嘩は犬でも食わぬ」と言われる如く一般的なものであろう。我が家でも、時々言い争いになることがある。なぜか。と書いて初めてわかったことがある。気に入らぬものと思って風に反発してしまう。だから喧嘩になってしまう。
柳は、黙って風を受け入れてしまっている。決してはね返そうとはしない。相手の言うこと(風)が気に入らぬこともあろう。それでも、黙って受け入れて仕舞えばいいのだ。これが夫婦円満の秘訣かもしれない。難しそうだが、実験してみる価値がありそうだ。
仙厓は大上段に振りかぶった説法がしたいわけではない。むしろあらゆる人びとと苦楽を共有する立場で草木に語らせているのである。だから《堪忍柳画賛》にいう「気に入らぬ風もあろふに柳哉」は、決して長いものに巻かれろとか、我慢しましょうという意味ではない。世の中にある理不尽や、人の力ではどうすることもできない厄災なども、そのままに受け止めながらなお幸せに生きることへの願いが込められていると理解できるのである。(中山喜一朗著、『仙厓 ユーモアあふれる禅のこころ』、中山喜一朗監修、別冊太陽、日本のこころ[243]、平凡社、2016年、p66)
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| 仙厓「堪忍柳画賛」(出光美術館蔵) |
2022年11月1日火曜日
仙崖の傑作『鏡餅と鼠図』
正月の鏡餅をネズミのカップルが盗んでいくところを描いた作品だ。鏡餅を盗むネズミはに憎いだろう。しかし仙厓は、ネズミが盗んで行くことこそめでたいのだと賛文に書く。善と悪、苦と楽、幸と不幸。二元論で考えがちだが、そもそも生きる喜びとは何かといった頭で考えると、なかなか答えの見つからない命題に対して、相対的な価値にとらわれてはいけないとほほえましい戯画に託して民衆の心に訴えかけているのだ。この作品は類似の図柄のない傑作である。(中山喜一郎著、『永青文庫』、2016年、No.96、p 11〜12)














