2023年2月28日火曜日

トマホーク400発の不安

 新聞の一面に掲載されていた「トマホーク400発購入へ 予算案、年度内成立確実に」(朝日新聞、2023年2月28日)というニュースには驚いた。「政府は新年度当初予算案にトマホーク購入経費として2113億円を計上している」。しかも、「相手の領域内にあるミサイル発射拠点などを攻撃する『敵基地攻撃』に使うことを想定している」というのだ。これでは、戦闘状態に片足が入ってしまうのではないか。戦国時代なら、真剣を上段に構えてしまったに等しいと不安に思ってしまった。
 最近「新しい戦前」という言葉が聞かれるようになった。今の日本は「戦前」なのだという認識が広がっているということを示しているわけだが、トマホーク400発購入になれば、「戦前」という認識がより実感となって迫ってくる。
 それにしても不気味だ。トマホーク400発購入に対し、国会やマスコミにおける反発が見えてこないからだ。「嵐の前の静けさ」という言葉もあるが、この静かさも、「嵐の前の静けさ」なのだろうか。心配が膨らんでくる。
 そういえば、「怒れ!」というような本があった。今こそ「怒り」を表明するときなのかもしれない。その前提として、今日本が置かれている状況を、憲法との関係で認識することが必要だと思う。マスコミも信じられないからだ。

 

2023年2月27日月曜日

驚く古代人の感性

 日本に古典文学に興味を持って読んだことはない。この度、図書館でふと目に止まった「ずらりと並んだ『21世紀によむ日本の古典』」が読みやすそうだったので借りてきて『方丈記』を読んだ。そして、自然の声を聞き、さまざまに想いを巡らせた古代人の感性に驚いた。波の音を聞いても、音そのものに感動するだけだった。しかし、波音に触発されて万葉集の歌を思い出したり、風の音に触発されて中国に詩人に想いを馳せたり、と、その想像力の豊かさに脱帽である。これこそ、教養の豊かさというものだろうか。今度放送大学で哲学の歴史を踏まえた概観を学ぶ予定だが、何かの折に、古代哲学者のエピソードなりを思い出したり、古代の哲学者に想いを馳せるようになりたいものである。
 もし、船の通ったあとの白波が、はかなく消えていくのを、自分の人生と思いくらべるときは、船をながめて万葉(奈良時代の歌集『万葉集』の歌人のある歌をまねて歌をよむ。
もし、かつらの木にふく風が、葉をさわさわと鳴らすときは、昔、中国の詩人の白楽天が、風のこずえにふくさびしい秋に、船の中で女のかなでる琵琶を聞いたという潯陽江(中国の川の名)を思う。そんなときには、昔の琵琶の名手源都督(源経信〉のまねをして、琵琶をひいてみる。
 ときに、琵趣をひくことに夢中になったら、松風の音にあわせて、雅楽の曲「秋風楽」や、水の流れにあわせて、「流泉の曲」をひく。けっしてじょうずではないが、別に人に聞かせるわけではなく、自分ひとりで演奏し、自分ひとり歌って、心をなぐさめるばかりである。(「方丈記」『21世紀によむ日本の古典 9』、ポプラ社、2001年、p32〜33)
 音楽が心を慰めることは、なんとなくわかる。それも、ただ聞くだけでなく、自ら演奏するといった能動的な関わり方をすれば、それだけ、音楽の世界に没入できるであろうから、癒しの力も大きいと思われる。『方丈記』を読んで、将来のなんらかの不安に対処する方法としてピアノ演奏を選んだが、今からその準備をしておく必要を痛感した。

2023年2月26日日曜日

いかに生かされているか

 雑誌『群像』(2020年10月号)の書評欄で、白川静の『中国古代の民俗』(講談社)が取り上げられていた。著者は作家の宮城谷昌光さんで「三省堂にはいってみつけたのが、この本である。わずかにひらいて一読しただけで、私の想像力はすさまじい力を得た。私はこのエネルギーに満ちた本を掴んだまま、これで小説が書ける、と実感した」(p182)と書かれていた。
 漢字の専門家である白川静の名前は知って言いたし、彼の仕事を評価する声も何度か耳にしたことがあった。新聞の書評欄も好きでよく読む。しかし、「このエネルギーに満ちた本」といった表現の書評は初めてだ。それだけに、この一言で、この本と、その著者に大いなる興味を抱いてしまった。
 批評家若松英輔さんが取り上げた本は『エックハルト説教集』(岩波書店)だった。この書評で、若松英輔さんが若い頃心を病んだことがあることを初めて知った。この本は「当時の私にとっては文字通りの意味で精神に革命を起こした一冊だった」と次のように書かれていた。

 この人物は、あまりの霊性の深さに周囲からはマイスター・エックハルトと呼ばれていた。「偉大な霊性の師」だというのである。生において最も重要なのは内界に余白を生み、神の働く場を作ることである。祈るとは、神に何かを願うことではなく、沈黙の声による神の声を受け止めることにほかならない。いかに生きるかではなく、いかに生かされているかを発見しなくてはならない、とエックハルトはいう。自分でどうにかしなくてはならないと思い込んでいた当時の私にとっては文字通りの意味で精神に革命を起こした一冊だった。しばらくして私は「書く」という営みを身に付けつつ、少しずつ癒えていったのである。『群像』、2020年10月号、p186)

 エックハルトの説く「いかに生きるかではなく、いかに生かされているかを発見しなくてはならない」ということは、無神論者の私にも興味のある言葉である。すぐには理解できないが(頭で理解することではないのかもしれないが)、心に留めておき、自らの新たな問い”にしたいと思う。

2023年2月25日土曜日

明日という日の作品

「明日やりたいこと、明日やるべきことを書きだし、”明日という日”を作品として作る。つまり、明日への設計図を下に一日を過ごすことによって、充実した日を送れる」(『知的整理術』・川又三智彦他著・日本能率協会マネジメントセンター、P11の要約)。子供が模型飛行機を作る時さえ、設計図と手順がある。なのに、自分の人生の大切な一日分について、ほとんどの人は何も準備していないのが実状である。
 毎年12月にもなると、新手帳の販売が始まる。しかし、一日一日についてだけでなく、一年の計画も、一生の計画もない人がほとんどではないだろうか。今日という一日は絶対に取り返しのつかない一日である。それなのにその一日を過ごすのに、設計図も手順もなく生きている人が多いという事実は考えてみると不思議なことだ。
 「とくに”人生の計画”などなくても、だれでも、それなりの生活ができるのは、人間の脳に自動航行装置があるからである。たとえば、ある時電子手帳を買ってしまったとする。そのことは、その時たまたま思いついたのではない。以前に自分が見たり、聞いたりして気になっていたことが潜在意識のなかに記憶されていて、その潜在意識の働きで電子手帳を買ってしまったのである。このような脳にある自動航行装置を当てにしていては、能率が悪い。潜在意識はきまぐれでいつ働きだすか分からないからだ。だから、人生航路の旅を充実させたいと思ったら、”マニュアル運転”に切り替えるべきである。
 そのためには、ちょっと気になったことを、どんなことでも書きとめて残しておくといい。そして、”つまでに何をしたい、明日はこれだけのことをやりたい”と書いたものに従って実行していくと、同じ物を手に入れるにしても、短時間で可能となる」。(上同、P83~84の要約)
 以下実践項目を列記すると、
1、欲しいものを5つ以上書き出す。
2、実現性の高い順に並べ変える。
3、それぞれについて、図面、設計図、見積もり、行程表を考える。
4、確実に手に入りそうな目標を実現し、目標を五つ達成すれば、成功のノウハウが身についたことになる。(P111~112の要約)

2023年2月24日金曜日

産軍複合体の本質

 産軍複合体については、これまで「産軍複合体という怪物」や「国費を食いものにする産軍複合体」で取り上げたことがある。ここでは、これこそ「産軍複合体の本質」ではないか、と思われる指摘を取り上げてみる。それは、「軍事技術や軍産複合体に社会全体が振り回されてしまった国々」と次のように書かれていたことである。「軍産複合体は社会全体を振り回す」という指摘は、産軍複合体の本質を言い表していると思ったのだ。

 アメリカやソ連の建材が不如意なのは、両国とも軍事経済体制を取っているからだと考える人々がいる。非軍事経済に移行するための音頭は日本が取るべきだとまで期待する人もいる。また、長い日本の歴史から教訓を取ることが出来ると考える人は多い。(故オルフ・パルメ氏もその一人であった)。
 それは、平和憲法を基にした第二次世界大戦後の日本の歩みを積極的に評価している人も多くいるということである。更に、この四十年の歩みが、実は、もっと長期的にみた日本的あるいは東洋的な伝統の一環だと考える人もいる。その例として良く引かれるのが、徳川幕府による鉄砲「廃棄」(詳しくは、ノエル・ペリン著の『鉄砲を捨てた日本人』―ー邦訳は紀伊国屋書店刊――参照)であり、あるいは、中国における火薬やロケットなどの発明がそのまま膨大な兵器体系に結び付かなかったこと等である。これが、技術一般、特に軍事技術を考えるに当って、人間や社会の側に主導権があり、人間がコントロール出来るのだという好例として紹介される。軍事技術や軍産複合体に社会全体が振り回されてしまった国々の真似をするのではなく、より人間的な目的に沿って技術を利用し経済を動かしてきた国の経験こそ貴重だというのが、こうした人々の考え方である。
 こう考えてくると、日本という平和国家が抱いている理想像、それを達成するために日本が創り出してきた諸制度やノウハウを世界に分って貰える形で提示して行くことこそ、今、日本が世界に対して出来る最大の貢献かも知れない。(秋葉忠利タフツ大学助教授[数学]著「日本の理想を示す時」『世界』、1986年7月、p23)

  ここで、軍産複合体が登場してきたのには意外だったが、数学者として、外野から社会を見たこともあり、社会の本質がよく見えたのかもしれない。秋葉忠利氏には『数学書として憲法を読む』や『報復ではなく和解を』といった著書もあることがわかり、その内容にとても興味を覚えた。また楽しみが増えた。

2023年2月23日木曜日

積極的な行動に失敗なし

 文章を書きながら今まで温めてきたものを、初めて第三者に話す機会があった。私個人が驚いたのだから、みんなも少しは驚いてくれるだろうと期待していた。しかし結果は、少しも驚いた様子がなかった。
 そのことで、ちょっとがっかりしてしまった。しかしよく考えると、今のままの文章では内容に説得力がなく、その上独り合点の傾向にあった。そういう意味では、今回の発表は成功だったとも言える。積極的に前を向いて行動を起こしたことには失敗など存在しないのかもしれない。
 そういえば、エジソンが電球を発明する過程の度重なる実験結果について、「失敗は成功の元」と言っていた。エジソンは、「~では十分な発光が得られないことが分かった」と言って、どんな結果になろうとも、失敗とは思わなかったという。エジソンにとって積極的に前を向いて行動を起こしたことには失敗など存在しなかったのだ。
 何かをやり遂げるには、どんなことであれ、必ず幾つかの段階を踏まなければならない。一足飛びにやり遂げることができるものがあったとしても、そういうものは、ただ簡単なだけだ。それなりのものをやり遂げるには、必ず幾つかの段階が必要なのである。そう考えると、今回の発表も、エジソンの度重なる実験も、一つの成功に向かって一歩一歩前進している過程ということになる。だからこそ、「積極的な行動に失敗なし」なのである。

2023年2月22日水曜日

人間は完璧な存在である

「人間は何歳になっても未完成な存在」である。もし、芸術作品や工業製品の完成品のように、人生の途上で人間が完成してしまったら、それ以降の人生に進歩向上の楽しみが無くなってしまう。それではあまりにも寂しい。子供の成長が楽しみなように、人間にとっては、いくつになっても成長することが大きな楽しみの一つだからだ。
 人間の脳は、病気にでもならない限り成長が可能だと言われている。それゆえに、「人間は何歳になっても未完成な存在であり、進歩向上が可能」なのである。
 このことは、誰もが疑うことのできない事実である。そこで思いついたことは、このような誰もが疑うことのできない事実を人生論の定理として人生論を論じれば、説得力のある人生論になるに違いない、ということだ。たとえば、この前提としての定理を認めれば、劣等感などで悩むことはナンセンスということになる。もともと人間が未完成な存在なら、劣等感の原因となり得るものは誰でももっていることになるからである。
 ところで、いろんな人が、人間は完璧な存在だ、と言っている。
 津留晃一さんは、「私は、本来、完全である」と言い。
 宝彩有菜さんも
「宇宙も地球も分子や原子も、木も草も、鳥や獣も、私も貴方もすべて完璧です。ただ、楽しませて貰うだけです」と言っている。
 さらに、神田昌典さんも
「怒りも愛も、泥も虹も、闇も光も、同様に完璧だ。いつも、そう感じられるように、ボクはなりたいと思っている」と言っている。
 このような、「人間は完璧な存在である」という考えは、「人間は未完成な存在である」という定理に反するようにも思えてくる。しかし、人間は未完成な存在だからこそ、どのような人も、
何歳になっても成長し続けることができる。だからこそ、「人間は完璧な存在である」と言えると言えよう。

2023年2月21日火曜日

民主主義に軍事力は相容れない

 民主主義について、正しく理解されていない。そして、上辺だけの民主主義論が横行しているように見える。なぜなら、民主主義についての”専門家”と思われている学者宇野重規の言説に違和感があるからだ。彼は東京大学社会科学研究所教授で専門は政治哲学・政治思想史、『民主主義とは何か』や『民主主義を信じる』などの著書もある。しかし、朝日新聞のインタビューに答えて「たしかに、東アジアや世界で高まる安全保障上の緊張に対応するうえで軍事力は重要なファクターですが、今後の世界や地域の平和と安定を考えると、経済的関係や外交による外国との信頼関係の構築、文化的なある種の相互浸透などと複合的に考えていくべきだと思います」(朝日新聞、2023年2月21日)と述べ、軍事力を、安全保障上の「重要なファクター」と言って肯定している。この態度は、明らかに民主主義に反する。
 ジーン・シャープは『独裁体制から民主主義へ』の中で「民主主義的な防衛政策」という項目を設け、「新たな自由国家は、抵抗の力を市民の手に委ねることによって、軍事力を構築する必要性を回避することができる。軍事力はそれ自体が、民主主義を脅かしたり、本来ならば他の目的に向けられるべき多大な経済的資源を奪ったりするものだ」(『独裁体制から民主主義へ』、ちくま学芸文庫、p132)と述べ、民主主義にとって軍事力はなじまない、従って「民主主義に軍事力は相容れない」と解説しているのだ。この立場こそ、真の民主主義の姿であろう。
 宇野重規の著書で『民主主義を信じる』などと言っているが、軍事力を肯定した「民主主義」では困る。本の中では、真の民主主義の姿を描いているかもしれないので、きちんと読み、宇野重規の民主主義論というものを明らかにしてみたい。それにしても、防衛費倍増に向かおうとしている今こそ、多大な防衛費の負担は「本来ならば他の目的に向けられるべき多大な経済的資源」を奪ってしまうというジーン・シャープの声に耳を傾けるべきである。

2023年2月20日月曜日

褒める(感謝)ノート

「天に唾する」という言葉がある。天を仰いで唾を吐けば自分の顔に落ちてくることから、人に害を与えようとして、かえって自分自身がひどい目にあうことのたとえである。この言葉の意味はもっと深いようで、実際に害を与えようとしなくとも、人を責めるような思いを抱いただけで、その思いが自分に返ってくることが分かった。
 いつになく寝坊して起きられなかったときのことである。妻が一度顔を見せただけで、後は心配する様子もなかった。それで、「何で心配してきてくれないのだろう。一緒にいて心配されないのも寂しいものだ」なんて思っていたら、それだけで返って気持ちが暗くなり、余計起きられなくなってしまったのである。このことは、大切なことを教えてくれている。その逆のことをすれば、気持ちよくなれるということである。
 良かったノートを提唱していた本を思い出したが、自分や他人のことを褒めるノート、あるいは感謝ノートもいいかも知れない。書く時間がなかったら、心の中で褒めるだけ、あるいは、人に向かって褒めたり、良かったことをうれしかったと話すだけでもよい。それで気持ちが良くなること間違いない。まず実践である。
・美味しい夕食を作ってくれてありがとう。ハンバーグ美味しかった。
・文藝春秋を読んで、週一回断食しているという整形外科医の実例を知った。手術が多くて一番忙しい日を選んでやってきたという。それだけで、なんか希望が湧いてきた。
 と、こんな感じで毎日続けてみたい。2023年02月20日月曜日

2023年2月19日日曜日

忘れ得ぬ一冊

 読書の方法では、乱読や精読、速読が有名である。しかし、それらに劣らず大切な読書法に、同じ本を繰り返し読む「繰り返し読み」がある。「気に入った一冊の本は人生のいろいろな時期に読み返すべしという、読書について昔からいろいろな人が説いた教え」(萬年甫、『図書』、1982年4月号、p30)である。この「繰りかえして読むということは、筋を追うのとは違って、読む側の脳細胞を微妙に変える」(『知的生活の方法』、渡部 昇一、講談社、p53)という。
 ところで、何度も練習を繰りかえすことで、自転車に乗れるようになるのは自明である。このとき、脳細胞の間に無数のシナプス結合が完成する。同じように、繰りかえして読むことで、何らかのシナプス結合が完成するに違いない。それゆえ、書かれていることがあたかも体験したかのように、脳が錯覚するのだろう。あるいは、繰り返し読みの重要さは、ここからきているのかも知れない。
 また、<人生に「忘れ得ぬ人々」があるように、読書においても「忘れ得ぬ一冊一冊」がどれほど自分を変え、目の前の霧をぬぐってくれるか>(萬年甫、『図書』、1982年4月号、p33)という感想があるように、「忘れ得ぬほどに読み返したとき、読み込まれた本が力を発揮する」とも言えよう。それだけでなく、「この繰り返しが二十年も続けられて、しかもそれに耐える本や作者にめぐり合ったら、相当に大きな人生の幸福と言って良いのではないだろうか」(『知的生活の方法』、渡部昇一、講談社、p66~67)。「忘れ得ぬ一冊」にめぐり合ったら、それだけでも幸せなことなのである。

2023年2月18日土曜日

明確さは力である!

 古いファイルの中から「明確さは力である!」という文章を見つけた。全く古びていない、それどころか、ますますこの必要を感じるこの頃である。よく自分で咀嚼し、自分のものとしてから人様に意見する、発表すべきだったのに、これまで、「自分で咀嚼し、自分のものとする」過程が抜けていたかもしれない。大いなる反省である。資本論をはじめとして、「明確さは力である!」事を実証していきたい。
『明確さは力である!』(ジェームス)という言葉を知ったときは、それほどの重要性を感じなかった。そのため、こういう言葉があることさえ忘れていた。そして、偶然にこの言葉をファイルの中に見つけたときは、『明確さは力である!』という言葉に不思議な魅力を感じてしまった。
 そこで、自分の目標と、その目標をどのようにして実現すればいいかを図解してみた。すると、複雑なことが、すっきりと表現され、多くの情報が一度に記憶することができた。情報が明確になると、その情報は、すんなりと記憶されるようである。
 情報は力である。しかし、その情報は、しっかりと記憶し、自分のものにしなければ力を発揮しない。そして、明確さは、記憶を助ける。それゆえに、「明確さは力だ」と言えるのである。
 物事を明確にしようとするとき、図解に頼ると良い。文章だけよりは、格段と明確になること間違いない。これからは、できる限り図解による明確な表現に努めて行きたい。2006年07月11日火曜日 

2023年2月17日金曜日

人ごとでは済まされない

 ロシアによる「子供の人権侵害」の実例報道を前にして、人ごとでは済まされない思いに駆られた。それは次のような内容だった。
 昨年2月から少なくとも6千人が、ロシア内やロシアが占領するクリミア半島の43施設に収容されたという。生後4カ月から17歳までのウクライナの子どもたちで、極東へ送られた例もあった
 卑劣なのは子どもの集め方だ。多くは旅費や滞在費などが無料で「楽しいサマーキャンプ」を低所得層の親に訴え、受け入れ後は連絡を絶つ。消息をつかめても引き取りは現地入りした両親のみに限られ、戦時下では困難だ。(朝日新聞、2023年2月17日「(天声人語)子どもたちに手を出すな」より)
 これまでも、世界に目を向けると、今の日本では信じられないような人権侵害が横行している国が存在に心を痛めていた。多分これまでの被害者の多くは政治犯などの大人だった。今度の場合、子供たちと、その親も被害者である。それだから、というわけでもないが、やはり、人ごとで傍に追いやってしまうことだけは避けたい。
 次にできることは、人に話すことであり、考え続けることであろう。どうしてこのようなことができるのか、先例があるのだろうか、と考える材料はたくさんあるに違いない。原発問題も然り、基地問題も然り、人ごとで済ませることなく、考え続けていきたいものである。

2023年2月16日木曜日

戦後の大転換を見極める

 戦後の舵取りで大きな転換を迎えようとしている。にもかかわらず、野党からの批判は、かき消されるほどに弱いのが現状である。正面から批判をしているのが日本共産党くらいで、一部大手マスコミさえ政府の方針になびいているのだから事態は深刻といえよう。
 どうして、こうも体たらくなのであろうか。マスコミはともかく、市民の場合は、真実を知らないだけで真実を知ったら反対するに違いない。問題は、どれだけわかりやすく「どんな方向に向かっていこうとしているのか」を明らかにすることではないだろうか。
 そのために大切なことは、長たらしい論文調ではダメだ。初めから敬遠されかねないからである。わかりやすい広告みたいなインパクトのあるものが欲しい。そこで考えられることは、第日本帝国憲法の本質、つまり天皇中心の軍国主義というものを再認識し、それらは日本国憲法によって否定されたこと、つまり、民主主義革命によって生まれ変わった事を再認識する必要がある。
 以上の前提に立って、政府とマスコミと一部野党によって、民主主義革命が道半ばで葬り去られようとしているという認識に至ることが重要である。当面は、まずは自らの確信を目標に勉強してみたい。

2023年2月15日水曜日

暴力が絶えないアメリカ

 民主主義国アメリカと言われているが、その民主主義というものが曲者だ。「白人民主主義」と言われれ、暴力が絶えないからだ。そんなアメリカの暗部を見事に描き出しているのが、フェイス・リンゴールドによる《アメリカ人シリーズ第20番:死》である。「この作品が描かれる3年前にはマルコムxが暗殺され、また制作の翌年にはマーティン・ルーサー・キングが殺されたこと」(国立西洋美術館館長田中正之解説「美の十選 ブラック・アート・マターズ(9)」日本経済新聞、2023年2月15日)を考えると、余計に、この絵の真実味が増してくる。
 田中正之氏によるとこの絵は、「白人と黒人、男と女、そして大人と子供、誰もが逃げまどい、銃やナイフによる暴力の犠牲となっている。画面のあちこちに血のしたたり描かれ、場面の凄惨さを強鯛する。中央付近に描かれた白人の男の子と黒人の女の子が抱き合って怯える姿が印象的」(上同)だという。私は、一つの問題点を発見してしまった。暴力に怯え、逃げまどっている人に白人が混じっているのをどう考えればいいか、ということである。白人の仲間がいて、そういう人たちが一緒に迫害を受けているということだろうか。

《アメリカ人シリーズ第20番:死》1967年、油彩、182.9×365.8cm、ニューヨーク近代美術館蔵

2023年2月14日火曜日

吉本隆明の「共同幻想論」・1

 吉本隆明の「共同幻想論」が気になって、「国家とは何か」を読んでいた。すると、「国家は幻想の共同体だ」とか「観念としての国家」といった言葉に触発されて、前に読んだばかりのポパーの言葉が脳裏に浮かんできた。それは漠然としたもので、多分『よりよき世界を求めて』の中にあったはず、と見当をつけて、目当ての言葉を見つけることができた。それは、

 われわれ人間は、人間に特有の言語を案出することによって、自らを創造した。つまり、言語が、「逆に精神に働きかけたのである」(ダーウィン「人間の由来」)。(『よりよき世界を求めて』、カ-ル・R.ポパ-著、未来社、1995年、p8)

 ここでいうところの、精神に働きかける言葉と、吉本隆明の「共同幻想」が、同じに思えたのである。ポパーは、世界を三つに分類しており、彼がその中の「世界3と呼ぶのは、 人間の精神が客観的に産み出したものの世界」(上同、p 24)である。吉本隆明の「共同幻想」は、ポパーの「世界3」の範疇に入るのではないか。つまり、吉本隆明の「共同幻想論」の理解にポパーの世界認識論の理解が欠かせないのではないか。このような視点で両者を読み解いてみたいところである。

2023年2月13日月曜日

吉本隆明の思想世界

 吉本隆明が膨大な数の著書を読み込んで、それらを評論しながら身につけていたらしいと『新・書物の解体学』(吉本隆明著、メタローグ、1992年)を読んで知った。彼の”詩の評論”というものを初めて読んだが、その的確な評論の内容と、その文体とに惹かれ、より一歩深く、吉本隆明の思想世界に入り込むことができたように思えた。その詩と評論は以下の通りである。

五月!
ふるさとへ帰りたいのう。
ふるさとにかへって
わらびがとりに行きたいのう。
わらびをとりに行って
谷川のほとりで
身内いっぱい山気を感じながら
ウンコをたれて見たいのう。
ウンコをたれながら
チチッ チチッ となく
山の小鳥がききたいのう。(詩集「野』「ふるさと」)

 啄木でいえばちょうど「病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙がなしも」のようなものだ。だが啄木のうたは、故郷喪失者が都会の生活に疲れたという位置で、ふるさがうたわれている。木山捷平の詩も都会生活に疲れたものの歌だが、故郷喪失ではない。故郷はこの詩ではじぶんが同化してそのなかで肉体を融かしてしまえる自然の別名だといっていい。「ふるさと」は家郷という意味と肉体がそこに同化して安心できる原郷という意味を二重にもっている。たしかに故郷が喪はれているのを回復したい願望の詩なのだが、それはじぶんの生理を融け込ませてくれる自然をもとめる願望にあふれている。「ふるさと」はこの詩人を安堵させくれるものとしてして求められているのだが、その安堵は生活の安堵でもないし、感覚の安らぎでも、情念の充足感でもない。もっと身体にそくした生理の安堵ともいうべきもので、それが終りの五行になっている。啄木にはこうはうたえない。「ウンコ」という表現が非詩だからではなく、生理の解放感を故郷の自然に求める気がさらさらなかったからだ。p222 

 ここでいうところの「故郷喪失ではない。故郷はこの詩ではじぶんが同化してそのなかで肉体を融かしてしまえる自然の別名」「肉体がそこに同化して安心できる原郷」としての「ふるさと」という捉え方、その「ふるさと」概念が私には新鮮だった。そこに日本的な感覚を見出したのではないかと思った。しかし、「身体にそくした生理の安堵」という表現は、いまのところ理解できなかったが、改めて考えると、かつて生まれ育った家に帰ったときの安堵感というものに近いものかもしれない。それにしても、よくこれほど深い読みができるものだと感心する。

2023年2月12日日曜日

徹底的な平和主義

 吉本隆明を通じて、新しいフランスの女性思想家シモーヌ・ヴェイユの存在を知った。吉本隆明がシモーヌ・ヴェイユの「徹底ていな平和主義」というものを次のように紹介していたのだ。

 徹底した戦争観というのがあって、戦争というのは、一見すると、この国とこの国の利害が対立してチャンバラをするというように見えるけど、本当はそうじゃなくて、相手の国の民衆によって自分の国の民衆を殺させることだという定義があるんです。つまり「相手の国の労働者、民衆によって自分の国の労働者、民衆を殺させることだから、戦争は絶対に駄目だ」という考え方。これは平和主義といっても、レーニン、スターリンの平和主義ともまるで違う平和主義です。でも、徹底的な平和主義なんですよね。
 毛沢東は戦争には正義の戦争と不義の戦争とがあると言っています。ここまでくれば戦争肯定そのものです。戦争というと、国と国が戦うみたいだけれども、本当は自分の国の民衆を相手の国の民衆に殺させることで、どっちにしても支配者は損をしないで、どちらかの国の民衆が損をするだけだ。だから、戦争なんて絶対やるなっていう、これがいちばん徹底した考え方です。これはフランスの女性の思想家のシモーヌ・ヴェイュという人が言ったんです。
 そう言って彼女は、ロシアのマルクス主義に反対だと言ったんですけどね。(『僕なら言うぞ! 世紀末ニッポンの正しい眺め方、つきあい方』、吉本隆明著、青春出版社、1999年、p206)

 シモーヌ・ヴェイュという人は本質をついた考えを持っているようなので、どんな著作があるかを調べてみた。そして、興味のある書名が並んでいて、また、読む楽しみが増えた。まず初めは、『哲学講義』(シモーヌ・ヴェイユ著、アンヌ・レーノー編、人文書院、1981年:アンヌ・レーノーの筆記した講義ノート)を読んでみたい。以下書名を列記すると次の通り。

『根をもつこと 上・下』、シモーヌ ヴェイユ著、岩波書店、2010年
『重力と恩寵』、シモーヌ ヴェイユ著、岩波書店、2017 年
『自由と社会的抑圧』、シモーヌ ヴェイユ著、岩波書店、2005年
『ヴェイユの言葉』、シモーヌ ヴェイユ著、みすず書房、2003年
『シモーヌ・ヴェイユ選集 1・2・3』、 みすず書房-、2012年


2023年2月11日土曜日

軍国主義の台頭を許さない

 生命科学者の中村桂子さんが、平安時代後期に書かれた『堤中納言物語』の中の「虫めづる姫君」から、と言って「あらゆる事象を究明し、その成長過程を見極めることこそ意味がある」(『いつもそばに本が』、田辺聖子ほか著、ワイズ出版、2012年、p402)という言葉を「これは生物学そのものだ」と紹介していた。このところを読んで、『エマニュエル・トッドの思考地図』(エマニュエル・トッド著、筑摩書房)で読んだ「歴史に語らせる」(p81)「すべては歴史である」(p84)という言葉を思い出した。そして、「あらゆる事象の究明には、その成長過程(歴史)を見極めることこそ意味があって重要である」と自分なりに理解することができた。
 今、防衛予算を増やそうとしている。この事象を究明しようとすれば、歴史を見極めることが重要で、歴史に語らせることが重要になる。ちょうど、永井荷風の『摘録断腸亭日乗・下』に「現在の事態は日本を破滅に導いた軍部指導者の採った理論が誤謬であって、尾崎氏の如き人々が正当であった事を立派に証明している。言論の自由と自由主義政府とを再び確立することが日本の将来を保証する唯一の道である」(『摘録断腸亭日乗・下』、永井荷風著、ワイド版岩波文庫、p271~172)と書かれているのを見つけた。これこそ「歴史に語らせる」ではないだろうか。
 同書で尾崎行雄氏が「軍国主義の旧弊を固守」(上同、p271)する軍部を批判したことも書かれている。現政府が「防衛費を使って」これまでやっってきたこと、これからやろうとしていることは、尾崎行雄氏のいうところの「軍国主義の旧弊」と同じである。国土を廃墟にした軍国主義を否定したはずなのに、再び、堂々と蘇っているにも関わらず、気が付かない、あるいは気が付かないふりをしているとしか思えない。軍国主義の台頭を許してはならないのだ。

2023年2月10日金曜日

百歳への希望

「100歳超えても現役」(朝日新聞、2008年9月10日)という新聞の切り抜きがある。そこに、書道歴50年で月に4回の書道教室を開き、90歳で初めて海外旅行に行ったという100歳の菅谷藍さん。「定年後の暮らしに潤いを」と53歳の時に茶道を習い始め、弟子を持つまでになり、その上ノートに栽培記録を書きながらイチゴを育ている101歳の間宮廣さんが紹介されている。
 また、「100歳老人」というファイルには、朝から晩まで新薬作りに励む佐藤茂蔵さんと、囲碁や菊作りと趣味豊かな川瀬直治郎さんなど数人の「100歳老人」が紹介されていた。皆、目標をもって生きているのが印象的だった。しかし今回は、「百歳への希望」をもてる発見があった。川瀬直治郎さんは、六十になるまではほんとうに体が弱く、医者にも「長生きできん」と言われていたという。それなのに、その後は医者にかかなくてもよくなったというのである。つまり、60歳まで病弱であっても、100歳まで生きられるという事実を発見できたのである。
 働き者、被爆にめげずという広島の西久保健次郎さんの存在にも勇気づけられたが、川瀬直治郎さんには、もう一つ、大切なことを教えられた。普通、医者に「長生きできん」と言われていたら、それがマイナス暗示となり、とても長生きできるとは思えない。しかし、マイナス暗示をはねのけて、長生きできるという事実である。その大きな要素は、20歳のころから囲碁を続けており、「相手がいないときは、ひとりで新聞の並べて楽しんでます」というくらいに毎日頭を使っていることではないだろうか。
 つまり、囲碁の楽しみが「マイナス暗示」を受け付けず、逆に、跳ね返してしまったとしか言えようがない。それだけ、日々、没入できる仕事や趣味を持つことが、とりわけ、100歳を目指すものにとっては、重要なことといえよう。

2023年2月9日木曜日

白人民主主義

 NHK100分de名著で、ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ』を取り上げていた。その中で解説者(中見真理)が、ジーン・シャープの弱点として「アメリカの民主主義の問題点には触れていないこと」を取り上げていた。そして、アメリカの民主主義の問題点を「行きすぎた実力主義とか自由競争、格差の拡大など、さまざまな問題をはらんでいる。さらに、民主主義を掲げて侵略行為を行なってきた過去がある」と述べていた。
 しばらくして、偶然手にした蔵書『貧困なる精神Y』(本多勝一著、朝日新聞社、1994年)の中に「白人民主主義」という言葉を見つけた。すぐに中見真理さんが語っていた「アメリカの民主主義」に結びついた。本多勝一さんは、直接アメリカに行き、危険な思いをしながら体当たり取材をしているだけに言葉に重みがある。その本多さんの言うには、
 アメリカ合衆国の「自由」や「民主主義」などは、要するに「白人の自由」「白人民主主義」にすぎず、もっといえば、「侵略者の自由」「海賊民主主義」にすぎない。(p 67)
 と言い。「先住民大虐殺で建国したアメリカ」(上同、p70)とまで言っている。とここで、國弘正雄さんが同じようなことを書いていたことを思い出した。アメリカ「建国が大量のジェノサイドの上に成り立っている」(國弘正雄著「私のマンスフィールド論」『未来は太平洋にあり』、マイク・マンスフィールド著、サイマル出版会、1992年、p116)というのだ。もっとアメリカの本質を研究する必要がありそうだ。

2023年2月8日水曜日

歴史は進歩している

 日本経済新聞(2023年2月3日)で、黒人彫刻家エドモニア・ルイスによる「永遠に自由に」という作品を知った。田中正之国立西洋美術館館長の解説によれば、奴隷制が廃止された年は、国によって違ってした。こんなことさえ、今まで知らなかった。
 こうしている現在も、ウクライナでは戦闘が続いている。何と愚かなことか。このような状況を目の当たりにし、歴史は進歩しているのかを疑問視する声も聞こえる。愚かな戦争を繰り返しているから、やむを得ない面もある。
 しかし、黒人解放の歴史を考えると、歴史はやはり進歩していることがわかる。歴史は、一時的な後退があったとしても明るい方向に前進してきたし、これからも前進するに違いない。
 確かに、法的に奴隷制は廃止された。それでも、黒人差別がなくなったわけではない。こうした現実は、法的には男女平等が実現しているにもかかわらず、女性の差別がなくならないのと一緒であろう。それでも確実に差別が少なくなっているのも、また真実である。歴史は進歩しているのだ。

(「永遠に自由に」1867年、大理石、106×54.6×31.4cm、ハワード大学美術館蔵
 ここに表されているのは奴隷解放の瞬間である。イギリスで奴隷制が廃止されたのが33年、フランスでは48年であったのに対して、アメリカはようやく63年に大統領リンカーンが奴隷解放宣言を出し、憲法で奴隷制が禁止されたのは65年であった。
 本作は、奴隷解放宣言を知った黒人の男女の喜びを表現している。男性が突き上げる左手には、それまで彼を拘束していた鎖の断片が握られ、女性は跪き、神に感謝を捧げている。(国立西洋美術館館長 田中正之、日本経済新、2023年2月3日)

2023年2月7日火曜日

避けて通れぬ日米安保条約

 日米安保条約と言ったら、多くの人が、その存在を肯定し、日本国憲法とは相容れないことなど考えてもみないのではないだろうか。防衛装備品という言葉を何の抵抗もなく受け入れているのと同じであろう。だからこそ、「避けて通れぬ日米安保条約」( 『チャレンジ』、田英夫著、毎日新聞社、1979年)というエッセイ風小論を見つけ、喜んで読んだ。
 その内容は次の通りで、

 国際情勢の方は、六〇年代から変化し始め、七〇年代に入ると完全に冷戦構造は崩れてしまっているにもかかわらず、いぜんとして安保条約は生き続け、むしろ強化されている。この点が現在、安保条約のかかえる最大の矛盾だろうと思う。
 私は今からでも遅くはないと思う。日米関係を軍事同盟の関係ではなく、経済問題を中心にした友好関係、言いかえれば、日米安保条約ではなく、日米友好条約にすることが、国際情勢にもマッチし、平和憲法を掲げる日本の正しい選択ではないかと考える。(『チャレンジ』、p184)

 要は、日米安保条約を日米友好条約にすべき、というものだった。アメリカは、好戦国家として有名だ。数々の戦闘を経ながらも、憲法9条のおかげで同盟国の日本は参戦できなかった。しかし、いつまでこの状態が崩れ、参戦するようになるかは予断を許さない。9条を空洞化する法律が成立してしまったからだ。
 だがしかし、あきらめてはならない。こんな時だからこそ、米軍の思惑と日米安保条約の本質を見抜き、日米安保条約を廃棄し、日米友好条約を新たに締結すべきであろう。

2023年2月6日月曜日

世界へ発信すべき憲法9条

 9条を世界に広げようと言われることがある。その一端を自分の手でできないだろうか。今まで、そんなこと考えたこともなかったのに、そんな大それたことを考えるようになってきた。和英の翻訳ソフトが結構使えるかもしれないと思えたからだ。
 例えば、辞書の例文にあった「leave a dog in the car → 車に犬を置き去りにする」を英訳したら「車に犬を置き去りにする → Leave the dog in the car」と英訳できていた。短文の日本語なら、翻訳ソフトを使って世界に発信できるかもしれない、という希望が生まれた。
 そもそも、世界の中で日本だけ軍隊を持たないだけでは、安心できない。「世界の各国は軍隊を持ち、現実に戦争をしている」。それは、まさに今の世界の現実そのものである。だからこそ、憲法9条を「国内法としての憲法にとどめないで、世界に広げていくことがたいせつ」(『『特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと』、田英夫著、リヨン社、p214)になってくる。憲法そのものはすでに英文もあるのだから、できないことではない。今年の大きな目標ができた。
 ただ、田英夫さんの提案は、国連に働きかけるというより具体的なもので、次のように希望の持てる内容だった。
その具体的な方法としては、つぎのような手順を踏むことになります。
①日本政府が世界に向かって、日本は「戦争をしない国」です、つまり「不戦の国」ですということを宣言する。
②それを受けて、国連総会が、日本は「不戦」、「戦争をしない国」だとうことを承認する。
③できれば全会一致で承認されるということになれば、日本は世界から、戦争をしない、軍隊を持たない国だということが認知される。
 これが日本としての平和の道ではないか。そして世界に対する提案になるのではないかと考えたのです。(『『特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと』、田英夫著、リヨン社、p214)

2023年2月5日日曜日

専心があってこそ花開く

 昼間は、余力を残さず、全力で生きることが大切だ、という主張していた本を読んだ。そうすれば、夜は良く眠れるという。理にかなっている。昼間は交感神経が活発に働けば、それだけ夜は副交感神経が良く働き、良く眠れるようになるということである。
 この本で特に印象的だったのは、「本当に集中すれば、肉体労働に劣らぬほど頭脳労働もエネルギーを使うもの」(『実践!整体方入門』、井本邦昭著、三樹書房、p120)というところである。今までいろいろ勉強したり、本を読んだりと、と頭脳労働をしてきた。しかし、残念なことに、肉体労働に劣らぬほどのエネルギーを使ったという実感がない。何となく本を読み、何となくテレビを見、何となくご飯を食べて一日が終わる、そんな印象である。
 何でも楽しもう、と考えたこともある。それもいいし、大切である。しかし、一生懸命仕事をしたり、一生懸命勉強したりすれば、そこには楽しいという感情はないはずだ。そこにあるのは、一箇所、一つのことに対するエネルギーの集中による専心だけである。
 書道、とか、茶道というものは、専心を体得する術を学ぶ一つの手段ではないだろうか。茶道は、人と人との間や礼というものが最も重視されることかも知れないが、それらも専心があってこそ分かるものというべきだろう。同じように書道も、芸術的な側面こそ、最も重視されることかも知れない。しかし、専心を体得する術を学ぶ一つの手段であり、専心があってこそ芸術も花開くというべきだろう。

2023年2月4日土曜日

能動的に生きる

 どれだけ能動的に生きられるかが、健康問題では大きな要素になっている。西式健康法には「四大原則」というのがある。皮膚と栄養、それに足の3つを精神が頂点から支配している構造のものである。つまり、西式健康法では、健康の四大原則といっても、精神的健康の維持増大を最も重視しているのである。
 それでは精神的健康に欠かせないのは何だろうか。それが前頭葉の働きでもある能動的な、冒険的な生き方なのである。年々平均寿命が伸びている、しかも、日本だけでなく多くの先進国と言われる国で伸びているのは、経済的な豊かさが関係しているだけではない。多分に、能動的な人が増えてきているのも、大きな要因ではないだろうか。
 能動的に生きるためには、計画性やセルフマネジメントなどが必要になる。物事をやり遂げる意志力も重要である。これらは全て、経済の成長にも欠かせないことでもあるのだ。能動的に生きていれば、何を食べてもいいというわけではない。能動的に生きることを重視して、程よい栄養の摂取と、程よい運動をしていれば(最低限のことさえ押さえておけば)、前にも書いたように、体はうまくやってくれるので、毎日、能動的に生きていくこと、食事時間を忘れるくらい一生懸命にやれることがある生活が、最も健康的な生活なのである。

2023年2月3日金曜日

経済の在り方そのものが問題

 軍事産業が巨大化し、今や産軍複合体としてその力を発揮し始めている。今回のウクライナを戦場と化している問題も、 産軍複合体の存在を無視しては本質的な解決にはならないであろう。
 ではどうすればいいのか。
 そのヒントが、『私がつかんだコモンと民主主義 日本人女性移民、ヨーロッパのNGOで働く』(岸本聡子著、晶文社、2022)にあった。それは「環境を破壊しながら無制限に市場拡大させ、持続不可能な選択肢を無限に押し付けてくる経済の在り方そのものが問題」(p109~110)なのであり、「それを適切に制御したり、方向転換させる政治や政策がなければいけない」(p109~110)ということに尽きる。
 結局、産軍複合体も、社会の構造の一環として捉える必要があるということだ。そうして、巨大な力に対抗していける勢力を培っていかなければならない、ということである。

2023年2月2日木曜日

意識的に「心を磨く」

 禅、とか、悟りの境地というものは、脳の活動が最善の状態ではないか。そうだ、自然現象には共振という現象がある。禅、とか、悟りというものは、一種の脳内共振現象だ。だとすれば、悟り(無我の境地)によってパワー全開になることも納得できる。
 書道は、うまい字、味のある字を書くことだけが目的ではない。そうした字を書く過程で、無我の境地に達することも目的の一つである。なぜなら、無我の境地に達して初めて、人様に見せられる書が書けるようになるからである。書道に限らず、掃除だって勉強だって、無我の境地になるまで、本気になって取り組むことが大切なのである。
 そう言えば、禅僧は掃き掃除一つ、ふき掃除一つおろそかにしないと聞いたことがある。仏壇の前でお経を唱えることだけが修業ではなく、掃き掃除一つ、ふき掃除一つが修業なのだ、と。同じことをしても、心掛け一つで修業になるが、心掛けが悪ければ、ただ疲れさせる対象でしかなくなってしまうのである。
 では、どうすれば、常に心掛けを正すことができるだろう。やはり、意識的に「心を磨く」と心掛けることだろうか。これも実験して試す必要がある。何となくことを進めるのではなく、何をするにも、意識的に「心を磨く」と心掛けることである。
 ここまでは、2009年10月15日に書いたものである。書道はやめてしまったし、心を磨くことさえ忘れていた。しかし、どうすれば脳を最適な状態で使うことができるか、という問題意識の重要性だけは変わっていない。そう考えたとき、身の回りを整理整頓できていない状態はまずい。これから優先的に改善し、もっとゆったりと、しかも着実に前進していけるようにしたいものである。

2023年2月1日水曜日

若さの秘訣   

 学び続ける人は、たとえその人が80才でも若いと言える。逆に、学ぶことをやめた人は、20才でも年老いている。人生で最も素晴らしいことは心をいつまでも若く保つということだ。(ヘンリー・フォード[フォード・モーター創業者])
 フォードも言っているように、学び続ける人は、情熱を持ち続けるためか、実際の年齢が80歳であろうとも若々しくみえる。しかし、学ぶことをやめ、固定観念に支配された人たちは、たとえ、20歳であろうとも、年老いて見えるものである。
 学び続ければ、どうして若く見えるのだろう。それは、植物や子供たちを見れば分かる。若い植物も子供たちも、どんどん伸びる。その成長過程がまぶしいくらいだ。学び続けることは、成長し続けることである。人間は、いくつになっても、学び、成長することができる。だから若く見えるだけでなく、実際、学ぶことをやめてしまった人よりは若い。だからこそ、学び続けることが若さの秘訣と言えるのである。
 学び続けていると、新しい発見をしたり、疑問が生じて、その疑問が分かったり、と感動が伴うことが多くなる。そうした感動も、心を若くするようである。常に学ぶことを忘れず、成長し続けたいものである。
 以前読んだ本に『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘルマン・ヘッセ著、V・ミヒェルス編、岡田朝雄訳、草思社、1995年)というのがある。この中に「叡智と私たちの関係は、アキレスと亀の論証のようなものである。叡智が常に先行しているのだ。それに到達するまでの途中は、その魅力を追いかける事は、それでもやはり素晴らしい道である」(p105)という文章がある。ここでいう「」も、学び続けることであり、それゆえ、「人は成熟するにつれて若くなる」のである。