2023年10月31日火曜日

ユークリッド幾何学『原論』に挑戦

 月に二回のペースで、放送大学の仲間で、数学の勉強会をやっています。その過程で、ユークリッド幾何学『原論』の命題に挑戦しました。そして、何とか三つの命題をクリアすることができました。
 これまでの命題を考えていく過程で、一つ一つ思考を積み上げていくことの大切さを学ぶことができました。さらに、命題を解く過程で”わからないこと”も出てきました(つまずき過程)が、それも、わかると、わかったという快感が味わえることも再発見でした。だから、わからないことが出てきても、それを挑戦の課題とプラスに受け止めることができるようになってきたのです。
 古代ギリシャ人が考えた問題を解いている、そう思っただけでも、言いようのない感動をしています。プラトンの「メノン」を読んだ時も、ソクラテスと同じことを考えているんだ、と同じような感動をしました。なぜ、古代ギリシャ人がこれらの素晴らしい、何千年後にも通用する仕事を成し遂げることができたのでしょうか。謎です。

第2巻命題5 二等分および二分された線分上の矩形

もし線分が相等および不等な部分に分けられるならば、不等な部分に囲まれた矩形(Ad、dB)と二つの区分点(rd)の間の線分上の正方形との和は、もとの線分の半分の上の正方形に等しい。


 今回もまた、何を言っているのかさっぱりわからない命題である(やっぱりそうなんだ)。図を描いてみよう。

f:id:kigurox:20180321135252p:plain(ΑΓ=ΓΒ)


1、問題の確認:まず線分ΑΒがあり、それを点Γで等しい部分に、点Δで不等な部分に分ける。このとき、不等な二つの部分ΑΔ、ΔΒに囲まれた矩形と、二つの区分点Γ、Δの間の線分上の正方形との和が、もとの線分の半分ΒΓ上の正方形に等しいと主張している。

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 これまでの命題と違って、直感的に正しいかどうか、すぐにはわからない。少なくとも、下の二つのピースをどう動かしても、上の正方形は作れそうにない。
 では証明しよう。

2、とりあえず作図する:まず、線分ΓΒ上に正方形ΓΕΖΒを描き、対角線ΒΕを結ぶ。

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 そして、点Δを通り線分ΓΕ(またはΒΖ)に平行な線分ΔΗを引き、ΒΕとの交点をΘとする。

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 さらに、点Θを通りΑΒ(またはΕΖ)に平行な線分ΚΜを引き、点Αを通りΓΕ(またはΒΖ)に平行な線分ΑΚを引く。

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 このとき、補形ΓΘは補形ΘΖに等しい。双方に四角形ΔΜをくわえると、ΓΜ全体ΔΖ全体に等しい。

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3、ところで、線分ΑΓは線分ΓΒに等しいので、平行四辺形ΑΛは平行四辺形ΓΜに等しい。ゆえに、平行四辺形ΑΛも平行四辺形ΔΖに等しい。

双方(*平行四辺形ΑΛ、平行四辺形ΓΜ)に平行四辺形ΓΘをくわえると、ΑΘ全体はグノーモーンΝΞΟ(「平行四辺形ΓΘ+平行四辺形ΔZ」のことのようです)に等しい。

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3ー*ここで、また問題に立ち返る。正方形rZ=平行四辺形ΑΘ+正方形ΛΗ(=rΔ上の正方形
4、ここで、矩形ΔΜは正方形なので、辺ΔΘは辺ΔΒに等しい。ゆえに矩形ΑΘは、矩形ΑΔ、ΔΒである。従って、グノーモーンΝΞΟも、矩形ΑΔ、ΔΒに等しい。

 双方に、矩形ΛΗを加える。すると、グノーモーンΝΞΟと矩形ΛΗの和(正方形rZ)は、矩形ΑΔ、ΔΒ(矩形ΑΘ)と、矩形ΛΗとの和に等しい(ここがミソらしい)で、矩形ΛΗは線分ΓΔ上の正方形に等しいので、後者は矩形ΑΔ、ΔΒと、ΓΔ上の正方形との和に等しい。

 そして、グノーモーンΝΞΟと矩形ΛΗの和は、正方形ΓΒΖΕに等しい。従って、二線分ΑΔ、ΔΒに囲まれた矩形と線分ΓΔ上の正方形との和は、ΓΒ上の正方形に等しい。

 よって、もし線分が相等および不等な部分に分けられるならば、不等な部分に囲まれた矩形と二つの区分点の間の線分上の正方形との和は、もとの線分の半分の上の正方形に等しい。これが証明すべきことであった。

2023年10月30日月曜日

「宇宙船地球号」経済の危機

  また新しい思想家に出会いました。『スモール・イズ・ビューティフル』(E.F.シューマッハー著、講談社、1986年)の著者です。宇宙船地球号の危機の現状をわかりやすく解説してくれていたのです。たとえばこんな具合です。

 実業家ならば、会社が資本をどんどん食いつぶしているのを見れば、生産の問題が解決ずみで、会社は軌道に乗っているなどとは考えまい。とすれば、この「宇宙船地球号」の巨大な経済、とりわけそれに乗りこんでいる金持ちの乗客(豊かな国々)の経済を考える場合に、この重大な事実を見逃していいものだろうか。(『スモール・イズ・ビューティフル』、E.F.シューマッハー著、講談社、1986年、p20)

 化石燃料や土地の栄養も「宇宙船地球号」の資本です。これらの資本をわれわれ人間は、「どんどん食いつぶして」きました。その結果がどうなるか、上手い比喩を用いて、警告していました。次に紹介したように、「現代人は自然との戦いなどというばかげたことを口にするが、その戦いに勝てば、自然の一部である人間がじつは敗れることを忘れている」というのです。著者が言わんとしていることは、斎藤幸平さんと同じではないでしょうか。詳しくみていく必要がありそうです。

 現代人は自分を自然の一部とは見なさず、自然を支配、征服する任務を帯びた、自然の外の軍勢だと思っている。現代人は自然との戦いなどというばかげたことを口にするが、その戦いに勝てば、自然の一部である人間がじつは敗れることを忘れている。ごく最近までこの戦いは有利に展開し、人間の戦力は無尽蔵という幻想を抱かせたが、かといって、最後の大勝利の展望はまだなかった。今や勝利を目前にして、やっと多くの人びとが――まだ少数派ではあるが――この勝利がいったい人類の将来にどんな意味をもつのかを理解しはじめた。(上同、p19)

2023年10月29日日曜日

破綻した抑止力理論

 出版文化の質が低下しているのでしょうか。そう思わせられた本に出会いました。『13歳からの日米安保条約 戦争と同盟の世界史の中で考える』(松竹伸幸著、かもがわ出版、2021年)です。なぜでしょうか。
 次のように、「あとがき」で「日米安保を考える上では、そういう多様な見方が必要だ」と言いながら、核兵器は「ただ保管しておくのではなく常に発射できるような状態におき、訓練もくり返さなければなりません」「敵の核保有国から攻撃されればひとたまりもない状態であり、他方では、仲間の核保有国に全面的に頼るしかない状態です」と、現状の安保容認の主張をはっきりと述べているのです。多様な見方というなら、安保条約は憲法違反という主張も、詳しく解説されるべきですが、それもないようです。つまり、記述に一貫性がないのです。

 安保条約をめぐる私の基本的な立場に変化があるわけではありませんが、本書では、ただ結論めいたことを書くようなことはしていません。どんな立場にも根拠があるし、根拠がなくなれば立場が変化することもあるという見地で、いろいろな見方を取り上げています。日米安保を考える上では、そういう多様な見方が必要だというのが、私がようやく到達した考え方です。本書が日米安保を真剣に考えてみたいと思っている方々に少しでも役に立つことがあれば、筆者としては望外の幸せです。(p158)

 抑止力とはこちらから先に手を出すのではなく、手を出さない状態で相手に侵略を止めさせようとするものであり、その点では何がなんでも攻撃を仕掛けるというものではありません。しかし、だからこそ自分が保有する核兵器の威力は、実際に使わなくても相手を震え上がらせるものでなくてはなりません。また、「耐え難い損害を被ることになる」と相手を恐怖させるためには、実際に使う場合があることを「明白にさせる」必要があり、常に発射できるような状態におき、訓練もくり返さなければなりません。そうでないと相手が核兵器で攻撃されるという恐怖を感じることはないからです。
(中略)
 こうして核兵器を持たない国にとって見れば、東西両陣営のどちらに属しているのであれ、第二次大戦前には経験したことのない事態が生み出されます。一方では、敵の核保有国から攻撃されればひとたまりもない状態であり、他方では、仲間の核保有国に全面的に頼るしかない状態です。(p41〜42)

 最近の傾向を鑑みても、すでに抑止力理論は破綻していると言って良いでしょう。 戦争の火種が止まず、空爆やミサイル攻撃がいまだに続いているからです。多様な見方というならば、抑止力理論が破綻しているという考えも、合わせて紹介すべきだと思うのです。
 そんな中でも、幾らかの救いがありました。「第三章 日米安保条約の未来を占う」の最後にで「日米安保や抑止力に替わる選択肢も視野に入れておかねばなりません」(p155)と言っていることです。それにしても、私に言わせれば不十分です。できるだけ早く日米安保条約は廃棄して、日本国憲法に則った外交戦略を持つべきだからです。それこそが世界に繰り広げられている戦火を繰り広げられている戦火を鎮める方法だと思います。

2023年10月28日土曜日

戦火の拡大が心配!!

 朝、新聞を手にして初めて目に飛び込んできたのが、「ガザに連続越境攻撃 米はイラン関連施設空爆」(朝日新聞、2023年10月28日)という見出しでした。米軍がついに空爆という形で参戦してしまったのです。背筋が寒くなるような恐ろしさを感じてしまいました。自衛隊が一体になって軍事演習をしてきたからです。戦火がさらに拡大してしまわないか、それが心配です。

2023年10月27日金曜日

「死の技術」「生の技術」

 岡倉天心の思想については、「岡倉天心の徹底的な非戦論」で書きました。そこで天心の「もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」(村岡博訳)という言葉を紹介しました。別の訳のも読んでみました。そして、「死の技術」「生の技術」という言葉を知りました。読んでみましょう。

 最近では「サムライの掟」について、多くの言及がなされるようになりました。これは我が国の兵士に、誇らしく自己犠牲を選ばせる「死の技術」と言うことができるでしょう。
 しかし「生の技術」である荼道に関心が払われることは、めったにありません。
 もし文明国と呼ばれるための条件が、身の毛もよだつ戦争による勝利によって与えられるものであるなら、私たちは喜んで「野蛮な国」のままでいましょう。
 私たちの国の芸術や理想に敬意が払われる日まで、日本人は喜んで待つつもりです。(夏川賀央訳、致知出版社、2014年)

 どうでしょうか。
 やはり、どう考えてもミサイル技術は「死の技術」です。常備軍の行う演習も、「死の技術」を磨くことです。やはり「死の技術」は葬り去るべきです。その点、日本国憲法に「死の技術」はありません。だから、日本国憲法は世界の宝なのです。

2023年10月26日木曜日

日本従属化の道具・安保条約

 『はじめての昭和史』というタイトルなので、中立的な立場だと思って読みました。つまり、安保条約に関しては、安保条約容認論だけでなく、当然批判論も紹介されていると思って読んだのです。一国の総理を退陣に追い込むほどの安保闘争があったからです。
 しかし、次に紹介するように、「日米安保条約が国連安保の枠組みのなかで結ばれた」のに、「未だ国連安保が機能していないから」、日米安保条約が「一九六〇(昭和三五)年の改定を経て今日まで続いている」というのです。つまり、「日本の安全が脅かされた時」のことを考えれば、「特定の国と安全保障上の取り決めを結んで、その国が日本を守る」ことを約束してもらうことが欠かせない、ということです。
 ところで、この議論には、前提条件が隠されています。「日本の安全が脅かす存在が確実にある」ということと、アメリカも目的に日本の防衛が確実に入っている」ということです。ここで、「日本の安全が脅かす存在」を限りなくゼロになる方策を考えていけば、日米安保条約は不必要になります。さらに、もし在日米軍の真の目的が米軍独自の戦略にあるならば、日米安保条約は、日本従属化の道具にすぎないことになります。そこをはっきりと見抜きたいものです。

 西村の論理に基づけば、日本がアメリカと安保条約を結んだのはつぎのような理由からでした。平和憲法を持つ日本は非武装国家です。この非武装国家の安全保障はどうすればいいのでしょうか。西村は国連に守ってもらうことを想定します。本当に国連は日本を守ってくれるのでしょうか。そもそも当時の日本は国連未加盟でした。加盟したのは一九五六(昭和三一)年のことです。付言すると、国連軍(国連常設軍)は、当時も七〇年以上経った今も未だ創設されていません。
 それでも当時は国連に守ってもらうことが可能だと考えられていました。なぜならば一九五〇(昭和二五)年に始まった朝鮮戦争をめぐって、アメリカを中心とする国連軍が結成されて、国連未加盟の韓国の側に立って戦ったからです。日本も国連安保に自国の安全保障を委ねると考えても、不思議なことではありませんでした。
 しかしながら国連安保には一つ大きな難点がありました。国連軍は常設軍ではなく、日本の安全が脅かされた時、すぐに駆けつけてくれないからです。国連軍の介人までは自力で対応しなければなりません。非武装の日本にそれが可能かというと、方法はほとんど一つだけです。特定の国と安全保障上の取り決めを結んで、その国が日本を守るということです。特定の国とはどこか、これも選択の余地はなく、アメリカ以外にありません。以上のような事情から日米安保条約が結ばれたのです。
 日米安保条約は国連安保が機能するまでの「暫定措置」でした。国連常設軍による日本の安全保障が確立すれば、「暫定措置」の日米安保条約は解消されるはずだったのです。「暫定措置」にもかかわらず、一九六〇(昭和三五)年の改定を経て今日まで続いているのは、未だ国連安保が機能していないからです。他国=アメリカの軍隊の駐留を容認する「駐留協定の色彩が強い」のは、日米安保条約が国連安保の枠組みのなかで結ばれたからでした。 (『はじめての昭和史』、井上寿一著、筑摩書房、2020年、p106~107)

2023年10月25日水曜日

「近代社会」の起源

 いやー、驚きました。「ギリシャのポリス<都市国家>が、歴史上、 最も速く、全面的に<貨幣化>された社会であった」(『経済学の宇宙』、岩井克人著、日本経済新聞社、2015年、p418)。そんなわけだから、「すでに紀元前7七世紀後半には、ギリシャでは一般的な交換手段としてのコインが流通し始めていた」(上同)というのです。
 しかし、驚いたのは”このこと”だけではありません。ギリシャ古典学の権威であるシーフォードによれば、貨幣経済が近代につながる「哲学や民主主義」を生み出したというのです。

 シーフォードはさらに続けます。人びとが、このようなモノの次元における多様性をすべて統一してしまう抽象的な価値としての貨幣を日常的に使い続けること――それこそが、紀元前六世紀のギリシャのポリス(都市国家)において、「近代」にそのまま通じる哲学、民主主義、そして悲劇や喜劇を生み出したのだと、論じ始めたのです。(上同、p419)

 それでは、なぜ、貨幣経済が民主主義を生み出したのでしょうか。その点にも言及していました。

 六世紀半ばに、初めてアテナイでコインが作られた。それは、アテナイの「民主制」の起源である五百人評議会の設置と陶片追放制度の導入の年―紀元前五〇八〜五〇七年――に先立っている。貨幣の登場は、親族関係や互酬性や報恩義務などにもとづく共同体的な紐帯から「個人」を開放し、一人一人が独立した一市民として議会で投票する民主制の発展を促した。マルクスが言ったように、「貨幣は主人を持たない」。(上同、p421)
 なるほど、こうして民主制が誕生したのですね。しかし、貨幣は、「孤独」や「権力」までも生み出していました。次のように、「貨幣はまさに具体的なモノに縛られない抽象的な価値であることによって、無限の蓄積を可能にし、共同体的な規範に抗って、無限の権力を求める個人を生み出してしまう」というのです。
 貨幣経済では、個人は貨幣さえ所有すれば、共同体的な紐帯を原則的には必要としなくなる。だが、それは同時に、その個人を、神からも血族からも切り離してしまう。まさにそのような個人の徹底的な「孤独」に焦点を当てているのが、ギリシャ悲劇である。それだからこそ、同じ「孤独」の中に生きているわれわれ「近代人」も、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスが創作した悲劇に対して全面的な感情移入が可能になるのである。
 その個人の孤独を最も先鋭的に体現しているのが、僧主(ティラノス)である。貨幣はまさに具体的なモノに縛られない抽象的な価値であることによって、無限の蓄積を可能にし、共同体的な規範に抗って、無限の権力を求める個人を生み出してしまう。それが潜主である。(上同、p421)

 これらの議論から分かること、

 それは、紀元前六世紀以降の古代ギリシャ社会が、すでに「近代社会」と呼べる社会であったということ、そして、その「近代性」は、古代ギリシャ社会がまさに全面的に「貨幣化」された社会であったからである、ということです。(上同、p423)

2023年10月24日火曜日

論語の中の平和主義

 最近のニュースで、戦争報道のない日がありません。それくらい戦争が身近になってしまいました。どうして、あれほどの塗炭の苦しみを経験しながら、そこから抜け出すことができないのでしょうか。
 その理由はいろいろとあるでしょう。資本の増殖を繰り返して止まない資本主義の宿命で”戦争は避けられない”という考えもあります。それなら、資本主義を止めればいいのです。しかし、そこまで考えが及ばないのが現実です。なぜでしょうか。
 考えられることは、自分の今が安泰ならば、例えば米軍基地騒音に苦しむ人があったとしても、無関心でいられる「倫理観の衰退」、あるいは「道徳危機」です。「倫理」と「道徳」にどんな違いがあるのかはわかりませんが、「現代社会の危機の中で最大のものは道徳危機」という言葉を知って、「倫理観の衰退」のことを思い出しました。そして、論語が平和主義そのものらしいという発見は新鮮でした。平和主義の観点で論語を読み直してみたいものです。
 現代社会の危機の中で最大のものは道徳危機である。社会の中に反道徳主義の傾向が急激に高まっている。どうすればよいのか?
 孔子は「仁とは何か」を問われ、「自己の欲望を節制し、礼節を貫くことが仁を守る道である」と答えた。「仁」をこの社会に実現するためには、すべての人が、よこしまな個人的欲望を抑え、礼儀を守ることが必要だとの教えである。(p163)
 孔子は、また、「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」と説いた。これは礼節の基本を示す言葉である。儒学が最も重視するのが「礼」である。
 孔子の弟子の有子は「礼の用、和を貴しと為す」(論語)と言った。礼節の根本は「和」だ、という意味である。礼儀と平和主義は一体のものである。(『ふくしまから地球文明の未来を』、森田実著、財界21、2023年、p164)

2023年10月23日月曜日

「脱アメリカ」だけが日本を救う

 久しぶりに、心に沁みる「まえがき」に出会いました。今まで、沖縄の在日米軍基地に、いざとなったら”日本のどこ”でも日本国憲法も及ばない治外法権にできる在日米軍の存在に、疑問を持ち続けてきました。そうした私の気持ちを代弁してくれたような内容だったからです。
 少し長いですが、「まえがき」全文を紹介します。

 20世紀の日本の政治は、大局的にみると、過ちの連続だったと思う。
 21世紀の日本の政治の最大の課題は、20世紀の過ちを正し、日本を平和・独立・調和の国として建設することにある。この方向へ政治の道を進めなくてはならないと思う。なかでも大切なのは、わが日本国を真の独立国にすることである。このためには「脱アメリカ」を進めるしか方法はない。平和・独立・調和こそが日本が進むべき道である。真の日米友好は日本がアメリカ政府から自立し、独立国・日本になることによって確立されるものである。
 1930年代以後の日本軍国主義者の罪は重大である。日本を戦争国家にしてしまったのだ。この結果、300万人を超える同胞の生命が奪われ、日本国民のほとんどの財産が破壊された。そして日本は歴史上初めて他国(アメリカ)の軍隊に占領され、主権を奪われ、事実上の植民地従属国とされた。アメリカ政府と軍隊は、ポツダム宣言に反して、事実上日本を永久に占領し続けている。非合法な第一次日米安保条約と強引な日米安保条約改定により、アメリカ政府は日本を従属国にした。日本は半永久的にアメリカ政府の従属国家にされてしまった
 アメリカによる日本支配は残酷である。日本の政治、行政、司法、経済を支配するだけでなく、日本国民の精神までも支配してしまった。日本国民の精神のなかに、すべてをアメリカに依存したいという底なしの依存心が形成されてしまっている。「日米同盟」の神話が形成され、日本国民の精神のなかに、日米一体化(じつは植民地化)が日本国民のためだという歪んだ自立心なき精神が植えつけられた。日本は精神までアメリカに支配されているのだ。
 このままでは、日本は永遠に従米国家のままである。
 こんなことでいいのか!?日本はこれから百年も千年もの長きにわたってアメリカの事実上の植民地に成り下がってよいのか!?私は日本国民に問いたい。同時に、私の生ある間に独立国・日本を見たい、そして独立国・日本を私たちの子孫に残したいと思う。残りの人生を「脱アメリカ」と日本の独立を実現するために全力を挙げたいと思う。これが本書を書い
た目的である。(『独立国日本のために 「脱アメリカ」だけが日本を救う』、森田実著、ベストセラーズ、2011年、強調は引用者)

2023年10月22日日曜日

戦争をさせない共同の努力を

 図書館で、見出しがちょっと長い「『沖縄対話プロジェクト』第3回シンポジウム 大陸(中国)との率直な対話 戦争をさせない共同の努力を」という『ふぇみん婦人民主新聞』(10月5日)記事を読んできました。内容の一部を紹介すると、次の通りですが、「日本が安全保障政策上の『仮想敵』とする大陸(中国)の市民との対話が行われ」ていたことに驚き、そして嬉しく思いました。
 家に帰って、「 沖縄対話プロジェクト」のホームページも見つけました。そこで、3回のシンポジウムの様子も、YouTubeで見れることがわかりました。このような「戦争を防ぐ努力」が、今最も求められていることなのかもしれません。
 政府や政治家が軽々しく放つ「台湾有事」「南西諸島有事」を絶対起こさせてはならないと考える沖縄の人々が、政治的な立場や意見・思想の違いを超えて対話していこうと「沖縄対話プロジェクト」を立ち上げた(本紙今年6月25日号)。3回目のシンポジウムは、日本が安全保障政策上の「仮想敵」とする大陸(中国)の市民との対話が行われた。ふぇみんで連載「ジュゴンの里に暮らす」を執筆する浦島悦子さんに報告してもらう。

 戦争を防ぐ努力
 通訳を務めるとともに総括コメントを行った東洋学園大学名誉教授の朱建栄さんは、「3人虎になる」という中国の諺―「1人が『虎が出た』と言っても誰も信じないが、2人、3人となると皆が信じる」を紹介し、また、「東洋の智恵」を信じることを提唱した。西洋と異なり、「いかに戦争を防ぐための努力をするか」が中国・台湾・日本・琉球を含む東洋の智恵だと語った。  



2023年10月21日土曜日

「民主主義」に執着しよう

 世界で戦火が拡大しています。日本に飛び火しないとは誰にもわかりません。しかし、解釈改憲が進行してきてしまったため、危険性が増してきています。糸数慶子さんも言っているように「日本は海外での武力行使を強いられ、自国他国民問わず、死者が出てしまう可能性がある」のです。そうなってしまったら、これまで築いてきた日本の信頼が一気に崩れてしまいます。だからこそ、「真の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を実現できなければ、日本の未来は危うい」ことをもっと声を大にして叫んでいく必要があるのかもしれません。
 民主主義という言葉も、いろんな意味で使われております。極端な場合、制度的な面だけが語られ、理念的な面が省かれて解説されています。例えば、「民主主義には直接民主制と間接民主制の2つの形態がありますが、日本では、基本的には、人民の直接の多数決で国や自治体の方向性を決めるのではなく、人民の代表者を選び、代表者に権力を行使させる間接民主制が採用されています」(『18歳からの法律知識』、p12)といった具合です。
 しかし現実は、民主主義は「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」という日本国憲法の三原則と密接な関係にあります。これらは切り離せないといっても過言ではありません。今こそ、「われらとわれらの子孫のために、・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」(日本国憲法前文)していきたいものです。
 違憲の法律が世論を無視して国会で成立し、今後日本は海外での武力行使を強いられ、自国他国民問わず、死者が出てしまう可能性がある。今、日本国民は、自国の在り方について、ようやく考えはじめたばかりではないだろうか。安倍首相は「新・三本の矢」を打ち上げ、内閣支持革の再浮上を狙っているようだが、経済最優先で民主主義は後回しにされるのでは筋違いだ。日本の経済成長は、戦後七〇年の平和があったからこそ実現したものだということを忘れてはならない。また、結局のところ、現代の国際社会のなかにあって、民主主義を実現できない国が、安定した地位を築けるとは、到底考えられない。真の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を実現できなければ、日本の未来は危うい。今、日本は岐路にある。(糸数慶子著<「民主主義」に執着する>『私の「戦後民主主義」』、岩波書店編集部編、岩波書店、2016年、p180〜181、強調は引用者による)

2023年10月20日金曜日

絵から発するオーロラ

 なぜか、藤田嗣治の作品『夢』が忘れられません。日帰り旅行のバスの中でも思い出してしまったほどです。猫などの動物たちに見つめられながらも、無防備に、安心しきって夢見ていられるその表情が、独特のオーロラのような光を発しているのかもしれません。
「『夢』の一部」
 メモ帳に、「仏像を調査し、その結果を言葉にしていく」とありましたが、感動した絵なども、今回のように言葉にしていくことは大切なことのようです。書くことで、新たな発見があったからです。絵も「オーロラのような光を発しているかもしれない」といったことは思いもよらなかったことだからです。
 こうして書いていたら、同じ展覧会でメモした十牛図の解説のことまで思い出してしまいました。牛は悟りの具像なのですが、メモしながら、十牛図で表現された悟りの過程は、英語などの学びの過程に通じるところがある、と思えたのです。牛を飼い慣らす過程が、学びにおける習熟の過程そのものでは無いか、と思ったのです。

2023年10月19日木曜日

非ユークリッド幾何学の世界

 古代ギリシャ時代にユークリッド幾何学は誕生しました。たった5つの当たり前の事実、「公理」から導かれる一つの学問体系です。そのユークリッド幾何学は揺るぎのない論理体系で、ニュートンやカントさえその正しさを疑うことはなかったのです。唯一無二絶対真理完全無欠の論理体系として2千年もの間、学問の世界に君臨していたのです。
 ユークリッド幾何学の「公理」は、
1、2つの点を通る直線は1本しか引けない。
2、直線はいくらでも延ばすことができる。
3、直角は全て等しい。
4、点を中心にして、2位の半径の印を描くことができる。
5、直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は1本しか引けない。
 以上の5つです。
 誰もが、その正しさを疑うことはなかったユークリッド幾何学でしたが、その正しさに疑問を持つ数学者が現れてきました。まずプロクロス(412ー458)が「公理5は公理の中から除外しなければならない」などと言い始めたのです。有名なガウス(1777ー1855)も公理5に疑念を抱いた一人でした。
 公理5に関する研究ほど多く書かれたものはありませんでした。それでも問題は無なかったのです。しかし、ハンガリーのボヤイ・ヤーノシュ(1802ー1860)が、まったく新しい論理体系を築いてしまいました。「公理5」を「直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は2本引ける」としてみたら、全く新しい世界を作り出してしまったのです。その世界では”三角形の内角の和は180度未満”になるのです。それでも数学者は「そんなものはありえない」という反応でした。数学界から見向きもされなかったのです。
 その後、ベルンハルト・リーマン(1826~1866)が、「公理5」を「直線と点がある時、点を通って直線に平行な直線は1本も引けない」とすることで、またまた新しい別の論理体系を築いてしまいました。そこでは何と、「三角形の内角の和は180度より大きい」という結論が導き出されてしまったのです。それでも、これまではあくまでも数学条の話でした。そこに現れたのがアインシュタイン(1879~1955)による一般相対性理論(1916年)です。その理論でアインシュタインは、「時空が質量の影響で非ユークリッド幾何学的に湾曲することを予言したのです。
 そして1919年、太陽の重力で地球に届く光が湾曲するかどうかでアインシュタインの予言の正しさを証明する実験で、予言の正しさが証明されたのです。ということは、この世の中が非ユークリッド幾何学的にできていることを意味しています。(「N HK『笑わない数学 非ユークリッド幾何学』、2023年10月15日」からの要約)

2023年10月18日水曜日

戦争:悪の最たるもの

 公家や帝が登場する新聞の連載小説『人よ、花よ、』に、現代にも通用する記述がありました。次のところです。
 北朝を討帝てと喚(わめ)く公家にとって、兵というものは十だとか、百だとか、あるいは千だとか、ただの数でしかない。名さえ知らぬ、顔さえ知らぬ者を、帝(みかど)の名のもとに戦場へ送って来た。
 しかし、どの者にも一生があり、愛(いと)しき家族があり、誰もが泣き、また笑うのだ。些(いささ)か粗野なれども陽気で、猛々(たけだけ)しくとも優しい。そのような皆を、彼らが兵と呼ぶ皆を、公家たちに見せてやりたかった。(今村翔吾著、朝日新聞連載小説『人よ、花よ、』:415、2023年10月17日)
 小説を読んだとき、北朝は中国や北朝鮮に、公家は国会議員、帝は国防に置き換えてしまったのです。それに、先の戦争時も、「兵というものは十だとか、百だとか、あるいは千だとか、ただの数でしかなかったのです。「名さえ知らぬ、顔さえ知らぬ者」を、お国、あるいは天皇の名のもとに戦場へ送られて行ったのです。
 まさに今現在も、ウクライナやガザ地区で戦闘が続いています。どこの兵士にも「一生があり、愛しき家族があり、誰もが泣き、また笑う」のです。だからこそ、戦争が悪の最たるものであることを、9条の思想の普及が求めれれていることを、世界の果てまで届いて欲しいものです。

2023年10月17日火曜日

岡倉天心の徹底的な非戦論

 岡倉天心に『茶の本』という著作があります。茶道の本のようですが徹底的な平和論まで言及していることを知りました。軍事力に訴えることをもって「文明国」と呼ばれるというなら、いつまでも野蛮国に甘んじて、「わが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」というのです。これは徹底的な非戦論です。日本国憲法を先取りしているということもできます。若松英輔さんによる紹介文を読んでみましょう。
 西洋はかつて東洋を野蛮な国だと語っていたが、日本が軍事力に訴えるようになったら「文明国」と呼ぶようになった、と述べ、こう続けている。
「もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」(村岡博訳)
 天心の思想はまったく古びていない。それどころか、芸術と理想が軽んじられ、再び貧しい「文明国」になろうとする日本に生きる私たちが、今まさに読み返してよい現代の古典である。(若松英輔著「花について〜岡倉天心『茶の本』」日本経済新聞、2023年10月14日)
 今でこそ、トーンが弱まってきているように見えますが、改憲論を推し進めたいことに変わりはないでしょう。現実の方が、ますます理想から遠ざかってきているからです。理想が軽んじられている証拠です。こんな時だからこそ必要な、バックボーンに相応しい思想こそ、天心の思想なのかもしれません。

2023年10月16日月曜日

改憲は地獄への道

「朝日川柳 柴門蔵人選」(2023年10月13日)に、「日本国憲法が やけに眩(まぶ)しく見え」(静岡県 横田博)が選ばれていました。選者の一言「われらが誇り」も、光っていました。私も、日本国憲法は日本人の誇りだと思います。ウクライナで心を痛めていたら、その戦火が治らないうちにイスラエルとパレスチナで、ミサイルの応酬が始まってしまい。ますます、軍事費増に拍車がかかりそうだから、余計にそう思えるのかもしれません。
 こんな時だからこそ、日本国憲法の真価を見直し、「改憲は地獄への道」であることを知って欲しいものです。日本人は再び戦争で人を殺してはいけないからです。
 ここで、二つの憲法の時代を生きてきた小説家加賀乙彦さん(91歳)の声に耳を傾けてみましょう。

 日本は戦後、戦争を”卒業”したはずなのに、最近の政治をみていると、それが怪しくなっています。戦争の準備のために、税金を湯水のように使うのは容認できません。ヨーロッパでは、軍事費よりも文化にお金を使う。そういう国こそが本当に強い国だと思います。
(中略)
 明治憲法では女性に権利がなく、男はいざという時に兵隊になれというもの。とんでもない内容です。それなのに、国会議員のなかには明治憲法や教育勅語の精神が大事だという人もいる。このまま行ったら、再び地獄の時代です。日本人はもう、戦争で人を殺してはならない。男女の差別をしてはいけない。新憲法が定めている通りだと思います
 初めて新憲法を読んだ時、なんて恵まれた国になったのだろうと感激しました。それが蹂躙(じゅうりん)されるような時代になりつつあることに、歯止めをかけなければなりません。(『赤旗日曜版』、2020年4月12日号、強調は引用者によります)

2023年10月15日日曜日

精神的な自由の重要性

 放送大学の面接授業で、表現の自由といった「精神的な自由の重要性」を学びました。それは、自己実現の価値や自己統治の価値にとってなくてはならないものだからです。
 例えば、表現の自由があれば、人は思ったことを外部に表明しあい、コミュニケーションをとることを通じて自己実現が可能になります。さらに、報道の自由や取材の自由、国民の知る権利があれば、国民が政治的な意思決定をする(自己統治)ときに、様々な角度からの意見や情報を得ることができます。だから、精神的な自由はとても大切なものなのです。
 また、司法判断における「二重の基準論」というものも学びました。経済的自由が緩やかな基準で判断するのに対して、精神的自由の場合は、(精神的自由は民主主義にとって不可欠なものだから)厳しい基準で判断します。なぜなら、一度精神的自由が侵害されてしまうと、民主主義政治の中での議論が回復できなくなってしまうからです。この二重の基準論からも、いかに精神的自由が大切なものかがよくわかります。

2023年10月14日土曜日

三権分立は機能しているのか

 憲法とは国家権力の乱用を抑えるものです。その目的は人権の保障で、その手段は三権分立でした。しかし森友問題の事例でもわかるように三権分立が十分に機能していないため、人権保障が弱まってきています。こうした「三権分立は機能しているのか」という問題を、森友問題を例に考察してみました。
 森友問題とは次の通りです。
 2016年6月、国有地が学校法人「森友学園」に払い下げられました。その際、鑑定価格が9億5600万円のものが1億3400万円という安い価格で払い下げられました。そのことが発覚し、払い下げ価格が安すぎると問題になったのです。
 問題が明るみになると、首相や秋夫人が疑われそうだと判断した財務省によって、売買に関する経緯を記録した決済文書が改竄(ざん)され、上司に改竄を指示された職員が自殺に追い込まれてしまいました。改竄の事実からも不正があった事は明らかです。そして、このような不正は権力の乱用そのものではないでしょうか?
 18年3月27日には佐川元財務局長が国会で証人喚問されました。財務省は18年5月23日これまで「残っていない」と国会でウソの答弁していた「森友学園と近畿財務局の交渉記録」を国会に提出しました。その後18年6月4日には改竄の調査報告書も公表しました。このように国会でウソの答弁をされたり、公文書を改竄されたりすることによって、われわれ国民の知る権利が侵害されていたことに気づきました。そして、「第一二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」ということの重要性に気がつきました。権利が侵害されていて気づかないようでは努力が足りなかったようです。

2023年10月13日金曜日

仏国土という理想の建立

 十七条憲法に興味を持ち調べているうちに、井上光貞著「十七条憲法」『井上光貞著作集・9』に出会いました。そして、今までにない新鮮な「菩薩の思想」というものに出会うことができました。この菩薩の思想」は柿崎正治著『聖徳太子の大士理想』の中に書かれていたもので、井上光貞さんが「非常に感銘をうけたこと」(『井上光貞著作集・9』、p31)があったという思想です。それはまた、「菩薩理想という」ことであり、「人がいかなる理想的な人格を求めるかといったようなこと」(上同)でもあります。

 さらに、「菩薩の境地」について、次のように説明しています。

 姉崎正治先生の説明によると「一念備修万行」ということであります。つまり、一人の偉人がここに立っていて前におられる方々の気持をすっかり把握していて、すべての人の心を自らの心とし、それが自分の行為の中にも慈悲の形になって現われるといったような境地、実にすばらしいことを言ったものだと、おもうのです。(上同)

 次に、菩薩の思想」の核心と思われるところを紹介します。「菩薩の教化によって、この世の衆生の心がみな素直になるならば、その時には菩薩自身の願が成就しているのだから菩薩は仏になることが出来る。そうするとそのままこの世が仏国土になる」というのです。

 維摩経義疏の中で著者がもっとも関心をもっているのは仏国品で、仏国土の建立、この世に仏国土を現ずるのだ、ということをいっている部分であることは、みなさんご承知のところでありますが、その中で最も詳しい説明のあるところに「直心(ひたすら仏道に向かう心)はこれ菩薩の浄土なり、菩薩成仏のとき、へつらわざる衆生きたってその国に生ぜむ」という短い言葉があって、これを十の問答をあげて説明しています。つまり義疏の作者はこのところに非常に大きな関心を示しているわけであります。ところが、その十の問答というものをみてみますというと、意味はこういうことのようでございます。菩薩の教化によって、この世の衆生の心がみな素直になるならば、その時には菩薩自身の願が成就しているのだから菩薩は仏になることが出来る。そうするとそのままこの世が仏国土になる。(『井上光貞著作集・9』、p32)

2023年10月12日木曜日

新軍国主義に突入

 永瀬清子詩集『だましてください言葉やさしく』(童話屋、2008年)「有事」という詩がありました。冒頭「戦争が来たらと云う。/戦争が来たら、という声そのものがもう有事なのだ。」で始まる詩です。「戦争が来たら、という声そのものがもう有事なのだ」という句が気になって仕方がありません。普通に考えたら、戦火を交えた時点から有事が始まるからです。
 しかし、よく考えてみると、「攻められたらどうする」という問いが成立した時点で、抑止論の罠に捉われてしまいます。そして、捉われているかぎり、いつかは有事に発展してしまうことは明らかです。そういう意味では、「戦争が来たら、という声そのものがもう有事」と言えそうです。いうのもうなずけます。
 それでは、ウクライナの情勢を鑑みて、大幅な軍事費増が見込めれています。「力には力をという思想が見込まれて、大幅な軍事費増が既定路線の如く直走っています。まさに有事です。だから、莫大な予算でミサイルや戦闘機などの購入を計画できてしまうのです。そういう意味でも、すでに新軍国主義に突入していると言えましょう。

2023年10月11日水曜日

心のうちにきらめく星空を

 ウクライナにおける戦闘報道でうんざししていたのに、パレスチナとイスラエルとの戦闘報道まで加わってしまいました。「パレスチナ自治区ガザ地区から7日、イスラエルに向けて大量のロケット弾が発射され」、「イスラエルメディアは、イスラエル側で少なくとも100人が死亡、800人以上が負傷したと報道。イスラエル軍は、報復としてガザ地区への空爆を開始した」(朝日新聞、2023年10月8日)というのです。その結果、すでに「イスラエルとハマス双方の死者は合計2100人に達した」(日本経済新聞、2023年10月11日)そうです。
 このような報道を前にして、やはり、「力には力で!」と軍備の拡大を肯定する声が大きくなっています。しかし、「力には力で!」といった思想を肯定していたら、結局「同じ穴の狢」になってしまいます。それでは、どうすればいいのでしょうか。ヒントになる詩を見つけました。永瀬清子さん推し「美しい国」から一部を紹介します。

(前略)
敵とよぶものはなくなりました。
醜とよんだものも友でした。
私らは語りましょう語りましょう手をとりあって
そしてよい事で心をみたしましょう。
(中略)
ああ夜ふけて空がだんだんにぎやかになるように
瞳はしずかにかがやきあいましょう
良い想いで空をみたしましょう。
心のうちにきらめく星空をもちましょう。(永瀬清子詩集『だましてください言葉やさしく』、童話屋、2008年)
 多くの人たちが「よい事で心を」満たすことができたなら、「瞳はしずかにかがやきあい」、「心のうちにきらめく星空を」持つことができたなら、戦争などない平和で幸せな「美しい国」になることは、間違いありません。
 そうです。
 よい事で心をみたしましょう。
 瞳はしずかにかがやきあいましょう
 良い想いで空をみたしましょう。
 心のうちにきらめく星空をもちましょう。

2023年10月10日火曜日

傍観者から『主権者』へ

 民主党政権時代、アメリカの意向で鳩山首相が失脚したらしいことは知っていました。しかし、それだけではなく、田中角栄首相も、アメリカの意向で「政権から放逐され」たというのです。しかも、田中角栄首相が「政権から放逐されて以来、アメリカの許諾なしに国防戦略や外交戦戦略を立案してはならない、ということを日本の指導層は骨の髄まで叩き込まれた」(『やっぱりあきらめきれない民主主義』、内田樹著、水声社、2016年、p75、強調は引用者)というのですから、何がなんでも「辺野古に固執する」訳です。
 その辺の事情を詳しく紹介すると次の通りです。
 戦後七十年間、日本は自力で国防戦略なんか考えたことがない。講和条約の後くらいは考えていたと思う。対米従属を通じての対米自立というトリッキーな戦略を思いついたのはその時の政治家たちだから。でも、七三年の共同声明で、田中角栄がキッシンジャーから「絶対に許さない」と言われて、その後政権から放逐されて以来、アメリカの許諾なしに国防戦略や外交戦戦略を立案してはならない、ということを日本の指導層は骨の髄まで叩き込まれた。それから後は、もう外務省も防衛省もまったく独自で日本の国益を考えて政策立案するという習慣を失ってしまった。アメリカの許諾が確実に得られる政策以外は提案してこなかった。提案しても一発で反古にされることが分かっているわけだから、そんなことのために知的資源を費やす官僚なんか出てくるはずがない。そうやって何十年も演(や)ってきて、今さら、「じゃあ、これからは自力で国益守ってね」って言われても、そもそも自力で国家戦略を立案したことがないんだから、無理だよ。
 だから必死にアメリカに取りすがっているわけでしょ。「日本から出て行かないでください」「いつまでも沖縄にいてください」っていうのは、別に米軍基地の軍略的有用性がどうこうという話じゃなくて、東アジアで日本が何をすればいいのか、日本人に代わって考えてください、ということでしょ。でも、アメリカはもうそういう日本の依存症的なあり方に、正直うんざりしているんじゃないかな。「こっちだって、もう尻に火が点いているんだ、そろそろ自分のことは自分で考えろよ」という気分になっているんじゃないかな。(上同、p75〜76)
 このような事情を知ると、絶望的になりそうです。戦後、民主主義も、憲法の理想主義も、一見すると「ボロボロ」になりかけて今にも崩れ落ちそうに見えるからですす。
 しかし、満身創痍になりかけながらも、75年もの長きにわたって平和を維持してきました。この事実から言えることは、(考えようによっては)荒波に揉まれて強靭になってきた側面もあるようです。そうでなければ、日本丸は沈没してしまっていたでしょう。
 今必要なことは、日本の素晴らしさを見直し、日本国憲法を力にして、弱点を克服していくことなのかも知れません。「この国の状況が、政治が、今どんなに暗く見えたとしても、悲観することはありません。私たちが傍観者でなく『主権者』になったとき、未来は限りなく未知数になるからです」(堤未果著『18歳からの民主主義』、岩波新書編集部編、2016年、p128)。

2023年10月9日月曜日

未来社会の萌芽形態を!!

 日本共産党の考えに、「豊かで壮大な未来社会論」というのがあります。「人間社会の未来像の特質について『一口に言えば、人間の自由、人間の解放であります』とのべ、搾取も抑圧も差別もなく、人間が互いに協力しあい、『人類の限りなき前進という未来が開けてゆく社会』だという解明です」。今は苦しいかも知れないが、共産党の目指す社会は、「人類の限りなき前進という未来が開けて」きますよ、とバラ色の未来を描きだしています。
 そうしたが考えに対し私は、未来は未知数なのだから、今、人間的に豊かな生活を目指さなくて、どうするの?と疑問に思ってきました。同じように感じていた人の存在を知って嬉しくなってしまいました。しかも、的確に表現してくれていました。
 政治運動というものは、自分たちが実現しようとしている未来社会を、「いま、ここ」にある運動を通じて先駆的に実現していなければいけない、というふうに思ったからです。
 未来社会の萌芽形態が「いま、ここ」になければいけない。僕たちはこんな社会を作りたいんですという時に、その政治運動そのものが未来社会の雛形として現にここにあって、運動を見ているだけで、僕たちが何を目指しているかがわかる。こういう社会を作りたいんです。今やっているこの運動を拡大していって、社会全体に広げていくと、僕らがめざす未来社会ができる。そういうふうにしなければ、どんな政治的主張も説得力を持ちえないと思ったんです。そんなことを思ったのは僕だけかもしれませんが。
(中略)
 これは左右を問わず、戦後のすべての政台運動について言えることだと思います。
 実際に運動を率いている運動の主体である人たちが、自らの組織した集団それ自体が来るべき未来社会の萌芽形態である、理想的な社会を先取りしたものだと主張していたケースを僕は知りません。宗教的な運動などでは、そういうものがあったかも知れませんが、政治運動には存在しなかった。(『やっぱりあきらめきれない民主主義』、内田樹著、水声社、2016年、p23〜25、強調は引用者)
 そう言えば、日本国憲法も未来社会論の一形態といえます。多くの革新自治体が誕生し、京都都知事だった蜷川さんは、ポケット憲法を作り、憲法の精神を政治に活かそうとしました。まさに、今考えれば未来社会の萌芽形態を実践してきたです。残念ながら、実りある成果が足りなかったためか、潰されてしまいました。このような運動を再び起こし、身近なところから理想を実現していくことが求められているのかも知れません。

2023年10月8日日曜日

憲法を力に共存する道を!!

 当然のことながら、ウクライナ関連本が増えてきています。それらの中に、「力には力をもって対処を!」という主張があって驚きました。ロシアのウクライナ侵略を前にして、「要するに力に対しては力で対処するしかないという単純な事実に、多くの国がはたと気づいた」というのです。本当でしょうか。「力で対処するしかない」と、簡単に言ってしまっていますが、「力で対処する」ということは、「戦争をする」ということです。そんなに簡単に言ってしまっていいのでしょうか。言い訳がありません。大切なことは、いかに戦争を防ぐか、にあるからです。
 ウクライナでは、一年も抗戦が続いています。食料も、エネルギーも自給できているからに違いありません。しかし、日本は島国て、食料も、エネルギーも自給できていません。さらには、多くの原子力発電所などの核施設を抱えています。このような日本が戦争を戦えるはずがありません。まずはこの現実を直視する必要があります。その上で、戦争を防ぐという消極的な考えでなく、平和を構築していく、その過程で戦争が起きない環境を整備していくのです。結果として戦争を防げればいいのです。
 まずは、美輪明宏さんの考えに耳を傾けてみましょう。

美輪 石油のない日本がどうやって飛行機を飛ばすのか? 軍艦を動かすのか? 勝てるわけないよなと、そんなことは子供にだってわかることで。
 軍国主義と言うのは本当に愚かなんですね。鉄がないからと、私たちは鉄鍋から何から何まで金属供出させられて、国民はひどい目に遭った。ここへ来て、再び、あの過ちを繰り返そうというのはどうかしています。
(中略)
美輪 そもそも日本が戦争できると思っているのがおかしい。だって、もう日本はできない条件を全部作っちゃったんですよ。・・・何かといいますと、原発です。日本全国をずっとなぞるようにね。五十数基原発を作っちゃったでしょう。
瀬戸内 そうなんです。日本なんて敵国の爆弾によって、一発でなくなりますよ。
美輪 今は特攻隊の時代じゃないんですよ。ドローンの時代だし、ミサイル、無人機の時代でしょう。
 無人機で持って日本中をずっとなぞるようにして爆弾を落としていったら全部の原発が爆発。それで日本は全滅。一日で片がつくんですよ。 だから日本はいかにそれを避けるか。そのための外交力を養うことが重要課題で。(『これからを生きるあなたに伝えたいこと』、 瀬戸内寂聴・美輪明宏著、マガジンハウス、2016年、pp75〜78)

 そうなんです。日本はいかに戦争を避けるか、が最重要課題なのです。初めから敵視するのはやめて、日本国憲法を力に共存する道を探るべきなのです。

2023年10月7日土曜日

老いて増す能力

 手塚治虫の作品に「三つ目がとおる」という漫画があります。三つ目小僧という妖怪もいます。やはり、第三の目は、あるのでしょうか。正直な話、あまり信じてはいませんでした。しかし、詩人永瀬清子の作品「第三の眼」の解説を読んで、「第三の眼」もあるのかも知れない、と思いを新たにしました。

 詩人の永瀬清子の「第三の眼」という作品にはこんな一節がある。
《老とはきっと
心をゆりさますふしぎな第三の眼が
額の上にきざまれることだ。
そこから射す光線は
帽子のダイヤをまわすように
物体のかげに時間のせせらぎをみせるのだ。》
「帽子のダイヤ」はメーテルリンクの『青い鳥』に出てくる次元旅行を実現する「ダイヤ」なのだろう。肉眼の能力は老いによって衰える。しかし、美や言葉の奥に隠された叡知を感じるちからは、いっそう確かになる、というのである。(批評家)(若松英輔著、「老いて増す能力 永瀬清子『第三の眼』」、日本経済新聞、2023年10月7日)

 「第三の眼」を調べていて、同名の本があることがわかりました。なんとその本に「僧たちが金色の炎につつまれていたのをありあり見たのはとても奇妙な経験」が語られていました。普通の人には見えないのに、修業を積んだ僧たちには、後光らしきものが見えるようになった、というのです。多くの仏像に後光も彫られているのは、真実の姿のようです。

 ラマ・ミンギャール・ドンダップは私のほうを向いて言った。
「さぁ、これでお前は私たちの仲間にはいったのだ、ロブサン。これからは生涯をつうじて、お前は人間の外観ではなく、真の姿を見ることになるのだ。」
 このとき、この三人の僧たちが金色の炎につつまれていたのをありあり見たのはとても奇妙な経験であった。しかし、彼らの霊気(オーラ)が金色なのは、その積んだ業が汚れのないものだったからで、他の人たちはそうは見えないということを悟ったのは後になってからであった。
 新しく見いだされた私の感覚がラマ僧たちの巧みな指導によって発展してゆくにつれて、私は、内奥の霊気を越えて外に広がる他の生気があることを会得した。まもなく私は霊気の色彩や激しさによって人の健康状態を診断することができた。それから霊気の色彩が波動する様子によって、人が真実を語っているときとウソを言っているときの区別ができた。(『第三の眼 : 秘境チベットに生まれて』、ロブサン・ランパ 著、今井幸彦訳、光文社、1957年、p109)

2023年10月6日金曜日

回天と核兵器の狂気

 戦争末期に開発されたという人間魚雷「回天」という兵器があります。 国語の辞書には「① 天下の形勢を一変させること。衰えた勢いをもりかえす意に用いる。② 第二次大戦末期,日本が用いた一人乗り特攻潜水艇。爆薬を積み,敵艦に体当たりした」とありましたが、言葉だけの説明では、実感が湧きません。しかし、爆薬と搭乗員が配置された設計図を目の当たりにすると、このような兵器を作ってしまった戦争の狂気に、背筋が寒くなるような恐怖を感じてしまいます。回天記念館 - 山口県周南市を取材した梯久美子さんも、「人間を人間としてではなく、徹底して兵器として扱う思想に、戦時の狂気を見る思いがした」「『通販生活』、2021年盛夏号、p126」という感想を寄せています。
 なお、「記念館の図録の解説によれば、回天が突入する際、目標艦の側面にほぼ直角にぶつかれば確実に信管が作動するが、浅い角度でぶつかった場合は作動しないこともあった。そのため、衝突の衝撃で搭乗員の体が前のめりになることで、信管のスイッチが入り、自爆する仕組みになっていた。
 突入前に機器のトラブルが起こり、回天が動かなくなった場合も、搭乗員が自ら信管のスイッチを押して自爆することになっていた。秘密兵器とされていた回天が相手側の手に渡ることや搭乗員が捕虜になることを防ぐためである」というのです。やはり、戦争は狂気そのものです。このような狂った兵器まで作ってしまうからです。
 しかし、考えようによっては、どのような兵器にしても、殺人機であることに変わりがありません。回天を作ってしまったのが狂気なら、核兵器を作り、核兵器に頼っている人間どもの方が計り知れない狂気です。どれだけ多くの生物を殺戮してしまうか、その威力の大きさは計り知れないからです。日本国憲法のありがたさが身にしみます。

(「『通販生活』、2021年盛夏号、p125」より)

2023年10月5日木曜日

真の民主主義像を求めて

 日本やアメリカは民主主義社会と言われています。その一方で、戦後民主主義の終焉と言われたりもしています。また、多数決が民主主義だなどという人もいる始末です。このように、民主主義という言葉には、さまざまなニュアンスが込めれれているのです。それでは健全な民主主義の発達は望めません。だからこそ、整理し、真の民主主義像というものを明らかにすることが求められているのかも知れません。その際に参考にしたいと思ったのが、次の7つ前後に分類する手法です。

 分類という行為は、全体をとらえ、記憶し、さらに記憶したものを思い出す際に不可欠なものです。ちなみに、有効な分類にするためには、それぞれの枝の数は7つ前後に抑えるのが理想です。数が多すぎると、認識し、記憶し、思い出すのが困難になります。(『一生モノの英文法』、澤井康佑著、講談社、2012年)

 最近、プラトンの「メノン」を読みましたが、その中で共通の土俵で議論することの重要性を強調していました。 「互いに友人として問答をとりかわそうとするつもりなら、・・・・質問者が知っていると前もって認めるような事柄を使って答えるのが、おそらくその約束によりかなったやり方というべきだ」(『プラトン全集・9』、藤沢令夫訳、岩波書店、p261)というのです。つまり、民主主義について議論していても、それぞれの論者の「民主主義についての理解」が違っていては、議論が噛み合いません。今の状況は、そんな状態だと、私は考えています。だから、民主主義について共通の土俵で議論できるように、真の民主主義像を求めていきたいと考えています。

2023年10月4日水曜日

プラトン「メノン」を読む・3

 やはり、プラトン「メノン」では「無知の知」について言及していました。「無知の知」は、知的探究の原動力だったのです。「いまならこの子は、自分が無知な者として、よろこんで探求するつもりにもなるだろう」というのです。少し長いですが引用してみます。

ソクラテス こんども気がつくかね、メノン、この子が想起の過程において、すでにどんなとところまで前進しているかを。――最初この子は、八平方プゥスの正方形の一辺がどのような線であるかを知らなかった。ちょうど、いまはやはりまだ知らないでいるのと同じように。しかしすくなくとも、あのときには、この子はそれを知っていると思いこんでいたのだ。そして、あたかも実際に知っているかのように確信をもって答え、そこに何ら困難も感じていなかった。ところがいまでは、この子はすでに自分が困難に行きづまっていることを自覚して、知らないでいる実情のとおりに、また知っていると思いこむようなこともないのだ。
メノン おっしゃるとおりです。
ソクラテス  だから、いまこの子は、もともと自分が知っていなかった事柄に関して、前よりも進歩した状態にあるのではないだろうか?
メノン その点も同感です。
ソクラテス とすると、われわれはこの子を困難に追いこんで行きづまらせ、シピレェイのようにこの子を痺れさせることによって、よもや有害な影響をあたえたことにはならないだろうね?
メノン たしかにそうとは思えません。
ソクラテスとにかくわれわれのしたことは、どうやら、事柄の真相発見の一助となったらしいのだからね。なぜなら、いまならこの子は、自分が無知な者として、よろこんで探求するつもりにもなるだろうが、前にはしかし、二倍の面積の正方形は二倍の長さの線をもたなければならぬなどということを、いい気になって、たくさんの人に何べんもくりかえしながら、それでうまく語ったつもりになっていたことだろうから。(『プラトン全集・9』、藤沢令夫訳、岩波書店、p286〜287、強調は引用者)

 問いを持つことの重要性を説いた本に『答えが見つかるまで考え抜く技術』(表三郎著、サンマーク出版、2003年)という本があります。「答えが見つかるまで考え抜く技術」の核心は「『問い』を持って生きること。ただそれだけだ」(p3)と言いきっています。この場合の「問い」こそ「無知を知」ではないでしょうか。『答えが見つかるまで考え抜く技術』は積読状態でしたので、しっかり読んでみたくなりました。

 

2023年10月3日火曜日

プラトン「メノン」を読む・2

 はじめに、メノンがソクラテスに問いかけます。「あなたは答えられますか、ソクラテス。 —— 人間の徳性というものは、はたしてひとに教えることのできるものでしょうか。それとも、それは教えられることはできずに、訓練によって身につけられるものでしょうか。それともまた、⋯⋯」((『プラトン全集・9』、藤沢令夫訳、岩波書店、 p248)と。そして、メノンとソクラテスとの対話が始まります。その過程でメノンが言います。
 これまで私は徳について、じつに何回となく、いろいろとたくさんのことを、数多くの人々に向かって話してきたものです。それも、自分ではとてもうまかったつもりでした。それがいまでは、そもそも徳とは何かということさえ、ぜんぜん言えない始末なのです。あなたがこの国を出て海を渡ったり、よそへ行ったりしようとしないのは、賢明な策だと私は思いますね。なぜなら、あなたがほかの国へ行って、よそ者としてこんなことをしてごらんなさい。きっと魔法使いだというので、ひっぱられることでしょう。(上同、p274)
 徳について、今までは分かったつもりいたのに、いつの間にか「徳とは何かということさえ、ぜんぜん言えない始末なのです」と告白するまでになってしまったのです。これこそ、ソクラテスがいうところの、有名な「無知の知」ということだったのです。少なくとも私はそう理解しました。そして考えたことは、自分では知っていると思っていることでも、本当にそれでいいのだろうか、と疑ってみることで、本当はわかっていなかったことに気づく、つまり、「無知の知」に気づくことって、結構あるのかも知れない、ということでした。
 こうして書いている過程で気づいたのですが、ひょっとしたら、「無知の知」って、否定の論理のことを言っているのかも知れません。つまり、わかっていた認識が一度否定され、より高度な認識に到達するからです。「否定の論理」のことを、調べてみる必要がありそうです。

2023年10月2日月曜日

「発掘された珠玉の名品」展

 美術館に行って、展覧会「発掘された珠玉の名品 少女たち 夢と希望─そのはざまで 星野画廊コレクションより」を観てきました。「忘れ去られようとしていた異色作家の代表作を探し当て」、蒐集してきた作品群の異色の展覧会でした。
 「発掘する作業」という「不染鉄」『石を磨く』からの引用も展示されていて、作品や作家を発掘できた時の感動の言葉「こんなすばらしい作家がいたのか!!」「こんなかわった絵があったんやな」で、引用文が締め括られていました。この感動を知ったとき、読書の過程でも、同じような感動があったことを思い出しました。そして、埋もれた文献や思想家を発掘していくことの意義を再認識することができました
 この展覧会で、も一つの収穫がありました。全作品にちょっとした解説とサブタイトルが展示されていたことです。しかも、サブタイトルのおかげで、作品を深く味わうことができました。谷山孝子作『庭』に対して「仮初の幸福」、青木大乗作『想い』(少女の裸婦像)に対して「絵になる最初かな」という具合でした。
 「若冲と江戸絵画」では、子供たちに親しみを持ってもらえるように、ということで、サブタイトルも展示されていました。ですから、作品にサブタイトルという展覧会は初めてではありません。しかし、新しいタイトルをつけることで作品に新たなスポットを当てることができるという発見がありました。 

2023年10月1日日曜日

改憲派の論客、篠田英朗

  図書館で何気なく手にした『はじめての憲法』(篠田英朗著、筑摩書房、2019年)を流し読みしてみました。そして、憲法の解説という体裁の本でしたが、よく読んでみると、最後の方で自らの改憲の主張を載せてあって驚きました。図書館の内容紹介文に「護憲派vs.改憲派の不毛な対立を越えて、国際主義を強調する日本国憲法の内容を、・・・平易に解説する。ほんとうの平和を考える憲法入門講義」とあるのに、次のように改憲派の論客だったのです。

【質問] 篠田先生は、憲法改正については、どのように考えていらっしゃるのですか。現行憲は、集団的自衛権を禁止していないとしても、改憲は必要でしょうか。改憲すると従来の憲法の平和主義はどうなるのでしょうか。
【答え] 改正のポイントは解釈を確定することだと考えています。現状では、憲法九条の解釈は大きく割れています。それはとても良くない状態です。まずは九条の解釈を確定させるための処置が望ましいと思っています。
 安倍首相は、自衛隊の合憲性を確定させる改憲をしたいと言っていますが、妥当な発想でしょう。解釈が分かれている状態で、行政府の長として自衛隊を動かしにくいというのは、全くその通りなのだろうと思います。
(中略)
 私は、二〇一七年に『ほんとうの憲法」(ちくま新書)という本を出した際、九条三項を追加する改憲をするのであれば、「前二項の規定は、本条の目的にそった軍隊を含む組織の活動を禁止しない。」という文言を入れるのがいいのではないか、と書きました。この措置によって、「戦力ではない軍隊」が違憲ではないことが明らかになります。あとは自衛隊がその「戦力ではない軍隊」であることが通常法で確認できれば十分です。解釈が分かれているのは、自衛隊という名称の合憲性ではなく、軍事組織が合憲でありうるかどうか、なのです。(『はじめての憲法』、 p195〜196)

 ここで呆れるのは、「戦力ではない軍隊」と簡単に述べていますが、そもそも、「戦力ではない軍隊」など、あり得ません。たとえあったとしても、それでは役に立たないでしょう。
 同じ著者の本に『集団的自衛権の思想史 憲法九条と日米安保』(篠田英朗著、風行社、2016年)という本もあって、「安保法制をめぐる議論の中で、日本国憲法の国際協調主義は瀕死の重傷を負っている-。平和構築を専門とする著者が、日本の憲法学の歴史にその淵源を探りつつ、集団的自衛権がわが国でどのように語られてきたかを詳細に追う」本だそうです。平和構築を専門とする著者が改憲を主張するとは、知って呆れてしまいました。「敵を知れば、・・・
」なのかも知れません。だから、『紛争解決ってなんだろう』(篠田英朗著、筑摩書房、2021年)も、読んでみたいです。