人類にとって「戦争の惨禍は避けられないのか?」という問いは、多くの人が抱えている問いに違いありません。二十一世紀に入ってからもなお、地球上で戦禍が続いているからです。
それでは、「戦争の惨禍は避けられないのか?」という問いに、どう答えたらいいのでしょうか。そのヒントになる言葉を見つけました。戦禍を繰り返すであろう原因について考察した次の言葉です。この言葉の逆を行けば、戦争の惨禍は避けることができる、戦争をなくすことができると思ったのです。
指導者たちにとって「世界の将来も他国民の生活もかれらの関心に値せず、もっぱら心をうばわれるのが国境、民族、勢力のバランス、版図の拡大、仮想敵を弱めること、報復、戦勝国の負担を戦敗国にかたがわりすることいがいにない」(J・M・ケーンズ)とすれば、世界はなおいくたび戦争の災禍をくりかえしても足らないことであろう。(『現代の戦争』 、高木惣吉著、岩波新書、1956年、p202)この言葉と同じような言葉「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」を、マルクスは残しています。今注目の若手研究者の斎藤幸平さんは、この言葉を紹介した後、「いまや、『大洪水』という破局がすべてを変えてしまうのを防ごうとするあらゆる取りみが資本主義との対峙なしに実現されないことは明らかである」(『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(斎藤幸平著、堀之内出版、2019年、p23)と書いています。そうなのです。戦争による破局も、資本主義という病と対峙しながら将来世代と他国の国民生活にも関心を寄せ(着眼大局)、その上で必要な対策を講じてこそ、(着手小局)防ぐことができるのです。「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」は、なんとしても防ぎたいものです。
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