2021年7月28日水曜日

大洪水よ、我が亡き後に来たれ!

 マルクスの言葉に、「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」という有名な言葉がある。ずっと前から、この前後の言葉を知りたい、と思っていたが、ようやく念願が叶った。大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(斎藤幸平著、堀之内出版、2019年)に引用されていたからだ。

 株式投機の場合でも、いつかは雷が落ちるにちがいないということは誰でも知っているのであるが、しかし、誰もが望んでいるのは、自分が黄金の雨を受けとめて安全な場所に運んでから雷が隣人の頭に落ちるということである。大洪水よ、我が亡き後に来たれ! これが、すべての資本家、すべての資本家種族のスローガンである。(新マルクスエンゲルス全集・II/6:273)

 この言葉の象徴的な事例は、原子力発電所である、と前々から考えていた。自分たちは恵みを享受し、放射性廃棄物という厄介者は、将来世代に押し付けてきたからだ。マルクスは、「資本家、すべての資本家種族のスローガン」といっているが、原発を許し、肯定している人たちみんなのスローガンであろう。
 また、「自分が黄金の雨を受けとめて安全な場所に運んでから雷が隣人の頭に落ちる」という点に関していうと、軍用機の騒音被害を撒き散らす米軍基地も、「隣人の頭」上のことだからこそ、許せるのであろう。しかし、これらはほんの一例で、事態はもっと深刻なのだ。だからこそ、斎藤幸平さんは言う。

 いまや、「大洪水」という破局がすべてを変えてしまうのを防ごうとするあらゆる取りみが資本主義との対峙なしに実現されないことは明らかである。つまり、大洪水がやってくる前に「私たちはすべてを変えなくてはならない」(Ken2014)だからこそ、資本主義批判と環境批判を融合し、持続可能なポストキャピタリズムを構想したマルクスは不可欠な理論的参照軸として二一世紀に復権しようとしているのだ。(大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(斎藤幸平著、堀之内出版、2019年、p23)

 と。今や、小手先でどうこうしていては、間に合わないのかもしれない。そう思うようになってきた。 

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