2024年3月15日金曜日

道元禅師の悟り

  数学者岡潔さんの随筆「憲法の前文を読んで」を読んでみました。すると、いきなり道元禅師の言葉から始まり、最後に、「各人が、真我が自分だと十分に自覚し、それに基づいて行為するならば、政治はいらない」(『岡潔集 第2巻』、岡潔、学習研究社、1969年、p177)と言いきっていて驚きました。
 では、道元禅師の言葉と、岡潔さんの解説を読んでみましょう。

 自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり。迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず、しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく」(道元禅師『正法眼蔵』上、岩波文庫)
 真我が自分であって、自我は本能(無明)の描かせるまぼろしにすぎない。このまぼろしの乱舞する世を実在と執するのが迷いであって、これが迷いだとわかれば悟りである。この上の悟りもあるが、これで一応悟りといえるのである。
 欧米人は自我を自分だとしか思えないらしい。だからキリスト教はお前たちは罪人だ、と訓(おし)えたのである。このことは、文化の暗黒時代といわれるローマ時代にことにはなはだしい。(上同、p176−177)

 これを素直に読めば、近代思想の基礎とも言える”自我はまぼろし”にすぎない、のである、だから、「各人が、真我が自分だと十分に自覚し、それに基づいて行為する」ことが大切であり、そうなれば、政治はいらない、というのです。この思想は、考えようによっては、近代思想の否定を意味するように、私には思えます。その真偽は、「真我が自分だと十分に自覚」してみることでしか、確かめることができません。新たな課題が出てきてしまいました。

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