ゴヤやピカソにとっても、彼らの芸術活動そのものが、兼好にとっての「精神の冒険」のようなものだったに違いないと思えたのです。例えば、小屋の作品を三点紹介しましたが、これらの作品を違いを考えただけでも、冒険心なしでは、なしえないと思います。ピカソの場合、同じです。「ニヒリズムに塗り込められた<青の時代>の作品と健康的なく古典主義の時代〉の作品の余りの違い方にわれわれは目を見張り、・・・同一人物のものであることに少なからず戸惑う」ほどのことを成し遂げられたのも、冒険心があったからだと思うのです。なお、ゴヤとピカソについて紹介したい引用は次の通りです。
われわれが彼の全貌を知ろうとする時、彼の全作品、少なくとも各時代の主要な作品のすべてを観ることを要求する画家があるとすれば、その双壁はゴヤとピカソであろう。
この二人のスペイン人は、生きること即活動すること —— 自己の持つ天賦の才能を常に働かせること —— という生命観を本能的に備えそれを支え常に前進してゆくだけの強い意志を持っている点で、スペインに一世紀に一人ないし二人ずつの割合で生れ出る創造的な天才の典型的な例である。(『ゴヤの世界 』、p5)二人の制作ジャンルが多角的であることは言らに及ばず、対象を油絵だけにしばっても、その主題、技法、画面に投入された作者の感情の多様性には驚くべきものがある。例えばピカソの場合、そのほんの一例をとっても、ニヒリズムに塗り込められた<青の時代>の作品と健康的なく古典主義の時代〉の作品の余りの違い方にわれわれは目を見張り、彼の息子や娘を描いた画面に流れるこまやかな愛情と「ゲルニカ」や「殺戮」の画面に荒れ狂う怒りが、同一人物のものであることに少なからず戸惑うのである。同じことがゴヤについてもいえる。(『ゴヤの世界 』、p5〜6)




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