2024年3月9日土曜日

生きること即活動すること

 著書『ゴヤの世界 』(神吉敬三著、講談社、1968年)の『ゴヤ―その人と芸術――』を読んでいたら、昨夜読んだ『徒然草』第三八段の解説を思い出しました。その部分は、「さしもの明晰な読書人たる兼好が、まるで鏡張りの球体に閉じこめられたような、精神の危機である。この究極の密室からどのように脱出し、さらなる荒野を駆け抜け、どこを目指すのか。徒然草を執筆するという行為は、兼好にとって精神の冒険にほかならない」(『徒然草』、島内裕子訳・著、ちくま学芸文庫、p89)というところです。 
 ゴヤやピカソにとっても、彼らの芸術活動そのものが、兼好にとっての「精神の冒険」のようなものだったに違いないと思えたのです。例えば、小屋の作品を三点紹介しましたが、これらの作品を違いを考えただけでも、冒険心なしでは、なしえないと思います。ピカソの場合、同じです。「ニヒリズムに塗り込められた<青の時代>の作品と健康的なく古典主義の時代〉の作品の余りの違い方にわれわれは目を見張り、・・・同一人物のものであることに少なからず戸惑う」ほどのことを成し遂げられたのも、冒険心があったからだと思うのです。なお、ゴヤとピカソについて紹介したい引用は次の通りです。
 われわれが彼の全貌を知ろうとする時、彼の全作品、少なくとも各時代の主要な作品のすべてを観ることを要求する画家があるとすれば、その双壁はゴヤとピカソであろう。
 この二人のスペイン人は、生きること即活動すること —— 自己の持つ天賦の才能を常に働かせること —— という生命観を本能的に備えそれを支え常に前進してゆくだけの強い意志を持っている点で、スペインに一世紀に一人ないし二人ずつの割合で生れ出る創造的な天才の典型的な例である。(『ゴヤの世界 』、p5)

 二人の制作ジャンルが多角的であることは言らに及ばず、対象を油絵だけにしばっても、その主題、技法、画面に投入された作者の感情の多様性には驚くべきものがある。例えばピカソの場合、そのほんの一例をとっても、ニヒリズムに塗り込められた<青の時代>の作品と健康的なく古典主義の時代〉の作品の余りの違い方にわれわれは目を見張り、彼の息子や娘を描いた画面に流れるこまやかな愛情と「ゲルニカ」や「殺戮」の画面に荒れ狂う怒りが、同一人物のものであることに少なからず戸惑うのである。同じことがゴヤについてもいえる。(『ゴヤの世界 』、p5〜6)



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