2024年3月20日水曜日

戦争の申し子プーチン

 ウクライナ戦争のことになると、「どうして世界はプーチンの一方的な戦争行為を、ウクライナへの侵略戦争を阻止できないのか」という議論になります。そして、極論としてプーチンを暗殺説まで現れます。しかし、そうした意見に正面きっての意見することができずにいました。国連の安保理構成国にある拒否権が障害になっている、というのが精一杯だったのです。
 そんなとき、 『軍事基地 』(高木惣吉著、弘文堂、アテネ文庫、1951年)に出会い、「プーチンは、戦争の申し子に過ぎないのではないか」と思うようになりました。次の引用にあるように、「戦争の原因でもあり準備手段でもあり、また作戦の直接方法でもある基地」がある限り、第二、第三のプーチンが現れ、「無防備の都市も無辜の市民も一切合切なんの仮借も与えられず殺戮の対象」となる戦争を始めてしまうであろう、と思えたからです。だから、絶対平和主義の日本国憲法の先見性を再認識することができました。

 騎士軍の戦闘はいわば一騎打ちの総和であり、個人の勇気と武術とが決定的であって、全体の統一的な駆け引きはあまりみられなかった。・・・・三〇年戦争から戦争形態は一戦ごとに変わった。
(中略)
 第一次大戦の末期から第二次大戦になってさらに大々的に空陸の機械兵士による機動戦が復活し、しかも無防備の都市も無辜の市民も一切合切なんの仮借も与えられず殺戮の対象とされるようになったのである。(『軍事基地 』、高木惣吉著、弘文堂、アテネ文庫、1951年、p54~55)

 第一次大戦は市民階級滅亡の第一歩を踏み出したことになったが、第二次大戦は市民階級国家間の相互抹殺の戦いとも見ることができる。
 かく戦争の形式も手段も時代とともに移ってきわまるところがない。従って戦争の原因でもあり準備手段でもあり、また作戦の直接方法でもある基地の争奪、用法、性格というものもまた時代とにつれて変化することは当然で、・・・将来も引き続いて変遷を重ねるものと見なければならない。(上同、p56)

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