日本経済新聞で連載されている梯久美子さんのコラム「この父ありて」で詩人茨木のり子さんのことが取り上げられているのを読んで、詩人茨木のり子さんの存在を知った。このことは「ほんとうの死と生と共感のために」にも書いたが、2021年8月7日のコラムで、茨木のり子さんが天皇を批判するような詩を書いていたのを知って驚いた。
戦後30年がたった1975年10月31日、昭和天皇が記者会見で質問に答え、戦争責任について初めて語った。
〈戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます〉
これは、直後に茨木が『ユリイカ』に発表した詩「四海波静」の冒頭である。
〈思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては 止り また噴きあげる〉
あのとき、こんなにもあからさまな怒りを同時代の誰が作品にしただろうか。詩はこう続く。
〈三歳の童子だって笑い出すだろう/文学研究果さねば あばばばばとも言えないとしたら〉
この詩について、茨木がのちに書いた文章がある。
〈もし、仮に私が戦争未亡人で遺骨さえ手にしておらぬ身であったとしたら、この記者会見をテレビでみて、天皇に対してどんな激烈なことでもやってのけられそうな気がした。少女時代にはよくわからなかった戦争未亡人の思いというものが、ひしひしとわかる年代に私も達した〉(「いちど視たもの」)(「この父ありて 詩人 茨木のり子(6)」、日本経済新聞、2021年8月7日)
天皇が戦争責任を問われて、「お答えできかねます」と答えたニュースを、当時の新聞はどう報じたか、どう解説したか、知りたくなった。それにしても、「お答えできかねます」という返答は、国会でもよく聞かれるようになった。天皇に学んでの返答だったのだろうか。
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