2016年6月26日の鷲田清一さんによる朝日新聞コラム「折々のことば」は、中野重治さんの「その人びとは心から息子娘を愛していた子供たちは正しいのだということを理論とは別の手段で信じていた」だった。「戦前、共産主義者たちは官憲から惨たらしい迫害を受けた。そして戦後しばらくして開かれた日本共産党創立5周年の夕べにあたり、当時党員だった詩人・作家は、党員よりもその親たちに、遠く思いをはせた。『その信頼と愛とについて 報いはおろかそれの認められることさえ求めなかった親』たちに」(詩「その人たち」から)。
この切り抜きを読み直した時、過去の「感極まって泣いてしまった読書体験」を思い出した。故郷を離れ、東京のアパートで一人暮らしをしていた時の話である。小林多喜二の『党生活者』を読んでいたら、官憲に追われている息子の後ろ姿を見送る年老いた母の心情を書き綴ったページを読んでいたら、小説の中の母と故郷に残してきた母がダブってしまい、一人アパートの中で泣けてしまった。詳しいことは忘れてしまっても、泣いてしまったことだけは鮮明に覚えている。
今にして思えば、学生時代までは本とは無縁だった”のに”、気がつけば本が欠かせなくなっていた。でも本当は、本とは無縁だった”から”、乾いたスポンジに水が染み渡るように、本の世界が体に染み渡ってきたのかもしれない。今でも、三度の食事と同じくらい、本が欠かせない。しかし、メモはしつつも、書きぱなしで見返すことはほとんどなかった。これからは、新しい本と同じくらい、あるいはそれ以上に、自分のメモ帳など、自分の記録を読み直すようにしてみたい、そう思うようになった。
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