2021年8月17日火曜日

戦争は人を二度殺す

 戦争中に新聞が果たした役割は大きい。あまり聞いたことがないが、新聞に対する戦争責任を問うてもいいのではないか、いや、問うべきである。大本営発表をそのまま、戦果の報道をして、国民の戦意高揚を図ってきたからだ。軍に牛耳られて、どうしようもなかったという理由もあろう。しかし、仕方なく、渋々やられたのであれば別だが、率先して実行されたのであれば、やはり責任は免れない。
 最近知った川柳に「特攻へ新聞記者の美辞麗句」(『特攻隊員の命の声が聞こえる 戦争、人生、そしてわが祖国』、神坂次郎著、PHP研究所、1995年)というのがある。この川柳を知って、ここまでなるのが戦争の実態なのかもしれない、と思った。
 同じ『特攻隊員の命の声が聞こえる』に、「特攻と散りゆく桜 花吹雪/晴れの初陣生還を期せず」や「明日死ぬと覚悟の上で飯を食い」というのも紹介されていた。なんともやりきれない思いがする。これだけの覚悟を決めていても、「雨降って今日一日を生き延びる」「俺の顔 青い色かと戦友(とも)が聞き」と本音が垣間見える。あえて覚悟を口にすることで、不安な心を押し殺そうとしたに違いない、そう思えてきた。
 若い学徒の日記に「 俺たちの苦しみと死が、俺たちの父や母や弟妹たち、愛する人たちの幸福のために、たとえわずかでも役立つものなら…」(同、p37)と記されていたという。そうでも思わなければ、私だったら死を前にした苦しみのため、気が狂ってしまいそうだ。と、ここまで書いてきて、「戦争は人を二度殺す」ということに気づいた。まず精神(心)を殺し、やがて、肉体が殺される、と。殺す主体は、天皇であり、軍であり、国体であろう。「何が国防だ」と言いたい。



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