2021年8月15日日曜日

平和へのはじめの一歩

 敗戦の日に、どうして戦争がなくならないか、を考えてみた。いつも疑問に思っていたことに、「軍事力による平和」というもののおかしさがある。防衛のためというが、軍事力を使用した時点で、平和ではなくなってしまうからだ。
 それでは、「軍事力による平和」というものが叫ばれる前提は何か、と問えば、それは「攻めてくる国がある」という敵国の存在である。いわば、守りの姿勢であり、同時に、その守りの方法論が一つという固定観念に貫かれている。
 ここで明らかなことは、敵国の存在がある限り、戦争も、軍事力もなくなるはずがない、ということである。だから、「国境線の意味が、憎悪と対立から、融和と尊敬に変わらなければ……。その時やっと平和が始まる」(「加藤登紀子のひらり一言」『朝日新聞』、2021年8月15日)のである。ジョンレノンも、イマジンで「国なんてないと想像してごらん/国や宗教のために殺しあったり、死ぬことないよ」声だかに歌っていたではないか。
 そもそも日本政府には、アメリカ一辺倒で「近隣諸国と友好関係を築こう」という意思がない。初めから平和を築こうという意思がないのと同じであろう。つまり平和へのはじめの一歩は、日本国憲法の「平和な世界に向かっての決意」の実践であり、「平和を築こうという意思」なのだ。

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