排他や不寛容は、個人の尊厳というものを理解していないとしか思えない。民主主義社会にも相応しくない。その程度の理解だったが、排他や不寛容に対する手厳しい説明を発見し、紙片にメモしてあった。それが、「過去を現在に受け止め、未来へ手渡すためにはどうすべきか。その歴史をどう血肉化し、排他や不寛容の獣性をどう押さえ込むか」(青木理著「抵抗の拠点」『サンデー毎日』2020年12月2日号)
獣性と言ったら、人間性の対極にある概念と言って良い。国家間の対応も、軍事力を前提にしているのなら、そこには獣性が付き纏っていることになる。不寛容ゆえの衝突だからである。真に人間的な外交を目指すならば、軍事力はいらない。そこをしっかりと考えていくことが必要だ。
改めて軍事力を前提にした外交について考えてみた。そして、そこには人命が担保されていることに気づき唖然としてしまった。そもそも兵器というものは、殺人を目的にしている。国を守ると言いながら、多くの人命が担保されている。しかも、今は、無垢の命も対象にされているのだ。ここで小田実の「難死の思想」というものを思い出した。空襲によって殺された「死」を 「難死」と命名し、深い思索を重ねている。じっくりと学びたい思想である。
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