2021年8月18日水曜日

天皇発言への憤りを込めた作品

 天皇を批判した茨木のり子さん詩「四海波静」の一部を 昭和天皇の[戦争責任]記者会見で、紹介したが、「四海波静」の全貌を知りたいと検索し、『婦人公論』(2008年8月7日号)を見つけた。そこに「四海波静」の詳しい解説があった。
 昭和天皇の在位が半世紀に達した一九七五(昭和五十)年十月、天皇ははじめて――また唯一ともなった――公式の記者会見を皇居内で行っている。日本記者クラブ理事長が質問に立ち、前月の訪米に際しての印象などの問答が済んだのち、ロンドン・タイムズの中村浩二記者が関連質問をした。
《天皇陛下はホワイトハウスで、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします。
 天皇 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます》(一九七五年十一月一日付 朝日新聞)
 茨木のり子の「四海波静」は、この天皇発言への直截な憤りを込めた作品となっている。(後藤正治著、「詩人茨木のり子の肖像」『婦人公論』2008年8月7日、p188)

 この詩を書いたさいの気持ちについて、後日、茨木はこのように述べている。
《かつての戦争で私は近親の誰をも失わなかった。けれど、もし、仮に私が戦争未亡人で遺骨さえ手にしておらぬ身であったとしたら、この記者会見をテレビでみて、天皇に対してどんな激烈なことでもやってのけられそうな気がした。少女時代にはよくわからなかった戦争未亡人の思いというものが、ひしひしとわかる年代に私も達した。しかし、ジャーナリズムの反応も、民衆の反応も、びっくりするぐらい生ぬるいもので、「大天狗め!」という頼朝級の、記憶に残る野次一つ飛ばないのだった。私も長く詩を書き続けてきたものだが、この天皇の言葉(それが側近の作製になるものであったとしても)を見逃すことができず、野暮は承知で「四海波静」という詩を書かずにはいられなかった》(「いちど視たもの」/共著『女性と天皇制』収録 思想の科学、一九七九年)(同上p189)

 茨木はここで、「ジャーナリズムの反応も、民衆の反応も、びっくりするぐらい生ぬるいもの」と書いているが、その部分を詩「四海波静」では次のように表現されている。なんと手厳しい。しかし、いまだにそうした風潮に変わりはない。ただ、こうして批判できる自由があることはありがたい。『女性と天皇制』も、手に取って読んでみたいと思っている。

頼朝級の野次ひとつ飛ばず
どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学
無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘

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