日本経済新聞連載の連載記事「この父ありて」(2021年7月24日、梯久美子著)で、茨木のり子の詩集『対話』からの詩が紹介されていた。
20代の終わりに刊行した『対話』には、 戦争を問い直す言葉が並ぶ。<風船のように消えた/無知で純粋でで徒労だった歳月>「根府川の海」)詩の全体を読んでみたい、そう思って『対話』を手にしてみた。「根府川の海」には、「茨木はかっての自分が軍国少女であった」ようだが、そのことを読んだと思われるフレーズがあった。<ほっそりと/蒼く/国をだきしめて/眉をあげていた/菜ッパ服時代の小さなあたしを/根府川の海よ/忘れはしないだろう?>このフレーズを、多くの戦犯たちに聞かせてやりたい。
「無知」と「徒労」にはさまれ た「純粋」という言葉、茨木はかっての自分が軍国少女であったことを、インタビューなどで繰り返し語っている。
そして、戦場に駆り出された同世代の若者たち。<樫の木の若者を広野にねむらせ/しなやかなアキレス腱を海底につなぎ/おびただしい死の宝石をついやして/ついに/永遠の一片を掠め得なかった民族よ(「ひそかに」より))
自国の若者の生命を軽んじたばかりか、他国の人々を蹂躙した過去からも目を背ける人たらを批判した詩もある <<むかしひとびとの間には/あたたかい共感が流れていたものだ>/少し年老いてこころないひとたちが語る><弱者の共感/蛆虫の共感/殺戮につながった共感/断じてなつかしみはしないだろう/わたしたちは> (「準備する」より))
戦時下の日本人を結びつけていたものを「蛆虫の共感」と切って捨てている。これは苛烈な告発であるだけではなく、痛切な反者でもある。蛆虫とは自分自身でもあるのだ。
初めてこの時を読んだとき、茨木が20代でこんな作品を書いていたのかと、目の覚めるような思いがした。
多くの人が教科書で出会う、戦時の青春をうたった代表作「わたしが一番されいだったとき」30代になってからの作品で、もっとやわらかな言葉で書かれている。だが、あらためて茨木の仕事の全体を見ると、若い日の愚直なまでの真面目さと、社会に向き合うまっすぐな姿勢が、最後まで質かれていることがわかってくる。
「ひそかに」は、<節分の豆は/むかし/ジャングルまで撒かれたが><巨濤(大浪)/をみとどけた者はいない>で始まっていた。兵隊を豆に例えたのだろうか、大浪のようにジャングルまで撒かれ、ついには、「おびただしい死の宝石」となって、「広野にねむらせ」るようになってしまった。
「準備する」は、<あるいはついにそんなものは/誕生することがないのだとしても/わたしたちは準備することを/やめないだろう/ほんとうの 死と/生と/共感のために。>のフレーズで結んであった。「ほんとうの 死と/生と/共感のために」という言葉がぐさりと刺さって暫く離れなかった。「ほんとうの 死」と対極にあるのが戦死であろう。しかし、最近の出来事でいえば、政治の貧困ゆえに、死ななければならない人たちも、本当の死とはいえない。無理に始めた五輪によって、緊急事態宣言下でもあるにも関わらずコロナが急拡散しているが、こうした影響を受けた人たちが良い例であろう。
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