2021年8月26日木曜日

奴隷根性が抜けきれない日本人

 また、衝撃的な詩に出会った。金子光晴の詩集『人間の悲劇』のなかにあるという「答辞に代えて奴隷根性の唄」だ。茨木のり子著「いちど視たもの」『女性と天皇制』(加納実紀代編、思想の科学社、1979年)で紹介されていた。この詩を紹介しながら茨木のり子は、「この詩は強烈に私の心に突きささる。祖母の血をひく者として、日常の暮らしのなかで、天皇制に対してばかりではなく、形を代えての奴隷根性は伺かの折にひょいと出てしまうのでは? という怖れ」「民衆が‐――民衆のなかのゲスな精神が作り出し存続させてゆくものとしての天皇制に、こんなにかっきり形を与えたものを他に知らないのである」(p240)と書いている。
 この評論を読んで、なぜ、こうも長く米軍基地があり続け、地位協定の改定すらできないのかがわかってきた。天皇と在日米軍が結びついたからだ。つまり、天皇を中心とした支配の構造と、在日米軍による支配の構造が相似形である、ということに気付いたのである。マッカーサーが天皇の戦争責任を追及しなかったわけ、形を替えた天皇制を温存させたわけが、ようやく真から納得できた。
奴隷というものには、
ちょいと気のしれない心理がある。
じぶんはたえず空腹でゐて
主人の豪華な猷立のじまんをする。

奴隷たちの子孫は代々
背骨がまがってうまれてくる。
やつらはいふ。
『四足で生れてもしかたがなかった』と

といふのもやつらの祖先と神さまとの
約束ごとと信じこんでるからだ。
主人は、神様の後商で
奴隷は、狩犬の子や孫なのだ。

だから鎖でつながれても
靴で蹴られても当然なのだ。
口笛をきけば、ころころし
鞭の風には、目をつなって待つ。

どんな性悪でも、飲んべえでも
蔭口たたくわるものでも
はらの底では、主人がこはい。
土下座した根性は立ちあがれぬ

くさった根につく
白い蛆。
倒れるばかりの
大木のしたで。

いまや森のなかを雷鳴が走り
いなづまが沼地をあかるくするとき
『鎖を切るんだ。
自由になるんだ』と叫んでも、

やつらは、浮かない韻でためらって
『御主人のそばをはなれて
あすからどうして生きてゆくべ。
第一、申訳のねえこんだ』といふ。

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