2024年11月1日金曜日

哲学的認識の変遷の一端

 昨日、「真に偉大な精神の持主によって完成された傑作は、いつも人間の種族全体に深く徹底的な影響を与えるものになる」(「カント哲学の批判」『ショーペンハウアー全集 4』、茅野良男訳、白水社、1996年、p9)ことは述べました。しかし、と続きます。
 カントなどの「真に偉大な精神の持主によって完成された傑作」である認識は、「すぐさま人類の所有物とはなりえない。天才というものは与える力をもっているが、通常の人類というものは、これと同じだけの受け取る力すらもっていないから」(注)というのです。だから、紆余曲折を経て、「その源泉の内容を徐々に部分的に受けとり、しだいに同意の度合いを増してゆき、このようにして、あの偉大な精神の持主から発して人類に注ぎこむことになる恩恵の分け前にあずかるようになるので」(注)す。何という名文でしょう。

 (注)人生と世界からじかに汲みとり獲得し、獲得され準備されたものとして他の人びとにさしだした認識は、そういう事情にもかかわらず、すぐさま人類の所有物とはなりえない。天才というものは与える力をもっているが、通常の人類というものは、これと同じだけの受け取る力すらもっていないからである。(中略)
 その認識はさらにまた、無数のまちがった解釈やひずんだ応用というもろもろの迂路をまずたどらねばならない。古いもろもろの誤謬と合体するというかずかずの誘惑を切り抜けながら、新しい公平な種族が成長しておのれを迎え入れてくれるようになるまで、その認識は闘いを生き抜かねばならない。この種族は若いころからいちはやく、千々に分かれた水路にのっとり、その源泉の内容を徐々に部分的に受けとり、しだいに同意の度合いを増してゆき、このようにして、あの偉大な精神の持主から発して人類に注ぎこむことになる恩恵の分け前にあずかるようになるのである。(「カント哲学の批判」『ショーペンハウアー全集 4』、茅野良男訳、白水社、1996年、p10〜11)

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