「無気力、無活動は、いうまでもなく、わが国婦人が未だ内に潜める人間力に醒めないためで」あり、「この力が凡ての活動の根源であって、これを離れて真の活動は」ない、と言っている(注)のです。
”無気力”は、今持って現実的な問題です。この問題を”人間力”という概念で説明し、「万人に潜んで居るこの力が各自に体験された時、初めて真の覚醒」、すなわち、無気力からの人間的な覚醒になるというのです。
そして、「人間は皆その質の差と量の程度はあっても、ことごとくその芽を持って居ります。われわれの内にあるこの力が動き出して、初めてわれわれは有意義な生活を営むことが出来ます。そしてこの活動が、進むに従って、人生の真価が増し、その幸福が益々純粋」になるというのです。素晴らしいことです。カントが「啓蒙について」の中で言いたかったことは、このようなことだったのかもしれません。
(注)無気力、無活動は、いうまでもなく、わが国婦人が未だ内に潜める人間力に醒めないためであります。この力が凡ての活動の根源であって、これを離れて真の活動はありません。この力と活動とは不即不離の関係にあるものであって、力の在る所に活動が在り、活動の背後には必ず力が流れて居る。そして万人に潜んで居るこの力が各自に体験された時、初めて真の覚醒となります。しかもこの覚醒は必ずやその個人特種の表現を伴います。即ち普遍的な人間力は、必ず個人的は創作力となって表現されるものであります。
ここにいう創作力というのは、人間力が個人の内に最も鮮明に強烈に躍動して居る場合いをいうのであります。創作力と言えば、一寸芸術家の専有に属するものの様に考へられますけれども、人間は皆その質の差と量の程度はあっても、ことごとくその芽を持って居ります。われわれの内にあるこの力が動き出して、初めてわれわれは有意義な生活を営むことが出来ます。そしてこの活動が、進むに従って、人生の真価が増し、その幸福が益々純粋となります。(『上代たの文集 : 女性教育者の先達』、上代たの文集編集委員会編、上代たの文集編集委員会、1984年、p59〜60、旧漢字、旧仮名使いを改めて引用しました)
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