前までは、自宅の新聞で連載小説を楽しんでいましたが、最新のものは興味が薄れて頓挫してしまいました。それで、図書館で、他の新聞二紙の連載小説を読むようになりました。理想の国づくりを目指した大名の言葉「だれもが好きな神を好きなように拝む国だ。だれからも余計な口出しをされず、だれにも監視されぬ。どんな強国からも不当に侵略をされぬ国だ」(注1)が光ります。そして、理想とする国を目指すという希望があったからこそ「希望の光があればこそ、人は苦難をのりこえられる」(注2)という言葉が語られたののだと思います。
日本国憲法も、理想であり、希望の光です。しかし、残念なことですが、改憲論が後をたちません。それだけに、日本国憲法が、理想であり、希望の光であることに確信を持ち、そのことを語り続ける必要を感じました。憲法の前文で言う「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」たことが理想であることが、どうして理解できないのかが、理解に苦しむところです。
「だがの、余のパライツは、だれもが好きな神を好きなように拝む国だ。だれからも余計な口出しをされず、だれにも監視されぬ。どんな強国からも不当に侵略をされぬ国だ」
それがわたしの理想とする国である。(諸田玲子著「登山大名」日本経済新聞、2024年8月8日)
(注2)無理もない。祖父のパードレが谷に隠れ棲んでいる。父の蛇之助は仲間と山中を放浪している。岡にはいまだ切支丹が潜伏、肥前国からも迫害された切支丹が逃げこんでくる。そんなときに、皆のためとはいえ岡城へ避難して不自由のない日々を送るだけでもうしろめたかったにちがいない。江戸へ逃れるなど、敬虔な切支丹であるらんには卑怯な行いとしかおもえなかったのだ。
「腹の子のためだ。無事に子を産むことが皆の力となる。希望の光があればこそ、人は苦難をのりこえられるのだぞ」
ありふれたことしかいえぬもどかしさを感じつつも、目を伏せて考えこんでいたらんがようやく同意してくれたときは、うれしさのあまり小おどりしそうになった。子を産むことが希望の光だとらんもわかっているのだ。(上同、2024年8月9日
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