まず、資本主義社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れること、だから、商品の分析から始める、と次のような名文でとく。
資本主義的な生産様式が支配的な社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品は、その富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの考察は商品の分析から始まる。その商品は、使用価値(時計なら、時間を測れるという価値)と、価値(他の商品と交換できるという価値)の二つの側面を持っている。で、この価値の大きさが問題になる。何が問題か?
それは、商品の物象化と言われるもので、この「商品の”物象化”」こそが、資本論の核心部分であり、資本主義社会の、そして現代社会の問題の核心である。そう感じた。「彼らは、この運動を制御するのではなく、むしろ、この運動に制御される」というときの彼らは人間のことだから、「人間が物に制御される」ということになる。つまり、物象化によって私たちの生活が大きく振り回される、ということでもあるのだ。それは、何を意味するか? 武器商人が悪者にされることもあるが、彼らも、結局、武器という商品に制御されているに過ぎない、とも言える。資本主義社会、商品社会が存続する限り、武器商品も拡大発展していく運命にある。そうなってしまう。
価値の大きさは、交換者たちの意志、予見、行為から独立して、絶えず変動する。交換者たち自身の社会運動が、彼らにとっては、諸物の運動という形態をとり、彼らは、この運動を制御するのではなく、むしろ、この運動に制御される。
商品が売れるか、売れないか、買えるか買えないかに人の幸福とか生活が大きく左右されてしまう。物が自分たちの生活を大きく振り回すようになってくるというこの逆転現象を物象化という。
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