人間力が「動き出して、初めてわれわれは有意義な生活を営むことが出来」る用になり、「この活動が、進むに従って、人生の真価が増し、その幸福が益々純粋」となることは、「”無気力”からの覚醒」で、述べました。この「普遍的な人間力は、必ず個人的は創作力となって表現されるものであり」、「この創作力は、不可抗な人間の自然の勢力に一つの統一と調和とを与えます。つまり無形の人間力をして、有形な活動形式をとらしめる力である。無形の精神力を具体化して行く力、あらゆる材料を打って一丸とした有機的関係を表現する力」(『上代たの文集 : 女性教育者の先達』、上代たの文集編集委員会編、上代たの文集編集委員会、1984年p59〜60、旧漢字、旧仮名使いを改めて引用しました)なのです。
ここで、一つの問題意識が生じました。創作活動といえば、芸術や科学のように、新しいものを創り出す活動と思ってきました、一般にもそう思われていると思います。それに対して、音楽を聴いたり、読書をしたりと言った受動的な活動は、創作的とは言われません(確信はありませんが)。しかし、創作力が「無形の人間力をして、有形な活動形式をとらしめる力」だとすれば、芸術鑑賞、文学鑑賞等も、りっぱな創作力になります。そうして考えてみると、確かに、新しいイメージや、意識を生み出し、生活の活力の源泉になったりします。、「”無気力”からの覚醒」で紹介した「創作力と言えば、一寸芸術家の専有に属するものの様に考へられますけれども、人間は皆その質の差と量の程度はあっても、ことごとくその芽を持って居ります」ということは、こういうことでもあったのです。
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