2024年11月10日日曜日

思索体系が与える喜び

 トマス・マンのショーペンハウアー論を見つけたので読んでみました。文体が古くて読みにくくかったにもかかわらず、なぜか、書かれていることに惹かれました。ショーペンハウアーの仕事(著作)を評価を通して、哲学的思索についての一般論を論じているように受け取りました。元の文章(注)の分かりにくいところを”和文翻訳”したところ、すんなりと頭に入ってきました。しかし、いくつかの「高い、つねに楽しい満足は、同一の源泉から流れて出る」ということだと思うのですが、その”同一の源泉”は、まだわかりません。これからの展開の中で明らかになることではないか、そう思いました。今後の展開が楽しみです。同時に、新しい訳があれば、まずそれを参照したい。以下は、”和文翻訳”した内容です。
「哲学的思索の成果としての体系が与える喜び、世界のあり方に思索をめぐらせ、完璧な均衡を得た思想へ組織された知的体系が与える満足、それは、つねにすぐれて美的な種類の喜びである。これは素材に秩序を与え、人生の多様な乱れをふるいにかけて、明確な、普遍的な眺めを与える力をもった芸術から得られるところの満足、これらの高い、つねに楽しい満足は、同一の源泉から流れて出る。
 真と美とは、つねに関わり合わなくてはならぬ。真と美とが、各自他からの支持を受けず孤立しているならば、かかるものの価値は、動揺的なものに過ぎない。真を味方とせず、真にかかわりをもたず、真のうちに、真をとおして生きていないような美とは空しい妄念の怪物であろう」。

(注)形而上学の体系が与える喜び、世界が、緊密に推理され、完璧な均衡を得た思想へ組織された知的体系が与える満足、それは、つねにすぐれて美的な種類の喜びである。これは素材を形成して秩序を与え、人生の多様な紛乱をふるいにかけて、明確な、普遍的な眺めを与える力をもった芸術からえられるところの満足、高い、つねに楽しい満足と同一の源泉から流れて出る。
 真と美とは、つねに関わり合わなくてはならぬ。真と美とが、各自他からの支持を受けず孤立しているならば、かかるものの価値は、動揺的なものに過ぎない。真を味方とせず、真にかかわりをもたず、真のうちに、真をとおして生きていないような美とは空しい妄念の怪物であろう。『ショペンハウエル (永遠の言葉叢書)』、ショペンハウエル著、トーマス・マン編,、坂田徳男訳、創元社、1953年、p7)

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