2024年7月8日月曜日

思(想)いを形にすること

 人類の進化過程において、長い期間の石器文化というものがありました。旧石器時代から新石器時代へと石器文化の発達を伴って、人類の進化も進んだようです。”動作連鎖”という石器の加工過程から「人間の意志」が読み取れるからです。石器時代から縄文時代に至ると、怒気をも作るようになり、やがて、三内丸山遺跡における建物のような巨大な建造物さえ建てられるようになっています。そこには、「個人の人間の意志」を超えた「共同の構想であり、共同の意志であり、共同の行動」(註)がありました。いずれにせよ、人類の進化にとって、「思(想)い」を「形」にする意思が欠かせませんでした。
 ところで、想像力とか、創造力という言葉があります。辞書には、想像力について「想像する能力やはたらき。過去の表象を再生するもの,全く新しいイメージを創造するものなどに大別される」とあって、人類の進化の過程で発揮した意志の説明には不十分です。「想像する能力」だけでは不十分だからです。人類の進化の過程で発揮した意志の力は、思(想)いを、思い描いたイメージを形にするまでの力なのです。手を使って思(想)いを実現して初めて、意志力が発揮できたことになるのです。人類は、意思力を発展させながら進化してきたのであり、意思力こそが人類発展の原動力だったと言えるのかもしれません。

(註)六本のクリの大木を見つけ出し、切り倒して柱に仕立て、幾何学的な形を保って地上高く聳え立たせ、横木でつないで安定した巨大な建造物を作り上げるという構想と、構想を実行に移そうとする意志と、意志を実現する行動は、いずれも個人の次元にとどまるものではなく、共同の構想であり、共同の意志であり、共同の行動だった。そして、構想と意志と行動が共同のものとなるためには、共有される建物のイメージが人びとによって実現可能なものと考えられていなければならなかったし、人びとの意欲をかき立てる魅力的なものでなければならなかった。
 本州の北端の縄文集落で六本柱の巨大建造物が作られたということは、縄文人にとってそれが実現可能だと信じられ、建ててみたいと思わせる魅力的な観念ないしイメージとしてあったことを意味する。地面にへばりつくような小さな竪穴住居との落差を考えると、これまで取り組んだことのない企画にあえて挑戦し、自分たちの力を試してみたいという冒険心さえもが意欲をかき立てる一要素となっていたかもしれない。狩りや漁や植物の採集や栽培などを通じて、長い期間にわたって共同の作業が積み重ねられ、そうした共同の経験のなかで、未経験の試みに進んで足を踏みいれるような共同の力と精神を実感した人びとが、個人の力量をはるかに超える共同の試みとして構想し、意志し、実行したのが六本柱の巨大建造物だった。(『日本精神史 上』、長谷川宏著、講談社、2023年、p18、下線は引用者)

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